<今号の名言>集


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赤色のマーク(など)が最終更新分です。










もうあんたの知ってる私じゃない。
お前ェを知ってるのは俺だけだ!

  ★ 映画『チャーリーズ・エンジェル フルスロットル』より。

もういい
自殺するーと言った
死ぬのがこわくないってばかだなー
本当のばかだよ おまえさんは
死んだ人とか幽霊にあやまれー!!
人生楽しいー!!

  ★ サマー『姉ちゃんの詩集』より。

儲けたカネは残らない。倹約したカネが残る。

  ★ 如是我聞。

もう恋なんてしない、と言っている自分に恋してる。

  ★ 伊藤守『恋の法則100』より。

もう、こうゆう懐古ものはいい加減にしたらどうかと思う。「懐かしがり飽きた」ともいうべき訳のわからない状態に突入して、すでに何年も経っている。

  ★ ナンシー関『何もそこまで』より。

猛暑にどう対処すべきかをコンゴ人に教えたがるエスキモーは必ずいるものだ。

  ★ S・レック。全く関係ないが、こういうジョークもある。

就職面接でのこと。
セールスの経験は?
冷蔵庫を3台売りました。
冷蔵庫ぐらい、誰だって売る。
エスキモーにですよ。

ジムは森林管理局の求人に応じた。前はどこで働いていたかを尋ねられると、彼は答えた。
サハラ砂漠で木こりをしてました。
でも、あそこには木は生えてないはすだがね。
ええ、もちろん今は生えていません。

もう少し 側に居れたら

淋しさも 見えたはず

僕がとても 幸せだから

君もそうだと思っていた

  ★ チャゲ&飛鳥「さようならのしあわせ」の歌詩。『Z=ONE』収録。

毛沢東とか周恩来という、いまの中国をつくった創業者は、共産主義であれ何であれ、えらい苦労をしてきた連中だ。多くの死線を越えてきた。それだけに、すべてないものづくしの中で、あのでかい国をやりくりしていくためには、いま何が必要かということがよくわかっている。だから、あの連中が元気なうちに、この勝負を決めなければならないんだ。

  ★ 田中角栄。早坂茂三『オヤジとわたし 田中角栄との23年』より。

盲点は驚くほど大きく、夜空に浮かぶ満月9個分に近い視野を占めている。

  ★ V.S.ラマチャンドラン/D.ロジャース=ラマチャンドラン『知覚は幻 ラマチャンドランが語る錯覚の脳科学』より。

もうひとつ、これは日本人の文化に対する考え方の問題ですね。僕は長いこと現代美術の世界にもいて、いろいろ動きをつくりだそうとしてきたけど、今になってあらためて考えると、結局日本人には現代美術はいらないのかなって思う。というのは、現代美術のギャラリーや美術館がつぶれるっていう話になったとき、アーチストからも観客からも保存運動が起きない。欧米だったら必ずそういう話が出てくるんですが。

 あるいは市で劇場をつくって、そこでちょっと前衛芸術的なことをやると、私たちの税金を使って私たちのわからないものをやるな、みたいな話になってしまう。「私にはわけがわからない、私は見に行かない、でもあれは文化全体のために何か必要なものなんだろう」っていう感覚がないでしょう。

 日本人が文化としているものが、つくっている人の思い込みだけでやっているものになりつつあるんじゃないでしょうか。だとするとかなりキツイ話なんだけど。

  ★ 今野裕一。ペヨトル工房主宰。

盲目的なエロース(男女間の愛、また価値高いものへの愛)は、世界内の一存在にすぎぬ人間を、自分の全存在の意味に化し、その人にすべてをかけて、愛情に自分の生き甲斐を見出そうとする。それは美しい ── 実際、感動的ですらあるのだ。
 しかし所詮、人間は誰もその重みを負うに耐えないのである。1人の人間に、他の人間の全存在を支えることなどできはしない。こうして葛藤と悲劇が起こる。

  ★ 八木誠一『キリストとイエス ── 聖書をどう読むか』より。それをどう克服するかが、キリスト教と仏教の大きな違いだろう。

猛烈に暑い。

どうやらハルマゲドンはすでに始まっている。

仔細に観察すれば、明らかだ。

気づいていない連中は要するに霊性が低いのだ。

第一、この暑さがエホバ神のメッセージでなくてなんだというのだ。

主よ。

それにしてもあんたは最低のクソ野郎だな。

最後の審判が誤審だらけだなんて、まさかとは思っていたが、あんたにはまじめに仕事をやる気がはなっから無かったってわけだ。実行力はともかくとして、判断力について言うならあんたの実力はオサダ主審と同程度だ。

謙虚になれよ……って、あんたにだけは言ってもムダだろうな。

釈迦に説法をする方がまだ見込みがありそうだ。

  ★ 小田嶋隆。Web日記「偉愚庵亭日乗」より。

萌えいずるも 枯るるも同じ 野辺の草 いづれか秋に あわで果つべき

  ★ 『平家物語』より。

萌絵が見たところ、つまらないミステリィには2つのパターンがあった。1つは、男女の愛情のもつれが原因か、遺産などの些細な諍いの結果で起こる普通の殺人事件で、だいたい殺人場所は、田舍か観光地の温泉だ。もう1つは、とんでもなく非現実的な豪邸で、嵐の晩に雷が鳴っていて、死体が発見され全員が唖然としているときに、少女か少年が呪いの文句を語りながら笑う、といったパターンである。前者に决まって登場する和服の古風な美人も、後者に不可欠な無口な美少女や美少年も、いずれも博物館の蝋人形みたいに、現代社会を生きているとは思えない。

  ★ 森博嗣『幻惑の死と使徒』より。

木星莊 百階に來よ 千メートル下に 世界の亡ぶるが見ゆ

  ★ 塚本邦雄『魔王』より。

目標とか夢っていうのはなかなか見つかるものではないのでゆっくり見つけていけばいいと思うんだ。何もないっていうのはすごく夢のあることなんだ。だからそれを悪く思わないほうがいい。

  ★ リリー・フランキー。Webサイト『テレビ・ラジオ・芸能1000ネタ大行進』より。

もぐらは、毎日自分の重さと同じだけ食べます。
先生、どうしてもぐらは自分の重さがわかるんですか?

  ★ 出所不明。何かのジョーク集だったと思うが。

もし神様がわれわれをエコノミークラスで旅行させるおつもりだったら、人間をもっと細く作られたであろう。

  ★ マーサ・チマーマン。元スチュワーデス。

もし君が偏った価値観から自分を守りたかったら、自分の目と耳を頼りにすることだね。テレビを捨ててしまえば、君の目は、少なくとも今よりは正しく、しかも多くのものを見ることになるよ。

  ★ 森博嗣『幻惑の死と使徒』より。

もし君が、生涯を捧げると誓った女性に裏切られたらどうする?
うん、そうだな……
僕なら、殺す。殺して僕も死ぬ。それが一番妥当な方法だと思わないか。
ははは、そんなことしたいとは思わないな。女なんて星の数ほどいるんだし、自分を嫌っている女を殺して後を追うなんて最もつまらない。どうせなら、好きな同士で心中した方がまだましだ。
後を追うわけじゃないさ。殺すのは罰、死ぬのは贖罪だ。自分の始末をどうつけるか、そういう問題だ。

  ★ 井沢元彦『ダビデの星の暗号』より。

もし、すべての芸術が、ちょうど大切な人への手紙を書くようにして生み出されるならば、どんなに素晴らしいことだろう。

  ★ 西岡文彦『図解発想法 ── 知的ダイアグラムの技術』より。

もし調子がいいようだったら、リスクを負ってでも勝負しなさい。勝負をしない者はけっして何も得ることはできないのだと肝に銘じてほしい。

  ★ リカルド・ダンジェロ。バンデルレイ・デ・リマに宛てたメモ。

模試で1位取るより大学に受かる方が1000倍楽だよ。

  ★ 大場つぐみ・小畑健『DEATH NOTE』より。

もし1人を除いた全人類が同一意見であり、そのただ1人だけが反対意見であったとしても全人類がその1人を沈黙せしめることが不条理であるのは、その1人が仮に権力を手にしたとき全人類を沈黙させてしまうことの不条理であるのと、何の変わりがあろう。

  ★ J・S・ミル。

もし未来が、予言の標的たりえないとすれば、その未来が現実となり、そして過去となった場合ですら理解しえないであろう。

  ★ オルテガ『大衆の反逆』より。

もしも、事実が理論と合わないことになったら ── 理論は捨てることですね。

  ★ アガサ・クリスティ『スタイルズ荘の怪事件』より。探偵エルキュール・ポワロの言葉。

もしもし、どうしたの? 珍しい。
写真立てが倒れたから何かあったかなーと思って。

  ★ 少年少女。

もしも人間の価値がその仕事で決まるならば、馬はどんな人間よりも価値があるはずだ。馬はよく働くし、第一、文句を言わない。

  ★ ゴーリキー。

もしも光がまだおいらに当るなら
それをどんなに待ってるさ
ずっと以前まえのことだけれど
その光に気付いていたのだが逃がしただけさ
だけどふたたびいつの日にか
あの光がおいらを照らすだろう

あの光そいつは
古びた町のガス灯でもなく
月灯りでもない
スポットライトでなく
ローソクの火じゃない
まして太陽の光じゃないさ

あの光そいつは
あんたの目にいつか輝いていたものさ

またおいらいつか感じるだろうか
あんたはなにを知ってるだろうか

  ★ 浅川マキ「それはスポットライトではない」の歌詩。詞はG.Goffin。訳詞は浅川マキ。

もし私が親だったら「果たしてこの子の奇妙な個性を伸ばしていいものかどうか」について悩むだろうと思う。なぜなら、個性とは、ともすると世間と相容れない奇妙な傾向だからこそ個性と呼ばれるのであるし、教育というのは、そういった不揃いで偏奇な個性をへこまして、なんとか俗世間に対応できる型にはめ込んでやる作業だからだ。

  ★ 小田嶋隆『パソコンゲーマーは眠らない』より。

もし、悪いことをしなければ食えないようになったら、ためらわずに国に帰ってこい。

  ★ 田中フメ。田中角栄の母。

勿論、歌なのであるから、なかで歌われるコトバに現実的な辻褄を求めるのは、間違っている。しかし歌とは、夜見る夢がそうであるように、どんな矛盾も継ぎ目も一切気にならぬものでなければ困る。

  ★ 近田春夫『考えるヒット2』より。

もちろん彼らにしたってそういつもいつも楽しいことばかりではないと思う。泣いてみてもどうにもならない時、人はよく笑うものだ。

  ★ 小田嶋隆『我が心はICにあらず』より。

もちろん、観察できないということと、存在しないということとは科学的には大きな隔たりがあるが、人間社会の一般的な相互関係に関して言えば、通常、この差異は極めて曖昧となる。観察できずに存在する例外が、極めて少ないと言って良いからだ。

  ★ 森博嗣『冷たい密室と博士たち』より。

もちろん、教養なんてことを気にするのは、精神の老化現象に過ぎないのだとは思っている。

  ★ 小田嶋隆『仏の顔もサンドバッグ』より。

もちろん、自分と同じ妄想を抱いている人間が他にも大勢いることを示したって、本当はなんの根拠にもならないのだが。

  ★ と学会編『トンデモ本の世界』より。

もちろん人生とは崩壊の過程である。

  ★ F・スコット・フィッツジェラルド。

もちろん、世の中には万能のものなんか存在しない。だから、万能だって言われたら、つまり何の役にも立たないんですね、って言っちゃってもいいくらいだとは思う。

  ★ 菊池誠『科学と神秘のあいだ』より。

 もちろん、レッテル貼りや図式的思考そのものが悪いのではない。正確なレッテルや的確な図式は、論点をはっきりさせ、事態を正しく説明するのに有用である。化学薬品に貼られたレッテルや数学の図式を思いおこせば、それはわかるはずだ。
 だが、レッテルが不正確であったり、図式が成立する前提が疑わしかったら、それは何の役にも立たない。むしろ、レッテルや図式に自縄自縛になり、判断を誤ることになる。
 例えば、右翼・左翼という言葉。あいつは右翼だという言い方で相手を批判し得るか。
 批判し得ることもある。それは、自分も相手も、左翼は良い右翼は悪いという共通認識を持っている場合だ。
 しかし、右翼に向かって、お前は右翼だと百回言おうと千回言おうと、相手を論破したことにも批判したことにもならない。
 これは、きわめて当り前のことだ。
 だが、この当り前のことがほとんどなされず、あいつは右翼だと何回も言うことが“思想力”が高いことだとされているのである。

  ★ 呉智英『インテリ大戦争』より。

持って出たからにゃ 降ってもらわにゃ

  ★ 桂枝雀。川柳の会での作品。お題は「傘」。桂三枝「あすへの話題 - 枝雀氏のサービス精神」(日本経済新聞掲載)より。

もっといい人がいるかもしれない? たぶんね。そうやって、永久に、誰も愛さない自分を正当化していなさい。

  ★ 伊藤守『恋の法則100』より。

もっとも美しい化粧は、笑顔である。

  ★ 如是我聞。

もっとも完全な社交術を持つためには、すべての女性に対して君が彼女を恋しているように話しかけよ。そしてすべての男性に対しては彼が君にうんざりしているように話しかけよ。

  ★ ワイルド。

最も大切なことは、他人に信用されるにはどう振る舞ったら良いかを覚えることだと思う。

  ★ 森博嗣『臨機応答・変問自在』より。

もっとも難しい3つのことは ―― 秘密を守ること、他人から受けた危害を忘れること、暇な時間を利用すること。

  ★ キケロ。

もっとも、問題を解くことに比べて、解答の意味するところを思慮することは格段に困難です。

  ★ 森博嗣『冷たい密室と博士たち』より。

もっぱらプラセボ効果をあてにする治療法はすべて、医療として不正だとも言える。

  ★ サイモン・シン、エツァート・エルンスト『代替医療のトリック』より。

もてる人は、まわりの人をよくしようとする。もてない人は、自分だけよくなろうとする。

  ★ 伊藤守『恋の法則100』より。

求められる前に忠告するな。

  ★ エラスムス。


元モデム

  ★ matikotima。「第3回 IT駄洒落コンテストNEO・結果発表!」より。

求めれば求めるほど見失うように、それは口に出せば嘘になってしまうようなものだ。僕は誰々を一生愛しますとか、僕はこれだけは誰よりも自信あるんだ、と思うことは素晴らしいのだけど、ひとりごとならいいのだけど、聞こえよがしに言うことも可愛げがあっていいんだけど、とくとくと説明されると「嘘つけ」といいたくなってしまう。

  ★ 早川義夫『ラブ・ゼネレーション』より。

もともと西洋の日本文化学においては、日本の芸術と文学の美的な魅力ばかりが強調され、知的な側面、あるいは政治的な側面は無視されてしまいがちだった。政治と抽象理論は、近代的な西洋の専売特許とされていたのだ。日本にあてがわれた仕事は、かわいらしい画と叙情的な詩を生み出すことだった(……なぜ坂本九はセンチメンタルなバラードのシンガーとして西洋で成功を収め、だが荒々しいロカビリーのシンガーとしては受け入れられなかったのか?)。この手の日本学は大部分、冷戦時代の初期につくりあげられ、日本のイメージを、信用ならない敵から愛すべきアジアの同胞へと刷新したがっていたアメリカ政府のニーズにも合致していた。

  ★ マイケル・ボーダッシュ『さよならアメリカ、さよならニッポン ── 戦後、日本人はどのようにして独自のポピュラー音楽を成立させたか』より。

もともと不完全きわまりない理論の寄せ集めでしかない“知の体系”を絶対的に信仰して、世界を理解したような気になってしまうことこそが、最大の神秘主義なんじゃないの?

  ★ 山崎浩一『なぜなにキーワード図鑑』より。

 もともとヨーロッパ絵画においては、自然の風景は背景としてしか認識されなかった時期が長く、純粋な風景画は17世紀になってやっと登場している。
 中国における水墨風景画が12世紀にしてすでに比類のない完成の域に達していたことを考えれば、ヨーロッパ絵画は、こと自然を見る眼について、おそろしく奥手であったことになる。

  ★ 西岡文彦『図解・名画の見方』より。

もとより、あらゆる物書きは罪深い存在である。一枚の原稿を書くたびに、その陰で10人の人間が死んで行くようなおぞましさを引き受けることなしには、物書きにはなれはしない。

  ★ 呉智英『現代マンガの全体像』より。

モナリザの笑顔も男にとってはシゲキの少ないママゴト
月までの旅路も女にとっては実りの少ないタワゴト

  ★ 井上陽水「ラヴ ショック ナイト」の歌詩。『ライオンとペリカン』収録。作詞は井上陽水。

ものごとに驚き、不審を抱くことが理解への第一歩である。それは知的な人間に特有なスポーツであり、贅沢である。だからこそ、知性人に共通な態度は、驚きにみはった目で世界を観るところにあるのである。しっかりと開かれた瞳にとっては、世の中のすべてが不思議であり、驚異である。この驚嘆するということは、サッカー・プレーヤーには与えられていない喜びである。知性人は、この無上の喜びに駆りたてられて世の中を彷徨し、観想者ビシオナリオとしての絶え間ない陶酔にひたるのである。彼らの属性は驚きの目なのだ。だからこそ、古代人は、梟というつねに目を光らせている鳥をミネルヴァの付き物としたのである。

  ★ オルテガ『大衆の反逆』より。

物事はただ起こるだけ。

  ★ リッチー・ブラックモア。DEEP PURPLE、RAINBOWのギタリスト。

物と物を結ぶという意味では、箸、階、梯、橋、梁などが“はし”と読まれる。柱も上と下を結ぶという意味で同義の言葉である。端を表すものには、嘴という鳥の端部を示す言葉もある。“はし”は古代においては同じ概念で包括されており、漢字の移入とともにその意味が分化してゆくことになったと想像される。

  ★ 松村博『八百八橋物語』より。

ものの本によると、動物園の毒蛇がわが身にかみついて死んだという記録があるそうだ。自殺はもっと下等動物にあるのかもしれない。ハタラキアリなんてものは、何のために生きているのかわからない。彼らは寿命で死ぬのではなくて、みな自分のしていることにきづき、ばからしくなって自殺しているのではないかと思う。

  ★ 星新一『進化した猿たち』より。

ものを思わないことのすごさが、日本中を席巻していることをきちんと把握しておくべきだろう。

  ★ 呉智英『知の収穫』より。

物を所有するにはやはり分際というものがある。

  ★ とり・みき『とり・みきの大雑貨事典』より。

もはや愛してくれない人を愛するのは辛いことだ。けれども、自分から愛していない人に愛されるほうがもっと不愉快だ。

  ★ ジョルジュ・クールトリーヌ。

もはや中流の時代ではありません。さあ御一緒に上流生活を目指しましょう、と言い出すのは、間近だ。

  ★ 景山民夫『だから何なんだ』より。

 もはや“ロック=不良”みたいな体育会っぽい発想が、まかり通るほど世の中全般可愛くもなんともねェとは思うが、例えば『グラミー賞』でエラ・フィッツジェラルドとM・T(マンハッタン・トランスファー)のアカペラ・スキャットを見た時、俺はどうしたらいいのか分からなくなってしまった。つまり見て聞く立場としての余裕が全部吸い取られちまったのである。これは感激だった。だから隣のやつ突っついて「良かったねェ」どころではない。思わずTVの前で踊った……それしか憶えていない。
 本当の意味でこういうことが早く我が日本のシーンの中で現実となることを願って、俺達アーティストはもうちっと頑張んべェと思う。まだまだジャパニーズ・オーディエンスには余裕があり過ぎる。「過激」というより、単に「感心」といったニュアンスに近い気がする。

  ★ 桑田佳祐『ケースケランド』より。

桃太郎、一寸法師、丹塗矢伝説……神の子はみな、深山から川に乗って人里へやってくる……

  ★ 諸星大二郎『天孫降臨 ── 妖怪ハンター 稗田礼二郎フィールド・ノートより』より。

 森脇健児とか山田雅人とか、人を笑わせたこともないのにお笑いを名乗るなよな。
 私が最近一番嫌なのが中山秀征(元ABブラザーズ)。こいつの態度たるや噴飯もの。基本的姿勢は「最後まで気取れないのがお笑いの宿命なんすよ、オレって」であるが、こいつはお笑いなのか。
 誰も認めとらんぞ。
 根本的なところでお笑いを差別してる。お笑いは無審査だと思ってる。

  ★ ナンシー関『何をいまさら』より。

もろもろの業、太陽のもとにては蒼ざめたるかな。

  ★ ソロモン。

文句なしにいい作品というのは、そこに表現されている心の動きや人間関係というのが、俺だけにしかわからない、と読者に思わせる作品です。この人の書く、こういうことは俺だけにしかわからない、と思わせたら、それは第一級の作家だと思います。

  ★ 吉本隆明『真贋』より。そうだとすれば、第一級の作家と魔性の女というのは似てるね。

問題解決の手段が欠けているわけではない。欠けているのはなのだ。

  ★ オルテガ『大衆の反逆』より。

問題そのものをわかりやすくしてしまうような入門書なら読まない方がよい、と私は思っている。それは、1つの哲学説を、すでに知っている問題に対する解答へと引き下げてしまうからである。

  ★ 永井均『ウィトゲンシュタイン入門』より。

問題を起こすのではなく、解決する人間になること。

  ★ テッド・ターナー。ボー・バウマン編『人生でいちばん大事なこと』より。この本は13歳の男の子がたくさんの有名人に「人生でいちばん大事なことは何ですか?」と質問し、それに返ってきた答えを集めたもの。

問題を解くことがその人間の能力ではない。人間の本当の能力とは、問題を作ることだ。したがって、試験で問題を出すという行為は、解答者を試すものではない。試験で問われているのは、問題提出者なのである

  ★ 森博嗣『冷たい密室と博士たち』より。

問題を理解してそれをなおす人物は、必ずしもどころかふつうは、その問題を最初に記述する人間ではない。

  ★ リーヌス・トーヴァルズ。エリック・S・レイモンド『伽藍とバザール』より。


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