ナルトのぐるぐる迷宮

 現在のラーメンの1つのルーツが「支那そば」と呼ばれたものだったことは間違いない。
 そして「支那そば」のルーツには「かけそば」がある。
 
 例えば「返し」があるところ(ラーメンだと「タレ」ということが多い)、丼1つの中に麺を入れその上に具を配置すること、そもそものところで「そば」というたネーミング……少なくともその形式上のルーツがかけそばにあることは間違いない。
 スープやチャーシューなどは中華「風」になったものの、日本蕎麦から受け継いだ具が、ナルトと海苔(そして葱)だ。

 で、このナルトについて、ネットでこういう記述を見つけた。
 ナルトのメーカーのウェブサイト内にある「“なると巻”とは?」というページ。
 

“なると巻”と”ラーメン”
「蕎麦辞典」(植原路朗著・東京堂出版)によると、江戸後期に、かまぼこをあしらった”おかめ蕎麦”が登場し、明治中・後期の”五目蕎麦”にナルトが登場。そして、支那そばが日本的(東京風)ラーメンとして変容する過程において具の仲間入りを果たしたのではないかと考えられている。

 
 なるほどなるほど。ありそうな話だ。
 ところでこの記述の中の「「蕎麦辞典」(植原路朗著・東京堂出版)」という部分にはリンクが貼られている。Amazonあたりにリンクが張られているのだろうとクリックしてみると、ラーメン博物館の「ラーメントリビア – ナルトは元々、蕎麦の具であった」というページが開いた。
 

ナルトは元々、蕎麦の具であった。

さて、今回は「ナルト」に関する蘊蓄です。そもそも「ナルト」は中華料理の素材ではなく、ラーメンが誕生するはるか以前から日本にあった食べ物です。
しかしいつ、どこで生まれたのか、その出生は謎に包まれてています。また、ナルトの渦巻きは、「鳴門」の渦潮から来ているという説がありますが、これを証明する文献は残念ながら発見されていません。

確かなのは、もともとは蕎麦の具として使われていたということです。蕎麦辞典(植原路朗著・東京堂出版)によると、「ナルトの原型は江戸末期に生まれ、現在のような形となって、蕎麦(あるいは吸い物)に加えられたのは江戸中・後期である。」と書かれています。
明治のころのラーメンは一般的に『支那そば』という呼称が使われていましたが、これは支那(中国)の「そば」という意味で、先行する麺文化である「日本蕎麦」の「蕎麦」に中国という意味の「支那」を付けたものと考えられます。
そして同様に、当時の蕎麦のポピュラーな具であった「ナルト」を「支那そば」にもという思いでのせたのではないかという説が有力とされています。最近では「ナルト」をを入れないラーメンが主流となりました。なんだか寂しいものです。

 
 このあたりも「なるほどなあ」と思うわけだ。
 最初のナルトメーカーのページは、ここにリンクが張ってあるように、このページが出典だということのようだ。
 で、このラーメン博物館の記述の出典は「蕎麦辞典(植原路朗著・東京堂出版)」であると。
 
 となるとやっぱり確かめてみたくなる。この『蕎麦辞典』(植原路朗著・改訂版編者中村綾子・東京堂出版)を入手してみた。
 
 ところが残念ながら、この本に「ナルトの原型は江戸末期に生まれ、現在のような形となって、蕎麦(あるいは吸い物)に加えられたのは江戸中・後期である。」という記述は見つけられなかった。
 また「おかめ蕎麦」「五目蕎麦」の項で、それぞれ「蒲鉾」「鳴戸」を具とすることは書かれているものの、「明治中・後期」と五目蕎麦を結びつける記述も探せなかった。
 
 何たること。
 
 あるいは私の探し方が悪いのかもしれない。よく探せばあるのかも。
 あるいはこの本、「改訂新版」とある。この本自体は2002年に初版が発行されているが、改訂前のオリジナルは1972年に発行されている。
 この改訂で、ここで引用されている文章が割愛された可能性はある。
 
 おそらくこの説に瑕疵があるようには思えないが、それにしても気持ち悪いのでオリジナル版の方の『蕎麦辞典』を探してみようと思う。(Amazon中古で800円からかあ……。微妙)
 
 今回のエントリは、ただ「見つからんかったよ」という中途半端な報告のエントリでした。(^^;
ブログ引っ越しの際の追記:
引っ越し前のエントリについたはてブによると、オリジナル版『蕎麦辞典』にもその記述はなかったそうだ。
と、なるとw 出典を間違えたのか……? さすがにまったくのでたらめを書いたとも思えないのだけれど。
さて。


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  • ロシアンティー

本日のBGM:
Perfume /Perfume





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