貴族な人たち

【エントリ名を変えました】
【追記あり】
 前も別のところで書いたけど、ソニー損保のCMでやたら流れているこの↓曲がキライ。
♪車はあくまでも快適に暮らす道具~♪
♪車に乗らないといけないわけではないぜYeah♪

 この、どこにいても10分以内に電車に乗れるような生活圏しか知らない人間が作ったとしか思えない歌詞。聞いててなんか腹立つんだよねえ。
 車がないとまともな生活が送れない地域が大半ってことを、まあたかが1つの歌が踏まえてないことに別に目くじら立てることはないんだけどさ。
#例えば雨が降って悲しいって歌詞の歌に、「百姓のことを考えろ」なんていうのはおかしいわけで。
 でも、どうもこういう歌詞を見るとどうしても、快適な暮らしがあたかも当然に存在するものとしてそこから(自分では全く意識せずに)それを否定する口を叩いている「自然派」の皆さんのことを思い起こしてしまうわけですよ。

 保存剤を、あたかも企業が毒を食わせるために入れているとでも思っている言いぐさ、周産期死亡率の驚異的な低率を実現してきた医療現場の努力を完全に無視した「自然なお産」志向、実際に脅威にさらされている地元のことなど考えず「熊を殺すな」「ドングリを送ろう」「オオカミを放て」と言い出す呑気な人たち……。
 自分がそう思うだから他人もそうだという決めつけ(と想像力のなさ)を、どうも感じてしまうのよ。
 とはいえまあ、はっきり理屈づけて説明できるわけではなく、ほぼ生理的な問題に近いんだとは思う。このソニー損保のCMの歌への私の嫌悪感は。
 なんか説教臭いのが腹立つのかなあ。


 朝日にこんなニュースがあったよ。
医師・助産師頼らず自宅出産 朝来の大森さん夫婦
http://mytown.asahi.com/areanews/hyogo/OSK201011160141.html
【追記】リンク先が切れているので、当該記事をそのまま載せてらっしゃるブログへのリンクを
https://blogs.yahoo.co.jp/geogeo21th/35363514.html
【追記終わり】
 本人たちはそれでいいかもしれないけど、これをまるで美談であるかのように報道する朝日新聞は何考えてるんだ。
 

 長男つくし君(6)を助産院で、次男すぎな君(3)を病院で産み、毎月の妊婦検診などで自分の思いとは違う出産になった経験から、「私がリラックスできたら赤ん坊にもストレスのないお産になる。体重を増やさないなど妊娠中の自己管理さえできれば家族だけで産める」と言い切る。

 
 言い切ったのが事実としても、こんなことそのまんま報道してどうするよ。
 ほんとに「体重を増やさないなど妊娠中の自己管理さえできれば家族だけで産める」って言い切れるか。
10万出産あたりの妊産婦死亡数
1940年頃 200人
1960年頃 100人
1975年 28.7人
1980年 20人
1985年 15.8人
1995年 7.2人
2000年 6人
2004年 4.4人
2007年 3.1人
周産期死亡率(出生1000あたり)
1975年 16.0人
1985年 8.0人
1995年 5.7人
2005年 3.3人
周産期死亡率 – Wikipediaより。
 ですよ。
 私たちの親の世代ですら、(回避するために努力しても)妊婦の死亡、周産期死亡は珍しいことではなかった。
 とはいえ例えば妊産婦死亡率が今の65倍だった1940年頃であっても10万出産あたり200人なんだからそれ以外の大多数は無事だったわけで、その人たちにとっては「大丈夫」だったわけだ。
 おそらく朝日記事の夫婦のやり方は1940年頃以上に危険だろうけども、それでも幸いにも「大丈夫」側にいることができた。本人にとってはこれが100%の経験だから、「体重を増やさないなど妊娠中の自己管理さえできれば家族だけで産める」くらい言い切れちゃう。それはある意味仕方ない。
 もう一度書くが、個人的経験をしちゃった人は仕方がない。しかしそれは決して一般化できない。朝日新聞はどうしてこの話を採り上げたのか。報道は「あったこと」をそのまんま垂れ流していいわけではないはず。ここにこそ「見識」が必要になるはずだ。読者が多ければ多いほど、それは不可欠になる。近年流行の「品格」なる言葉にしっかりとした意味があるのなら、これこそこういうときに適用されるべき言葉じゃないのか。
 こういう話は「よい子は真似しないでね」みたいなエクスキューズをつければ免罪されるという類の話じゃないぞ。
 朝日新聞は猛省すべき。
 私たちはこの「美談」を、せせら笑えるだけの見識を持たなくちゃならないのだと思う。
参考:個人的体験ではなぜだめか: 妊産婦死亡率の推移を例に(kikulog)
↑是非読んで。


 しかし実際ね、不可解なのよ。
 

 大森家の田畑は農薬や化学肥料を使わず、耕しもしない自然農法。煮炊き、風呂、暖房の燃料はまき、食事は玄米に菜食が中心だ。できるだけ自然の恵みをそのまま生かす生活だ。梨紗子さんは出産直前まで田畑や家の周りの草刈り、まき割りを無理のない範囲で普段通りこなした。「山で百姓をしていると、どんどん不自然なことはしたくなくなる。自然の力で暮らしてきたからこそ自宅出産をやり通す力が私にあった」と話す。

 
 と、記事にはある。
 「農薬や化学肥料を使わず、耕しもしない自然農法」だそうだが、そんなもん「自然」農法なのかな? 「農法」ってのは農業の方法ってことでしょ。つまり植えて収穫して食べると。狩りじゃないんだから、そうなる。
 農業ってのは人間が食うためにやることであって、そのために作る畑を耕さなかったなんていうのは人類の歴史の中でどれくらいの期間だったんだろう? こういう言い方をしては何だが、人類はそんなにヴァカだったんだろうか? なにがどう「自然」農法なんだろう? 不自然きわまりないと思うのだけれど。
「山で百姓をしていると、どんどん不自然なことはしたくなくなる」
 人間の営みを「不自然」と位置付けると、結局人間である自分をも否定しなくてはいけなくなるはず(いくら「自然」農法であれ、農業そのものが「不自然」になるはず)なんだけど、この種の人たちはそれをしない。
 「自然」を自分側に曲げて生きて行かざるを得ないのが人間の業であるはずなのに、自分だけはそことは無関係でいられると思うことがどれだけ傲慢なことか。
 

☆生活? そんなものは召使いにまかせておきたまえ。

── ヴェリエ・ド・リラダン。

 
 しかしどうやら世の中、これが傲慢だとは捉えられてないんだよねえ。
 その証拠がこの朝日新聞。


【追記】
 昔、「トレンディドラマ」というジャンルのドラマがあった。そこには個々人の「生活」の描写がごっそり抜け落ちていた(もちろん出演者がトレンディドラマを見るようなシーンは皆無)。つまり「トレンディドラマ」を見る人はその時点でトレンディじゃないっていう、大いなる逆説が含まれてて。(^O^)
 「自然」という言葉を使う時にもしその中に人間を含めないのだとして、それでも「自然派」たろうとするなら、死ぬかシーク教徒にでもなるしかない。
 ではどうすればいいかといえば、「人間」と「自然」という無意味な対立構造を取り下げるのが一番なんだけど、どうしてもそれはしたくないようだ。
 自分だけは「人間」という属性を離れ、超越した存在として「自然」側にいることができる(いる努力をしている)存在なのだと。これ、上では「貴族」と表現したけど、別に「宇宙人」でも「神」でもいいよ。
 宗教的な信念として個人内や閉鎖コミュニティで共有される分には問題ないかもしれないけれど、こんなもの外の人間が賞賛するようなもんじゃない。
 過去の私たちの祖先はこの厳しい自然の中で生きていくために、それこそ命を賭けて積み上げてきた努力とそこから残した知恵がある。
 こういうのを賞賛する朝日のような行為は、その人類の遺産の上に乗っかりながら、その上からその遺産に唾を吐きかけるってことだ。
 あー、どうしてこんなに腹が立つんだろう。(^^;
 誤解してもらいたくないのは、この家族そのものへの批判ではなく、問題はこれを明らかに好意的に紹介している朝日新聞の見識のなさにあるということ。
 件の記事は2010/11/17付だけども、すでに多くのエントリが上がっているようだ。
 ここでリンクを張らせていただこう。
朝日新聞が無介助分娩に市民権を与えていく(助産院は安全?)
能天気な自宅出産を賛美するな、朝日新聞!(うろうろドクター )
自然派分娩と飛び込み分娩(新小児科医のつぶやき)
何が言いたんだ(S.Y.’s Blog)
無介助分娩を好意的に紹介しないでください(とらねこ日誌)

【追記おわり】

突然食いたくなったものリスト:

  • チキン南蛮

本日のBGM:
Dr. Feelgood /MOTLEY CRUE






9 個のコメント

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  1. 些末な問題なんですが、
    >>私たちの親の世代ですら、(回避するために努力しても)死産は珍しいことではなかった。
    >>とはいえ例えば妊産婦死亡率が今の65倍だった1940年頃であっても10万出産あたり200人なんだからあとの99,800人は無事だったわけで、その人たちにとっては「大丈夫」だったわけだ。
    少しこの辺、文脈が混乱しているような。「死産」は子供が死んで生まれることですが、データは妊産婦の死亡数です。また、「出産数当たりの死者数」と謂うことは、普通に読むと「一〇万回の出産で二〇〇人死ぬ」と謂う意味になりますから、残りは99,800人ではないと思います。

    • hietaro on 2010年11月19日 at 10:36 午前
    • 返信

    >黒猫亭さん
     
    おおおおおおおお、ご指摘ありがとうございます。m(_ _)m
    書き直します。

  2. こんにちは。奥田民生と聞いて飛んできました。
     
    件の歌は「And I Love Car」
    で、収録したアルバムは「CAR SONGS OF THE YEARS」
    歌詞は
    http://music.goo.ne.jp/lyric/LYRUTND59467/index.html
    えー、もうお解りの事と思いますが。
    車に対する愛を歌った歌ですね(^_^;)

    • みつどん on 2010年11月20日 at 12:09 午後
    • 返信

    連続投稿ゴメンなさい。ちょっと追加。
    イラッと来るのは何となく理解できます。
    何というか、それがあるのが当然になっていてありがたさを忘れているというか。なくなった時の事を想像できてないと言うか。
    趣味としての車を語る、と言う事の暴力性と言いますか。
    もちろん、タミー個人や歌を問題にしてない事は承知の上で、ですが。

  3. ひとのわざ

    hietaroさんの貴族な人たちと云うエントリを読んだ。なんとなく感覚的に同意、と云うだけでは個人的に収まらないのでちょっと言及してみる。 ちなみに元のエ…

    • うさぎ林檎 on 2010年11月21日 at 10:57 午前
    • 返信

    おはようございます。
    既にひえたろうさんがリンクをあげられた先で、色々書いているので野良妊婦についての見解は止めときます。
    “農法”……種まきするところが農業なんじゃないですか?自然だったら生えてこないた植物だと思いますけど。
    あと、ふと思ったんですけど、UAの旦那ってこう謂う家庭で育った人なんでしょうね。
    それにしてもasahi.comはホメオパシー医師のマクロビ記事載せたりして、ホントいい加減にしてほすいデス。

  4. 所謂一つの「贅沢病」

    ひえたろうさんのところの「貴族な人々」と謂うエントリを拝読して、朝日新聞がやらかした件を識った。当該エントリに掲げられたリンク先でも指摘されていることであ…

  5. 私の直系の兄弟4人(56~45年前)は、助産婦が取り出した筈ですが、
    当時、産婦人科は、田舎には無かったようです。
    弟が生まれた時は、無事だった!と思ったものです。
    医療の発達で、幼児死亡率が高まり、且つ、産婦人科の病院で、子を産むのが、当たり前になった現代ですが、文明(?)が発達した日本だから、頼れる現状があるだけで、
    助産婦(?)なり、分娩の経験者に頼らざるを得ない危険と紙一重の世界にいるのが、アフリカ等多くの低開発国(?)の現状です。
    自然分娩は、動物としての人間としては、「自然」かも知れませんが、自分の子を、敢えて賭に賭ける人間は、「自然崇拝者」で、勇気がある人間なのでしょう・・・。
    多くの人間が、「自然崇拝者」になれば、地球に害する人間が減って行き、地球にも少しは、ゆとりが生まれると思いますが、こんなに人口が溢れた中で、ほんの少数が実践しても、地球には、何の恩恵ももたらさないと思います。
    人間の人口が、今の1/10以下、嫌々、1/100以下にならないと、地球はスッキリしないのでしょう・・・。
    逆説的には、そう云う意味で、「自然分娩」は、どんどん奨励されても良いかも・・・。
    マスコミが、こう云う記事を書くなら、自分が実践すべきと思います。
    それを実践して、子が死んでからも、書く勇気があれば、真の「自然分娩」賛同者として、認めて良いと思います。
    その勇気無しに、記事にすべきではないと思います。
    マスコミは、馬鹿です!

    • hietaro on 2010年11月22日 at 5:45 午後
    • 返信

    >みつどん さん
     
    結局「イラッ」と来たのは、「クルマはあくまでも……」という、ずいぶん一般化したモノイイをしているだからだと思います。
    ただまあ、これはCMとして一部が切り取られた形ですし、歌としての「文脈」を考えれば「(一般的には)クルマはあくまでも快適に使う道具……いけないわけではない(ってことだろうけど、でも)好きなんだ……」となるのだろうなあ、とは思います。
    ここで書かせていただいたのはあくまでもCMとして、映像や演出付きで切り取られた状態で、私にそう見えたという話だということで、ひとつ。<何が(^^;
     
     
    >うさぎ林檎 さん
     
    「自然」という言葉が、その本来表す意味とは違って使われる、空想上のオマジナイなんでしょうね。
    違うところでも書いたんですが、よく事件があるとマスコミは
     
    『空想(ゲームなりマンガなり)と現実の区別がつかなくなってこの行為に及んだ』
     
    的な表現をしますよね。結構バカにした意味で。じゃあ今回の記事はどうしてこの夫婦に対して、
     
    『空想と現実の区別がつかなくなってこの行為に及んだ』
     
    と言わないのかと。今回の記事はまさに「空想の自然」と「現実の自然」を混同したお話なのだと思うのです。人の命を危険にさらして。
     
     
    >mohariza さん
    >多くの人間が、「自然崇拝者」になれば、地球に害する人間が減って行き、地球にも少しは、ゆとりが生まれると思いますが、こんなに人口が溢れた中で、ほんの少数が実践しても、地球には、何の恩恵ももたらさないと思います。
     
    あ、もちろんご承知だとは思いますが、地球に「害」とか「恩恵」とかいう場合、ほとんど全ては地球にとって何の関係もない話で、要は「人間が住むために、人間にとって」というマクラコトバがついて初めて言える話ですよね。今の(人間が生きていけるような)環境が、地球の歴史の中で平常的な状態なのかを考えれば、そんなことはないわけで。
    「地球規模」で考えれば、人間が多かろうと少なかろうと、あんまり関係ないんだと思いますよ。
     
    >マスコミは、馬鹿です!
     
    マスコミにも(一般と同じように)バカがいてしまう、ということですよね。残念なことに。

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