<今号の名言>集


『ひえたろう』ブログへ <今号の名言>集Topへ

赤色のマーク(など)が最終更新分です。










追求され続けると返答はどんどん愚鈍になって行くものである。

  ★ 京極夏彦『鉄鼠の檻』より。

追尾されている状況では、時間はつねに敵に味方すると考えなければならない。

  ★ 柘植久慶『グリンベレー 戦場のサバイバル』より。

通信、情報化社会、マルチメディア、インターネット……。イーサケーブルは、オフィスを這い回り、モデムのボーレート(通信速度)は上がる一方。みんな、速度を気にしている。なのに何故、テレビなんて見るのか?

  ★ Webサイト『森博嗣の浮遊工作室』より。

つかむな、放せよ。

  ★ 中坊公平の友、「禎さん」。中坊公平『金ではなく鉄として』より。

疲れたら休んでもいい。でも諦めるな。

  ★ ビリー・ブランクス『BILLY'S BOOT CAMP』より。

使わぬ宝は無いも同じ。

  ★ 出所不明。アンブロース・ビアス『悪魔の辞典』では

【お金(MONEY)】手放すとき以外何の役にも立たぬ恩恵物。

とある。

『次、生まれ変わったら、こうしたい』とか言う人がおるけど、次はないよ。そう思った時点でもう1回やり直したらええ。

  ★ 辰吉丈一郎。

月並みな意見だが、自殺は良くない。
生きていれば、状況が変わることもある。
死んでしまう前に、せめて医師の門を叩いてみるべきだと思う。
あの抗鬱剤という薬は、私も世話になったことがあるが、魔法みたいに効く。まあ、効かない人もいるようだが。
電気ショックも、効く人には電撃的に効くという。
いずれにしても、絶望は、ケミカルな反応に過ぎない。
……と、そう思って、結論を出す前にもがいてみてほしい。

  ★ 小田嶋隆。ブログ『偉愚庵亭憮録』より。

次のヒットを打つことが目標です。

  ★ イチロー。

伝えたいことと、伝えたい人がいれば、歌は生まれてくる。

  ★ 早川義夫。

常に、今からが勝負なのだ!!

  ★ N。

常にチャンピオンを意識したチームでプレーできるのは幸せなこと。振り返れば高校時代から変わらないかな。

  ★ 松井秀喜。

常にナイスパスを狙っていたかもしれないが、やるべきは単純なプレー。天才ぶりを発揮するチャンスは何回かに1回だ。いつも天才であろうとすると、結果は無残なものになる。

  ★ イビチャ・オシム

つねに冷静に、かつ親切であれ。

  ★ 「コリン・パウエルのルール」第10則。

つひにいく 道とはかねてききしかど 昨日今日とは思はざりしを

  ★ 在原業平辞世。

妻は夫がしてやることは何も目に止めず、してやらないことにばかり目くじらを立てる。

  ★ G・クルトリーヌ。

つまらないことに熱情を感じてよく記憶していること、これが女の一番の特徴である。数年前の友達と交わした世間話の中に出てきたこまごましたくだらないことをその気になればいつでも正確に話せるのである。しかもやりきれないことに、女はいつでもその気になるのである。

  ★ モーム。

つまらぬ拳だ! そんな拳をもったゆえに鬼に墜ちたか!!

  ★ 武論尊作・原哲夫画『北斗の拳』より。

つまり、遺伝という現象に関しては、人間はまだ何も知っていないということです。DNAという存在すら知らなかったダーウィンの古典的学説が、未だに博物館に入らず、現役でいる。

  ★ 島田荘司『暗闇坂の人喰いの木』より。

つまり、生存のためには水よりも酸素のほうが緊急性が高いから、水なんか飲むのはやめて呼吸に専念しろということですね。

  ★ かもひろやす。『kikulog』コメント欄より。「優先順位問題」を言い出す人を切り捨てる時によく使う例。

つまり、テレビジョンというのは、メロドラマをボヤッと見るための媒体であって、長時間ニラメッコして詳細な情報をやりとりする道具ではないのです。

  ★ 出所不明。現行テレビのことね。

つまり、なぜ新作を作るのかというと、古典にない要素を表現したいから。古典落語は、飢えと寒さと貧乏の世界。冬に着るものがないから浴衣を重ね合わせて着るとか、食べ物がないからなんとか安くあげようとか、酒が一杯飲めるなら無理をしてでも付き合うとか、そういうことが普通の感覚としてあったんですよ。ところが今はモノが余っちゃって、選ぶのにも苦労するし、新入社員に“酒をご馳走してやるから付き合え”と言っても“ダイエットしているから結構です”とか言われちゃうでしょ(笑)。モノに困っていない現代の人間を描こうとした時、新作が生まれるんですよ。

  ★ 立川志の輔。インタビュー「今週のこの人!」より。

つまり、われわれ日本人にとって生活というものはこういうものだというイメージがあって、そこではじめてどんなクルマを選ぶかが順序となるのだが、現在、その理想の生活を各々が模索しているのにそんなものがハードたる自動車から生まれるワケもない。しかし、やれRV車だ、ワゴンだとハードに走っているのが現状だ。

  ★ 徳大寺有恒『間違いだらけのクルマ選び'93』より。

つまり、我我は無意味なのです。

  ★ 京極夏彦『鉄鼠の檻』より。

つまるところ、ああこの都市は自分がベンツに乗っていることを誇るためには1千万円はたくのに何の抵抗もないのだが、乗っていない駐車時に、たかが300円をケチる奴と見られることには、別にためらいも無い人間が幅をきかせている町なのだな、と思う外はない。

  ★ 景山民夫『つまり何なんだ』より。

罪人であれ。そして雄々しく罪を犯せ。しかしそれより雄々しくキリストに歓喜せよ。

  ★ マルチン・ルター。宗教改革の主唱者。……宗教改革とは、イノベーションと宗教的情熱の賜であった。グーテンベルクによって発明された活版印刷術と、一部聖職者の聖書翻訳(ルターの場合、ドイツ語)の情熱が宗教改革を起こしたのだ。それまで聖書(=神の言葉)は教会の独占状態にあった。それはラテン語で書かれ(=インテリにしか読めない/なお、東方教会ではギリシャ語)、教会にしかなかった(=書写によったのでとても貴重だった)から、人々が神に触れるには、教会に行くしかなかった。つまり教会による聖書(=神)の独占だった。それを普通の人にも平易に読むことができるようにした宗教改革は、すなわち“聖書の大衆化”だったのだ。この言葉は、それを成し遂げようとした情熱家の情熱が伝わるようでいい。なお、世界史などでこのへんを学ぶと、カトリックはプロテスタントに押されたように見えてしまうが、本当のところはプロテスタントが広まったのは、その時代では田舎(ドイツやイギリスなど。当時の都会はフランスやイタリア)だったところばがりで、「中央」からみれば捨ててもいい土地だった。むしろ、反動によってカトリックはアジアなどの布教に乗り出し(日本に来たフランシスコ・ザビエルもそう)、その勢力は逆に伸びたと言える。日本の教科書はプロテスタントに片寄り過ぎなのだ。だいたい、「新教」「旧教」という、日本人の「新しいことはいいことだ」的なイメージと安易に結びついてしまう名称を用いるのも、ある種の恣意を感じさせる。「プロテスタント」にも「カトリック」にもそんな意味はない。

罪を犯していけないのは、罪を犯すと醜い顔になって困るからなのです。

  ★ ホイベルス。

積むなら作れ。

  ★ クワトロ。

積もる話が仰山おすえ  それに今夜は雪どすえ

  ★ 久米呉船。都々逸。

露の世は 露の世ながら さりながら

  ★ 小林一茶辞世。

強い男はうらやましい。ケンカが早くすむ。僕らのケンカはウダウダといつまでも終らない。みっともない。一生続く。

  ★ 中島らも『頭の中がカユいんだ』より。

強い人間なんてどこにもいやしない。強い振りのできる人間がいるだけさ。

  ★ 村上春樹『風の歌を聴け』より。

強い者がいつも勝つとは限らない。しかし、もし賭けをするなら強い者に賭けることだ。

  ★ 出所不明。

強がる人間ほど自分の弱みをよく知っているのです。

  ★ 三和銀行の就職資料『時はいつも、僕の味方をしてくれる』より。

釣合の位置から少し動かした場合に、もとの位置に戻るような偶力が出てくる場合が、安定なのである。

  ★ 中谷宇吉郎『中谷宇吉郎随筆集』より。

釣りが喜びであるとすれば、密漁は無上の快楽である。

  ★ ヘルマン・ヘッセ『車輪の下』より。


←BACK






『ひえたろう』ブログへ <今号の名言>集Topへ