ラーメンの秘密

 『ラーメンの秘密 ほんものの味をもとめて』(コピー食品研究会編著/三一書房/1991/02/2/初版)という本を読んだ。

 タイトル、編著者名、そして出版社を見て、わかる人はだいたい中身まで想像できると思うけども(^O^)、まあそういう本。わからない人は『買ってはいけない』の元祖みたいなものだと理解すればいいだろう。

 こういう本の根底に流れている思想は、「大企業は消費者の健康なんて考えちゃいない。金儲けのためなら体に悪いものでも誤魔化して平気で売る」というものだ。もちろん疑うことは大切で、消費者としてその姿勢は非常に大切であるが、それが行きすぎて「疑うためだけに疑う」ということになってしまえば本末転倒だ。『買ってはいけない』だって、そういうことで批判を浴びていた。

 この本の根本思想というのは、かなり『美味しんぼ』と共通しているように思う。「本物」の姿を理想とし、それに比べて今がどれだけ堕落しているかを嘆き、原点への回帰を謳う、と。
 ちなみに『美味しんぼ』が単行本1冊にわたってラーメンに取り組んだ「ラーメン戦争」(第38巻)が執筆されたのが、この本が出版された翌年の92年のことだ。『美味しんぼ』は少なからぬ影響をこの本から受けているように思う。

 まえがきより。
 

 ラーメンは戦後の闇市の屋台の上で花を咲かせました。そして空腹で飢えた人々のお腹を満足させ、昔からあったソバやウドンなみに全国に広がりました。食糧事情が好転した後はその土地の気候や風土に合った味のラーメンが生まれ、ソバやウドンとともにめん料理の一翼をになうようになりました。
 ところが、インスタントラーメンに代表されるようなラーメンのコピーが登場したことにより、ラーメン専門店のめんやスープにもその影がいろ濃く反映されるようになってきました。とくに、一部のチェーン店に見られる粗悪な素材と化学調味料に依存したラーメンは、ほんらいのラーメンからほど遠く、むしろインスタントラーメンに近い感じがします。
(略)
 この本を通して1人でも多くの方に、ラーメンが食品添加物によって本来の姿から変化してきている事実を知っていただき、「ほんもののラーメンとはいかなるものであるか!」ということを考える機会をもっていただければ幸いです。

 
 『美味しんぼ』もそうだけども、この、ゆるぎない「どこかに『本物』が存在する」思想というのはどうなんだろうと思う。
 ラーメンが「戦後の闇市の屋台の上で花を咲かせ」たのだとしたら、その中身にさほどの期待はできないだろうってことは想像がつくだろうに。

#そもそも「ラーメン」という呼称は、1953年に日清の「チキンラーメン」が発売されてから全国に普及したのであって、それまでは「中華そば」「支那そば」と呼ばれていた。もちろん「ラーメン」という呼称はチキンラーメン以前にもあり決して日清の造語ではないが、全国の人はチキンラーメンによって「ラーメン」を認識したことは間違いない(札幌では戦前からラーメンという呼称が一般的だったと書かれている)。
 とすれば、全国的に「本物のラーメン」って何よ?という話にもなる……のだが、この本の編著者は他ならぬ北海道の消費者団体のようで、まあだったら「本物のラーメン」という表現をする権利もあるかなあ、とも思うので、これはいいや。(^O^)

 まあとにかく、こういう思想から、当時の「ラーメン」を取り巻くいろんな「ほんもの」じゃないものについて告発している。

 それがやっぱり、結構アレな部分が多いんだ。

 私もここで述べられている1つずつについて専門でもないので細かく検証はできないけれども、素人判断でも「それはないやろ」と思われることを挙げようと思う。
 原本はもう返してしまって手許にないので取ってあるメモを元にする。メモはツッコミどころというよりは面白いところを取っていたので、ツッコミにはちょっと足りない部分もあるんだけども、そのへんはご容赦を。
 

コシを強くするための増量剤
 先にも述べたようにグルテンの含有量の少ない小麦粉を用いるとめんのコシが弱く、弾力性に欠けるためラーメンにとって最も重要視される歯ザワリが悪くなり、食味に影響を与えてしまいます。
 そこでグルテンの含有量の少ない小麦粉を用いる場合や、より弾力性に富んだシコシコめんを作りたい時には食品添加物メーカーなどで作った「小麦グルテン」または「乾燥卵白」を小麦粉に添加しますが、経済性を重視する製めん業者の中には、値段の安い脱脂大豆を原料として作った「製めん用蛋白粉」を小麦に混ぜて使用する所があります。
 この粉を用いると麺のコシが強くなり弾力性に富んだめんになると同時に吸水性が良くなりめんの加水量を増すことができ、めんの歩留まりが良くなるという二重の効果が期待できるため最近では大手の製めん業者の中にもこの粉を用いるところが出てきています。
 表4でも明らかなように蛋白粉を混入すると小麦粉1袋から取れるラーメンの玉の量が増え、生産者が利益を得ることができます。しかし、この粉の入っためんをよくかんで食べると脱脂大豆特有の味が残り、あと味が悪いのも確かです。
 この他に水分の多いめんはベトツクためでき上がっためんにコーンスターチなどの粉を振り掛けて出荷しているところもあります。

 
 つまり、企業は自らの利益のために味を犠牲にして増量剤を入れていると。

 これは実際そういう側面もあるかもしれない。

 ただ、こういう消費者に限って(これはほんとに「限って」じゃないかなあ)「国産幻想」みたいなものがあって、「国産小麦100%」などをありがたがる傾向があるように思う。
 しかし国産小麦はまさにこの「グルテンの含有量の少ない小麦粉」だ。国産小麦を使っておいしい中華麺を作ろうと思えば、グルテンなりたんぱく質なりを補ってやらないといけない。今はまだ国産小麦の品質もよくなってきたようだが、1991年当時、ラーメンに使える国産小麦はほとんどなかったはずで、さて、おいしい方がいいのか、それでも国産小麦がいいのか。国産小麦はどうやったらおいしく食べられるのか。このあたりのスタンスがあまりに曖昧だと思う。

 ちなみにラストの
 

 この他に水分の多いめんはベトツクためでき上がっためんにコーンスターチなどの粉を振り掛けて出荷しているところもあります。

 
 って、打ち粉の何が悪いのかな??
 

かん水
かん水は一般に炭酸カリウムまたは炭酸ナトリウム(炭酸ソーダ)の単品または混合物と考えられていますが、食品添加物メーカーで製めん工場に出荷しているかん水の多くは表5で示したように燐酸塩や重合燐酸塩をブレンドしたものです。なお、かん水の中に入っている重合燐酸塩は一般にピロリン酸塩・ポリリン酸塩・メタリン酸塩の混合物と考えてよいでしょう。
また、燐酸塩としてはリン酸2ナトリウムか、リン酸2カリウムもしくはリン酸水素2ナトリウムなどが使用されています。
(略)
 このようにかん水の中には種々の燐酸が入っていますが、リン酸を入れる目的について食品添加物メーカーでは製めん業者に次のように説明してます(メーカーのカタログよりその主なものを要約してみました)。
(1)めんの保水性を向上させる働きがあるためめんの歩留まりが良くなる。
(2)色素を分散させるさようがあるためめんに仕上がった時色斑(ムラ)ができないで済む。
(3)めんを茹でたとき茹汁のにごりを少くする働きがありラーメン屋さんに喜ばれる。
 つまり経済性と外観の良さのためにリン酸塩が用いられるということです。
(略)
 カルシウム対リンの比が1対2を越えると栄養学上問題があるとされていますが、先の調査ではカルシウムとリンの比は平均で3.5、最も高い数字は3.7にも達しています。つまり市販されている生ラーメンの多くはリン酸過剰と言えます。
 リンの過剰摂取は……
[以下、リンの過剰摂取による弊害について。]

 
 このあたりもひどい誘導だと思うんだよなあ。

 「カルシウム対リンの比が1対2を越えると栄養学上問題があるとされています」って、それは単体の食材の話じゃないだろうに。
 確かに栄養学ではカルシウムが骨をつくるためには食事の中のカルシウム対リンの比が1対1の時が一番効率がいいとされているそうだが、これは「1対1」の食材ばかり食べましょうという話ではなく、トータルの換算でカルシウムが相対的に不足しているならカルシウム分の多い食品で補いましょうと考えるのが妥当じゃないのかな。
 例えば精白米飯のリン:カルシウム比は13.0、ジャガイモで11.8、豚ロース肉なら56.7ですよ。3.7どころじゃない。この辺りは全部毒だと?

 ちなみにリン酸塩に関する見解はこの本と『美味しんぼ』では随分違う。この本ではリン酸塩が用いられるのは「経済性と外観の良さのため」とされているが、『美味しんぼ』では重合リン酸塩は「よく伸びる生地、コシのある麺」を作る本体(⇒炭酸カリウムや炭酸ナトリウムは実は必要なかった!)だと主張されている。

 保存料あたりはもう、かなり攻撃の対象になるね。(^O^)
 

 P・Gに代って登場してきた酒精にも次に述べるような問題があります。
(1)変性アルコールに含まれる添加物を加えると酒精の中に含まれている添加物は6~8種類にもなりたとえその量が少ないとしても相乗作用等を考えると心配になります。
(2)本来生めんの腐敗を防止するには生産から販売までの間で細菌が入り込まないよう衛生管理を徹底すべきで添加物に依存した腐敗防止のやり方には不安が残ります。

 
 P・Gは「ポリプロピレングリコール」のこと。これにもいろんなこと書いてたと思うけど、メモしてないってことはあんまり面白い話じゃなかったんだろう。我ながら意外。(^^;
 しかしこの酒精の「問題」も、ちょっとどうなのかと思う。

 (1)は確度の低い「心配」以上のものではない。
 (2)は特に酒精に限ったことではないが、保存料とはそういった日々の様々な輸送、保存、使用環境の中でも安心して食べられるようにするための衛生管理のリスクヘッジなので、むしろこれこそが保存料の存在意義では?

 保存料の安全性をいう時には、やはりそれを使わない時のリスクと比較するべきであって、まるで保存料を使わなくても同様の安全性が確保されているかのような書き方はフェアじゃないと思う。こういうものは、目的もなく、ただ入れたいから入れてるわけじゃない。

 ちなみに(2)の
 

本来生めんの腐敗を防止するには生産から販売までの間で細菌が入り込まないよう衛生管理を徹底すべきで添加物に依存した腐敗防止のやり方には不安が残ります。

 
 というのはもしそれが実現できるならそれなりに理屈は通っている。
 これを実現するのにどれだけの資本力が必要かという部分をおけば。

 しかし、企業ががんばってそれを実際に実現すると、こういうことを言われてしまう。⇒「パンがカビないのは添加物が入っているから?」

 パンにカビが生えにくいのは、実は添加物によってではなく、(こういう人たちが嫌う)大資本だからこそ実現できた徹底した衛生管理の下での生産を実現しているからだったという話。

 だからほんと、自分たちが求めたとおり「生産から販売までの間で細菌が入り込まないよう衛生管理を徹底」したヤマザキパンに対しては、賞讃こそすれ、「いや実はあれは添加物を入れてて……」みたいな反応はとんだお門違いで、どんだけツンデレなんですかと。

 結局、不安を覚えたい人はとても貪欲に不安要素を探し出してくるのだなあ。

 次は「品質改良材」について。
 「品質改良材」は麺のベトツキ防止や弾力補強、コシの強化などに使われる添加剤だそうだ。その1つ、「グリセリン脂肪酸エステル」について。
 

……グリセリン脂肪酸エステルは乳化剤の一種で洗剤の中に入っている界面活性剤と同じ働きをするものと考えてよいでしょう。
 この添加物についてはラットの飼料の中に25%混ぜて2年間飼育したところ肝臓の重量が増加し腎臓の石灰化が観察されたとの報告があります。
 また表中の天然糊料のローカストビーンガムやグァーガムについては、最近使用量が多くなってきた添加物であるため安全性を証明するデータが少なく、現状では安全性について評価することはできない添加物の1つです。以上のようなことから考えると品質改良剤にも不安を感じてしまいます。

 
 「洗剤の中に入っている界面活性剤と同じ働きをする」あたり、どういう印象を持たせたいかというのが透けて見えて、苦笑だよなあ。

 で、「ラットの飼料の中に25%混ぜて2年間飼育したところ肝臓の重量が増加し腎臓の石灰化が観察された」って。(^^;

 これで人間の健康に対して何が言えるのよ。

 「不安を感じてしまいます」というのは勝手だけれど……。

 この「報告」に不安を感じてしまうほど大量にラーメンを食おうとしてるアンタに不安を覚えるよ。

 ここまでが製麺所で作ってる生麺の話。

 安全性云々は別として、例えば酒精なんかは匂いが結構するので、食べる時に邪魔になる可能性は高い。あるいは昔麺哲・庄司氏が言っていたように、「小麦以外のものを入れると当然小麦の味はしなくなる⇒つまり味が悪くなる」という意味で、味に関係のない添加物は入れない方がいいのだろう。しかし添加物は目的があって入れられているわけで、それが全部「企業エゴの金儲け」であるとは限らない(あり得るけれど)。このあたりはちゃんと現場を見ないとね。

 というわけで、長期保存の必要がなく保存・使用環境が把握できる自家製麺は、その意味ではそれだけでアドバンテージを持っているともいえると。

 この本は実は「ラーメン」と括ることで、ラーメン屋のラーメンとインスタントラーメンと、スーパーで売ってる日配品の生麺のすべてに言及している。

 当然、インスタントラーメンに対する風当たりが一番強い。

 就中、化学調味料への批判はかなり強いのだけれど、かなりありがちで面白くもないので割愛。(^O^)

 興味深いのは、インスタントラーメンの章の冒頭の、「国民食」と呼ばれる状況に対してのコメント。
 

“まがいもの”のシンボル
 表1は年齢、職業、収入別にみた世帯毎のインスタントラーメンの利用率を示しています。これによると、全体では65.8%の世帯でインスタントラーメンを利用していることになります。この数値を高いとみるか低いとみるかは評価の分かれるところですが、約35%もの世帯で利用されていないという事実は注目に値します。つまり、「国民食」と業界が豪語する一方で、その「国民」の35%は、インスタントラーメンを食品としては認めていないということを意味しているからです。これらの人たちにとっては、食品として必要な最低限の資質、栄養性、安全性、美味性といったものを欠いた、「まがいもの」として、インスタントラーメンは見られているのです。

 
 こういう論理、アリですか。(^^;;

 どうしてこの35%の人たちの気持ちをそんなふうに決めつけられちゃうのか。

 これをもって「”まがいもの”のシンボル」と言い切れちゃうところが、この本の論理性を象徴してるね。

 あと、どうなんだろうと思うのは、例の「ほんもの」志向。

 ご家庭での調理の参考になるように?手打ちラーメンの作り方を紹介してくれる。
 そして、作り方の紹介の後、こう結ばれる。
 

 めんの打ち方には大きく分けて2つの方法があるようです。1つは中国の主に北の方から伝わってきた方法です。小麦の粉をこねた塊の両端を手で持って引っ張り、次第に細いめんにしていく方法、もう1つは中国の南の方から伝わってきたやり方で、小麦をこねて平らにした後、めん台の一方の端に太い竹桿を固定させ、その竹桿に足をかけて体重をかけ、めん生地を伸ばし、あとは包丁で細く切ってめんにする方法です。
 機械めんは、後者の方にヒントを得て小麦粉をこねる作業から伸ばす作業までも機械化して作っためんです。
 つまり前者の方が手打ラーメンと呼ぶにふさわしいと考え、前者の方法によるめんの打ち方を紹介しました。

 
 「つまり前者の方が手打ラーメンと呼ぶにふさわしい」の理由が全然わからんよ。┐(´~`)┌

 機械めんの参考にされた作り方だから手打ラーメンとは呼べないってわけ? 意味がわからん。
 はっきりと書いていないが、こちらを「ほんもの」と認定しているのは明らかなわけで、逆に言えばこの人たちのいう「『ほんもののラーメンとはいかなるものであるか!』ということを考える」というのはこの程度のものなのかと。

 そして「ほんもの」志向は、結局のところこういうところに落ち着くというのが、具についての章。
 

 具は、ラーメンという料理の中で前菜と副菜の役を果たす重要な素材の1つです。
 ところが最近ラーメンの上にのっている具の中に安全性に疑問を感じるものが多数見受けられます。そこで、色や型にばかりとらわれずに食品にとって最も大切な安全性と栄養価を中心に、ラーメンの上にのせる具として最もふさわしい条件は何かを考えてみました。

 
 なんとなくわかってきたよ。
 この人たちのいう「ほんもののラーメンとはいかなるものであるか」というのは。「ラーメンは戦後の闇市の屋台の上で花を咲かせました」という、そういう時代のものなんだな。つまり、空腹を満たし、栄養を補給するものだ。

 例えばチキンラーメンが発売された1958(昭和33)年は厚生省が『栄養白書』の中で日本人の4人に1人が栄養不足であると発表した年で、実際、チキンラーメンのパッケージには「体力を作る 最高の栄養と美味を誇る完全食」と謳われている。

 チキンラーメンがそのキャッチコピーどおりのものを提供していたかどうかは別として、こういうものこそが「ほんもののラーメン」だと言いたいわけだな、この著者は。なるほど。
(しかしそんなもの歴史上どこにもなかった架空のものだ)

 確かにそれでは現代人と認識は共有できないだろうなあと思う。

 で、モヤシ、ニンニク、ホウレンソウ、タマネギ、ネギ(長ネギ)、なると(蒲鉾)、めんま、チャーシュウ・ゆで豚、タマゴと、それぞれの具について検討をしていく。

 例えば、
 

茹でたホウレン草をラーメンの上にのせているのをよくみかけますが、めんの上にのせるよりは、小皿に盛りつけてカツオブシをふりかけて出す方が、ホウレン草に含まれているシュウ酸を消す効果があり、美味しく食べることができます。
 ホウレン草には造血作用があるばかりでなく、ビタミンAやビタミンB1も豊富で、ビタミンCにいたってはレモン果汁と同程度含まれています。
 つまり、ラーメンに欠けているビタミンAやCを補う上で是非ともラーメンに、一本加えて欲しい野菜の1つです。

 
 「めんの上にのせるよりは、小皿に盛りつけてカツオブシをふりかけて出す方が」ってアナタ。(^^;;;

 ラーメンの具の話をしてたんちゃうんかと。(^O^)
 

 しかし、最近の「なると」は北洋で捕れたスケソウダラに重合リン酸塩を入れて作った冷凍擂り身を原料として、増量とつなぎ目的でデンプンをたっぷり入れ、ソルビン酸などの保存料を加え、甘味料のサッカリンや、グルタミン酸ソーダなどの化学調味料で味付けされたものがほとんどです。つまり、蒲鉾本来の味は失われ、食品添加物によって味付けされた「なると」がラーメンの上にのっていると考えた方がよいでしょう。
 白身の魚を用いて、塩以外のものはいっさい用いず「なると」を作っている良心的な蒲鉾屋を左記に紹介します。本物の味をめざすラーメン屋さんはぜひ一度試していただきたい。

 

……本当に美味しいチャーシュウやゆで豚を作るには系統のはっきりした品種で、抗生物質等の薬剤を一切使用せず、コーン、大豆粕、大麦などの穀物を主原料とした自家配合飼料を用い、清潔な豚舎で、180日以上飼育された100キログラム以上の豚から取った肉を用いて作ることが最も大切な条件です。

 
 とまあ、万事こういう調子。
 これが「ほんもの」だと。

 こういうのを見ると当然、どれだけの高級食を作ろうとしてるのかと思ってしまい、「バブル」という時代性にも思いを馳せてしまうが、著者はラーメンの価格について、こういうことを書いている。
 

ラーメンは高いか安いか
 ここ1、2年、ラーメンの価格が高すぎるという声が新聞紙上に登場し、議論を呼んでいます。たしかに札幌ラーメンの中には1杯2000円もするラーメンを出しているところや札幌のススキノでは観光客相手の一部の店で「高級ラーメン」と称して前日に予約しておかなければ食べることのできない1杯5000円もするラーメンをメニューにのせているところもありますが、札幌ラーメン1杯の平均価格は、総務庁などの調査で明らかなように、月によって多少変化があるものの500円前後です。
 この価格を他の外食と比較してみますと次に述べるようにけっしてラーメンの価格が高すぎるということはありません。
(略)
しかし、ラーメンの価格が高いと感じることも事実です。その1つの要因は、毎年の値上げ幅が他の外食に比較して大きいことがあげられます。……つまりラーメンは他の外食に比較して価格の上げ幅が大きいため単価そのものは特に高くはなくても、高いように感じられるのではないでしょうか。
 このような傾向がさらに続けば価格そのものも他の外食と比較して高くなってしまい、消費者からラーメンは高いというイメージで受け取られソッポを向かれることにもなりかねません。庶民の味として末永く消費者から支持されるためにも今一度、ラーメン店の経営者は価格についてもいくらが妥当なのか考えて見る時ではないでしょうか。

 
 「庶民の味として末永く消費者から支持されるためにも今一度、ラーメン店の経営者は価格についてもいくらが妥当なのか考えて見る時ではないでしょうか」と。

 えええええ。

 昔、化学調味料のついてのエントリに黒猫亭さんがコメントを入れてくれた時の動機も結局こういう姿勢への憤りが大きかったのだと認識している ── しかしやり取りしているうちに、化調ではなく天然だしを使ってもさほどコストが上がるわけではないことがわかった ── が、ここまで来るとそりゃいくらなんでも酷だろうと思う。

 今よりずーーーーっとええもんを使え、でもコストは自分のところで被れと言ってるわけだもんなあ。

 なんかこう、ほんと、「好き勝手だなあ」と思う。

 戦後間もなくの物がなかった時代に花開いたラーメン文化、これをどの程度理想化しているのかはわからないが、その後各企業が培ってきたのは消費者を騙す方法だけですかと。

 20年前の本ではあるが、正直、こういう人は今でもたくさんいるように思う。

 「あいつにダマされるな!」と叫ぶ人が、必ずしも正しいとは限らない。

 ラーメン屋のラーメンを模倣したはずのインスタントラーメンが普及してから、今度はラーメン屋のラーメンがインスタントラーメンに近づいていったという見解は、なるほどと思った。

 もひとつ追記。一人歩きする「化学物質」というフレーズがあまりにアレだったので。(^O^)
 

《問題3》
カップめんのカップから化学物質が……

 カップめんの草分けである日清食品のカップヌードルが発売されたのは昭和46年のことですが、開発に4年もの歳月がかかったとされています。前出の『安藤百福の1日1得』(KKロングセラーズ)という本によると、容器の開発にはかなり苦労した様子が記されています。

 素材としては「断熱性が高いので湯が冷めにくいし、手に持ったとき熱くない。しかも軽く、厚みがあって、質感がある。新製品の容器としては申し分がないように思われた」(安藤)ということでお馴染みのあの発砲スチロールが選ばれました。

 しかし、国産メーカーではなかなか良いものができず、結局アメリカのメーカーから輸入して急場をしのいだのですが、後に技術導入して自社でカップを生産すると、輸入品にはない「かすかなにおい」がカップについたと記されています。その部分を引用すると

“かすかなにおい”を研究室で調べてみると、発砲スチロールの原料であるスチレンモノマーが発する臭気だということがわかった。スチレンモノマーを重合するとスチロールになる。それに発泡剤を加えて発砲スチロールにし、それをカップの形に成型するわけだが、その工程でどうしても微量のスチレンモノマーがカップに残留してしまうのである。

(中略)

 それから数カ月後、解決のカギは加熱のしかたにあった。菓子が入っていたブリキの空箱に入れて熱を加え、ひと晩、放置しておき、翌朝、取り出してにおいを嗅いでみると、スチレンモノマーの臭気は消えているではないか。安藤は早速、それを研究所に持ち込み、計測してみると、スチレンモノマーは1ppmも検出されなかった。


 という具合に安藤氏のアイデアで危機を乗り切ったという主旨のことが書かれていますが、問題は、カップから化学物質が出てくるということ。安藤氏は単に味の問題としてしか考えていませんが、どうして安全や毒性問題として考えなかったのでしょう。いやしくも人の口に入る食物を作る人間として、安藤氏には化学物質に対する危険性認識が極めて稀薄です。だからこそインタントめんやカップめんなどというジャンクフード(クズ食品)を産み出すことができたのかもしれませんが。

 ともあれ、加熱したらにおいが消えたので使えることになったというのはあまりにも乱暴な話。熱湯を注いでカップから化学物質が溶出する可能性については全く触れられていません。本当に大丈夫なのでしょうか。

 大阪市立環境科学研究所の調査によると、容器の材質中に残留するスチレンなどの揮発成分は308=899ppmにものぼっており、さらにスチレンを発砲させるときに使われる「ブタン」「ペンタン」「フレオン」などの化学物質が検出され、中には13100ppmのフレオンが残留している容器もあったということです。

 また熱湯を注いだ場合、最高1.1ppmのフレオンがめんやスープから検出され、その量は時間とともに上昇し、お湯をかけて5分後に食べる場合と、30分後に食べる場合では、発泡剤の溶出量は10倍近くまで上っていることが確認されたということです(読売新聞・昭和61.11.30)。

 これらの揮発成分や発泡剤は、急性毒性はあまりないにせよ、長期間吸収したときの影響についてはよくわかっていません。食べ方次第ではかなりの量が溶出することも考えられます。便利と引き換えの危険性と言えるでしょう。

 
 失礼だなあ。
 1991年現在で「急性毒性はあまりないにせよ、長期間吸収したときの影響についてはよくわかっていません」というくらいのものを、社会的にもそんな問題意識は薄かったと思われる1970年前後当時の安藤氏に対してどうしてそんなに自信満々に気づけと言えるんだろう。

いやしくも人の口に入る食物を作る人間として、安藤氏には化学物質に対する危険性認識が極めて稀薄です。だからこそインタントめんやカップめんなどというジャンクフード(クズ食品)を産み出すことができたのかもしれませんが

 なんて、最大限の侮蔑の言葉じゃないのか。

 ったく。

 か、化学物質ーーーーーーーーーーーっっっ!

突然食いたくなったものリスト:

  • カップヌードル

本日のBGM:
出町柳から /中之島ゆき

中之島ゆきは初代おけいはん水野麗奈ではなく三浦理恵子だそうだ。




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