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『ラーメンと愛国』を読んで感じたいろいろ(3)

※「『ラーメンと愛国』を読んで感じたいろいろ(2)」よりつづく

 そして第五章「ラーメンとナショナリズム」。これが本書のメイン部分(だと思うよ)。
 
 本書が話題になった時、一度Amazonに見に行ったことがある。
 そこにあった、出版社による内容説明はこうだった。
 

なぜ「ラーメン職人」は作務衣を着るのか?
いまや「国民食」となったラーメン。その始まりは戦後の食糧不足と米国の小麦戦略にあった。”工業製品”として普及したチキンラーメン、日本人のノスタルジーをくすぐるチャルメラ、「ご当地ラーメン」に隠されたウソなど、ラーメンの「進化」を戦後日本の変動と重ね合わせたスリリングな物語。

 

 これの冒頭の「なぜ「ラーメン職人」は作務衣を着るのか?」に引っかかった。
 私は作務衣を着るラーメン職人をほとんど見たことがない。そういやそういうの着ている店もあったかなあ……メディアでは見たことがあるかも……うーん……というところ。
 例えば東京の有名店(だと思う)の店主で日本ラーメン協会理事長であるちばき屋千葉憲二氏の作務衣姿を味の素の販促冊子で見たことがある(「アイドルのエッチと、ラーメンのうま味」)のと、本書に書かれている博多一風堂の従業員は着ていた……かな?というくらい。
 
 そこで私は「そんなに作務衣を着るラーメン屋がいる? 東京だと多いの?」という疑問を持ったのだが、読むとその答えがちゃんと書かれていた。実際には「さほど多いわけではない」と。(^^; なんだそりゃ。(^^;;
 多いのはTシャツ(これなら実感にも沿う)で、それは「藍染め風か黒で、手書きの漢字で屋号が書き込まれた”作務衣風”のものである」と。
 うーん……。
 しかしね、冷静に考えてみようよ。
 「作務衣風のTシャツ」などというものは存在しない。
 そして現在、本当に多いラーメン店のスタイルは「タオルにTシャツ」である。
 ではなぜ実態に必ずしも合っていない作務衣を敢えて持ち出すのか。
 
 これがこの本のメインテーマと重なってくる。
 著者は「作務衣」を現在のラーメン店を象徴するキーワードだと考えている。そして「作務衣系」という言葉を、単に店員の服装だけではなく、最近増えているあるスタイルのラーメン店を指す言葉として使っている。
 

 本書ではこうした、陶芸家的な出で立ちで頭にバンダナやタオルを巻いた店員のいるラーメン屋を”作務衣系”と呼ぶが、実際に店員が作務衣を着るラーメン屋が、さほど多いわけではないようだ。例えば、二〇一〇年に開催された東京ラーメンショーに参加した約二〇店舗を例にとると、作務衣をユニフォームにしていたラーメン屋は二つ。残りの多くはTシャツ姿だった(もっとも、このときのイベントのプレゼンターを務めた「ちばき屋」の千葉憲二は作務衣姿だったし、「富山ブラックラーメン」の店主は作務衣を着た写真が展示されていた)。ただし、そのTシャツも藍染め風か黒で、手書きの漢字で屋号が書き込まれた”作務衣風”のものである。
 こうした”作務衣系”がラーメン屋を代表するスタイルとして完全定着を果たすのは、一九九〇年代末のことだ。そしてそのイメージは、おそらくは陶芸家に代表される日本の伝統工芸職人の出で立ちを源泉としている。第二章では、生産技術で勝るアメリカに、”職人の匠”だけで戦争を挑み大敗を喫した日本が、戦後はものづくりで復興を遂げた経緯を述べた。だが、九〇年代のラーメンの世界は、再びものづくりのロールモデルとして”職人の匠”を重視する伝統職人を選んだのである。

 
 何のこっちゃ、と思うかもしれない。
 それまで中華風の意匠を凝らすのに努力していたラーメン店が、1990年代からその意匠を「和」の方向にシフトしてきたという。その1つの典型として作務衣を着る店員があり、毛筆を多用し、相田みつをのようなヘタウマの字で〈ラーメンポエム〉を壁に掲げてしまう傾向が挙げられている(この〈ラーメンポエム〉というネーミングを編み出したことは著者の大きな功績だと思う。(^O^))。
 ただ、「和」の雰囲気を醸し出そうとしているものの、その中身は正統的な「和」とはかなりかけ離れた、上っ面の「和」にしかなっていない。
 

 ここで一応、触れておくが、実際の陶芸家は作務衣を着ない。少なくとも、人間国宝クラスの陶芸家が着ている写真などを見た記憶はない。作務衣と陶芸の間にはなんの関係もないからだ。そもそも作務衣は、禅宗の僧侶が日常的な業務=作務のときに着る作業着であるが、いまどきの作務衣と称されている着物は、それとも違い、戦後に甚平とモンぺをミックスしたものである。歴史はきわめて浅く、日本の伝統ともまったく関係がない。

 
 つまりあくまでも伝統的にちゃんとした裏付けを持たない、あくまでも雰囲気上の「和」に過ぎないと。
 
#しかしここでも私は著者の説明はヘンだと思っている。そもそもここの前提となっている「作務衣=陶芸家的な出で立ち」というパブリックイメージは本当にあるのだろうか? 私自身はそんなイメージを持っていないので、まず「陶芸家的な出で立ち」という説明を自分で持ち出してきておいて最後に「実際の陶芸家は作務衣を着ない」と言われても、このあたりの説明は全て、混乱するだけの蛇足だ。ここも「言わんとすることはわかるけれど、持って行き方にどうにも引っかかりを感じる」という部分。
 
 そういう、「和」を志向しつつ正統性を持たない軽薄な「和」の雰囲気を採用してしまうことを(毛筆入りTシャツを着る店員の店を含めて)著者は「作務衣系」と呼んでいるのだ。
 
 そしてこれは、昨今見られる「ナショナリズム」「愛国」とも通じると。
 

 社会学者の阿部潔は、日本の一九九〇年代後半を、「気分としてのナショナルなもの」が肯定的に受け入れられるようになり、「文化・社会現象としてさまざまな形で前景化」していった時代だと指摘する(『彷裡えるナショナリズム ── オリエンタリズム/ジャパン/グローバリゼーション』世界思想社)。九八年の長野オリンピックでは、劇団四季の浅利慶太の演出による「伝統的な日本」を意識した演出の開会式が行われ、「大東亜戦争の意味を問い直す」という小林よしのりの『新・ゴーマニズム宣言SPECIAL戦争論』第一巻(幻冬舎)がベストセラーになり、国旗国歌法が公布(九九年)される。
 同時に、阿部はこれが単なる右傾化ではないということも指摘する。浅利慶太の演出が典型であるように、「日本の伝統」「ナショナルなもの」を表出しようとしながらも、生まれてくるのは、一度、自分たちの視点を西洋側に置いた上での「日本の伝統」、つまりは西洋視点のジャポニスムを真似てしまうという皮肉なものでしかないからだ。
 二〇〇〇年に浅田彰は、一九九〇年代のJポップやJ文学といった「いかにもポップな、しかし日本的で身近な感じがする」文化の台頭、そして皇室の伝統的なイメージなどかなぐりすてて「元X JAPANのYOSHIKIが『奉祝曲』を演奏した」ことなどを受け「J回帰」という言葉を提示した。これは、九〇年代の不況とグローバル化を背景にした、日本的なものを取り戻そうとする動きが、本来的な「伝統の日本」を取り戻すのではなく、「あくまでも表層的な模像(シミュラクル)としての日本への回帰」にしか結びつかない状況に向けて、「浅薄な」という言葉とともに吐かれたものだ。
 これらの指摘は、ラーメン屋が「日本の伝統」「伝統工芸の職人の出で立ち」を再現しようとして、まったく正統性のない「作務衣」を着てしまうのと同じであり、そのメカニズムを説明してくれるものである。ラーメンこそ、浅田が言うところの「表層的な模像としての日本への回帰」を一九九〇年代に果たした代表的な存在と言える。

 
 「あくまでも表層的な模像(シミュラクル)としての日本への回帰」の部分で、「ラーメンと愛国」は結びつく。
 これはまさに「作務衣系」のラーメン店と重なるのだ、と。
 
 これが本書『ラーメンと愛国』の解題。
 

 私自身はラーメン店で出会う手書き毛筆で蘊蓄なりが掲げられるような店舗を「ネオ和風」と呼んでいた。
 作務衣を着た店員に記憶はないが、こういう店は2000年代に入って増えたような実感は覚えていた。
 
 しかしこれからは〈ラーメンポエム〉という言葉を是非使わせてもらおう。(^O^)
 「作務衣系」という言葉は、ちょっとワタシ的にはアレかな。(^^;;

 本書の歴史的な考察対象は「日本」だけれど、現代の空間的な考察対象は、実質的にはあくまでも「東京」。
 東京に住んでいれば不思議に感じないのだろうが、それにしても東京ローカルの話をかなり一般化している。
 

 一九九〇年代にラーメン業界が急速に日本の伝統を装うようになったのは、やはり、九五年に東京に進出してきた「博多一風堂」恵比寿店、そして、その翌年に青山に開業した「麺屋武蔵」の登場に負うところが大きい。

 
 という記述を普通に見れば、「一九九〇年代にラーメン業界が急速に日本の伝統を装うようになったのは」ではなく、「一九九〇年代に東京のラーメン業界が急速に……」だろうと普通は考えるはずだが、東京目線では決してこの注釈は入らない。
 このあたり、作者はそれに無自覚なのかそれともそれで構わないと思っているのか、よくわからない。

 そうそう、できれば店をプロデュースするコンサルの趣味にも触れていただければよかった。
 
 上記のように、著者は「ラーメンの意匠に”和”を持ち込んだ」店の1つ「九五年に東京に進出してきた「博多一風堂」恵比寿店」について、こう書いている。
 

 河原は、東京進出に先立ち、トータルな店のブランディングを、外部のデザイン会社に依頼する。依頼先は、一九八〇年代にCI(コーポレート・アイデンティティ)という言葉が流行った折に、企業のシンボルマークの変更やブランド化戦略を手がけていたパシオというデザイン会社である。パシオは、河原の依頼を受け、彼が描いたイメージを実現するような内外装を手がけた。「博多一風堂」恵比寿店には、大きな鉄釜が太い鎖でぶらさがっているが、これは店の活気を表現する演出である。同様に看板やメニューには手書きの力強い文字が使われている。手書き風の文字で、うんちくや人生訓 ── 〈ラーメンポエム〉 ── を壁に描くという作務衣系ラーメン屋のルーツの一つはここで生まれている(別のルーツは後に触れる)。

 
 文中の「河原」は「博多一風堂」の河原成美社長のこと。
 もちろんこれは河原社長の意向も強く反映しているのだろうが、それを形にしたのはこのパシオというコンサルなのだろう。
 本書ではここで「ラーメンの意匠に”和”を持ち込んだ」のは「博多一風堂」の河原成美社長と「麺屋武蔵」の山田雄代表だと言っているが、コンサルもまた重要な役割を果たしたと考えるべきだろう。
 
 実際、私が「ネオ和風」と呼んでいた〈ラーメンポエム〉炸裂の店はたいていコンサルが店舗プロデュースしたと思しき店ばかりだった。
 〈ラーメンポエム〉はおそらくコンサルが手がける店舗イメージメニューのバリエーションの1つとして定着しているのだろう。
 つまりコンサルは「ラーメンの意匠に”和”を持ち込んだ」ことのみならずその普及にも大きな役割を果たしたはず。
 
 なのでこういう論を張るのであればコンサルの仕事はもう少し押さえておくべきではなかったかと思う。

 まえがきに、「日本古来の食べものでもなく、たかだか100年あまりの歴史しか持たないラーメンが、なぜこのように(”国民食”と)呼ばれるようになったかそれが本書を書くに至った理由の1つ…」 とあった。
 しかし、他に”国民食”って呼ばれるメニュー(カレーライスとか?)で古来からの食べものってあるだろうか?
 
 真の「国民食」は味噌汁、うどん、そば、おにぎり……とかなのだろうが、これらは敢えて「国民食」などと呼ばないよね、きっと。「国民食」ってわざわざ言われちゃうってのは、むしろそういうものだからではないかなあ。
 
 それともうひとつ。
 これまでさんざん「国民食」と呼ばれてきた「ラーメン」は、ひょっとしたらインスタントラーメンのことかもしれない。「ラーメンは国民食」という時、その何割の人が店で食べるラーメンをイメージしているのだろうか。このへんの切り分けは、本当にしなくていいの?

 「体面を大事にして本質を見失う態度」の例として、「元冠の折、元の大軍に向けて、単騎名乗りを上げて立ち向かった鎌倉時代の武者たちの戦法」を挙げているのはどんなもんか。「体面を大事にして」という部分は共通しているけど、別にそれが原因で本質を見失ったわけじゃないような。
 これは当時の戦いが「そういうもの」だったからってだけの話ではないかなあ。


 

日本においても、イタリア発のスローフード運動は人気が高い。そして日本にも、「身土不二」という言葉が存在する。これは地域の旬の食品が、最も健康にいいということを示す言葉である。「身土不二」は、明治時代の食養運動のスローガンとしてつくられた言葉であるが、現代においてスローフード運動や「地産地消」を推奨する運動などと同調し、再び注目を集める言葉となっている。

 
 えらく簡単に「身土不二」という言葉を持ち出すけれど、何の注釈もなくこんな書き方をするということは、おそらく著者はマクロビを知らないんだろう。これは感心できない。
 
 マクロビについては(その問題点も)このあたり↓が詳しい。

とらねこ日誌
身土不二と健康問題
身土不二と地産地消ってどう違うの?
マクロビオティックは肉食を禁じていない?
マクロビは「優しい」疑似科学か?
 
火薬と鋼
身土不二のやりたい放題

 ちなみに「身土不二のやりたい放題」(火薬と鋼)には「マクロビの身土不二は伝統でも地域でもない」というフレーズがあって、これってまさに『ラーメンと愛国』で著者が「ご当地ラーメン」に対して言っていることと全く同じで、なんというか、皮肉だよなあ。(^^;;

 ラーメンというものがいつの間にか「ウンチク」を伴うものになったという話は、その前にラーメンがウンチクの余地/価値がない取るに足らないものだと捉えられていたことを押さえないといけないのではないかなあ。
 そういうものに敢えてウンチクを傾けるというパロディ的なアプローチが80年代のカタログ文化やニューアカブームな空気と相俟って「こんなものにも敢えて真面目にウンチクを語るギャップの面白さ」を狙う対象となりそれが定着したという段階があるわけで。
 今考えるとこれこそ「B級グルメ」が生まれる過程だったんだよなあ。
 その名残が、テレビや雑誌でラーメンを扱うときに出演者にタキシードやパーティードレスを着せたがる感覚(そしてゲストにやたら叶姉妹を呼びたがる感覚(^O^) )だと思う。
 
 『ラーメンと愛国』は、他の年代に比べて80年代の記述が極端に少ないように思える。「70年代の延長」あるいは「90年代の前」くらいの扱いでしかないような。
 
 ちょうどバブルの頃、景山民夫がエッセイで、デートで食べるメニューはカレーうどんがいいと書いていたことがあった。ラーメンは既にウンチクの対象になっているからアウト、カレーライスもうどんも、蕎麦などもってのほか。その点カレーうどんにはその余地がないといった理由だったと思う。
 バブルの頃、ワインを筆頭に、ウンチクもまたデートの小道具の1つだった。いや少なくともメディアはそう煽っていた。バブルは常に新しい消費対象(品物であれ情報であれ)を求めていた。
 イタ飯だナタデココだと新しい品物を発見し、そして既存のメニューには「ウンチク」という再発見で新たな消費価値を与えた。ラーメンすら然り。
 そんな中、景山民夫がこのエッセイを書いた当時はカレーうどんはまだ純潔を保っていたというわけ。しかしその後、カレーうどんでさえもウンチクに汚染されていく。(^O^)
 80年代はありとあらゆるものにウンチク(情報)という付加価値を与えようとした時代だったのね。
 
 1983年はまだこういう傾向の胎動期だったが、既にそれをパロディ化した『見栄講座 ── ミーハーのための その戦略と展開』(ホイチョイ・プロダクション著)が発表されている。
 この本ではフランス料理店でのデートのワイン選びについて、「ミーハーなあなたは、ただひとつ」ボージョレーを覚えておけばよいと言う。「値段も安く、どの店にも置いてあり、料理を選ばず、しかも年代に関係なく新しいものをガブガブやるのが正しい飲み方とされているので、安心して注文できます」云々。そして「その年の収穫で作った新しいボージョレーは、フランス政府の取り決めで、11月15日以前には出荷できないことになっており、日本に新物(ヌーボー)が入ってくるのは、だいたい12月の初旬頃になります。従って、クリスマス・シーズンに、フランス料理店でボージョレーを注文し、「新物(ヌーボー)ある?」と聞くと、たいへんな尊敬が得られるはずです」と。
 後半は、今では誰でも知っているボージョレー・ヌーボーのお話だ。しかし当時はほとんど知っている人はいなかった。
 ここで「ボージョレーの新物」と呼ばれているボージョレー・ヌーヴォーが「1980年代後半のバブル期に大きなブームになり解禁日未明に成田空港に行って飲む人まで現れるなどの状況」(ボジョレー – Wikipedia)になる。80年代のたかだか数年で、日本の「食」(の情報)はパロディを追い抜いた。
 
 85年の映画『タンポポ』も、こういう傾向を横目で見つつ、おそらくはハードボイルド小説の異常な消費文化への傾倒(特定のブランドへの執着とウンチク)をも下敷きにして、パロディの対象としてラーメンを選んだ。
 
 『美味しんぼ』がまるまる1冊ラーメンに取り組んだ38巻「ラーメン戦争」が雑誌に掲載されていたのがバブル後期の92年(単行本は93年発売)。
 何度か書いたが、『美味しんぼ』の《ルーツを探り、そこから「本当の」「本来の」その料理を再構成する》というアプローチの仕方とラーメンは非常に相性が悪い。バブル後期になってやっと正面切って取り組んだ(かのように見えた)ラーメンに、『美味しんぼ』はこの方法をぶつけて完全に玉砕してしまった。
 『ラーメンと愛国』が示した、出自も内容も違っていた料理が「ラーメン」という共通語を獲得することで同じものになった、という指摘は非常に意味があると思う。
 『美味しんぼ』はこれに気づかずどれも「ラーメン」として「同じもの」と考えたから(いや、その後実際に標準化して「同じもの」になっていった)ルーツ探りが混乱する。
 
 それは例えば関西のすき焼きと関東の牛鍋が同じ「すき焼き」という言葉で括られることによってルーツが混乱していくといった話とも似ているのかもしれない。
 そしてラーメンの出自の怪しさこそ、うどんやそばといった「由緒正しい」メニューとは違ったキッチュさを醸しだし、それはまさに「ウンチク」「正統性」などとは正反対のものだった。
 だからこそ『タンポポ』は映画の素材としてうどんやそばではなくラーメンを選んだのだし、ラーメン番組の司会者はタキシードを着るのだ。
 『タンポポ』はつぶれかけたラーメン屋をラーメンマニアが力を貸して再建する物語だ。もしこれがラーメン屋ではなくそば屋やうどん屋だったとすれば、再建屋として登場する人物(山崎努)の役回りはマニア(客)ではなく腕の立つうどん/そば職人だっただろう。マニア(客)が職人と同等の発言力を持つのが、その「出自の怪しさ」とリンクする、ラーメンというメニューの特徴だった(現実はどうかではなくイメージとして)。
 
 つまりラーメンが「ウンチク」を纏ったのは、それとは正反対のアヤシサがあったからこそだったのだろうと思う。

 局所局所でいえば無理があると感じるところは多い。
 
 ラーメンと信仰の部分(平和神軍やオウムの話)などは別に入れる必要なかったと思うし、触れるとしても無理矢理結論めいたことをいう必要はなかったと思う。
 
 またラーメン二郎について、「宗教的な傾向を持」つという。その根拠は、
 

 誰が言い始めたのか、ジロリアンたちが口をそろえて言う言葉に「二郎はラーメンにあらず。二郎という食べものなり」というものがある。彼らは「ラーメン二郎」のラーメンを食べることを修行のように自分に課し、まるで聖地を巡礼するかのように「ラーメン二郎」に通い続けるのだ。傍から取材した筆者の目線から感じたことを率直に書くなら、「ラーメン二郎」はラーメン屋というよりは、信仰の対象のような存在である。ラーメン好きの間でも、二郎を受け入れるかどうかはきっぱりと二分されるようだ。

 
 と。ラーメン二郎が「宗教的な傾向を持」つという根拠は、どうやらこれだけなのだ。
 これにはびっくりした。「筆者の目線から感じた」から、ラーメン二郎は「宗教的な傾向を持」つ。
 むううう。
 
 この後、筆者はこう言う。
 

 筆者は「ラーメン二郎」が宗教的な傾向を持ち、ジロリアンとは信仰であると書いたが、二郎の宗教性とは、オウム真理教が麻原彰晃という教祖をトップとし、説法や超常現象によって信者たちを集め、帰依させるようなモデルとはまったく違うものである。ジロリアンと呼ばれる信者たちは、「ラーメン二郎」という一風変わったラーメンチェーンの中に見え隠れする理念の体系のようなものを自分たちで見いだし、その中から勝手にルールをつくり出して、それに則ったゲームを行っている。「ラーメン二郎」は、風変わりなラーメンを提供はしているが、コントロールしているわけではない。遊び方を生み出し、二郎を消費しているのはあくまでジロリアンたちなのだ。彼らは二郎という風変わりなラーメン屋からゲームのルールを見出し、コミュニケーションの材料としながら、ファンとなって、それを消費しているのだ。
 ジロリアンに見られる、コミュニケーションと結びついた消費の在り方は、現代の若い世代に共通する消費行動である。例えば、コスプレイベントに参加して写真を撮り合うアニメファンたちは、アニメコンテンツを撮影会というコミユニケーションの材料として消費する。また、CDが売れなくなった時代と言われて久しいが、夏フェスはかつてよりもむしろ盛り上がっている。音楽ファンたちがCDを買う機会は減ったが、彼らは夏フェスに遊びに来て好きなバンドのTシャツを購入することで経済貢献しているのだ。これもコミュニケーションの材料として音楽を消費するという構図にあてはまる。
 もちろん、ラーメンに限らず、会食・パーティにパン食い競争、芋煮会、バーベキューなどの食文化もコミュニケーションと結びついたものではあるが、インターネット時代以降のラーメンの消費の在り方は、ネット上のコミュニケーション文化と密接に関わる、新しい消費像を見せてくれている。

 
 これを「宗教的な傾向」と結びつけるのはあまりにこじつけがすぎるのではないか。
 ここでこういう結論になるのなら、「宗教的な傾向」とは一体何なのか。冒頭の説明でもさっぱりわからないし、結論についても敢えて「宗教」を持ち出さないと説明がつかないような部分はない。むしろただ「宗教的」と言いたかっただけ、ではないかとすら思わせる。
 

 『ラーメンと愛国』については、当ブログでも何度かコメントをいただき勉強させていただいている摂津国人さんが「読書感想文」を上げてらっしゃる。
 私もあまりいいことは書かなかったけど、摂津国人さんはご自身もおっしゃるとおり、「辛口」。(^O^) なるほどなあと思うことがたくさんあった。
 
「ラーメンと愛国」速水健朗(ネタばれあり、辛口)読書感想文(はてなビックリマーク)

 『ラーメンと愛国』を読んで感じたいろいろ(1)
 『ラーメンと愛国』を読んで感じたいろいろ(2)
 『ラーメンと愛国』を読んで感じたいろいろ(3)(当エントリ)

突然食いたくなったものリスト:

  • デミハンバーグ定食

本日のBGM:
THE KAMUI /竜童組





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