<今号の名言>集


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赤色のマーク(など)が最終更新分です。










相愛の2人のうちで、より優しい心を持っているほうは、常にいくらかだまされている人である。けれどもその人は相手より一層楽しみを受ける。

  ★ ドレスピナス嬢。昔引いたおみくじに書いてあった。

そういう大きな木がもう日本にはない。新築するなら外国の木でもいいかもしれないけど、国宝の建物を修理する時に使うような大きな材料がない……だからそれはこれから育てておかなければいけない。それは常に言いたいんだ。
国や個人が何代にわたってやれるかといえば、相続税がどんどんかかるからダメだけど、だから木は寺が作らなきゃダメだと思うんだ。修理する時にはこの山のこの木を使ってください、というぐらいの奥のある話をしなきゃ。技術はよみがえるけども、森林がなかったらあかんのやから。
ものすごい面積の中に木を植えて、その中に何本かしか育たないのが木なんだから、それはちょっとした規模ではできないんです。次の法隆寺の大修理の時に、外材で修理をしてしまうなら、そんな国のどこが文化国家ですか。そういうことは、今からやっておかないといかんな。

  ★ 小川三夫。『ほぼ日刊イトイ新聞』「法隆寺へ行こう!」より。

そう言うな。あいつらもそれで飯を食っているんだ。家族がその背中に乗っている。オレの悪口を書いて、それで連中も飯が食えればいいじゃないか。いずれカタがついたら、あいつらもだいぶ儲かったろうから、一割か二割、払いは戻してもらおうや。

  ★ 田中角栄。早坂茂三『オヤジとわたし 田中角栄との23年』より。ロッキード事件が起きた後の雑誌、新聞の記事を見て「あいつら、いずれ全部ぶった斬ってやる」と激昂した秘書官の早坂に。

そういえば、『神奈川新聞』読んでたら、週末にそこらで騒ぐ連中をご丁寧に"ストリート・ディスコ族"とか形容してたけど、そんな名前なんかつけると、またぞろ増えるぞ。あいつらは、ただ"バカ"と呼んどきゃいいんだ。記号化されると増殖するっていうのがバカの特性なんだから。

  ★ 景山民夫『ハックルベリー・フレンズClick Here!』より。

憎悪の対象である日本を、天皇において体現されているものと見なすか、天皇においてこそ憎悪の対象である日本は、根底的に批判され克服されうると考えるか、方向は対極的であるけれども、両者の精神的な構成は双子のように酷似している。

  ★ 笠井潔『終焉の終り ── 1991文学的考察』より。

憎悪や私怨や私憤の所在をはっきりと指さして公言するためには、自己の甘えや自己慰安に安んじている自分の醜さを直視するだけの「大きい沈黙と奥行」が要る。

  ★ 吉本隆明『情況への発言』より。

そうか、諸行無常、万物流転は天地の真理か。天地真理、ありがとう。

  ★ 如是我聞。

そうかしら……、緻密な頭の良さと、大勢の人たちに連日接してせいぜいうまくやるといった能力とは、相反するものだと思います。

  ★ 島田荘司『暗闇坂の人喰いの木』より。

そう、カルト的な教理を盲目的に信仰することも、マスコミや世論の正義を盲目的に信仰することも、ついでに家族という疑似共同体の正当性を盲目的に信仰して「子供を返して!」と被害者ヅラして見せる信者の親たちも、みんな同じ穴のムジナなのだ。

  ★ 山崎浩一。オウム真理教の出家者とその家族を巡るトラブルが社会問題になったときのお話(地下鉄サリン事件のずっと前)。その後の騒動を見て、過去にこういった発言をした人に対して「ほらやっぱり」などと言うような人は、もう少し考えてみましょう。

そうか……。わかった……わかったぞ。飛行機があれだけ高くとべるのは……、すさまじいばかりの空気の抵抗があるからこそなのだ!!

  ★ 島本和彦『逆境ナイン』より。

そうか私予備役女子高生だったのかヽ(・▽・)ノ

  ★ sumire_unipro。twitterより。

宗鑑は いづこへと人の 問うならば ちとようありて あの世へといえ

  ★ 山崎宗鑑辞世。

創業は易く守成は難し。

  ★ 唐の太宗。『十八史略』より。

葬式共同体としての血族集団。会うときはいつも黒い服。

  ★ 小田嶋隆。ブログ『偉愚庵亭憮録』より。

そうすると、きみは失敗してしまったのだね。ここで大事なことを理解しなくてはいけない。成功への道は、うまく対処した失敗で踏み固められているものなんだ。

  ★ ダニー・マイヤー『おもてなしの天才』より。

想像とは記憶力だ。

  ★ 黒澤明。

想像力が働かないところには、恐怖もおこらないものだ。

  ★ コナン・ドイル『緋色の研究』より。(人間以外という意味での)動物は、目の前の状況に恐怖を感じることはあっても、「こんなことが起こるんじゃないか」などという恐怖を感じることはないそうだ。

想像力こそ、人間が所有している人間解放のための能力である。

  ★ オルテガ『大衆の反逆』より。

想像力と妄想力の大きな違いは、「妄想力は想像力を抑制する」ということです。妄想を成立させるには、想像力ほど邪魔なものはありません。

  ★ 菊池誠。ブログ「kikulog」より。

創造力の一番の源は、緊張感だと思うんです。そして勇気もぜひ必要です。

  ★ 安藤忠雄。

創造力を身につける上でまず第一に必要なのは、決められた課題に解を出すことではなく、自分で課題を設定する能力です。

  ★ 畑村洋太郎。

そう、試験というものは本来そういうものだ。誰でも解ける問題を出して、落ちこぼれを見つけるのではない。解けそうにない問題を出して、秀でた才能を発見する。

  ★ 森博嗣『冷たい密室と博士たち』より。

総じて人は己に克つをもって成り、自ら愛するをもって敗るるぞ。

  ★ 西郷隆盛。

想像力とは、知識と体験と常識を積み重ね、さめきった頭で処理するところに発生する。

  ★ 星新一『人民は弱し官吏は強し』より。

創造的人間の条件は、さまざまな要求から自由になる時間、暇、ときに怠惰の時間を持つことです。ダーウィンが生涯健康に恵まれず、必然的にたびたび休養を必要としたことは、彼の業績にどれほど貢献したことでしょう。

  ★ ジェームス・フィックス著・多湖輝訳編『天才パズル』より。

そう、そのときすぐに、誤りは正しておくべきだったのだ。誤りは雪ダルマと同じなのだから。

しかし、それからすでに20年も生きてしまったスズキさんには、小さな誤りをひとつひとつ正すのは、自分の元気を少しずつ切り捨てるのと同じことだと、いや、もう、身に滲みてよく判っている。あのレーニンですら、その元気を惜しんだばかり、スターリンが雪ダルマになってしまうのをみすみす許したのではなかったか。

  ★ 矢作俊彦『スズキさんの休息と遍歴 またはかくも誇らかなるドーシーボーの騎行』より。


宋の詩人李仲光りちゅうこうは、世に最も悲しむべきことが三つあると嘆じた、すなわち誤れる教育のために立派な青年をそこなうもの、鑑賞の俗悪なために名画の価値を減ずるもの、手ぎわの悪いために立派なお茶を全く浪費するものこれである。

  ★ 岡倉覚三『茶の本』より。

象の石像を作るには?
石を集めてきて、象に似てないのを全部捨ててしまいます。

  ★ 出所不明。何かのジョーク集だったと思うが。

そうはいうけど、お前、カメラの連中だって、誰も好きこのんで、きてるんじゃない。本当は家で寝ていたいよ。でもオレが動けば、連中はこなければならん。そのときにオレの写真が撮れないんでは、あの連中も商売にならんだろう。手を挙げてサービスしてやってもいいじゃないか。

  ★ 田中角栄。早坂茂三『オヤジとわたし 田中角栄との23年』より。ロッキード事件の裁判中、裁判所の出入りのたびにカメラの前に立ち止まり、笑顔まで浮かべて右手を挙げるポーズをとる田中を「マスコミに手なんか挙げることはありません」とたしなめた早坂に。

そうは言っても世界はそうなっているし……。

  ★ 菊池誠。

 そう、必要なのは嵐だ。
 野球界の現状を見ればわかる通り、腐敗はむしろ、小春日和の穏やかな空気の中で進行する。

  ★ 小田嶋隆。ブログ「偉愚庵亭憮録」より。

疎外された(と感じる)人々のルサンチマンこそ、陰謀論の温床である。

  ★ 原田実『トンデモ偽史の世界』より。

測定という、自然科学における一番基本的で単純な操作は、何べんでもくり返して測ってみることができるということを、はじめから仮定しているのである。すなわち再現可能の原則を、はじめから仮定しているわけである。

  ★ 中谷宇吉郎『科学の方法』より。

測定には必然的に伴う誤差の点からみても、科学の力には限界がある。

  ★ 中谷宇吉郎『科学の方法』より。

> 組織がひとつのプロジェクトを成そうとするときに、その可否の鍵を握る中心人物のその精神状態を周囲が気遣うのは当然のことではないか。
 という、あなたの言っているそれは、自己犠牲に見せかけた奴隷根性ですよ。
 「プロジェクト」などと大人っぽい言葉を使ってみたところで、無茶を言う権力者の実態は「ジャイアンコンサート」(←どらえもん参照)と同じです。
 偉い人のパシリをやっている人間を大人だと思ってはいけません。
 正しい日本語の用法では、それは腰抜けといいます。

  ★ 小田嶋隆。ブログ「偉愚庵亭憮録」より。「どらえもん」は原文ママ。

組織に必要なのは規律だ。アイデアじゃない。

  ★ ドラマ『逃亡者 木島丈一郎』より。

組織はツールであって、目的ではありません。

  ★ 橋本綱夫。片山修『ソニーの法則』より。

そして問題なのは、世の中は変わらないということです。あなたが変わらなければいけないのです。

  ★ シャレド・フォーグル。映画『スーパーサイズ・ミー』より。

訴状を見ていないのでコメントできない。

  ★ 如是我聞。

「SONY」という4つの文字が我々にとって最大の資産である。

  ★ 安藤国威。

その、兄上や、あの変な探偵や、ええともうひとり、彼なんかはどうしとる。元気かな。
残念ながら皆相変わらずで、そこそこ元気なのが癪に障ります。

  ★ 京極夏彦『鉄鼠の檻』より。

そのうちあんたはきっと言い出すだろう

「住めば都さ。ブタ箱も悪かない。じっとガマンしてりゃ、そのうち出してくれるさ」

それで自由になったのかい
それで自由になれたのかよ

  ★ 岡林信康「それで自由になったのかい」の歌詩。

そのうちに、という人はいつもしない。永遠にしない。

  ★ 出所不明。

その女が男であったら、友に選んだであろうような女でなければこれを妻として選んではならない。

  ★ ジューべール。

その気があるなら、いまから古い文献を買っておくことだね。いまならまだ、本当にそれを読もうという人が買える。しかし、もし買うだけで読まない連中が集め出したら、手もつけられなくなる。

  ★ 海老沢泰久『美味礼讃』より。

その言葉こそ、人類の墓標に刻まれるべき一言です。神様、よくわかりませんでした……ってね。

  ★ 森博嗣『有限と微小のパン』より。

そのことは何でもない、何の意味もない。月が上るということは、詩人や気象学者、天文学者にだけ興味のある、つまらんことです。

  ★ 折原一『鬼面村の殺人』より。

その通り だから余計に 腹が立ち

  ★ 出所不明。

その時聴衆はホールの木木に吹く風の音、屋根を打つ雨の音、聴衆のざわめきを聴いたはずだ。

  ★ ジョン・ケージ。「4分33秒」初演の際、聴衆の非難に応えて。

そのときどきの人気者を決めるのは、子供の熱狂だと思う。大人にほめられたってあんまり意味ないような気がする。大人の支持って、感情じゃなくて分別だし。

  ★ ナンシー関『耳部長』より。

……そのパワーをそのまま持ち込んで作ったのが『NIPPON NO ROCK BAND』。全曲英語でやってみました。けれど少々残念なことに、雑誌などにはたたかれました。方法論だけまねていて、結局は日本人に聴かせるための音楽ではないか。桑田の音楽はしょせんご飯にみそ汁だ。日本人の枠を超えられるわけがない……と。たしかにそれは当たっているかもしれませんね。でも得られたものの大きさはやってみた者にしか分からないでしょ。トライしてみないことにはどうにもこうにもね。

  ★ 桑田佳祐『ただの歌詩じゃねえか、こんなもん '84-'90』より。

その人がどれだけ不幸かを測る方法がある。鍵の数です。多く持っていれば持っているほど、それだけ不幸がある。

  ★ 井上陽水『綺麗ごと』より。

その人といることは、1人でいる時のように自由で、しかも、大勢でいる時のように楽しいの。

  ★ シャーロット・ブロンテ。

その人を知らざれば、その友を見よ。

  ★ 『史記』より。

その不幸な身の上話は、彼女の作り話でした。

  ★ CMのコピー。何のCMかは忘れたし、あまり深い意味もないようだが、妙にインパクトがあった。白人のおばあちゃんが涙ながらに語っている(外国語なので意味は分からないのだが)上にこのコピーがかぶさるというもの。

そのようなものとしての戦後、そのようなものとしての日本。

  ★ 笠井潔『終焉の終り ── 1991文学的考察』より。

そもそも、生きていることの方が異常なんです。死んでいることが本来で、生きているというのは、そうですね……、機械が故障しているような状態。生命なんてバグですものね
バグ? コンピュータのバグですか? 
ニキビのようなもの……。病気なんです。生きていることは、それ自体が、病気なんです。病気が治ったときに、生命も消えるのです。そう、例えばね、先生。眠りたいって思うでしょう? 眠ることの心地良さって不思議ですわ。何故、私たちの意識は、意識を失うことを望むでしょう? 意識がなくなることが、正常だからではないですか? 眠っているのを起こされるのって不快ではありませんか? 覚醒は本能的に不快なものです。誕生だって同じこと……。生まれてくる赤ちゃんって、だから、みんな泣いているんですね……。生まれたくなかったって……。

  ★ 森博嗣『すベてがFになる』より。

そもそも、命を懸ける、などという表現がおかしい。生まれたときから、誰でも命懸けなのだから。時に気合いを入れるほどのことではない。

  ★ 森博嗣『有限と微小のパン』より。

そもそも男というものは、家庭の幸福と女の幸福とが一致するものと頭から思い込んでいる。一致するかどうかはともかく、少なくとも当の女たちがきっとそう信じていると、信じている。

  ★ 阿刀田高『頭は帽子のためじゃない』より。

そもそも音楽をあまり必要としてない人たちに売ってるんだものな、ぼくらなんて。つらいこともあるよ。

  ★ 加藤和彦。相倉久人『日本ロック学入門』より。

そもそも芸術作品というのは、皆さん自己表現だと思ってるんですね。でも実は違うんですよ。芸術作品というのは「世界表現」なんですね。つまり私はどういう世界に生きている、ということを描くのが芸術なんですよ。

  ★ 千住博。

そもそもサイエンスとは、原理が不明でも効果の確認が科学的になされていればそれで良しとするものだ。

  ★ Webサイト「水商売ウォッチング」より。

そもそも自動車というのは、非常に不完全なものだ。少し酔っぱらうと乗れない。あるいは12歳以上の人間というのは、本来自由に行動していいはずなのに乗れない。それぐらい不完全だ。

  ★ 梶原一明・徳大寺有恒『自動車産業亡国論 ── トヨタ・日産の「正義」は日本の罪』より。12歳以上というのは何を基準に言っているのか知らないが。

そもそも新聞が主張する個性など、ヘアスタイル程度の人畜無害な常識的個性にすぎない。

  ★ 山崎浩一『情報狂時代』より。

そもそも、何で指摘されて腹が立つかというと、プライドが低すぎるせい(高すぎるではなく)ではないかと思います。

  ★ PseuDoctor。某ブログコメント欄より。

そもそもなんの共通目的もなく、ただ人間関係だけがあるクラスという奇妙な集団の中ですることといえば、恋愛ゴッコかいじめくらいしかない。

  ★ 鶴見済『完全自殺マニュアル』より。

……そりゃああそこに比べりや質は落ちるかもしれんが、それとこれとは話が……。
いーえ! 一緒です。ああいうまずい、単なる蕎麦粉の塊を平気で食べる人間がいるからこそ、いつまで経ってもうちの食堂はまずいものを出すんです。まずいものは食べてはいけないんです。まずいものを平気で食べることは罪悪です。まずいものを食べる人間がいなくなれば、やがて世の中からはまずいものがなくなります。そうでしょう?  

  ★ 麻耶雄嵩『翼ある闇 メルカトル鮎最後の事件』より。

そりゃあ信濃は口の悪い男で、誰かまわずシニカルな言葉を浴びせかけていましたよ。でもそれは冷たいからではないんです。本当に冷たいのは、へらへら笑って誰とでもうまくやっていこうとし、いざという時に口をつぐんでしまう腰抜けたちのことだ!

  ★ 歌野晶午『動く家の殺人』より。

そりゃ、あんだ屈理屈でねガ?
いや、判りにくいだけだ。判りにくいことを判りにくいと言うだけで差別してはいけない。それを続けるかぎり、人は誰にも祝福されぬまま、竹村健一として死ななければならないんだぞ。

  ★ 矢作俊彦『スズキさんの休息と遍歴 またはかくも誇らかなるドーシーボーの騎行』より。


そりゃ、オレだって森昌子の方が歌はうまいと思う。しかし、2、3年たてば麻丘めぐみだって、あのくらい歌えるようになる。だけど、2、3年たったって、森昌子は麻丘めぐみほどかわいらしくはならない。

  ★ 森昌子と麻丘めぐみのどちらが新人賞をとるか、という話の時に麻丘めぐみ派の人が言ったといわれる言葉。

……それから既に40年近く経ってるんだけど、最初のボタンの掛け違いがずっと尾を引いていて、いつの間にか不格好に背広を着てる巨人が出来上がった。これが今の日本の姿です。

  ★ 野村秋介。『週刊文春』でのデーブ・スペクターとの対談にて。「それから」というのは終戦からという意味。彼も右翼の代表的な論客だった。「だった」というのは、彼はもういないから。'93年l0月、朝日新聞本社内で彼はピストル自殺した。

「それでくじけるようなヤツは最初からその程度の器だったのだ」というおなじみのリクツが、どれほど多くの子供たちから、どれほど多くの意欲や楽しみを奪ってきたことか。

  ★ 山崎浩一『危険な文章講座』より。

それでは、わたしたちも盲人なのでしょうか。
もしあなたがたが盲人であったなら、罪はなかったであろう。しかし、今あなたがたが『見える』と言い張るところに、あなたがたの罪がある。

  ★ 『新約聖書』「ヨハネによる福音書」 9:40-41より。

それでも人生は何事もなかったかのように続くんだよ。

  ★ ウド・ダークシュナイダー。ドイツのHMバンドACCEPTのヴォーカリスト。

それと、日本の男性は異性を友とする機会にあまりめぐまれていなくてね、鍛えられていないから、ちょっと女の人が相談にくると、自分に気があるんではないかと思うんです。接近してくる異性、イコール自分に気がある人という窓口しか持っていない。イマジネーション不足ですね。(笑)

  ★ 河合隼雄。

それなりの立場の人をお嫁さんにするわけですから、当時はある程度覚悟していたつもりでしたが、いざ結婚生活に入ってみると、できているようでできていなかったようです。どんな人でも結婚は勢いじゃないですか。だから将来のこともあまり考えていなかった。もっとも将来のことを考えたら、結婚する人なんていなくなってしまうかもしれませんが。

  ★ 三浦友和。

 それにしてもいつも不思議に思うのは、アメリカと日本の観客数の違いだ。単純にみて日本とアメリカでは人口比が1対2だから、なんでもアメリカの半分くらいに考えると比較しやすいのだけど、なんか映画でもスポーツでも音楽でも、とても日本とは比較にならないくらいアメリカでの観客数は多い。
 日本のチケットは高いっていわれるけど、最近はみんなけっこう遊ぶ金だきゃあ作るから関係ない。
 じゃ、ナンで? アメリカさんは貯金しないからだろうな。宵越しの銭は持たねェってか? いいねェ、江戸っ子だね、アメリカさんは。

  ★ 泉晴紀「泉晴紀の“バカはオレだ!”」より。『プレイボーイ』所収。「火事と喧嘩は江戸の華」なんてェ言われたくらいでな、江戸ってェ街は火事がベラボウに多かった。ところが、だ。今と違ってあん頃は消防車なんてェ便利なものはありゃしねえ。町火消しってェ枠な連中が火事場に喧嘩まで持ち込んでお祭り騒ぎしながら燃えてる家とそのまわりの家をぶっ壊していったわけだな。燃え広がんねえようによ。ま、頑張るんだが、そこはそれ、でかいのが出ちまうとどうしようもないわな。でまあ、江戸じゃあ年がら年中工事があったわけだ。「大火が1度ありゃ、3年食える」なんてェ言うんだがな、江戸っ子ってェのは明日の仕事の心配なんかする必要がなかったんだな。するってェと「宵越しの金は持たねえッ」なんて言う奴が出てくるわけだ……何だい熊さん、聞いてんのか……って、おい、寝ちゃってるよ。参ったねえ。べらぼうめ。

それにしても興味深いのは、あの「トレンディドラマ」というネーミングである。きょうび、「トレンディ」と口に出したとたん、これはもう馬鹿と田舎のふたつが丸だしということが、いっぺんに露顕してしまうのだが、そこをあえて「トレンディドラマ」と形容するあたりが、製作者の傲慢なまでの自信のあらわれだろうか。「トレンディ」と銘打たれると、それをそのまま額面通り信じてしまうような、そんな流行感覚の鈍い視聴者をターゲットにしているような気がする。

  ★ 亀和田武「TV WAR」より。雑誌『BURRN!』所収。

それにしてもこの「男なら」という言い方は、後にかなり無理な話をくっつけてもなんとか通用させてしまう強制力を持っている。実際、「男なら○○してみろよ」という言い方をすると、相当に愚かなことでも(反射的に)やってくれる人がいるから不思議だ。金に困っている人がいたらこの方法を試してみると良い。まず「男ならオレに金を貸してみろよ」で金を借りる。まんまと借りたら、次に「男のくせに借金ぐらいのことでガタガタ言うなよ」で踏み倒す。この呼吸が大切だ。

  ★ 小田嶋隆『我が心はICにあらず』より。

それにしても最近の母親たちの「子供をディズニーで育てる」熱はすさまじい。ディズニー見せときゃ間違いはあるまい、である。日本が、今や犯罪列島と化してしまったのは、子供のころディズニーを見ないで大人になったせいでしょうか。

  ★ ナンシー関『聞く猿』より。

それにしても、「自然医療(=代替医療)=西洋医学でないもの」として、マイナスイオンやホメオパシーなどのほとんど詐欺なものと、中国四千年の人体実験の結果である漢方とを同列に扱うのは、いくらなんでも漢方に失礼だと思うんですけど。

  ★ たかぎF。ブログ「kikulog」より。

それにしてもテレビに出てくる人々は、あの事件について、「まったく理解できないことだ」と口をそろえて言ったが、本当だろうか。一応は一流の大学を出たことになっているあの人たちは、谷崎潤一郎も、川端康成も、上田秋成も、三島由紀夫も、プルーストも、フィリップ・ロスも、まるで読んだことがないのだろうか。小説家の先生の中にも、「理解しがたい犯行だ」ってなことを言っていた人がいたが、いったいその小説家は、どうやって小説なんかを書くことができたのだろう。

  ★ 小田嶋隆『パソコンゲーマーは眠らない』より。

それにしてもマナーのひどい女性ダイバーが増えたように思える。タンクを自分で運ばない。機材の装着が1人で出来ない。いざ潜るという段になって忘れ物をしたと言い出す。足下を確認せずに垂直降下してサンゴを折ってしまう。他人の顔にフィンで砂をかける。減圧計算が出来ない。魚をつっついていじめる。やにわに魚に噛みつく。近くに鮫がいるのに生理の血液を垂れ流す。ソ連の潜水艦にエサをやろうとする。半魚人をナンパして無断外泊する。etc、etc。こういうダイバーがどっと増えてくることになるのだ。なぜお嬢様ダイバーの悪口ばかり書いて、若い男性ダイバーのことに触れないかというと、最近の若い男性は女性よりもだらしがないから、駄目な奴は最初からダイビングなどやろうとしないのだ。そう考えると、まだ元気が良い分だけ女性の方がマシじゃないか、という説も出そうだが、元気な馬鹿ほど始末におえないとは思いませんか?

  ★ 景山民夫『食わせろ!!』より。

それにしましても、死を『解脱』と申す浮屠の教えは、どうしても理解できません。あまりにも飾り立てておりますようで。……死というものは、もっと醜いもの……。

  ★ 陳舜臣『秘本三国志』より。五斗米道の信者のセリフ。注)五斗米道=張魯率いる道教の一派。この名は病気を治してもらった時などのお礼が米五斗だったところから 注)浮屠=当時新興宗教だった仏教のこと。

それに真剣に反論するというのは、「目的地に着く前にお弁当食べ切っちゃいました。この先、どうしましょう」みたいなトホホ感がありますね。

  ★ 菊池誠。『kikulog』コメント欄より。

それは博物館に納めるべきだ。

  ★ 映画『インディー・ジョーンズ』より。

それまでの店舗は、客が買うものの当てなく入ることを拒む閉鎖的な空間であり、自由入店制の百貨店の出現は画期的な事件だった。

  ★ 西岡文彦『編集的発想 ── 「知とイメージ」をレイアウトする』より。「「ご自由にお入りください」を看板文句に世界初のデパートを仕掛けたのは、ユダヤ人ミシェル・ブーシコー(1810~1877)」と続く。

それを言い出すと、今までの話も全部抜いて、ずっとその話だけになるよ(笑)。全部説明すると3日3晩かかるからオススメしない(笑)。だいたいおれが他人だったらおれと話しないもん(笑)。

  ★ 大瀧詠一。Webサイト「風待茶房」より。

 ソ連の代表団がポーランドのワルシャワにやってきて、建設されたばかりの精神病院を視察した。
 代表団の1人が入院患者に質問した。
「どうして入院しているのかね?」
 患者が答えた。
「亡命しようとしたからさ」
 ソ連代表団は不思議がって担当の医師に尋ねた。
「どうして亡命をはかったものが精神病院に入れられたのかね。わが国では、そういう者は政治犯収容所に入れることになっているのだが……」
 すると、医師が答えた。
「いや、こいつはソ連に亡命しようとしたんです」

  ★ 出所不明。東欧のジョーク集だったと思うが。

(「尊敬する人物は誰か」といった質問に対して)処世の一法として、歴史上誰かの名をあげ、その人物に仮託して何事かを語ろうとすることは、世間では一般的である。

  ★ 保阪正康『後藤田正晴』より。

孫子曰、昔之善戦者、先為不可勝、以待敵之可勝、不可勝在己、可勝在敵、故善戦者、能為不可勝、不能使敵之可勝、故曰、勝可知、而不可為

  ★ 『孫子』形篇第四の一より。金谷治氏の訳によると、「孫子はいう。昔の戦いに巧みな人は、まず[身方を固めて]だれにもうち勝つことのできない体勢を整えたうえで、敵が[弱点をあらわして]だれでもがうち勝てるような体勢になるのを待った。だれにもうち勝つことのできない体勢[を作るの]は身方のことであるが、だれもが勝てる体勢は敵側のことである。だから、戦いに巧みな人でも、[身方を固めて]だれにもうち勝つことのできないようにすることはできても、敵が[弱点をあらわして]必らずだれにもうち勝つことのできるような体勢にさせることはできない。そこで、「勝利は知れていても、それを必らずなしとげるわけにはいかない。」といわれるのである」という意味。

損得勘定もいけません。トラブルを程度で図って対処するのではなく、些細なことでも常にMAXな気持ちで挑む姿勢が必要です。お客さんにはトラブルがきっかけでリピーターになってもらう、それくらいの気持ちにさせる大げさなケアをした方がいいのです。

  ★ 前島司。『有名店主が答える開業法・味づくり・経営のラーメンQ&Aブック』より。

そんなことやっても、業績にならないよ。

  ★ 出所不明。

 そんな馬鹿な、と思う人もいるかもしれないが、そんな馬鹿なのである。保険のおばさんのシミュレーションは恐ろしいほど正確だ。「日生ライフサイクルシート」の上でシミュレートされる人生の経済的な側面は人生の全側面とほとんど変わらない質量と内実を備えている。
 中堅どころの商事会社に今年就職が決まった二流大学出身の23歳の独身男性の未来なんてものは、まるっきり見え見えの出来レースなのである。どうせ都心から1時間半程度の私鉄沿線に20坪見当の家を建てて、3つ年下の女房との間に2人の子供を作って、78歳の時に市立病院の大部屋で「ううう」とか言い残して死ぬのだ。結婚してから3年ぐらいの間は「ちょっとヘンですね」なんて言いながら真夜中に2人でセブンイレブンに行ったりもしてみるだろうが、そんなことは人生の大筋とは関係がない。日曜日の朝、シナモシティーとトーストのブランチをベランダのデッキチェアで食べたからってラーマはラーマだし20坪は20坪だ。

「子供が出来てもお互いのことは名前で呼び合おうね」

と約束をしたところで、頭が禿げないという保証はないわけだし老齢年金の支給額が2割増しになるわけでもない。人間がいずれ老いぼれてくたばるという事については、人類発生以来今のところ1つの例外も無かったのだし、10年後に月額6000万円に昇給する確率は依然として測定限界以下なのだ。

  ★ 小田嶋隆『我が心はICにあらず』より。


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