「山崎パンはカビない」の心理

 以前、『ヤマザキパンはなぜカビないか』(渡辺雄二著)という本が出版された。
 
 日本におけるパンの最大手製パン企業である山崎製パンのパンはカビず、それはカビさせないために食品添加物がふんだんに使われていると主張する本だ。
 
 実際にそれを真に受けちゃっている人も結構いるようだ。

山崎製パンは添加物をガンガン使っていて危険だという恒例のデマについて(togetter)
 
 しかし実際のところは、山崎製パンのパンがカビずご家庭の台所で焼いたパンがカビてしまうのは、山崎製パンの工場よりも家庭の台所の方が衛生的ではない、というだけのことだ。
 山崎製パンは巨大資本(^O^)を投入して徹底した衛生管理をしており、一般家庭とはまったく違うレベルの衛生環境を実現している。そこで作られているからこそ、カビが生えない(もちろんまったく生えないのではなくいずれ生える)。
 
 そのあたりのことは『ヤマザキパンはなぜカビないか』が出た頃に長村洋一氏が指摘している。
 
多幸之介が斬る食の問題|長村 洋一
 
 これでFAのはずだが、どうやら最近またこの話題を見かけるようになった。
 
山崎製パン「添加物バッシング」の真相 カビにくいのはなぜ? 臭素酸カリウムは?
 
松永和紀「山崎製パン カビさせないもう一つの技術」
 
 どうやら7月に『ヤマザキパンはなぜカビないか』の改訂版、『新・ヤマザキパンはなぜカビないか』が出版されたかららしい。
 
 この本の帯には、
 
本書の指摘がきっかけで、山崎製パンは、発がん性物質の臭素酸カリウムの使用を中止しました!
 
 と書かれているという。
 
 臭素酸カリウムこそ、前書が指摘していた、パンが「カビない」ための添加物、ということになる。
 
 しかしヤマザキのパンに臭素酸カリウムが使われていたのは、こういう指摘をする人たちが大好きな「国産小麦」を何とかパンに使うためにヤマザキが開発した技術のためのものであって、保存剤としてではない。国産小麦はパンには不向きで、ネットを少しググってみても国産小麦でパンを焼くためにみんなが苦労していることがすぐわかる。
 「安全」(そしてなぜか「おいしい」)というイメージのある国産小麦はニーズもあり、最大手である山崎の矜恃もあるのだろう、それをなんとかおいしくパンに仕上げるために彼らが独自に開発した手法だった。
 
 現在これを使わなくなったのは、「この10年で酵素製剤の種類が格段に増え、組み合わせによって臭素酸カリウムを使うよりもおいしいパンができるようになった」からだというのが真相のようだ。
 
 臭素酸カリウムを現在は使わなくなったことについて、松永和紀氏の記事が印象深い。
 

 記事にもあるとおり、山崎製パンは臭素酸カリウムを2014年2月から使用していない。私は、記事にも登場する山崎製パン中央研究所の山田雄司所長に思い切って尋ねたことがある。同社がプレスリリースを出し、ウェブサイトでもしっかりと説明すれば、いくらなんでもネットでのデマ情報の流布は止まるのではないか? 

 ところが、山田所長はこう答えた。「安全に管理できると考えていたから臭素酸カリウムを使っていたのです。それを別の方法に変えただけですから」。それ以上は、なにも言わない。
 要するに、こういうことだろう。わざわざ「この添加物を使わないようにしました」と公表する、ということは、同社が臭素酸カリウムをネガティブに思っていて、使わないですむように努力した、とも受け止められかねない。その誤解は防がなければならない。
 国産小麦をおいしくパンにするために、胸を張って信念を持って臭素酸カリウムを使ったし、ほかの技術、今回の場合は酵素を駆使する方法を確立できたので、同じように胸を張って採用した、というだけなのだ。ちなみに、国産小麦の使用量は臭素酸カリウムを使わずとも、順調に増やしているのだという。

 ○○不使用とか、天然△△使用というような、消費者にアピールする表示や宣伝は避けるのが社風。「能書きは要らない。安全な原材料と製法で、おいしいパンを作っていれば、消費者はついてきてくれる」ということらしい。

 
 結局、「危険」だと思いたい人にはどう説明しても「自分を騙そうとしている」としか映らないということのようだ。


 ただ、こういう人たちがいることについて、単純に「反知性」などと非難するのもためらいがある。
 
 かつて日本には(そして今でも世界にはきっとたくさん)本当に消費者のことなど考えず利潤だけを追求する企業があった。
 私は最近、森永ヒ素ミルク事件について調べていたのだけど、この時期の日本の企業の状態、倫理観も酷いものだった。
 
 そういう時代にあって、こういう、「大企業は消費者のことなど何も考えておらず、消費者は自衛するしかない」という姿勢はある意味合理的でもあったし、根拠のないものでもなかった。
 
 時代が変わってこういう運動が実を結び、(それはそれを守らないと訴訟などで会社が潰れる……といった受動的な原因であったとしても)企業の倫理が高まり、実際にそれを実現するための技術も進歩した。
 そんな変化の中にあって、こういう運動はまったく進歩していない。
 
 ここで少し以前書いた文章を再掲したい。
 「ラーメンの秘密」というエントリで、『ラーメンの秘密』という、そういう時代にそういう姿勢で書かれた本について言及している。ここではラーメンの麺に使われる添加物について。
 

……保存料あたりはもう、かなり攻撃の対象になるね。(^O^)

 P・Gに代って登場してきた酒精にも次に述べるような問題があります。
(1)変性アルコールに含まれる添加物を加えると酒精の中に含まれている添加物は6~8種類にもなりたとえその量が少ないとしても相乗作用等を考えると心配になります。
(2)本来生めんの腐敗を防止するには生産から販売までの間で細菌が入り込まないよう衛生管理を徹底すべきで添加物に依存した腐敗防止のやり方には不安が残ります。

 
 P・Gは「ポリプロピレングリコール」のこと。これにもいろんなこと書いてたと思うけど、メモしてないってことはあんまり面白い話じゃなかったんだろう。我ながら意外。(^^;
 しかしこの酒精の「問題」も、ちょっとどうなのかと思う。
 
 (1)は確度の低い「心配」以上のものではない。
 (2)は特に酒精に限ったことではないが、保存料とはそういった日々の様々な輸送、保存、使用環境の中でも安心して食べられるようにするための衛生管理のリスクヘッジなので、むしろこれこそが保存料の存在意義では?
 
 保存料の安全性をいう時には、やはりそれを使わない時のリスクと比較するべきであって、まるで保存料を使わなくても同様の安全性が確保されているかのような書き方はフェアじゃないと思う。こういうものは、目的もなく、ただ入れたいから入れてるわけじゃない。
 
 ちなみに(2)の
 
本来生めんの腐敗を防止するには生産から販売までの間で細菌が入り込まないよう衛生管理を徹底すべきで添加物に依存した腐敗防止のやり方には不安が残ります。

 
 というのはもしそれが実現できるならそれなりに理屈は通っている。
 これを実現するのにどれだけの資本力が必要かという部分をおけば。

 
 これは麺の話だが、いずれにせよこういう運動の中での添加物に対する主張がわかる。
 
 今回指摘されている山崎製パンは、まさにここで言われている「腐敗を防止するには生産から販売までの間で細菌が入り込まないよう衛生管理を徹底すべき」を実現している。それこそ膨大なコストをかけて。
 
 とすればこのような批判をする人はそれを実現した山崎製パンを非難どころか称賛し、他企業に対しても山崎製パンに倣うよう働きかけるのが正しい姿ではないか。
 
 企業を批判することが目的か、安全性を高めることが目的か。
 
 これらの消費者運動は、いつの頃からか手段(企業批判)が目的に置き変わってしまったように見える。
 
 これは非常に不幸なことだと思う。


 食品添加物メーカーに勤めている友人に聞いたことがある。
 
 食品添加物はその食品をより安全に、よりおいしく、より安く提供できるように必要だから使用するのであって、企業がダテや酔狂で無意味に「毒」を混入させようとして使われるのではない。
 安全性の高さは食品添加物として一番追究すべきで、日々そうしている。
 ただ、どれだけ安全性を高めても、「添加物」というだけで忌避する消費者の目がある。
 メーカー、小売店は消費者のそんな目を意識して、「食品添加物」として表示を義務づけられている王道の?食品添加物ではない、「そういう効果もある」表示義務のない別のもので代用するということが行われる。
 より安全性の高いものを、と開発費も人件費も投入して作った自分たちの添加物が使われず、「そういう効果もある」という脇役のものが使われる状況が悔しい……
 
 手段と目的の区別がつかなくなったことで、かえって自分たちの安全が脅かされるようになっているかもしれないということを、消費者運動はもうちょっと意識した方がいい。

 現在、こういう消費者運動を支えている心理は、森永ヒ素ミルク事件当時のような切羽詰まったものというよりは、便利なものが出てきた時に人が無意識に感じる後ろめたさが大きいのではないかという気がしている。
 
 ウォークマンが出てくれば難聴説が出る。
 紙オムツが出てくれば紙オムツはキレる子供が育つ説が出てくる。
 
 人は恐らく、多くの経験則から「便利なものにはバーターで悪いことも必ず付随する」という認識を持っている。これを当たり前に経験しているが故に、デメリットを伴わないメリットには自然に警戒感を持つし、むしろデメリットがないと不安になる。
 
 こうなると、むしろ便利なものには積極的にデメリットを探したり、ないデメリットを作ったりまでしてしまう。
 
 山崎製パンを巡る、どういうことをやっても企業が自分を騙そうとしているという批判は、そんな心理の現れのように思えてならない。

 しかし、「現在は日本で使われるパン用小麦粉の約4割を、同社が扱っている。「一番品質のよい小麦は、山崎製パンがかっさらって行く」というのは、業界でしばしば聞く話」(松永和紀「山崎製パン カビさせないもう一つの技術」)というのは凄いね。

突然食いたくなったものリスト:

  • 白飯

本日のBGM:
Wizard’s Crown /BLIND GUARDIAN





3 個のコメント

    • mohariza on 2015年10月21日 at 9:09 PM
    • 返信

    お久しぶりです。
    添加物については、朝日新聞の日曜版にも載っていましたが、
    庶民としては、<添加物無しの食品がより安全だ!>との(安全)神話があるのだと思います。
    私自身も、麩とかちくわ、かまぼこは、何が入っているか?分からないので、(また、食材の痕跡が残って無いので、)ほとんど食べませんが、
    どんな添加物が入っているのか?分からない、また、何か添加物の匂いするようにも感じるからでもあります。
    しかし、カビが生えない無添加食品の新鮮なものは、早く手に入れない限り無理で、
    (昔、私が小学校時代、直接農家から手に入れた生の牛乳は、翌日には飲めなくなり、米はよく虫が湧いたものです・・・、)
    現代では、その様なものを手に入れられる人は、農家等生産者の近くに住んでいる人か、高値でも買える金持ちぐらいで、
    一般庶民は、とても手が届かないと思います。
    昔は、ヨーロッパでは、保存食用としての胡椒等を求め、アジア等へ侵略した経緯もあるし、如何に限りある食材を長持ちさせるか?の歴史が、これまで人類の歴史だったとも云えるように思えます。
    分子生物学等の本を読むと、生物としての人類に必要な金属イオンはかなりあるが、それは極少量必要とされているだけで、
    添加物に含まれる化学原子のイオンを大量に摂ると、生物としての代謝機能他、体内での細胞間等のイオン交換等にどの様な影響があるのか?は、不明のように思えます。
    添加物が少ない食品の方が良いとは思いますが、一般庶民としては、無添加食品を得るのは、高級すぎ得難く、自己の感性で、食材を選ぶしか無い!ように思います。
    (なお、食品添加物については、言葉で記されても正体が良く分からず、本当は化学式で表し、それがどの位の量か?を示さないと、実際は分からないと思いますが、
    そうすると、とても食品についている小さなラベルでは間に合わず、包装全体が化学式で溢れるようになるので、実用的では無いのでしょうね…。)

    • hietaro on 2015年10月25日 at 6:40 AM
    • 返信

    その煩雑さを補うのが「安全基準」なのだと思います。
    多くの試験や動物実験を経た上での基準に合致し許可された添加物だけが使われているわけで、疑う場所が違ってるような場面をよく見ます。
    また、やっぱりこういうものを考えるときは「量」の概念が必要で、それを無視した批判があまりに多いように思えますね。

    • うえっち on 2015年11月7日 at 7:26 PM
    • 返信

    山ぱんは凄い。素材供給メーカーからすると山パンに納入が決まったら凄い事なのだ。それぐらい山パンのスケールはでかい。日ハムやロッテもそうだが、最大手は原料の最も良い部分を買い占める事が可能で、質と価格のパフォーマンスで他社には真似ができない。斜めから見ると批判される場合があるけど、日本一の会社はそれなりの理由がある。

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