<今号の名言>集


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赤色のマーク(など)が最終更新分です。










対案がないなら反対するな、というのは政治の世界では通っても、科学では通りません。

  ★ 菊池誠。

 第一、1回やってしまったことをもう1度するのだから、最初にやったときよりも、もっと作業が早くなっているはずだ。
 これがやり直しなのではなく、あれが練習だったと思えば良いのだ。
 そう考えれば人生うまくいく。

  ★ 玖保キリコ『それなりのジョーシキ』より。

第一次世界大戦は戦争をなくすための最後の戦争だ。

  ★ ウッドロー・ウィルソン。元アメリカ大統領。……しかし、もしほんとにそう言ったんなら「第一次世界大戦は……」って表現はちょっと違うだろうなあ。

第一歩を踏み出さなければ、次のステップには行けない。

  ★ 鈴木亜久里。

たいがいの人は、自分が何をいっているのかわかっていない。

  ★ 山形浩生。

タイガースを手放したら電鉄も死ぬ。

  ★ 出所不明。

「大学は慶応、男は経済力、車はドイツ車」 ── どこを切っても金太郎。“ホンネ”の金太郎飴。あー、息苦しい!

  ★ 山崎浩一『なぜなにキーワード図鑑』より。

大学4年生になると、非常にありがちな行動。日経新聞をいきなりとりはじめることです。もちろん、それは就職活動のためだということはわかっているのですが、私の予想では、その日経、「とってはいたけど別に役立たなかった」という人が、全体の8割くらいはいるような気がします。しかし、そのように日本経済新聞の見出しだけ読んだり、「会社四季報」を買ってみたり、ダイヤモンド社っぽい本を立ち読みしたりすることによって、いくばくかの新しい知識を得ることができるのは事実です。そしてそれらの行為は、ちまたでは“企業研究”と呼ばれているようです。この企業研究というのは、就職活動を行うにあたり、非常に重要なことではあるのですが、やりすぎると、しだいに自分が今の日本を動かしているような、大きな気分になってくるのが特徴です。

  ★ 酒井順子『おかげさま ── 就職界見聞録』より。

 大学を解放せよというような時に大衆参加というのは不正確な用語である。
 参加すべき人が参加すべしというのが正しいのだ。
 自治会や労組の討論会で論争が白熱してくると、「どうやら発言が片寄って来ましたので、他の方からの発言を求めます」などといってヨヨギの諸君は危機を乗りきるものである。
 するとそれに応えて、「あのお、今までの討論はボクには難しくてよくわかりませんがあ、ボクたちのクラスでは先月まで2人しか日曜版を読んでいなかったのが、今月では5人になりましたあ、大きな勝利てすう」などというトボけたのが出て来て論争はめちゃめちゃになるのだ。
 こういうのを大衆参加というのである。
 思えば新幹線の愛称募集という大衆参加で、ひかりの名称はきまった。
 この愛称こそ中途半端な教養を持つ大衆というものをよく表わしている。
 こだま(音速)より速いから、ひかり(光速)がよいなどとは何というイメージの貧困だろう。
 光が速いということは相対性理論からいって、実感できることではないのだ。
 それを、大衆教育つまりガッコで習ったというだけで愛称にしたのである。

  ★ 呉智英『インテリ大戦争 ── 知的俗物どもへの宣戦布告』より。カッコ内も原文ママ。

退屈な本を読んでいてうとうとしたらその本を読み続けている夢を見て退屈のあまり目を覚ましてしまった。

  ★ ハイネ。

退屈に耐えられない人間は、孤独にも耐えられない。孤独に耐えられない未成熟な人間が、他人の退屈しのぎにジョークを持ち出すところに卑しさがあり、ジョークによって孤独を避けようとする卑しさが惨めなのである。

  ★ 加藤尚武『ジョークの哲学』より。

体験して分かったということがどうして自慢になるのか。私は本を読んだだけで分かるのだ

  ★ A・ゲルツェン。

大事なことはいつも手遅れになってから思い出すのだ。

  ★ 我孫子武丸『探偵映画』より。

大事なのは、「なにを知るか」ではなく「だれの話を聞くか」だ。

  ★ ダニー・マイヤー『おもてなしの天才 ── ニューヨークの風雲児が実践する成功のレシピ』より。

 大衆演芸といわれている以上、大衆に受け入れられなくてはいけないし、その大衆にアッピールする芸人がいい芸人であることには違いない。
 さあ、ここで問題なのは大衆というものは何を指して大衆というのか、ということである。
 人間誰しも笑うことはできる。お金をだせば寄席へ入れてくれるし、入れば落語を聞くこともでき、おもしろいところで笑えばいい。どこで笑おうと本人の勝手だ。
 しかし、もしこの種の人たちが、数が圧倒的に多いということだけで、大衆と呼ぶならば、すくなくともわたしの好きな落語は大衆的でないし、したがって大衆のものでもないといえよう。
 逆にいえば、落語が大衆演芸だと錯覚された時に落語の持つ本当のよさは失われ、そして落語の堕落が始まったのだ。

  ★ 立川談志『現代落語論 ― 笑わないで下さい』より。

大衆の好むもの3つ。“手作り”、“ふれあい”、“個性”。しかし本質は“手作り”ではなく“品質”、“ふれあい”ではなく“理解”、“個性”ではなく“能力”であるべき。

  ★ 中村氏(東氏)。こういう抽象的かつ無内容かつ耳あたりのよいキーワードにダマされてはいけません。他に「21世紀」とか「未来」とか「夢」とかね。その裏には、具体的に言えない故に、イメージだけで何かを語ったように見せようとする悪意が潜んでいます。

対象に直接取材するかどうか、これがプロとアマチュアの違いだ。文章力など大した問題ではない。

  ★ 今井一。

対象への好悪感情にかかわらず、対象の存在を肯定的に認められることが、批判する際の前提であり条件である。

  ★ 山崎浩一『危険な文章講座』より。

たいせつ

 イスは たいせつにすれば いつまでも つかえる。
 イヌは どんなにたいせつにしても いつかは しぬ。
  イヌがもっているじかんをたいせつにしよう。
  ゾウガメがもっているじかんをたいせつにしよう。
  ワニがもっているじかんをたいせつにしよう。

  ★ きたやまようこ『イスとイヌの見分け方 ── 犬がおしえてくれた本』より。

大切なのは、何をしたかではなく、何のためにしたかではないですか。

  ★ 映画『雨あがる』より。

大切なのは冷静な判断だ。取るべき手段はその先にある。

  ★ 映画『アポロ13』より。

だいたいアマチュアであるなんていうのはおかしいのであって、めしが食えても食えなくてもプロでなければいけない。

  ★ 早川義夫『ラブ・ゼネレーション』より。

大体、異界から来るものを人間が選ぶことができるだろうか……幸をもたらしてくれるよい神だけを招き、悪い神……災いをもたらすまがつ神は入れないというような事が……

  ★ 諸星大二郎『天孫降臨 ── 妖怪ハンター 稗田礼二郎フィールド・ノートより』より。

だいたい、囲碁でも将棋でもチェスでもはじめから終わりまで完璧な棋譜というものはあり得ないはずでしょう? そんなものがあったら、碁でも将棋でも、それで全部終わりですからね……。ミスだったらミスとわかった時点で、最善の結果にむけて努力すればいいことです。

  ★ 小松左京『首都消失』より。

代替医療のセラピストなら、ジョージ・バーナード・ショーの戯曲『アナジャンスカ ── ボルシェヴィキの女帝』のなかの次のくだりに我が意を得たりと思うだろう。大公妃はこう述べる。「偉大な真理はすべて、はじめは神をも畏れぬ不遜な考えだったのです」。しかしこのセリフには、あまり嬉しくない次の但し書きをつけなければならない。「神をも畏れぬ不遜な考えのすべてが、偉大な真理になるわけではない」と。

  ★ サイモン・シン、エツァート・エルンスト『代替医療のトリック』より。

だいたいが、私自身もその場にいない他人の悪口をあれやこれやいうのは大好きな性分である。いつもはステロタイプな発言しかしない人間が、他人の悪口をいう段になると、俄然オリジナリティの冴えを発揮する。……普段は眠っているその人間の観察力や批評精神やエスプリの才が、悪口をいう場において一挙に華開くのだ。……しかしそのうち、“いやあ、総務の○○課長は切れ者だが、それに比べるとウチの××は仕事ができなくてねえ”となるのは困る。クリエイティヴな悪意のヤリトリが、いつのまにか“能力査定”談義になっているのだ。これはヤダね。自分を優秀で仕事ができる切れ者と思いたがり、また他人にもそう思われたがっている卑屈で下司な心根が露わになってしまう。

  ★ 亀和田武『1963年のルイジアナ・ママ』より。

だいたい、そのテの有害説は「写真を撮られると魂を抜かれる」から「ウォークマンやりすぎると難聴になる」にいたるまで、新しいテクノロジーにはつきものだ。写真云々はともかく<ウォークマン=難聴説><ファミコン=視覚障害説>などにしても、結局「そりゃやっぱりなんだってやり過ぎてのは身体によくないですわな。健康食品だってエアロビクスだって過激にやれば身体壊しますもん」という以上の説得力はない。

  ★ 山崎浩一『退屈なパラダイス』より。

だいたい日本は重い音楽を変に評価しすぎなんだよ。もうそろそろ重さの裏返しの軽さも評価されていいんじゃないかな。

  ★ 桑田佳祐。

だいたい、ボケたら(笑いを取ったら)ツッコまれる(どつかれる)というのがワンパックになっていて、笑いを取った以上、どつかれるのは宿命で、ボケ逃げは許されない。

  ★ 松本人志『遺書』より。

だいたい物を作る人って、女っぽいところを持っている人が多いと思う。あの人はなかなかサッパリしてるねなんていう人は、物を作ってないだろうね。

  ★ 井上陽水『綺麗ごと』より。

大多数の人間は、静かな絶望の生活を送っている。

  ★ ヘンリー・デイヴィッド・ソーロー。

大多数の若者は、単にぶしつけで粗野であるに過ぎないのに、自分を自然だと思いこんでいる。

  ★ ラ・ロシュフーコー。

大多数は、“中流”ではあっても一般大衆ではないらしい。

  ★ 山崎浩一『ひとり大コラム ── 僕的情報整理術』より。

体調が ── 特に頭の調子が悪かったのだ。

  ★ 京極夏彦『塗仏の宴 宴の始末』より。

大抵、安静は下降ダウナーによってもたらされる。下降は倦怠と愚鈍を伴うものだ。

  ★ 京極夏彦『陰摩羅鬼の瑕』より。

たいていの刑務所での仕事から受刑者が学ぶことといったら、犯罪のほうがまっとうな仕事よりいかに刺激的で儲かるかということです。

  ★ フランシス・クロック。市民団体「ハワード・リーグ」のディレクター。『THE BIG ISSUE JAPAN』より。

たいていの人間の生涯は、未完成なエピソードの寄せ集めじゃないのか?

  ★ T・カポーティ。

たいていの場合、もっともつまらない解釈が正解です。

  ★ 菊池誠。『kikulog』コメント欄より。

たいていの人は座っていると攻撃的な行動は弱まる。

  ★ ロバート・M・ブラムソン『「困った人たち」とのつきあい方』より。

 第20回党大会で、フルシチョフがスターリンの犯した悪業を数えあげていると、会場から声があった。
「で、そのとき、あんたたちはどこにいたんだ?」
 するとフルシチョフが言った。
「今質問した同志、立ちたまえ」
 質問者は怖じけづいて立たなかった。
 そこでフルシチョフがおもむろに答える。
「ようするに、われわれもそうだったのさ!」

  ★ ジャンナ・ドルゴボーロワ『ロシアより笑いをこめて』より。

代表とJの日程を全部こなしたら、選手は確実に壊れる。Jで休ませろということ。Jと日本協会で日程調整したというが、取り合いをしただけ。日本では、サッカー人気を引っ張っているのが代表だから、ある程度重点が置かれるのは仕方ない。ただ、全体を選手の立場で考える人が、(協会に)いない。

  ★ 岡田武史。『読売新聞』インタビューより。

太平洋戦争は、「昭和」という時代を分断した。ドイツや朝鮮のように地理的な分断はなかったものの、日本人のメンタリティとアイデンティティを分断した。

  ★ 出所不明。

大変なことが起こった。1ヶ月ほど前、突然、哲学がやれるような精神状態になったのだ。再び哲学がやれるなんて、夢にも思っていなかったのに。

  ★ ウィトゲンシュタイン。前立腺癌と診断された後、遺作『確実性の問題』執筆中にマルカム宛に書かれた手紙。

 逮捕され拘禁されている者の部屋に、なぜあんなにズケズケとTVカメラが入り込めたのかはともかく、6000本のビデオに埋まったあの部屋の映像によって、この事件の最初のストーリーができあがった。

 「ビデオに溺れて現実と虚構の区別がつかなくなった男」

 ビデオを見すぎて現実と虚構の区別がつかなくなるのなら、55台のビデオデッキで6000本のビデオを連日サーチしている深川署のお巡りさんたちは、とっくにおかしくなっているに違いない。

  ★ 山崎浩一『リアルタイムズ ── 光速の失楽園』より。

大民族および大人物の外見上のエゴイズムは、1つの事業におのれが生命を賭している者が身を処する場合に持たなければならない厳しさなのである。人が本当に何かをしようとしている時、またわれわれが1つの計画に邁進している時に、一時の客を歓待し、些細な慈善行為にも身を入れるよう要求することはできないのである。

  ★ オルテガ『大衆の反逆』より。

Time is money. なんて言葉があるが、それは、時間を甘く見た言い方である。金よりも時間の方が何千倍も貴重だし、時間の価値は、つまり生命に限りなく等しいのである。

  ★ 森博嗣『すベてがFになる』より。

Time is like a fuse, short and burning fast.

  ★ METALLICA「Fight Fire With Fire」の歌詩。『Ride The Lightning』所収。

『ダ・ヴィンチ・コード』に限らず、アメリカの小説や映画がヨーロッパ史を題材にした時によく見られる間違いで、合衆国建国以前のことはすべて「昔」と思うせいか、古代ギリシア神話も中世キリスト教伝説も一緒にしたような話が珍しくありません。

  ★ 西岡文彦『モナ・リザはなぜ名画なのか?』より。

互いに完成品を求めあうのが現代の恋愛。そのため、恋人同士は情報で武装してから会話を始める。消費に取り込まれた恋愛ゲームでは、費やされた金額が愛情の証明になる。マスメディアの提示する恋愛マニュアルは、「理想の愛」のシナリオ。愛を完成させるには、2人が理想のカップルを演じきれることが必要条件になる。しかし、どこかでボロを出してしまうと、恋のシナリオは破綻する。愛のマークシートは満点でなければ成就しないのだから。

  ★ 『日経トレンディ』より。バブル真っ直中での文章。

高いワインも安いワインも、“おいしく飲んでやるぞ”という努力が必要ですね。おいしく飲む努力とは、相手を楽しませてあげよう、自分も楽しもうとすること。おいしいと感じるのは、楽しいと感じる感覚です。

  ★ 田崎真也。

だが運命とは我々が決めるものではない……。我々が決められるのは、その時どうするか、だ。

  ★ 映画『ロード・オブ・ザ・リング』より。

だが、気持ちと云うものは、相手に伝わることの方が遥かに稀なのである。だから、もし正確に伝わったなら、その時は偶然と思った方が善い。

  ★ 京極夏彦『塗仏の宴 宴の始末』より。

高さ70メートル。両手をひろげ、『ノー』と言って突っ立っている。

  ★ 岡本太郎。岡本敏子『岡本太郎の遊ぶ心』より。

たかだか感動したくらいで信じられては困る

  ★ 菊池誠。

たかだか100勝で満足するためにメジャーに来たわけじゃないですからね。

  ★ 野茂英雄。

だが、どうして弱っている人間は全ての咎を自分に求めようとするのか。背負いきれないのは分かっているのに。

  ★ 麻耶雄嵩『あいにくの雨で』より。

だが塔は、残った。昭和元禄を彩った国家的イベントの記念として、大阪・千里丘陵に、20年にも成ろうという歳月を、孤独のままに立ちつくしているのだ。未来を表現しなかったものだけが残ったとは何たる皮肉であろうか

  ★ 松葉一清『幻影の日本 ── 昭和建築の軌跡』より。当然大阪万博の太陽の塔(by岡本太郎)のことをいっている。


だが、ホントはそれらは有名になることで「オシマイ」になることではなく、それこそある種の「永久運動」であるはずなのだ。昔から「歌は世につれて」もけっして「世は歌につれる」ことなどないのだ。だから、尾崎よりも10年以上も前に「わたしたちの望むものは、社会のための私たちではなく/私たちの社会なのだ」と岡林信康がうたっても、けっきょく社会はそうならなかったように尾崎やエコーズの歌にしても、それが具体的な現実変革の力になるためには、歌ではなくそれに共感した人たちの別の行動が必要になるのだ。でなければ、うたっている者は、スターという座に安住するか、聞く者はそれを聞きうたうことで「免罪符」でも手に人れたように、これまた安住することになるのだ。

  ★ 田川律『日本のフォーク&ロック史』より。そして尾崎は死に、尾崎の歌はサラリーマンの応援歌になろうとしている。

だから、逆説的にいえば、いつまでも不自由が続く理由とは、それを許容していること以外にない。

  ★ 森博嗣『自由をつくる自在に生きる』より。

だから、今日何より問われるのはイマジネイションだ。その点では、音楽は昔より平等になったといえる。上手に楽器をひけなくとも、思い通りの音が作れるのだから。

  ★ 近田春夫『考えるヒット2』より。

だからといって、人は外側の美しさより内側の美しさだとか言ってるやつに限って、内側もたいしたことない。

  ★ 伊藤守『恋の法則100』より。

── だからね、日本人は水と平和はタダで手に入ると思ってるもんだからこういう局面で ──
何ゆってんだかねーまったく。 ── んなもんタダに決まってんじゃない

  ★ 岩明均『寄生獣』より。

だから、ほら、win があるからこそ、世の中の諸々の不幸が消えないのだな。うむ。

  ★ super-parano。

タクシー運転手の振舞い ── 躾が悪い、怒りっぽい、客あしらいがなってない ── 換言すれば、サービスの質に関するかずかずの苦情は、実際にもそれだけの裏づけがある。しかしながら、私見によれば、右にあげた非難は、取り立ててタクシー運転手にのみ向けられるべきものではあるまい。その他のいわゆるサービス業に携わる人びと、それどころか、広く勤め人全般に向けられても不思議はない。いやいや、人間一般と言いなおしてもいいくらいである。

  ★ J・フェドローヴィッチ・工藤幸雄『共産国でたのしく暮らす方法』より。

多国籍軍による武力行使を最後まで信じなかったのはサダム・フセインと日本だけだった。

  ★ 出所不明。湾岸戦争の話。

「琢磨は攻撃的すぎる……」との批判の声もありますが?
攻撃的すぎるなんてことはありえない。彼はレーサーなんだから。

  ★ パーニー・エクレストン。FOM会長。

巧みな反対者は無味乾燥な賛成者より、千倍も好ましい。また貴重でもある。

  ★ どこぞのHP。何か出典がありそうだ。

確かにアイドルは処女である必要はないが、1%でもその可能性を残しておく必要がある。

  ★ 林明美『C調アイドル大語解 ── アイドル用語の基礎知識』より。

たしかに……井の中の蛙大海を知らず、そういう言葉があります。たしかに蛙は大海を知らなかったかもしれない。だが、通用しなかったとはいってない!! 大海を知らなかった蛙の中にも、十分大海に通用したやつはいたはずだ。それがそんな言葉のトリックにひっかかってどれだけの才能がつぶされてきたことか ── 歴史の白いページをおれたちがきりひらいてきているのだ。先人の腰のぬけた言動にまどわされるなっ!!

  ★ 島本和彦『逆境ナイン』より。

たしかに金の力も必要だが、それはワン・オブ・ゼムだ。指導力、統率力、行動力、そんな中のひとつに金の力もある。政治力というのは、結局、人を動かす力。それは人と人との信頼関係の積み重ねだ。

  ★ 田中角栄。

確かに結果だけを見れば“火”もまだ点いていないぐらい完全な不完全燃焼です。でも自分の中では、だからこそ次に繋げるために何とかしてやろうという気持ちだけはメラメラと燃えています。

  ★ 佐藤琢磨。

確かに、この恋愛は絶望的だが、少なくとも自分はまだ夢を見ている……。そうだったら本当にいいのに。

  ★ 森博嗣『夏のレプリカ』より。

たしかに、罪悪感というやつには官能的な何かがある。それは、むしろ孤独な愉しみと言ってさえ、いいほどのものである。

  ★ 寺山修司『ポケットに名言を』より。

確かに証券は体育会系の男の子には、とても気前よく内定を出します。何回か軽く面接すれば、すぐ内定。あまりよく考えてない人は、それだけで大喜びしてしまいます。しかし、話によれば、証券というのは、あまりにも仕事がハードなため、辞める人が多いので、人数をたくさん採り、それも体は丈夫であろう体育会の人、と狙ってくるらしいのです。ですから、体育会の男の子は、とりあえず証券の内定を持って滑り止めとした上で、自分の行きたいところを受けるというパターンが多いようです。ですから、それでも証券へ行く人というのは、その他の会社に落ちてしまった人、もしくはOBの引きから逃げるに逃げられなかった人、というわけで、そういった意味からも、証券は「体育会の流刑地」として、恐れられています。

  ★ 酒井順子『おかげさま ── 就職界見聞録』より。少なくともバブルが終わるまではこれは事実だった。

確かにフラットな人や理詰めな人はここいちばんに弱いんだよ。感情の起伏の激しい人はやっぱり、オーラスの最後の一杯のハイテイで大三元ツモるみたいなね。でも、おれは違うんだよ。外から何かがぶつかってきたときに、初めてそれを返すだけで。

  ★ 大瀧詠一。Webサイト「風待茶房」より。

確かに僕もついこの間までテーマやコンセプトを暗闇の中に落とした貨幣を探すように地面を撫でまわしていた。というのもテーマやコンセプトが現代美術の存命に関わる不可欠要因となっているからだ。だけど考えてみればこれはどうもおかしい。いつの間に美術が思想家に変身してしまったというのだ。美術が思想や観念に摩り替えられ、知的機能を有し、たとえ社会的影響力を持ったからといって、それが人間の魂にとって何ほどの価値があるというのだろう。

  ★ 横尾忠則。朝日新聞のコラムだった。絵画だけではなく、現代の創作作品、芸術作品は少なからずこの問題を抱えている。関係ない話だが、YMO結成当時、彼が加入するというプランがあったらしい。

足し算・引き算をやっているということは、ことばにこそ出さなくても「なかま」と「なかまでないもの」を意識している。象とチューリップは足せない。なぜなら、「なかま」ではないからだ。

  ★ 安野光雅『算私語録その3』より。

多数決をとってみたところで、それが正しさの保証とはならない。

  ★ デカルト『方法序説』より。

出す必要性のない音、出さなくても済むことのできる音、意味のない音は、音楽じゃないと思うのである。

  ★ 早川義夫。Webサイト『早川義夫公式サイト』より。

打席に立っているとき、自分は単純に野球をしているわけではない。いつも調整というよりも向上しようとしている。それが僕の目標です。

  ★ イチロー。

たたかい続ける人の心を
誰もがわかってるなら
たたかい続ける人の心は
あんなには 燃えないだろう

  ★ 吉田拓郎「イメージの詩」の歌詩。

戦いをまともにやろうとするからこういう目に遭うのだよ。

  ★ 『機動戦士ガンダム』より。

戦おうとしない者に味方はできない。

  ★ 今野敏『蓬莱』より。

叩くなら横からか上から叩け! そんなに下から叩いて届くがバカ!

  ★ 小林よしのり『ゴーマニズム宣言』より。

正しいことしてりゃ不死身だと思ってるのか!!

  ★ 映画(題名は失念)より。

「正しいことをきちんとしよう」という感覚は研修だけで身につくものではない。もっているか、持っていないかのどちらかだ。

  ★ ダニー・マイヤー『おもてなしの天才 ── ニューヨークの風雲児が実践する成功のレシピ』より。

正しいことをすれば自分が一番だと実感できます。

  ★ ロジャー・ボジョレー。

正しい情報を流すのは、それを知っている者の義務だと考えています。

  ★ 天羽優子。Webサイト『水商売ウォッチング』「特命リサーチXへのコメントに関するやりとり(2002/03/12)」より。

正しいってのは、弱いってことだ。
強いってことは、悪いってことだ。

  ★ 佐藤秀峰『ブラックジャックによろしくClick Here!』より。

正しい文章を書くことよりも、相手の誤読を的確に予測することの方が重要である。

  ★ Webサイト『森博嗣の「浮遊研究室」』より。

ただし、LTは除く。

  ★ NEC。

正しければ良いと云うものではないのである。

  ★ 京極夏彦『塗仏の宴 宴の始末』より。

ただし、自動車は本来、悪いやつなのだ。わが国では、石油というのは悪魔が地下深く閉じ込めたもので、それをやむを得ず掘り出した。石油は悪魔の贈り物。それで文明先進国が毒々しい石油文化に花を咲かせた、その使徒が自動車だ。わが国は、世界中に自動車が走っていると石油を使ってくれていいのだが、実はこれは悪魔の申し子である。したがって悪魔は神から与えられて妊娠できない、子孫を増やせない。

  ★ ホメイニ師。梶原一明・徳大寺有恒『自動車産業亡国論 ── トヨタ・日産の「正義」は日本の罪 (カッパ・ビジネス)』より。ある商社マンがホメイニ師に「イランにとって自動車とは何か」と聞いたときの答えだそうだ。

 ただ、世間一般に言われている「いい女」と「オールドミス」のちがいは「かげり」のあるなしではないかと思う。いい女にはどことなく不幸のフレイバーがほのかに漂っている。それが男をして「よし、俺が幸せにしてやる」式のアクションを起こさせる。
 オールドミスの場合は、それが「かげり」ではなくて「暗さ」なのではないだろうか。無理に明るくふるまったり、若造りしたりする裏に、男は深々と横たわっている闇をみてしまうのだ。

  ★ 中島らも『恋は底ぢから』より。

ただ他人との接触を断っているだけでは、プライバシーの確立どころか、単なる自閉症に過ぎないのだ。

  ★ 景山民夫『つまり何なんだ』より。

ただ、「どうもありがとうございました」とかしゃべるヤツがあるでしょ。あれはキライ。自動販売機のよさは好き勝手に買えることにあるんだから、いちいちしゃべって買っていることを意識させないでほしい。それと、ヤクモノつきも困る。僕は、もっとひそやかに買うことを期待したいんです。あせって押しまちがえて、飲みたくないものが出てきたときも悔しいね。

  ★ 泉麻人。ある就職媒体の富士電機のページに載っていた自動販売機をテーマにしたコラム。

ただ、1つだけ言えるとすれば、恋愛とは融合であるということぐらいだろうね。全然別個の2人の人間が価値観ぶっ飛ばして融合してしまう可能性のある唯一のチャンス、それが恋愛なんじゃないだろうか。損得勘定ナシ、というか。そういうのがホントの恋愛。理屈はあとからついてくる。これはある意味では怖いことだよ。それが永遠に持続するという保証なんぞまるでないにもかかわらず、自分の持っている価値観を他人のそれと混ぜ合わせてしまうんだからね。でも、恋愛って、それを可能にするだけの狂気の要素を持っていて、だから素敵なんだけどね。

  ★ 景山民夫『ハックルベリー・フレンズ』より。

「立ち聞き」の醍醐味は、他人の人生に対する勝手な憶測にあります。

  ★ 石原壮一郎。

立場が高くなるほど、生来の情緒面応力がより重要になる。

  ★ ダニー・マイヤー『おもてなしの天才 ── ニューヨークの風雲児が実践する成功のレシピ』より。

 脱原発・反原発を唱える立場からすれば、放射能の恐怖が切実であればそれだけ、運動が展開しやすいという事情はあるのだろう。
 私自身、原発は廃止すべきだと考えているし、その意味では、脱原発のために有利なデータは歓迎したいと考える。
 でも、福島の被害が巨大であってほしいとは思わない。それとこれとは別だ。交差点に信号機を設置してほしい旨を訴えることと、そのために人身事故が起こってほしいと考えることは別だ。

  ★ 小田嶋隆「レッテルとしてのフクシマ」より。

達人や数寄者と呼ばれる人は慎み深いのではなくて、実は病的に欲張りなのかも知れません。

  ★ 伏木亨『コクと旨味の秘密』より。

たった1人の息子を失った悲しみがどんなものなのか正確にはわからない。想像はできても、ぼくは決して痛まない。痛みのない悲しみを、悲しみと呼ぶことはできない。

  ★ 斉藤純『月時計の夜』より。雨の会編『ミステリーが好き』所収。


「だってうちは置き場所がないから」というだけの理由で古いものを捨てていないでしょうか? 個人のそういった姿勢が集まったものが「社会」であり、それが「文化」となるのです。

  ★ Webサイト『森博嗣の浮遊研究室』より。

だって、カッコ悪いじゃないですか。Jリーグとか見てても、倒れるのっていつも日本人でしょ。なんか、あれって嫌いなんですよね。

  ★ 中田英寿。金子達仁『惨敗 ── 2002年への序曲』より。

 だってヘタにいいとさ……、「この曲、A面よりいい」なんてことになると、……まーた話が複雑になってくるから。せっかくA面が決まっているのに……。
 だから、明らかにA面より落ちてないと。

  ★ 井上陽水。

建前とか本音とか、わざわざいうのは、正直者の日本人だけであろう。

  ★ 加藤千幸『国際情報の読み方 ── こうすれば世界が見える』より。

建物というのはいつも微妙なバランスで生命を維持している。新しいとか、綺麗だとかいうのはあまり関係ないことなのだ。生きている建物はたとえ壊れてもすぐに修復する。しかし死んでしまった建物はもう直らない。

  ★ 京極夏彦『姑獲鳥の夏』より。

建物というのは、人間と同じで、循環器系や消化器系の障害から先に死んでいくものだという話を聞いたことがある。つまり、鉄筋コンクリート造りのビルは、外部構造的には、ほとんど不滅と言っても良い耐久力を持っている。しかし骨格と筋肉が不滅でも、配管や電気系統がダメになった時点で、そのビルディングは生命をなくしてしまうというのだ。

  ★ 小田嶋隆『パソコンゲーマーは眠らない』より。

建物にある水道管、地の中の下水道。大事なものはいつも見えない。

  ★ 出所不明。バイト先の事務所に貼ってあった言葉。

たとえ、共同研究によって真理を発見しても、再びそれを個人の個性的な文章によって書きとめるより仕方がないのが人文科学の運命なのである。

  ★ 梅原猛『隠された十字架 ── 法隆寺論』より。

たとえ今日負けても、人生は続くのさ。

  ★ メチージュ。

例え五千万の人が馬鹿なことを言おうと、それはやはり馬鹿なことだ。

  ★ アナトール・フランス。

たとえテストのためであったとしても、質問するときにはそのことを裏に隠して、効果的な質問をするような工夫が必要だと思います。清く正しく裏表のある人になりましょう。

  ★ 黒木玄。「黒木のなんでも掲示板」より。

たとえば、女の子をデートに誘うときでも、企画に具体性がないとダメなのと同じだ。「飲みに行こう」とか「ドライブに行こう」ではダメなのだ。「外人しか来ない秘密のバーに行ってライム入りのコロナビールをストローで飲みながら、SMショーを見に行こう」という男と、ただ「ねえねえ飲みに行こうよう」という男のどっちに女の子はついていくかだ。つまり、その差は具体性なのだ。「ドライブに行こう」ではなくて「地球の丸く見える丘公園に行って、帰りに水族館でゴマアザラシの赤ちゃんを見てこよう、お昼は駅弁を買うのがいいね」でなければならないのだ。

  ★ 中谷影宏『面接の達人'93バイブル版』より。

たとえばこの街のどこかに君がいるなら
君じゃなくてこの街をたぶん好きになる

  ★ TOM★CAT「IJIWARU」の歌詩。『TOM★CAT』収録。

たとえばチャーミングな会話だとかメイクアップした恋なら欲しくない

  ★ 佐野元春「Come Shining」の歌詩。『VISlTORS』収録。

たとえば七十何歳になる老人たちが演じる芸を、300人ものお客さんが、ぴたっと静かに聞いているという状態は、大変に文化の程度の高いことだと思う。

  ★ 立川談志『現代落語論 ― 笑わないで下さい』より。

例えば100メートル。あれ競技場にお客さん1人もいなかったら、まだ10秒切ってないと思う。

  ★ 千原ジュニア。

たとえ馬糞と呼ばるるとも、賢人と呼ばるることなかれ。馬糞には益あり、賢人には益なし。

  ★ 朝日新聞「素粒子」より。竹下元首相参加の「賢人会議」についてのコメント。誰かの言葉の引用だったと思うが、それは忘れた。

たとえ偏見に満ちた人間の眼からどう見えたって、自然の中にはおかしいものなんて少しもないんだよ。

  ★ ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』より。

他人と時間に無神経。これが田舎ッペです。

  ★ 永六輔『一般人名語録』より。

他人と比較して、他人が自分より優れていたとしても、それは恥ではない。しかし、去年の自分より今年の自分が優れていないのは立派な恥だ。

  ★ ラポック。


他人と比較してはいけません。その人が持っている能力と、その人がやったことを比較しなきゃいけません。そうすれば、褒めることができます。

  ★ 永六輔『一般人名語録』より。

他人に相談をしたり、弱音を吐いたりするのにも、コツがいる。

  ★ 伊坂幸太郎『陽気なギャングが地球を回す』より。

他人に対して不満を持ってもしかたがない。そのことで、自分が不利益を被らないのなら良い。不満は自分に対して持つように。

  ★ 森博嗣『臨機応答・変問自在』より。

他人に向ってあなたの顔色が悪いと決して言ってはならない。

  ★ アラン。

他人に迷惑をかけるのは仕方ないことだ(でも、他人に迷惑をかけられたら怒れ)。辛いことを進んですることなんかない(そんな暇あったら楽しいこと探せ)。

  ★ 松本葉『伊太利のコイビトClick Here!』より。カッコ内も原文ママ。

他人のアドバイスを受けて、そちらの方が良かった……、そういう経験って素敵ですわね……。

  ★ 森博嗣『すベてがFになる』より。

他人は基本的には自分と同じで、同じような価値観や問題や感情を持っていると、私たちはふつう信じている。したがって他人である相手が自分の期待通りに行動しないと、それはこちらの期待に反したものであり、その望ましくない彼らの行動は、敵意や性格の欠陥や個人的な「問題」の結果にちがいないと思う。それが「論理的だ」と思うのである。だから、結果的にその相手が変わるかどうかは、彼ら自身が決めることだと私たちは思いこんでしまうのである。

  ★ ロバート・M・ブラムソン『「困った人たち」とのつきあい方』より。

他人もまた同じ悲しみに悩んでいると思えば、心の傷は癒されなくても、気は楽になる。

  ★ シェイクスピア。

他人を信じるな。自分も信じるな。

  ★ 曽野綾子『アラブの格言』より。

他人を必死と認定すれば安心できますか?
なるほどなるほど。

  ★ 2ちゃんねるより。

楽しい思い出がなかったら、つくればいい。これからつくればいい。

  ★ 浦沢直樹『MONSTER』より。

楽しい顔で食べれば、皿1つでも宴会だ。

  ★ ブルデンチウス。

たのしみは銭なくなりてわびをるに人の来りて銭くれし時

  ★ 橘曙覧『独楽吟』より。

たのしみは世に解がたくする書の心をひとりさとり得し時。

  ★ 橘曙覧『独楽吟』より。釈迦でさえ、悟りを開いて2週間、菩提樹の下で1人、悟った喜びにニヤつきながら過ごしたのだ。

煙草吸う奴は正気じゃない。

  ★ 森博嗣『冷たい密室と博士たち』より。

 旅に出るときにいつもチケット屋さんに、こう相談して探すんです。「暖かくて、物価が安くて、人々が暖かく迎えてくれて、のんびりできるような国、どこかないですか?」って。だいたい、非常に嫌われますけどね(笑)。
 赤道に沿った暑い国が多いですね。食い物に不自由してないから、よそ者が来ても、気にせず受け入れてくれるんです。とくに、海辺やったら魚がおるし、バナナの木があったり、マンゴーがなってたりしますからね。寒い国の人って、やはり自分の食べ物を確保しなければいけないという防衛本能や、奪いに来たんちゃうかという警戒心が強いような気がします。

  ★ 久路流平。中島らも『訊く』より。

旅には目的がない方がいい。

  ★ 麻耶雄嵩『あいにくの雨で』より。

たぶんこの世は、別の惑星の地獄にちがいない。

  ★ オルダス・ハックスリー。

たぶん僕たちは図式どうりにやっただけなのでしょう。恋愛の至高の瞬間から日常へ、詩から散文への地獄下りのコースを。

  ★ 中島らも『頭の中がカユいんだ』より。これは彼の小説だが、このネタ元だと思われるものを彼はエッセイ集『恋は底ぢから』に書いている。ちょっとご紹介しよう。

稲垣足穂は、かつて恋愛と結婚のことについて、「結婚するということは、恋愛という『詩』から日常という『散文』へと下っていくことです」と述べている。確かにこれ以上の的確な表現は他にないだろう。恋愛を「関係」という見方でとらえてしまうと、そこには至高の瞬間から退屈な日常への地獄下りが待っているだけの話である。

たぶん、他のどんな要因よりも、健全な自己評価こそが、自己実現と幸福をもたらすカギとなるだろう。

  ★ D・ウェイトリー。

たぶん、「わかるわかる」は、本当の意味で内容を理解しているじゃなくて、もっとぼんやりした「共感」を表現しているのだろう。

  ★ 菊池誠『科学と神秘のあいだ』より。

食べ放題は、どちらかが料理を取りに行って席を離れがちで、会話する時間が少ないため、会話が弾まない相手との会食にも良いスポットです。

  ★ 辛酸なめ子「食べ放題必勝法」より。

食べ物の好き嫌いはあります。私の嫌いなものは、まずいものです。

  ★ 永六輔『一般人名語録』より。

食べられるときに食べておかなけりゃ、いざっていう時に何もできないぜ。逃げることだってな。

  ★ 『機動戦士ガンダム』より。

食べる客がいなければ、コックは料理を作れないのである。

  ★ 海老沢泰久『美味礼讃』より。


「だまされて入信するやつがバカなんだから、ほっとけ」と言うやつがいるが、それは絶対ちがう。だまされやすい程、真面目な人間ってのもいていいのだ! だますやつを許さん!

  ★ 小林よしのり『ゴーマニズム宣言』より。

だまされる人間に共通する特徴は、愚かさではなくて、傲慢さなのだ。

  ★ 小田嶋隆。ブログ『偉愚庵亭憮録』より。

魂の漆黒の闇の中では、時刻はいつも午前三時だ。

  ★ F・スコット・フィッツジェラルド。

たまたま店頭にて、ジャケットが気に入ったからというミーハー的購入意欲だけで、なんらレコード屋さん側としても「これイイからよ!!」みたいな扱いも無く、すみっこのアフロ・コーナーに私だけを見すえるようにチマーッと置かれてあったのを、まるで万引きでもするかのように、ひっそりとスリリングに「下さいな」と、レジの綺麗なネエさんに差し出したわけです。

  ★ 桑田佳祐『ケースケランド』より。

たまにこういう時がないと、やりきれなくなるんだ。毎日毎日人の生き死にを目の前にしているとね……。だから医者は、出世や金や自分の研究のことだけ考えているほうが楽なのさ。

  ★ 浦沢直樹『MONSTER』より。

民は ── いや、民にかぎらず、凡庸な者は士大夫といえどもそうですが、古きになれて、新しいことは単に不なれであるというだけできらうものです。

  ★ 海音寺潮五郎『孫子』より。

溜息を1つつくごとに、幸せが1つずつ逃げていく。

  ★ 北川美智子。友人の嫁。

ためしに新刊の雑誌を図書館で読んでみるとよい。おもしろくもなんともないはずだ。雑誌は、書店店頭の活気の中、肘でこずきあいながらの立ち読みが最高である。

  ★ 西岡文彦『図解発想法 ── 知的ダイアグラムの技術』より。

便りあるかと聞かれる度に 別れましたと言うつらさ

  ★ 都々逸。

堕落した女を責めるな。その哀れな魂がどんな重荷に打ちひしがれたか誰が知ろう。

  ★ ヴィクトル・ユーゴー。

堕落者は生きた自殺者である。

  ★ オルテガ『大衆の反逆』より。

誰か上の方で俺を好きなんだ。

  ★ 映画『傷だらけの栄光』より。神サマのことね。

誰か殺すたびにいちいち気分が悪くなってんじゃ、次の瞬間に別のやつにやられちまうぞ。

  ★ 高見広春『バトル・ロワイアル』より。

誰かとデートしたいと思ったら、会社の中で一番美しい女性に勇気を出して申し込むといい。思わぬ拾いものをするものである。

  ★ 出所不明。

だれがぼくの名を呼んでくれる?

  ★ 萩尾望都『トーマの心臓』より。

誰かも言っていた気もするが、引越しってのは自己消滅過程のシミュレーションって感じがする。

  ★ super-parano。

誰かを愛するっていうのは、別の誰かを愛さないっていうことだ。

  ★ 高見広春『バトル・ロワイアル』より。

誰かを食事に招くということは、その人が自分の家にいる間じゅうその幸福を引き受けるということである。

  ★ ブリヤ・サヴァラン『味覚の生理学』より。

誰かを信じるっていうのは ── 難しいな。

  ★ 高見広春『バトル・ロワイアル』より。

誰かを好きになれる度合は、自分のことを好きでいられる度合に比例する。

  ★ 伊藤守『恋の法則100』より。

誰しもがそのゴーグルの下に、美しい顔を期待したはずだと思う。スキー場とはそういうものだ。

  ★ 我孫子武丸『かまいたちの夜』(ゲーム)より。

誰でも、コンピュータが理解できるコードは書けます。優れたプログラマは、人が理解できるコードを書きます。

  ★ 柴田芳樹「リファクタリングの勧め」より。『JAVA PRESS』Vol.12所収。

誰でも人を愛することができるわ。でもそれは人を所有するということじゃないわ。

  ★ 映画『予期せぬ出来事』より。

誰にだって命よりも大切なものはある。

  ★ 工藤かずや作・浦沢直樹画『パイナップル・アーミー』より。

誰にとっても、10年っていうのは奇跡でしょ?

  ★ UA。『THE BIG ISSUE JAPAN』より。

誰も、あなたを夢中にさせるために、生まれてきてはいない。

  ★ 伊藤守『恋の法則100』より。

誰も恨むわけにはいかねえな、そういうことは。そりゃこっちが想う分だけ向こうが想ってくれりゃ、世の中に失恋なんてなくなっちゃうからな、そうはいかねえもんな。

  ★ 映画『男はつらいよ』より。

だれもが目に見えない看板を首からさげて人生を歩んでいる。その看板には『大事にされていると感じさせて』と書かれている。

  ★ メアリー・ケイ。ダニー・マイヤー『おもてなしの天才 ── ニューヨークの風雲児が実践する成功のレシピ』より。

だれもがやり場のない被害者意識を抱きながら悶々として生きている。ところがその「被害」をもたらす加害者の中に、実はしっかりと僕たち自身も組み込まれてしまっている。そして、そのシステムの外で生きることはできないようになっている。

  ★ 山崎浩一。これは彼の考え方の根底を的確に示している言葉だと思う。他にも彼の文で『ひえたろう』に引用したものを載せると、

 ……おそらくもうじき、アジアの難民(偽装も含めて)たちに対しても、この国の人々の被害者意識は、いかんなく発揮されるのだろう。
 「近所に難民が増えて治安が不安です。犯罪や病気が蔓延したら、いったいだれが責任を取ってくれるんですか」
 「わたしたちは豊かなんかじゃありません。マンションのローンに四苦八苦ですし、株で大儲けするほどの元手はないし、定期預金だって利息は低いのです。そんなわたしたちの生活に幻想を抱かれるのは迷惑です。国へお帰りなさい」
 「難民の人たちはくさいし不潔です。町の衛生と美観を損ないます。どうか民主的に解決してほしいと思います」
 難民が発生する原因には、日本経済が大きく加担していること、そして自分たちがそんなシステムのおかげで繁栄していること。つまり自分たちが難民にとっての間接的な加害者でもあること ── そんなことは知ったことではないし、知りたくもないし、そもそも全然知りもしないのだ。ハエが大発生したといって保健所に苦情の電話をかける。その原因がテメエらが出した大量のゴミであることなど考えもしない。それが今のおバカさんなぼくたちの姿だ。

カッコ内も原文ママ。また、トルストイの言葉で

人びとは、自分がその原因をなしているということは知らずに、他の人びとの苦悩に同情しているのだ。

というのがある。

誰も自分の人生を他人に保証してもらうわけにはいかない。

  ★ サム・ウォルトン。

誰も知らないような本を探し出すのが古本屋で、それを生かすのが先生。でなければ先人の研究を超えられません。最近はそんな研究者は少なくなり、需要も減りまして。

  ★ 星野信昌。古書店「楽人館」店主。

誰も、好きで大人になるわけではない。凡人は現実的になるほかに生きる術を持たない、と、それだけの話だ。私とて、自分に世の中を変えるような才能があったら、大人になんかならなかったと思う。

  ★ 小田嶋隆。Webサイト「小田嶋隆の岩窟党宣言」より。「ASAHIパソコンNEWS」所収。

誰もすべてを手にすることはできない。それは禁じられているのだ。ならば選ぶことを学ばなければならない

  ★ どこぞのHP。何か出典がありそうだ。

誰も何物も所有してはいない。誰もが持っているのは、自分の所有物と仮定されたものの使用権だけである。

  ★ フィリップ・ワイリー。「生態学上の法則」。

誰も本当は理解していないのに、ただひたすら試験にパスし、次に来る者もまた試験にパスできるように教えるという自己増殖的なこのシステムの中で、いったいどのようにして真の教育ができるのであろう。

  ★ R・P・ファインマン。

タレントがCMに出て、それで人気が高くなる場合もあるけど……。焼そばのCMに出ると、どうして落ち目になるのかね。

  ★ 永六輔『一般人名語録』より。理由は簡単。落ち目の人(顔が知られててギャラが安い)を使うからだ。

啖呵を切るってことは、余程の甲斐性が要る。

  ★ 中村鋭一。

団結できて素晴らしかった。

  ★ 大久保嘉人。

断言できない魅力の無さが家路を阻むよ
 極論できないセンスの無さが家路を阻むよ

  ★ 突然段ボール「Around The Lost World」の歌詩。

探検と冒険の違いは、帰ってくるかどうか。

  ★ 荒俣宏。

短日の燃やすものもうないかしら

  ★ 池田澄子。

【誕生(BIRTH)】あらゆる災難の中で、最初で、しかももっともものすごいもの。

  ★ アンブローズ・ビアス『悪魔の辞典』より。

誕生の日は死に向かって1日だけ進むことである。

  ★ フラー。

誕生日やクリスマスは、失望のタネにこと欠かない。

  ★ デボラ・タネン『「愛があるから…」だけでは伝わらない』より。


「男女同権」とは、男の地位が、女の地位にまで上がったことなのです。

  ★ 太宰治。

男性より女性の方が、感受性がするどいというか、素直なのではないだろうか。調子のいいことを言うようだが、たとえば、僕の歌をいいと言ってくれる人は、どちらかというと女性の方が多いような気がする。もちろん偏見だ。願望だ。犬好き猫好き女好きだから許して。しかし、僕のまずい歌をいいと認めてくれた男の人がいる。素通り出来なかった人がいる。信じ通してくれている人がいる。だめな時は黙っていて、いい時はいいと言ってくれる人がいる。能力のない僕が、裏切れない、頑張ろうと思う時は、ふとそんな人たちのことを思う時だ。

  ★ 早川義夫。Webサイト『早川義夫公式サイト』より。

だんだん地面からゆっくり抜かれていく植物みたいな気分になってくるんだ。

  ★ エリック・レイモンド『たのむよ、仕事かわってくんない?』(Take My Job, Please!)より。

担当者がいないのでコメントできません。

  ★ 如是我聞。


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