<今号の名言>集


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赤色のマーク(など)が最終更新分です。










『2位になるのは簡単だ』ってことが、これまでなかなか分かってもらえなかった部分もあって、でも、それは勝ったことが無いと分からないんですね。

  ★ 中本修平。オートスポーツWEB 2006年8月7日より。

2階から目薬。

  ★ 諺(らしいよ)。いろはがるた(京都)より。江戸時代にも目薬はあったのねえ。

憎しみとは絶対に理性でコントロールできないものです。

  ★ 法月綸太郎『頼子のために』より。

肉体がみだらなのではない。意志がみだらなのだ。

  ★ シュルス。

肉体と精神というものは、常に2つが互いに他を裏切ることが宿命で、どちらもいい加減なものである

  ★ 坂口安吾。

にくむ心にて人の非を見るべからず、仏も制することあれど、にくむにはあらず。

  ★ 道元撰『正法眼蔵』より。

逃げ場がないときには……作るんだ。

  ★ 映画『インディ・ジョーンズ』より。

西岡棟梁は法隆寺という大看板を背負う。やっぱしそれだよな。だから自分の家も建てなかった。……神仏の家を作る人が、人の家を作っていたらなぁ……。人の家は施主の意に沿って建てなきゃいけない。神仏は何も言わないけども、みんながそれを見ていますからね。
だから西岡棟梁は飯が食えなくてもそういうことをしなかった。子供はあんまりにその大変さを知ってるから継がなかった。それはあまりにも西岡棟梁が厳しかったからというそれだけだ。
もし子供が継いだらすごい立派な棟梁だったと思う。それは俺らとは絶対に違うんだな。その家に育った人と育たない人は違う。歴史というか何というか、その空気の中で育った人は違うんだな。そういうものがあるんだ。
西岡棟梁が人に知れてきた頃、子供は「なんで継がなかった」とよう言われたそうだが、しかしそれはその人の責任ではないわ。世の中が厳しすぎたし、西岡常一が誰にも厳し過ぎたという、それだけだ。
……本来の流れはなくなることになる。止まってしまうかもしれないと思う。十年や二十年でなく百年千年単位の流れが止まる。だからそうなってはいかんから、西岡棟梁の曾孫……孫はしなかったから、もしもその曾孫がやるなら、俺ら鵤工舎いかるがこうしゃは意地で総力をあげてその子を育てるよ。それでその子を法隆寺に戻すよな。その子は恵まれているんだもの。だから西岡の道具はすべて大事に残してある。その子がやるなら渡す。博物館で陳列したり西岡の家にあったり俺のところにあったり、普通なら形見分けをするかもしれないけど、全部すぐ渡せるようにしてあるんだ。それを使えるのはその子しかいないからね。

  ★ 小川三夫。『ほぼ日刊イトイ新聞』「法隆寺へ行こう!」より。

西岡棟梁が亡くなった後、師匠の使っていた道具を見ると道具が身構えていました。

  ★ 小川三夫。『ほぼ日刊イトイ新聞』「法隆寺へ行こう!」より。

西側の記者が宇宙飛行士のところにインタビューに行ったら、子供が出てきて、
「パパもママもいないよ」
「どこに行ったの?」
「パパは宇宙だからそのうち帰ってくるけども、ママは買い物だから当分帰らない」

  ★ 立川談志『家元を笑わせろ!』より。こういう東欧ジョークもナウなヤングにはわからない。

21世紀に突入して以来、テレビは、「テレビを見る以外に選択肢を持たない人々」向けのメディアになり下がりつつある。

  ★ 小田嶋隆。『読売Weekly』より。

20代で美しくなく、30代で勇敢でなく、40代で勤勉でなく、50代で賢くなく、60代で豊かでない人間は、一生美しくもなく勇敢でもなく勤勉でもなく賢くもなく豊かでもない。

  ★ イギリスの諺。阿刀田高『頭は帽子のためじゃない』に引用されている。しかし別の本には

20代で美しくなく30代で強くなく40代で富貴でなく50代で賢明でない人間は、ついに美しくも強くも富貴にも賢明にもなり得ない。

と書いてある。若干違う。どっちが本当か知らないが、個人的には阿刀田の引用の方が気に入っている。

二大政党制って、野党の時期をどう有意義に過ごすか、だよね。

  ★ 菊池誠。twitterより。

二度と来ません。

  ★ 掲示板。

2匹の雉と2日とが、いずれも『2』という同じ数であることに気づくまでには長い年月を要したに違いない。

  ★ バートランド・ラッセル。中宮寺薫『数学通になる本』より。

ニヒリズムこそが僕たちの最良の処世術になる。

  ★ 山崎浩一『リアルタイムズ ── 光速の失楽園』より。

日常生活においては、徹底的に秩序を保て。仕事において独創的、暴力的であるために。

  ★ G・フロベール。

2年間も不在でいると、真の友人なら必ず連絡をとってくるものだ。そして真の友人でなければ離れていく。それはある意味で、自分にとって重要なものとそうでないものを、自分にとって大切な人とそうでない人を、選別する時間でもあった。

  ★ アーセン・ベンゲル。

日本が依然として終わりの見えない景気後退に沈むなか、2001年には〈明日があるさ(There's Always Tomorrow)〉(1963年)という陽気なビッグ・バンド調のシングルが再注目を浴び、それをきっかけに懐旧的な坂本九ブームがはじまった。西洋での坂本は一発屋かもしれない。だが日本での彼はますます、かつては高く舞い上がっていた帝国にいつまでも取り憑きつづける、亡霊的な存在と化しているのだ。

  ★ マイケル・ボーダッシュ『さよならアメリカ、さよならニッポン ── 戦後、日本人はどのようにして独自のポピュラー音楽を成立させたか』より。

日本海を「東海」だとサ、家元は前から日本のことをと呼んでいる。

  ★ 立川談志。Webサイト『地球も最後ナムアミダブツ』「今日の家元」より。

日本共産党、創価学会、トヨタ ── この3者に共通するものがある。どれも、運動会が凄いということだ。

  ★ 梶原一明・徳大寺有恒『自動車産業亡国論 ── トヨタ・日産の「正義」は日本の罪』より。

日本語について言えば、文の基本的要素は述語であって、主語は目的語・補語などと同じ資格であり、一種の修飾語と考えることができる。

  ★ 樋口時弘ほか『言語学入門』より。

日本人が好きな「世界は1つ」とか「人類みな兄弟」といったフレーズは、かつての共同体への幻想によって支えられている。

  ★ 養老孟司『バカの壁』より。

日本人って始まる時間はきっちりしているけど、終わる時間がルーズだね。

  ★ 和田裕美『和田式「営業」クリニック』より。

日本人って、量産車の品質管理の優秀さと、とんでもなくいい車を造ることを誤解している。

  ★ 村上龍。そう言いながら彼はCHASERのCMに出ていた。

日本人にはアメリカに原爆を落とさせた責任がある!

  ★ 出所不明。

日本人のパーティーが全般に盛り上がりに欠けるのは、やはり優れた企画者がいないためだという。「趣向」がないのだ。一番大事なのは良い企画者、それにもうひとつ。良い選曲者。このふたつが揃えば、たいていのパーティーは成功まちがいないらしい。

  ★ 中島らも『恋は底ぢからClick Here!』より。

日本人は、戦後の発展の歴史しか知らなくて、ものを維持したり、縮小したりすることに慣れていない。無駄な会が多いので、できる限り、関わらない、あるいは、積極的に関わって、会自体を解散させましょう。うまく解散する会こそ、本当の会です。

  ★ 森博嗣『すべてがEになる』より。

日本人は、他国の文化は百貨店で買い物をするように自由に選び買うことができると思い込んでいる。

  ★ G・B・サムソン。日本研究者。

日本人はな、日本で結婚するのにもウェディング・ドレスを着る。韓国人はニューヨークで結婚してもチマチョゴリを着る。これはもう善し悪しの問題じゃない。国民性というしかないもんじゃな。

  ★ 今西和男。金子達仁『決戦前夜 ── Road to FRANCE』より。

日本人は粘り強い。私はこんなに長く、フィリップと一緒にはいられない。

  ★ ドミニク・トルシエ。フィリップ・トルシエ夫人。『ニッカンスポーツ』より。

 日本人は速い、大阪人は東京人よりも速い、とかいいますけど、じゃ何と比べて速いとか遅いとかいうのか。人間の本来歩くスピードの適正な状態というのは、どのくらいなのか。これについて、2週間、考え続けたこともありました。
 その答えを、僕は見つけたんですよ。やはりモロッコで。
 あるとき、公園のベンチにすわっていたんです。ハトがいっぱいいてましてね。そこへヨチヨチ歩きの子どもが来て、ハトを追っかけ始めた。最初、ハトはチョコチョコッと逃げたんですけど、子どもにスピードがついてきたら、パッと飛び立ったんですよ。それを見た瞬間、「これや!」と思わず手をパーンと叩きました。
 ハトが歩いて逃げるくらいがちょうどいい速さで、飛んで逃げるようだと歩くスピードが速すぎるんやと。

  ★ 久路流平。中島らも『訊く』より。

 日本人は水と安全はタダだと思っていますが、女性の中には、男性の好意と親切はタダだと勘違いしている人が少なくないのではないでしょうか。
 大人の女性の最低条件は、男性の下心の存在を認識すること。たとえば食事代ひとつにしても、何となく「男がおごるのが当然」と思っていた未熟な娘時代から一歩前進して、おごられることの怖さ、おごる男の気持ちを承知したうえで、「ごちそうさま」と発しなければなりません。
 さんざんおごらせ、さんざん貢がせておいて、いざ迫られたら「私そんなつもりじゃ……」が許されるほど、貴女の笑顔や貴女との会話に価値があると思ったら、そりゃウヌボレというものです。

  ★ 石原壮一郎『大人養成講座』より。

日本人は野球になると、非常に細かいサインプレーや約束ごとを決めるのに、サッカーでは少しもやろうとしない。日本代表にしても、この選手がボールを持った時には他の選手はこう動く、あの選手が動いたら ── といったオートマチックな動きがまるでない。ブラジルだって、はたから見たら馬鹿げてるほど単調なフォーメーション練習を繰り返して、動きのパターンを覚えていくっていうのに……。

  ★ ドゥンガ。金子達仁『決戦前夜 ── Road to FRANCE』より。1998年フランスワールドカップ最終予選直前の発言。当時のサッカー日本代表監督は加茂周。

日本人は良いものより、有名なものが好きなのです。

  ★ 永六輔『一般人名語録』より。

日本人ほど田舎を嫌う国民はない。

  ★ ドナルド・キーン。

日本で精神力の話をすると、イコール忍耐力だと思っている人が多いんですね。だから、日本人は精神力をとてもネガティブに考えていて「我慢強くて、粘れる」というようなイメージがある。そうじゃなくて、精神力はプライド。技術ではどこにも負けてないというプライドね。

  ★ 山本佳司。

 日本では、自動車は産業としてスタートした。自動車を作れば将来、きっと儲かるという計算ずくで、あるいは将来、日本にも国産車が必要だという国策的な義務感から作ったのである。これに対して、ヨーロッパでは義務感もなければ必要性もない。あるいは将来、トランスポーテーションになるとは思いもよらなかっただろうし、将来儲かるかどうかもわからないところから自動車がスタートしている。
 つまりヨーロッパでは、たんに「そういうものがあったらおもしろいだろう」という発想でクルマを作ったのである。いわゆる遊び道具としてクルマが生まれたのだ。

  ★ 梶原一明・徳大寺有恒『自動車産業亡国論 ── トヨタ・日産の「正義」は日本の罪』より。面白いからクルマを作ったという人は日本では本田宗一郎だけだった。

日本には神の前の平等はないが、歌の前の平等はある。

  ★ 渡部昇一。井沢元彦『逆説の日本史5 中世動乱編』より。

日本に'60年代はなかったと思うよ。今だからビートルズ、ストーンズっていってるけど、あれは後から作り上げた幻想だ。

  ★ 泉谷しげる。

日本の男は辛いことや悲しいことを表情に出さないのが伝統的な誇りなのよ。

  ★ 円地文子『食卓のない家』より。

日本の曲でサウンドに面白みのある曲ってあんまりないんだよ。みんなよくできてるんだけど、大体、すごーくきれいでソツがない。自動車評論家がトヨタのクルマに感じるようなものっていったら近いかもしんない。

  ★ 近田春夫『考えるヒット』より。

日本の工業製品に合わせた為替レートで、外国のコメと勝負させられて、日本の農民はたまらない気持ちでしょうねェ……。

  ★ さいとうたかを『ゴルゴ13』より。

日本のこども服が世界の特異点たりえるのは、こども服=フォーマルとする(どうでもいいふだん着はこども服として認知されていない)、デザイナーがフレンチ・テイストやヒップホップなカジュアルウェアをつくってもそれがブランドものであるからには当然よそいきだ、というパラドキシカルなメンタリティが通用しているためであろう。

  ★ 木材重樹・西原 「悪趣味大国ニッポン小事典」より。『ユリイカ臨時増刊 総特集悪趣味大全』所収。

日本のサラリーマンの大半が天変地異を期待している。

  ★ 山田太一。養老孟司『バカの壁』より。

日本のGTカーの場合は、旅に出たくなるというよりは、峠に走りに行きたくなってしまう。

  ★ 館内端「文化車類学」より。雑誌『JAF MATE』所収。注)GT=Grand tourism、Gran Tourismoの略。

日本の商社はマレーシア政府に対して、伐ったあとはちゃんと植栽してると言う。だけど、彼らが植えるのは、3年や5年で成木になる軟らかい木だけ。自分たちが伐らせた木は百年も生きてきた木なのに、3年で成木になるのを植えて、またそれを伐る。その軟らかい木は輸出されて日本で何に使われるか知ってますか? 割り箸にしかならない。ボルネオのジャングルの生態系を変えて、割り箸を作ってる。

  ★ 景山民夫がボルネオで出会った地元のガイド。

日本の戦後文化には、「かっこいいオヤジ」という着地点が存在していない。

  ★ 小田嶋隆。ブログ「偉愚庵亭憮録」より。

日本のプロレスは、日本人の敗戦ショックによる白人コンプレックスを束の間解消できる儀礼ドラマとして発達してきた。

  ★ 斎藤貴男『梶原一騎伝 夕やけを見ていた男』より。

日本のヤクザの親分には冤罪が多いんですよ。周りが親分の気持ちを忖度そんたくするから。

  ★ 如是我聞。

日本は、会議多くして議論なし。

  ★ 如是我聞。

「日本は核武装するべきだ」と思っている男はたいてい、包茎なんだ。あれがこうだと、すごいのを持ちたがる。

  ★ 長井秀和『デブはダイエット飲料だと3倍の量を飲む』より。

日本は、社会的な哲学を『平等』から『公平』に変えるタイミングを逸した。

  ★ 御手洗冨士夫。

日本は、神州不滅を呼号しながら、そのじつ、あまり自信がなく、この戦争のために、あらゆる生産力も頭脳も、あげて投入していたわけである。

  ★ 高岸清『世界の自動車』より。日本軍の精神主義は非合理的な考え方に私たちには映るが、上にいる人たちも精神主義を信じていたかどうかといえば、いくらなんでもそりゃないと思う。例えば日本に資源が豊富にあったらきっとそんなこと言い出さなかったんじゃないだろうか。ずーっと余裕のない国だったわけだな、この国は。

日本はどんどんひどい国になっている。物欲、性欲、食欲、名誉欲しかない。図書館や美術館、音楽会にも行かず、芝居も見ない文化知らずの男たちが国を動かしているのが問題です。

  ★ 三輪明宏。『読売新聞』インタビューより。

日本はまだ世界に勝つことに慣れていない。

  ★ 柳沢敦。2005年ドイツコンフェデレーションカップ予選のブラジル戦で同点の好ゲームを振り返って。

日本はよい国であるとつくづく思う。本書を日本語で読めるということは素晴らしいことなのだ。このような良書を母国語で読めない国は少なくない。英語から翻訳するだけならどこの国でもできるだろうと思うのは誤りで、本書を訳出して出版しようという企画力のある会社(本書の場合は日経サイエンス)があって、内容を読んで適切な助言ができる監修者(本書の場合は私)がいて、出版された書籍を購入する読者(本書の場合は皆様)がいて、はじめて実現できるのである。

  ★ V.S.ラマチャンドラン/D.ロジャース=ラマチャンドラン『知覚は幻 ラマチャンドランが語る錯覚の脳科学』の北岡明佳による前書きより。

にもかかわらず、世間ではVHSが勝利した。なぜか。つまりVHSは「家電」でありベータは「AV機」だったのだ。

  ★ とり・みき『とり・みきの大雑貨事典』より。「ベータ」は「ベタ塗り」から、VHSは「Video Home System」の略。ベータもマヌケたが、VHSもヘンな英語だ。

  1. 「ニュー」とか「~アップ」といったラベルが貼られている商品は、新しくも、良くもなっていない。
  2. 「ニュー」とか「~アップ」といったラベルは、値上げを意味している。
  3. 「一新」「まったく新しい」「何から何まで新しい」といったラベルは、とんでもない値上げを意味している。

  ★ ハーシャイザーの規則。『マーフィーの法則 ── 現代アメリカの知性』より。

如来の教法には、あるものを弟子に隠すというような、教師の握りしめた秘密の奥義はないのである。

  ★ 釈迦。増谷文雄『仏陀 ── その生涯と思想』より。

 庭の梅やったら、基本的には花よりも古木の幹を見るのが、本当の楽しみ方です。だから、梅に凝る人やったら、摩耶紅梅とか寒紅梅、豊後やとかをうまく配色しつつ、使いこなしていくんです。観賞用としては、桜は花しか見るところはないんですが、梅はそういう幹を楽しむという味わいがある。
 それで、放っておいたら朽ちてひっくり返るような古木を枕で支える。よく古い梅の木に支えがありますやろ。あれを枕と言うんですわ。それで、またひとつ、化粧をするわけです。枕も単なる支えではなくて、庭の全体的な化粧なんですわ。

  ★ 佐野藤右衛門『櫻よ』より。

庭の松虫 をとめてさえ もしや来たかと 胸さわぎ

  ★ 都々逸。

人気があると言われるのは、すごく嬉しいことですが、人気なんていつの間にか消えてしまうのが、今のラーメン業界です。新しくておいしい店がどんどん増えていますが、僕はそんな新しい店を先輩だと思い、その先輩を追い抜こうと、いつもスタートの気持ちでやっています。なぜなら、新しい店は古い店のいいところを見習い、凌駕しようと研究を重ねてオープンさせていますから、高を括っていると置きざりにされます。追われるよりも追う気持ちが大切だと思います。

  ★ 前島司。『有名店主が答える開業法・味づくり・経営のラーメンQ&Aブック』より。

人気者は自分を語ることが許される。

  ★ ナンシー関『何がどうして』より。

人気者は、人を不愉快にさせる、くだらない愚痴を言わないものです。

  ★ ますい志保『いい男の条件 ── 肩書きでも、年収でも、外見でもない…』より。

人間、いい大人がケチ臭いっちゅうのが一番いかん。金の価値もわからん若いとき、よう無駄遣いしとけ。それに比べたら、後では何も惜しゅうなくなる。

  ★ 中坊公平の父。中坊公平『金ではなく鉄として』より。

人間追い詰められると力が出るものだ。こんなにも俺の人生に妨害が多いのを見ると、運命はよほど俺を大人物に仕立てようとしているに違いない。

  ★ シラー。

人間、お金がないとちょっとずつバカになっていくよ。

  ★ リリー・フランキー。Webサイト『テレビ・ラジオ・芸能1000ネタ大行進』より。

人間が生きる限り、死人も生きているんだ。

  ★ ゴッホ。


人間がいくら注意をしていても人為的ミスを100%なくすことは出来ません。人為的ミスを当事者の責任問題で片づけてしまうからです。……問題解決のためには、当事者の責任問題を切り離して、なぜミスが起きたのかその原因を追及することが重要です。

  ★ 正田亘。

人間が賢いのはその経験に応じてではない、経験に対する能力に応じてである。

  ★ バーナード・ショー。

人間が故郷を離れて都市や他国に出稼ぎに行くという現象は、19世紀に産業と交通の発達に促されて大量に起き始めます。興味深いことに、「アイデンティティ」という言葉が今のような意味で使われるようになったのは、20世紀初頭のアメリカにおいてでした。当時のアメリカには東欧などから大量の移民が入っていましたが、故郷から切り離された移民たちが「自分はいったい何なのだろう」という不安感を抱くようになった。そういう状態を「アイデンティティ」が定まらない状態と呼んだのです。

  ★ 小熊英二。『THE BIG ISSUE JAPAN』より。

人間が制御できない科学というのは、科学って言っちゃいけないんじゃないですか。

  ★ 出所不明。

人間が人間を殺さずに生きていけるようになったのは、つい最近のことである。

  ★ 井沢元彦『天皇になろうとした将軍』より。

人間が初めから1つ目の生き物なら、自動車もやはり片目であるだろうか。

  ★ テディ片岡・しとうきねお『意地悪ポケット本』より。

人間様が自然を支配・征服できると思い込むことと、自然を保護・愛護できると思い込むことは、表裏一体、どちらも思い上がりでしかない。バカな人間どもが減びてしまった後も、自然は何事もなかったように新たな生と死を再び循環させ始めるに違いないのだから。

  ★ 山崎浩一『リアルタイムズ ── 光速の失楽園』より。

人間そうひんぱんに死ねるもんやおまへん。

  ★ 青木雄二『なにわ金融道』より。

人間たる条件というのは、ある種のものにわけもわからず熱狂する、あるいは熱狂しかねない点にあるようだ。

  ★ 星新一『進化した猿たち』より。人間の収集癖について。

人間、誰しも失敗はするもんだから、失敗したときはスピードでカバーすればいいんだよ。

  ★ 盛田昭夫。片山修『ソニーの法則』より。

人間って一番安く動く機械ですものね。

  ★ 森博嗣『有限と微小のパン』より。

人間、つまるところ運やで。きみも運のいい人間とつきあえ。

  ★ 石橋信夫。樋口武男『熱湯経営』より。

人間というのは買うとしばらくするといくらで買ったかなんてどうせ忘れるもんです。さあ、お買いなさい。

  ★ 粟野邦夫『マニュアルには書いていない電子道具の使いこなしテクニック』より。

人間というのは、地位が上がるにつれて人格を高めていく者と、悪い方に変わっていくものと、ふた通りに分かれる。

  ★ 石橋信夫。樋口武男『熱湯経営』より。

人間というものは専制下にあろうと自由主義体制下にあろうとだいたい同じである。

  ★ ホイットマン。

人間には、裏切ってやろうとたくらんだ裏切りより、心弱きがゆえの裏切りの方が多いのだ。

  ★ ラ・ロシュフーコー。

人間には2つの型があって、生命の機械論が実証された時代がもし来たと仮定して、それで生命の神秘が消えたと思う人と、物質の神秘が増したと考える人とがある。

  ★ 中谷宇吉郎『中谷宇吉郎随筆集』より。

人間の一生を支配するものは運であって、知恵ではない。

  ★ キケロ。

人間の運命というものは、99.9%が成功しないものだ。成功者でないほうがより人間的な運命だ。

  ★ 岡本太郎。

 人間の身体は、動かさないと退化するシステムなのです。筋肉であれ、胃袋であれ、何であれ、使わなかったら休むというふうになって、どんどん退化していく。当然、脳も同じこと。
 そうすると、これだけ巨大になった脳を維持するためには、無駄に動かすことが必要なのです。とはいえ、常に外部からの刺激を待ちつづけても、そうそう脳が反応できる入力ばかりではない。そこで刺激を自給自足するようになった。
 これを我々は「考える」と言っている。

  ★ 養老孟司『バカの壁』より。

人間の気持ちは、その時々に変化する。今が幸せであれば、過去の全てはバラ色に、有意義に目に映る。しかし、今が不幸であれば、過去は全て灰色で無意味に思えるものである。その意味では、過去を笑うべきではないし、過去を泣くべきではない。

  ★ 大原健士郎『遺書の中の人生』より。

人間の器量は、自己責任の枠をどれだけ多くとれるかだと思う。

  ★ 山本一力。

人間の幸不幸など、きっと関係ない。科学にとっては、科学が進歩すること自体が素晴らしいのだ。だから科学者は人間のことなど考えてはいない。科学者は科学のことだけを考えているものなのだ。そうでなくては科学は発展などしない。恩惠を浴するか被害を被るかは使う者の裁量である。

  ★ 京極夏彦『塗仏の宴 宴の始末』より。

人間の心はともかく、身体は最後まで生きる努力をしています。

  ★ 永六輔『一般人名語録』より。

人間の食嗜好は、生まれてから何万回と繰り返された食体験と学習の成果である。

  ★ 伏木亨『コクと旨味の秘密』より。

人間の自由を奪うものは、暴君よりも悪法よりも、実に社会の習慣である。

  ★ J・S・ミル。

人間の寿命は100歳である、とインドではいう。あるいは120歳ともいう。ふつうにやっていれば(暴飲暴食さえしなければ)、それだけ生きられるのである。
 ましてや釈尊は、ふつうの人間ではない。絶対に100なり120歳まで生きることができたはずである。しかし実際には、釈尊は80歳で逝去された。
 然りとすれば、釈尊はみずからの意志で寿命を縮められたことになる。
 すなわち、釈尊は自殺された ── それが、いとも理論的な結論である。
 そして、釈尊の場合、自殺は是認される。なぜなら、釈尊はすでに悟りをひらいておられる。悟った人間は、二度と再び生まれることはない。だから、自殺してもよいのである。

  ★ 増原良彦『がくがく辞典 ── 聖なる猥学48講』より。「釈尊」とはお釈迦さんのこと。

人間のスタミナはそんなに簡単には落ちないんです。年とっても。スピードとかパワーは落ちる。

  ★ 加茂周。

人間の性質というものはそういうものであるが、善意の助言であっても自分の考えや希望にそわなければ聞きいれる人はほとんどない。

  ★ ヴォルフガング・ロッツ『スパイのためのハンドブック』より。

人間の最も偉大な力とは、その人の一番の弱点を克服したところから生まれてくるものである。

  ★ レターマン。

人間はいつから花粉に触れてさえアレルギーを起こすような高慢さを身につけたものか。

  ★ 中井英夫『火星植物園』より。

人間は生まれた時から死刑囚である。

  ★ 出所不明。

人間は元来、1人で生まれて1人で死んでゆくのである。大勢の中にまじっていたって孤独になるのは、わかり切ったことだ。

  ★ 田山花袋。

人間は後悔をする動物だが、改心はしない。

  ★ 伊坂幸太郎『陽気なギャングが地球を回す』より。

人間は自分以外の人に対して意を用いない度合いに従って、それだけ未開であり、野蛮であるのだ。

  ★ オルテガ『大衆の反逆』より。

人間は、自分が他人より劣っているのは、能力のためでなく、運のせいだと思いたがるものだ。

  ★ プルタルコス。

人間は、自分の身に起こる出来事を支配できるとどれくらい信じるかによって、多種多様に分けられる。

  ★ ロバート・M・ブラムソン『「困った人たち」とのつきあい方』より。

人間は自由の刑に処せられている。

  ★ サルトル。

人間は努力しているあいだは、迷うに決まったものだ。

  ★ ゲーテ『ファウスト』より。

人間はだれもが考えている。インテリだけが、それを自慢しているのだ。

  ★ ボーヴォワール『キャビアの中のウニ』より。

人間は、間違うものです。

  ★ 某物理学助教授。

人間は物事自体によってではなく、それに関して抱いている考えによって苦しめられている。

  ★ ギリシャの諺。

人間ひとりひとりが辞書です。

  ★ 畑中佳樹。青山南『ピーターとペーターの狭間で』より。


人間、若い時は色々なことがあるけど……、今の自分の気持ちを、あまり本気にしない方がいい。

  ★ 『機動戦士ガンダム』より。

人間を最も根本的に分類すれば、次の2つのタイプに分けることができる。第一は、自らに多くを求め、進んで困難と義務を負わんとする人々であり、第二は、自分に対してなんらの特別な要求を持たない人々、生きるということが自分の既存の姿の瞬間的連続以外のなにものでもなく、したがって自己完成への努力をしない人々、つまり風のまにまに漂う浮標のような人々である。

  ★ オルテガ『大衆の反逆』より。

(任天堂が80年代の家庭用ゲーム機乱立状態で一人勝ちできたのは)ファミコン以外のマシンは“コンピュータに似せたニセモノ”というコンセプトだったのに対し、ファミコンは“本物をオモチャとして出す”というコンセプトだったからだ。

  ★ 宮本茂。マリオの父と言われる人。カッコ内も原文ママ。最近のロボットペットを見ても、同じようなことを感じさせてくれるモノが多いですなあ。

任天堂は5歳から95歳までに楽しみを提供する。

  ★ 岩田聡。朝日新聞「Be on Saturday」より。


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