「B級グルメ」とは

 以前、ツイッターで、「B級グルメ」という言葉がいつ頃から使われだしたのか、という会話をしたことがある。
 といってもそんなことはつゆ忘れていた。
 
 ところが最近、本棚の隅で『スーパーガイド 東京B級グルメ』という本を見つけた。「これはけっこう古いな、いつ頃のだろう?」と奥付を見たら初版が1986年。え? 結局、「B級グルメ」って言葉はいつ頃から使われだしたんだ?とググってみると、Wikipediaにあっさり書いてあった。

最初に登場したのは1985年とされる。フリーライターの田沢竜次が雑誌『angle』に連載した記事をもとに、『東京グルメ通信 B級グルメの逆襲』(主婦と生活社)が刊行された。そして1986年に文春文庫ビジュアル版で田沢竜次もメインライターとして参加した『B級グルメ』シリーズが刊行され、この用語と概念が広がった。

 
 私が本棚で見つけたのは、この「1986年に文春文庫ビジュアル版で田沢竜次もメインライターとして参加した『B級グルメ』シリーズ」の中の1冊だ。


スーパーガイド 東京B級グルメ

 「B級グルメ」という言葉ができて間もない頃の、その言葉を作った人による本だと。
 
 だいたい、ある言葉が作られそれが広がっていくと、もともとの意味が拡大されたり曖昧になったり元々のとは違う意味に使われるようになる。
 「オタク」や「リストラ」もそうだ。
 「オタク」は単に何かが凄く好き、くらいの意味で使われるようになっているし、「リストラ」は単なる「クビ」の言い換え語になった。「セレブ」も単なる「金持ち」という意味で使われている。「トンデモ」だって、当初創作者が使った意味とは違った意味になってしまった。
 
 というわけで、もともと「B級グルメ」とはどういう意味だったか、今とは違うのか?という興味を含めてこの本をパラパラとめくってみた。
 
 すると、この本の志の高さ、それまで注目されなかったものに名前をつけ表舞台で語ろうという情熱が強く感じられ、これは紹介すべきだろうと思い至った。
 
 ある言葉を作るということは、ある概念を作るということだ。今では当たり前のように使われている「B級グルメ」という言葉。この「くくり」はこの言葉ができるまではなかったものだ。これは1つの「発明」であり、このジャンルの「発見」でもあった。
 
 以前、「『ラーメンと愛国』を読んで感じたいろいろ(3)」というエントリの中で、こんなことを書いた。
 

 ラーメンというものがいつの間にか「ウンチク」を伴うものになったという話は、その前にラーメンがウンチクの余地/価値がない取るに足らないものだと捉えられていたことを押さえないといけないのではないかなあ。
 そういうものに敢えてウンチクを傾けるというパロディ的なアプローチが80年代のカタログ文化やニューアカブームな空気と相俟って「こんなものにも敢えて真面目にウンチクを語るギャップの面白さ」を狙う対象となりそれが定着したという段階があるわけで。
 今考えるとこれこそ「B級グルメ」が生まれる過程だったんだよなあ。
 その名残が、テレビや雑誌でラーメンを扱うときに出演者にタキシードやパーティードレスを着せたがる感覚(そしてゲストにやたら叶姉妹を呼びたがる感覚(^O^))だと思う。

 
 1985年に「B級グルメ」という言葉が生まれていることは、この記述にぴったり当てはまる。
 
 またその前年の1984年には国鉄(現JR)の「エキゾチック・ジャパン」キャンペーンが始まっている。あまりに普通で省みることのなかった身近なものを、これまで新しいものを見つめてきたような目で改めて見つめ直そうという機運は、高度成長から抜け出て「安定成長」になった80年代だからこそだったのだろう(70年代後半から、か)。
 
 やはりこの言葉の誕生は、時代の流れだったように思える。
 
 ただ、読んでみると、最初の「B級グルメ」という言葉は、この言葉がその後、バブル⇒バブル崩壊から現在に至るまでの間にこびりつくことになったイヤらしい部分、例えば町おこしであったり貧乏くささであったり……そんなものをまったく纏っていなかったことがわかる。そして、今はそぎ落とされた意味まで含んでいたことも。
#なお、「B-1グランプリ」の「B」は「Brand」の頭文字であり、「B級グルメ」の頭文字ではない。
 
 この本(『スーパーガイド 東京B級グルメ』)は「文藝春秋ビジュアル文庫」に入っており、「姉妹編」として
・『世紀末大東京遊覧』(B級グルメクラブ編/1987/6)
・『東京・横浜B級グルメの冒険』(1988/3)
・『セイシュンのB級グルメ』(1988/12)
・『B級グルメの基礎知識』(1989/4)
が出ている。これが上記Wikipedlia記事の言う「『B級グルメ』シリーズ」だと思う。(いずれも絶版)
 
 だから本来はそれらも参照したいところだが、今のところ手元にないし、これがシリーズ最初の本ということで、とりえあえずこれだけを読んだ状態で書く。おそらく問題はないだろう。
 
 生まれたばかりの「B級グルメ」という言葉はどういう意味を持っていたのか。
 
 Wikipediaに書かれているように、この本はこの言葉ができ、使われだして間もない頃の本だ。しかもシリーズ1作目。にもかかわらず、「B級グルメ」の定義は書かれていない。
 
 ただ、定義めいたコピーが2つ掲げられている。曰く、
 
味はA級、値段はB級
 
A級の技術で東京流の味と伝統を守り、しかも値段はB級の心意気に燃える店のレポートを中心とする、これは一種の東京論である
 
 値段がB級なのはいいとして、A級なのは「味」なのか「技術」なのか。
 正直、それはどちらでもいいのだろう。いずれにせよ、当時「グルメ」という言葉で示されていた料理(「A級」)ではなく、身近すぎて省みられることのなかった安いメニューをも「グルメ」として語ろう、という姿勢なのだと思う。ただ、それだけかどうかは読んでみないとわからない。
 
 「これは一種の東京論である」という部分も気になる部分。「B級グルメ」という言葉が最初に使われた本だという『東京グルメ通信 B級グルメの逆襲』(1985)も「東京グルメ通信」とあるし、「B級グルメ」という言葉は当初、「東京」という地理的な範囲を強く意識して使われていた。
 一瞬、意外にも思うが、グルメ本が「店」を扱っているからには地域的な限定があるのは当たり前だとも思える。実際、「B級グルメ」はその後他の地域にも拡張されていく。(この後の姉妹編『東京・横浜B級グルメの冒険』では横浜の「B級グルメ」が語られている)
#……ただ、これ以降、他地域の「B級グルメ」について書いたライターが彼らのように語ることができたかどうかはよくわからない。
##今回、『東京グルメ通信 B級グルメの逆襲』を買ってしまおうかとAmazonを見てみたら、なんと5,000円近くの高値がついていたのであっさりと断念した。(^^;;
 
 この本の目次を見れば、そういった地理的広がりだけではなく、ライターたちが何を「B級グルメ」として捉えていたのかが俯瞰できる。


『スーパーガイド 東京B級グルメ』目次

 タイトルに「スーパーガイド」とあるものの、今あるような、店ごとに紹介するガイドブックではなく、それぞれのメニューに対するライターの思い入れや「かくあるべき」というこだわりが中心の、どちらかと言えば長めのエッセイ集という感じ。もちろんあるメニューについて語る時には店の名前も必要で、記事の中にたくさんの店が登場する。しかし軸はあくまでも「メニュー」であり「店」ではない。店の情報はそれぞれの記事の最後にリストで紹介されている。
 こういう、1つずつのメニューに対する記述によって「B級グルメ」の概念は固まり、広まっていった(そして変化していった)のだろう。
 
 その「B級グルメ」の概念を宣言しているのが目次の最初にある、●これが伝統の味「五大丼三大ライス」だ!だ。
 ここでは天丼、うな丼、カツ丼、親子丼、牛丼、カレーライス、オムライス、ハヤシライスを「五大丼三大ライス」とし、それぞれのメニューについて思い入れと具体的な店のメニューが語られる。本書の冒頭を飾るこの8品こそ、「B級グルメ」の象徴とも言えるだろう。この部分はまだ今のガイドブックとの類似性が感じられるが、これ以降は本当に「エッセイ」という感じになっていて、読みやすくも情熱伝わる作品となっている。
 
 なお、この本に登場する麺類は蕎麦のみ。ラーメンやうどん、スパゲッティは登場しない。このあたりはいかにも「東京」らしい。しかも面白いことに蕎麦について書かれた文章は麺類ではなく「酒」のくくりの中にあり、最初から延々と「天ぬき」について語られる。「天ぬき」とは「天ぷら蕎麦の台(蕎麦)抜き」のこと。酒飲みがよくやる。蕎麦の話じゃないじゃないか。(^^; その後、そこから筆者が昔、蕎麦打ちに熱中した話が語られ、この部分がこうなっているのがこの店、これを残しているのがあの店、という感じで話が進むのだけれど。
 
 本書で特に興味深いのは●「幻のハヤシライス」を作ろうと、●特別参加 「黄金バット」が帰ってきた!だ。
 前者の記事は、こんな書き出しから始まる。
 

 ハヤシは以前から、こんなに甘くてしつこかったのだろうか。

 
 「いや、二、三年前までは甘くない、おいしいハヤシがあった……」と文章は続く。
 そして独得の”黒いソース”が特徴だった神田「助六」の名を挙げる。
 この店は1983(昭和58)年1月18日に34年の歴史に幕を閉じた。この本が出る数年前のことだ。
 取材者はこの味を守り続けた店主を探し歩く。そして老人ホームで健在だった店主に会い、「幻」のハヤシライスを復元してもらう。助手にはプロの料理人をつけた。
 
 なんとスリリングなんだろう。
 なんて情熱なんだろう。
 
 この本は絶版だし、この情熱を伝えたいので、このハヤシライスの作り方をここに掲載したい。
 

「幻のハヤシライス」を作ろう
真っ黒なソース豚マメ入り

復元指導・松村タニヨ
(神田鍛冶町・元「助六」調理長)

●ハヤシライスの作り方
〔ソースの材料と道具〕(30人分前後)

ルウの材料 小麦粉1kg 牛の脂身(ヘット用)7~800g
 道具 厚手のフライパン(直径34~38m)鉄ベラ
スープの材料 牛パラ肉の塊り1.5~2kg にんにく1~2片 水
 道具 深めの大鍋
調味料 ケチャップ・ビールの大ピン2本分ぐらい コンソメの素・顆粒 オールスパイス 胡椒 塩適量
 道具 シノア 深めの鍋
〔具の材料と道具〕(1人分)
・豚バラ肉30g 豚マメ1/4 玉葱中1/2 にんにく少々 ラード大さじ1- 塩 胡椒少々
 道具 小型のフライパン

●下準備
Aまず牛の脂身でヘットをとる。ついでに具を炒める時に使うラード(豚脂)もとる。
1 牛の脂身は大きさを揃えてきざむ。フライパンか中華鍋に脂身をいれ、水少々さして中火にかける。かきまぜていると、油がでてくる。焦がさないように火を調節。カスはすくう。熱いうちに漉す。ラードも同様にしてとる。
Bスープを作る。
1 牛バラ肉の塊りは二つか三つに切る。にんにくは皮をむき薄くきざむ。
2 鍋に牛肉とにんにくをいれ、肉がみえない位に水を注ぎ、強火にかける。煮立ったら弱火にして、アクを丁寧にすくいながら、ことことと煮る。煮つまって来たら、水を足し、煮る。
3 肉に楽に箸が通るようになればよい。火をとめる。肉はそのままスープのなかにいれておく。濃い目のスープが出来ている。浮いた脂は、ルウを作るとき利用する。
〔ルウを作る〕
1 フライパンに小麦粉をいれ、ヘットを少しずつ、よくまぜ合わせて、火にかけ、弱火で炒めていく。
2 絶対に焦げつかさないように炒める。脂が少ないと焦げるし、脂が多いともったりとするから、粉と脂の混
じり具合をみながら炒める。
3 炒めていると、だんだん粉の色がベージュになり、香ばしい香りが漂い始める。この香りが大事。粉を焦げつかすと、香りがたちまち消えてしまう。ルウがどろっとしているようなら脂が多いから、はやめに粉を足す。
 とにかく忍の一字。一瞬たりとも、フライパンから目を離さずに炒め続ける。
4 粉の色が焦茶になる。なんとも香ばしい匂い。
5 絶えず香りに注意し、粉の量にもよるが、炒め続けて三、四時間経過すると、すでに粉は限りなく黒に近い茶になっている。ここでようやくルウ作りは終了。
〔ドミグラス・ソースを作る〕
1 スープを漉す。肉が乾かない程度に煮汁を少量残す。
2 深めの鍋にスープを注ぎいれ、弱火にかける。スープが濃かったらお湯か水を足し、黒い粉の固まりを少しずつほぐしいれる。
3 同時にコンソメ顆粒を大さじ2、3杯。オールスパイス、胡椒を適量ふり、塩小さじ1、2杯いれる。全体をよくかき混ぜながら、ダマをといていく。ソースが羽二重(はぶたい)布のトやっになったらケチャップをいれ、塩を足し味を調整する。さらによくかき混ぜ、ちょっと煮る。
4 シノアで漉す。ケチャップのしつこさがなく、炒めた粉の香ばしい香りと苦味、そのなかにほのかな甘みがあり、絹ごしのなめらかさがあれば大成功。
〔仕上げ〕
1 玉葱は小口の薄切り。豚バラ肉はひと口大。豚マメは2、3mの厚さに切る。にんにくみじん切り少々。
2 小フライパンにラード大さじ山1杯をとかし、にんにくと、豚マメ、豚肉をいれる。マメと肉の色が変わったら、玉葱をいれ炒め合わせる。玉葱がまだパリっとしているところで、塩、胡椒し、大さじ2杯ぐらいのソースをさっとからめる。
3 あらかじめ皿に盛ってあったごはんに具をかける。

(構成 今木 夏)

 
 本当に素晴らしいと思う。
 「30人分前後」なので、そう簡単には再現できないだろうけどね。(^^;;
 
 そしてもう1つ、●特別参加 「黄金バット」が帰ってきた!は本当に、加太こうじによる紙芝居「黄金バット」が1話分丸ごと掲載されている。絵も、文も。凄い。
 しかも加太こうじによる、紙芝居と、それと一緒に売られたお菓子についての文章(挿絵付き!)まで掲載されている。
 私はもちろんこの世代ではないが、この時代に働き盛りだったライターたちの「原体験」が紙芝居だったのだろう。「B級グルメ」と若かった(お金のない)時代の食体験は不可分だったわけだ。
 このあたりも今の「B級グルメ」周辺には薄い感覚かもしれない。
 
 ●蕎麦屋で酒を呑む●東京のバーに関する七章あたりもまた現在の「B級グルメ」概念とは違っているように思える。紙芝居が著者の「過去」の「B級グルメ」だとすれば、これが彼らの「現在」の「B級グルメ」ということだ。人生を時期を問わない、普段の外食。
 
 冒頭のコピーに「A級の技術で東京流の味と伝統を守り、しかも値段はB級の心意気に燃える店のレポートを中心とする、これは一種の東京論である」とあったように、「B級グルメ」とは(ハレではなく)ケの外食のことであり、それは普段の生活に中にある。そして外食であるからには店が存在し、それはそのまんま都市論(ここでは東京論)となる。本書が、グルメライターではなく詩人(岸田衿子/知らなかった。ごめんm(_ _)m)による、自分が住んだ街(谷中)の思い出を語る文章で締めくくられていることも、「B級グルメ」という言葉に著者たちが込めた思いと意味を感じることができる。
 
 現在の「B級グルメ」という言葉は、ここまでの意味は持っていないように思える。
 それこそ、「味はA級、値段はB級」という、これだけの意味だけで使われている。
 
 本棚の隅っこでずっと眠っていた(もちろんいつ買ったかも覚えていない)本だったが、発見してよかったと思う。
 
 「B級グルメ」という、今では使い古された言葉が作り出した時代や、ライターの思いに触れることができた気がする。
 
 絶版だけれども、古本で見つければおそらく安い値段で買えると思うので、是非読んでみてもらいたい。

突然食いたくなったものリスト:

  • 助六のハヤシライス(^O^)

本日のBGM:
Speed /LOUDNESS





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