<今号の名言>集


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赤色のマーク(など)が最終更新分です。










「脳は10%しか使っていない」という説は、領域レベルでも細胞レベルでも成り立たないというのが、現在の脳科学の結論です。
 脳に空き地がないのは当然と言えば当然でしょう。動物や人間は進化の過程でギリギリのものを体に備えてきました。使わないものを持つほど余裕はありません。特に、脳は体全体の2%の重さしかないのに、エネルギーほ全体の20%を消費します。それだけたくさんの血液を脳に送らなくてはなりません。たくさんの血液を送って維持している器官の90%を使っていないというのは非常に考えにくいことです。脳内のすべての細胞が活動していると考えられています。

  ★ 藤田一郎『脳ブームの迷信』より。

能力を持った者には、それを正しく行使する責務がある。

  ★ ドラマ『白い巨塔』より。

ノーマン・メイラーは、事実無根でありながら報道されてついに事実としてくり返し扱われるうわさ話を「疑似事実」factoidと呼んだ。

  ★ R.L.ロスノウ、G.A.ファイン『うわさの心理学 ── 流言からゴシップまで』より。

残すとすればウソの宝の地図。これは絶対残したいね。自分の子孫をだますのって絶対やりたいもんね。3代くらいあとの子孫じゃないと絶対に見つかんないようにしといてさ。日記の表紙の裏に貼りこんでおいて、しかも安全カミソリでスジをつけといてね。何十年かたつと、そこがポロっと破れて中からウソの宝の地図が出てくるようにしとくの、そんなことして死にてえな。

  ★ 景山民夫『LIFE IS A CARNIVAL ── 極楽なんでも相談室』より。そんなことやる暇もなく逝っちゃったね、あの人も……。ちなみに、「確かな埋蔵金」の条件は、
  1. カネがあること、
  2. その財宝を持っている主体が確実に滅亡したこと、
  3. 主体の滅亡が急速で、かつ若干の余裕があること、
だそうだ。

残せる思い出は残し、残せない物は捨てていくしかない。多くは捨てる。残せる物の方が少ないのは仕方ない。頭の中にある物をこそ一番多く残せる。

  ★ super-parano。

残り試合けがしないよう頑張って欲しいです。

  ★ 野茂英雄。イチローがメジャーリーグのシーズン最多安打記録を作ったことに対し、絶賛のコメントの中。

のの字のの字で締まるネジ。

  ★ 如是我聞。

 のらくろは演劇的でありミュータント・サブは、より映画的であるといえるだろう。この辺のことは何度も論じられているから、とりたてて書く必要はあるまい。
 この相違が、読者に何をもたらすかを考えてみよう。のらくろは読者に連想を強制するマンガである。ミュータント・サブはその逆であって、説明が充分である上に、読者を作者の世界へ完全にひきずりこんでしまうマンガである。のらくろファンが、のらくろの世界と思っているものは、実は半分以上、連想によってくりひろげられた読者自身の世界なのである。文章の行間のような、のらくろマンガの空間、コマとコマの間の余白、コマ数が少ないため必然的に多くなっている吹き出しの中のセリフなどから連想したものを、読み返すことによって確かめ、次第に自分の世界を作っていくわけである。年輩の人たちがのらくろを懐Lがるのも、そういった少年時代の連想過程が蘇ってきて、それに伴なって当時のことを思い出すことができるからだ。

  ★ 筒井康隆『欠陥大百科』より。『のらくろ』は田川水泡の、『ミュータント・サブ』は石ノ森章太郎のマンガ。

「乗りつぶす思想」

  ★ 影山光久。ヤナセによるフォルクスワーゲン・ビートルの広告コピー。

呪いが解け、おばあちゃんが若い娘に戻って幸せになりました、という映画だけは作ってはいけないと思った。だったら、年寄りは皆、不幸ということになる。

  ★ 宮崎駿。『ハウルの動く城』について。

のんきと見える人々も、心の底をたたいてみると、どこか悲しい音がする。

  ★ 夏目漱石『吾輩は猫である』より。


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