<今号の名言>集


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赤色のマーク(など)が最終更新分です。










「外圧」がないと動かない。それは内部にクリエイティブな人たちがいないからなんです。

  ★ 堀江貴文『「僕は死なない」』より。

海外から助っ人として来たんで、これくらいは、やらなくちゃね。

  ★ 小野伸二。オランダ・フェイエノールト在籍時、試合後の発言。

海外に旅行する際に、訪れる先の文化に対してなんら興味を抱かない奴は馬鹿だ。

  ★ 景山民夫『ハックルベリー・フレンズ』より。以下、こう続く。

 つまりね、エルメスのスカーフを買い、シャネルのバッグを手に入れることだけを目的に香港に行く女性というのは、ただ単に女を買いにバンコックやマニラに旅行するオッサンと、同一のレベルにあるのね。
 いいや、反論は受けつけません。
 お前ェらは、お前ェらが最も嫌悪する対象としている、いやらしいオッサンと同じことをやってんだっつーの。
 だって、なぜ、香港やシンガポールまで行って、そういう製品を買うかというと、その理由は、(1)日本で買うより安いから (2)だって外国製で格好いいんだもん (3)買物することが海外旅行の目的になるでしょ、の以上3つでしょう。
 これは、そのまま、オッサンたちの女買い旅行の理由にあてはまる。
 (1)だって日本でオンナ買うより安いだろ (2)なんたってよ、ガイジンだもんな、フィリピンでもよ (3)だから海外旅行はやめられないんじゃねえかよ、と置き換えられる。
 同じなんだよ、つまるところ。
 要するにだね、
海外旅行の目的が、単なる欲望の充足にあるという点で、OLの買い物旅行と、オッサンの買春ツアーは、同じ意味合いを持っとるんだな。

快活さを失った場合、それをとり戻す最善の方法は、いかにも快活そうに振る舞い、快活そうにしゃべることだ。

  ★ ウィリアム・ジェイムス。

絵画の石器時代は終わった。本当の芸術は私から始まる。

  ★ 岡本太郎。岡本敏子『岡本太郎の遊ぶ心』より。

階級の制度は、前例と因習を城砦としているものである。

  ★ 海音寺潮五郎『吉宗と宗春』より。

……外国に行ったときに「日本人なんです」と言うと「オゥ、コンニチワ」ってこう、前で手を合わせて拝みますよね。外国人って必ずこうやります。あの時僕らは、心の中で苦笑するしかないです。
「違うんだけどな」と思うけど、その相手をバカにするわけじゃないですよね。絶対にバカにしないです。「コンニチワ」って手を合わされたら照れ笑いをするんです。
「違うんだけどな」と思いながらでも、日本のことを一所懸命理解しようとして手を合わせてくれた、相手の思いはすごく伝わってくる。だから、それに答えようとして僕らはつい苦笑いしちゃうんですよね。
 その苦笑いの感覚こそが、実は感動の本質であり人生の本質なのではないかなあと、大それたことを考えてしまって、それをテーマにしたかったんです。

  ★ 岡田斗司夫『遺言』より。

(解散は離婚のようなものだから)他人が詮索することはできない。

  ★ 早川義夫。公式サイトの日記より。「解散」というのはバンドの話。

概して言えるのは、昔に比べて、最近は、体制派型の主人公がやたらと増えた、ということだ。体制派が増えただけではない。「体制からのはぐれ者」という設定にしても、昔の鞍馬天狗は極左テロだったのに対し、必殺仕事人の中村主水や影の軍団の服部半蔵など、どうみても極右テロ である。

  ★ ホイチョイ・プロダクション『OTV』より。テレビの時代劇について。

会社が軌道に乗って成長してくると、創業時のメンバーの能力は、徐々に会社の間尺に合わなくなってくる。スタッフの能力レベルというのは不思議なもので、数人規模の会社にはそのレベルに応じたスタッフしか集まらないし、数十人規模に大きくなればそれなりのスタッフが、そして数百人とか数千人とかに増えてくると、どんどん優秀な人が集まってくるようになる。

  ★ 堀江貴文『堀江貴文のカンタン!儲かる会社のつくり方』より。

解釈を拒絶するものこそ美しい。

  ★ 小林秀雄。◎あるいは「おもしろい」とも言えるか。

会社組織においても、社会においても、学校や家庭においても、ある決定をすると、金、時間、評価、注目、配慮といった、貴重で少ししかない資源を分配するようなことになる。したがって、決定というものは必然的に人の必要性や希望に結びついている。

  ★ ロバート・M・ブラムソン『「困った人たち」とのつきあい方』より。

会社で働くなら知恵を出せ。知恵のない者は汗を出せ。汗も出ない者は静かに去っていけ。

  ★ 土光敏夫。

会社を大きくするのは確かに大変だが、実はそれよりも、小さいままのプレッシャーに堪えていく方がずっと難しく、つらい。

  ★ 堀江貴文『堀江貴文のカンタン!儲かる会社のつくり方』より。

怪獣映画も、日本のものってやたら大きいでしょう? それに比べて、ハリウッドの怪獣は、ゴジラを除けば、小さくて家の中に入ってくるものが多いのです。身近に突然現れるものの方が彼らは恐いのでしょう。

  ★ Webサイト『森博嗣の「浮遊研究室」』より。

階段落ちのシーンで、俺は拍手をしてしまった。大学生らしいカップルの多い映画館の中で拍手をしたのは、俺1人だった。かまうものか。中年男が素直に感動を表現できるのは、映画館のような暗闇の中でしかないのだ。

  ★ 景山民夫『トラブル・バスターPARTII』(後に『俺とボビー・マギー』に改題)より。「階段落ち」とは『蒲田行進曲』のじゃなく、『ゴッドファーザー』のこと。

快適さを精神において追求するのが文化で、物質に頼って求めるのが文明である。

  ★ 立川談志。

回転寿司にあっては、同じネタでも良いモノを出会い頭にチョイスする訳で、そこに一種の狩り的おもしろみがあるんだけども、乾いた鰯が誰にも相手されず目の前で三周くらい回ってきたらつい情をかけてしまう(?)私がいる。

  ★ みつどん(T-3don)。twitterより。

街道を歩いていたら、馬車がやって来たので聞いた。
「村までは、どのくらいありますか?」
「1時間くらいの道のりだよ」
「すいませんが、乗せてもらえませんか?」
「ああ、いいですとも」
1時間たっても村に着いた様子はないので、
「村まではまだ大分ありますか?」
「そうさ、2時間くらいかな」
「えっ、先刻さっきは1時間て言ったじゃありませんか。もう1時間は走っていますよ」
「うん、この馬車は反対の方向へ向かっているからね……」

  ★ 立川談志『家元を笑わせろ!』より。

開発で壁にぶちあたったとき――次のパッチ以降何をしたらいいか、すごく悩んでしまうとき――というのは、自分が最終的な回答にたどりついたのかな、と考えるべきときではなく、むしろ自分が正しい質問をしているのかな、と考え直してみるべきときであることが多い。

  ★ エリック・S・レイモンド『伽藍とバザール』より。

解剖して分かったことだが、人間は死ぬように出来ているのだ。

  ★ レオナルド・ダ・ヴィンチ。

外務省に入るには、嘘と言い訳がうまくつけるようになることが必須科目なんだ。最近はレベルが落ちてきている。

  ★ 長井秀和『デブはダイエット飲料だと3倍の量を飲む』より。

快楽を過大に評価することから人生の失敗が始まる。

  ★ 出所不明。

顧みて他を言う。

  ★ 『孟子』「梁恵王伝」より。「答えに詰まって、左右の者を振り返って関係のない他のことを言う」という意味。論争の際これをすると、即「バカ」と判断されるので注意しよう。

帰る家……ホームがあるという事実は幸せにつながる……。良いことだよ。

  ★ 『新世紀エヴァンゲリオン』より。

顔に合っていない眼鏡を掛けていると、「私は自分のことが分かっていない人間です」とアピールしているようなもの。

  ★ 三谷幸喜『冷や汗の向こう側』より。

顔の美しい娘と心の美しい娘がいる。心変わりはしばしばある。しかも女心。変わらないのは顔だ。顔で選ぶべきだ。

  ★ 出所不明。顔も変わるといえば、変わるんだよねえ、悲しいことに、これが。

科学が対象とするのは、繰り返すことのできる現象だけである。

  ★ 天羽優子。Webサイト「水商売ウォッチング」内「水を理解するために」より。

科学が提示するのは、常にその時点での暫定的な理論にすぎない。新たな実験が出れば理論は修正され、進化する。修正されうるからこそ、科学を信頼することができるのだ。科学は間違うがニセ科学は間違わない。間違わないものを信じるわけにはいかないのだ。

  ★ 菊池誠。「SFオンライン」所収、『なぜ人はニセ科学を信じるのか』(マイクル・シャーマー著)の書評より。

科学が統計の学問であるとすると、すべての法則には、例外がある。そして科学が進歩するということは、この例外の範囲をできるだけ縮めていくことである。

  ★ 中谷宇吉郎『科学の方法』より。

 科学がどれだけ進歩しても、戦争のやり方は、第二次大戦中と変わらないですからね。
 ガミラスがビン・ラディンだったら、第2話ぐらいでヤマト沈んでるって。

  ★ 友人。

科学者の最上の仕事は、強力な爆弾を発明して、その地球と名づくる石ころを粉砕するにあり。

  ★ ゾラ。

科学っていうのはとどのつまりはものの考えかたなのであって、数式をおぼえるとか実験技術を学ぶとかはそのあとだってかまわないはずだと思う。

  ★ 菊池誠。

「科学」ってのをありがたい風除けに使うという宗教があるんだね。

  ★ 時田節。「黒木のなんでも掲示板」より。

科学ってやつは葬式ごとに進歩するものなんです。

  ★ ポール・A・サミュエルソン。ポール・クルーグマン『クルーグマン教授の経済入門』より。この前に「だれのせりふでしたか、」とあるので、正確には「出所不明」だろうなあ。

「科学的な天気予報が当たりにくい」ことは「下駄の表裏で天気を予測することが有効だ」ということを結論しない。

  ★ そらパパ。ブログ「お父さんの[そらまめ式]自閉症療育」コメント欄より。

科学哲学者に「科学は合理的だ」と言われても反感を感じるし、科学社会学者から「科学知識も客観的ではない」と言われても反感を感じるわけでして。

  ★ 黒木玄。「黒木のなんでも掲示板」より。

科学で割り切れないと真に思うなら、もっとも代表的な科学である量子力学によりどころを求めるのはおかしい。量子力学は通常の科学ですよ。現代物理学は量子力学の上に成立しているので、“科学で割り切れない”ことなら“量子力学でも割り切れない”のです。

  ★ 菊池誠。ミクシィより。

科学というものは、整理された常識なのである。

  ★ 中谷宇吉郎『中谷宇吉郎随筆集』より。

科学と宗教は補い合うことはあっても寄り添ってはならぬものなのです。
科学を過信してはならぬと仰るのか。
いいえ。科学は信用できる。昨今科学に不信を抱いて宗教に走るという輩がいるが、それは筋が通らない。論理的整合性があるからこそ、間違っていないからこそ科学なのです。不信を抱く隙間はない。もちろん科学的疑問を持つことは結構だし、科学技術の使用方法には大いに不信を持っていいのだが、科学的思考自体に不信を抱くというのは基礎的な教育がなっていないとしか云いようがない。疑われるべきは科学を用いる人の側の方です。

  ★ 京極夏彦『鉄鼠の檻』より。

科学とは事実の寄せ集めではなく真実を追究するプロセスであると、わたしたち大学院生は教え込まれてきた ── 科学には、禁じられている質問などないのだと。

  ★ スーザン・A・クランシー『なぜ人はエイリアンに誘拐されたと思うのか』より。

科学とは、それを学ぶ者に対して自己の分を知らせるものであるべきだ。

  ★ 邦正彦『不思議の国の殺人』より。『不思議の国のアリス・ミステリー傑作選』所収。

科学においては真実のみを語るということが、科学者のほとんどの心情ともなっている中心思想である。われわれは、同僚たちについて、時には間違っているとか、愚かであるとか、無知であるとか、軽率であるとか、頑迷であるとか、愚鈍であると考えることはあるかもしれないが、嘘をついていると疑うのは最後の最後のことである。

  ★ フィリップ・V・ドバイアス。フランク・スペンサー『ピルトダウン』序文より。

科学の法則は、統計の中の個には適用されないのが原則である。

  ★ 中谷宇吉郎『科学の方法』より。

科学のもっともすばらしい点であり、科学を効果的で有用なものにしているのは、公平で偏見がないという事実である。科学は、わたしたちがなにを求めているかなど問題にしない。真実だけを問題にしている。科学とは、知識 ── 正しいかどうかを確かめることができて、つねに否定も受けつけることができる知識 ── を構築するための探求のプロセスなのだ。

  ★ スーザン・A・クランシー『なぜ人はエイリアンに誘拐されたと思うのか』より。

科学は……、人間社会の中で多数派が支配することのない数少ない分野のひとつなんですよ。

  ★ サミュエル・ティン。

科学は本来あいまいなもので、断定することはほとんどない。プラスとマイナスのどちらがよいかと訊かれても「プラスにもマイナスにもいろいろあるし、いいか悪いかと単純に割り切れるものでもなくて……」などと歯切れが悪くなるのが普通。しかし、一般には「白黒はっきりつけるほうが科学的」と思われているのではないか。

  ★ 菊池誠『「科学とニセ科学」レジュメ』より。

画家の代表作というものは、その画家の制作活動の、どのあたりの時期に描かれた作品であるかによって、それぞれに違った魅力と意義を持っている。
 おおまかな傾向をいうならば、初期の代表作は、名声の確立の契機となった「出世作」を意味し、中期の代表作は、画風の確立を告げる「名作」をいい、晩年の代表作は、孤高で独自の画境をひらいた「傑作」のことをいう。

  ★ 西岡文彦『図解・名画の見方』より。これ以降、こう続く。
 そして、この分類でいう「名作」にあたる作品の出現を境に、画家は徐々に、人のために絵を描くということをしなくなる。
 生活の逼迫から解放され、批評家や注文主の無理解や気まぐれから解放され、純粋に自身の美意識を満たす作風の模索へと旅立っていくのである。
 無論、レンブラントのように、晩年の周囲の無理解と生活の困窮の中でこそ、かえって孤高の画境に至るケースもあるが、富裕、貧窮のいずれの環境にあるにせよ、出世作、名作をものにした後の晩年に傑作と呼び得るものを描いたか否かで、その画家が巨匠の名に値するか否かは決まる。

鏡は色色なモノが映るでしょう。花でも、誰かの顔でも、鏡の前に立つモノは全部映る。鏡を見る時、誰も、誰ひとり鏡自体は見ていないのです。なのに誰もが、鏡を見ると平気で云うのです。

  ★ 京極夏彦『塗仏の宴 宴の始末』より。

鏡は人の顔を映し出すが、その人が実際にどういう人物であるかは、どういう友人を選んでいるかに表れる。

  ★ ジェフ・ケラー『できる人とできない人の小さな違い』より。

輝いていないものは、ニワトリだろうが犬だろうが豚だろうが、一緒にいるものを意気消沈させるのである。

  ★ 村上龍『69 sixty nine』より。

ガキの頃なら、今日あたりから夏休みの宿題でヒーヒー言ってるな……。早く宿題なんかない大人になりたいと思ったもんさ。ところが大間違い。大人になったら宿題だらけだ。

  ★ 浦沢直樹『20世紀少年』より。

限りあれば 吹かねど花は 散るものを 心みじかき 春の山かぜ

  ★ 蒲生氏郷辞世。

各時代の美意識は、その時代の指導的な建築空間の様式によって決定される。

  ★ 西岡文彦監修『デザインの読み方 ── デザインの見方・見どころ・考え方がひと目で理解できる完全見取図』より。

確実に言えそうなのは、空はわたしたちの期待や不安を映し出す巨大なスクリーンだということだ。空飛ぶマシーンに思いを馳せれば、空飛ぶマシーンが見える。侵略におびえていれば、外国のミサイルが見える。円盤が見えないかと ── マスコミで大騒ぎになったあとに ── 見あげれば、円盤が見えるのだ。

  ★ スーザン・A・クランシー『なぜ人はエイリアンに誘拐されたと思うのか』より。

学者はどうしても、人間がどこまで物を理解できるかということを追究していく。言ってみれば、人間は利口かということを追いかける作業を仕事としている。逆に、政治家は、人間はどこまでバカかというのを読み切らないといけない。

  ★ 養老孟司『バカの壁』より。

確信というものは、知識のあるところよりも、知識の無いところから生まれることが多い。

  ★ チャールズ・ダーウィン。

 学生が英語を母語にしたいと考える理由のうちで圧倒的に多いのが「国際語だから」、それに次いで「外国語を学ばなくてよいから」である。さらにそれ以外に、英語は「美しいから」「論理的だから」「易しいから」などと答えています。一方、日本語を選んだ学生は、大部分が日本語は「美しいから」「ユニークだから」「難しいから」「表現が豊かだから」などと考えています。
 実は、もしも日本の学校外国語教育が、本当に世間でいわれるように「欠陥教育」であるとすれば、それは英語が少々しゃべれないとか、書けないということよりも、むしろ言葉そのものに対してこんな偏見をもった学生を育ててきたためというべきではないでしょうか。

  ★ 大谷泰照「5 ことばの教育Part1:諸外国の場合」より。高岡幸一/宮川清司編『ことばは生きている』所収。

かくて、われらは今夜も飲む。確かに芸術は永く、人生は短い。しかしこの1杯を飲んでいる時間ぐらいはある。

  ★ 開高健「黄昏に乾杯」より。『THE WHISKY』所収。なお、ここで引用されている「芸術は永く、人生は短い」という諺は「人間の一生は短いが芸術作品は不朽だ」といった意味に使われがちだが、原義は違う。この諺の出典はヒポクラテスの言葉、

Life is short, the art long, oppotunity fleeting, experience treacherous, judgement difficult.
(人生は短く、術は長い、機会は逃げやすく、経験は当てにならず、判断は難しい)

であり、医学生達に「人の一生は短いのに対して、医術は深くて究め難いものであるから、これに従事しようとする者は時間を大切にして研究に励まなければならない」と諭した言葉である。

革命運動は楽しいからやるのであり、自分で金を作ってやるのが筋だという。「俺は革命運動をやるからお前は金を出せ」というのは、「俺は女とラブホテルに行きたいからホテル代を出せ」というのを同じだという。

  ★ 鈴木邦男『新右翼 ── 民族派の歴史と現在』より。新右翼の代表的な論客。(私たちにも、ともすれば右翼当事者たち自身にさえ)忘れられがちだが、現在の日本から考えて、右翼であれ、その目的は革命であるはずなのだ。

革命が起きれば、お前らは英雄かも知れん、吊し首になるのは、校長の方かも知れん、そがんことさ。

  ★ 村上龍『69 sixty nine』より。


革命も恋も、実はこの世で最もよくて、おいしい事で、あまりいい事だから、おとなのひとたちは意地わるく私たちに青い葡萄だと嘘ついて教えていたのに違いない。

  ★ 太宰治『斜陽』より。

学問そのものは自らの使用法を教えない。

  ★ ベーコン『随筆集』より。

学問というのは、生きているもの、万物流転するものをいかに情報という変わらないものに換えるかという作業です。

  ★ 養老孟司『バカの壁』より。

学問の孤独に耐えることができなくて、マウンドの孤独に耐えることができると思うのか。

  ★ 梶原一騎作・川崎のぼる画『巨人の星』より。

学問は、少しばかりでは無神論に、深くきわめれば宗教へと人をさそう。

  ★ ベーコン。

駆け足で逃げる強盗ほど無様なものはない。

  ★ 伊坂幸太郎『陽気なギャングが地球を回す』より。

“過激”という言葉が“爆弾”や“革命”を喚起するのではなく、最新ファッションを形容する際の修飾語となり果てた昨今の状況はまだまだ続くだろう、いや、ひょっとしたら無制限に続くのかもしれないぞ。

  ★ 亀和田武『1963年のルイジアナ・ママ』より。

かけた情は、水に流せ 受けた恩は、石に刻め。

  ★ 出所不明。

賭けというものはその必要性と確率を考えてするものだ。

  ★ さいとうたかを『ゴルゴ13』より。

書けないから言うわけではないが、小説を書くのは作曲するのと同じようにそれほどたいしたことではないのではないだろうか。それよりもよりよく生きていくこと自体が小説であり音楽であると思うのだ。

  ★ 早川義夫。朝日新聞読書面「ポケットから」の書評「自分を鏡に映してみると」より。

賭けは、当たった時が引き時。「桶狭間の戦い」を二度やってはいかん。

  ★ 中坊公平『金ではなく鉄として』より。

「過去にワールドカップで3度も優勝してる監督が、日本みたいな相手に負けたにもかかわらず自分たちを信用してくれてるっていうのは、何よりの支えになったね。」
 興味深い言葉だった。ザガロは「ワールドカップで3度も優勝してる監督」だったからこそ、「日本みたいな相手に負けたにもかかわらず」選手たちを信用することができたのだ、と私は感じていた。

  ★ 金子達仁『28年目のハーフタイム』より。「」内はアウダイール。アトランタオリンピック予選で日本戦に負けた後のザガロ監督について。

過去のことは話し合った瞬間に忘れてやるのが人間関係。

  ★ 星野仙一。

過去の信念すべてを捨て去ってしまうというやり方は、だれでもやっていいというものではない。

  ★ デカルト『方法序説』より。

過去は消せぬし変えられぬと ── 世の人人は云うけれど、朱美はそんなことはないと思う。朱美にとって過去は事実ではない。過去とは記憶のことである。だから消えるし、変えられる。つまらない過去など、だから忘れてしまった方が潔いのだと朱美はいつも思っている。変更がきくのなら拘泥ることなどあるまいとも思う。なくして困るものでもない。つまり過去とは執着心の別名である。

  ★ 京極夏彦『塗仏の宴 宴の支度』より。

過去を忘れても、過去は追いかけてくる。

  ★ 映画『マグノリア』より。

過去を忘れる訳にはいきません。だが人間は、現在と未来に生きるのです。

  ★ 雁屋哲作・花咲アキラ画『美味しんぼ』より。

重なってピストン運動していても、気持ちがあちこちいっていたらそれは単なる絡みにしか過ぎないし、相手の眼も見なければそれは相手の体を使ってオナニーしているのと変わらない。

  ★ 代々木忠。

賢い男は、よく考えるからしゃべる暇がない。愚かな男は、よくしゃべるから考える暇がない。

  ★ ユダヤの格言。

賢い金持ちであることは、賢い貧乏人であることよりずっと難しい、と、誰かが言ってなかったか? オレか? ただのひがみか?

  ★ 小田嶋隆。Webサイト「小田嶋隆の岩窟党宣言」より。「ASAHIパソコンNEWS」所収。

賢い人間はどこへ小石をかくすかな?
浜辺に。
賢い人間はどこへ木の葉をかくすかな。
森の中に。
では森がないときは?
木の葉をかくすために森を作ります。

  ★ チェスタトン『折れた剣』より。

かしこい人は知識をかくす。愚かな人は無知をむき出す。

  ★ 『旧約聖書』「箴言」12章より。

賢い人は見たことを話し、愚か者は聞いたことを話す。

  ★ 曽野綾子『アラブの格言』より。

過剰な自尊心の持ち主は、些細なできごとのいちいちに屈辱を感じる。

  ★ 小田嶋隆。Web日記「偉愚庵亭日乗」より。

風邪をひくより辞書をひけ。

  ★ ノーコメント。

貸そうかな? まぁ当てにすな ひどすぎる借金。

  ★ イオン化傾向(陽イオン)の覚え方。

カリウム カルシウム ナトリウム マグネシウム アルミニウム 亜鉛 ニッケル すず 水素 水銀 白金
K Ca Na Mg Al Zn Fe Ni Sn Pb (H) Cu Hg Ag Pt Au
貸そう ぎる

家族の絆なんてものは絹糸より弱い。

  ★ 京極夏彦『塗仏の宴 宴の始末』より。

片思いでもいいの、二人分愛するから。

  ★ 映画『荒野を歩け』より。

肩書きがなくては己れが何なのかもわからんような阿呆共の仲間になることはない。

  ★ 南方熊楠。

勝たなければ、自分らしい生き方はできなくなる。

  ★ 中田英寿。小松成美編著『中田語録』より。

かたや女の方は「結婚」という大目標がありますから、頭のほうも自然とそっちのほうにいくんです。だから普段はキャピキャピしてでも、妙に大人ぶったところがあるんですね。ところが、男のほうはさしたる目標もなく生きてるもんだから、どんどんガキづらになっちゃう。最近の若い男って、全部バカな顔してますからね。だから、24、25ぐらいでは、男女の格差が非常にハッキリとついてきましたね。そうなると、女性のほうからキチンとした要求を出しておかないととんでもない奴をつかんでしまうという恐れが出てきた。そこで、バカな奴の中から少しでもいいのをつかまえようというんで、条件をいっぱい出しているんでしょうね。

  ★ 景山民夫『LIFE IS A CARNIVAL ── 極楽なんでも相談室』より。

活気あるランチサービスは固定費に見合う収入をもたらしてくれる。

  ★ ダニー・マイヤー『おもてなしの天才 ── ニューヨークの風雲児が実践する成功のレシピ』より。

楽器は身体の中で一番敏感なところだ。

  ★ 早川義夫。Webサイト『早川義夫公式サイト』より。

学校で学んだことを一切忘れてしまった時に、なお残っているもの、それこそ教育だ。

  ★ アインシュタイン。

確固たる信心は、不動産のもっとも確かなるものたり。娘が芸妓にならねば食えぬようになりなんに、何の美女を誇り悦ぶべき。

  ★ 南方熊楠『神社合祀に関する意見』より。

カッコづけは相手に対するパフォーマンスであるとともに、自身への厳格なタブーでもあった。

  ★ 阿久悠。

活字と無縁であることを“「《高感度人間》」”を気取る根拠にしているような者どもが実はただの愚鈍であり文盲であることは言を待たない。また、「『ゲーデル、エッシャー、バッハ』買ったけど読んでないんだよね~(笑)」などと得意気にほざいてみせることが逆説的な《「“知”」》の証明になるとでも思っているヤカラこそが知性コンプレックスの権化であること、これも今や常識であろう。

  ★ 山崎浩一『退屈なパラダイス』より。

勝った経験のない者は、本当の意味での苦境に追い込まれた時、自分たちは勝てる、と信じることができない。

  ★ 金子達仁『28年目のハーフタイム』より。

勝ったときも負けたときも同じ人間でなくてはならない。

  ★ ドゥンガ。

かつて恋をした男と女が男友達と女友達になるには、たぶん、必要なことが2つある。1つは互いに全く未練がないこと。もう1つは、2人とも幸せなこと。

  ★ 江國香織『泣く大人』より。

勝って成長するのは当然、負けても成長しなければならない……とかくアマチュアというのは負けが転落につながる。

  ★ 升田幸三。

かつてどんなに輝いていても、今、元気がないと意味がないですからね。『部長』の肩書きも、定年後は『元部長』でしかないでしょう?

  ★ 村田兆治。

かつて、人間の祖先が初めて音楽というものを知ったとき、数々の祭祀や狩猟の喜びに彼らはハード・ロックを用いたに違いない。石や木を叩き腹の底から声を絞り出し、騒然とした宴の中で彼らは踊り狂った。誰もがシャウトしその音に酔いしれ、疲れ果てて深い眠りに就いた。また、悲しみの時は声を殺し声を震わせて、感情移入の激しい歌を大地に捧げたのである。彼らは大地と共に生き、大地への祈りのために踊り、シャウトしたのだ。
ハード・ロックの誕生は人々の魂の叫びであった。だから、喜怒哀楽の気持を感情表現の豊かなメロディに乗せ、そしてドラマに創り上げていったのである。

  ★ 伊藤政則『へヴィ・メタルの逆襲』より。

かつては一部の特権階級にのみ許されていた「趣味としての衣食住」も、今では大衆にほぼあまねく解放され、生きるために食うよりも食うために生きることの方が、ごく普通の感覚になってしまった。戦後日本がとりあえずの目標として掲げた楽園願望は、ここにやはりとりあえずの実現を見たのである。70年代にめでたく日本語化された<ライフスタイル>という言葉は、まさしくこの大衆趣味社会への感覚的適応能力を指す以外の何物でもない。それは「生活様式」という過去の日本語とも、life styleという英語ともまるで関係ないのだ。

  ★ 山崎浩一『退屈なパラダイス』より。

かつては自分がこの世に存在しなかった時もあった。このことを気に病む人はいない。ならば、自分がこの世に存在しなくなる時がやがて来るということをなぜ気に病むのか。

  ★ ハズリット。

かつては「趣味を持つ」ということに「放蕩」とか「道楽」、「身上を潰す」といったリスキーなニュアンスが含まれていたような気がする。そこまで覚悟しなければ「趣味」に手を出してはいけない、道楽者の特権だったのかもしれない。

  ★ ナンシー関『何もそこまで』より。

活動期間は非常に短かったです。不幸なバンドでした。待ちきれないで歌ったということだけがとりえでした。

  ★ 早川義夫「エッセイ19 アンケート 証言・1968 昭和43」より。ジャックスについて。

家庭の幸福は諸悪のもと。

  ★ 太宰治。

悲しい映画を見ると、もう1回観たくなるの。今度はハッピーエンドになるんじゃないかと思って。

  ★ 映画『雨のニューオリンズ』より。


悲しいことを笑いながら語るのはとても困難なことである。だが、この住みづらい世の中にあっては、笑い話の形を借りてしか伝えられない真実というものがある。この作品は、男の辛さを、男が男らしく、人間が人間らしく生きることが、この世の中にあってはいかに悲劇的結末をたどらざるを得ないかということを笑いながら物語ろうと……

  ★ 山田洋次。映画『男はつらいよ』シリーズの監督。

悲しくそして美しく

  ★ ハマナスの花言葉。

金がなくて悪いほど、金があってもよくはならない。

  ★ ユダヤの格言。

カネがほしいのか、カネが必要なのか 、ハッキリ、どっちだか言いなさい。

  ★ 永六輔『一般人名語録』より。

金なしで手に入るもののことごとくがくだらないというのが都市の第1原則だ。金で買えないものを求めて街を歩くのは見当違いだ。

  ★ 小田嶋隆『我が心はICにあらず』より。

金なんて、モノじゃなくて、現象なんだ。

  ★ 内田百閒。

金に表と裏があるように、文にも表と裏の意味がある。

  ★ 出所不明。

金には金を出した人間の人格がついてまわる。

  ★ 雁屋哲原作・花咲アキラ作画『美味しんぼ』より。

金のない奴は知恵を出せ。知恵のない奴は金を出せ。

  ★ 出所不明。

金は心の病をみな癒す。

  ★ ユダヤの格言。大川隆法は『常勝思考』の中で、

みなさんの悩みの7、8割ぐらいは、経済力がつくと、解消するはずです。自分の悩みは、精神的なものだと考えておられるでしょうが、みなさんの悩みの7、8割は、経済力がつくと意外に解決がつくのです。みなさんの収入が、今の10倍になれば、悩みの、まず8割は消える と、私は断言してもいいです。意外にそんなものなのです。

と言って、「それが宗教か?」という非難を浴びたか、宗教云々はおいても、現実的に考えれば、この言葉は全く、ミもフタもなく、その通りだろう。言い方はしつこいが。

金は天下の回り者……といってもなかなか回って来んなあ。

  ★ テレビドラマでのセリフ。昼の番組だったがもう忘れた。確か竹本孝之が出てたと思うが。

金は火で試す。女は金で試す。男は女で試す。

  ★ アメリカ諺、らしい。正直言ってこの「金」はキンなのかカネなのかわからない。原文の諺も探したが見つからない。というわけで私が独断で「カネ」を採用した。知っている人がいたらご連絡を。なお、よく似たものに

金を試みるは火なり、人を試みるは酒なり。

というのが『曽我物語』にある。こちらはカネ。

金持ちってのは道楽をやろうが、真面目にますます金儲けに精出していようが、われわれ庶民にとっちゃそう気分のいいもんじゃあるまい。

  ★ 島田荘司『斜め屋敷の犯罪』より。

 金持ちの話は不快なのでやめることにして「貧乏」と「貧困」の違いについてはっきりさせておくことにしよう。
 似たような言葉でも「ブルースブラザーズ」と「ブルックスブラザーズ」では全然違うように貧乏と貧困もかなりその性質を異にするものなのだ。
 私の考えによれば、貧困は単なる経済生活の一状態を示す述語だが、貧乏は文化的、生理的、精神的な背景までをも含む、より包括的な概念だ。それ故、貧困は遺伝しなくても貧乏は遺伝するのである。
 もっと分かりやすく言えば、貧困とは昼食にボンカレーを食べるような生活のことで、貧乏というのはボンカレーをうまいと思ってしまう感覚のことである。
 ついでに言えば、中流意識とは、ボンカレーを恥じて、ボンカレーゴールドを買おうとする意志のことだ。私はといえば、ボンカレーがうまいなんて思わないが、食い物に金を使うのは惰弱な人間のすることだと思っているので、よく食べる。これは「清貧」という。

  ★ 小田嶋隆『我が心はICにあらず』より。

金持ちは悪いヤツに決まってる。 とくに若い女どもにはそういう教育をしとかんとな。

  ★ 高橋克彦『偶人館の殺人』より。

カネ持ってるモンは買収できません。

  ★ 如是我聞。

「金を払えばどこで笑おうと大きなお世話だ」てなもんじゃアないんだとわたしは思う。

  ★ 立川談志『現代落語論 ― 笑わないで下さい』より。

彼女たちが広告の中でさらす裸身の媚態や、見る者を見返す熱い視線は、人々が銀幕や写真という虚像の中に、自分の理想の恋人を探すという近代に特有の現象を招くことになる。

  ★ 西岡文彦監修『デザインの読み方 ── デザインの見方・見どころ・考え方がひと目で理解できる完全見取図』より。

彼女たちが、そろえたようにヴィトンのボストンを持ち、ディオールの475番の口紅とプアゾンを愛用し、前髪の長さに満足を感じるというのは、けっしてお金が余っているのではなく、ひとえにその女性特有のまじめさが原因なのです。彼女たちは、大学に入る前に、「女手大生のあるべき姿」、つまりパニオン・テニス・ボーイフレンド、みたいなものですが、そういった姿を頭の中に思い浮がべ、「やったるでー」と入学してくるわけですね。一度やると思ったからには、自分でそんなつもりがなくても、ついつい完璧にやってしまうのが女の子。毎日の化粧も、洋服の選択も、そしてもちろん男の子の選択も、きまじめにこなします。こうして、外見は美しく、また言いたいこともはっきり言う、という女子大生たちができあがるわけですね。

  ★ 酒井順子『おかげさま ── 就職界見聞録』より。AT0K8は文脈によって変換語句を選ぶようで、「洋服の選択」というのを「洋服の洗濯」と変換した。それはそれで想像すると微笑ましい。

彼女たちに「“彼”に求めるもの」を訊ねれば「経済力」だの「学歴」だのと、キリがないほど並べ挙げるが、「“彼”に何をしてあげたいか」を訊ねると、ほとんど質問の意味が分からずキョトンとしてしまう ── と、女子大生にインタビューした女性が言ってましたよ。

  ★ 山崎浩一『なぜなにキーワード図鑑』より。

壁を突き破るには、これまでの減点思考から、新しいことに挑戦しよう、新しいことを評価しよう、という積極的な考えに変わることが不可欠です。

  ★ 橋本大二郎。朝日新聞1992/11/8(日)第13面より。◎はてここでいうところの「壁」とは結局なんだったのか……

カマキリを、何匹でも箱のなかに入れておくと、結局は1匹になっているんだよ。お互いが餌だからさ、1匹だけが残る。生きるっていうことは強いっていうことなんだね。

  ★ 永六輔『無名人名語録』より。

神が存在するかどうかは知らんが、神は存在すべきものである。

  ★ ディオゲネス。

神様が目を合わせてくれないんです。

  ★ 鳥居みゆき。

神様だって、どうして、あんなに遠くにいるの? 本当に私たちを救って下さるのなら、何故、目の前にいらっしゃらないの? おかしいでしょう? 

  ★ 森博嗣『すベてがFになる』より。

神様というのはえらいもんで、賢い人には難問を、そうでない人には簡単な問題を与えるもんや。

  ★ 物理学の某助教授。◎はぁ。そうですか、と私はうなずくしかなかった。

神様はとっくに私たちを助けてくださっているんです。

  ★ ソラヤ。石黒マリーローズ『「聖書」名表現の常識』より。

神様は勇気というものを1人に1つしかくれない。それを捨てると二度と手に入らない。

  ★ 映画『容疑者 室井慎次』より。

神……? 信じているさ……だから問題なんだ。俺は、俺にこんな退屈な人生をおしつけた神を許せるかどうか……それを悩んでいるんだ!

  ★ 工藤かずや作・浦沢直樹画『パイナップル・アーミー』より。

神と悪魔が闘っている。そして、その戦場こそは人間の心なのだ。

  ★ ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』より。

神に祈って道が開かれたためしはない。よいか、神は万物の中で人間を最も忌み嫌っておるのだ。

  ★ 武論尊作・原哲夫画『北斗の拳』より。

神には逆らわない方がよい。

  ★ 酒井聡樹「これから論文を書く若者のために」より。

神は男を創り、男があまり孤独でないのを見て、もっと孤独を痛感させようと伴侶を授けた。

  ★ ヴァレリー。

神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神である。

  ★ 『新約聖書』「マタイによる福音書」22:32より。

神は罪を憎まない。むしろ罪のバレる間抜けさを憎む。

  ★ 立川談志『家元を笑わせろ!』より。

神ほとけ化け物もなし世の中に 奇妙不思議のことはなほなし

  ★ 山片蟠桃辞世。

歌謡曲歌手といっても、今みたいに小さいときからアイドル目指して養成学校にせっせと通うなんてことはなく、皆ジャズ、カントリー、声楽から民謡・浪曲までそれぞれルーツを持っていて、その上で歌謡曲に入ってきていた。特にジャズ出身(この場合、ラテンやハワイアン等も含む)が多く、フランク永井もその名前からしてジャズ系の人だった。70年代に入ると旧世代の人たちが一緒くたにされ、演歌などというジャンルに入れられ、その役割だけをやらされるようになってしまった。でも、皆モダンでお洒落な人たちだったのです。

  ★ 大川俊昭。『歌謡曲完全攻略ガイド【'68-'85】』より。

歌謡曲においては、荒井由実のデビューではなくて、「あなた」のヒットがニューミュージックの始まりかもしれない。

  ★ 瀬戸宏一。『歌謡曲完全攻略ガイド【'68-'85】』より。

身体で覚えた動作は自然にリズムを奏でて、見ていて美しい。ホウキで掃くという動作でも、何千と繰り返せば、やはり美しさを帯びる。

  ★ 『マクドナルドの舞台裏』とかいう題名だったか、その本に出てくる。ちなみに映画『燃えよドラゴン』の中のブルース・リーのセリフに

頭で考えるな。肌で掴め。

というのがある。これとはちょっと違うかな。

空っぽの樽は、一番大きな音をたてる。

  ★ ユダヤの格言。わかると思うけど、「バカ」のことを言っている。

「~からの」という文脈を持たない、自己完結した「個人の自由」なんて言葉は無意味だ。

  ★ Vlad「ネチケットくそくらえ!」より。『ハッカージャパン』所収。

カリスマ性とレトリックだけは持ちあわせた人物が、空疎な思想で人を扇動する時、いかに恐ろしい結果が引き起こされるか。私たちはこの教訓を長らく忘れていたのではないだろうか。

  ★ 原田実『幻想の荒覇吐秘史』より。

借りた傘なら雨の日返せ

  ★ 国本武春「間違えないでおくんなさい~大人編~」の歌詩。『国本づくし』収録。

仮に私が神だったとして、25年のローンを組んだり、1週間に12個のスケジュールを入れているような奴を見たら、なめられたような気がすると思う。 「オレ抜きで勝手に人生設計なんて真似はしないでもらおうか」と考えると思う。自分の人生を自分の意志だけで運営していけると考えるような思い上がりを、神は決して許さない。私は必ずや彼の運命に介入して、思わぬアクシデントで、計画を台無しにしてやる。

  ★ 小田嶋隆『我が心はICにあらず』より。

加齢臭は体臭だけじゃなく感性からも噴出する。

  ★ 2ちゃんねるより。

カレーは飲み物です。

  ★ ウガンダ。

カレーライスがこの世にある限り ハヤシライスは裏街道を歩き続けるだろう

  ★ 山本正之「友情のハムライス」の歌詞。

彼がスペインで幸せになることは、日本代表の幸せにつながる。

  ★ ジーコ。大久保嘉人のスペイン・マジョルカへの移籍についてのコメント。

彼の気骨はほとんど軟骨でできています。

  ★ 三谷幸喜『オンリー・ミー ── 私だけを』より。

彼らが(過去の名職人のような)超絶技巧がこなせるようになるまで、何とか生きていたい……そしてもし生まれ変われるなら、彼らと一緒に叩きたい。

  ★ 小林善勝。石組職人。「彼ら」とは、まだ石を触らせてももらえないくらいの自分の新人弟子。「叩く」というのは、石にあたること。

彼らにとってのインターネットは、「世界」ではない。どちらかといえば、「部屋」に近い。

  ★ 小田嶋隆「バイト君の愚行とオトナの炎上」より。『小田嶋隆のア・ピース・オブ・警句』所収。

彼らにとっての「平和」とは、物理的には相手に対する武器を使用した闘争を止めることであり、内面的には相手に対する憎しみと復讐心を捨て去ることを意味する。しかし、戦いの中で肉親を失った人々にとって、憎しみと復讐心の強さは、失った肉親に対する愛情の強さを証明するものでもある。そのような「証明」の機会を捨てて、愛する家族を失った悲しみを全て忘れるというのは容易なことではない。

  ★ 山崎雅弘『中東戦争全史』より。

彼らのうちの何割かは、その真意はどうであれ、平気な顔で「自分のために戦う」と公言する。彼らは、それが個人主義でありヨーロッパのやり方だと信じている。得点をあげると自らのユニホームを誇示し、「このユニホームの力が俺に得点をさせてくれたんだ」とアピールする選手が大勢いることを知らないまま、個人主義の発達したヨーロッパでも嫌われるエゴイストのマネばかりをしている。

  ★ 金子達仁『28年目のハーフタイム』より。

 彼らの思想は間違いだらけだし、しばしば危険な内容を含んでいる。だが、決して彼らを弾圧するべきではない。弾圧は両刃の剣である。歴史を見ればわかるように、間違った思想が弾圧されるような時代では、正しい思想もまた弾圧されるのだ。言い換えれば、奇人たちがおおっぴらに活動できるということは、現代の日本がいかに自由な国であるかという証拠なのだ。
 では、氾濫するトンデモ本に対して、我々はどう対処すべきなのか?
 答えはひとつ ── 笑い飛ばすのである。
 簡単なようだが、これがなかなかむずかしい。すでに見てきたように、科学的間違いを笑うためには、科学的知識が必要だ。非常識な考えを笑うためには、常識が必要だ。無知で非常識な人間は、トンデモ本を読んでも笑うことはできない。
 すなわち、笑いとは狂気の対局にあるものなのである。笑っていられるうちは正常だが、笑えなくなったら危ない。
 トンデモ本を読んで笑えるかどうか ── それがあなたの知識と常識の深さを測るバロメーターなのだ。

  ★ と学会編『トンデモ本の世界』より。

彼らは、愛情についてはロマンティシストであっても、結婚についてはリアリストにならざるを得ない。

  ★ 副田義也『遊びの社会学 ── ニュー・ジェネレーション研究』より。

彼らは「他人の痛み」について鈍感なのではない。彼らは、他人の痛みが「好き」なのだ。

  ★ 小田嶋隆。Web日記「偉愚庵亭日乗」より。


可愛いお方に謎かけられて 解かざなるまい しゅすの帯

  ★ 都々逸。

可愛いものが可愛くあろうと努力しないで何処の誰がそれをする!

  ★ 京極夏彦『塗仏の宴 宴の始末』より。

河の流れを変えて 自分を飲み込まれ

  ★ サザンオールスターズ「吉田拓郎の唄」の歌詞。

考え方や生き方を押しつけてはいけない。そんなにステキならば嫉妬させてほしい。

  ★ 早川義夫「エッセイ17 ラブ・ゼネレーション '94」より。

考えてみると世間の大部分の人はわるくなる事を奨励しているように思う。わるくならなければ社会に成功はしないものと信じているらしい。たまに正直な純粋な人を見ると、坊っちゃんだの小僧だのと難癖をつけて軽蔑する。

  ★ 夏目漱石『坊っちゃん』より。

考えてもみろ。それは多分、あいつのせいじゃないんだ。いや、なんだって誰のせいでもないとはいえるが、少なくともあいつは、“まだわからない未来”ってもんを、持つことができなかったのかも知れない。人のカタチをして生まれてきて、そんな恐ろしいことがほかにあるか。

  ★ 高見広春『バトル・ロワイアル』より。

考えて解らないことは実行あるのみ。

  ★ 麻耶雄嵩『あいにくの雨で』より。

感覚的な評価はあてにはならない、と言う方もいます。それは、その人の感覚的評価が、曖昧だからでしょう。何かを手に持って、それのどちらが重いかを判断するのと同じで、ある人にはできなくても、できる人には、絶対に間違いのない判断なのです。

  ★ 森博嗣。Webサイト『森博嗣の浮遊研究室』より。

雁が飛べば石亀も地団駄を踏む。

  ★ 諺。

観客は奇術師がどうやってその奇術をやるかという方法メソッドには何の関心もないのです。観客が見たいのは奇術なのです。

  ★ 松田道弘『トランプ・マジック』より。

環境問題とは、とどのつまりは人口問題に過ぎません。

  ★ 天羽優子。『水商売ウォッチング』より。

「感激」以上の言葉を知っている方いたら教えてください。

  ★ 長島千恵。

韓国や中近東の国に日本は勝てないって言われますけど、負けるってことは、こっちが下手だってことでしょう。

  ★ 中田英寿。小松成美編著『中田語録』より。


   般  羯 多 咒 多 得 想  所 亦 無 耳 不 是 異 蘊 観  摩
   若  諦 咒 能 是 阿 究 礙 得 無 意 鼻 増 舎 色 皆 自  訶
   心  羯 即 除 大 耨 竟 無 故 老 識 舌 不 利 色 空 在  般
   経  諦 説 一 神 多 涅  菩 死 界 身 減 子 即 度 菩  若
       波 咒 切 咒 羅 槃 礙 提 尽 無 意 是 是 是 一 薩  波
       羅 曰 苦 是 三 三 故 薩 無 無 無 故 諸 空 切 行  羅
       羯    真 大 藐 世 無  苦 明 色 空 法 空 苦 深  蜜
       諦    実 明 三 諸 有 依 集 亦 声 中 空 即 厄 般  多
       波    不 咒 菩 仏 恐 般 滅 無 香 無 相 是 舎 若  心
       羅    虚 是 提 依 怖 若 道 無 味 色 不 色 利 波  経
       僧    故 無 故 般 遠 波 無 明 触 無 生 受 子 羅
       羯    説 上 知 若 離 羅 智 尽 法 受 不 想 色 蜜
       諦    般 咒 般 波 一 蜜 亦 乃 無 想 滅 行 不 多
       菩    若 是 若 羅 切 多 無 至 眼 行 不 識 異 時
       提    波 無 波 蜜 顛 故 得 無 界 識 垢 亦 空 照
       娑    羅 等 羅 多 倒 心 以 老 乃 無 不 復 空 見
       婆    蜜 等 蜜 故 夢 無 無 死 至 眼 浄 如 不 五
       訶

  ★ 『摩訶般若波羅密多心経』。文中の「 」は「土へんに垂」を、「 」は「四の下に圭」を、それぞれJISに字がないので置き換えてます。

勘定合って銭足らず。

  ★ 諺。理論と実際とが伴わないたとえであるが、字面通りが何となくトボけてて面白い。銀行員はイヤだろうけどね。

感情が激しい人でさえ、上司との葛藤や、失敗した企画をめぐる挫折感や、同僚の面前で受けた屈辱を、機会をとらえて口に出して言うことによって、自分の感情を理解し我慢できるようになる。

  ★ ロバート・M・ブラムソン『「困った人たち」とのつきあい方』より。

感情は時間の関数である。

  ★ 相原義弘。

肝心なのはね、行列しなきゃ食えないラーメンもある ってこと。

  ★ 矢沢永吉。

完全な不規則さは、完全さに置き換えることが出来る。

  ★ 『モンテカルロ法』より。

「完全」はいつも私の1歩手前で手招きしている。

  ★ ケン・ドーン。

完全を求めて何もしないよりは、やれることをしたほうがいいです。

  ★ 菊池誠。

寛大な心とは、他人のなかに最高のものがあると信じることだ。

  ★ ダニー・マイヤー『おもてなしの天才』より。

『ガンダム』が好きだというと、「本当の戦争を知らないくせに」ってよく言われるんですよ。朝日新聞とか筑紫哲也(1935~2008)みたいな偉い左翼系の文化人には必ず言われました。
 アニメから戦争を学ぶ? そんなことより可哀想な人たちのところへボランティアに行け! ピースボートに乗って「本当の世界」を見てこい。そう言われるんですよ。
 ギャルゲーとかやってると、そんなことをせずに本当の恋愛をすればいいとか言われるんですね。
 僕、そういう批判が全部大ッ嫌いなんですよ。
「本当のものに価値がある」っていう考え、そんな貧乏根性が嫌いなんです。

  ★ 岡田斗司夫『遺言』より。

簡単なことを完璧にやる忍耐力の持ち主だけが、いつも困難なことを軽々とこなす熟練を身につける。

  ★ シラー。

簡単に人の評価は変わる。しかしそれは、善から悪の評価の一方通行でしかない。

  ★ 樫村政則『完全失踪マニュアル』より。

艦長、それは非論理的であります。

  ★ ミスター・スポック。映画『スタートレック』より。

艦長は艦と一緒に沈むという美意識は第二次大戦の日本海軍のもの、それも実際の海軍ではなく、映画などで美化された世界です。責任者は絶対に生還して報告する義務がある。たとえそのために罪もない若い兵士を何百人犠牲にしても、です。「責任を取ってその場で死ぬ」は敵前逃亡。本当の男なら「兵士を犠牲にして自分だけ生還して報告する。その後に軍事裁判を受けて死刑になる」という責任の取り方をしないとダメです。

  ★ 岡田斗司夫『遺言』より。

缶詰は火を入れるべしだと、僕は思っています。

  ★ 間口一就。「魅惑の「缶詰晩餐会」へようこそ!」より。『dancyu』2006.04号所収。

感動なんて無理矢理に家捜しして持ってくるようなもんじゃないだろう。

  ★ ナンシー関『聞く猿』より。

感動の奴隷となった知能 ── これが情熱による愚行の公式である。

  ★ ホルスト・ガイヤー『馬鹿について』より。

監督を尊敬しないプロデューサーはダメだけど、監督と対立できないプロデューサーは意気地なしだと思うな。

  ★ 岡田斗司夫『遺言』より。

神主は別として、祈願をする者にとっては、その神社の御祭神が誰、あるいは何であるかは問題ではない。たとえ知っていたにせよ、その祭神の神道に占める地位、他の神々との関係については多分知らないであろうし、また興味もない。ここに対象を知らない、いや、対象のない、信仰心そのものだけを大事にする信仰がある。

  ★ E・ロコバント「日本人と神社」より。 『日本「神道」総覧』所収。

ガンの死亡率を下げようと思えば他の病気の治療を怠ればいい。

  ★ 出所不明。統計とは所詮こんなもんです。

「がんばれ」は自分に言う言葉ではあっても、他人に言う言葉ではない。

  ★ 藤本義一。

頑張れよ なんて言うんじゃないよ

俺はいつでも最高なのさ

  ★ 遠藤賢司「不滅の男」の歌詩。『東京ワッショイ』収録。

完備した整理システムというものは、利用する側の意志の持ち方によって、初めてクリエイティブな真価を発揮する。

  ★ 西岡文彦『図解発想法 ── 知的ダイアグラムの技術』より。

願望すれば何とかなるだろうとなぜ確信してしまうのか、それは、誰もが子どもの頃から持っていて、心の奥底に普段は意識しないような魔力がひそんでいることを信じている傾向があるためだ。

  ★ ロバート・M・ブラムソン『「困った人たち」とのつきあい方』より。

カンボジアにばらまかれている地雷を売った国が地雷を回収しに行けばいいのだ。

  ★ 政見放送より。PKOが争点になったときのこと。◎私にはもっともなことのように思えるのだが。世界には「平和平和」と叫びながら、武器を売る国があるというのが驚きであり、理不尽に思えて仕方がない。

官僚というのはおなごとよう似とるなあ。自分にまさるものには決して好意を持たん。

  ★ 海音寺潮五郎『孫子』より。

官僚も人民もすべてが自然的存在ではなく人間は法の上の仮称にすぎない。

  ★ 司馬遼太郎『項羽と劉邦』より。韓非子の法家の思想についての部分。




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