<今号の名言>集


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赤色のマーク(など)が最終更新分です。










リアルっていうのが「現実」のことじゃなくて「現実味」のことだとするなら、それは人によって違って当然なんだ。

  ★ 菊池誠『科学と神秘のあいだ』より。

リーダーシップはなにを成し遂げたかではなく、なにかを成し遂げたときに一緒に働いた人がどう感じたかで評価されるものだ。

  ★ ダニー・マイヤー『おもてなしの天才 ── ニューヨークの風雲児が実践する成功のレシピ』より。

リーダーに付いていく立場のスタッフたちにとって、「リーダーの信念」以外に頼れるものはないんですよ。

  ★ 岡田斗司夫『遺言』より。

理系って(いや、理系でなくても、だろう)、ようするに、説明しまくることなのになぁ。

  ★ super-parano。

リサイクルより大切なことは、使い続けることです。

  ★ 森博嗣『すべてがEになる』より。

リスクを承知で勝負するときは、かならず誠実で優秀な仲間に支えられているときだ。

  ★ ダニー・マイヤー『おもてなしの天才 ── ニューヨークの風雲児が実践する成功のレシピ』より。

理性は空想を厳戒し、感情は問いつづける。

  ★ 増谷文雄『仏陀 ── その生涯と思想』より。

理想の選手は、これから常に努力を続けていくことによって実現したいと思っている、自分自身です

  ★ 中田英寿。

理想は高く腰低く

  ★ ミドリ電化のイメージソング「ミドリちゃんの歌」の歌詩。(←リンク先はいきなり音が鳴り出すので注意)

律法が『むさぼってはならない』といわなかったら、わたしはむさぼりというものを知らなかったでしょう。

  ★ 『新約聖書』「ローマ人への手紙」7:7より。山崎浩一『ひとり大コラム ── 僕的情報整理術』には、

「いじめ」というキーワードが氾濫しなければ、いじめられずにすんだはずの子供も少なくないんじゃないだろうか。

  というのがある。

律法を行うことによっては、すべての人間は神の前に義とせられないからである。律法によっては、罪の自覚が生じるのみである。

  ★ パウロ。『新約聖書』「ローマ人への手紙」3:20より。

流血は自由の汚点。

  ★ ACCEPT(ドイツのHMバンド)の曲の歌詞だったと思う。

流言は事実ではなく、うわさである。流言のなかには、結局事実であったことが証明されるものがあるが、「流言」といわれる間は、まだ事実かどうかが実証されていないのである。

  ★ R.L.ロスノウ、G.A.ファイン『うわさの心理学 ── 流言からゴシップまで』より。

理由などというものは、いかに説得力があろうとも、決して全面的な確信を産みはしないものだ。

  ★ アレイスター・クロウリー『神秘主義と魔術Click Here!』より。

理由は存在すればいい。それ以上の意味はないよ。

  ★ 『新世紀エヴァンゲリオン』より。

理由も分からずに押付けられたものを大人しく受取って理由も分からず生きて行くのが、我々生きもののさだめだ。

  ★ 中島敦『山月記』より。

良子はクラシック派で、ジャズは良く解らないらしく見える。コーヒーを飲みながらぼんやりしている。そんな横顔を眺めていると、少し気持ちが咎める。もう少しこの娘を楽しませてやりたい、そう思うのだ。街を歩き、喫茶店に入るくらいしか楽しみ方を思いつけない自分を悲しく思った。もっと金のある連中はどんな楽しみ方をするのだろう。それが解ると、もっと良子を楽しませてやれるんだが、と思う。

  ★ 島田荘司『異邦の騎士』より。

利用されるってことは実力があるってことだ。

  ★ 浦沢直樹『MONSTER』より。

領地と爵位と、金貨? 裏切りの代償か?
平和はそうやって作るんです。
そうやって奴隷を作るんだ。

  ★ 映画『ブレイブハート』より。

良薬は口に苦しというが、この頃の薬はみな甘い。自ら、良薬ではないと証明しているようなものだ。

  ★ 星新一『進化した猿たち』より。ちなみに、「良薬は口に苦し」というのは、

忠言は耳に逆らい、良薬は口に苦し

  という中国の言葉であった。

料理=調理の概念は文化によって異なる。たとえば、英語のcookやcookeryは、ふつうには日本語での「料理をする」ことや「料理」にあたる語彙であると翻訳される。しかし、英語でのcookとは、加熱調理のことである。したがって、日本の料理人にとって重要な技術である刺身をつくることは料理の範疇外とされ、刺身は「料理していない食べもの」であるuncooked foodとされるのである。

  ★ 石毛直道。杉田浩一・石毛直道編『食の文化フォーラム 日本の食・100年〈つくる〉』より。

料理上手な主婦のなかでも、料理派とお菓子派がある。料理派主婦はありあわせの材料で、ささっと手際がよい。一方お菓子派は材料を整え、きちんと計量。コナも念入りにふるいにかけ、おまけにフリルのエプロンが似合う。

  ★ 熊谷真菜。『あまから手帖』2003.03より。

履歴書なんて終了札の入ったパチンコ台と同じだよ。この台は前によく出たよと知らせるだけで、これからも出るとは書いてない。

  ★ 永六輔『一般人名語録』より。

理論の上では、これらの見解は論理の当然の帰結であるとも考えられよう。が、実際問題として、こういうような考え方をするのは、狂気の沙汰に近いものなのではあるまいか

  ★ アリストテレス『生命消滅論』第1巻第8章より。パルメニデスの哲学詩『ペリ・フェセオース』の第2部「真理の道」における説教を検討した後の述懐。

理論は単なる憶測に過ぎない。

  ★ 出所不明。

理論武装できている時だけイキがるのは、子どもじみたみっともない行為です。

  ★ 石原壮一郎『大人養成講座』より。

林檎の皮をむいている人がいるとしよう。その人は皮を全部むかないで、途中でやめてしまった。どうしてだろう?
途中で食べたくなくなった……。
ところが、また、別の林檎の皮をむき始める。そして、これも途中でやめてしまう。
遊んでいるんですね?
一見、とても不合理だけど、そのギャップはどこに生じるのか、というと……、それはね、その人が皮をむいて林檎を食べようとしている、と僕らが勝手に思い込んでいるからなんだ。だから、僕らの目には不合理に見える。林檎をむくのは食べるためだ、とさきに結論を用意して待っているから、そこへ行き着かない現象が不思議に思える。ものを見るまえに、形を決めているようなものだ。たとえば、その人は、皮を調べるために林檎をむいているのかもしれない。果物ナイフの切れ味を調べているのかもしれない。皮をむきかけの林檎の写真を撮りたいのかもしれない。林檎で兎の形を作ったりしていたのかもしれない。……

  ★ 森博嗣『数奇にして模型』より。

隣人の存在をなるべく意識の外に追いやるのが、集合住宅で生活するための知恵。必要以上に仲よくなるということは、いがみ合ったりねたみ合ったりする可能性も高くなるということですから、一定の距離を保つ配慮が大切です。

  ★ 石原壮一郎『大人養成講座』より。

倫理観のなさは断罪されるが、センスのなさは罪にすらならない。

  ★ ナンシー関『聞く猿』より。


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