<今号の名言>集


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赤色のマーク(など)が最終更新分です。










いい男は、苦労したと言わず、苦労をかけたと言える人です。

  ★ ますい志保『いい男の条件 ── 肩書きでも、年収でも、外見でもない…』より。

いい女ってのはね、自分で自分を守れる女よ。

  ★ ルパン三世 アルカトラズコネクション 』より。

いいオンナの定義は、“機嫌のいい女”です。

  ★ 松任谷由実。

いいか! 男が命がけで使う言葉が3つある!! 憶えておけ!! 「とりあえず」「申し込み」「準備なしっ」

  ★ N。

いいか。オレは中途半端な気持ちでゴルフやってるんじゃない。これは道楽じゃないんだ。ひたすら歩く。早く歩いて体を責める。体をしぼって汗を流す。きのうよりもきょう、ひとつでもスコアをよくする。ミスは繰り返さない。真剣勝負なんだ。

  ★ 田中角栄。早坂茂三『オヤジとわたし 田中角栄との23年』より。

いいか、ボウリングでストライク狙おうとして……ド真ん中に力一杯投げるとな……両端にピンが残って、ビッグ2っていうスプリットになるんだ。あれは、めったなことじゃスペアはとれない。真ん中からはずれたって気にすんな。ちょっとズレてるぐらいがいいんだよ。

  ★ 浦沢直樹『20世紀少年』より。

いいことをした人は天国、悪いことをした人は地獄、で、普通の人は中国に行くらしいわよ。

  ★ 田上よしえ。

言いたいことなんていうのは、ほんとは1つだろうし、でも、言いたいことというのは、言いそびれるようにできているのだ。

  ★ 早川義夫『ラブ・ゼネレーション』より。

言いたいことはそれだけか?

  ★ 如是我聞。

いい話があって、それを語る相手がいれば人生捨てたもんじゃない。

  ★ 映画『海の上のピアニスト』より。

いい人だね。ほんとにいい人だね。いい人はいいね。

  ★ TVドラマ『伊豆の踊り子』より。

言うことが大事なんです。言ってると一緒にやろうというところが出てくるもんです。

  ★ 堀江貴文。

 いうまでもなく、描かれた絵画は「技術」に支えられている。
 「名画」と呼ばれる絵画も、この「技術」なくしては存在しないし、新しい技術の模索が、結果としてある巨匠の画風を決定し、新たな感性の地平をひらくことになったケースも、どの時代であれ発見できる。当然のことだが、傑作と讃えられる画面でさえ、技術なくしては存在しないのである。

  ★ 西岡文彦『図解・名画の見方』より。

いうまでもなく、10代の女の子でいるってことはつらいのよ。だって、コスモガール誌に載っている女の子は、みんな10代で、みんな美人だもの。

  ★ Caitlin。映画『スーパーサイズ・ミー』より。

 いうまでもなく、肖像画と人物画は別のものである。
 たとえば同じ令嬢を描くにしても、肖像画は王侯貴族や富裕市民の特定の「ある令嬢」の似顔を描き、人物画は不特定ないしは無名の「令嬢というもの」の普遍的なイメージを描く。
 近代の人物画は、特定の個人の肖像の歴史的な保存である以上に、画家の人間観や美意識の表出となった点で、それ以前の肖像画と一線を画している。

  ★ 西岡文彦『図解・名画の見方』より。

家々が原因もなしに次々と蒸発し、牧場の動物たちが逆立ちし、微笑んで言葉を話し出し、樹木は人間に、人間たちは樹木に変わる。

  ★ ウィトゲンシュタイン『確実性の問題』より。

イェールを出たといえばうれしそうな顔をしてくれるアメリカ人も、イェールで教えているといえば、やりすぎだ、というように不愉快な顔をする。

  ★ 石井和紘『日本建築の再生 ── ポスト・アメリカンへ (中公新書 (762))』より。「イェール」ってのは、イェール大学のこと。

イエスとノウの間に、いくつものイエスとノウがあることを知ったのは、何時の頃からだろう。

  ★ 阿木燿子『まぁーるく生きて』より。

家に着くまでが遠足です

  ★ 如是我聞。

言えるなら言って「愛してない」と。それを聞いたらあなたの人生から出て行くわ。

  ★ 映画『グッド・ウィル・ハンティング 旅立ち』より。

いかなる車もフォードを追い越すことができない。なぜなら、その前には、必ず別のT型フォードが走っているからだ。

  ★ 出所不明。「日の沈まぬ帝国」のイギリスといい、大風呂敷に見えるが、両方ともそれが事実だった時代があったんだから凄いよねえ。

いかなる名参謀も、将師の決断力不足だけは補佐できない。

  ★ クラウゼヴィッツ。

怒りと愚行は並んで歩み、後悔が両者のかかとを踏む。

  ★ フランクリン。

怒りの拳も笑面は打てぬ。

  ★ 諺? 秋月龍珉『禅問答』より。

怒りもしないし愛しもしないというのは、精神面に非常な欠陥があることを示すものであり意志の性悪さを示すものである。

  ★ パスカル『パンセ』より。

怒りやら批判やらは、怒りやら批判らしく書かなきゃ、誰もわかってくれないっしょ。

  ★ 菊池誠。

遺憾ながら真実はほとんどの場合、平凡なものだからね。

  ★ ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』より。

生き甲斐を実感しようと思えば身体を使うに限る。

  ★ 京極夏彦『狂骨の夢』より。

生きていくのには事前に知っておいたほうが有利なことがいくつかあるんだよ。
たとえば何?
たとえば、そうだな。野球中継後の番組のビデオ予約は延長を見込んでおかなくてはいけない、とか。

  ★ 伊坂幸太郎『陽気なギャングが地球を回す』より。

生きて用いられようと思ったら、死ぬ気で実績をあげよ。

  ★ 周大荒著・渡辺精一訳『反三国志Click Here!』より。

生きにくい世の中ってのはわかるけど、死ににくい世の中でもあるんですよね。

  ★ 永六輔『一般人名語録』より。

イギリス人にインタビューを山ほど受けたときに、君たちには日本の伝統音楽があるだろうと。「ありますよ」と答えると、そういう影響が全然ないけれどもそれはどうなんだと聞かれて、うーんと困っちゃったということがあった。いまだに困るんだよね。ぼくに聞かれても。だから、どうしたらいいんでしょうねって具合ですよ。
 それを例えば坂本(龍一)なんかがやっているように、日本というのをちょっと忘れて、東南アジアか中国かどこかわからないけれども、架空のオリエンタルなものをつくってそこでやるっていうのもまた1つの方法なんだけれども、それもある種逃げのような感じもするしね。

  ★ 加藤和彦。相倉久人『日本ロック学入門』より。

生きる癖がついてしまったために私たちは死ぬのをおっくうがる。死は万病を癒す妙薬だというのに。

  ★ T・ブラウン。

生きることで老いる人はいない。人生に興味を失うことでのみ老いるのである。

  ★ マリー・ベイノン・レイ。

生きるということは…なんて不自然なものなんだ……。

  ★ 手塚治虫『火の鳥 未来編』より。

生きるというのは、瞬間瞬間に情熱をほとばしらせて、現在に充実することだ。過去にこだわったり、未来でごまかすなんて根性では、現在を本当に生きることはできない。

  ★ 岡本太郎。

生きるとは、この世界においてわれわれがかくあらんとする姿を自由に決定するよう、うむをいわさず強制されている自分を自覚することである。

  ★ オルテガ『大衆の反逆』より。

生きろ、そう叫びながら心臓はビートを刻んでいる。

  ★ 村上龍。

いくさとは、勝てるように準備するまでが本当のたたかいなのだ。それができれば、あとはただちょっとした作業にすぎない。

  ★ 清水義範『猿蟹の賦』より。

いくさに合法非合法なんてあるものか。

  ★ 士郎正宗『アップルシード』より。

軍の習、負くるは常の事なり、只戦うべき所を戦わずして、身を慎むを以て恥とす

  ★ 『太平記』より。足利尊氏と後醍醐天皇の抗争を描いた戦乱記をなぜ「太平」記というかというのは、1912(大正元)年に国文学者萩野由之が指摘して以来、未だ解けぬ謎だそうだ。

戦は「兵力」よりも「勝機」だよ。

  ★ 岩明均『寄生獣』より。

いくつかの行動の中からどれかを選ばなければならないという重大局面を迎えたとき、ほとんどの人は最悪の行動を選ぶ。

  ★ S・A・ルーディン。「ルーディンの法則」

いくつかの話が同時に進むと、人間はややもすると優先順位がつけられなくなる。そのため全てが疎かになってしまうのだ。

  ★ 柘植久慶『大統領の密謀』より。

いくら素晴らしいロボットが完成しても、優れたリモコン操縦者がいなくてはね……。

  ★ 浦沢直樹『20世紀少年』より。

いくら寵児と言われた人でも変わるし、その人を追い越そうとするとえらい目に遭うわけ。

  ★ 喜味こいし。『産経新聞』「関西笑談」より。

いくら長生きしても、最初の20年こそ人生のいちばん長い半分だ。

  ★ ロバート・サウジー『The Doctor』より。

 ……以後、諸君は大蔵省出身だろうが、外務、警察出身だろうが出身省庁の省益を図るなかれ、『省益ヲ忘レ、国益ヲ想エ』。省益を図ったものは即刻更迭する。  次に、私が聞きたくもないような、『悪イ、本当ノ事実ヲ報告セヨ』。
 第3に、『勇気ヲ以テ意見具申セヨ』。『こういうことが起きました、総理、官房長官、どうしましょう』などというな。そんなこと、いわれても神様ではない我々、何していいかわからん。そんな時は『私が総理なら、官房長官ならこうします』と対策を進言せよ。そのために君ら30年選手を補佐官にしたのだ。地獄の底までついてくる覚悟で意見具申せよ。
 第4に、『自分ノ仕事デナイトイウ勿レ』。オレの仕事だ、オレの仕事だといって争え(積極的権限争議)、領空侵犯をし合え、(テキサスヒットを打たれないよう)お互いにカバーし合え。
 第5に、『決定ガ下ッタラ従イ、命令ハ実行セヨ』。大いに意見はいえ、しかし一旦決定が下ったらとやかくいうな。そしてワシがやれというたら来週やれということやないぞ、いますぐやれというとるんじゃ、ええか。

  ★ 後藤田正晴「後藤田五訓」。1986年7月1日、内閣官房組織令が一部改正・施行されて内閣に内閣5室(内政審議・外政審議・安全保障・情報調査・広報官)が発足した時の初訓辞(当時官房長官)。佐々淳行『わが上司 後藤田正晴 ── 決断するペシミスト』より。

いざ、自分で始めてみれば、自分の表現のあまりの稚拙さにがっかりしてしまうことも少なくない。メディアの発達で、ともかく一流の表現を眼にすることが多いのであるから、自然と審美眼も肥えているわけである。その眼で自分の表現を眺めてしまうのだから、自分のするほとんどのことが下手にしか見えないという不幸にはまり込んでしまう。文化的な人間ほど自分自身の文化度、自己実現性にコンプレックスを抱かざるを得ないという珍現象である。

  ★ 西岡文彦『図解発想法 ── 知的ダイアグラムの技術』より。

イザという時、使えるものはたいていゴミ箱の中にある。

  ★ 如是我聞。

諌めてくれる部下は、一番槍をする勇士より値打ちがある。

  ★ 徳川家康。

石川や 浜の真砂は 尽きるとも 世に盗人の種は尽きまじ

  ★ 石川五右衛門辞世。


石橋お前……一度も自分で墓穴を掘らずに生きていくつもりか。お前は永遠に安全地帯の中でビクビクしながら年老いていくつもりかっ。自分の墓穴くらい自分で掘れなくてどうする。自分で掘るのが恐いのかっ? いったい誰に掘ってもらうつもりだ。俺は今まで数かぎりなく自らの墓穴を掘り、そしてそれをとびこえてきた。

  ★ 島本和彦『無謀キャプテン』より。

石橋を叩いて渡るってのはわかる。叩かないで渡るのもわかる。そりゃ、人間、いろんな生き方がある。しかし、近頃叩きながら渡っている奴が多すぎないかネ。

  ★ 永六輔『無名人名語録』より。

医者が患者に麻酔をかけようとすると、患者は財布を取り出した。
「払うのは後で結構ですよ」
「だれが払うと言いました、麻酔をかけられるまえに、金を数えておこうと思っただけですよ」

  ★ 立川談志『家元を笑わせろ!』より。

移植医療というものは2つの死に直面した命の間で初めて成立するもの。

  ★ 柳田邦男。第171回国会参議院厚生労働委員会での陳述。

意志力の欠如が知能や能力の欠如よりもより多くの失敗を招く。

  ★ フラワー・A・ニューハウス。

いずれ近い将来、男を頼りあるものと捉えるコンセプトは完全に消滅します。

  ★ 現代言語セミナー『今度こそ、さようなら ── 新・別れの言葉辞典』より。

いずれにしても、店頭で物理的な破損がないかをよく見るのは必須です。その後によく考えましょう。あなたはこのときのために教育を受けてきたのです。国語力を駆使して店員の気持ちを考え、理科を駆使して、ボードの外見からそのボードの状態を予想し、英語力でマニュアルなどの英語を読み、社会的なものの捉え方で現在のPC社会の状況を捉え、数学で身に付けた論理的な思考能力で総合的に目の前のジャンクが動くかの判断を下すのです!

  ★ ジャンクを扱ったWebサイト「とみ~のPC研究室」より。ジャンク屋での心得。

依然として厳しいものの、一部で持ち直しの動きが見られる。

  ★ 竹中平蔵。

以前には問題にならなかったことが、つまり、空いた場所を見つけるということが、今や日常の問題となり始めているのである。

  ★ オルテガ『大衆の反逆』より。

移送の車を待つため、座っていると、急に涙がこみ上げてきました。でも、泣きたくなかった。泣くと弱気になり、心が揺れますから。

  ★ 村木厚子。『週刊朝日』「談」「インタビュー 村木厚子元局長 夫に送った「たいほ」の3字」より。

“忙しい”って、結局何かに使われている状態ですよ。

  ★ 糸井重里。

忙しい東京人は、特に昼飯に関しては、インスタントラーメン以上の待ち時間は持っていない。

  ★ 島田荘司『ある騎士の物語』より。

忙しいんだよ(笑)。

  ★ 大瀧詠一。Webサイト「風待茶房」より。

偉大なる国とは、偉大なる人物を産する国である。

  ★ ディズレーリ。

偉大なレストランには、「大惨事」が起こるとそれを克服するための魔法をつくりだす力が宿っているのではないか。

  ★ ファーガス・ヘンダーソン「コミのおっぱいクリスタル」より。キンバリー・ウィザースプーン、アンドリュー・フリードマン『天才シェフ 危機一髪 世界一流レストランの舞台裏で起きた40の本当のお話』所収。

いたずらに過去にしがみつくばかりでは何の解決にもならない。第一、過去にしがみつき通すことは不可能である。

  ★ 出所不明。太平洋戦争に絡んだ文脈の中の言葉だったと思う。

イタダキマスも言わないで飯を喰う奴らが、米は文化ですもないもんだ。米を炊いたらまず神様にお供えして、それを頂くからイタダキマス、文化というのはそういうもんだ。

  ★ 永六輔『一般人名語録』より。

板前はもう古典芸能ですよ。

  ★ 永六輔『一般人名語録』より。

痛みに屈した瞬間に勝利は遠のいていく。

  ★ 中田英寿。小松成美編著『中田語録』より。

痛みは生きている証拠だ。苦しい時の方が色んなことがよく分かる。

  ★ テネシー・ウィリアムズ。

イタリア製のコンパスは、うっとりするほど優美なフォルムを持っている。色使いも、とても文房具とは思えないセンスに満ちている。が、たったひとつ残念なことには、そのイタリア製の素敵滅法なコンパスは、正確な円を描くことができない。

ああ、これがコンパスでさえなかったら、どんなにか素敵なデスク・アクセサリーであることだろう

 と、だから、イタリア・コンパスの持ち主は嘆く。が、嘆いてどうなるものでもない。だって、イタリア人というのは、役に立たないものを作るときにしか能力を発揮しない人たちであるのだから。

  ★ 小田嶋隆『仏の顔もサンドバッグ』より。

イタリーではボルジア家30年の圧政の下に、ミケランジェロ、ダ・ヴィンチやルネッサンスを生んだ。スイスでは500年の平和と同胞愛を保って何を生んだか? 鳩時計だとさ。

  ★ 映画『第三の男』より。

1円の物でも、100円で売るのが営業努力と言うものだろう。

  ★ どこかのHPの掲示板。

一応有名になったバンドというのは、なかなか本当の意味の解散ができない運命にあるんだよね。なぜなら、この業界で生きていく限り、元 ── 元 ── のメンバーってことがついてまわるから。

  ★ 関口和之。桑田佳祐『ケースケランド』より。

1月にブッシュが来たとき、テレビ局の人が私のところに来てしきりに聞くのは「アメリカ車は本当にボロなのか」ということだ。彼らは「ボロだ」といわせたい。で、私は「ボロだ」といった。しかし、ボロのどこが悪いのだろうか。そもそも自動車なんて大したものじゃないのだから、ボロでいいではないか。

  ★ 梶原一明・徳大寺有恒『自動車産業亡国論 ── トヨタ・日産の「正義」は日本の罪』より。

一時的な大儲けは、実は会社にとってはピンチです。会社というのは大儲けしなくていい。中儲けがずっと続くのが一番いいんです。大儲けを一時的にすると、会社のシステムが大きくなって後戻りできなくなる。

  ★ 岡田斗司夫。

1たす1は2である。たいがい、ではなく常に、である。

  ★ ジェームス・フィックス著・多湖輝訳編『天才パズル』より。

一度でも自分の下で働いた人間について何か聞かれたら、よいところを見つけてほめるべきです。その人間がどうしようもなく悪ければ、何も言わなければよい。それが自尊心を持った紳士の態度というものです。

  ★ 雁屋哲原作・花咲アキラ作画『美味しんぼ』より。

一度でも星になった人間には、なりそこねた連中にわからん苦悩がある!

  ★ 梶原一騎作・影丸譲也画『巨人のサムライ炎』より。

一度も覇権を握ったことのない日本が、覇権の国アメリカを理解するには限界がある。覇権はロジックではない。FSX問題の一つをとっても、ロジックは明らかに日本にあり、アメリカがおかしいことははっきりしている。しかし、経済問題が国家安全保障とぴったりくっついてからでは手の打ちようがない。なぜなら、国家安全保障問題はロジックを超越しているからである。いってみれば、それは「戦争」という人類の行為の中でも最も非合理的な事態と背中合わせの部分だからである。

  ★ 出所不明。注) FSX(fighter support experimental) 航空自衛隊の次期支援戦闘機。日本が'90年代に配備しようとした戦闘爆撃機である。当時は国産の三菱F1を使っており、その後継機も国内開発を計画したが、米国防総省の圧力で米国ゼネラル・ダイナミックス社製F15Cファイティング・ファルコンを基礎とする改造型の共同計画が決まり、88年11月、レーガン・竹下政権のもとで交換公文が調印された。しかし、ブッシュ政権となり、商務省、議会の一部、USTR(通商代表部)、産業界が「F15の技術を日本に渡すな」と異議を唱え、それに対して日本は「技術は民間機に転用しない」「量産段階でも仕事の40%は米側にさせる」との約束をするなど譲歩を重ねた。[DATA PALより]。

1日が24時間あることは昔と変わっていないのに、やることだけはどんどん増える。

  ★ 小田嶋隆『パソコンゲーマーは眠らない』より。

一にも、二にも、三にも「場」! 長年、耳にしてきたのは一にも、二にも、三にも「立地」だった。小売業の成功のカギは正しい立地を選んで店を構えることだという鉄則である。しかし、わたしの経験では、それよりもはるかに成功を左右するのが状況や雰囲気、つまり「場」なのだ。たとえば、ティファニーの水色の箱。あの箱は、中身を期待させる強力な「場」である。フタを開けると、予想した贈り物が入っているとはかぎらないが、それでもティファニーの箱に属するなにかを期待した気持ちは裏切らないはずだ。箱が中身の価値を上げる。逆に、中身が箱の意味を支え、さらに定義づける。それは立地ではない。「場」なのである。

  ★ ダニー・マイヤー『おもてなしの天才 ── ニューヨークの風雲児が実践する成功のレシピ』より。

一人称複数形の主語を使って語る人間は、多くの場合、あんまりアタマを使っていない。

  ★ 小田嶋隆。ブログ『偉愚庵亭憮録』より。

一年は早い、百米十秒切るくらい早い。

  ★ 立川談志。Webサイト『地球も最後ナムアミダブツ』「今日の家元」より。

1番いいディフェンスとは攻撃なんだ。

  ★ ぺレ。

1番うまい奴のマネをしない奴がいるか?

  ★ ウィリー・ハリス。イチローの打撃を真似ようとして。

1番おいしいお好みは家庭の味。ウチは2番です。

  ★ 鶴橋風月(大阪のお好み焼きチェーン)の人。電車の中で横の人が読んでるのを覗き込んだだけなので、誰なのかわからない。『日刊ゲンダイ』より。「お好み」は「お好み焼き」のこと。

一番「これ、いいなぁ」と思ったのは、友達同士で遊ぶ時に「あいつ、呼ぼうぜ」と言われる存在、というやつなんです。

  ★ 糸井重里。

 いちばんこわい言葉は、「お化粧をしないこと自体、相手に対して失礼にあたる」というもの。私はこの言葉を聞いたとき、大変なショックを受けました。“どうして、ほんとうの顔を出して歩くことが失礼なの? それじゃあ私は、今まで、ずっと、失礼を丸出しにして生きてきたというの?”と、なんだか、人格を否定されたような気持ちになったものです。
 私も、このごろやっとお化粧への興味を持つようになったのに、「意地でもしたくない」みたいな気分になってしまいます。そんなことをいったら、前方部分の髪がすっかりないのを、後の髪を長くして、前まで持ってくることによってカバーしている人や、太りすぎていてワイシャツに汗がべっとりなんていう人(簡単に言えばハゲやデブ)の方が、よっぽど失礼のような気もしますが、どうなのでしょうか。
 きっと、「まあその辺は、女の子なんだから、きれいにしていた方が自分だっていいでしょう?」という感じで、納得させれるのでしょうけれど、「失礼」はないんでないの?「失礼」は?

  ★ 酒井順子『おかげさま ── 就職界見聞録』より。

一番シビアな評価をするのは自分でしょう。ですから他人のシビアな評価なんて、本当は必要ないんですね。ウソでもいいから、持ち上げた評価が欲しいんです。それでなくても倒れようとしているところですから、シビアな評価されたら、本当に倒れちゃう。

  ★ 井上陽水『ラインダンスClick Here!』より。

いちばん上流ってさ、知ってる? たとえば服なら服、料理なら料理、仕事なら仕事、そこをね、人に任せていいんじゃないかってことでね、人間的に選別する目、これさえあれば、いちばん上流ってことでさ。

  ★ 井上陽水『綺麗ごと』より。

いちばんだましやすい人間は、すなわち自分自身である。

  ★ エドワード・ジョージ・ブルワー・リットン。

一番単純な解釈が成立するなら、それが正解である可能性が高い。

  ★ 菊池誠。

一番無駄に過ごした日は笑わなかった日である。

  ★ シャンフォール。

一番易しい本こそ最高の良書だ。意味不明な難解な言葉を使う作者は明晰な思考をしていないからである。

  ★ チェスタフィールド。

一万年もたってごらんなさい。われらが地球は、必ずや緑豊かな水清い星に生まれ変わってます。もちろん、人間はいません。あれは、地球の免疫機能が滅ぼしました。

  ★ 小田嶋隆『仏の顔もサンドバッグ』より。

一里四方のものを喰ってりゃいいんです。遠くから運んでくるものを喰うようになってからですよ、喰いものが安心できなくなったのは。

  ★ 永六輔『無名人名語録』より。


一里の道も遠しとせず釣りに出かけるのもよかろうが、何のことはない、お宅の裏の溝でも同じくらいの成果は挙げられるのだ。

  ★ トウェイン。

「一流」とは、「らしく、ぶらず。」。

  ★ 笑福亭鶴瓶。

一流の人物は自分と同等か、できるならば自分以上の人物をまわりにおきたがる。二流の人物は三流の人物をとりまきにし、三流の人物は五流の人物をとりまきにする。

  ★ アンドレイ・バイル。

イチローを追いかける僕はいない。イチローは僕の一部になっている。

  ★ イチロー。

一を読み、十を知り、百を語るべき。

  ★ 呉智英。

『1ヶ月1万円生活』で1ヶ月終わったあとにお金が増えてたら面白いよね。

  ★ リリー・フランキー。Webサイト『テレビ・ラジオ・芸能1000ネタ大行進』より。

いつかどこかでチャンスの馬が目の前に現れるはずだ。やって来る速度は速く、困ったことには、その馬に試乗しているヒマは全くない。

  ★ ジョン・スポールストラ『エスキモーが氷を買うときClick Here!』より。

一見大したことのない仕事でも、思い切って全力を注ぐことだ。仕事を1つ征服する毎に実力が増していく。小さい仕事を果たせる様になれば、大仕事の方はひとりでに片がつく。

  ★ デール・カーネギー。

1週間、馬鹿の相手をすると、1年間馬鹿になる。

  ★ ユダヤの格言。ユダヤ人はバカが嫌いである。賢明な態度だ。

一生懸命にやっていて顔が美しくならないなら、その仕事は向いてないってことなんじゃないの。

  ★ 荒木経惟『いい顔してる人』より。

1000万円の時計売ろうと思うたら、周りに500万円の時計をたくさん置かんと。

  ★ 如是我聞。

一銭を盗めば賊といわれるが、一国を奪れば、英雄と称せられる。

  ★ 吉川英治『三国志』より。

いっそ巨人を秋の優勝決定戦までシード・チームとしてしまえばこんなに苦労をしなくてもよいのだ。

  ★ 糸井重里『糸井重里の萬流コピー塾0880Click Here!』より。

いったい政府は宝クジ以外に庶民が幸福になる方法を何か開発しているんでしょうか。

  ★ 赤瀬川原平『虚虚実実小説裁判所群島』より。『当世滑稽裁判譚』所収。

一体何考えてるんだと思う時は、相手は実は何も考えてない、ってのは往々にしてあることですよ。

  ★ apj。twitterより。

いったい、人間にとって、迷いは本質的なものだといってよい。悟りきった非凡な人は別として、一般に、迷いのない、疑念を持たない人生というものは、実は真の人生ではないとさえいえる。そして、あの悟りというものも、大疑団すなわち大きな疑問のかたまりにぶつかって、それを突破するところにこそ、開けるものであろう。

  ★ 金谷治『易の話Click Here!』より。

いつだって、より効率の良いものが、どんなに親しまれ、どんなに美しく伝統的な手法にも、必ず勝る。それがシステムというものだ。要するに楽であること……、それ以外に人間を魅了するものはない、といっても過言ではない。

  ★ 森博嗣『今はもうないClick Here!』より。

 行った時に咲いてないということだってありますわ。
 普通の人は、咲いてないと「せっかくここまで来たのに……」と思うやろ。あんたらも桜を恨むと思う。それではあかん。桜を恨まんで、見られんかったら、「また来年来るわ。そん時は咲かせてや」って願ってほしいんや。
 そして、嫌でも来年、その桜を見る。その時も、たまたま寒い日で、見られんかったら、また翌年、会いに行く。それこそ、10年かかって見るんですわ。
 そうしたら、その桜が咲いている時に出会った感動は、一生忘れません。そやからどの桜がいいかということは、人それぞれやって言うんです。

  ★ 佐野藤右衛門『櫻よ』より。

いったん辞めると宣言したスタッフは、どんなことがあっても最終的には辞めていくものだ。

  ★ 堀江貴文『堀江貴文のカンタン! 儲かる会社のつくり方』より。

いづちもいづちも足の向きたらむ方へ住なむず

  ★ 卜部(吉田)兼好だったかな?

一頭の羊に率いられた百頭の狼の群れは、一頭の狼に率いられた百頭の羊に敗れる。

  ★ ナポレオン。

いつ何処でどんな根多が自分の人生にシンクロしてくるかわからんのだから根多だけはたくさん覚えておけ。

  ★ 立川談志。立川談春『赤めだか』より。

 いつの頃からなのか、科学や技術や工学のような、言わば「理系」に属する思想は、どれもこれも「視野の狭さ」「独善」「非人間的」ぐらいのところにまとめられて、より「グローバル」で「人間的」で「地球に優しい」視点で世界を見る「環境派」や「文化人類学派」の連中に、コケにされることになっている。
 クソ!
 確かにあんたの言う通りなのかもしれない。科学技術なんてものは、そもそも人類のエゴに貢献する道具に過ぎないのかもしれない。
 だけれど、その、あなたたちの言い分にはまるで夢がないと私は思う。なぜって、夢というものは、人類発祥以来、いつだって独善的なものであったはずだからだ。独善を廃した夢が素敵であったためしは一度だってないからだ。
  エゴのない夢。
 まるで栄養だけの食卓じゃないか。

  ★ 小田嶋隆『パソコンゲーマーは眠らない』より。

一般大衆などと云うモノはこの世には存在しないんです。この世界には、ただ大勢の個人が居るだけだ。個人は、個人としての責任を果たしたくない時に、大衆と云う覆面を被るのです。責任の所在を不明にし、不特定多数に転嫁する卑怯な行為ですよ。

  ★ 京極夏彦『百器徒然袋-雨』より。

一般的な解釈として、およそ実用に供しない芸術においては基準は美だけなのですよ。いかに美しく見えるか。いかに美しく感じさせるか。機能美などという言葉は古代に存在しません。

  ★ 麻耶雄嵩『翼ある闇 メルカトル鮎最後の事件』より。

一般に「選ばれた少数者」について語る場合、悪意からこの言葉の意味を歪曲してしまうのが普通である。つまり人々は、選ばれた者とは、われこそは他に優る者なりと信じ込んでいる僭越な人間ではなく、たとえ自力で達成しえなくても、他の人々以上に自分自身に対して多くの、しかも高度の要求を課す人のことであることを知りながら知らぬふりをして議論しているのである。

  ★ オルテガ『大衆の反逆』より。

一般に学問において、真理とは何であるかを、一言説明しておく必要があろう。それはもっとも簡単で、もっとも明晰な前提でもって、もっとも多くの事実を説明する仮説と考えて差支えないであろう。われわれは地動説を真理として、天動説を誤謬と考えているが、それは地動説をとった方が天動説をとったときより、観察によってたしかめられる天体現象が、はるかに明瞭に、はるかに簡単に説明されうるからである。地動説が100%真理であるわけではないのである。それは今でも1つの仮説にすぎないものであるが、その仮説によって、今まで、天動説によって説明されなかった現象が、より明瞭に、より簡単に説明される以上は、それは、それ以上、明瞭簡単に天体現象を説明出来る仮説が発見されぬ限り、その真理性の座を維持することが出来るのである。もしも地動説では説明されぬ天体現象が見出され、それをより明瞭に、より簡単に説明する理論が見つかったら、地動説は、真理性の位置を別の仮説にゆずらねばならぬであろう。

  ★ 梅原猛『隠された十字架 ── 法隆寺論』より。

一般に、優れた視力は、どんな物体でも見ることができる。何かを見ることで養われた能力は、他のものに対しても、今までより見やすくする。本質的に正しいシステムというのは、適用が広い。

  ★ 森博嗣『数奇にして模型』より。

一般に、フェアプレーよりも、ファインプレーの方が面白い。

  ★ Webサイト『森博嗣の浮遊工作室』より。

いつまで待っても来ぬ人と 死んだ人とは同じこと

  ★ 坂本冬美「夜桜お七」の歌詩。

いつも絶対正しい答えが決まっていて、いつも絶対正しいほうへ行ってたら、『自分が生きた』と言えないでしょう? それは「絶対正しい」というセオリーが人間の顔をして生きて動いているわけでね(笑)。あの生き方もある、こちらもある。しかし私はこう生きるというところで、人は自分を生きる。そこにその人のクリエーション ── 創造性が入る、個性が入るんです。どの方法が正しいか、間違っているかではない。

  ★ 河合隼雄。◎この文章では「絶対」という言葉が何度も使われている。そこで使われている「絶対」という言葉が何を意味するのかが今の私にはわからなくなっている。上の文章を「名言」として引用した時の私はいったい何を考えていたのか、今となっては知る由も無い。

いつも、善いことだけを願え。悪いことはひとりでやってくる。

  ★ ユダヤの格言。

イデオン芸人なんていう枠はない。

  ★ 博多大吉。

遺伝、境遇、偶然、 ── われわれの運命をつかさどるものは畢竟この三者である。自ら喜ぶものは喜んでもよい。しかし他を云々するのは僭越である。

  ★ 芥川龍之介『侏儒の言葉』より。「なぜ人は生きるか」などという問いはそれ自身がナンセンスである。人は生きているから生きている。それだけのことだ。それに有機的な理由づけをし「豊かな」「幸せな」人生を歩むのは勝手であるが、他を云々するのはまさに僭越なことだ。

伊藤つかさはTVがつくりだした最後の虚構かもしれない。

  ★ 上野和昭。『歌謡曲完全攻略ガイド【'68-'85】』より。

糸を垂れただけじゃ魚は釣れない。

  ★ 諺。

命には命、目には目、歯には歯、手には手、足には足、傷には傷をもってつぐなうべきだ。

  ★ 『旧約聖書』「出エジプト記」21章より。

命を捨てて 俺は生きる

  ★ 水木一郎「キャプテンハーロック」の歌詩。作詞は保富康午。

命を粗末にするな。
粗末にしておりません、副総理。私は初めて命を有効に使っております。

  ★ テレビドラマより。

イベントとか大学で話すとき、質問コーナーの時間とかも全部そうですけど、誰でも、出来るだけ相手から面白い話を引き出そうとしちゃうんです。僕も同じですけど、効率的に生きることを考えるし、自分の問題で精一杯ですから。だけど、実は自分と相手の関係が面白くなる方が、絶対に楽しい対談になるんです。

  ★ 岡田斗司夫『遺言』より。

今愛用しているダンヒルの腕時計はニセモノである。だいぶ前に香港で人を介して手に入れた。数が少いのか、たやすくは手に入らないときいた。値段はホンモノの15分の1くらいだったと思う。これを腕にはめてながめていると、フシギな感覚にとらわれる。寸分たがわぬ物がふたつあって、片方がいつでも簡単に買えるが、片方はなかなか買えない ── となると、稀少価値の原則からいえば、ニセモノの方が高価となってしかるべきだ。また、よく出来ていて、周囲の誰もニセモノということに気づいてくれないと、自分一人が正体と価値を知っていて、これは一種のエリート意識につながる。つまり、<稀少・高価・エリート意識>……といった、一般的にはホンモノに付属すべき言葉が、いつのまにか逆にニセモノに付く。

  ★ 山藤章二。景山民夫との共著『食わせろ!!』より。ちょっと強引なとこもあるけどねえ。

いま“アウトドア・ライフ好き”と称しながら、四輪駆動で富士山の植物を全部根こそぎにしているバカどもがフィッシングをやっている。昔、“キャッチ・アンド・リリース”というのがはやった。釣るけれども、そのあと川に戻す。
 でも、食える分しか釣っちゃいかんと思うんですよ。逆に言えば、釣っちまったら食わなきゃいけないと思うんです。

  ★ 景山民夫。

今ある不幸せにとどまってはならない

まだ見ぬ不幸せに 今 旅立つのだ

  ★ 岡林信康「私たちの望むものは」の歌詩。本当の歌詩では2行目の「不幸せ」は「幸せ」。私が聞き間違えていたのだが、こちらの方が切実感があっていいと思うので、敢えてそのままにした。

今一度、ここが日本だということを思い出してほしい。相手に攻め込まれて苦しい時、相手を攻めきれずに焦ったとき、青く染まったスタンドの歓声に耳を傾けてほしい。大舞台になるほど、厳しい試合になるほど、大観衆は大きな力を与えてくれるはずだ。信じて戦え。必ず勝てる。

  ★ ジーコ。2002年ワールドカップでの初戦(対ベルギー)を前にした日本代表チームへのコメント。

今いる人たちに借りができたりすると、大変なんですよ。その人たちが生きている間は。だから、今あるシステムをぶち壊した方が得なんです。

  ★ 堀江貴文『「僕は死なない」』より。

今売れてるバンドってほとんど古い芸能プロダクション系なんだ。結局、ニュー・ミュージック系のプロダクションが、もうほとんどつぶれかけてる。崩壊状態。だから、商品のパッケージが変わってるだけ。

  ★ 松本隆。Webサイト「風待茶房」より。

今、輝くことができれば、過去も輝くことができるのだ。

  ★ 早川義夫『たましいの場所』より。

今が第三の革命なんだ。明治維新、昭和20年8月15日、そして今回が日本革新の第3回目のチャンスなんだ。

  ★ 小沢一郎。いろんな時に使えるね。

今、この時が未来だ。

  ★ 映画『エスケープ・フロム・LA』より。

今さら苦労で痩せたと言えぬ 命までもと言った口

  ★ 都々逸。

いまじゃ、自動販売機は蚊とり線香の看板みたいに街の風景の一部でしょ。

  ★ 泉麻人。

いま、寿司折などに必ず使われるビニールの葉蘭、あんなものがぜんぜんなかっただけでも、昭和12年の暮らしは古き良き時代であったといえるのだ。

  ★ 中村鋭一『鋭ちゃんのバラード』より。

今テレビでやってたヤツで「チリの落盤事故から救出された33人の勇者たちは今日にも全員退院し、人生の第二幕を開ける」勝手に第一幕を閉じるなよ

  ★ koume。twitterより。

今時、自作自演のヒトを除けば、歌はプロデューサーの持ち物である。

  ★ 近田春夫『考えるヒット2』より。

今に媚びず、今と離れず、目先の現象は、眉に唾をつけて見ろ。

  ★ 出所不明。

今の女は思いやりや優しさを持っとらん。だから男にそれを求めよる。

  ★ 横山やすし。

今の子がかわいそうなのは、好きなことがある子は幸せなんだって親が気がついていないこと。誰もが好きなことがあるわけじゃないし、何やっていいかわかんない。これかなって思った子は相当幸せな子なんだよね。

  ★ ビートたけし。

今のこの国では、偽悪を気取った方がお手軽にリコウぶれて、しかも日本的同質社会を批判する反社会的態度を装えるから、むしろ偽善を気取るより安易で安全かもしれない。

  ★ 山崎浩一『情報狂時代』より。

今の状況で無駄に考えをめぐらすのはばかのやることだ。まず情報だった。

  ★ 高見広春『バトル・ロワイアル』より。

今の都市ガスは、ガス会社が従来の石炭ガスから、中毒を起こす一酸化炭素(CO)を含まない天然ガスに切り替えてしまったので、一部の地域を除いては中毒死はできない。プロパンガスもCOを含まないので同じ。死ぬにしても酸素欠乏で苦しみながら、窒息死するだけだ。中毒死と酸欠死では苦しみ方が全然違う。中毒死は比較的楽な死に方だと言われているのだ。部屋の中で手軽にガス中毒自殺ができる幸福な70年代は去った。

  ★ 鶴見済『完全自殺マニュアル』より。

 いまの日本で、アメリカ車に乗っている人間に、その選択の理由を訊ねてみても、返ってくる答えは千差万別だろうと思う。
 四輪駆動車に乗っている者なら「やっぱり四駆の本家はアメリカだよ。ジープ以来の伝統と、本場のアウトドア・ライフが生み出した車なんだから」とでも答えるだろうし、60年代、70年代のフルサイズ・コンバーティプルあたりをレストアして乗り回している連中であれば「だって、いまの日本車とかヨーロッバ車には、このベンチシートのムードは絶対にないじゃん」といった返事が予想される。
 フォード・トーラスやビュイック・スカイラークといったステーション・ワゴン派にもそれなりの見解があるだろうし、いまだにフルサイズのキャデラック・ブロアム以外には乗らないと言っている70歳を過ぎた会社経営者の例も俺は知っている。とにかく、外車、という言葉がそのままアメリカ車を意味していた30年前の日本と違って、現在ではアメ車を選ぶ理由は、その力強さや性能の優秀さよりも、ずっと趣味的な部分に傾いているといえるだろう。

  ★ 景山民夫『トラブルバスター4 九月の雨』より。

今の人たちに共感を呼ぼうと思ったら、たとえばリアルな、悪人が主人公になる『不知火検校』とか、今井正の『仇討』などの中から題材を探したほうがいいだろう。これならむしろ現代向きの人情噺になるかも知れない。しかし、落語の描く人情はあくまで、もっと素朴な、人間の善にたいする讃美であるはずだ。

  ★ 立川談志『現代落語論 ― 笑わないで下さい』より。

今のプロレスは、どうしようもないと思いますよ。俺から見ればね。ホント何ちゅうかね……格闘技ごっこやってる人いっぱいいますよ。でね、それを何とかスポーツ化しようと思って始めたのがUWF。まだその頃はプロレス界を何とかしなきやいけないと思ってたんですよね。俺は男なんだけどジャンヌ・ダルクのような気持ちでね(笑)。何とかしようと思ってたけれど……でもね、その頃も格闘技者であることを捨ててたんです。リングの中では捨ててた。変なプロ意識いうのかな、リングの中では客を喜ばせることもプロだと思ってた。だから格闘技者としての生活はリング外のトレーニングにあった

  ★ 前田日明。最後の1文にインパクトを感じる。

今の世の中、有史以来の「感動」ブームだ。

  ★ ナンシー関『聞く猿』より。

今の若い人は気の毒。何が美しくて何が格好悪いかわからない。

  ★ 三輪明宏。『読売新聞』インタビューより。

今は「お笑い」っていうとお笑いの人を呼んでくるけど、そうじゃないんだ。

  ★ NHKラジオにて。

今は学生自身が、こう云う学問をするとどう云う役に立つかということばかり考えているが、そもそも役に立つ教育をすると云う事が堕落の第一歩じゃないか。例えば語学、ドイツ語や英語をやっても卒業しても役に立たない。けれども役に立たない事を教えるのが大学教育の真諦じゃないか。社会に出て役に立たぬ事を学校で講議するところに教育の意味がある。外国語の時間を減らすと云う事は、学生から云い出すのでなく先生なり当局なりが云うから、学生にそういう気持を持たせる。時間を減らすよりは、文法でも単語でもぎゅうぎゅう詰め込んで、沢山覚えさせて忘れさせる方がいい。習っただけ覚えているというのでは何てけちな根性だろう。知らないと云う事と忘れたと云う事は違う。忘れるには学問をしなければならない。忘れた後に本当の学問の効果が残る。

  ★ 内田百閒『百閒座談』より。

今は都会人がお金を出して不便を買っている時代です。

  ★ テレビドラマか何か。アウトドア・レジャーについて。

今は、ゆとり教育で、勉強しなくてもいいといわれるから、大多数の人が勉強しない。だから、少し物を考え、自分を磨けば、いい生活ができるチャンスが生まれる。希望格差が生まれているとすれば、そういうことだと思います。

  ★ 町田康。『THE BIG ISSUE JAPAN』より。

今必要なのは他車と違ったカタチのヘッドライトのクルマを作ることじゃない、他社と違った考えを実行するトップなのだ。

  ★ 徳大寺有恒『間違いだらけのクルマ選び'93』より。

今までインタビューでは、今後の仕事のビジョンを問われた時に、『何にでも挑戦し、いろいろな経験を積みたい』と答えていたんですが、今は『歌をやります』と答えます。

  ★ SAYAKA。『読売新聞』より。

いまやクルマなんてこのくらいでいいと割り切ることは、むしろカッコいいことなのだ。

  ★ 徳大寺有恒『間違いだらけのクルマ選び'93』より。

いまや、「現実」というものが、メディアの織りなす疑似空間と化してしまい、世間話=映画や音楽の話題となっている。

  ★ 山崎浩一。

今や、テレビとは、何を見るかではなく、何を見ないかということによってのみ自己のアイデンティティーを確認し得る悲惨なメディアになっちまった。

  ★ 景山民夫『極楽TV』より。

今、山に木を植えているんですよ。ブナやミズキの苗木を少しずつ。
カキの養殖をなさっている方が、山に木を植えるんですの。
よいカキを育てるには、森を育てないといけないんですよ。
森を?
カキは、波の静かな、植物性プランクトンに恵まれ、夏でも冷たく、大腸菌が少ない清く澄んだ海でないとダメです。そのためには豊かな森が不可欠なんですよ。川の上流に豊かな森があると、森の土の養分が川に集められ、海にそそぎ込まれる。川の水と海の水が混じり合ったところに、植物性プランクトンが発生し、カキはそのプランクトンを食べて育つ……。
食物連鎖ですね。
その食物連鎖ですよ。どうして北海道にあれだけ採れたニシンが、最近は採れなくなったか知ってますか。
いいえ。
山に森がなくなったからですよ。森の養分を含んだ水が海へそそがれなくなって、沿岸の海草が全滅し、プランクトンは育たず……と悪循環で、ついにはニシンがいなくなってしまった。落ち葉が分解され、養分を含んだ雨水が地面にしみ込み、森がその水を山に蓄え、川になり海に流れます。おいしい魚を採ろうと思ったら、山の自然を守る、というわけです。『森は海の恋人』というのが、わたしたちの持論なんですよ。

  ★ 酒井一之『料理長シェフにおまかせ』より。

いまやモナリザは日本人が写真を撮るためにここにいる。

  ★ フランスのジャーナリスト。

今や4万円でDVDパソコンが、そして10万少々で立派なノートパソコンが手にはいる。古いパソコンでも汎用ケースならマザーを入れ替えれば最新型に輪廻転生することができる。しかし、ノートパソコンには輪廻転生の自由が与えられていないので、その先は涅槃しか無いのである。

  ★ Webサイト「今日の必ずトクする一言-- TODAY'S REMARK --」より。

今やり直せよ。未来を。十年後か、二十年後か、五十年後からもどってきたんだよ今。

  ★ 2ちゃんねるより。

いまわれ甘露の門をひらく。耳あるものは聞け。ふるき信を去れ。

  ★ 釈迦。増谷文雄『仏教百話』より。

今、我々は、「愛」の氾濫の中にいる。 「愛」はしばしば福音であるかのように語られ、本源的なものであるかのように語られ、人間性を整合するかのように語られる。その内実について、何一つ検証されることがないまま。

  ★ 呉智英『愛の神話』より。『大コラム 個人的意見』所収。

いやいや、銭金のためにしてることではないなどと ── 中中そう云うことは仰せになれるものじゃありませんよ。
お金は余り偉くないからです。だってそうでしょう。お金なんか煮ても焼いても食べられないし、眺めたって触ったって面白くも何ともない。洟をかむには固過ぎる。お金なんて下品なものは何かと取り換えなければ意味がないのです。つまりお金は貯めるものではなく遣うものなのです。増えるものではなく減るものだ。遣うために稼ぐなら正しいが、遣わないなら要りません。
要りませんかねえ。食べ物だって何だって金で買えますがなァ。
お金で買いたい物はありますが、売り払ってお金に替えたい物は少ないでしょう。そう云うのは大抵買うのに困って売るんです。家財道具を次次売って、家も服も何もかも全部お金に替えて、お金だらけになってあなた嬉しいですか? これで何でも買えると喜びますか?
まあ、その ── 何か買いますわなあ。
そうでしょう! 結局最後は物に替えるんです。何でも買えて嬉しいと云うのは、要するに物が手に入るから嬉しいと云うことでしょうに。お金だけあっても嬉しくない! つまりお金はなくなった時にこそ喜びが生まれるものなのです。それに仮令なくなってしまってもお金は働くか盗むか貰うかすれば元通りになる。しかし物はそうは行かない。同じ物は天下に2つと無いッ! つまり物の方が偉いのです。お金はあんまり偉くない!

  ★ 京極夏彦『陰摩羅鬼の瑕』より。

いやしくも、外から見えないからとか、さしあたって性能に影響がないからといって、手を抜いたりしないという誠実さのあらわれだ。

  ★ 高岸清『世界の自動車』より。コンロッドを1本1本研磨をかけ、クローム・メッキまで施してしまう(コンロッドそのものの耐久性と、シリンダーの中のオイルの飛散状態が一定であることを狙ったもの)ロールス・ロイス社についての文章。同書にはこんなエピソードも載っている。スペインをロールス・ロイスでドライブしていたら、いきなりリア・シャフト(後ろの車軸)が折れた。困ったオーナーは、すぐロールス・ロイスの本社に電話した。本社は早速ヘリコプターでリア・シャフトを持ってきて交換してくれた。それでなくてもロールス・ロイスの部品代は高い。それに目玉が飛び出るようなサービス料。オーナーは、やや憂鬱になったが、ともかく車が直ったので、快調に旅行を続け、イギリスへ帰った。しかし、待てど暮らせど請求書が来ない。そのオーナーは、親切なサービスと臨機の処置に感謝する手紙を書いた。そしてその終わりに、早く請求書を送って欲しい旨を書き添えた。それでも一向に請求書は来ない。しびれを切らしたオーナーは、ついに「請求書送れ」の電報を打った。やっと返電が来た。それには、ただ一言、「ロールス・ロイスのシャフトは折れません」とあったという。

いや、そりゃ食べるのはいいけどねェ、食べるだけじゃ満足できぬ。やっぱり食べ残さないと、満足するためには。

  ★ 赤瀬川原平『虚虚実実小説裁判所群島』より。『当世滑稽裁判譚』所収。

いやと言う程 愛されて
いやと言えない 腕の中

  ★ アン・ルイス「天使よ故郷を見よ」の歌詩。作詞は川村真澄。

嫌なお方の親切よりも 好いたお方の無理が良い

  ★ 都々逸。

いや、むしろこういう場合、文章は紋切り型でないと具合が悪い。「常識のない人」ということになってしまう。要するに常識と言うのは、出来合いの紋切り型のことなのだから。

  ★ 小田嶋隆『我が心はICにあらず』より。

『意欲』は欲望の一種であり、理性の支配の及ばない大脳辺縁系で発生するから、理性を介して意欲を起こすことはできない。

  ★ 佐々木勤『医科大学の危機』より。『医学教育』1997.No.4所収。

依頼のない時、いろいろ販売促進をやりましたが、結局、いちばんの営業とは仕事の実績であって、人と交際することじゃないと気がついた。

  ★ 中坊公平。Webサイト『PRSIDENG Online』「「平成の鞍馬天狗」中坊公平がゆく」より。

医療においては、治療の有効性を示すことが最優先とされる。基礎となるメカニズムの解明は、のちの研究にゆだねればよい。

  ★ サイモン・シン、エツァート・エルンスト『代替医療のトリック』より。

いろはにほへとちりNULLオワタ\(^o^)/

  ★ 和音。。「第3回 IT駄洒落コンテストNEO・結果発表!」より。

色葉匂へと散りぬるを 我か世誰そ常ならむ 有為の奥山今日越えて 浅き夢見し酔ひもせす

  ★ 作者不詳。作者については弘法大師(現在では否定されている)、柿本人麻呂、真言宗の高僧など、諸説ある。「色葉」か「色は」かも議論があるが、私は「色葉」を採る。「匂へ」「散りぬる」との対応、そして「奥山」との関係を考えるからである。また、「有為の奥山」を「憂いの奥山」などと書いている資料もあるが、「うい」ではなく「うゐ」なのだからこれは間違い。

言われたこと何でもするから向こうもつけ上がるんや。

  ★ 岡崎俊也。

意を尽くさない表現により誤解を生じたとすれば、深くお詫びいたします。

  ★ 森喜朗。

インクのシミが明らかにするのは、唯一、それらを解釈する検査者の秘められた世界である。これらの先生方は被験者のことよりも自分自身のことをたぶん多く語っている。

  ★ アナスティシ。ロールシャッハ・テストについて。村上亘寛『「心理テスト」はウソでした。 受けたみんなが馬鹿を見た』より。

インターネットの普及で、最も大きな恩恵を受けたのは、クレーマーとカルトと変態だと思う。

  ★ 小田嶋隆「バイト君の愚行とオトナの炎上」より。『小田嶋隆のア・ピース・オブ・警句』所収。

インタヴュー記事の質は、インタヴューされる人の才能や知識にかかわるのではなく、記者の知的程度にのみかかわっている。

  ★ E・キション『ショート・ジョークじゃものたりない』より。

インディアンなら次に何をするかわかるが女は何をするかわからない。

  ★ 映画『平原児』より。

インドから日本に来て、驚いたことがあります、紅茶にレモンを入れることです。安い、悪い紅茶を使っているからだと思います。

  ★ 永六輔『一般人名語録』より。

陰謀論は敗北者の最後の逃避の場である。

  ★ 原田実『トンデモ偽史の世界』より。

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