<今号の名言>集


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赤色のマーク(など)が最終更新分です。










WordやExcelのファイルを平気で送ってくる人は、そんな行為は人にいきなりナイフを突きつけているようなもんだと知らないんだから、その非常識が怖いですよね。

  ★ 中村正三郎。「中村正三郎のホットコーナー」より。

若いアナウンサーがさ、『中国の料理には文化が感じられますね』だって。バーカ! 料理は文化そのものなんだ。どこの料理だって文化なんだ。バーカ!

  ★ 永六輔『無名人名語録』より。

若いうちに自殺しなさい。そうすれば死を利用することができるでしょう。

  ★ ピエール・デプロージュ。

若い時って、諦めきれないでしょ、いろんなことが。可能性の海みたいなところにポツネーンと浮かんでいる小舟みたいで。

  ★ UA。『THE BIG ISSUE JAPAN』より。

若いときには、ずいぶん嫌いなものが多かった。何かを嫌いだ、と主張することは簡単で、気持ちが良い。本当に嫌いだったわけではない。嫌いだと思い込むことで、自分を確保できる、そんな幻想があった。何かを嫌いになることは、軟弱な自分には都合が良い。

  ★ 森博嗣『夏のレプリカ』より。

若い世代が歴史を知らない、という指摘もよくあるけど、彼らは歴史に興味がないのではない。今あるような語り方でしか語られようのない不自由で干からびた歴史に興味がないという、ただそれだけのこと。でなけりゃ、どうしてこれだけ“もの”主体のカタログ雑誌が読まれ、ノスタルジーグッズが流行するもんか。己の体験に引き寄せたリアルな「歴史」の回復は、そのような経路から自前でなされるしかないのが現状なのだ。

  ★ 大月隆寛。『毎日新聞』のコラムより。

若いというのはやっかいなことだ。

  ★ 小田嶋隆。ブログ『偉愚庵亭憮録』より。

我が事で泣いてるのは恥ずかしいことなんですが……。

  ★ 妹尾和夫。

わかっている人はわかっていない人の良さを見抜くことができる。

  ★ 早川義夫。公式サイトの日記より。

わかってはいるが……わかるわけにはいかんのだっ!

  ★ 島本和彦『無謀キャプテン』より。

吾が本田技研の使命は日本産業の啓蒙にある。

  ★ 本田宗一郎。海老沢泰久『F1地上の夢』より。1954.03.20.従業員に対し行なった〈宣言〉。T.T.(ツーリング・トロフィー)レースへの参戦を宣言した。

わがままは男の罪 それを許さないのは女の罪

  ★ チューリップ「虹とスニーカーの頃」より。

若者というものは、生きるために理由を必要としない。彼らが必要とするのは口実だけなのである。

  ★ オルテガ『大衆の反逆』より。

若者に法律を守るように求めても、そこに明るい将来があるという保障がなければ法律を守ろうとする気にはならないだろう、私たち政治家は、法の遵守の大切さを学ばせると同時に、困難な状況にある若者たちに明るい将来を提示する、そのための社会的、経済的な政策を講ずる、そういう責務がある。

  ★ ラゼルジュ。フランス国民会議副議長。

若者の修学年数が最も長く、そして10代の自殺が最も多いのが日本だからである。

  ★ 小島寛之。

若者は皆、好きなものを求めるのと同じだけのエネルギィを使って、嫌いなものを一所懸命探している。そうすることで、自分が明確になると信じている。

  ★ 森博嗣『夏のレプリカ』より。

若者は夢に生きる。老人は思い出に生きる。

  ★ 出所不明。中国の言葉だったか……。

「わからない!」なんて叫ぶのは人間だけ。これほど知的な鳴き声は、他にない。

  ★ Webサイト『森博嗣の浮遊工作室』より。

「わからなさに耐える力」に研究者とそうでない者には違いがありそう。

  ★ 柘植。『kikulog』コメント欄より。

わかるだろうか……人生には解決なんてないのだ。

  ★ サン・デグジュベリ『夜間飛行』より。このあと、こう続く。

ただ進んでいくエネルギーがあるばかりだ。

「分かるヤツには分かるはずだ」みたいなものの言い方は、利口ぶりたい人の馬脚だと思います。直せるものなら直した方が良いですよ。

  ★ 小田嶋隆。ブログ『偉愚庵亭憮録』コメント欄より。

「わかるわかる」っていう字面だけを見ると、人は「わかる」よりも2倍くらいよくわかっていそうな気がするかもしれない(そんなわけないか)。でも本当は、このふたつのあいだには、ただ繰り返しただけじゃすまない、深くて暗い川がありそうだ。暗いかどうかはともかく、ふたつを隔てるものは結構深い。

  ★ 菊池誠『科学と神秘のあいだ』より。

「わけのわからない」作品が、むしろ絵画の動向をリードするようになるのは、芸術が宗教や神話という主題を完全に失って、芸術が芸術家自身の独自の心象を描く道具としての自由を得た、19世紀以降に特有の現象なのである。

  ★ 西岡文彦『絵画の読み方 ── 知的に名画を解読する完全ビジュアルガイド』より。

ワシントンの父親は、ジョージが桜の木を切り倒したとき、なぜ許してやったのでしょう?
少年がまだ手に斧を持っていたからです。

  ★ 出所不明。何かのジョーク集だったと思うが。

 わずか2年前に出たPC-9801FはT型フォードみたいに古く、私のパソピア7は牛車みたいに(いっそさわやかなほど)無意味だ。
 M山君がバイトの給料で買った六本木パソコン。これなんかはうっとりするほど無意味だ。
 むかでのリウマチ。象の青っぱな。
 何の意味もない。
 半年ぶりに秋葉原に行ったりすると何も分からなくなっている。これを我々はウラシマ効果と呼んでいる。あそこでは、1年の間に300年の時間が経過する。
 そんな中でマックは健気にも未来を志向している。
 明日をも知れぬ下克上の乱世にありながら、この人は理念に生きているのである。
 なにしろ公家の出である。
 パロアルト研究所、スタンフォード大学、バークレー大学あたりのそうそうたる研究者たちが参画した「未来のオフィスマシン・プロジェクト」から出発したマシンなのである。
 育ちの良さのためかマックはどこかおっとりしたところがある。当面の実用性よりも過去とのつながりや未来に向けての展望、姿形の美しさを重視していたりする。単なるマシンであることを潔しとしない背筋のシャンと伸びた人なのである。
 一方、98はTK-80から身を起こした苦労人だ。生まれの卑しさのためかやはり志は低い。
 結局は電気屋が「チップも安くなったことだしひとつここらで16ビットマシンとやらを作ってみるべぇか」なんて言いながら組み立てた寄せ集めの機械なのだ。設計思想なんてものはかけらもない。朝令を暮改し、屋上に屋を重ね、紆余に曲折を加えながら這いつくばって生き延びてきた、いわば電卓上がりの叩き上げ、木下籐吉郎なのである。
 世が世ならマックと同席できるような身分ではない。

  ★ 小田嶋隆『我が心はICにあらず』より。

忘れてた! 気づいたことも 忘れたい

  ★ 物忘れOL。サラリーマン川柳より。

忘れるということは人間にとって非常に重要な機能だと思う。コンピュータを長年扱ってきて痛感するのは、この機械は記憶力は抜群だが、計算と記憶を速やかに実行するだけしか取りえがないということだ。私達の今の目標は「忘れるコンピュータ」を設計することである。

  ★ 吉本千禎『人間の感性 機械の感性』より。

私があなたと知り合えたことを

私があなたを愛してたことを

死ぬまで 死ぬまで 誇りにしたいから

  ★ 松任谷由実「ボイジャー」の歌詩。

わたしが人生で学んだことは、じぶんがいまもっている力をぜんぶ使えということです。

  ★ スティーヴン・ホーキンス。ボー・バウマン編『人生でいちばん大事なこと』より。

私が猫を相手に暇をつぶしているとき、実は猫の方が私を相手に暇をつぶしているのではないか。

  ★ モンテーニュ。

私が予想している読者は、何か新しいことを学ぼうとし、したがってまた自分自身で考えようとする人々なのである。

  ★ マルクス。

私からの忠告はこうだ。もし強盗に出会ったら、他の憶病者達と一緒に並んでいなさい。あなたの勇気は、もっと自分の得になる時のために取っておいたらいい。

  ★ O・ヘンリー。

私、現実なんてもうたくさんなのよ。

  ★ 栗本薫『鬼面の研究』より。

わたし、現実は苦手なの。

  ★ 綾辻行人『十角館の殺人』より。

私達アメリカ人こそが大量破壊兵器なのよ。

  ★ 映画『華氏911』より。

私たちが古代人とよんでいる人々は自分たちが古代人だとは決して思っていなかった。彼らは常に現代人だったのである。

  ★ 原田実『つくられる古代史』より。

私たちだけには何も起らないわ。
いや、違う。自分たちだけには何か起る、と考えろ。

  ★ 柘植久慶『北朝鮮軍ついに南侵す! ── ソウル陥落・激震の日本』より。

私たちには共通点がないわ。結婚したら私には屈辱、あなたには災難よ。

  ★ 映画『絶壁の彼方に』より。

私たち人間が赤ちゃんとしてこの世の中に生を受けた時、私たちはすべて私たちより先に生まれてきた人間を信じて生まれてくるのです。

  ★ 中坊公平。森永ヒ素ミルク中毒事件第1回口頭弁論における冒頭陳述より。

わたしたちの生き方、わたしたちの考え方は、ぜんぶ人間関係で決まる。

  ★ ドナルド・E・ピーターソン。ボー・バウマン編『人生でいちばん大事なこと』より。この本は13歳の男の子がたくさんの有名人に「人生でいちばん大事なことは何ですか?」と質問し、それに返ってきた答えを集めたもの。

私たちの大半は、夫婦・恋人・家族・友人など、親密な個人的関係をとても重視する。それを上手に維持できるのが、健全な精神のしるしであり、いわば現代の「善人像」でもあろう。

  ★ デボラ・タネン『「愛があるから…」だけでは伝わらない』より。

私たちの脳は常に、私たちが見ているものから意味のあるストーリーを構成しようと試みている。その話の筋書きにあまりぴったりこないものや、私たちが注意を傾けている作業と関連が薄いものは、意識からすっかり拭い去られてしまう(そのように消去された情報が無意識のうちに処理されているかどうかについては、まだ詳しく調べられていない)。

  ★ V.S.ラマチャンドラン/D.ロジャース=ラマチャンドラン『知覚は幻 ラマチャンドランが語る錯覚の脳科学』より。

私たちのもっともすばらしい栄光は、決してくじけないことではなく、くじけるたびに、起きあがることにある。

  ★ ゴールドスミス。

私達の弱い器官、軽薄な考え、私達が培われてきた呪われた偏見、私達に恐怖を吹き込む、根拠のない宗教や法律のお陰で、愚かな連中は悪事の道を歩むのを止めてしまい、大物になるのを断念してしまうのだよ。

  ★ マルキ・ド・サド『新ジュスティーヌ』より。

私たちは、ある国に住むのではない。ある国語に住むのだ。祖国とは、国語だ。それ以外の何ものでもない。

  ★ シオラン。

私たちは移りゆく周囲の事情に対してよりよく適応する方法を身につけねばならないが、それをほとんどの人は身につけてはいない。

  ★ ロバート・M・ブラムソン『「困った人たち」とのつきあい方』より。

私たちは技術屋ですから、技術の無限の可能性を常に信じてるんです。開発の限界は、あきらめるところに存在すると思っています。

  ★ 橋本朋幸。

私達は金を稼ぐために頭脳をもち、金を使うために心情を持っている。

  ★ ジョージ・ファーカー。

私たちは実際にはないパターンをあると思い、実際にあるパターンをないと思ってしまう。くり返しのパターンが実際に存在するかしないかはべつとして、パターンの存在を感知したとき、私たちはそこに因果関係を読み取りたがる。私たちの記憶は、自分が記憶すべきだと考えるものにあわせて変形する。

  ★ クリストファー・チャブリス+ダニエル・シモンズ『錯覚の科学』より。

私たちは、ともすれば、優しい心をもつ。だれに対してでも、優しくありたいと願う。そして、ともすれば、常識性のなかで、ことを判断し、処理したいと願う。できれば、あらそわずに、事をおさめたいと願う。しかし、この優しい精神は危険である。常識性を、はじめから無視する人、あらそいを厭うよりもむしろ好む人は、この優しさに乗じて、人心を支配する。優しさのゆえに、沈黙してはならない。独断と、歪曲と、ゆえなき批判攻撃とに、真実にいたる道をゆずってはならない。

  ★ 安本美典。斉藤光政『偽書「東日流外三郡誌」事件』より。

私たちはレジャーを求めて、次なるイライラを求めている。

  ★ 出所不明。

私たちみたいなオジサンのトシになると、好きだったバンドは全部解散してて切ないよね。

  ★ リリー・フランキー。Webサイト『テレビ・ラジオ・芸能1000ネタ大行進』より。

私ってきれいでしょうって顔をしている女はいやだね。だけど、きれいでしょうって顔をしている女は、みんな、きれいなんだよね、だから困っちゃう。

  ★ 永六輔『無名人名語録』より。

私とは私の世界のことである。

  ★ ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』より。


私なりに歌謡曲とそうじゃないモノとの違いを述べれば、歌謡曲が、共感より快感を大切にするメディアなのに対し、例えばロックなんかは、共感の方が第一義的であるメディア、となる。そして今、快感は比較的手に入れやすくとも、共感は手に入れにくい時代のような気がする。

  ★ 近田春夫「THE 歌謡曲」より。『POPEYE』所収。

わたしには、あなたがたに言うべきことがまだ多くあるが、あなたがたは今はそれに堪えられない。

  ★ 『新約聖書』「ヨハネによる福音書」16:12より。

 私には3年に1度ぐらいの周期で、自分の生活を律していこうという決心がみなぎる時期がある。そういう時、私は必ず手帳を買う。そして自分に起きたあらゆることを書きとめ、自分の心の中に湧いたすべての空しい決心を細大もらさずに手帳に書き込む。
 しばらくして、私は手帳を埋めるためにスケジュールを組むような生活にほとほとうんざりして、いつもの生活に戻る。約束の時間を勘違いし、取材先の電話番号を忘れ、3回も会った人の名前を思い出せず、1度読んだ本を書店で買って、半分ぐらいまで読み進んでから「どうも、いつか読んだような話だな」と思うような、そういう生活にだ。どちらの生活が良い生活なのか、私には判断がつかない。たまにきちんとするのは気持ちが良いが、かといってだらしない暮らしにも捨てがたい味がある。

  ★ 小田嶋隆『我が心はICにあらず』より。

私にはようやくわかった気がする。きっと、人々が出世を目指すのは、出世した方が良い給料が貰えるからではなくて、出世すればそれだけ人に頭を下げる機会が減るからなのだ。

  ★ 小田嶋隆『パソコンゲーマーは眠らない』より。

私には理解できないわ。
何故理解しなければいけない? 人生で美しいことがらは、われわれにはたいてい理解できないものだ。

  ★ 映画『旅情』より。

私の愛人が他の男によって幸せになるのを見るくらいなら、私はその女が不幸になるのを見たほうがマシだ。

  ★ ボワンスロ。

私の1番の喜びは内緒でいいことを行い偶然それが発見されることだ。

  ★ ラム。

私の記憶がいいことと、あなたが変わらないことを神に感謝します。

  ★ 映画『舞踏会の手帖』より。

私の業績の中で最も輝かしいことは、妻を説得して私との結婚に同意させたことである。

  ★ ウィンストン・チャーチル。

私の嫌いなマリノ/セレスやエメロードという、いやに低いへんなセダンですら、そのスタイルは妙ではあるがまとまっている。この高い水準の中からこれも変なセダンだが、ユーノス500のようなすごいデザインが生まれたのだ。おそらくあのユーノス500がアルファやBMWのマークをつけていたら多くのマニアは熱狂しただろう。インテリアはいまだ少し遅れている唯一のものかもしれない。それはわれわれの生活の場の反映だが、その生活が実に貧しいから、いたしかたないともいえる。

  ★ 徳大寺有恒『間違いだらけのクルマ選び'93』より。

私の経験から推せば、絶望の2字は矛盾した文字の結合であって、人間にありえない状態の誇張した表現にすぎないのである。

  ★ 大岡昇平。

私の言語の限界が、私の世界の限界を意味する。

  ★ ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』より。

私の誇りは、打率の高さやホームランなどの数字ではなく、数知れぬ敗北とスランプから、その都度立ち上がったことだ。

  ★ S・ミュージアル。

私のまわりでも、山口智子が好きだという男はみな二言目には、「性格が良さそうだから」だという。ポチャッとしたなごみ顔、健康そうな肢体、いつも明るく元気。バーよりは居酒屋が似合い、「それがっアナタの、いいと・こ・ろ」などと人差し指をたてて歌われた日にゃ、「結婚してください」てなことになるのだろう。いや実は私も、山口智子は性格がいいのではないかと思うし、私が男だったら、このタイプを選ぶのかもしれないと思ったりもする。しかし、ここで見なければいけないのは、「性格よさそう」なのと「性格がいい」というのには、明らかに区別があるという現実だ。とりあえず疑ってかかったほうがいいということは、初代「お嫁さんにしたい女優No.1」の市毛良枝と2代目の東ちづるのいまが教えてくれているじゃないか。

  ★ 山口美保子『山口美保子のこんなオンナにご用心!』より。『宝島30』所収。

私の未来にしてもし暗黒であるのなら、暗黒のままにあらしめよ! 鬼火にも似た架空の光明なぞ求めるべきではない。

  ★ コナン・ドイル『四つの署名』より。

 私のような凡庸な人間は、パラノイアには勝てない。
 世界はパラノイアが作ってパラノイアが動かして、パラノイアが運営している。  オレたちはそれに従うだけだ。残念だが。

  ★ 小田嶋隆。ブログ『偉愚庵亭憮録』より。

 私はアイデアの歴史を研究してみて、人々が精神作用を理解するためのモデルは、その時代の技術を反映していることに気づいた。例えば、17世紀には、人びとは心をあたかもそれが鏡かレンズででもあるように捉えており、これは、当時の光学とレンズ造りの分野の発達を反映している。19世紀末から20世紀の初期には、心を脳全体に回路と継電器を配置した巨大な電話の交換組織と見なす人びともいた。
 この20年間は、新しい精神モデルが用いられている。コンピュータである。このモデルは、私たちの思考のいくつかの面を説明するのに、大変役に立つ。

  ★ ロジャー・フォン・イーク『頭にガツンと一撃』より。

私は悪人です、というのは私は善人ですと言うことよりずるい。

  ★ 坂口安吾。

私は貴方を批判したい。
証明を努力して追った形跡もなく、啓蒙書で仕入れただけの知識にもかかわらず、「自分は理解しきっている」と錯覚をおこしている。
それはすきなだけ学問をする自由がある現代人として、もっとも嘆かわしい知的怠惰です。たぶん学問に王道はないんですよ。啓蒙書はあくまでガイドなんですよ。

  ★ ワカシム。『ミクシィ』より。

私はあまりもの覚えが良くない。いや、この言い方は正しくない。覚えているのが辛くって、過去を振り返るのが恐くって、何でもすぐ忘れようとしているだけのことだ。恐がりなのだ。いつだって振り返ると、無我夢中なだけで、恥多い自分がいる。穴があったら入りたいような、愚かで自意識過剰な自分がいる。それを思い出すのが苦痛なのだ。気恥ずかしさが先に立つ。

  ★ 阿木燿子『<RUBY><RB>十六夜小夜曲<RP>(<RT>いざよいセレナーデ<RP>)</RUBY>』より。

私はいつも思うのだが、わが国では無形のものはあまり尊敬されない。最近ではその傾向もあらたまりかけてきたが、それは金銭と結びついてきたからである。

  ★ 星新一『きまぐれ博物館』より。

私はいまだかつて好きな子どもと犬に会ったことがない。

  ★ W・C・フィールド。

私は歌を歌うのがとても好きです。友達がこの部屋を、不愉快な気持ちで出て行く時、ドアが閉められるその瞬間、光速でもって歌をワンコーラス贈ってやれたら、去られる私の立場は一気に、去るあなたと同格になれるんじゃないか? 去られる私の立場は。去る人には捨て台詞という武器があって、私はそれがとても怖いし嫌いだけど、去られる私のその時、光速で歌える超能力でもあったら、なあ。そしたら、とりあえず私の勝利かちと、なるし、そうなってもきっと相手は「くやしい」なんて思わないで、何となく温和な空気がそこに流れるんじゃないかと思いますね。

  ★ 戸川純『樹液すする、私は虫の女』より。

私はうんざりした。なにかにつけてマイコンがしゃしゃり出てくる事に私はもうずいぶん前からうんざりしている。「マイコン制御エアコン」「マイコントリップメーター」「マイコン速度設定うんぬん」「マイコン美容診断」「マイコン相性占い」「マイコンゲームのためのリトルマガジン」……頭にマイコンの4文字をつけておけばいいんだ、というこいつらのやり口は、ラーメン屋が「元祖」、 うどん屋が「手打ち」、せんべい屋が「手焼き」という文字を意味もなくカンバンに大書しているのと同じようなものだ。特に「ナショナルマイコン直火炊き」なんていうネーミングは「元祖上海風特製手打ちスタミナラーメン」に近いものがあると私は思う。実に安易なのだ。企画から商品化、マーケティングまでが手にとるようにわかってしまうのだ。

  ★ 小田嶋隆『我が心はICにあらず』より。

私は老いた。ガンダルフよ。そうは見えないかもしれないが、心は老いていっている。痩せて、柔らかくなって……まるでパンに塗られたバターのようだ。

  ★ 映画『ロード・オブ・ザ・リング』より。

私は老いたくない。信条に反する。

  ★ 映画『旅路の果て』より。

私は思うのです この世の中から子供がひとりもいなくなってくれたらと 大人だけの世の中ならどんなによいことでしょう 私は子供に生まれないでよかったと胸をなで下ろしています

  ★ 伊武雅刀「子供達を責めないで」より。作詞は秋元康。

私は勝ちます。
みんなそう言うんだよ。リングに上がる前はな。

  ★ 出所不明。

私は神を信じない。同様に悪魔も信じない。だから私は決して、失望しない。

  ★ 映画『ジャンヌ・ダルク』より。

私は化粧をする女が好きです。そこには、虚構によって現実を乗り切ろうとするエネルギーが感じられます。

  ★ 寺山修司『青女論 ── さかさま恋愛講座』より。

私は結婚したい。結婚さえすれば1人の女は少女から女性、母親、妻と多様になる。

  ★ 衛慧。

私は、健康的だが、謎も多い高校生なのだ。

  ★ 山本直樹『YOUNG & FINE』より。

私は幸福を甘く見ていた。

  ★ 京極夏彦『陰摩羅鬼の瑕』より。

私は公平でありたい。全員を同じに扱う必要はないが、公平に扱っていると思う。

  ★ ジョー・トーリ。ニューヨークヤンキース監督。

私はこの手紙をいつもよりずっと長く書きました。というのは、それを短く書く時間がなかったからです。

  ★ パスカル。

私はこれは語り手の問題である、とその時は思った。どんな陳腐な愛のセリフであろうと、それがスクリーンの中で原田知世が発した言葉なら真実になる。

  ★ とり・みき『とり・みきの大雑貨事典』より。

私はこれまでに非常に多くの心配事を抱いたが、それらの多くは決して事実とはならなかった。

  ★ ウィリアム・R・インジ。


私は事業経営は状況の関数であり、状況の変化には軽便に応変していくべきと考える。

  ★ 西田厚聡。

私は小学生の集団の中で生きているのではなく、大人で構成される社会で生きていると思っています。

  ★ 技術開発者。ブログ「kikulog」より。

私は ── 正直云って ── 解りません。例えば信頼している人がいて、その人が罪を犯したとして、罪を犯すのは悪いことですから、罰せられるのは当然なんですが ── 本当に信頼しているなら、その人には法律を破らなければならない程の事情があったのだろうと、そう思うんじゃないでしょうか。なら仕方がない、ちゃんと罪を償って来てくださいと ── そう思うでしょう。反対に自分を信頼してくれている筈の人がいて、その人が犯罪を犯したとしたら、どうして行動を起こす前に相談してくれなかったのか、とても悔しく思うだろうとは思いますが ── ですから、有罪か無罪かなんてことは、それは世間的には大変な問題なのでしょうが ── 夫婦の間では大きな問題じゃないです。だから、それよりも寧ろ ── 無罪でも有罪でも ── 夫婦であることに変わりはありません。罪を犯したから離縁するとか、犯してないから離縁しないとか ── そんな馬鹿な話はありませんでしょう。そんな理由で添っている訳ではないですから ── 命さえ ── 取られなければ。

  ★ 京極夏彦『塗仏の宴 宴の始末』より。

私は人生の岐路に立ったとき、いつも困難なほうの道を選んできた。それが私の人生観だ。

  ★ 岡本太郎。

私は数年前、日本に旅行したことがある。あの国民は難しいよ。外国で自分は英国人だと意識させられるのは珍しくないが、あそこは違う。自分が日本人ではないと、強く思い知らされるんだ。

  ★ 勝鹿北星作・浦沢直樹画『MASTER KEATON』より。

私は太陽電池で動いており、妻が私のお日さんなのだ

  ★ 中坊公平『金ではなく鉄として』より。

私は天使を描くことはできない。なぜならば、私は天使を見たことがないからである。

  ★ クールベ。西岡文彦『図解・名画の見方』より。

私は特に「道で拾った物が実は宝であった」というのに、ものすごく憧れる。得したい、という意味ではなく、その「拾う」という事に、無自覚な天才を感じるからだ。ある意味では「目利き」という能力よりカッコいいと思う。「無自覚」がミソだ。

  ★ ナンシー関『何もそこまで』より。

私は何者か。どうやってここに来たのか。世界と呼ばれているこれは何か。私はどうやってここの世界にやって来たのか。何の相談もなしに。むりやり参加させられたのだとしたら、管理人はどこにいるのだ。私は管理人に会いたい。

  ★ キルケゴール。

私は日本の臣民ではありました。しかし、私は日本国民なのですか?

  ★ 呉智英『アリバイと一億人の犯罪者』より。『当世滑稽裁判譚』所収。

私は人間だった。それは戦う者だということを意味している。

  ★ ゲーテ。

私はノーという答えは嫌いなんだよ。

  ★ 映画『9時から5時まで』より。

私は不安なのです。再び時が来るまで、チェコ事件の首謀者やスパイどもを憎み続けていられるだろうか……と。人を愛することもできなかったこの私が、人を憎み続けることができるだろうか……。

  ★ 工藤かずや作・浦沢直樹画『パイナップル・アーミー』より。

私は父母に生んでもらったんじゃなくて、自分が決意してこの世に生まれてきたのだ。

  ★ 岡本太郎。岡本敏子『岡本太郎の遊ぶ心』より。

私は、ほとんど感動に近いものを覚えた。方光寺の鐘の銘に「国家安康、君臣豊楽」とあったのを「家康を切れば国が安らぎ、天下がひっくり返れば豊臣の君が楽しむ」という意味だと無理読みして、徳川が豊臣を滅ぼした時、きっと人々は、怒りやあきれよりも、かえって感動を覚えたのではなかっただろうか。

  ★ 呉智英『封建主義、その論理と情熱』(後に『封建主義者かく語りき』と改題)より。

私は「弱い」という言葉が嫌いでね。
高くつきますからな。

  ★ 映画『オーシャンズ11』より。

私は冷静な人の味方で、無駄な争いをするバカの敵。あなたはどっちなの?

  ★ 『魔法少女まどかマギカ』より。

私は、老人病の問屋ほど病をもってますけどあまり気にしませんねん。自分の体で変化するんだから、病も友達、病も身の内やと思って。とにかく、『天一人を生ずれば、地一穴を生ず』。天が1人の生命をつくれば、地は1つの埋める穴を考える。そやから、ごく自然の気持ちで、あまり執着したらあきませんな。

  ★ 西岡常一。宮大工。

私は私が男でないことを喜びます。男だったら私は女と結婚しなければなりませんもの。

  ★ スタール夫人。

わたしは、わたしたちの商品(料理だけでなく、スタッフのもてなしや店舗デザインも含む)と相性がよさそうなお客様を常に心に留めている。オープン当初は膨大な量の意見が寄せられるものだが、なかでも信頼関係、敬意があるうえで、店への期待をこめて交わされる貴重な対話が大切だからだ。

  ★ ダニー・マイヤー『おもてなしの天才 ── ニューヨークの風雲児が実践する成功のレシピ』より。

わたしもあなたを罰しない。お帰りなさい。今後はもう罪を犯さないように。

  ★ 『新約聖書』「ヨハネによる福音書」08:11より。

私、物心つくまでうちのお父さんは侍だと思ってた。

  ★ 三船美佳。(三船敏郎の娘)

私も含めて日本人の多くの人が認めてしまうのがとても苦手なポールの魅力を、ストレートにスムーズに感じ入ることができたら、いわゆるアフター・ザ・ビートルズの時代も、もっと大きく素晴らしく変わっていたことでしょうねェ。

  ★ 桑田佳祐『ケースケランド』より。注)ポール=ポール・マッカートニー。

私らの世代は、戦争があったり、世の中がガラリと変わったりで、実にいろいろなことを体験しました。しかし変わらんのは「うどんという食べもんは、100点満点やと窮屈でおいしいない」ということなんです。100点満点の腕を持ちながら、どこかを引くことで、90点か85点の味をお出しする。これやと「我」もでまへん。100点は誰でもつくれるけど、それを引く方がむずかしい。うどんみたいな大衆的なもんは最高の味やと毎日は食べられへんのです。

  ★ 宇佐見辰一『きつねうどん口伝』より。

私を信じるのは謙遜じゃない。誇りだ。

  ★ 映画『軽蔑』より。

笑うことさえできないんだ。

  ★ THE STALINの曲の歌詞の「笑うことさえできないか」というところを私がこう聞き間違えていたのであるが、こっちの方が気に入ってるので訂正しない。

笑え、そしたら世界もともに笑うであろう。泣け、そしたらおまえ1人で泣くことになる。

  ★ ウィルコックス。

笑はれるのを恐れるよりは、心にないことを言ふのを恐れなければいけない。

  ★ 武者小路実篤『幸福者』より。

悪い言い訳はちゃんと騙してやろうという努力すら放棄しているがゆえに、不誠実なのだ。

  ★ 如是我聞。

  1. 悪い店はますます悪くなり、よい店はますますよくなる。
  2. 物は名前によって特性が出てくるので、特性に名前がつくのではない。
  3. 仕事に従事した年月は経験とはほとんど無関係である。
  4. 若々しい見解は年齢とはほとんど無関係である。
  5. 聡明なる素人のだれでも、大々的な運動のはでな文句は書けるが、年期を積んだプロだけが、小さな宣伝パンフレットを上手に書けるのである。
  6. 自身で広告をつくり出す能力のない人ほど、その権限があれば、でき上がってきた広告文やその技術にけちをつけようとする。
  7. 自信のある人間は信用を分かちあい、自信のない人間はそれを盗む。
  8. 仕事の負担が倍になっても、仕事が倍になったことにはならない。
  9. ばかな人間ヤツの下で働くより、賢い人間ヤツの下で働くほうがよい。
  10. 最高の広告はりっぱな製品である。

  ★ アラン・H・マイヤー。『マーケティング・コミュニケーションズ』より。広告に関するマイヤーの法則。

我の性格は、我の行為の結果なり。

  ★ アリストテレス。

我等が僧として従うべきは仏法である。人として従うべきは道徳である。国民として従うべきは法律である。だが尊公個人に従わねばならぬ道理など、どこにもないわ。尊公は単に警察機構の一員であると云うだけではないか。尊公個人が偉い訳ではないであろう。

  ★ 京極夏彦『鉄鼠の檻』より。

われら兄弟3名は、各々がみな至らない所のある人間だ。その欠点や不足をお互いに補い合ってこそ初めて真の手足であり一体の兄弟といえるのではないか。そちも神ではない。玄徳も凡夫である。凡夫のわしが、何を以て、そちに神の如き万全を求めようか。

  ★ 吉川英治『三国志』より。

われわれが卒業するとき、先輩は、名誉が欲しければ役所へ、設計が好きなら建築事務所へ、金が欲しければ請負へ行けと言う。

  ★ 富安秀雄。『建築ジャーナル』対談「建築運動の可能性」より。建築家。

われわれが日常生活で見るすべてのものは、程度の差こそあれ、身についた習慣によって歪められている。この事実はおそらくわれわれの時代においては、特に感じられるのではないだろうか。というのは映画、宣伝、絵入り雑誌によって既成の映像の洪水があふれている。これらのヴィジョンに対する関係は、先入観の認識に対する関係と相似たものである。このような映像の工業生産から身を守るために努力することは、かなりの勇気がいることである。これはすべてのものを初めて見たかのごとく見る勇気であり、芸術家のために不可欠のものである、すなわち、生涯にわたり、子供として世界を見たごとく見ることができなければならない。この能力を失うことはすべての創造性(個性的表現)を失うことを意味する。例をあげて説明すると、こうなる。私は芸術家にとってバラの絵を画くことほど難しいことはないと考える。というのは、このためには、まず、それ以前に画かれたすべてのバラを忘れてしまわなければならないからである。

  ★ アンリ・マチス(画家)。

われわれが1つの悪徳に溺れずにすむのは、悪徳をいくつも持っているおかげであることが多い。

  ★ ラ・ロシュフーコー。

われわれが礼儀正しいのは自尊心のためである。

  ★ モンテスキュー『法の精神』より。

我々に第六感はない。なくて幸いだ。戦争は即興でするものではない。

  ★ 映画『熱砂の秘密』より。

われわれの生きている時代は、信じがたいような実現への能力が自分にあることを感じながらも、何を実現すべきかを知らないのである。

  ★ オルテガ『大衆の反逆』より。

われわれの行為を決するものは善でもなければ悪でもない。ただわれわれの好悪である。あるいはわれわれの快不快である。

  ★ 芥川龍之介『侏儒の言葉』より。

我々の体の骨の成分であるカルシウム、ヘモグロビンの中の鉄 ── これらは超新星の産物である。つまり、かつて星々の成分であったカルシウム、鉄が今の我々の体内のカルシウム、鉄なのである。

  ★ ある天文学者。

われわれの限定せられた性質、代々相伝の本性はもちろんのこと、慣例、因襲の力は美術鑑賞力の範囲を制限するものである。われらの個性さえも、ある意味においてわれわれの理解力に制限を設けるものである。そして、われらの審美的個性は、過去の創作品の中に自己の類縁を求める。もっとも、修養によって美術鑑賞力は増大するものであって、われわれはこれまでは認められなかった多くの美の表現を味わうことができるようになるものである。が、畢竟するところ、われわれは万有の中に自分の姿を見るに過ぎないのである。すなわちわれら特有の性質がわれらの理解方式を定めるのである。

  ★ 岡倉覚三『茶の本』より。続きはこう。
「これに連関して小堀遠州に関する話を思い出す。遠州はかつてその門人たちから、彼が収集する物の好みに現われている立派な趣味を、お世辞を言ってほめられた。「どのお品も、実に立派なもので、人皆嘆賞おくあたわざるところであります。これによって先生は、利休にもまさる趣味をお持ちになっていることがわかります。というのは、利休の集めた物は、ただ千人に一人しか真にわかるものがいなかったのでありますから。」と。遠州は歎じて、「これはただいかにも自分が凡俗であることを証するのみである。偉い利休は、自分だけにおもしろいと思われる物をのみ愛好する勇気があったのだ。しかるに私は、知らず知らず一般の人の趣味にこびている。実際、利休は千人に一人の宗匠であった。」と答えた。」

我々の最優先事項は母子の安全であり母親にとっての満足度ではありません。それは、我々が人の生死に関わることを生業とするプロだからです。

  ★ 周産期Dr。ブログ「kikulog」より。

我々の話が科学的精度に欠けているとすれば、それは何よりも、我々が普通そのような精度を必要としないからです。青いカケスが餌を食べに来ていると話すために、cyanocitta cristata という学名を知っている必要はないのです。

  ★ ジェームズ・フィックス著・多湖輝訳編『天才パズル』より。

われわれの日々の思考の大部分を占めているのは、実は出来事の原因や、人々の行動の理由を推測することである。

  ★ E.B.ゼックミスタ+J.E.ジョンソン『クリティカルシンキング (入門篇)』より。

我々の漫才は爆笑はいらんのです。苦笑でよろしいねん。

  ★ 喜味こいし。『産経新聞』「関西笑談」より。

われわれはあまりに分類し過ぎて、あまりに楽しむことが少ない。

  ★ 岡倉覚三『茶の本』より。続きはこう。

我々はオンライン音楽販売のマイクロソフトだ。

  ★ スティーブ・ジョブズ。

我々は『鎌倉時代には』『江戸時代には』なんて言うじゃない。でも、江戸時代の人は『室町時代には』なんて言わないよね。時代を区切って考えるのは、現代人だけじゃないのかな。弥生時代の人が『縄文時代には』なんて言うわけないものね。

  ★ 永六輔『無名人名語録』より。


われわれは機械から、これまで考えてもみなかった機械的なものの考え方というものを学ばせられているのである。その客観性、冷厳な規則、画一性、物理の法則等々、ほとんど血も涙もない非人間的なものの考えの中に、むしろ真理があることを知らされつつある。そして、人間自身も、物理的な法則の圏内にいるという恐ろしい事実を、改めて思い知らされるだろう。

  ★ 安野光雅『わが友石頭計算機』より。

われわれは規格戦争というと、すぐ「ベータ対VHS」のようなものを頭に浮かべるが、いまや「勝ち」の姿が変化しているのだ。

  ★ 世界を納得させたシャープの「赤外線通信規格」」より。Webサイト「PRESIDENT Online」所収。

われわれは気安く生きてるんじゃないよ、ボリス。ただ安っぽく生きてるだけだ。

  ★ エーリヒ・マリア・レマルク『凱旋門』より。

われわれは虚栄心があるにもかかわらず自愛さえも単調になりがちである。

  ★ 岡倉覚三『茶の本』より。

我々は知らねばならない、我々は知るであろう。

  ★ ヒルベルト。

我々はすべて犯罪者であるが、「犯罪者」として裁かれるのは運の悪い人間か、へまな人間だけである。

  ★ 如是我聞。

われわれは不思議に思う、最も進歩的な西洋諸国の間に何ゆえに建築がかくも斬新を欠いているのか、かくも古くさい様式の反復に満ちているのかと。

  ★ 岡倉覚三『茶の本』より。

 我々は普段、無造作に現実という言葉を使っているが、その指し示す内容は一向に現実的なものではない。
 気温、温度、風向き、昼飯の内容、自分の年齢と職業と収入、1万2千円の靴、真夜中の電話と胃の痛みとベランダの手すりに浮いた赤錆。そうした雑多で無秩序な事実や断片的な印象をひとまとめにして、我々はそれを現実と呼ぶ。そう呼ぶほかにどう呼んでいいかわからないからだ。現実は夢の一部なのだと、荘子は言った。確かに胡蝶が荘子なのか荘子が胡蝶なのかは誰にも分からない。
 こういうわけのわからないものは相手にしない方がいい。私は普段から、なるべくこいつを直視しないように心がけている。

  ★ 小田嶋隆『我が心はICにあらず』より。

我々は米軍支援に行くんじゃない。イラク国民の支援に行くんだ。

  ★ 陸上自衛隊幹部。『読売新聞』より。イラクへの地上部隊派遣場所の選定議論の際、防衛庁幹部に「米軍の意向に沿った場所がいい。南部では米国が納得しない」と迫られて。

我々凡人は、本を読みすぎるとアホになる。どうしてアホになるかというと、それは「本に呑まれて」しまうからである。

  ★ 中島らも『啓蒙かまぼこ新聞』より。


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