『ラーメンと愛国』を読んで感じたいろいろ(2)

※「『ラーメンと愛国』を読んで感じたいろいろ(1)」よりつづく
 
 第四章「国土開発とご当地ラーメン」では戦後から現在に至る日本の経済状態を、「地方と中央の経済格差のシーソーゲーム」として捉えている。そして観光資源という視点で「ご当地ラーメン」を捉える。
 
 曰く、こうだ。
 

ご当地ラーメンは郷土料理ではない
 日本には、全国各地に地元に根ざしたラーメンの歴史があり、土地それぞれの個性を持ったご当地ラーメン、もしくは郷土ラーメンと呼ばれるラーメンが存在する。新横浜ラーメン博物館の館長である岩岡洋志は、こうしたラーメンと郷土の結び付きについて、以下のように語っている。

《郷土料理も郷土ラーメンも、その地域で長く生活している人々によって、時間の経過とともに練り上げられてきたものです。工夫と努力を積み重ね、郷土の気候、風土、知恵が混じり合い、その地域に根ざした味が生まれました》(『ラーメンがなくなる日』主婦の友新書)

 この説明は、日本の郷土料理を指すものであるならば正しいのだろう。だが、ご当地ラーメンを同列に並べることは可能なのだろうか。近代になって輸入されたラーメンは、在来種を駆逐する外来種のブラックバスにたとえるべきではないだろうか。繁殖力の強い外来種であるラーメンは、古来地方に根付いてきた郷土料理を、短い期間で駆逐してしまった。ご当地ラーメンはむしろ、戦後日本の地方の均質化を代表する食べものの一つだったと捉えるべきである。

 

 文中に挙げられる「郷土料理」「郷土ラーメン」なるものの説明について、これを両者に当てはめるには時系列的にもかなり無理がある。この定義で「郷土ラーメン」を語るのは「江戸時代の鉄筋コンクリート」みたいなもので、単に言葉として成り立たない。
 つまりこれは定義そのものがダメなんであって、そういうのを取り上げて「そんなものはない」⇒「だからご当地ラーメンなんてない」みたいなことを言ってみても、意味がないんじゃないかと思う(ここで筆者は何の断りもなく「郷土ラーメン」と「ご当地ラーメン」を同義として使っている)。
 ここですべきことはもっと適切な「ご当地ラーメン」の定義を探し、そしてそれが現実的にはどうなのかという考察じゃなかろうか。
 
 上記引用文の中で著者は、「繁殖力の強い外来種であるラーメンは、古来地方に根付いてきた郷土料理を、短い期間で駆逐してしまった」と言っている。断言されると何となくそういう気もするが、それを傍証する例は1つも出てこない。
 
 この先、著者は、
 

ご当地ラーメンは、地域の特産物や風土に時間をかけて馴染むことで生まれたわけではない。あるとき、変わったメニューを出したラーメン屋にスポットが当たり、その店がメディアなどで知られるようになることで、観光客がやってくる。そして、地域の観光化にともない、周囲の店が右に倣えで同じメニューーを提供するようになる。これがご当地ラーメンが生まれる経緯だ。

 
 という。しかしこれもかなり乱暴な論の持って行き方だと思う。この説明として、札幌の「味の三平」で発明されたみそラーメンの話を持って来る。
 

 すでに取り上げたように、札幌には、大正期に東京や九州とは違った経路から入ってきた独特のラーメンの歴史があった。だが、時代の経過とともに地域の名物と混ざり合い、歴史の中でみそラーメンが生まれていったというわけではない。戦後のあるときに、突然あるお店からみそラーメンが登場し、それが観光ブームとして煽られる経緯で、他の店舗も追随し、この地の名物として一気に広まったのである。

 
 というわけだ。
 どうやら著者は「札幌ラーメン」=みそラーメンだと考えている。
 

 ご当地ラーメンのはしりとなった札幌ラーメンだが、一九五〇年代当時の”札幌ラーメン”は、とんこつを用いたしょうゆ味である。我々が想像するみそ味のスープにバターなどを載せた、いわゆる札幌ラーメンのそれではない。実は、味噌ラーメンが知られるようになるのは、六〇年代以降のことである。

 
 「我々が想像するみそ味のスープにバターなどを載せた、いわゆる札幌ラーメン」と言い、常識的にそうだろう?と言わんばかりなのだが、実際のところ一般的な理解はどうなんだろう? 私は「札幌ラーメン」といえば醤油も味噌も塩もあって、単に「札幌ラーメン」といっても特定のもの「だけ」をイメージすることはないんだけども。あるいはそれは「サッポロ一番」の味のバリエーションによるイメージかもしれないが(それでもいいよね)。
 なるほど著者が「札幌ラーメン」=みそラーメンという揺るぎないイメージを持っているのなら、これはこれで1つの「正解」なのかもしれない。
 しかしながら著者も「ご当地ラーメンのはしりとなった」と書いているように、札幌ラーメン(みそ)のブームの前に札幌ラーメン(醤油)という最初のブームがあった。
 
 「ご当地ラーメン」としてまず全国に名をとどろかせたのは札幌ラーメン(醤油)だ。これ以後、札幌ラーメン(みそ)、博多ラーメン、喜多方ラーメンなど「ご当地ラーメン」が次々と知られていくようになる。
 もしも「味の三平」のみそラーメンのような展開をこれら「ご当地ラーメン」全般に適用しようと考えるなら、そもそものところで最初の「ご当地ラーメン」である札幌ラーメン(醤油)がなぜ「○○店(例えば代表的な店である「龍鳳」)のラーメン」ではなく「札幌ラーメン」となったのかというところを考察しないといけないのではないか。
(それに、そもそも突発的にできたものが広まっていくという姿は、ラーメンに限らず何にでも当てはめることができるんじゃないか)
 

 戦後の観光ブームに火が付いた時期と重なるのが、札幌ラーメンの登場と札幌の観光ブームである。『暮しの手帖』を創刊した花森安治は、日本の地方が復興する模様を伝えるコラム連載を『週刊朝日』に持っていた。その中で彼が取り上げたのが、ラーメン屋の立ち並ぶ札幌の街並みだった。この記事こそ、札幌が「ラーメンの街」として知られるようになった最初の瞬間であり、日本で最初のラーメンブームの到来でもあった。
 記事が掲載されたのは一九五四年。翌五五年、花森は自ら編集長を務める『暮しの手帖』の中でも、レシピとしてこの札幌ラーメンを取り上げ、紹介している。まだ、ラーメンが家庭で食すものではなかった時代のことだ。
 これら花森の記事によって、札幌は観光ブームを迎える。

 
 花森安治が紹介したのはある特定の店ではなく、「ラーメン屋の立ち並ぶ札幌の街並み」だった。『週刊朝日』で花森が書いたことは、こんな↓ことだった。
 

名物のラーメンは、うまいからというのではない。やたらに(店の)数が多いのである。札幌中どこを歩いても、必ず一町といかないうちにラーメンの看板にぶつかる。……軒並ラーメン屋の提燈看板をながめ、広告塔の『ラーメン、ラーメン』と振り絞る声を聞いていると、これがサッポロだという気がしてくるのである。……サッポロ ── まさしくラーメンの町」

 
 花森は「うまいからというのではない」と書いている。ラーメンではなく、こういうやたらラーメン屋がある町が面白いと紹介しており、それがブームのきっかけになったのだ。
 だから、「ご当地ラーメン」ブームのトップを切った札幌ラーメン(醤油)は、そもそものところで他の「ご当地ラーメン」とは違う。むしろ「ご当ラーメン」という発想自体が、まさにこの札幌ラーメン(醤油)の成功により「発見」された着想だろう。これはまさに「観光」だ。
 そしてこれがその後の展開に大きな影響を与える。
 「札幌ラーメン」(地域名+ラーメン)という言葉。誰が考えたのかは知らないが、この言葉を発明したことが、その後の《一定の地域的広がりの中で存在するラーメン》=「ご当地ラーメン」という概念を誕生させたわけだ。これがもし「「龍鳳」流ラーメン」として定着していたら、ラーメン界の今日のような展開はなかっただろう。もしも「ご当地ラーメン」ということを話題にするのなら、この「札幌ラーメン」という名称の発明自体に焦点を当てなくちゃならない。
 もしこの「札幌ラーメン」(醤油)ブームがなければ、たとえその後「突然あるお店からみそラーメンが登場し」たとしても、そのラーメンは単に「札幌の名店「味の三平」名物、みそ味のラーメン」として紹介されていただけかもしれない。「突然あるお店から登場」しただけでは札幌ラーメン(醤油)の時のような空間的な広がりは意識されるはずがないのだから。
 
 というわけで、札幌ラーメン(みそ)の一例を紹介したくらいで「ご当地ラーメン」を「戦後のあるときに、突然あるお店からみそラーメンが登場し、それが観光ブームとして煽られる経緯で、他の店舗も追随し、この地の名物として一気に広まったのである」などとそう単純には一般化できるはずがない。
 もちろんその後の展開がそういう経路を辿ることが多かったというのはその通りだと思うし著者の主眼もそこにあるとは思うのだが、しかしそんな断定の仕方は、やはり乱暴だ。
 
 ……と、まるで著者の言い分を否定しているように見えるかもしれないが、あくまでも「乱暴だ」というだけであって、「観光ブームとして煽られる経緯で、他の店舗も追随し、この地の名物として一気に広ま」るような展開は、本当にありがちな話ではあると思う。
 有名になることで(意図的であれ自然発生的であれ)「標準化」が行われ、それが地域ごとの特色として定着する。そしてそこから遡ってご当地ラーメンの「偽史」さえ作られるところが面白い。
 そういえば『にっぽんラーメン物語』には、喜多方ラーメン…というか、喜多方のラーメンの嚆矢である源来軒(大正末から昭和初め創業)を紹介する部分で、後に喜多方ラーメンがブームになると「創業明治何年!」と謳う店まで出てきたという話があった。
 
 著者がいうこのような↓経緯も、まあよくありがちな話であると納得できる(札幌ラーメン=みそとの認識については前述どおり違うと思うが)。
 

 喜多方が美しい蔵の街として知られ始めるとともに、このラーメンも話題になっていく。きっかけは、テレビだった。一九八二年に、落語家でラーメン好きの林家木久蔵(現・木久扇)がテレビ番組で紹介したことが、喜多方ラーメンが知られるようになる最初の大きなきっかけだった。
 喜多方の観光協会はこれをきっかけに旅行雑誌『るるぶ』のページを買い切り、観光キャンペーンの一環として喜多方ラーメンの宣伝を始める。以降、喜多方ラーメンがメディアで話題になる機会は増え、一九八〇年代半ばには、駐車場が観光バスで埋め尽くされるほどの有名観光地として注目を集めることになる。喜多方は、蔵の街であること以上にラーメンの街として知られるようになったのだ。
 喜多方ラーメンの大ブームの最中の一九八七年、喜多方ではラーメン関係者が「蔵のまち喜多方老麺会」を設立。この地域一帯が、統一したイメージのラーメンを提供するために、「喜多方ラーメン」の特徴の徹底化に組織的に取り組むようになる。つまり、「喜多方ラーメン」の標準化が行われたのである。
 こうした名産品の標準化の取り組みは、沖縄が一九七二年に日本に返還され、多くの観光客を集めるようになった際に、「沖縄そば」でも行われている。沖縄の名物料理として「沖縄そば」が選定され、観光客に同一の料理であることを認知してもらうためにレシピの統一を図り、標準化された「沖縄そば」を定めたのである。おそらく、多くのご当地ラーメンも、これと同じような作用で生まれていった。元々しょうゆ味だった札幌ラーメンが、一つの店舗が始めたみそラーメンが話題になることで、一斉にみそ味へとシフトしたように、自然発生的にせよ、意図的にせよ、何らかの「標準化」が行われ、地域ごとの特色として定着するようになったのだ。
 観光協会のキャンペーンによって有名になった喜多方ラーメンだが、これを成功モデルとして第二、第三の喜多方ラーメンをつくろうとする自治体も登場していく。喜多方ラーメンは札幌ラーメン以上に、その後のご当地ラーメンの開発・展開モデルの原型となった。

 
 第三章でなるほど!と思った部分がいくつかあって、その1つが、「ラーメン」という言葉による標準化、という話だった。
 

札幌ラーメンと博多ラーメンは、「ラーメン」という標準語が生まれたとき、同じ料理のバリエーションであるという都合のいい書き換えが行われただけで、本来は別のルーツを持つ別の料理である可能性が高いのだ。

 

本来は「支那そば」と呼ばれた博多のとんこつベースの麺料理と、札幌の「ラーメン」は、ルーツも違えば、進化の過程も違う別の料理だった。しかし、テレビのCMによって、「ラーメン」という標準語に直され、両者は同じ「ラーメン」となった。

 
 と著者は言う。本当に「なるほど」だ。それぞれ出自も内容も違っていた「支那そば」「中華そば」「ラーメン」などが、全国的に普及した「ラーメン」という名前で呼ばれることで、同じものになった。それぞれの差異はあるものの、「標準化」へも向かったと。これは言葉の持つ大きな特性だ。
 
 そしてこれを「ご当地ラーメン」のローカルな問題に適用すると……、一度メディアに乗り注目された(本当は)ある1つの店で出た変わった「○○ラーメン」のイメージに応えるために追随する店の中で「標準化」が進む、ということでもあるのだろう。
 
 そしてもう1つ「ラーメン」という言葉による標準化といえば、こういうこともある。これはこの本には全くない視点。
 「インスタントラーメン」の「お店のラーメン」化と、「お店のラーメン」の「インスタントラーメン」化。
 これまでの部分でも少し触れたが、「ラーメン」という言葉は日清のチキンラーメンのCMにより全国に普及したというのが定説になっている。これは上記のとおり、それぞれ出自も内容も違っていた「支那そば」「中華そば」「ラーメン」などが、全国的に普及した「ラーメン」という名前で呼ばれることで、同じものになるという影響を生んだが、それと同時に、「インスタントラーメン」と「お店のラーメン」をも標準化した。
 そもそもチキンラーメン自体が、安藤百福が戦後の闇市でラーメン屋台に人が並んでいるのを見て事業化を考えたものだったわけで、「インスタントラーメン」の「お店のラーメン」化はその誕生から宿命づけられている。そして今でもインスタントラーメンはお店のラーメンへ何とかして近づこうと努力している。曰く「まるで生麺」、曰く「名店シリーズ」云々。
 インスタントラーメン市場が活性化し「ラーメン」という言葉とインスタントラーメン自体が普及していくと、「ラーメン」のパブリックイメージは大いに変化する。そもそも「ラーメン」という言葉がインスタントラーメンの普及と不可分なので当たり前と言えば当たり前だが、「ラーメン」という言葉の持つイメージは、むしろお店のラーメンではなくインスタントラーメンがかなり大きな部分を占めるようになってくる。
 私自身はラヲタなのでそんなことは思わないが、大半の人が「ラーメン」という言葉で真っ先に思い浮かべるのはお店のラーメンではなくインスタントラーメンだろう。
 
 で、それはどうなるかというと……、
 
 以前、このブログ(「ラーメンの秘密」)でも紹介した『ラーメンの秘密 ほんものの味をもとめて』(コピー食品研究会編著)という本の前書きにはこんなことが書かれている。
 

 ラーメンは戦後の闇市の屋台の上で花を咲かせました。そして空腹で飢えた人々のお腹を満足させ、昔からあったソバやウドンなみに全国に広がりました。食糧事情が好転した後はその土地の気候や風土に合った味のラーメンが生まれ、ソバやウドンとともにめん料理の一翼をになうようになりました。
 ところが、インスタントラーメンに代表されるようなラーメンのコピーが登場したことにより、ラーメン専門店のめんやスープにもその影がいろ濃く反映されるようになってきました。とくに、一部のチェーン店に見られる粗悪な素材と化学調味料に依存したラーメンは、ほんらいのラーメンからほど遠く、むしろインスタントラーメンに近い感じがします。

 
 言葉の端々で想像できるようにこの本は事実誤認やこじつけも多くて困るんだけど(例えば最初のパラグラフは『ラーメンと愛国』の著者が紹介したダメな「ご当地ラーメン」の説明そのものだ)、それでも外食ラーメンのインスタントラーメン化という視点自体はそのとおりだろう。業務用タレの普及などはまさにその最たるものだろう。この本はダメだと書いたけれど、ひょっとしたらこういう視点は、この本のようなスタンスだからこそ持てたのかもしれない。
 
 あるいは22歳で開店した店が大繁盛し「天才」と呼ばれた中村屋の中村栄利氏は、インスタントラーメンの袋の材料欄を見て独学でラーメンを開発したと言っている(それが事実かどうかはわからないけれど)。
 
 同じ「ラーメン」という名前を冠するからにはどうしても「標準化」は不可避なのだろう(意図的/無意識問わず)。しかしそれは「インスタントラーメン」⇒「お店のラーメン」の一方通行だけではないというところが現実の面白いところだ。
 まあこのへんの話は余談。
 

 『ラーメンと愛国』を読んで感じたいろいろ(1)
 『ラーメンと愛国』を読んで感じたいろいろ(2)(当エントリ)
 『ラーメンと愛国』を読んで感じたいろいろ(3)
 

突然食いたくなったものリスト:

  • 永谷園のお茶漬け

本日のBGM:
チャールストンにはまだ早い /田原俊彦





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