「90年代のラーメン2」で少し紹介したラーメン本を1冊ずつ読んでいこうというエントリシリーズ(になるといいが)。
大阪(関西)のラーメンは2000年代になって大きく花開いたと思う。
今振り返ってみれば、90年代以前の大阪は、ことラーメンについては「暗黒時代」だったとすら思っている。
とはいえリアルタイムでそんなことを考えていたわけではなく、その時代なりにウマいと思うラーメンはあったし、作る側も食べる側も伝える側も、その時代なりに誠実に行動していたのだと思う。
そういう雰囲気(のほんの一部)を伝えているのがラーメンガイド本だと思う。
まあ今のガイド本を見てもわかるとおり、ラーメンガイド本などというものはさほど信頼を置いていいものでもないし、その程度のものだという認識はあるけれど、それでもいくらかの時代の空気は伝えているはずだ。それに広告記事についても、当時まだビジネスモデル的に確立しておらず今ほど非道くはないように思えるし。
あと、たくさん見ていけばその分信頼性も少しは上がるんじゃないだろうかとも思うんだ。
というわけでこのシリーズでは一応、私が持っている90年代のラーメンガイド本全部についてやるつもり……ではある。
今回は、これ。
『ぴあBOOK ~大阪・兵庫・京都・滋奈和~ 本当においしい店(1) ラーメン101店』(ぴあ)
data
発行:1995/07/10
情報:1995/04/30現在
掲載範囲:大阪・兵庫・京都・滋奈和
内訳:大阪59、兵庫11、京都25、滋奈和6
掲載店数:101
世の中にはこれより古い本が存在するとは思うんだけど、今現在私が持っているラーメンガイド本の中では一番古いものなので、これからご紹介する。
「前書き」に編著者にあたる「ぴあまんぷく研究会」についての説明がある。
それによると、「小社ぴあのグルメ誌編集者をはじめ、グルメ記者や食べ歩きを趣味とする人たちで構成された、おいしいものには目がないという集団です」と。解ったような解らないような。(^^; とりあえず表紙には「編集協力:ぴあまんぷく図鑑 ぴあNIGHT ぴあMAP」とあり、情報誌専門会社ならではの情報濃度を謳っている。
#今の『関西Walker』『KANSAI一週間』(もうない)と違って、当時の関西の花形情報誌は『ぴあ』『エルマガジン』だった。
律儀な本で、全ての店に1ページを割いている。店によって2ページ取ったり半ページになったりすることがない。紹介文は14文字×21行=294文字内外で、1ページ1店だけあって現在のラーメン本に比べて多くの文字数が当てられている。
見開き
大地図はなく、個別記事に最寄り駅からの地図が入る。データ蘭には住所、電話番号などの基本情報以外に、「ボリューム」「麺の太さ」「麺の堅さ」「スープの濃淡」「ラーメンメニューの種類数」が表で示されている。
巻頭には「ぴあまんぷく研究会特別座談会 関西ラーメンマニア会談」という特集が組まれており、「ラーメンマニア」だという4人の対談が掲載されている。
メンバーは古谷文乃(大阪パフォーマンスドール)、いのうえひでのり(演出家、劇団☆新感線主宰)、宮下健二(前ぴあ関西版編集長)、山村光春(フリーライター、構成作家)。
こういう対談って正直さほど面白いと思わないんだけど、それはリアルタイムでの話で、15年という時を経た今読むとむしろこういう形式の方が当時の空気が伝わってくる気がする。
話題がやはり古いというか、今であればとりたてて言挙げするほどのこともないようなことがあったり。例えば「行列のできる店ってけっこうありますけど……」みたいに始まる話題は、やっぱり行列のできる店がようやく出てきたこの時期だからこその話題だろうし、高菜やニンニク入れ放題の店がどうとか。
「“道頓堀ラーメン戦争”って最近よく言われてますが、道頓堀のあの3店(金龍ラーメン、神座、薩摩ッ子ラーメン)も、それぞれ行列になったりしますよね……」
とか、ああああほんと時代だよねえ。
この3店は今でも健在でそれぞれ順調に営業を続けているし、それに加えて今では他にも数多くのラーメン屋が開店し、「戦争」は激化しているが、それでも今、これを“道頓堀ラーメン戦争”と呼ぶ人はいない。
あまりにメジャーになりすぎて、しかも観光地ということもあり、ラーメンマニア(^O^)が相手にするようなものではなくなってしまったのだ。
このあたりがラーメンそのもの進化や市場の広がりの結果なんだろう。
しかしこの「会談」がなかなか凄いのは、終わりのこんな会話。
いのうえ:昔、博多で、ある店のウワサが流れて、「どうもあの店のダシの中には猫の頭が入ってるらしい」って…。
古谷:ウワァー! いやあ!
いのうえ:でもその店のラーメンはその時すっごくうまくて。
古谷:いやあ、いやですよー。
いのうえ:で、ある日、どうも衛生局の取り調べが入ったらしくって。何ヶ月か営業停止になってね、その後味が落ちたっていう話がある(笑)。
古谷:イヤダー。うそでしょう。
一同:(爆笑)。
いのうえ:うまけりゃ猫の頭が入ってようといいじゃないか!っていうお話です。
古谷:でも猫ちゃんは……。
いのうえ:うまいラーメンにはいろんなモンが入ってるんです!
こう言いっ放したまま、「会談」は終わっちゃう。(^^;;;;
いのうえひでのりらしいっちゃらしいけど、さすがに今ならこんな話題は(実際に「会談」で出たとしても)カットだろうし、もし企画上載せたとしても何らかのフォローが入るよねえ。
あとこの対談で、ある豚骨ラーメンの店への評価を「ちょっと味にムラはあるけど、本物に近い味を出してます」なんて言い方をしてるのも興味深い。これは時代……どころか今もまだそういうことをいう人が沢山いるみたいだけども、まずどこか(九州だとか北海道だとか)に「本物」があって、それにどれだけ近づけるかっていう勝負という認識が、かなりあったと思う。しかしこれって天井が決まったつまらない勝負だよねえ。最大限での賞賛でも「本場そのまま」あたりなわけで。
なお、この時点(1995/04/30現在)で京橋の剛力ラーメンはつけ麺(¥750)を出している(メニュー名も「つけ麺」)。これは知らなかった。つけ麺を看板に掲げてはいないものの、大阪でつけ麺を出した店の嚆矢かもしれない(少なくともこの本に掲載されている店でつけ麺を出しているのはここだけ)。どういうものを出していたのかはよくわからないけど。
以下、個別記事への感想。
揚子江は「今では毎日400~500食も出る」って。凄いな。
らいよはうすは「2号店」となっている。他にも店があったのか……(この疑問は次に紹介する本で解決する)。全てのメニューに食前酒の白ワインがつくとあり、これは違う雑誌でも何度か読んだが、実際に行った時にはそんなの見たことない。もうやってないのか頼んだらくれるのかはわからないけど。出してくれるなら光龍益みたいにセルフで入れるようにしてくれたらわかりやすいのになあ。
ヤング藤平「今や、大阪のラーメンもトンコツ味が主流。九州ラーメンとは一線を画す大阪のトンコツラーメンがあちこちで生まれている」とある。これがいわゆる「関西ライト豚骨」ってやつだねえ。ヤング藤平はしかしすぐにラーメン屋敷 藤平にリニューアルされる。
大来軒「札幌ラーメンの店が急増した70年代初めに…」なるほど。
薩摩ッ子ラーメンは95年の時点で「大阪に29軒、奈良に1軒」の店舗とある。これも凄いねえ。この時代、大阪では“トンコツ、ニンニク”というのはラーメンの圧倒的なトレンドだったんだよなあ。
公式サイトがないらしいので現在何店舗あるのかわからないが、これより増えてはいないように思う。それに公式サイトがないということは、現在はそれほど積極的にフランチャイズ展開をする気もないということなのだろう。
昭和40年代、全国で最初に吹き荒れた「ご当地ラーメンブーム」は札幌ラーメン。90年代はまだその名残が残っていて、この時代に既に「老舗」となった北海道ラーメンの店がいくつか顔を出している。赤れんがもその1つ(今でもやってる)。この時代から今でも変わらず営業時間は11:00~14:00のランチタイムのみ。西山製麺の麺を使っていることを誇っている。味噌ラーメンの浪花天神ラーメンは94年11月オープンながら(既に閉店)、これも西山製麺の麺をアピール。
会津喜多方ラーメン蔵 三津寺通店には、「おいしいラーメンとして全国的に有名な喜多方ラーメンの店が新大阪に続きミナミにも登場」とある。ということはこれが大阪2店舗目ということなんだろう。札幌、九州と続いたご当地ラーメンブームは80年代後半に喜多方ラーメンという“第3の波”が起こったってわけ。「地ラーメンの真打ち、喜多方ラーメン ついにミナミに登場!」というキャッチフレーズには、目新しいラーメンへの期待がうかがえないでもない。一時期この蔵は関西にもたくさん店舗があったように思うが(記憶では八尾や泉北、スーパーのフードコートなどで見かけた)、公式サイトを見る限り、現在、大阪では2店舗を残すのみのようだ。札幌、九州とは違い、喜多方ラーメンの個人店はこちらで見かけたことがない。見るのは坂内小法師、蔵、大安食堂といったチェーンばかりだ。
ちなみにこの三津寺通店は現在心斎橋つけめん 一燈行となっている。
ニラの薬味を最初に考案したのはアベノ日本一 宗右衛門町店だそうだ。へええええ。「以前は阿倍野の都ホテルの前で屋台を出していたが、関空の開港に向けての区画整理でやむなく屋台をたたみ、ミナミに店舗を構えることになった」。現在はこの宗右衛門町店もたたみ、阿倍野の外れに店を出している。
神座 千日前店の写真を見ると、この頃はまだ汎用の丼を使っている(現在はカラフルに「神座」の文字がちりばめられたオリジナルの丼)。この丼が奈良の天理スタミナラーメン(通称天スタ)のものと全く同じで笑ってしまった。どっちが早いかといえば、天スタだろう。天スタでは今でも屋台店などではこの丼を使ってるようだ。
さて、どちらがどちらの丼でしょう?
正解:上が天理スタミナラーメン、下が神座(当時)
この時代に無茶苦茶パワーがあったのが、金龍ラーメン。今でも、一時の勢いはないが堅実に商売している。ちょうどこの頃は近くの神座、薩摩ッ子ラーメンとともに「道頓堀ラーメン戦争」と呼ばれたという話は、この本の巻頭特集にも出てくる。
大きな地図で見る
A神座 I金龍 E薩摩ッ子
金龍はその中でも最も古く、創業は82年くらいだっただろうか(うろ覚え/神座は86年)。金龍の勢いを伝える話として、この本には凄いことが書いてある。「屋根に横たわる巨大な龍が目を引く道頓堀本店では、昼夜を問わず客足が絶えることなく、1日に5000杯を売り上げたこともあるほど」と。(゚Д゚) ごごごごせんばいッ!? ろろろろしあんるーれっと!? いくら24時間営業とはいえ、本店支店合わせてではなく、道頓堀本店1店舗だけでですよアナタ。
ほんまかいな。(^^;
当時はチャーシューメンもなくてメニューは1杯600円のラーメンのみ、しかも立ち食いなので回転はいいとしても、それでも単純に割り算しても10分で35人て計算っすよ。(^^;
今とほとんど変わらない当時の店構え。これで10分35人が1日中……?
凄すぎる。……まあこれの真偽はさておき、大阪に住んでて、ミナミで飲んで金龍でシメを食べたことが1度もない人なんていなかったんじゃないかというくらいの勢いがあったことは確かだ。だからトンコツでキムチ、ニラ唐辛子、ニンニクをトッピングし放題という金龍のスタイルは、良くも悪くも大阪人の「ラーメン」のイメージを定着させたんだよね。
自家製ラーメン 樹のバン麺の値段は400円だ。15年経った現在は450円。この良心に泣きたくなるね。
彩華ラーメン 上六店は「天理「彩華」の直営店として大阪に登場、今やすっかりおなじみの店」と紹介されている。奈良の彩華ラーメンそのものは68年創業、上六店は92年にオープンしている。もともと屋台から始まった店で、大阪の人間はわざわざ天理までラーメンを食いに車を走らせるという行為そのものを楽しんでいた。ラーメンも大阪にはない白菜の入った(後に「天理系」とか呼ばれるスタイル)ものでそれも新鮮だった。そういう知名度があっての上六店のヒットだったんだろう。
ラーメン日本に本店があったとは知らなかった(新地/この時点で既に閉店している)。
鳳ラーメンは1983年創業の高槻での豚骨ラーメンの先駆け。それも「関西の味覚に合った」薄めの「関西ライト豚骨」。ここも自家製麺。ググッてみたら、結構ファンはついていたはずなのに去年閉店してしまったようだ。閉店前はかつてのファンを嘆かせる変わり方だったらしい(⇒食べログ)。
三宮の三馬力の評判は非常にいい(「兵庫」カテゴリの一番最初に紹介されている)のだが、残念ながらかなり早くに閉店してしまっている。私は食べたことがない。非常に残念だ。「ここでは「中華そば」と「ラーメン」をあくまで異質のものと考え、それぞれ別々のスープと太さの違う特注麺を使って別メニューにしている」という。その解釈を味わってみたかった。
麺蔵は「キムチラーメンを始めたのはここが最初だそうで」と書かれている。「だそうで」というところが編集側の疑念を表してるが(^^;、いやマジで、「ほんとなの?」とは思うよね。(^^;
神戸らーめん 第一旭 本店は現在の神戸本店。ちなみに元町にあるのが元町本店、三宮にあるのが三宮本店。……三田屋本店かよ。(^O^)
もっこす 石屋川店はいくつかあるもっこすの支店の中でも一番有名だけども、大倉山本店に比べても圧倒的にメディア露出が多い。どうしてなんだろうなあ。
芦屋らーめん庵「ひと際長い行列のできる店としても有名だ」とあるのが時代を感じさせる。“2号線ラーメン戦争”と呼ばれたのもこの頃だっただろうか。
本家2国はこの時すでに西明石店、伊川谷店、須磨店、長田店、玉津店があったんだけど、この後ここがたどった道を思うとやっぱりなんか、切なくなるねえ。
阿月本店は、関西では珍しい“甘味処のラーメン”。おそらく現在京阿月と言っている店なのだと思う。残念ながらこの本に掲載されている店舗(大丸京都店の北側)は既にないようだが、ラーメンを食べさせる店舗はまだあるようだ。甘味処にラーメンというのは関東では珍しくないよね。どうしてなのかなあ。何か起源があるのだろうけど。紹介文にはこんな記述がある。「一時代前に全国的ブームとなった、あっさりスープと細めの麺が特徴の、いわゆる京ラーメン。その元祖が、実は京都の和菓子店、「阿月」だったと知る人はほとんどいないのではないだろうか」。確かに知らなかったが、それ以前に“京ラーメン”という存在も、ましてや全国的ブームになったという事実を、私は知らない。(^^; ……そうなの?
こむらさきは熊本ラーメンでも鹿児島ラーメンでも天下一品でもない。「オーナーのおじいさんがラーメン屋さん、お父さんがフランス料理のシェフだったことから、ここのラーメンはその2つを足した“フランス風ラーメン”とでもいった趣がある。スープはコンソメベースのあっさりタイプで、豆板醤がピリッと効いた超個性派」だと。ややこしい名前ではある。(^O^) 食べたことはないんだけど(今はもうない)、白菜、豚バラ肉が入ったルックス、コンソメ、豆板醤というデータからは神座の味が簡単に浮かんでしまうが、違ったのだろうか。
鳳林「熱いものは熱く出すのが料理の基本」いい言葉だ。
第一旭たかばし本店には「全国にチェーン展開しているが、この「たかばし本店」の味だけは……」といった記述がある。正直、“第一旭”の名称やチェーン店のややこしさはワケわからん。「Wikipedia – 京都ラーメン」には以下のような記述があるが、これ読んだところでワケがわからんことは少しも解消されない。
……現在、直営店は、南インター店、亀岡店の2店のみで、本店、城陽寺田店は直営ブランドの独立採算店、それ以外はFC店である(その他、「第一旭」とは別に、「たかばし」というブランドも有しており、直営で別展開している)。そのため、本店、城陽寺田店は、厳密にはチェーン店には含まれない(よって、厳密に言えば、本店は旧本店になるのだが、「第一旭」では、1号店であるとの意味も含めて、そのまま本店の呼称を使っている。現在チェーン店の体制として、いわゆる本店機能を有しているのは、南インター店である)。FC店は質にかなりバラツキがある。また、過去の様々な経緯により、本店の許可を得ずに「第一旭」を名乗っている店も少なからず存在する(味や見た目はほぼ同じ系統である)。 |
なお上述の神戸らーめん 第一旭の公式サイトの会社沿革にはこうある。
昭和22年 京都高橋に旭食堂を初代創業 昭和29年 第一旭に商号変更 昭和42年 現社長が京都高橋にて伝授 昭和46年 第一旭 神戸本店設立 昭和50年 麺工場設立 昭和57年 第一旭 三宮本店設立 昭和59年 有限会社 アサヒフーズ設立 FC開発事業を展開 FC展開店名として「神戸ラーメン第一旭」を呼称 神戸本店を「神戸ラーメン第一旭」神戸本店 三宮本店を「神戸ラーメン第一旭」三宮本店 昭和60年 新工場完成 平成 8年 工場移転 平成11年 神戸本店を移店 平成12年 「神戸ラーメン第一旭」元町本店設立 平成15年 「神戸ラーメン第一旭」を第一旭に統一 |
横綱本店は、この時点で「今や支店数16店舗を誇る京都では大御所的存在の店…」とある。公式サイトによると現在は全国で30店舗。ほう、横綱のチェーンは全店直営なのか。この本には吉祥院にある店が「横綱本店」として紹介されているが、「Wikipedia – 京都ラーメン」によると、「現在は、特定の店舗を本店とは位置づけていない」そうな。
ところでこの本(1995)では「21年前の創業」と書かれている。しかし公式には創業は1972年、店舗営業開始が1977年なので計算はどうやっても合わない。(^O^) いずれにせよ店舗営業開始からこの本発行の1995年までの18年で16店舗に広がり、そこから15年間で14店舗増えて30店舗というのは、何とも堅実な増え方じゃないか。しかも直営店のみで。
次に、麺についての記述をピックアップしてみた。
2000年以前のラーメンは極度にスープ偏重だったという印象がある。とはいえ麺にこだわる店や「自家製麺」の店が皆無だったなんてことは思っていない。
このあたり、実際はどうだったのか。
というのも以前、「『最新ラーメンの本 関西版』の話」で書いた、
石:自家製麺を関西で注目させたのは『麺哲』あたり? P:そうですね。 と:正確には『麺哲』の庄司さんが店長を勤めていた『秀次郎』です。 石:そうすると大阪に自家製麺の概念を持ち込んだのは、庄司さんなんですね。 |
みたいな乱暴な記述が気になってて。何というか、確かに90年代まで大阪のラーメンは暗黒時代だったけど、かといって決して未開の地ではなかったんだよという気分。
まあこれにはとしむね氏によるこんな↓フォローがちゃんと入っているし。
と:古くから自家製麺を扱うお店は色々あったんですけど、もっと麺に注目しろって言ったのは『秀次郎』だったんですよね。 |
いずれにしても1990年代までの関西の麺事情というのは気になる。
というわけで、麺についての記述を集めてみた。
くりやん「コシのある歯ごたえ抜群のオリジナル麺」
古潭「麺はやや太め。ゆで上がりにサッと打ち水をしているから麺がしまり、スープも食べやすい温度に下がるというワケ」写真を見ると大鍋で茹で平ザルで上げている。いいねえ。今もそうなのかな。
古潭の麺あげ
らーめん朱 梅田店「麺はやや堅めの極細麺で、もちろん注文に応じてヤワ、カタ、バリカタといかようにもOK」
大阪の味ラーメン 喜らく「喉ごしのいい特製の細めの麺」
らいよはうす 2号店「堅めの細麺」
ヤング藤平「麺は心もち細めのストレート麺。博多の麺とは歯ごたえも喉ごしも異なる」
火無夷「麺は、3つの生地を製麺機のロールに通しサンドイッチ状に重ねることによって、独特の歯ごたえを作り出したオリジナル」これはなかなか凝ってるねえ。他の本には麺に使う水も大神大社の御神水だという記述もあるし、この店の麺はかなり気合いが入っていたようだ。
赤れんが「札幌の「西山製麺」から取り寄せている太めでコシの強いちぢれ麺の歯ごたえも抜群」
浪花天神らーめん「こだわっている麺は、この店のマネージャーがとことんほれ込んだ札幌の「西山製麺」直送の太麺を堅めにゆでて出している」
味仙「麺は特注の玉子麺」
会津喜多方ラーメン蔵 三津寺通店「会津の美しい水と、最高級の小麦粉、さらに地酒を加えて練りあげた麺は、平打ちのちぢれ麺」「最高級」(おそらくは灰分を基準としたグレードとして)の小麦粉を使ったところでおいしい中華麺ができるとも限らないとは思うけどなあ。
ちりだラーメン「麺は店の奥にある製麺機で毎日作られるコシのあるストレート麺」これは当時としてはなかなか先進的だったと思うんだけど、記述はこれだけであっさりしたもの。
尾道ラーメン めんくい 心斎橋店「麺は尾道から送られる特製平麺で、スープとうまくなじませるのがポイントだとか」
神座 千日前店「中華風の細麺は少し堅めにゆでられており食べる間にスープを含んでベストの状態となる」「中華風の細麺」って何じゃろ?
金龍ラーメン 道頓堀本店「麺は製麺が追いつかなくなりやめていた自家製麺を、全店舗で復活」
小洞天「麺はスープと調和する細めのストレート麺」現在は麺屋棣鄂の麺なのかな。
自家製ラーメン 樹「生麺類の製造卸を営んでいる製麺所が2年前にオープンしたラーメン店。毎日店の奥で作られる麺は卵白がたっぷり入った、かなり歯ごたえのある細麺」
龍虎「麺は手作りで、温度や湿度を計算して、一番おいしく食べられる状態になるまで丸一昼夜寝かせたスグレモノ」「手作り」という表現(今なら自家製麺だよねきっと)、「スグレモノ」というフレーズ、時代だなあ。メインコピーが「温度や湿度にまで気づかう手作り麺はトンコツスープとの相性がバツグン」。自家製麺だろうが製麺所だろうが、製麺をやるのに温度や湿度に気を遣うのは当たり前のことなのにわざわざこう書けちゃうということは、ライターにも読者にもそんな知識はなかったということだろうか。
信濃路「麺は特注のコシのある細麺」
尾道ラーメン十六番「きしめんを細くしたような独特の麺も、もちろん尾道から取り寄せたもの」そういえばこの時代は平麺がほとんどないんだよね。ほとんどが九州ラーメンの細ストレートか札幌のちぢれ麺か。だからまだ「平麺」という表現そのものがメジャーではなかったのかもしれない。
青葉らあめん「コシのある細めの麺は歯ごたえたっぷり」「歯ごたえたっぷり」って何だよ??
九州ラーメン 博多「コシのある細麺」
一級らーめん「麺は玉子麺で特注のもの。コシが強く細い麺なので、スープによくなじんでおいしい」
剛力ラーメン「麺は東京の青梅で作られている天然水使用の玉子麺」
マキノ家「麺はコシがあり、喉ごしがいい特注品」
ラーメン専科 力雅「店の2階で作っている手打ち麺はタンパク質をたっぷり含むようにと、卵がふんだんに入っている。シコシコとコシがあって、スープにぴったり」とある。そしてこの時代としては極めて珍しいことに、製麺風景が写真で紹介されている。写真は麺が裁断されて出てくるところで、使っているのは普通の製麺機だと思う。しかしコピーには「手打ち麺」とある。この時代の雑誌は自家製麺を「手打ち」と表現することが多い。こういう写真があるということは目の前で製麺風景を見ているはずなのに、製麺所ものとどういう違いを考えて「手打ち」としているのだろうか。
かなり年季の入った製麺機
二両半「麺は細めでコシが強く、スープの絡みもよい」
彩華ラーメン 上六店「麺はこのスープに合う自家製の細麺を使用」
れんげラーメン「麺は、濃い味になじむように細めの麺を使用」
光洋軒「今も当時の製法のままに製麺業者に作らせているという麺は、しっかりとしたコシのある太麺で、食べる人の好みによって好ききらいが極端に分かれそうな独特の食感を持っている。ちょうど沖縄そばをイメージすると近いかもしれない」当時は“高井田系”“布施系”なんて呼び方もなかったし、こんな太麺は他になかったから麺について表現するボキャブラリーもなかったってわけだ。今、この麺を沖縄そばに例えるような人はまずいないだろう。
長浜ラーメン 浜ちゃん「博多直送のコシのある細麺」
中国小吃 上海「麺は国内産小麦粉を使った手作りもので、木箱に入れて冷蔵保管するといった気の使いよう」いやまあ、保管はそうでしょう。国内産小麦粉を使ってるそうだが、上海料理ならひょっとしたらかん水を使ってないかもしれないなあ。どうなんだろう。
博多ラーメン 一休「麺は、福岡から仕入れている細めでコシのあるストレート麺。それを堅めにゆでて使っている」
天下善「麺は特製の玉子麺」
中国料理 天馬「卵たっぷりのしこしこ細麺」
白ラーメン 南蛮亭 2号店「麺はコシの強い細麺を特注。2年ほど前までは太い麺を使っていたが「好みの変化に合わせて細めになった」という」」
ラーメン日本「特注の細い麺」
鳳ラーメン「トンコツのとろりと白っぽいスープに自家製の細麺がなじみ…」
紅鶴ラーメン(現在は閉店)は「現在、麺は特注しているが、今後は水にこだわって製麺の方にも力を入れていくそうだ」とある。(コストではなく)こだわりを実現するために自家製麺に移行するという志向は、この時代の関西にもちゃんとあったということ。
四川ラーメン 都「特製の細麺は堅めでシコシコとした歯ざわり」
中華のポパイ「風味を引き立てるため一晩寝かせて使う特製手打ち麺」
真琴 本店「特注の中華風細麺」だから、「中華風細麺」って何じゃい?
長浜ラーメン ごん太「博多直送の手打ち細麺」
かっさんラーメン「コシのある玉子麺」
長浜ラーメン とん吉「「ヤワで使える麺はままあるが、ハリガネならやはり本場もの」と、福岡から毎日取り寄せる」
芦屋らーめん庵「自家製手打ち麺の“ツルみ”を生かすことを第一に考え、試行を重ねた末にたどりついた味だという。麺は打ってから30分ほど寝かしたものを使う。“コシ”と“ツルみ”の両者がもっとも活きる頃合いだからとか」麺についての記述がかなり多い。しかし自家製麺を「手打ち麺」と表現するのはどんなもんだろう。また、「麺は打ってから30分ほど寝かしたものを使う」というのはよくわからない。次から次へと打ちながら営業しているわけでもないと思うし。あるいは30分ほど麺帯の状態で寝かせてから打った麺ということだろうか……?
天佑「製麺業者に製麺用の歯をわざわざこの店専用に作らせており…」「麺は少し細め。製麺業者に製麺用の歯をわざわざこの店専用に作らせており、トンコツスープとうまく絡まるように工夫されている」今なら番手や形状を書くよね。あと「歯」も今なら「刃」と書くかなあ。
神戸らーめん 第一旭 本店「自社工場で作る細麺」
天津「無添加の生麺」
阿月本店「場所柄、買い物がてらに立ち寄り、おしゃべりしながらのんびりと食す客が多いということから、麺には時間が経ってものびにくい工夫がされている」なるほど、これは目的がはっきりしていて特徴的だ。
らんたん「仕上がりがほどよい堅さの麺は業者に特別に注文しているもの」
味千「コシのある麺は熊本より仕入れたもの」
天下一品総本店「自家製の麺」
天宝「麺はコシのある極細麺」
玄屋「麺は細めで和風」え?「和風」?? 和風の麺ってのは結局、何じゃい????? 何度か出てきた「中華風」という言葉といい、当時は和風の麺、中華風の麺というのが存在したのだろうか? あるいは無かん水だったりするのかなあ。かん水が入ってないのを「和風」と表現した、みたいなことはありそうではあるけれど(それが「和風」かどうかは別として、「中華麺ではない」という意味で)。でも現在の写真を見る限りかん水は入ってそうだしなあ……。
麺については自家製麺が案外多くて驚いたが、それでもたいていの場合はスープや具(特にチャーシュー)に多くの紙幅が割かれている。自家製麺にさほどアドバンテージを与えておらず、北海道ラーメンなら西山製麺、九州ラーメンなら地元から直送される麺にプレミアム感を感じているというイメージがある。
太さについても今なら雑誌でも普通に顔を出す「切刃」「番手」などという表現はもちろん出て来ず、「細麺」程度の表現にとどまっている。
そんな中、好みに応じて麺のかたさが注文できるかどうかには比較的注意が払われている。この時代は関西でもラーメンの主流は九州のとんこつラーメンだったから、ラーメンといえば何でもかんでも「かため」の麺を注文するのが「通」といった認識があったようだ。
麺そのものへの評価はせいぜい「特注」「特製」という程度。つまりこの言葉は「(製麺所に)手間をかけさせている」という記号で、これは「おいしさ」に直通しているという発想だ。
そしてもう1つ、興味深いのは「卵麺」がヨイという認識。
この2つを合わせて「製麺所に特注した極細の卵麺」あたりが最上級の賛辞になっているように読める。
卵麺か。
確かに使わないよりもコストはかかるように思うが……。卵を何のために使うのか、使えばどうなるかについての記述はないなあ。ただ1つ、ラーメン専科 力雅の記事だけは「タンパク質をたっぷり含むように」と書いているが、ではタンパク質がたくさん含まれればどう製麺に影響するのかは、やっぱりこの記述ではわからない。だいたい「卵麺」ってどういう卵を使った麺のことをいってるんだろう? これは純粋に、「用語」としてよく知らないんだ。全卵なのか卵黄、卵白どちらかなのか、粉なのか。このあたりの区別はされているんだろうか。どうもされていないような気がする。って、それは今もそうか。(^^; いずれにせよこの当時は一言「卵麺」といえば高級っぽく感じるでしょ、という以上の意味でに使われていた言葉ではないように思える。
さてもう1つ、魚介系のスープについても記述を探してみた。
これも前掲「『最新ラーメンの本 関西版』の話」にも紹介した、
中華料理に長年勤しんだ店主が、魚介系ラーメンのパイオニア・新宿『麺屋武蔵』の影響を受けて開業したのが2000年。関西のラーメン事情に魚介文化がまったくなかった頃だ。 |
あたりの記述が気になっているので。もちろんこの記述は嘘っぱちではあるけれど、「実際どうなのよ?」というのをあぶり出してみたいので。
というわけで、昆布、かつお節、煮干し……などの魚介系について言及されている部分を集めた。この本ではあまりなかった。
好房「スープを一口すすると、なんとなく懐かしい味がするのは、スープのベースに、トンコツ、鶏ガラに加えて、かつお節を使っているからだ」あえて書くと言うことはさして多くはなかったということではあんだろうな。
会津喜多方ラーメン蔵 三津寺通店「スープは鶏ガラとトンコツをベースに、煮干や野菜などもたっぷりと使い、天然の甘みが生きたあっさりとした上品な味を出している」
自家製ラーメン 樹「昆布、かつお節に、にんじん、たまねぎなどの野菜、チャーシューの煮汁、土ショウガ、鶏ガラなどからとっただしにしょうゆを加えたスープは、やや辛めの味付けのあっさりタイプ」
中国料理 天馬「鶏ガラ、トンコツ、中国ハムを5~6時間煮込んだだしで、昆布、野菜、香辛料としょうゆを煮詰めた味ベースをのばしたコクのあるスープ」
次は1997/01頃(^O^)発行、ぴあの『ランキン’グルメ』の予定。
突然食いたくなったものリスト:
- 包み餃子
本日のBGM:
Tears By The Firelight /STORMWITCH
2 個のコメント
こんにちは。
樹のバン麺は今でも400円ですよ。先週食べたので間違って無いハズ。
この本に紹介されてるラーメン屋で今でもやってるお店って、食べログで調べると軒並み点数低くて、長年やってるのにレビューも少ないんですよね。それだけ相対的に関西のラーメンのレベルが上がったってコトなんでしょうけど。
こういう長年やってるラーメン屋って味だけで判断して欲しくないなぁ、と思ったり。
飲んで、食って、吐くまでが金龍ですw
次回も楽しみにしてます。
>akkinenn さん
>樹のバン麺は今でも400円ですよ。
あれれそうでしたか。とすれば記憶違いです。いやあ、すばらしいですねしかし。
90年代の本に紹介されている店というのは、以前も書きましたが、2000年代の本に比べて重複(どの本にも載っている店)が極めて多いんですよね。それだけめぼしい店が限られていたということになると思うんですが、やはりそれは定番化というか、固定化というか、そんな傾向はあったのだと思います。
だから味についてもやっぱりそれを踏まえて出てきた2000年代からの店とは「差」を感じざるを得ませんね。
ただ、ほんと、仰るように
>こういう長年やってるラーメン屋って味だけで判断して欲しくないなぁ、と思ったり。
ということだと思います。
ラーメン屋はバンドと一緒で(^O^)、「長くやっている」ことそのものだけでも賞賛に値すると思います。
>飲んで、食って、吐くまでが金龍ですw
名言ですねえ。(^O^)(^O^)