<今号の名言>集


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赤色のマーク(など)が最終更新分です。










問いってのはさ、持つことがえらいんじゃなくて、それを解決しようと努力して初めて意味があるんですからね。

  ★ 山形浩生。「黒木のなんでも掲示板」より。

ドイツにはコメディアンがいない。英国にはミュージシャンがいない。アメリカにはフィロソフィアーがいない。日本にはプレイボーイがいない。

  ★ 出所不明。注)フィロソフィアー=哲学者。

ドイツの車をさすとき、ベンツ、ワーゲン、BMWと、個別のブランドをいうのに、なぜ、日本の車はひとまとめにされて、日本車といわれるんだ。

  ★ 無名のアメリカ人。吉田信実『90年代日本「高級車」の挑戦 ── アメリカ、ECに本当に勝てるのか』より。ただし、ホンダだけは別のようで、他の日本車と区別されているようだ。ホンダだけは外国から尊敬されている。……しかしアメリカ人はメルセデス・ベンツを「ベンツ」と呼ぶのだろうか?

どうあってもユリア様をあきらめることはできませぬか。ユリア様の心はケンシロウ様にあるとわかっていても。
くどい! だれを愛そうがどんなに汚れようがかまわぬ。最後にこのラオウの横におればよい!!

  ★ 武論尊作・原哲夫画『北斗の拳』より。

どうお答えしていいか判りません。そんな仮定の質問に軽率に答えられる人間は尊敬されないと思います。

  ★ 有楢川有楢『ダリの繭』より。

どうか僕を幸福にしようとしないで下さい。それは僕にまかして下さい。

  ★ アンドレ・レニエ『半ばの真実』より。

東京オリンピック当時の東京の都市計画に参加していた連中の思考というのは、俺にとって永遠の謎だ。

  ★ 景山民夫『トラブルバスター3 国境の南』より。

東京がつまんなく見える原因の1つはあの白銀灯のせいなんだと思う。

  ★ 坂本龍一『Seldom‐illegal ── 時には、違法』より。

東京に暮らすからには、クルマを「もうひと部屋」と数えたい。

  ★ 太田恵美・東野みゆき。トヨタ自動車の広告コピー。

東京に出て衝撃を受けたのは、ジャズと落語でした。これは田舎にはないリズムなんですね。

  ★ 神崎宣武。民俗学者。

東京の方がずっと緑が多い。ここの自然は人間にとって、まだまだ手強い敵なんだ。生きていくには街から締め出すしかなかったのさ。

  ★ 奥田哲也『霧の街の殺人Click Here!』より。

統計は、数字の持つ倫理上の意味については、全く無力です。

  ★ 大村平『統計のはなし』より。

“当事者の自由”というのは「クェート問題」のように当事者以外の者の利害にも関与する選択肢は除外して、イラクのフセイン大統領が寝るときに「仰向けになって寝るか、うつ伏せになって寝るか」というようなまさに他人にとっては「どうでもよい」選択肢に限って当事者の自由な選択を認める、などと規定しても、問題の本質的な矛盾は解消しないのである。

  ★ 出所不明。

どうして俺を助けたんだ?
さあな。多分、俺が昔飼ってたデキの悪い犬にお前が似てたからだろ。

  ★ 映画『15ミニッツ』より。

どうして昨日観た映画の主人公のように愛してくれないの?
バカ言え、あいつはものすごいギャラをもらってるんだぞ。

  ★ 斉藤勲『ソノときの台詞』より。

どうして君を捨てられるだろう。良子も、この生活も、俺にとってはもう体の一部なのだ。無理に切り離せば、血が流れるに違いない。

  ★ 島田荘司『異邦の騎士』より。

どうして嫌われるの?
奴らは自由に生きてる人間がうらやましいのさ。

  ★ テレビ映画『マクカイヴァー』でのセリフだったと思う。迫害されている民族の子供を国から連れ出そうと国境で国境警備の兵士のスキをうかがっている時の言葉。

どうして超能力がそんなに誇らしいのかわからない。まず人間として何もできない人が“超”とは悪い冗談だわ。あなたたちは超能力しか使えないバケモノよ。

  ★ 和田慎二『超少女明日香』より。

「どうして当社を志望したのですか?」
 という質問って、なんとなく、自分の彼に、「どうして俺にほれたの?」と聞かれるのと同じようないら立ちを感じるのです。「別に好きなんだから理由なんてないわよッ。そうやってほめてもらって、自己満足の世界にひたりたいわけえ?」という感じ。男の人だったら、彼女に、「ねえ、私ってかわいい?」と聞かれるようなものですね。

  ★ 酒井順子『おかげさま ── 就職界見聞録』より。

どうして兵隊になったんだい?
俺は女房もいないし、戦争が好きでね。
お前は?
俺は女房があって、平和が好きなんでね。

  ★ 立川談志『家元を笑わせろ!』より。

どうして墓地の蚊はあんなに元気なのか。

  ★ 小田嶋隆。Web日記「偉愚庵亭日乗」より。

 当時の絵画を眺める場合、今日の一部の画集の解説が好んで使う「モデルの女性の内面の描写」がどうの、「画面を満たす永遠の静寂」がどうのという、一見「芸術的」な割にはほとんど実証性のない、随筆のごとき主観的かつ造形至上主義的な鑑賞姿勢は、基本的に無効だと思った方がよい。
 なにより忘れてならないのは、当時の絵画がきわめて高価な商品だったという事実である。加えて、グラビア印刷も写真もない当時にあっては、一点の絵画にかける思いというものが、今日とは本質的に違っていた。
 当然、高いおカネを払って見合うだけの、顧客と画家の間の取り決めというものが存在しており、その取り決めの基本は「何が描いてあるか」がきちんとわかるという点にあった。

  ★ 西岡文彦『絵画の読み方 ── 知的に名画を解読する完全ビジュアルガイド』より。

当時の画家は、作品の題名を自分でつけることはありませんでした。大半の絵が教会や王侯貴族からの注文によって制作され、描かれる内容も契約によって定められていたために、画家が自分で命名する余地がなかったからです。

  ★ 西岡文彦『モナ・リザはなぜ名画なのか?』より。

当時の識者なる人たちは、「封建的遺制」を諸悪の根元と決めつけ、さまざまな事象をこれによって説明した。それがこのところ登場しなくなったのは、高度成長経済のおかげであろう。現在の日本の諸悪の多くは高度成長に関連づけられるものである。

  ★ 呉智英『封建主義者かく語りき』より。

当時はまだ「バブル崩壊」なんぞという流行語があった。つまりそれは単に一時的な現象だと思われておったんじゃな。実はそれまでの49年間がまるごとバブルだったなんて、まだ誰も夢にも思わんかった。

  ★ 山崎浩一『情報狂時代』より。

同性から好かれるのは誇りであり、同性から嫌われるのは嫉妬である(ということにしておこう)。

  ★ 早川義夫。公式サイトの日記より。

どうせ苦労するなら、好きなことだけ苦労しなさい。

  ★ マルセ太郎。

どうせ結婚なんて間違いをやらかす覚悟なら、あれこれ迷うなんて馬鹿げてる。

  ★ 島田荘司『サテンのマーメイド』より。

どうせ、申請書の文章なんて1回しか読まれないんだから、リズムが大切や、あるいは、勢いかな。

  ★ 某研究者。

どうせ前が見えぬのならば後を見るのも潔くない。

  ★ 京極夏彦『塗仏の宴 宴の支度』より。

当然すぎるほど当然ですが、接待ゴルフで相手よりいいスコアを出してしまったら、会社をクビになっても文句は言えません。
 ビジネスマンがせっせと練習場に通うのは、フェアウエイではなく、OBへと思い通りに球を飛ばすためなのです。

  ★ 石原壮一郎『大人養成講座』より。

闘争においては、お人好し、善人の類は、ときに有害ですらあります。それは、結果的に味方に損害や動揺や敗北を招くことがあるからです。なお、人格・品性において、権謀術数に長けた者即悪人、ではありませんし、その術のない者即善人、でもありません。

  ★ 黒沢博道『選挙参謀読本』より。引用書名からもわかるように、この場面では「闘争」とは選挙のこと。

── どうぞ。鍵は開いてるわ。
や ── ? 真っ暗じゃないか。
暗闇が好きなのよ。……それに、こうしていると星が見えるから。

  ★ 綾辻行人『迷路館の殺人<新装改訂版> (講談社文庫)』より。

どうだい、俺に1万円貸してくれる度胸はあるまいね?
いや、度胸はおおありだが、金はねえよ。

  ★ 出所不明。何かのジョーク集だったと思うが。

どうでもいいんです、動機なんて。殺したのはあなたであってぼくではない。動機はあなたにとって問題なので、ぼくにではない。……そんなことはどうでもいい。話したいのならご自分で話せばよろしい。ぼくはこの物証1つで充分です。

  ★ 篠田真由美『玄い女神』より。

Do [to others] as you would be done by.(人からして貰いたいように人にもなせ)
would は wish to の意で、by の次には others が省略されている。このことわざは新約聖書のマタイ伝とルカ伝の中に見えるキリストの教えの1節に由来するもので、「黄金律」(the golden rule)として有名である。……
これに対し、論語の中にある孔子の教えとして『己の欲せざる所は人に施す勿れ』がある。日英のものを比較してみると肯定と否定の相違にまず気がつく。西洋人は「人が喜ぶことをせよ」と教え、東洋人は「人のいやがることはするな」と教える。積極と消極の対立の例である。……この東西のことわざの表現の相違には思想的背景がある。英語のことわざは、Love thy neighbour.(汝の隣人を愛せよ)つまり他者を自己と同様の欲求を持つものと考えて愛せというキリスト教の人間観に基づいている。日本人には、他者を自己と全く同様に愛することはできない。日本では私生児を引き取って育てようという人が極めて少ないという事実もその表われである。つまり自分たちの実の子供(腹を痛めた子供)でない限り本当に愛することはできないのである。他者を自己と同じように愛することはできないから、他者に害を及ぼさない(人の嫌がることはしない)というのが我々の基準とする道徳律なのである。

  ★ 奥津文夫『英語ことわざ散歩―イギリス人の知恵をさぐる』より。

とうとう君にサヨナラを言わなくちゃいけない時が来た。
ホッとしたわ……だって、この2年間、いつそれを言われるかって怯え続けてきたんですもの。今日からはもう怯えないですむのね。

  ★ 斎藤勲『ソノときの台詞』より。

どうなってもいいのはテメエの方だ! テメェら家付きメシ付き一生人生だと思ってんだろ。そんな保険のおかげで、この女が自分の女か他人の女か見分けもつかねえようになってんだよ。テメェらにできるのは長生きだけだ。クソたれてガマンして生きてるだけだ。

  ★ 映画『麻雀放浪記』より。

Do first!

  ★ 如是我聞。

動物は本当に気持ちのいい友達である。彼らはいかなる質問もしないし、いかなる批評もしない。

  ★ ショージ・エリオット『聖職生活』より。

どうも成田空港というのは日本人出発客のためだけを考えてデザインされたような気がしてならない。

  ★ 景山民夫『どんな人生にも雨の日はある』より。

遠くで愛してくれる人より近くで抱いてくれる人をとるのが自然でしょ。

  ★ 出所不明。

「どうやったら○○できるでしょう?」に対する答は「何か試しましたか?」である。

  ★ Webサイト『森博嗣の「浮遊研究室」』より。


都会人の恍惚は一目惚れの恋情というよりは、最後の一瞥にこもる未練である。

  ★ ベンヤミン。引用した本にはこれの前に、

都会人を魅惑する現象は ── この現象にとって群衆とは決して単にその対蹠物その敵対的要素だけを意味するのではない ── 群衆を通じてはじめて彼のまえに出現するということである。

とある。そういや、エドガー・アラン・ポオの『群衆の人』という短篇は名作。

都会では、過去も思い出も、燃えるゴミの日に出さなくちゃいけないのね……。
個人情報漏出に気をつけて、手紙も写真もハンドシュレッダで断裁しながら涙するのです。

  ★ Webサイト『森博嗣の「浮遊研究室」』より。

都会というのは豊かなようでいて、一歩まちがえると、見渡す限り美味しいものなしというコワーイ、エリアがたくさんあります。地元の人たちが少ないところ、積み重ねのない街は都会の砂漠。長くそこに住んでいる人たちが、時間をかけて自分たちの好みをジワジワと押しつけてつくった街じゃないと、どうしても良いものが育ちません。口うるさいおばあちゃんがドッサリ住んでいるような街は最高。そして、そのおばあちゃんが大切にしている魚屋さんも最高です。

  ★ 邱世嬪『チャイナ・キッチン』より。

ときどき、「落とされた」と言う学生がいるけれど、それは違います。落とされたんじゃなくて、自分で落ちたんです。

  ★ 菊池誠『科学と神秘のあいだ』より。

得意なことだけ考える、得意でないことをして時間の浪費はしない、私にできることなら一生懸命する。できることがさらにうまくできれば、その結果として報酬が上がり、人を雇ってその人たちの得意なことをしてもらうだけの余裕ができるはずだ。

  ★ ジョン・スポールストラ『エスキモーが氷を買うとき ── 奇跡のマーケティング』より。

毒ガス 七月 八月

  ★ 立川談志(先代。6代目、自称4代目)。立川談志『現代落語論 ― 笑わないで下さい』より。

読書の喜びというと、何かを知る、つまり、真理を獲得する歓喜ということになるのだが、その他にもう1つの喜びがある。それは、獲得した真理を以て、他の人に、どうじゃ、こんなことは知るまい、ほれ、ほれ、と、いばる喜びなのである。旧弊なタイプの知識人には、読書のこういう喜びに無自覚な人がいるが、これは大きなまちがいである。今世紀最大のロマン主義者の1人である毛沢東もいうように、理論と実践は両立しなければならない。せっかく獲得した真理だもの、すべからく他人に教えてやって楽しむべきなのである。

  ★ 呉智英『インテリ大戦争 ── 知的俗物どもへの宣戦布告』より。

読書は、自分の価値観と社会的な価値観との一致とズレを確かめることのできる作業といえるだろう。

  ★ 西岡文彦『図解発想法 ── 知的ダイアグラムの技術』より。

独身者とは自分が間違っていれば折れて出る男。女房持ちの男は、自分が正しい場合でも折れて出る。

  ★ プロクノウ。

独占市場にはチャンスがある。

  ★ 堀江貴文。

独占資本主義との戦いは依然不可避である!

  ★ かわぐちかいじ『沈黙の艦隊』より。

独占ソフトを書くようなヤツに、金を受け取る資格なんかない。

  ★ リチャード・M・ストールマン。

特にイチローとの対比で興味をもって見ている。イチローはスピードがあり、人を引き付けるエキサイトメントをもっている。松井はハード、ブルーカラーといったイメージ。

  ★ ジョー・トーリ。ニューヨークヤンキース監督。

特に近現代の画は作者の言葉無しには把握できないものがほとんどです。

  ★ 麻耶雄嵩『』より。

時計の文字盤には、本当に不思議なことがある。一般に、文字盤には、1から12までの数字が書かれている。これは当たり前である。ところが、1時間は60分なのである。何故、1から60までの数字を書かないのか。「2のところに長針があったら10分です」と小学生に先生は平気で教えている。子供には、世間の厳しさを教えるのだろうか、と犀川は思う。その不合理さにどうして誰も気がつかないのか。こんな不親切な文字盤のメータが他にあるか、周りを見回してみると良い。一番良い解決方法は、5分を1分にすることだろう。1時間を12分にすれば良いのだ。

  ★ 森博嗣『すベてがFになる』より。

時計を1つ持っている人は、何時だかわかる。時計を2つ持っている人は、正確な時間がわからない。

  ★ シーガルの法則。『マーフィーの法則 ── 現代アメリカの知性』より。

どこかと契約して、けがしないように、頑張りたいです。

  ★ 野茂英雄。2004年シーズンオフ、ドジャース残留の可能性が消え日本球界復帰に水を見向けられたとき、あくまでメジャー指向を強調した上で。

どこで借りたと 心も蛇の目 傘の出どこをきいてみる

  ★ 都々逸。

どこかのテーブルにお金があるのを見つけても、それに触れてはいけません。なぜだかわかるネ。
先生、ちゃんと数えてあるかもしれないからです。

  ★ 立川談志『家元を笑わせろ!』より。

何処にでもいる男の子
誰とでも寝る女の子
今日も何処かで すれちがうの
GROOVY DAY

キスの上手な男の子
嘘の上手な女の子
いつも恋してるふりしてる
GROOVY DAY

TVに出てた男の子
夢にまで見た女の子
今日も何処かで すれちがうの
GROOVY DAY

  ★ PIZZICATO FIVE「我が名はグルーヴィー」の歌詩。作詞は小西康陽。

どこへ行っても、理由、理由、理由……。こんなことをするためには、よほど重大な理由があるはずだ、なんてふうに言われますが、ハハ、そうなんでしょうかね。人を殺したり、自殺したり、そんなことに、重大な理由なんて必要なんでしょうか。私にはわかりませんねえ。……そうしないことにさしたる理由がないように、そうすることにさしたる理由はないんですよ。私はそう思いますね。

  ★ 竹本健治『トランプ殺人事件』より。

ところが、あの頃はなーんの障害もなくずーっと真っ直に道が歩けた。前から来る人が、こっちの顔見てみんな道あけてくれる。ハッキリ言えば、逃げて通る。中には、パッと横っ飛びして壁にへばり着いて人の顔じーっと怖そうに見てる奴なんかもいる。本当はね、そういう奴には、近寄っていって耳元で「神は実在する」とかなんとか囁いてやりたかったんだけど、それやってるとキリがないからやりませんでしたけども。

  ★ 景山民夫。雑誌『えじゃないか』より。「あの頃」というのは“幸福の科学vs.『フライデー』騒動”の頃のこと。

ところが、かつて少年や少女であった私たちが、あらゆるものに対して切ないほどに抱いていた好奇心は、学問の専攻分野や職業の種類を選択していくうち、いつの間にか見失われていくのである。世界はあまりにも広大で、自分はあまりにもちっぽけな存在であることを知る「大人」になっていくからであり、情報があふれ、知の諸領域が分化しすぎている高度情報化社会の実態に気づくからである。

  ★ 西岡文彦『図解発想法 ── 知的ダイアグラムの技術』より。

利明は今日の朝食を思い出した。卵焼きと鮭の塩焼きだった。味噌汁の中には豆腐と若布が浮いていた。なんという朝食だったのだろう、と利明は思った。あまりにも普通だった。明日も、明後日も、いつまでも今日と同じ生活が続くと考えているからこそ聖美はそんな料理を出したのだ。突然すぎる。こんなばかな話はない。

  ★ 瀬名秀明『パラサイト・イヴ』より。妻を突然交通事故で失ったというシチュエーション。

都市と云うのは具現化された観念である。

  ★ 京極夏彦『塗仏の宴 宴の始末』より。

年を重ねただけで人は老いない。理想を失うとき初めて老いる。

  ★ サミュエル・ウルマン『青春』より。

年を取るのは当然のことで、もちろんシワも増えていきます。画面に出ている限り、いい年の重ね方をする義務がある。責任があると思うんです。

  ★ 吉永小百合。『スポーツ報知』より。

土地の名づけの物語は、その土地がもともと神話のなかにあった世界であったかのように組みかえてしまう。

  ★ 田中聡『妖怪と怨霊の日本史』より。

どっちでもいい、金持ちか貧乏でありさえしたら、今のどっちつかずの楽な暮らし向きではやることが不可能な多くのことが出来るのに。

  ★ ドン・ヘロルド。

どっちを向いてもfeel so bad だけど死には至らない気分はどうだい?

  ★ TOM・CAT「TOUGH BOY」の歌詩。

とにかく清水の舞台から不法投棄をするつもりで脱稿することにする。どんな原稿でも書かれない原稿よりはマシだというのがプロの判断ではある。

  ★ 小田嶋隆。Web日記「偉愚庵亭日乗」より。

とにかく恋をしたい女の子と同じで、ただとにかく映画を作りたかっただけなのだ。

  ★ 村上龍『69 sixty nine』より。

とにかく、その女に捨てられたという時には、多少なりと精神上に傷害を残す位な濃艶に狂激な女がほしいのです。

  ★ 永井荷風『新橋夜話』より。

とにかく東京は、真剣にますます壊しがいのある巨石文明に近づきつつあるってわけだ。

  ★ 山崎浩一。

とにかく、ネルフの連中と連絡を取るんだ。
しかし、どうやって?
直接行くんだよ。

  ★ 『新世紀エヴァンゲリオン』より。


とにかく、ひとまずいらないものを始末しろ、ってことまで、リフォームの一環になっているのが変ですね。

  ★ Webサイト『森博嗣の浮遊研究室』より。テレビのリフォーム番組について。

とにかく、見ちゃうのはしょうがないし、感じちゃうのはしょうがない。ただそういう経験をあとから客観的に考えなおせるかっていうのが大事なんだ。もちろん、考えなおして意味がわかる場合もあれば、結局はわからずじまいになっちゃう場合もあるのだろう。それはそれでしょうがないよね。わからないならわからないで、わからないという事実をとりあえず認めておくのが大人の態度だ。

  ★ 菊池誠『科学と神秘のあいだ』より。

とにかく、ヤクザにボルボに乗られたら外見で判断できないではないか。ヤクザの人は、まず外見で自己主張をするものと昔から決まっているのである。

  ★ 景山民夫。

どの買い手も抜け目のない目を持っている。ところが、最も抜け目のない男も、自分の妻は吟味もせず袋入りのままで買ってしまう。

  ★ ニーチェ。

どの種の問題であれ、解決方法が見つかった後では単純な問題となる。

  ★ 如是我聞。

どのみち、フランスの半分はイギリスに取られている。これ以上、何を失う?
残りの半分です。

  ★ 映画『ジャンヌ・ダルク』より。

どのような機械でも、分解は組み立てより容易である。

  ★ ウォッシュレスキーの法則。 『マーフィーの法則 ── 現代アメリカの知性』より。

途方もない大きなプライドを、とんでもないケチな人間が持っている。

  ★ ヴォルテール。

トマトはトマトである限り本物である。それをメロンに見せようと思うから偽物になる。

  ★ 相田みつを。

トマホークもSS20も「中距離核戦力」の分類では同じだが、性質はずいぶんちがう。 トマホークはジェットエンジン駆動のいわば無人爆撃機。これに対しSS20はロケット推進の超音速が身上、射程も4500kmとトマホークの倍ちかい。しかしトマホークはマイコン制御の精密誘導が売り物で、鹿児島から稚内のテニスコートにファースト・サーブを決めることができる。ただし核弾頭なのでマッケンローでも返せない。

  ★ 前田哲男「限定核戦争」[トマホークvs.SS20]より。『核 ── いま、地球は……』所収。注)トマホーク、SS20=それぞれアメリカ、ソ連の戦術核(核抑止のための「戦略核」と違い、実際に「使う」ための核。これらは大統領の裁可を仰がなくても発射できたりする)。


富は1つの才能であり、貧もまた同じく才能である。金持ちになった貧乏人はぜいたくに飾りたてた貧乏を作りあげることだろう。

  ★ ジャン・コクトー『恐るべき子供たち』より。

留袖の、あの足許から湧きたつようにあしらわれていた裾模様が、近頃では、膝を中心に配置するように変わって参りました。それは、お式の場所がほとんど洋風になったためでございます。

  ★ 土屋耕一。伊勢丹の広告コピー。メインコピーは「腰かける留袖」。

富める友の家には招かれた時に行き、貧しき友の家には招かれなくても行け。

  ★ ポルトガルの諺。

富める人がその富を自慢しているとしても、彼がその富をいかに使うかということが判るまでは彼をほめてはならない。

  ★ ソクラテス。

ともかく、明日! 明日!

  ★ super-parano小学校の時の担任の口癖。

友が皆我より偉く見える日は 花を買い来て妻と親しむ

  ★ 石川啄木。確かこんな歌だったと思う。記憶違いはあるかもしれない。

友達何人くらいいる?
10人くらいいます。
じゃ、もし例えば君がマリワナ吸って捕まってね、保釈金に300万必要とする。君に金がなかったら、自分の貯蓄をボッとおろして300万払って君を留置場から出してくれる、そういう親友って何人くらいいる?

  ★ 酒井康『売名行為』より。

 友達は、葬式に行くべきではない。
 いや、葬式がいけないというのではない。
 友達が生きているうちに、病院なり療養先なりに、もっと誠実に顔を出すべきだということだ。
 葬式にだけ顔を出して、鹿爪らしい顔をしているヤツは、友達とは呼ばない。

  ★ 小田嶋隆。Web日記「偉愚庵亭日乗」より。

友だちは、未知の世界への案内人。

  ★ 山田敦子。

共に泣くことの愉しさほど人々の心を結びつけるものはない。

  ★ J・J・ルソー。心理学的にも、感情の起伏を共有すると親近感が増すらしい。例えば学校で、文化祭なんかの準備なんていう、1つの共通目標に向かって力を合わせてる時にくっつくヤツが多かったでしょ。デートのコースはその観点から選びましょう。

友は新しくできたり、去っていったりするが、敵は確実に増えていく。

  ★ トマス・ジョーンズ。

友は生まれてくるもので、拵えるものではない。一生涯に1人の友で充分だ。2人だと多い。3人はまず不可能だ。

  ★ H・アダムズ。

 トヨタは合理化運動のとき、必ず基本テーマを出す。
 あるときトヨタの工場に行くと、たまたま一台あたりの製造原価を8千円下げようという目標をたてて、カローラの合理化運動が行なわれていた。どうやって下げるのかと聞いたところ、「オーバースペック見直し運動を基礎におく」という返事が来た。
 かりにクルマの寿命が10年とする。そこでエンジンのビスだけが12年もったら残りの2年分はムダ。あるいはスプリングが30年もつとしたら、20年分はムダだというわけだ。ただし、フロントガラスだけは100年もつらしい。それは、ともかくクルマを構成する2万点の部品を全てクルマの寿命に揃えようというのが、そのときの基本だったのである。
 クルマを構成する2万点の部品がすべて、ある日いっせいにパーになるのは自動車作り究極の姿だ。だからトヨタは、オーバースペックになっている部分のネジ屋やビス屋を呼んで「お前のところのネジは品質がよすぎる。もっと悪くしてその分値段も安くしろ」と片っ端から詰めていったのだ。

  ★ 梶原一明・徳大寺有恒『自動車産業亡国論 ── トヨタ・日産の「正義」は日本の罪』より。

トリックそのものに良いも悪いもありません。良いマジシャンと良くないマジシャンがいるだけです。

  ★ Webサイト「マジェイアのカフェ」より。

奴隷は、奴隷の境遇に慣れ過ぎると、驚いた事に自分の足を繋いでいる鎖の自慢をお互いに始める。
どっちの鎖が光ってて重そうで高価か、などと。
そして鎖に繋がれていない自由人を嘲笑さえする。
だが奴隷達を繋いでいるのは実は同じたった1本の鎖に過ぎない。
そして奴隷はどこまでも奴隷に過ぎない。
過去の奴隷は、自由人が力によって征服され、やむなく奴隷に身を落とした。
彼らは、一部の甘やかされた特権者を除けば、奴隷になっても決してその精神の自由までをも譲り渡すことはなかった。
その血族の誇り、父祖の文明の偉大さを忘れず、隙あらば逃亡し、あるいは反乱を起こして、労働に鍛え抜かれた肉体によって、肥え太った主人を血祭りにあげた。
現代の奴隷は、自ら進んで奴隷の衣服を着、首に屈辱のヒモを巻き付ける。
そして、何より驚くべきことに、現代の奴隷は、自らが奴隷であることに気付いてすらいない。それどころか彼らは、奴隷であることの中に自らの唯一の誇りを見い出しさえしている。

  ★ リロイ・ジョーンズ。

トレーニングとは、指導者が「自分はこんなによく準備をしている」ということを選手にアピールする場ではない。

  ★ 山本昌邦『山本昌邦備忘録』より。

「トレンディなんて恥ずかしいよな」「おれらが『トレンド』って言う時にゃ、語尾に『(笑)』が必ずついてるもんな」「もうトレンド云々の時代じゃねえよな」「いやあ、ぼくはトレンディなんかじゃないスよ」などと、したり顔でわざわざ口に出さなければならない人種こそ、よっぽどトレンド強迫症または中毒症に違いないのだ。そしてそう言った舌の根も乾かないうちに「ねえ、知ってる?」などと結局トレンド話に花を咲かせるに決まっているのだ。

  ★ 山崎浩一『そこそこトレンディ ── 「そんなバカな!時代」を見晴らすための60講』より。

度忘れは瞬間的に伝染うつる。

  ★ 佐々淳行『わが上司 後藤田正晴 ── 決断するペシミスト』より。

どんな怒りにも必ず理由があるが、それがもっともな理由であることは少ない。

  ★ フランクリン。

どんな嘘でも、100回繰り返せば真実になる。

  ★ ヒトラー。これが口説きのテクニックでもあろう。

どんな親であれ、子を埋葬することは許されん。

  ★ 映画『ロード・オブ・ザ・リング ~二つの塔~』より。

どんなことでも、できることはロボットやコンピュータにやってもらえばよい。人間の仕事を奪うなんて発想は、人間の本質を見誤っている。人間は仕事をするために生きているのではない。仕事をしないために生きている。それが、人間だけの目的、幻想だと思う。「働かざる者食うべからず」は低級で危険な現実だ。

  ★ Webサイト『森博嗣の浮遊工作室』より。

どんな社会でも社会は社会、そういうものだ。参加者に真っ平な公平さを求めるなんて間違っている。人生はゲームじゃないのだから。

  ★ 奥田哲也『霧の街の殺人Click Here!』より。

どんな政治的自由があってもそれだけでは飢えたる大衆を満足させない。

  ★ レーニン。


どんな食べ物、どんな異性、どんな車、どんなファッションに欲望を抱くかはすべて他人によって決められている。感性も同様。マスコミの操作以前に、欲望や感性は他人との比較、模倣、競争の中で形成されるのだから。そして「自分」というものが確固としてあるというのもまた創られた考え方のパターン(フィクション、物語)にすぎない。

  ★ 出所不明。カッコ内も原文ママ。そういうことだ。

どんな小さなメモでも、読み手がいて、目指すべき目的がある。

  ★ 山田ズーニー。

どんな悩みごとだってさ いつか終わるものさ

だけど 夢を見ていることだけで救われるというのかい?

  ★ SADlSTlC MIKA BAND「ヘーイごきげんはいかが」の歌詩。

どんなに正しくても、決して頷くことのできない問いが、この世には存在するのだ。

 どんなに正しくても、否定しなくてはならない問いがある。

  ★ 森博嗣『地球儀のスライス』より。

どんなに速く走れる車でも、時間までにスタートラインにつけなければ走れないのである。

  ★ 海老沢泰久『F1地上の夢』より。

どんな場合も思いもよらぬ結論と云うのは信じられるが思い通りの結論と云うのは怪しいのです。

  ★ 京極夏彦『塗仏の宴 宴の始末』より。

どんな馬鹿者でも絵は描ける。だが、賢い人でなければ絵を売ることはできない。

  ★ サミュエル・バトラー。

どんなふうに記憶し、何を記憶し、なぜ記憶しているかによって、各個人の心の地図が作られる。

  ★ ジェイムズ・ボールドウィン。

どんなものでも何かの役に立つんだ。例えばこの小石だって役に立っている。空の星だってそうだ。君もそうなんだ。

  ★ 映画『』より。

トンネル工事だって、スコップを持っている人たちばかりだったら、当然ズレていくでしょう。どんなものでも、少し離れてぼんやり眺めている人間がいなくちゃいけないんだね。

  ★ Webサイト『森博嗣の「浮遊研究室」』より。


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