<今号の名言>集


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赤色のマーク(など)が最終更新分です。










こいつは付き合いたくないっていう人間や自分が嫌いなやつと付き合う必要は、僕はまったくないと思ってるんですよ。付き合う人の代わりはいくらでもいるんだから、必ず。世界には60億人もの人間がいて、10人にひとり、いや100人にひとり好きになる人がいるとすれば、世界中には好きになれる人が6000万人もいることになる。ああこの人、嫌だなああと思ったら二度と会わなきゃいいわけで、この人しかいないと思っちゃうから、カッとしちゃうんじゃないのかな。

  ★ 堀江貴文『「僕は死なない」』より。

恋とは求めること。愛とは与えること。

  ★ 出所不明。

恋に焦がれて鳴く蝉よりも 鳴かぬ蛍が身を焦がす

  ★ 都々逸。

恋にとどめを刺すあらゆる手段の中で、最も確かなのはその恋を満足させることである。

  ★ マリヴォー。

恋の味を痛烈に味わいたいならば、それは片思いか失恋する以外にないだろう。

  ★ 亀井勝一郎。

恋の快楽は一瞬しか続かず、恋の悲哀は一生続く。

  ★ シャリ・ド・フロリアン。

恋の至極は忍恋と見立て候、逢ひてからは恋のたけが低し、一生忍んで思ひ死する事こそ恋の本意なれ

  ★ 山本常朝『葉隠』より。

恋は、するのもしないのも苦しい。恋してかなえられないのは、いちばん苦しい。

  ★ アナクレオン。

恋は盲目と云う。愛は何物にも代えがたいとも云う。崇高なる愛を成就させるため、艱難辛苦を乗り越える類の恋愛譚は、星の数程ある。しかし、そうした話は何故か必ず成就したところで終わってしまうのだ。どんな恋でも、結ばれた後に待っているのは必ずや退屈な日常の筈なのだが、恋愛譚はそこまでは描かない。

  ★ 京極夏彦『塗仏の宴 宴の始末』より。

恋人なら結婚してから探せばよい。

  ★ 映画『ボルジア家の毒薬』より。

こういう車って、新車の時は半完成品だと思えばいい。買ってから、その持ち主があっちこっちをいじって、愛情を注ぎ込んで完成させていく。

  ★ 雑誌『POPEYE』より。ランチア・クーペ・ボリューメックスのオーナーの言。

こういうときに「たとえ話」と言わずに「メタファー」と言う人がよくいるけれど、気取るんじゃないよ。「メタファー」ということばを「たとえ話」の意味で使いたがるヤツはたいがいバカだ。

  ★ 山形浩生『『「知」の欺瞞』ローカル戦:浅田彰のクラインの壺をめぐって(というか、浅田式にはめぐらないのだ) 』より。

行為する者にとって、行為せざる者は最も過酷な批判者である。

  ★ 福沢諭吉。

幸運に適応しなければいけない。

でないと、運が定着しない。

  ★ 小田嶋隆。Web日記「偉愚庵亭日乗」より。

幸運はじぶんがつくる。幸運は発明するものだ。

  ★ ラリー・キング。ボー・バウマン編『人生でいちばん大事なこと』より。この本は13歳の男の子がたくさんの有名人に「人生でいちばん大事なことは何ですか?」と質問し、それに返ってきた答えを集めたもの。

公園のベンチで、男女が抱き合っている。通りがかった警官が、
「あなた方は結婚しているんですか」
「きまってるじゃないか」
「じゃ、どうして家でしないんです」
「そんなことしたら、女房が黙って見ていると思うのかね」

  ★ 立川談志『家元を笑わせろ!』より。

効果には個人差があります。

  ★ 如是我聞。

後悔は、あの世のためにとっておくのが一番いい。この世ではあまり役に立たない。

  ★ ユダヤの格言。

高貴さは、自らに課す要求と義務の多寡によって計られるものであり、権利によって計られるものではない。

  ★ オルテガ『大衆の反逆』より。

工業生産につきものの分業と機械化は、生産品を形体と素材に還元し、美を「規格化」する傾向を強く持っている。こうした造形的還元は結果として、幾何学的形体を理想に頂く美意識を形成し、今世紀の絵画や建築に特徴的な、造形の幾何学化や抽象化を招くことになる。

  ★ 西岡文彦監修『デザインの読み方 ── デザインの見方・見どころ・考え方がひと目で理解できる完全見取図』より。

公共団体の財政削減にはリストラに不可欠の重要な要素が欠けている。リストラのトンネルが何時まで続き、トンネルを抜けた後に何があるのかが見えないことだ。

  ★ 井熊均『自治体再生―資産リストラで財政破綻を回避せよ』より。

高校生の頃なんて、来た球はみんなストライクだと思ってるんだよねえ。

  ★ 島田紳助。

 こうさ、音楽っていろいろな場所で聞くものだし、流れているものでしょ。そのへんで言うと、すごいのはパチンコ屋だろうね。パチンコ屋、飲み屋でいかに人の心を捉えるか否かってことが、音楽にとっちゃいちばん難しい道なんだよ。そこを乗り越えられたらすごい曲だよね。
 俺は変な話、パチンコ屋で聞いてよかったって言われたりするの、嬉しいね。
 パチンコ屋は、音楽をふるいにかけるのに最高の場所だよね。だって、テレビなんかで聞くと何でもない曲が、パチンコ屋だとグッと耳に飛び込んできたりするんだよね。救われたような気分になったりして、HAHA。
 それでいくと、中島みゆきは圧倒的に強いね。明菜の『飾りじゃないのよ涙は』、あれもいけると思うけどね。

  ★ 井上陽水『綺麗ごと』より。

ゴージャスへの中途半端な幻想、というかゴージャスの呪縛によってとんでもないことになってしまっているものは多い。結婚式などはその典型だろう。ゴージャスの対義語は、「貧乏臭い」である。「地味」ではない。このへんの意味をないがしろにしたせいで、「派手(でも本人はゴージャスのつもり)で貧乏臭い」という最悪の現実を招く結果となったりするのだ。

  ★ ナンシー関『テレビ消灯時間』より。

好人物は何よりも先に天上の神に似たものである。第一に歓喜を語るのによい。第二に不平を訴えるのによい。第三に ── いてもいないでもよい。

  ★ 芥川龍之介『侏儒の言葉』より。

好戦的日本には、2つの戦場が与えられている。世界一の大洋と世界一の大陸 ── 。生産力の貧しい日本はどちらをとっても勝てない。

  ★ トロツキー。安彦良和『虹色のトロツキー』より。

拘置所にいるときは、仕事もないし、家事をすることもなかったので、今、誰かのために何かできるというのはとても幸せなことなんだな、と感じています

  ★ 村木厚子。『週刊朝日』「談」「インタビュー 村木厚子元局長 夫に送った「たいほ」の3字」より。

 高等数学の数式を見るようなものである。それが間違った数式であったとしても、何が違うのか判りはしないし、勿論間違いなど正せはしない。否、間違いの指摘はおろか間違っていることすら判らないのである。阿呆なのだ。

 思考を放棄するよりない。

 その場合、例えばその数式が正しかったのだとしても、無知なる者はもしや間違っているかもしれぬと云う疑念を常に抱え込むよりない。そしてそれは無知である以上は永遠に抱え込まねばならぬ靄靄もやもやである。どうやら無知なる私は根本のところで科学的思考から見放されているのだ。

  ★ 京極夏彦『鉄鼠の檻』より。

甲と乙との対話で、甲がしゃべっている時は、実は乙を描いているのです。

  ★ 桂米朝『落語と私』より。

こうなったのも、学者やマスコミがいけないのだ。昭和の20年代には、宇宙旅行だの空飛ぶ円盤に関しては、一笑のもとに片づけていた。それがどうだ。人工衛星が打ち上げられたとなると、手のひらをかえしたように変りやがった。「銀河系だけでも、生命のある可能性をもつ惑星となると、一千万はありますからねえ」などと、にこやかな顔でぬかす学者のほうが多くなった。私の感覚が古いのか、物わかりのよすぎる学者は、どうも学者らしくない。「無知な大衆め、心得ちがいをするな。月や火星になにかを飛ばしたからって、大騒ぎをするのは早まっている。恒星間の距離というものを考えたことがあるのか」 こう発言してこそ科学者ではないのか。

  ★ 星新一『できそこない博物館』より。SFと科学の迎合という風潮に対して。

功成り名遂げて身退くは天の道なり。

  ★ 『老子』より。

郷に入りては郷に従えという言葉もあるが、チャンスはその言葉にはない。

  ★ 堀江貴文『「僕は死なない」』より。

後年描かれた、壁画『最後の審判』の裸体が礼拝堂には不敬であるとの法王庁のクレームに対して、神が自身の姿に似せて作られた人間の裸体のどこが不敬であり不浄であるのかとミケランジェロが反論したのは有名な話である。そうした「解釈」が聖書に対して可能になったこと自体、中世とルネッサンスの時代の隔たりを象徴している。

  ★ 西岡文彦『図解・名画の見方』より。

広範に使われるプログラムをメンテナンスするコストは、おおむねその開発コストの40%だ。驚いたことに、このコストはユーザ数に大きく左右される。ユーザが増えると見つかるバグも増えるのだ。

  ★ ブルックス。エリック・S・レイモンド『伽藍とバザール』より。

幸福な家庭は互いに似通っているが、不幸な家庭はどれもその不幸が違っている。

  ★ トルストイ『アンナ・カレーニナ』より。

幸福な人の世界は不幸な人の世界とは別の世界である。

  ★ ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』より。

幸福になるのは、自分の好むものを得ることにあり、他人が好ましいと思うものを得ることではない。

  ★ ラ・ロシュフーコー。その区別がちゃんとつく人が大人である。

コーヒーに不純物を入れることは、コーヒーを冒涜する行為である。

  ★ 森博嗣『冷たい密室と博士たち』より。

広報の第一ルール:虎穴にはまったら、虎児をとってこい。やばい状況に入ったら、それをなんとか利用することを考えろ。

  ★ エリック・S・レイモンド。『ハロウィーン文書』注釈より。

コーチが陥りやすい落とし穴は、実効が上がらないときに「まだ、自分には何かが足りない」と思い込んで勉強し続けることだ。その結果、さらに頭でっかちになって、知識として持っているから、それを全部選手に伝えたくなってしまう。本当はもう少し我慢すれば花は開いたのかもしれない。なのに、「あれも」「これも」と次々に解決策を選手に提示して、かえって選手の頭を混乱させる。勉強し続けていろいろな知識を頭に詰め込むのはいいことなのだが、実際に現場で選手が消化できなければ意味はない。

  ★ 山本昌邦『山本昌邦備忘録』より。

コーチには、「伝える」ことで終わる人と、「伝わる」まできっちりやり抜く人の2種類がある。

  ★ 山本昌邦『山本昌邦備忘録』より。

コーディネーターが、とてつもないデザイン上のひらめきを自分で得る必要性は必ずしもないと思う。でも、絶対に必要なのは、その人物がほかの人たちのよいデザイン上のアイデアを認識できるということだ。

  ★ エリック・S・レイモンド『伽藍とバザール』より。

国際試合では200戦以上、戦ってきた。欧州レベルの経験はまったくない。私の経験は世界レベルだからだ。

  ★ フィリップ・トルシエ。マルセイユ監督への就任記者会見でクラブチームの指揮を執った経験がないことについて尋ねられて。

ごく普通の恋愛では、プラトニックな交流に始まり、付き合いのどこかの時点で、娘は自分の貞操 ── つまり肉体を相手に委ねることによって、愛を証明するわね。でも、普段から、その身体を売っている遊女が本当に愛する相手に出会ったとき、いったい何を差し出して自分の愛を証明すればいいの ──

  ★ 山口雅也『日本殺人事件』より。

国民は各々自分の天職に全力を尽くすがよい。これが祖国に報いる道である。

  ★ ゲーテ。

心地好い嘘に酔っている大衆は、真実になど耳を傾けないものだ。

  ★ と学会『トンデモ本1999 ── このベストセラーがとんでもない』より。

ここで極言をしてしまえば、デパートを発明したこのブシコーこそが資本主義を発明した者なのである。

  ★ 鹿島茂『デパートを発明した夫婦』より。

此処ここで何が起きたのか、あるいは起きようとしているのか、僕には判らない。判らないけれど、何もしないで好いとも思わないし、何かすることが無駄だとも思いません。否、 仮令たとえ無駄であっても、何かせずに居られない時と云うのはある ── と思う。

  ★ 京極夏彦『陰摩羅鬼の瑕』より。

ここの自慢料理は何だい? 
○○よ。
他には? 
それのおかわり。

  ★ 映画のセリフ。なんていう映画かは不明。


ここばかり米が出来る訳でもあるまい。どこのはてへ行ったって、のたれ死はしないつもりだ。

  ★ 夏目漱石『坊っちゃん』より。

心がキレイであればあるほど歌謡曲ってのは心に響くと思うんですよ。

  ★ 吉井和哉。『歌謡曲完全攻略ガイド【'68-'85】』より。

「心が広い」とか「多面的に見る」とかって、どういう意味でしょうね。
このブログでは何度も言われていることですが、ものごとには「重み付け」が必要ですよ。多面的に見て、重み付けをする。
重み付けをせずに、「なんでも分け隔てなく受け入れちゃう」のは単に「何も考えてない」だけです。そういうのは「考えている」とは言いません。

  ★ 菊池誠。

心なしと見ゆる者も、よき一言はいふものなり。

  ★ 吉田兼好『徒然草』より。

心に痛みを感じぬ者は鉄の沈黙を守れ……。

  ★ 篠田秀幸『蝶たちの迷宮』より。

心の傷を治すには、その原因となったことがらを忘れてしまうのが一番の早道だ。

  ★ 海老沢泰久『美味礼讃』より。

心のつながりなんて、細い硝子の糸みたいなものなんだ。ちょっと力を入れすぎるとすぐに壊れてしまう。

  ★ 松本隆『微熱少年』より。

心充ち足らぬ女はぜいたく品を持ちたがる。男を愛している女は喜んで枝の上にでも寝る。

  ★ ローレンス。

心をつかめば商売は永遠だ。

  ★ 樋口武男『熱湯経営』より。

古今東西、“私は新しい笑いを追求してます”というギャグ作家は跡を断たないが、“私は新しい悲しみを追求してます”という悲劇作家は1人もいない。

  ★ 山藤章二。

誤字は書く人自身の生活や抱えている歴史、思想の表れなのです。

  ★ 安本美典。斉藤光政『偽書「東日流外三郡誌」事件』より。

ご自分が持っていらっしゃらないものを交渉の道具に使われたみたいね。
この手の仕事ではそれが一番なんです。持ってないものは、持っていかれる心配がありませんからね。

  ★ 景山民夫『トラブルバスター4 九月の雨』より。

50年代アメリカに現出した消費社会は、資本主義の成果というより民主主義の成果としてわれわれの目に映った。アメリカからもたらされた戦後民主主義の「自由」とは、モノを消費する自由であり、「平等」とは、モノを所有する平等だった。

  ★ 斎藤駿『小売の説得術 ── モノ買わぬ消費者とのコミュニケーション』より。

個人がアマチュアの国なんだ、ここは。

  ★ 加納典明。

古人が女子の節操を戒めたのは、社会道徳の制裁よりはむしろ女子の独立を保護するためである。

  ★ 田岡花袋。

古人の跡を求めず、古人の求めたるところを求めよ。

  ★ 松尾芭蕉。 

吾人は自由を欲しくて自由を得た。自由を得た結果、不自由を感じて困っている。

  ★ 夏目漱石。

個性が強い顔をしているという事と、ブスとははっきり違う。

  ★ ナガオカケンメイ「素材として自己の作家性を使いたいなら、もっと勉強してからにしてもらいたい。」より。『ユリイカ臨時増刊 総特集悪趣味大全』所収。

個性が出るなんていうのは、もう最後の最後のものです。

  ★ 小川三夫。『ほぼ日刊イトイ新聞』「法隆寺へ行こう!」より。

個性的であろうとすれば、ほとんどの人間が明日のことを心配しながら生きざるを得ないよね。

  ★ 井上陽水『綺麗ごと』より。

小銭感覚は、ハズレてもいいと思っている価格。

  ★ 泉田豊彦『マーケティング名語録』より。

ごちそうさま、というより「お味噌汁がとてもおいしかった」と具体的に伝えてあげるほうが、相手の心には深く残ります。

  ★ 高萩徳宗『サービスの教科書』より。

こちらが紙芝居のような陳腐な物語と思っていても、どうしても騙されて観てしまう子供たちはたくさんいるんです。それなら、騙されて見る子供たちに、せめておもしろいとか、タメになるお話はつくって見せたい。

  ★ 富野由悠季。『THE BIG ISSUE』より。

こちらこそ被害者と云う感情は罪悪感を相殺すると云う効果も持つのだ。

  ★ 京極夏彦『鉄鼠の檻』より。

国家を守ることによってわれわれが守衛するのは、われわれの明日であってわれわれの昨日ではないのである。

  ★ オルテガ『大衆の反逆』より。

国旗や国歌の話になると、決まってアメリカが引き合いに出されるけど、実はあれこそアメリカという国の「特殊な事情」なのだ。さまざまな国からの移民で成り立っている人工的な多民族国家であり、しかもそれぞれが独立した国(States)の寄り合い(United)世帯であるアメリカは、ああでもしなければ「国」としての態をなさなくなってしまうのだ。合衆国市民としての意識を強化するためなんぞではなく、それをなんとか少しは忘れないようにするための便宜として、国旗が使われている。(そもそもインディアンからかっぱらってデッチあげた国なんだし) それにくらべて、日本という国は異常なほど均質な島国だ。そんな国の住民たちが、国旗への“自然な”忠誠や敬意を払わされるとすれば、その裏に危ないウサン臭さを感じるほうが、よほど自然な感情なのだ。特殊でもなんでもない!

  ★ 山崎浩一『山崎浩一のチャンネル13』より。『宝島』連載。

国境なんて人間が勝手に作ったものだ。自然にとっては何の意味もない。

  ★ 映画『大いなる幻想』より。

小手先細工ではどうにもならない、いわば時代の生命力そのものが尽きかけているというべき状況である。しかし、時代の生命力が尽きかけていようといまいと、人間は個々の場面で現実的に生きていかなければならない。そこでは、こけおどしの権威主義など何の役にも立たない。個々人の現実的な努力のみが、かろうじて有効なのである。

  ★ 呉智英。

孤独の足し算はやっぱり孤独なのですね。

  ★ 小田嶋隆。Webサイト「小田嶋隆の岩窟党宣言」より。「ASAHIパソコンNEWS」所収。

孤独は、すべてすぐれた人物の運命である。

  ★ ショーペンハウアー。

孤独への不安の方が束縛を受けることへの不安より大きい。だから我々は結婚する。

  ★ G・コノリ。

 今年の11月で30歳になる。実際の話、30男の夏休みというのはどうしようもない。同級生の多くは既に結婚して子供を持っている。彼らの夏休みは家庭サービスに忙殺される。浦安の遊園地、御殿場のサファリパーク、池袋のデパート、女房の実家。かわいそうに日帰り4連続の子連れ巡業で、身も心も疲れ果ててしまう。彼らは内臓の話しかしない。胃の話、十二指腸の話、肝臓と胆嚢と膵臓の話、潰瘍、ポリープの話。

 「お前も肝臓には注意した方がいいぞ」

 連中はきっと自分たちが内臓の外部器官に過ぎないと考えているのだ。

  ★ 小田嶋隆『我が心はICにあらず』より。

異なる哲学は、どこまでも互いに相手を包み込み合うことができる。

  ★ 永井均『ウィトゲンシュタイン入門』より。

ことばがことばであってしまうこと ── ここではわたしたちがことばをしゃべるとき理性を働かせることにおよんでいる。わたしたちは理性を批判しようとするとき(たとえば、理性にたいして狂気を対置しようとするとき)でさえ、自分の主張を他人に説明するためには、理性を、たとえなるべく反理性的に話ろうという配慮をつうじてであれ、働かせてしまう。こういう、ことばがことばであってしまうことの矛盾 ── ことばがあるはっきりしたものを名ざしたがるのだが、そういうあるはっきりとしたもの、確実なもの、真理であるものを名ざすことからことばをどのように「解放」するか、これも現代思想に課せられた課題のひとつなのである。

  ★ 別冊宝島44『現代思想入門』より。ところどころ普通なら漢字で書くところを平仮名で表記しているが、これは原文ママ。

言葉ってね、自分で信じていないことだって簡単に口から出るものよ。あまり、真剣に考えない方がいい。

  ★ 森博嗣『数奇にして模型』より。

言葉に傷つくのは言葉を発した相手の所為ではなく、普く言葉を受け取る自分の所為なのである。

  ★ 京極夏彦『塗仏の宴 宴の始末』より。

言葉に出すと、人の思考と感情は具体的に現実のことになる。他の人や自分自身に秘密の恐怖心や希望を話すことは、そういった考えを自分が持っているという事実に直面することである。

  ★ ロバート・M・ブラムソン『「困った人たち」とのつきあい方』より。

言葉に人情はないのだ。

  ★ 京極夏彦『塗仏の宴 宴の始末』より。

言葉のもつ、ひびきのよさだけで言っているのかもしれないが、言葉は動いていくもんであるから言葉の意味なんかよりも、真実は言葉のひびきなんだ。

  ★ 早川義夫『ラブ・ゼネレーション』より。

言葉はコミュケーションの道具ですから、正しければ良いというものではありません。紛らわしくないことがもっと重要です。

  ★ 鴨浩靖。「黒木のなんでも掲示板」より。

言葉は自分の心しか語れない。ためしに人の悪口を言ってみよう。鏡に映し出されるのは醜い自分の方である。

  ★ 早川義夫。『朝日新聞』読書面「カジュアル読書ポケットから」「いい文章には血が流れている」より。

言葉はそれだけで切り出すべきではなく、「場面」と合わせて初めて意味を持つはずです。

  ★ 菊池誠『「水からの伝言」を教育現場に持ち込んではならないと考えるわけ』より。

  1. 言葉や文字よりも絵や図像の方がわかりやすい
  2. 活字メディアより視覚メディアの方がススんでいる
 たとえなんとなくであっても、あなたがそう思っているのだとすれば、それはものすごい大誤解なのだ。迷信や妄信と言ってもいいだろう。
 考えてもみてほしい。歴史的にみても、そもそも絵や図像ではコミュニケーションに不自由だからこそ、人類はより自由で普遍的なコミュニケーションを可能にする言葉や文字を発明しなければならなかったのだ。

  ★ 山崎浩一『危険な文章講座』より。

子供が産めないっていうのは……男性は気の毒ですねえ。

  ★ テレビで、出産したばかりのゲスト(誰だったかは既に記憶にない)がつぶやいた言葉。

子供が「○○ちゃんとけんかしてぶたれた」と帰ってきた時に、「友達になりたかったんだね」というのか「嫌な子ね」というのか、それによって、こどものとらえ方が変化します。その毎日の連続が子供の価値観になっていくのです。だから、結局、子供の価値観はお母さんの価値観そのものということです。こどもの心のあり方を左右するのはピアノを習わせることでも、水泳をさせることでもありません。毎日毎日、母親がその子に向かって何気なくかけている言葉なのです。

  ★ 粟野邦夫『マニュアルには書いていない電子道具の使いこなしテクニック』より。

子供だから好きだの嫌いだの言うの。
もう子供じゃない。
大人ンなりゃそんなこと言わないわ。
じゃあ何て言う?
さあね。もっと他のことで生きてるんでしょう。

  ★ 映画『麻雀放浪記』より。

子供たちに、「体験させる」ことが教育ではなくて、「体験したい」と思わせることが教育なんだと思う。

  ★ Webサイト『森博嗣の浮遊研究室』より。

子供たちは疑問符の姿で入学し、終止符の姿で卒業する。

  ★ ニール・ポストマン。著名な教育者。感嘆符で卒業させてやれれば、いい教育なのにってところですな。

子供っていうのは酔っぱらいみたいだな。

  ★ 小田嶋隆『我が心はICにあらず』より。

子どもと親の一番大きな違いは、人生を生きていく上での実践的な知識の量である。親は単に子どもより知識が豊かであると思っているだけではない。実際親のほうが、何が安全か、何が利益を生みそうか、何が利益を生みそうでないか、知っている。つまり、自分の4歳の子どもが経験する可能性のあるほとんどすべてのことに関して、よく知っているのだ。子ども自身の感情でさえも、本人よりも親のほうがより理解できることが多い。

  ★ ロバート・M・ブラムソン『「困った人たち」とのつきあい方』より。

子供と嫁の前で喧嘩するのはヤクザとドキュンだけだからな・・

  ★ 某炎上ブログのコメント欄。

子供にさせるくらいだったら、まずお父さんお母さんが、いろいろな経験をしてみましょう。その話を子供にしてあげて下さい。子供はそれがしたくなるでしょう。「したくなる」ことがきっと大切なのです(たぶんね)。

  ★ 森博嗣『すべてがEになる』より。


子どもにとって癇癪は、大人と同じ立場に立つための心理的抑制である。

  ★ ロバート・M・ブラムソン『「困った人たち」とのつきあい方』より。

子供の遊びに終わりなんかない。大人が叱ったってやめやしない。やめるとしたら、その子自身が……
大人になったときですか……

  ★ 浦沢直樹『20世紀少年』より。

子供の頃、親分の車の部品を盗んで補まった。親分は言った。部品なんか盗むな。車ごと盗め。

  ★ 映画『7人の愚連隊』より。デカい。

子供のときに感じる大人の馬鹿さ加減とは、このように名前だけで解決している安易さに象徴されているのです。「どうしてテレビが映るの?」「電波なんだよ」とか、「何故自転車は倒れないの?」「ジャイロ効果だよ」とか、その名称があたかも解決になっていると錯覚している大人を、賢い子供は見抜くのです。

  ★ 森博嗣『すべてがEになる』より。

子供の年齢は、その子の好きな動物の大きさに反比例する。

  ★ デズモンド・モリス『裸のサル ── 動物学的人間像』より。子供の頃は象とかキリンとか、大人になると猫とか犬とかね。

子供は生まれながらすでにさまざまの性格や気質を背負っている、恐るべき老人である。

  ★ モーリヤック。アンブローズ・ビアス『悪魔の辞典』では

【赤ん坊(BABE or BABY】特定の年齢、性別、地位をもたぬ奇形の生き物。

と定義されている。

子供は前向きな姿勢と無い物ねだり、心変わりと出来心で生きている。

  ★ 伊武雅刀「子供達を責めないで」より。作詞は秋元康。

 子供を作るなんて、まるで正月の福袋を買うようなものだ。1つの細胞が2つに分裂し、それが4つになり、8つになる。どれくらい細胞の数が増加したときに、生命は意志を持つのだろう。単細胞であれば、いつまでも生きられるのに、意志を持つために、自らの寿命を縮めるのである。いや、寿命があることが、意志を作るのかもしれない。
 意志とは、消滅の自覚だ。

  ★ 森博嗣『夏のレプリカ』より。

こと野外活動に関しては「幕営」と「公園のバーベキュー」と区別がつかない人間が手を出す領域ではないと思うのだが。

  ★ Webサイト「愚行連鎖」より。

事を謀るは人にあり。事をなすは天にあり。

  ★ 諸葛亮。

 この間、オーストラリアへ行ってイルカとだいぶ遊んできました。
 地元の人に聞いて初めて、ああ、ここもそういうことなんだなとわかったんですが、要するに海のなかに住んでいる野生の生物と付き合うときは、膝まででも水に入ったら向こうに主導権を取らせる。

  ★ 景山民夫。

この委員会の名簿にあんまり見慣れない名前がありますな。
あー、恐らくその人でしょう。実際の委員会の仕事しているのは。

  ★ 立川談志『家元を笑わせろ!』より。

 この医療費削減が、弱者にしわよせする形で行われないようにするためにも、「科学を使え、医学を使え」と言い続けるしかないのです。
 アメリカでは、代替医療を容認する方向に向かっています。金持ちは先端の医療が受けられるのですが、貧乏人は安く済む代替医療で我慢せよということを、あからさまにではなく進めているんです。はっきりこんなことを言うと反発が起きますけど、自分で選ぶ場合は問題無しですよね。
 もちろん、医療費削減の目的があります。
 テレビや雑誌に出てくる、健康食品・健康器具会社の宣伝する怪しげ療法を信じてしまう情報弱者は、「自分の選んだこの方法は効果がある」と信じ、自ら進んで裏付けのない療法を選ぶ(そして、実は選ばされていることに最後まで気づかない)ことが起こりえます。

  ★ 天羽優子。『水商売ウォッチング』より。

この宇宙で水のある星は、地球だけだっていうじゃないか。その水を汚すってことは……な! 大変なことなんだぞ!

  ★ 永六輔『一般人名語録』より。

この腕を さしのべて
その肩を 抱きしめて
ありふれた幸せに 持ち込めればいいのだけれど

  ★ 井上陽水「白い一日」の歌詩。『氷の世界』収録。作詞は小椋佳。「持ち込めれば」の部分は本当は「落ち込めれば」だったそうだ。それを電話で伝える際、陽水が聞き間違えたのだとか。いい話だ。

このお話を皆さんが信じないことくらい理解しています。でも、真実というのは他人の理解とは無関係です

  ★ 森博嗣『すベてがFになる』より。

この、学校までの坂道が、永遠に続いていればいいと僕は思った。いつまでもいつまでも松井和子と話していたかった。きれいな女の手とならば並んで歩くだけでこんなに心が踊るのだと初めて知った。

  ★ 村上龍『69 sixty nine』より。

この業界、当たりくじはちゃんと入ってますよ。

  ★ 「以前、番組で知り合った制作関係者」。長井秀和『デブはダイエット飲料だと3倍の量を飲む』より。

この国では、ごく最近にいたるまで、仏教といえば、すべて宗祖の仏教であった。法然の仏教であり、親鸞の仏教であり、道元の仏教であり、日蓮の仏教であった。

  ★ 増谷文雄『仏教百話』より。注)法然→浄土宗、親鸞→浄土真宗(一向宗)、道元→曹洞宗、日蓮→日蓮宗(法華宗)。

この国は大きい。未来がある。
なのになぜ離れるのですか。
俺には小さすぎる。

  ★ 映画『山羊座のもとに』より。これまたデカい。

この区別は人が考えるほどむずかしいことではない。もちろん、区別がむずかしいボーダーラインのケースはいつもあるだろうが、

  ★ M・ガードナー『奇妙な論理』より。

このクラスは非常に問題の多いクラスだと、昨日校長先生からベッドの中で聞きました。

  ★ 田上よしえ。

この苦しみは何のためだ?
何のためでもない。ただこれだけのことだ。

  ★ トルストイ『イワン・イリッチの死』より。

このケガを理由にアテネを諦められたらどれだけ楽かと思いましたけど……。

  ★ 谷亮子。

この見解にきちんと理屈で返答してくれ。間違っていたとわかったらあやまってくれ。こっちが間違ってたらすなおにあやまる! 「いちゃもん」か「抗議」か? それが問題だ!

  ★ 小林よしのり『ゴーマニズム宣言』より。

……この件で正しい判断をくだすためにも、あなたに、奥さんが言ったという暴言を、すべて話していただかなくてはなりません。
承知しました、裁判長。しかし、あなたは本当に5時間も暇がおありですか。

  ★ 立川談志『家元を笑わせろ!』より。

この広告はイメージです。

  ★ 如是我聞。

この広告はフィクションであり、実在の商品・企業等とは関係ありません。

  ★ 出所不明。

この言葉の出た背景を考えますに、どうやらこのセリフを言わはった人は、古典落語にものすごいコンプレックスを持ってはったと想像できます。「古典もできた時は新作だった」ということを、「古典」に対する「新作」の敗北を前提として言うてるわけでんな。「結構な古典落語として残ってる作品も元々は新作として発表されたものなんだから、昨今のつまらない新作の中にも古典になる作品がないとも限らないですから辛抱してきいてくださいな」ちゅう態度ですわ。これはね、落語を創ろうとしてる者にとっては大きなお世話と言うか実に無礼な放言ですよ。同じセリフでもね、「古典もできた時は新作だったんですがねェ、鮮度が落ちてしまってお気の毒ですな」というくらいの自信を持って言うてほしかったですな。

  ★ 小佐田定雄。桂枝雀『まるく笑って、らくごDE枝雀』より。冒頭の「この言葉」というのは、文中にある「古典もできた時は新作だった」という言葉のこと。

この頃、自宅で死ぬと、それが病気でも警察が来て検屍するのよ。もう、自宅で死ぬのは変死なんですって……みんな病院になっちゃったのよね。

  ★ 永六輸『一般人名語録』より。注)検屍 本当は「検視」と書く。検視の場合、調査しなければならないのは、国家公安委員会規則第三号によると、次の9項目である。
  1. 変死体の氏名、年齢、住所及び性別
  2. 変死体の位置、姿勢並びに創傷その他の変異及び特徴
  3. 着衣、携帯品及び遺留品
  4. 周囲の地形及び事物の状況
  5. 死亡推定年月日時及び場所
  6. 死因(特に犯罪行為に起因するか否か)
  7. 凶器その他犯罪行為に供した疑いのある物件
  8. 自殺の疑がある死体については、自殺の原因及び方法の教唆者、幇助者等の有無並びに遺書があるときはその真偽
  9. 中毒死の疑があるときは、病状、毒物の種類及び中毒に至った経緯

この社会で変わらずに生きていくことなんて、できるわけがない。

  ★ 森博嗣『幻惑の死と使徒』より。

この種の事件が、科学技術の総力戦において、特に害毒を流す場合が多いことも十分理解されよう。しかしそういう大切な問題も、その解決乃至予防は案外簡明である。それは各人が中学程度の科学を十分に把握し、そして着実真摯な道を歩むのが結局一番の早道であることを忘れなければよいのである。もっとも本当はそれが一番むつかしいことなのである。

  ★ 中谷宇吉郎『中谷宇吉郎随筆集』より。1943(昭和18)年の文章。「この種の事件」とは、明治40年代初頭の千里眼騒動のこと。

この種のレースではな、2着になったって、銀メダルなんか貰えないぞ

  ★ 映画『インディ・ジョーンズ 最後の聖戦』より。

この世界は大きな実験室で、私たちは歴史という実験の実験動物である……確かにそれはそうかもしれませんが、対照実験ができないのが残念ですね。

  ★ 如是我聞。

この世界まるごとが、あのプラカードを持ったヘルメットの男が永久に現われない『どっきりカメラ』のロケ現場でない、という証拠はどこにもないのだ。

  ★ 山崎浩一『ひとり大コラム ── 僕的情報整理術』より。

この空見あげて今度こそはと
何度つぶやいてみただろう
春はいつの日もやさしいふりだけで
私の目の前を過ぎてゆく
ただ流れてゆく季節の中で
私は何を感じて
生きてゆけばいいのか
ああ限りなく風吹けども
この道遠けれども
この瞳をあけて歩けるような
そんな勇気が今はほしい

  ★ チャゲ&飛鳥「安息の日々」の歌詩。『黄昏の騎士』収録。

この地球上に存在する何びとも何ものも、その存在自体がそれを見る人を前提としないようなものはない。換言すれば、存在するものはすべて、形のあるかぎり、単独では存在しない。存在するあらゆるものは誰かに見られることになっている。地球上には「人間」ではなく「人類」が住むのである。複数性こそが地上の法則である。

  ★ ハンナ・アレント。

この夏、UVとお前をカット。

  ★ 田上よしえ。

この日から私が完全に生活を変えてしまったことを驚く人は、人間の心を知らないのだ。人間は一歩を踏み出すのに20年も躊躇することがあるが、歩き出したらもう逡巡しないことを知らないのだ。

  ★ ミュッセ『世紀児の告白』より。

この部屋の酸素を無駄にしたくない。帰れよ。

  ★ レイモンド・チャンドラー『大いなる眠り』より。

この本はけしからぬと考える読者が1人もいない本だからといって、それが害毒を流す悪書でないとは限らない。

  ★ T・S・エリオット。

このまま終っていいのだろうかと思った。もしも、このまま死んでしまったら、自分の身体はちゃんと燃えないのではないかと思った。

  ★ 早川義夫。

このままのスピードで世界が回り続けたら
アポロ100号はどこまで行くんだろうね

  ★ ポルノグラフィティ「アポロ」の歌詩。

好みというものは、無数の嫌悪から作られている。

  ★ 出所不明。

この目で見たというだけではだめである。「この目」が間違うことは少なくないのである。

  ★ 加藤千幸『国際情報の読み方 ── こうすれば世界が見える』より。UFOとか幽霊とか超能力ってのも、このへんの議論からまだ抜け出していない。呉智英『インテリ大戦争 ── 知的俗物どもへの宣戦布告』には、こんな言葉がある。

では、エンバンに関心があれば何を読むか。何も読む必要はない。エンバンはないのだから。しかし、見た人が…。そりゃいるだろうエンバンを見た人くらい。エンバンを見たからといってエンバンを信じる愚直者には信じさせておくがいい。こういう人は、見ないものは信じられないような人だから。主の蘇りを見て腰を抜かすトマスのような人こそシアワセであろう。自ら両眼をえぐり出し、見えないが故に見たオイデプスの悲劇がわからない人はシアワセである。太陽が天空を動くのを、おらぁ今日も見たし昨日も見た、お日さまこそ動くだよ、おらぁこの目で見とるだよ、という人々が、ガリレオの両眼をえぐったのである。

この世が今夜終わらないとは誰が知ろう。

  ★ R・ブラウニング『最後の同乗』より。

この世から去りゆくにあたって、つぎの言葉を辞世にしよう。

私の見てきたものには誰も及ばないだろう。

  ★ ダビンドラナート・タゴール『詩集』より。

この世で一番勇気があるのは、ピーナッツをひとつだけ食べて、そこで止められる男だ。

  ★ チャニング・ポロック。

この世で科学で解明できないものはないよ。ただ科学的思考と云うのは凡てが証明され、明白になっていない限り、結論を出してはならないものだ。いずれ凡てが解明できると希望的観測を述べるならいいが、証明できぬ部分まで含めて解ったような顔をするのは驕りだからね。科学的思考に依って理解しようとするなら、現状判らないことは判らないままに棚に上げておくしかないのだと云う腹の括り方をしなければ嘘だ。理論的に正しくたって推論は推論で結論ではないのだからね。それじゃあ据わりが悪いと云うのなら、その時は一旦科学を捨てるしかない。だからこういう欠落情報が補えないような場合の一番据わりの良い理解の方法は、妖怪変化と考えることなのだ。

  ★ 京極夏彦『鉄鼠の檻』より。

この世にし 楽しくあらば 来む世には 虫に鳥にも 我れはなりなむ

  ★ 大伴旅人。

この世には拳銃よりいいものが2つある。スイスの時計と若い娘だ。

  ★ 映画『赤い河』より。

この世には美人はたくさんいますが、それに見合うほど財産のある男がいるわけではありません。

  ★ ジェイン・オースティン『Mansfield Parl』より。

この世には踏み入れてはいけない別世界がある。が、踏み入れてしまったら仕方ない。

  ★ 高橋留美子『美味礼讃』より。

この世の難点は、美女がそれこそ無数にいるのに、時間がそれこそ少ししかないということだ。

  ★ ジョン・バリモア。芥川龍之介は人が一生かかっても数万冊くらいしか本を読む時間がないと知って、非常に落胆したそうだ。

この世の良いものは、法律で禁じられているか、不道徳であるか、食べると太る。

  ★ バルドの公準。『マーフィーの法則 ── 現代アメリカの知性』より。


この世はあまりに巨大で、宿命は人間を裏切る。

  ★ ロバート・M・ブラムソン『「困った人たち」とのつきあい方』より。

この世は橋である。渡ってゆけ、住んではならない。

  ★ イエス。

この世は不完全なので、ソフトウェア開発のほとんどの時間はデバッグに費やされます。

  ★ エリック・S・レイモンド『ハッカーになろう』より。

この世はわからないことがたくさんある
どんな風が吹いても負けない人になろう
それでも弱い奴必ずいるもんだ
守ってあげましょう
それが強さなんだ

  ★ FEEL SO BAD「バリバリ最強NO.1」の歌詩。作詞は川嶋だりあ。

このワシが一目惚れするなどということは、ロマンティックだがナンセンスだ。

  ★ 映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー Part 3』より。

5%の組織された人間は、残り95%の人間を銃口で支配することができる。

  ★ 毛沢東。毛沢東は彼がやった2回の革命で3000万~5000万人を殺している。スターリンは2000万~3000万だそうだ。

小松左京によると、国家と1920年代のアメリカのギャング団とは同じようなものなのだそうだ。「保護してやるから金を出せ」で、支払いをしぶると、みせしめのためにいじめられる。タバコの営業を独占し、酒を作るとごそっと金を取る。勝手に麻薬を動かすと、銃を持った連中に襲われる。宝くじや競馬も、賭けるやつをいいかもにしている。

  ★ 星新一『進化した猿たち』より。もちろんJTが専売会社だった時代。関係ないが、似ているといえば、岡倉古志郎(経済学者)によると、ダイヤモンドを経済的に見ると、軍備と共通点があるという。
  1. 実生活の役に立たないこと
  2. 他人に威圧を与えること
  3. 高価であること
の3点。

ごみ溜めのある所には銭がある。

  ★ 出所不明。

コミュニケーションの問題は、ミスコミュニケーションよりも、人の感情を無視したことで起きる。

  ★ ダニー・マイヤー『おもてなしの天才 ── ニューヨークの風雲児が実践する成功のレシピ』より。

小指切らせてまだ間もないに 手まで切れとは 情けない

  ★ 都々逸。

古来詩人の心を以て童心にたとえたのには、理由がある。しかしその理由は、子供の心が純真無垢だからではない。そうではなくて、子供は社会に対して無責任だからである。

  ★ 加藤周一『文学の概念』より。

こりゃすりガラス越しじゃないときついぞ。

  ★ 山里亮太。webサイト「意味がわからん!」より。

ゴルフ場 ファーとまちがえ フォーと言う

  ★ あんず。サラリーマン川柳より。

ゴルフの話がおもしろかったためしがあるか。

  ★ ナンシー関『聞く猿』より。

これ以上君を不幸に……俺、できないよ。
不幸の意味を知ってるの?

  ★ RATS&STAR「Tシャツに口紅」の歌詩。作詞は松本隆。

これ以上じたばたしても見苦しいだけだと思わないか。
じたばたしなきや見苦しくないってのか。みんな死んだって、この仕事をやり遂げりゃあ、俺達は見苦しくなくなるんだ。

  ★ 映画『新幹線大爆破』より。

これ以上続編を作ろうというのは、あまりにも近視眼的で短絡的発想だ。観客にとっても意義があるとは思えない。観客はこれよりも新しくて、より素晴らしい作品に出会うチャンスを与えられるべき。

  ★ ジョナサン・プライス。映画『パイレーツ・オブ・カリビアン』シリーズの続編(4作目)構想について。

これが済んだら楽になる、と思いながら仕事をするが、いつも楽になったためしはない。

  ★ 森博嗣『冷たい密室と博士たち』より。

これからSF作家になろうという人は、こういったことで悩むのだろうな。こう発展させれば小松さん、ああすれば筒井さんだ。

  ★ 星新一『できそこない博物館』より。ストーリー展開をどうするかを自分が考えるときのことを語った言葉。注)小松=小松左京、筒井=筒井康隆

これから私は幸運を求めない ── 私が幸運そのものだ。

  ★ ホイットマン『大道の歌』より。『草の葉』所収。

これでよかったと思えれば、すべてはOKになる。

  ★ エムナマエ。

これはお父さんに「いま松田聖子より河合奈保子なんだよな?」と同意を迫られたときの恥ずかしさを思い出せばよい。

  ★ 泉麻人『街のオキテ』より。

これは戦争じゃない、サッカーなんだ!
本当のサッカーは、戦争なんだよ。

  ★ 映画『少林サッカー』より。

 これはどうしたもんか、と考えているうちに、結局は石油が諸悪の根源であると分かった。
 だいたい、今の世の中で、公害を撒き散らしているものには、すべて石油が関与しているのである。
 大気汚染しかり海洋汚染しかり、原子炉だって実は石油がなければ動かない。
 人類が石油をエネルギー源に使い始めて、たかだか百年しかたっていないのに、その間の地球の汚れ具合いたるや惨憺たるものだ。
 プラスチックだって石油の精製の過程でとれるナフサから作っている。
 みんな石油が悪いのだ。
 要するに、人類の歴史の中で、石油をエネルギー源に使ったのは間違いだったのである。
 そんなこと言ったって、石油を使わなくなればお前だって困るだろう、という人がいるかもしれない。
 ところがどっこい、どっちにしろ、あんなものは後百年やそこらすればなくなってしまうのだ。それにしがみついている方が、よっぽど愚かなのだ。
 石油の上に成り立っている現代の文明そのものが、実は地球の歴史という視野で見ると間違ったコースを走っていることに、早いとこ気付いて、コースを変更しないと、そろそろ地球の自然が人類を抹殺しにかかってくるに違いない。
 とは言っても、人間は目先の便利さに弱いから、自分からやめようとはしないだろう。
 そこで解決法を提案する。
 限りある資源をさっさと使い果たしてしまうのだ。
 
省エネなんてケチなことはやらず、石油なんぞガンガン浪費する。
 一時的には大気汚染がひどくなるだろうが、それは今まで無知であった石油依存世代である我々がツケを払う。責任とってゼンソクになって死んでやる。その代り、浪費の楽しさを充分味わわせて頂く。
 車なんか、リッターカーなんぞという貧乏ったらしい代物に乗っている奴は罰金を取る。
 昔のアメ車みたいな8リッターくらいのエンジンばかりにする。
 エンジン三ヶ積んじゃったりする。
 
十年で全ての埋蔵量を使い果たしてしまう。
 その後は、あとの世代がなんか考えるだろう。

  ★ 景山民夫『食わせろ!!』より。

これは見栄とか気取りといったことですが、男にそれがなくなれば、そんなものは、煙草を吸って酒を呑み、正常位で子供を作ろうとする珍しい豚だと、僕は思っています

  ★ 安部譲二。

これは皆さん覚えておいたほうがいいと思いますが、大体において世の中というものは女性を大切にするとうまく行きます。

  ★ 堤盛人。「NISHIMURA Satoshi Private Website」より。

これはもう美意識なんてものじゃなく、「政治」そのものです。世間的に「美しくない」という格印を押された女は、もうそれだけで「女の唯一最大の武器」を奪われます。この強迫観念とプレッシャーは、おそらく男には、理解できないということを理解することすらできない類のものでしょう。そして「美しい」と判定された女もまた、自身の「美しさ」の中に全人格を閉じ込められてしまうのです。

  ★ 山崎浩一。

これらの呼称はどれもそれ自体は蔑称でも何でもない。どんな言葉も侮蔑をこめて使われることによって初めて蔑称となる。

  ★ 山崎浩一『なぜなにキーワード図鑑』より。

これを悪趣味としか受け取れないのは、私が子供も家庭も持っていないせいだろうか。その悪趣味を非難すらしておきながら、子供ができると崩れ落ちるようにそれに抗うことをやめてしまう子供の写真の年賀状と同じように、子供を持たなければ足を踏み入れることのできない境地みたいのがあるんだろうか。わからん。

  ★ ナンシー関『テレビ消灯時間』より。

これは落語界の不文律ではありえないことだが、お前達に限っては、二ツ目の披露パーティー、披露落語会、共に盛大に派手にやれ。本来それらは真打になって初めて許されるものだが、現代においては真打というものの格を理解する客が根本的に少ない。あくまでお前達が相手にするのは世間であり大衆だ。談志オレが責任を持つ、派手にやれ。世間が注目するイベントをお前達自身で企画しろ。知恵を使え。談志(オレ)の存在が必要なら喜んで協力してやる。わからないことは志の輔に相談してみろ。

  ★ 立川談志。立川談春『赤めだか』より。

怖がってばかりいると、ほんとうになんにも感じられなくなってしまうよ。感じないふりをしているうちに、ほんとうに感じられなくなってしまうよ。

  ★ 伊藤守『恋の法則100』より。

壊れたメカを持ってきたお客さんは心も壊れている。

  ★ 本田宗一郎。クレーマーが病んでるって話じゃないよ。

こわれる

 イスが こわれたときは こわれたイスという。こわれたイスは しゅうりする。しゅうりしても なおらないときは しかたがないので すてる。

 イヌが こわれたときは けがをしたイヌ、または びょうきのイヌという。けがをしたイヌや びょうきのイヌは ちりょうする。ちりょうしても なおらないときは だいじに そばに おいておく。

  ★ きたやまようこ『イスとイヌの見分け方 ── 犬がおしえてくれた本』より。

 今回のM事件がいい例だ。そして面白がる一方で人はまるで怯えたように“彼”と自分との差別化をはかる。「理解できない」「異常な部屋」とマスコミや識者が言えば、今回いちばん弾圧を受けたオタク的な人々も口をそろえて言う。「一緒にしてもらいたくない」「あれは本当のアニメ・ファンじゃない」
 本当にそうだろうか。これだけ多くの人がこの事件に関心を持ち、かつ“彼”との差別化をはかろうとするのは、実は皆“彼”に自分の姿の一部を見てしまったからではないか。殺人という一線は確かに大きい一線かもしれない。しかし、そこに至る経緯や、彼の生活そのものは決して「理解できない」ことなんかではない。少なくとも私はそうだ。人は皆それが自分でなかったことに安心したいがため、ことさら差異を強調するのだ。テレビのレポーターは今日も新しい殺人事件の犯人像を「近所に住む人」に訊ねる。「人殺しなんかするようには見えなかった」 ── 何度この言葉を聞いたことだろう。それでも意外そうな顔をしてみせるレポーター。だが、もうそろそろ我々は学習すべきだ。殺人は、そんなことなんかしそうもない奴、私やあなたがふとしてしまうものなのだということを。

  ★ とり・みき『とり・みきの大雑貨事典』より。「M」とは、宮崎勤のこと。

今回、呼ばれなかった選手は、最近の出来についてのイエローカードだと思ってほしい。ただ、レッドカードではない。よく考えてプレーして、戻ってきてほしい。

  ★ イビチャ・オシム

昆虫採集 命がけ。

  ★ 鳥肌実「教練」より。『鳥肌黙示録』収録。

今度男に惚れる時は、ちっとは自分の都合を考えなよ。
今度はないわ。あの人に惚れ続けるんだもん。
女郎になってもか? 
ええ。
ふーん。……オメエも案外ろくでなしだな。

  ★ 映画『麻雀放浪記』より。

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  ★ Microsoft。

こんな力が何になるの。何が偉大な力よ……スプーン曲げて何になるの……。歌を作って……心の底から歌って……人に涙させることのほうが、よっぽどすごい力よ!!

  ★ 浦沢直樹『20世紀少年』より。

こんなところで負けるわけにはいかない。

  ★ 如是我聞。

こんなミッドナイトに誰かしら?

  ★ 田上よしえ。

こんなものでどうでしょうか。という態度をなくすこと。自分で満足してないんだったら、出しても無理に決まっている。貴方にとって満足するものだったら、きっと他者に通じるものだ。雑音を入れてはいけない。貴方にとって自己満足の歌をつくればいい。だって、自己満足なんていうのはめったに出来はしないんだから。

  ★ 早川義夫『ラブ・ゼネレーション』より。

今日、女性が男性のようにふるまうのは難事ではない。だが彼女たちが紳士のようにふるまうのは、きわめて困難なことが多い。

  ★ コンプトン・マッケンジー『On Moral Courage』より。

今日では、頭がこんがらがっていないのは、はっきりとものを考えていない証拠になるだけだ。

  ★ 出所不明。

今日ではほとんどの若い人が、音を聞くことでいとも簡単に、そのコードをコピーしてしまえる。ギターが圧倒的に普及した結果だろうか。少なくとも学校の音楽教育のせいではないだろう。

  ★ 田川律『日本のフォーク&ロック史』より。

今日の特徴は、凡俗な人間が、おのれが凡俗であることを知りながら、凡俗であることの権利を敢然と主張し、いたるところでそれを貫徹しようとするところにあるのである。

  ★ オルテガ『大衆の反逆』より。「凡俗」を「バカ」に置き換えればわかりやすいわな。

今日の美術は真にわれわれに属するものである、それはわれわれみずからの反映である。これを罵倒する時は、ただ自己を罵倒するのである。

  ★ 岡倉覚三『茶の本』より。続きはこう。

こんにちは、ピアノの調律師ですが。
うちでは頼みませんけど。
実はご近所からのお頼みでして……。

  ★ 立川談志『家元を笑わせろ!』より。

今日こんにちもし円朝のような人物が現存していたならば、寄席はどうなるかと云うことである。一般聴衆は名人円朝のために征服せられて、寄席は依然として旧時の状態を継続しているのであろうか。さすがの円朝も時勢には対抗し得ずして、寄席はやはり漫談や漫才の舞台となるであろうか。私はおそらく後者であろうかと推察する。円朝は円朝の出づべき時に出たのであって、円朝の出づべからざる時に円朝は出ない。たとい円朝が出ても、円朝としての技倆を発揮することを許されないで終わるであろう。

  ★ 岡本綺堂『寄席と芝居と』より。

今日、私たちはこの絵の画面を、写真という技術を知らなかったルネッサンス期の人々と同じ驚きと共に眺めることはできません。心のどこかで「写真のような絵」という感想を抱きながら見ることしかできず、写真を知らない時代の人々がこの絵を見て抱いたはずの驚異や畏敬の念を味わうことは、決してできなくなっているのです。

  ★ 西岡文彦『モナ・リザはなぜ名画なのか?』より。

今日われわれは、科学はその頂点に達したように思いがちである。しかしいつの時代でも、そういう感じはしたのである。

  ★ 中谷宇吉郎『科学の方法』より。

今晩のおかずは何?

  ★ 如是我聞。幸せな言葉だよね。

コンピューターも、他の人間の頭脳も、さらに偉大なる頭脳の、有限かつ微小な細胞に過ぎない。

  ★ 森博嗣『有限と微小のパン』より。

コンピュータゲーム、及び各種の室内ゲームが流行している背景には、きっと今の子供たちに遊び仲間が少ないということと同時に、彼らが賢いということがある。かわいそうなことだ

  ★ 小田嶋隆『パソコンゲーマーは眠らない』より。

 コンピュータ時代開幕の声がはなばなしく、それなら勉強でもしようかと解説書を買ったとする。そのはじめのほうには、原理や構造や開発の歴史などが書かれている。もう、そこで拒絶反応が心にめばえてしまうのだ。
 エレクトロニクスの知識ゼロにもかかわらず、私たちはテレビを楽しむことができる。薬理学は知らないが、私たちははなはだ売薬好きである。文明の進歩とは、成果を容易に享受できることだと思いこんでいた。それなのに、なぜコンピューターだけは例外なのか。原理への理解が要求された品物は、文明開化以来これがはじめてではないだろうか。

  ★ 星新一『きまぐれ博物館・続』より。まだBASICがどうたらっていう8ビット時代の話だけれど。

コンピュータって奴は偉いもんだ。人間なら大勢かかって数カ月もかからないとできないすごいミスをわずか数分のうちにやれるんだから。

  ★ M・ミーチャム。

コンピュータと人間を比較すべきかどうかはわからないが、その差をあげるとすれば一般に言われているように感情の有無ではなく、むしろ生活力のほうではないだろうか。

  ★ 星新一『きまぐれ博物館・続』より。


 「コンピュータは何でもできる」的な記述をよく目にするが、使い道に広い選択のあるもの(つまりコンピュータね)を自分の目的に合うようにしていけば、その目的以外には使えなくなっていくのだ。たとえば、「A氏は98に「ミュージ郎」をインストールしてMIDI楽器を鳴らしている」と、まあ便宜的にしておこう。A氏がその98を使って文章を書こうとするだろうか。A氏の98は音楽に使うには都合よくなっているが、それと引き換えに、ほかの可能性を捨ててきたので、文書処理には不向きなコンピュータになっているはずだ。
 そこに「外見にだまされる」という現象が起こる。楽器につながっているのも、作家が使ってるのも、「X指定」が走るのも同じ98であり、「コンピュータって、何でもできるんだな」と思ってしまう人もいるわけだ。しかし、実のところ買ってきたばかりのパソコンは「使えないヤツ」だ。試しに、おニューのダイナブックの電源を入れれば、液晶画面が明るくなり、「No System Disk」と表示されるだけで終わりだ。自分の目的に合うようにするには、さらに金と労力が要求される。

  ★ 雑誌『Be-VAP』より。カッコ内も原文ママ。最後のダイナブック云々のところは、今のユーザーには何を言ってるかわからないかもしれないね。

混乱した状態での人間の思考力は、幼児のそれに等しい。

  ★ 柘植久慶『操られる影』より。



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