<今号の名言>集


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赤色のマーク(など)が最終更新分です。










正解でない仮説を提示したからといって間違いを犯したと断じられるのも心外だ。

  ★ 東野圭吾『聖女の救済』より。

性格から音楽が出てくるわけではない。

  ★ 勝木ゆかり。作曲について。

性格とは、各個人がその趣向によって習得していった、人生を送るための戦略や戦術といったレパートリーのようなものでしかない。

  ★ ロバート・M・ブラムソン『「困った人たち」とのつきあい方』より。

性格は、言い替えれば運命のことだ。

  ★ ソール・ベロー。小田嶋隆のブログ『偉愚庵亭憮録』より孫引き。

成果主義が必ずしも成果につながるとは思っていません。

  ★ 大久保恒夫。TV番組『プロフェッショナル 仕事の流儀』より。

生活? そんなものは召使いにまかせておきたまえ。

  ★ ヴェリエ・ド・リラダン。

生協でグループで試験勉強している人の多くが、何も勉強せずにポケットに手をつっこんでニコニコしながらダベっているのは、なんだかとても不思議だ。まるで、勉強することによって「足抜け」する奴が出ないように、皆で監視しあってるような……

  ★ super-parano。

税金を払うと思うからいけない。罰金だと思えば諦めもつく。

  ★ 永六輔『一般人名語録』より。

制限時間が終わる10分前になって初めて大切な話題が出てくるということがよくある。

  ★ ロバート・M・ブラムソン『「困った人たち」とのつきあい方』より。

成功させるために、とびきりの幸運などを当てにはしていないが、予測できない不運は困る。

  ★ 我孫子武丸『0の殺人』より。

成功にしがみつきたいと思うようになるのは、得るものより失うものが多いと気づいたときなのです。その時点で臆病になり、過度に外見を気にするようになるのです。

  ★ 出所不明。

成功の秘訣を問うなかれ。なすべき一々の些事に全力をつくせ。

  ★ ワナメーカー。

成功への道は、うまく対処した失敗で踏み固められているものなんだ。

  ★ スタンリー・マーカス。ダニー・マイヤー『おもてなしの天才 ── ニューヨークの風雲児が実践する成功のレシピ』より。

生産的ではないが、不可欠な仕事だ。もっと評価されるべきだと思う。看病と留守番。

  ★ 小田嶋隆。Web日記「偉愚庵亭日乗」より。

生産できる女は少女じゃないんだよ。

  ★ 山崎浩一『ひとり大コラム ── 僕的情報整理術』より。

政治家はみんな宇宙人だよ。日本むちゃくちゃにしておもしろがってんだこれが。むこうの人気TV番組だからな。

  ★ 2ちゃんねるより。

政治というものは対立する利害の調整にある。百人あつまれば百の利害がぶつかりあう。それは企業でも家庭でも同じであろう。
 転勤命令をうけた夫、地方行きを拒否する妻、転学をいやがる子供、息子と転勤先へ行くという母、それに悩む妻である嫁。たったそれだけのことでも人生には大波乱を生ずる。これの調整こそが政治であり家政であろう。会社での人事も、取引先との交渉も、企業合併も、あるいは恋愛も友情も、一切の人間関係が利害の調整である。まとまらなければ血と涙が出てくる。

  ★ 山手書房新社編集部編『誰もが知りたかった 角さんの気くばり』より。

政治においては、実生活と同じく、何よりもまず実現可能なことを要求すべきだ。

  ★ ハイネ。

政治は宗教ではなく、教育の世界でもない。その種の物差しで政治を論ずるのはバカのする仕事です。

  ★ 早坂茂三『オヤジとわたし 田中角栄との23年』より。

政治はマイナーな世界だ。国会中継だって、スポンサーがつかないくらい不人気だからNHKしかやらないのだ。

  ★ 神足祐司『TV無差別級』より。雑誌『SPA!』所収。

青春とはぶち殺されるものなんや。

  ★ 井筒和幸「キツイで!」より。

青春は過去のものだったと振り返るものじゃない、青春は続いているものだ。

  ★ みうらじゅん。井筒和幸「キツイで!」より。

正常であることは、一種の<怠慢>なのだ。

  ★ 『平凡パンチ』より。雑誌にこうした挑発が踊ってた時代……。

青少年に悪影響があるゲームソフトを取り締まるべきですか?

  ★ 産経新聞アンケート「今回は「秋葉原の無差別殺傷事件」についてお聞きします」より。質問の前置きは「東京・秋葉原の無差別殺傷事件で、犯人が使用した両刃の「ダガーナイフ」は、ゲームソフトに登場するものでした。また、携帯電話のサイトに犯行予告をするなど、現代的要素を色濃く反映した事件となりました」。

聖書によると、女は神が最後に創ったものだという。土曜の夜に創られたものに違いない。さすがに疲れが感じられる

  ★ 小デュマ。

聖書を通じてのみ我々は真理に到達するというとき、プロテスタンティズムは、「カトリシズムは教会の伝統を真理の上におく」と批判しながら、みずから、いかに価値があろうとも人間の言葉に過ぎぬ使徒の証言を、真理そのものの上におく傾きをついにまぬかれないのである。イエスはこういう具合に聖書(イエスの場合、旧約聖書)を権威化しなかった。イエスは聖書に書いてあるから真なのではなく、真は真であり、そう認められるから真だと言い切ったのである。

  ★ 八木誠一『キリストとイエス ── 聖書をどう読むか』より。

聖書を見てもそうだ。愛は命令形で語られる。

  ★ 如是我聞。

精神病理学における“妄想”とは、反証する証拠があるにもかかわらず強く信じていて、まちがっていると証明されてもびくともしない誤った思い込みのことをいう。

  ★ スーザン・A・クランシー『なぜ人はエイリアンに誘拐されたと思うのか』より。

精神論は大切ですが、百万回精神論を唱えてもなかなか変わっていきません。リーダーとしてそれ以上に大事なことは仕組みを変えることです。仕組みが変わればおのずと精神は変わっていきます。

  ★ 孫正義。

精神を凌駕することのできるのは習慣という怪物だけなのだ。

  ★ 三島由紀夫『美徳のよろめき』より。

青年はつねに信用貸しで生きてきたのである。

  ★ オルテガ『大衆の反逆』より。

青年は老人を阿呆だというが、老人も青年を阿呆だと思っている。

  ★ ジョージ・チャップマン。

清はおれの事を欲がなくって、真直まっすぐな気性だと云って、ほめるが、ほめられるおれよりも、ほめる本人の方が立派な人間だ。

  ★ 夏目漱石『坊っちゃん』より。

生は死の前奏曲である。

  ★ 出所不明。

製品のデザインには、そのデザイナーが人間というものをどう見ているかが表れる。デザイナーが人々を見つめるからこそ、人々はリビングルームに置いても良いと思うのだ。

  ★ ディータ・ラムス。

税務署の査察が入らないようじゃ、伸びてる会社とはいいません。査察が入って倒産するような会社も、伸びてる会社とはいいません。

  ★ 永六輔『一般人名語録』より。

西洋人は、日本が平和な文芸にふけっていた間は、野蛮国と見なしていたものである。しかるに満州の戦場に大々的殺戮を行ない始めてから文明国と呼んでいる。近ごろ武士道――わが兵士に喜び勇んで身を捨てさせる死の術――について盛んに論評されてきた。しかし茶道にはほとんど注意がひかれていない。この道はわが生の術を多く説いているものであるが。もしわれわれが文明国たるためには、血なまぐさい戦争の名誉によらなければならないとするならば、むしろいつまでも野蛮国に甘んじよう。われわれはわが芸術および理想に対して、しかるべき尊敬が払われる時期が来るのを喜んで待とう。

  ★ 岡倉覚三『茶の本』より。

整理整頓された素晴らしく綺麗な環境のオフィスがありますが、それはつまり、整理整頓ができるような単純な作業しかなされていない仕事場である証拠です。本当に創造的で革新的な仕事をしている場所は、決して整理などできません。積極的に前進する仕事場では、過去を整頓するような行為に時間と労力をかけることはしないものです。

  ★ Webサイト『森博嗣の浮遊研究室』より。

生を愛するが故に死を恐れる思想は欺瞞であり、生の苦痛を征服し、自殺する勇気をもった新しい人間こそ、自ら神となる。

  ★ ドストエフスキー『悪霊』より。

世界が今日終わることを心配しちゃいけない。オーストラリアはもう明日になってる。

  ★ Charles M. Schulz。

世界が真っ暗だなんて、大嘘だ!

  ★ 浦沢直樹『MONSTER』より。

世界観というのは不思議なものである。一体、人は世界観なんてものを持っていて、何の役に立つのだろうか。金が儲かるわけでもない。女に(逆の場合は男に)もてるわけでもない。ただ世界が統一的に理解できるというだけのことだ。世界が統一的に理解できて、それでなんぼや。なんぼでもなければ、なんでもない。しかし、ただそれだけのことのために、古代から現代まで、哲学者や宗教家が全精力を注いできた。

  ★ 呉智英『知の収穫』より。

世界最初の宇宙飛行士のひとりであるアラン・シェパードは、宇宙船で宇宙に飛び出したとき、まるで感激しなかった。「いやあ、宇宙の風景は素晴らしい」などと御挨拶のひとつやふたつは言ったかもしれないが、内心ではぜんぜん感動してなかった。つまんなかったからではない。そんな風景は、地球で訓練されている間に何百回も見てきたからである。

  ★ 青山南『ピーターとペーターの狭間で』より。

世界中どこにでも、注意を向けさえすれば、量的・質的にいくらでも馬鹿が見つかる。

  ★ ホルスト・ガイヤー『馬鹿について ── 人間-この愚かなるもの』より。前後の文脈はこう。

私たちは、ある地方の人は他の地方に人より愚かだとか、ある国民はその隣国の国民より賢いなどとは言わない方がよい。それよりも、世界中どこでも、注意を向けさえすれば、量的・質的にいくらでも馬鹿が見つかることを知るだけで満足しよう。だからあまりに思いあがって人をけなすのは慎むべきだ。

世界中に2つの貧しい国がある。1つはアフリカ、もう1つは日本。アフリカは物質に飢え、日本は『精神』に飢えている。

  ★ マザー・テレサ。

世界と生は1つである。

  ★ ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』より。

世界とは、人生というカジノに入場する人すべてが参加せねばならぬようにしつらえられた賭博テーブルである。結局は全員が大なり小なり損をすることになっているが、たまには勝つ場合もあるから止められぬ。

  ★ サミュエル・バトラー。

世界とは、その場に起こることのすべてである。

  ★ ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』より。

世界とは、われわれの生の可能性の集積である。

  ★ オルテガ『大衆の反逆』より。

世界には貴方の知らないものが人が景色がたくさんあります。日本人はあまりそういうことを知らないから、隣の人が気になるのだと思います。楽しむことを知っていたら、そんな隣のアホにかまっている暇なんかもったいないはずですから。

  ★ 粟野邦夫『マニュアルには書いていない電子道具の使いこなしテクニック』より。

世界のいかなる所とも永く同盟することを避けるのが我々のほんとうの政策である。

  ★ ジョージ・ワシントン。

世界の価値は、世界の外側になければならない。世界の中ではすべてはあるがままにある。そしてすべては起こるままに起こる。世界の中には、いかなる価値もない。仮にあるにしても、その価値にはいかなる価値もない。

  ★ ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』より。


世界の3大料理は? ときかれたとき、人は、フランス料理、中華料理、そして3番目には自分の国の料理をあげるという。

  ★ 小山薫堂『小説・料理の鉄人2 ── 陳建一対フレンチの刺客』より。フランス人と中国人に聞いてみたいね。

世界は大きな舞台であるが、その芝居の配役はミス・キャストである。

  ★ ワイルド。

世界は終わる。メソメソと。ドカンとではなく……。

  ★ アンリ・ミショー。

世界は君自身の眼の中にだけ存在する。君が世界をどう考えるか、それによって世界は君の意のままに大きくもなり、小さくもなる。

  ★ スコット・フィッツジェラルド。神経心理学の立場から心と脳の関係を研究した山鳥重氏は、人間の心の特性として「自足性」と「過程性」を挙げた。心は、広ければ広いように、狭ければ狭いように、深ければ深いように、浅ければ浅いように、完結し自足しており、ちょうど炎という現象が、その形も熟も、いまくり広げられている過程そのものであるのと同じように、《今》という場で《今》という場においてのみ働くという。(山鳥重「脳の死は心の死を意味するか」)

世界はだまされたがっている。ではだましつづけておこうではないか。

  ★ 古い奇術の本の序文。松田道弘『トランプ・マジック』より。

世界はどのようにあるか、ということが神秘的なのではない。世界がある、ということが神秘的なのである。

  ★ ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』より。

世界は悲惨な者にとってのみ悲惨であり、空虚な者にとってのみ空虚である。

  ★ ショーペンハウエル。

責任と責任感の違いがわかるかい?
字数が違うわ。
押しつけられたものか、そうでないかの違いだ。

  ★ 森博嗣『冷たい密室と博士たち』より。

咳の子の なぞなぞ遊び きりもなや

  ★ 中村汀女。

セキュリティって、陳列棚から買えるような商品じゃないよね。ポリシーや人間、プロセス、テクノロジーの産物なんだよ。

  ★ ケビン・ミトニック。「本家インタビュー:ケビン・ミトニック」より。

世間でカリスマと言われている人たちの5人に1人は10年後、刑務所で暮らしている、とここに記しておく。

  ★ 長井秀和『デブはダイエット飲料だと3倍の量を飲む』より。

世間というのは、残酷な場所です。

  ★ 小田嶋隆。ブログ『偉愚庵亭憮録』より。

世間の目に見えている範囲は本当に狭い。彼らは新聞とゴールデンタイムのテレビにのっかったものしか認識していない。そしてそれが全てだと思っているからすごい。「ブーム」というのは、そういう世間を書き込まなければ成立しないのだからこれまた。

  ★ ナンシー関『何をいまさら』より。

セコムでないと出来ないサービスがあればやります。みんながやるからやる、というのは企業家としては冴えないね。

  ★ 飯田亮。

せっかく良い試合だったのに、ブラジル対トルコ。

怒れトルコ人!韓国までは地続きだ!!

  ★ 吟遊人。2002年ワールドカップのグループリーグ。韓国人審判の不当ジャッジについて。

絶学無憂。

  ★ 『老子』より。「学を絶てば憂いは無くなる」くらいの意味かな。

セックスはしないのが一番刺激的だ。

  ★ アンディ・ウォーホル。

絶対にマネしないで下さい。

  ★ 如是我聞。

説得にはレトリックが大事なのですが、自らがよって立つ根拠と都合の悪い点の両方を冷静に説明してみせるというレトリックは特にフェアであると私は考えます。そうでないやり方を使うと、最も力強い味方になってくれそうな人に対して信用を無くし、結果として、以前より悪い状況を作り出すことに貢献してしまう可能性があると思う。

  ★ 黒木玄。「黒木のなんでも掲示板」より。

 Z[√-5]の世界では、6=2×3=(1+√-5)(1-√-5)のように、因数分解の仕方が2通り出てきてしまう。つまり、素因数分解の一意性が崩れてしまうのだ。ここに問題があるということは、ラメやコーシーもわかっていたが、解決できなかった。クンマーの考え方はここからが画期的であった。彼は大胆にも「2や3、(1+√-5)や(1-√-5)は本当の素数ではない」と考えた。つまり「一意性が成り立つ本当の素数、そんな理想の数が存在する」と仮定したのだ。
 この強引とも思える手法が、理想数という全く新しい概念を生み出したのだ。

  ★ 富永裕久『フェルマーの最終定理に挑戦』より。

説得力は、派手な仕掛けやレトリックじゃなくて、リアリズムなんだ。もっと正確に言えば、ディテール(細部)のリアリズムなんだ。

  ★ 斎藤駿『小売の説得術 ── モノ買わぬ消費者とのコミュニケーション』より。

絶望するにも才能がいる。

  ★ 小林秀雄『続々文芸評論』より。

絶望は愚か者の結論。

  ★ ディズレーリ。

瀬戸内寂聴の「この人はひょっとしたら観音さまかもしれない」という言葉を思い出した。嫌だなと思った人のことを、もしかしたら、観音様なのかも知れないと思えば、嫌でなくなるというのだ。悟ったわけではないけれど、人を観音様だと思うことは、自分が観音様になれる道なのではないだろうか。

  ★ 早川義夫「エッセイ4 本屋から歌手にもどって」より。

1930年代にフレデリック・バートレット卿の本が発表されて以来、記憶の研究者は「視覚イメージを思い浮かべると、客観的にみて適当だと思える程度をはるかに超えるほどまで自信が強まり、その自信は強いまま保たれる」ことを知っている。起こっていないことを想像して、視覚的に思い描くことは、それが本当に起こったと思い込むにはじつに効果的な方法なのだ。

  ★ スーザン・A・クランシー『なぜ人はエイリアンに誘拐されたと思うのか』より。

1970年の末になると、大半の主要なGSは解散し、音楽マスコミはニュー・ロックと呼ばれるスタイルに注意を移していた。第3世代のGSの一部はもう少し持ち堪えたが、それでも1、2年のうちに幕切れを迎えてしまう。グループ・サウンズは登場した時と同じくらい唐突に姿を消した。

  ★ マイケル・ボーダッシュ『さよならアメリカ、さよならニッポン ── 戦後、日本人はどのようにして独自のポピュラー音楽を成立させたか』より。

1985年1月4日の朝日新聞に、「神経痛などに効く」などとのふれこみで、さる浴用器具が出回っており、その効用のほどが疑わしい、と話題になり、「厚生省や東京都は指導を強め」たとあった。問題点は「許可を受けた医療器具ではないのに、効用をうたえば、薬事法に触れる」という、もっともな話である。その意味ならば、効用に疑いのある薬品や医療器具もどきの品がまだまだ出回っている。「どこそこのお大師さまは、神経痛に効く」とか、「交通安全に効く」「水子の祟りがなくなる」といわぬばかりの寺や神社もあとを絶たない。もし浴用器具業者が「これは宗教的なものです」といえば許してもらえるかどうか、という問題。

  ★ 安野光雅『算私語録その3』より。注)厚生省=現厚生労働省。
いくつか参考になるかもしれないお話。まず水子の話だが、京極夏彦『姑獲鳥の夏』にこんな話が出ている。


「水子が崇るなんて考え方はつい最近、昭和になってから市民権を得たような、新しい考え方なんだ。江戸の頃は7歳前の子供が死んでも人間として供養すらしなかった。悪名高い生類憐れみの令に子供を捨てるな、とあるくらいだ。犬猫並だったということさ」

また、幽霊に関しては、アンブローズ・ビアスの『悪魔の辞典』「GHOST【幽霊】」の項にこうある。

「幽霊を信ずるに乗り越せない障害物が1つある。つまり、幽霊は決して裸で出ないことだ。幽霊は死体を包む白布の姿か、「生前の服装」かで姿を見せる。そうだとすれば、幽霊の存在を信じるということは、死者には、全てが消滅した後でも、自分の姿を人の目に見えるようにする力があるばかりか、同じような力が織物にも本来備わっているということを、信じるということになる。織機によって作り出される織物がこのような力を持っていると仮定するならば、そのような織物がそうした力を振るうのはどんな目的からなのか? そしてなぜ洋服の化け物が。本体の幽霊なしで、時には出歩かないのか? これらは意味深い謎である。そしてこれらの謎は、この流行している信仰の根深い主根にぐっと手を伸ばし、これをつかんで激しくゆさぶるのである」

ビアスは19世紀のアメリカ人であるが、1世紀の後漢の王充は『論衡』「論死編」でこう述べている。

「もし、死んだ人が幽霊になるというのなら、幽霊は必ず裸で出現しなければならない。なぜならば、人間には霊魂があるかもしれないが、服や髪飾りや靴には霊魂はないはずだから。」

選挙はいつの世でも、体制のアリバイづくりのセレモニーとして機能する一面のあることを忘れてはいけない。

  ★ 亀和田武『TV WAR』より。雑誌『BURRN!』所収。

選句は、選者の創作です。

  ★ 高浜虚子。

戦時下や準戦時下の国では、戦いに勝つことが正義であり正論です。アメリカ式の民主主義では、政治的後進国の問題解決にはなりません。

  ★ 柘植久慶『大統領の密謀』より。

選手交代に正解はない。結果としての成功と不成功があるだけだ。

  ★ 山本昌邦『山本昌邦備忘録』より。

戦場とはそんなもので、複雑すぎる思考は邪魔になるだけである。スパッと割り切って考え、出た結論をすんなり実行する。それが優秀な軍人だろう。

  ★ 柘植久慶『グリンベレー 戦場のサバイバル』より。

先人は必死に春を惜しみけり

  ★ 相生垣瓜人。

先生、いくらなんだって、零点はひどいですよ。
その通りだがでもな、校則によって、零点以下が付けられないんでね……

  ★ 立川談志『家元を笑わせろ!』より。

先生だってたまんないよね。逆に先生も、0歳児の時から育てさせてくれたら、育てようがあるかもしれないよね。

  ★ 中嶋悟。中嶋悟+大和国男『中嶋悟全発言』より。

先生の背中がスキだらけ
背中に「すき」って書いてもきずかない
いっぱいすきって書いたのにきずかない
先生の背中
好きだらけ

  ★ サマー『姉ちゃんの詩集』より。

先生、私は昔から胃は人一倍丈夫なんですが、100歳まで生きられるでしょうか?
なるほど、お酒は召し上がりますか?
いいえ1滴も。
じゃ、タバコは?
だめなんです。
女は?
からっきし。
すると、道楽は何もないんですか?
はい、何もありません。
……それじゃ、何も100歳まで生きる必要はありませんな。

  ★ 出所不明。東欧のジョーク集だったと思うが。

全世界が滅びるのは、けたたましく鳴った非常ベルが鳴りわたるまえ。あらゆる生命の消え果てたあと、広大な地上にひろがる廃虚の沈黙のなかで、戦闘準備を呼びかけつついつまでも鳴りやまぬ非常ベル……

  ★ J・フェロードヴィッチ、工藤幸雄『共産国でたのしく暮らす方法』より。

戦争がいかに悲惨でコリゴリなものかは、もうよくわかった(と言ってしまおう)。でも、じゃあいったいそんな悲惨でコリゴリなことを、だれがなぜどのように始めてしまったのか? ── その肝心なことを、きちんと教えてくれたオトナは、ほとんどいなかった。戦争がまるで降って湧いた天災であるかのように、オトナたちはその「被害」の悲惨さと苦労話を繰り返すだけだった。「自然に起こってしまう」ものなら、平和を100万回唱えたって防ぎようがないじゃないか!

  ★ 山崎浩一『リアルタイムズ ── 光速の失楽園』より。

戦争が邪悪と見なされている限り、それは常にその魅力を持つであろう。それが卑俗と見なされるとき、人気を失うであろう。

  ★ ワイルド『芸術家としての批評家』より。

戦争が、悪いと知りつつ止まないのは、勝つ可能性があるからである。

  ★ 阿佐田哲也『Aクラス麻雀』より。

戦争は、戦場に出ない者によって決定される限り何度でも起きるのだ。

  ★ 出所不明。

洗濯機も終わったらピピッっていうわ
恋もそうよ 終わりなら教えてよ

  ★ 桜っ子クラブさくら組「なにがなんでも」の歌詩。作詞は川島だりあ。

選択には細心の注意を払え。それが現実になるかもしれない。

  ★ 「コリン・パウエルのルール」第5則。

選択の自由を保障することは、誤った情報を流布することの免罪符にはなりません。

  ★ NATROM。

先だって、名古屋で泥棒がある家へ忍び込み、隠れていたら、テレビから“幸せなら手を叩こう”という九ちゃんの歌が聞こえてきた。さて仕事と思ううち、泥氏、つい聞き惚れてしまい、何と思わず自分も手を叩いてご用になったという実話があった。これをあるディスク・ジョッキーの語り手氏が、“バカな奴もいるんもんです”と話題にしていたが、なぜこれを、“楽しい奴もいるもんです”とやれないのか。

  ★ 立川談志『現代落語論 ― 笑わないで下さい』より。

前庭を美しく手入れすることで、家の価値が下がることはない。さらには、1軒が手入れをはじめると、隣家もそれにならうものだ。

  ★ ダニー・マイヤー『おもてなしの天才 ── ニューヨークの風雲児が実践する成功のレシピ』より。

戦闘の枠内でしか戦争を考えられない者は、単細胞の無能な将棋ゴマ軍人にすぎない。

  ★ 呉智英『インテリ大戦争 ── 知的俗物どもへの宣戦布告』より。

前途は遠い。そして暗い。しかし恐れてはならぬ。恐れない者の前に道は開ける。行け。勇んで。小さき者よ。

  ★ 有島武郎。

先輩がきれいな鉋屑を削っていますよね。かっこいいし、憧れでしょう。ああいう鉋屑を削ってみたい……そう思った時に、鉋をかしてやります。
「削ってみい」
そしたらうれしくてうれしくて、板が薄くなるほど削りますからね。その夜からそいつの研ぎものは今までとは全然違ってきますよね。

  ★ 小川三夫。『ほぼ日刊イトイ新聞』「法隆寺へ行こう!」より。

先輩が2時間稽古するなら、自分は最低4時間やろうと頑張ったんですが、上手い人はもっともっとやるんです。優れている人より稽古しなかったら、差は永遠に縮まらないじゃないですか。とにかく時間が足らないんですよ。

  ★ 中村扇雀。『THE BIG ISSUE JAPAN』より。

戦略的判断のミスは、十指にあまる戦術的成功を以てしても救えない。

  ★ ナポレオン。

占領するならしてもらおうじゃないか。孫子曰く「智將は敵に食む」。併合して日本を第51番目の州にすることだ。そうしたらGNP西側2位、人口1億2千万の巨大な州の誕生だ。だが……臥薪嘗胆といってな。何年後がはわからんが大統領はあんたに代わって日本人から出る。必ず日本はアメリカを乗っ取る!!

  ★ かわぐちかいじ『沈黙の艦隊』より。もしほんとにそうなったら、日本はいくつかに分割されるだろう。そうなればあっさり終わっちゃう気もする。注)臥薪嘗胆=目的達成のために長い間苦労すること。

戦力が互角なら、状况有利な方が絶対に勝つ! それが戦闘だ!!

  ★ かわぐちかいじ『沈黙の艦隊』より。

全力で戦うというのは、要するに、ダメなときはノーと言って、妥協できないときもノーと言って、やりたい事だけやるということです。

  ★ 岡田斗司夫『遺言』より。

全力を尽くすな。身体に悪いから。がまんするな。身体に悪いから。

  ★ 田辺茂一。井上陽水『ラインダンス』より。


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