私がこのあたりの話を書くことについていろいろな人にいろいろな考え方があるかもしれないが、どうしても我慢できないので書く。
事実誤認や、このエントリへの批判はあるだろうからコメント欄なり直接なり、私に言ってくれれば対応する。
現在、産経新聞大阪社会部の「大阪ラーメン部」という記事で、「大阪ラーメンを作ろう」という企画が進行している。
・トピック:それゆけ!ラーメン部
この企画は編集局内のこんな会話から始まったという。
「そういや、なんで大阪にはご当地ラーメンがないんや?」
「ほんまですね。あってもいいとは思いますが…。ないんなら自分たちで作っちゃいましょうよ」 |
ここから編集局内に「大阪ラーメン部」が結成され、大阪のご当地ラーメンを作るという企画がスタートした。
部員はまず横浜に向かい、支那そばや店主、佐野実氏に意見を仰ぐ。
佐野氏は昔、『ガチンコ!』という番組で「ガチンコラーメン道」の指導者をやっていた人物だ。有名な人なので知っている人も多いだろう。
部員は佐野氏から食材にこだわることや「究極の一杯ってのは、毎日食べたくなるラーメン」といった示唆をもらい、「大阪にいる弟子」を紹介される。
それは大阪の人気店カドヤ食堂の橘氏。
ここから橘氏を中心に「大阪ラーメン」が作られていく……。
詳しい経緯はリンク先の記事を読んでもらいたい。
そこそこ長い連載記事になっている。
この連載記事がいろんな意味でヒドい。
これは盛り上がっている中で言うべきではないことなのかもしれないが、あまりに誰も言わないので、こういう意見もあるということをネットの片隅に記しておきたい。
まずは「大阪のご当地ラーメン」について。
特集のきっかけになったというこの会話は、上述の通り、こう↓だ。
「そういや、なんで大阪にはご当地ラーメンがないんや?」
「ほんまですね。あってもいいとは思いますが…。ないんなら自分たちで作っちゃいましょうよ」
ものを知らないにもほどがある。
いや、少なくとも大阪でラーメンの記事を書こうというのにこれはないと思う。
高井田系(布施系)ラーメンの存在は、「大阪にはご当地ラーメンがない」のれっきとした反例だ。
もちろん「大阪ラーメン」と言えてしまうほどの広範囲でのご当地ラーメンではないが、「大阪のご当地ラーメンがない」ではなく「大阪にはご当地ラーメンがない」なのだから、高井田ラーメンが当てはまらないとは言わせない。
高井田系ラーメンを無視して大阪のご当地ラーメンを語ることはできないはずだ。しかもこんなマスメディアなんだから、このとき知らなくてもその後情報が入ってこないはずはない。それでも全く出てこないのがあまりにヒドくて傲慢だ。
そして「ないんなら自分たちで作っちゃいましょうよ」というナメた態度。
「ご当地ラーメン」を自分たちで作るという態度がどれだけ傲慢か、全く認識してないんじゃないか。これは地域文化そのものをナメているといっていいぞ。社会部のくせに。
この企画が成功して、ある個人なり特定の団体があるラーメンを「これが大阪ラーメンです」とブチ上げたとして、それがどうやって「ご当地ラーメン」になるのか。そもそも「ご当地ラーメン」というのをどう認識しているのか?
「そういや、なんで大阪にはご当地ラーメンがないんや?」
という疑問の奥には、おそらく「博多ラーメン」「札幌ラーメン」「東京ラーメン」「喜多方ラーメン」「徳島ラーメン」「和歌山ラーメン」といったラーメンが「ご当地ラーメン」の典型としてイメージされているはずだ。
しかしそれらのご当地ラーメンは、初めから「博多ラーメン」や「札幌ラーメン」などと名乗っただろうか?
それぞれの地域で自然発生的に広く分布していたラーメンが「発見」され、それが他地域に紹介される時に初めて地域名が冠されて呼ばれたのではないか。
これらのラーメンは「発見」される前はどう成立し成長したのだろう? 誰かが「よーし、ご当地ラーメンを作ろうぜ」なんてことを言い出して作られたのだろうか?
違うだろう。
それぞれのラーメン店がオレの味を追求して、その中のいくつかの味がその土地で認められて(商売になって)勝ち残り、それが(真似なり修行なりで)広がっていって、いつの間にかその土地の傾向になっていく。それがご当地ラーメンじゃないのか。ご当地ラーメンというのは、それぞれの店主の、あくまでも個人的な努力に対して後世与えられる称号みたいなもんだ。ある店が「これが○○ラーメンです」この指と~まれ!と言って、それが本当にご当地ラーメンになったなんて話あるのか。
それはもう、「ご当地ラーメン」というよりは「村おこし」だ。
バカにするんじゃねぇ。
#もちろん村おこしが悪いとは言わないけど。
思えば、数年前にもこんなことがあった。
金久右衛門大蔵氏が中心になって大阪府内の数軒のラーメン店が集まって「大阪を盛り上げよう」と「大阪盛(だいはんじょう)ラーメン」というラーメンが作られた。
#ネーミングは抜群だと思う。
これも、「大阪ラーメンを作る」みたいな方向で作られた。
2007年度版『噂のラーメン』に掲載された情報によると……。
大阪湾の海底から採取した土で秀吉の千成瓢箪をモチーフにした丼を特注した。
で、「大阪唯一の醤油醸造メーカー」(といえば大醤だろう)の醤油を使って返しを作った。麺は枚方のミネヤ食品。
この土台に参加店それぞれが独自のトッピングを施す。
また瓢箪型の丼の小さい方にはたこ焼きの形をした「繁盛丸」というボール(調味料などが入ってる)を置き、これをラーメンに入れて溶かすと味の変化が楽しめる。
これで大阪の「ご当地ラーメン」を狙った。
私はこれを見て正直、ダメだと思った。
いや、もちろんその奥にある「大阪を盛り上げよう」という想いをダメだとは言わないよ。
その想いを否定する気は一切ない。好感さえ持っている。
ただ、その方法がどうしてみんなで「大阪ラーメン」を作ることなのかと。
前述の記述と重なる内容だが、もう一度書く。
大阪を盛り上げるには大阪にある自分の店が精一杯盛り上がればいいのだ。大阪にあるそれぞれの店がそれぞれで盛り上がれば自然と大阪が盛り上がる。ある店がキョーレツにウマいラーメンを作ってそれをみんなが評価すれば、それが自然に広がっていつの間にか大阪ラーメンにもなるだろう。
つまり「みんなで盛り上げよう」という目的はいいとして、その方法論が違うと思うのだ。
客は本当にその店で「大阪ラーメン」なるものを食いたいと思うだろうか。食べたいのはその店の(その店主の)ウマいラーメンだろう。客は大阪ラーメンではなく大蔵ラーメン、橘ラーメンが食いたくて店に行くのだ。
……で、話を産経新聞の「それゆけ!ラーメン部」に戻す。
「ないんなら自分たちで作っちゃいましょうよ」
という言葉が傲慢だというのは既に書いた。
そして「高井田ラーメン」という大阪にあるれっきとしたご当地ラーメンの存在を完全に無視しているというのも書いた。これを無視して「大阪にはご当地ラーメンがない」「不毛の地」という前提で話が進むから、勝手に大阪にご当地ラーメンがない理由なんてのが出てきたりヒドいことになってる。あるのにない理由を引っ張り出されても。
そして記者は別の人からこんな意見をもらい、「壁にぶつかってしまう」。
「関西のラーメン通からは「大阪人はまねを嫌うため、一定の型にはまったご当地ラーメン作りは難しい」という厳しい指摘を受け、壁にぶつかってしまう」
つまらない話だ。大阪人だってうまけりゃ真似するだろうし、うまくなくても豚骨魚介つけ麺はイヤというほど真似されてる。ここでは出てこないが、見方によっては「関西ライト豚骨」を関西のご当地ラーメンだと捉えることも可能だろう。こういう事実を前に大阪人は「まねを嫌う」「一定の型にはまったご当地ラーメン作りは難しい」なんて見解がどれほど有効だろう。
#とはいえ結局この「壁」を克服する方法は検討されず、「なかったこと」にされて話は進んでいった。
だいたい、「大阪ラーメン」を作るにあたって大阪の傾向を分析することにどれほどの意味があるのか。
この企画では「大阪ラーメン」を作るにあたって「4人の「食」のプロ」を集めて「緊急座談会」が開かれ、「大阪人に愛される大阪らしいラーメンとは何か」が議論された。
大阪湾で揚がる魚や大阪人が好むフグやハモはどうだろうみたいな話も出ていた。
マッタク……。
ありがちではあるのだけども、ほんと、どうしてこういう話になるといつもこういう発想になるのかねえ。
フグやハモが食べたけりゃ、ラーメンじゃなくてフグ料理やハモ料理を食べに行くよ。
もっとはっきり言えば、その発想とこの↓発想の何が違うのか。
USJにある風神雷神RA-MENのたこ焼きラーメン
これは「大阪の人間が好きなラーメン」ではなく、「大阪っぽい」ラーメンにすぎない(大阪以外の人に念のため言っておくが、こんなもの大阪では食べられていないよもちろん)。それは地元民が育むものではなく、観光客相手のおみやげ発想だ。そんな発想でできた「ご当地ラーメン」なんて、根付くはずがないわ。
例えば京都ラーメンについて考えてみる。
あの薄味文化の京都にあって、ラーメンだけはコッテリ、ギトギトのラーメンが根付いている。
こんなもの、もし「京都は薄味の文化だから……」なんて考えてたら出てくるわけがない。
そんなこと考えずに「オレはこれがうまいと思う」と出した店があって、それを支持する客がいて、それがいつの間にか広がっていって「京都ラーメン」と呼ばれるようになったわけだ。
つまり、「それはそれ、ラーメンはラーメン」てこと。
個々人の店が「これがうまいんだ!」「これがこの店の味だ!」と自信を持って作り上げた味が本当にうまいものなら客がつき、修行されて/真似されて広がっていき、それがその地域の人が好む味(ご当地ラーメン)になっていくのだ。逆ではない。だから「大阪ラーメン」を作るのに今現在の他のメニューに対する大阪人の好みを云々しても何にもならない。大阪人の味覚に合ったラーメンを作るのではなく大阪人の好みを自分が作り出せばいいのだ。現に京都ラーメンはそうなった。これは認識と同時に志の問題でもある。
#大事なことなので3回言いました。
##だから(申し訳ないが)こういう座談会など何の意味もない。
###とはいえこれに関しては依頼された佐野氏、師匠から話を振られた橘氏の責任ではないだろう。依頼側(「大阪ラーメン部」)の立てたコンセプトがあまりに不明確だったということだと思う。
そもそもこの話を佐野実氏に持っていくという感覚がびっくりだ。
いや佐野氏を侮っているのではない。
どうして大阪のご当地ラーメンを作ろうという話を大阪人ではない佐野氏に持って行くんだ?
そんなに大阪には人材がないのか。
この時点で敗北じゃないか。
佐野氏に「大阪ラーメン」を作ってもらおうと思ったのか。
産経新聞「大阪ラーメン部」ってのは大阪という街の力に何の希望もプライドも持っていないんだな。もし持っていたら最初から大阪で適任者を探そうとするはずだ。大阪の人間にそんなことができるとは思ってもいなかったからわざわざ横浜くんだりまで出かけていったのだろう。
そんな奴らが最初から大阪のご当地ラーメンなんて作ろうとするなよ。
バッカじゃねェの。
佐野氏がこの話を大阪のカドヤ食堂橘氏に振ったのは、それがわかっているからじゃないのかな。
あと、記事としてどうかと思うのは、作りたいのが「大阪のご当地ラーメン」なのか、「究極の一杯」なのかが最後まで曖昧なままだということ。記事の冒頭では「大阪のご当地ラーメン」を作るという目的が出てくるが、別のところでは「「究極の一杯をつくる」と勢いだけで始まった企画」「ラーメン部の最終目標である「究極」の大阪ラーメン作り」と言っている。佐野氏も「究極の一杯ってのは、毎日食べたくなるラーメンなんじゃねーか」と語っている。
この「ご当地ラーメン」と「究極の一杯」が両立することはもちろん有り得るが、安くてうまいものがあふれるこの大阪で、「毎日食べたくなる」ラーメンというならば味だけではなくコスト的な裏付けも必要なはずだが、このあたりが検討された形跡は最後までない。
いやもっと単純な話として、「ご当地ラーメン」となるには(当たり前ながら)その土地で多くの店がその系統のラーメンを出すくらい、地元で支持されることが必要だ。1店舗(や関係店舗)だけが「これが大阪のご当地ラーメンですねん」なんて言ってても意味がない。
だからもし人為的に「ご当地ラーメン」を作ろうとするなら、そこで使われる食材は多くの店が真似できるような(入手しやすい|安い)食材でなければいけないはずだ。
「大阪ラーメン」の創作を担当することになったカドヤ食堂橘氏は「食材マニア」を自認する人物で、最終的にできあがるラーメンのスープには「北海道産の最高級真昆布」や「プリマスロック」という卵肉兼用地鶏など「こだわり」の素材が使われることになるが、これは他のいろんな店もこのラーメンを作ることを前提とした食材選びではないだろう。記事としても「究極スープ」の文字が躍る。
1軒だけ「本物」の店があって、それ以外はそれの劣化コピー……そんなご当地ラーメンなんて有り得ない。
そういう意味で、「究極の一杯」と「ご当地ラーメン」が両立するとはちょっと思えないのだ。
この2つはかなり大きな齟齬を含んでいて、どちらなのかはっきりと決めてから動き出すべき大問題だと思うのだが、結局、不明確なまま最後まで行ってしまった。
こうして「大阪ラーメン」づくりは進む。
ところがこの「大阪ラーメン」作りはそのまま、「究極のスープ」作りとほぼ同義となって進んでいってしまう。
麺が、いない。
橘氏が初登場する回(「18歳女性の肌…美味 記者の麺づくり」)には部員の製麺作業見学の記事もあり、また佐野実氏と橘氏のつながりも製麺を通じてであるはずなのに、何のエクスキューズもなく麺の存在は無視されていく。「トッピングは甘い「菊菜」、究極スープの名脇役に」という記事の中の、
最高の食材をそろえ、魚介と鶏を合わせたスープが完成し、「大阪ラーメン」はいよいよ形が出来上がりつつある。でも、ラーメンはスープだけではない。トッピングという“脇役”があってこそ、器の中のドラマが完結する。 |
などという記述は、この企画の中で麺がどれだけ軽視されているかを如実に表している。
「でも、ラーメンはスープだけではない」
その通りだ!
「トッピングという“脇役”があってこそ、器の中のドラマが完結する」
えええええええええええええええ!!!!!??????
め、麺はっっ!?
大阪ラーメンに麺はどうでもいいってわけか? 大阪ラーメンは麺なしで「器の中のドラマが完結」しちゃうのかよ、。。。・゚・(ノД`)・゚・。
あーあ。
まるで『ガチンコラーメン道』の再放送を見ている気分だ。(ガチンコラーメン道も、麺の話はほとんど出てこなかった)
……と。
さて。
の記事は2011/02/25現在で1ヶ月以上前の2011/01/17のものが最新だ。
2011/01/17の記事ではこの大阪ラーメンを縁日で出したという話が出ている(「「ドリームチーム」縁日で好評、いざ再挑戦」)。
その後、2011/01/30には大阪女子マラソンの会場である長居公園でも出されたという(「不毛の地で本紙記者が奮闘、鬼も絶賛「大阪ラーメン」30日に販売」)。
そして2011/02/19~20に湊町リバープレイスで行われた「くまもと逸品縁日」という、新幹線が熊本まで繋がったことを記念した観光誘致イベントでもこの「大阪ラーメン」が登場した。
このイベントには熊本からも玉名ラーメンという熊本のご当地ラーメン(「多くの九州ラーメンと同じく久留米ラーメンの系譜に連なり、濃厚な豚骨スープと中細のストレート麺、そして揚げたニンニクチップが特徴」だそうだ)が出店しており、それを大阪のご当地ラーメン「大阪ラーメン」が迎え撃つ、みたいな構図になっている。
ここでこの「それゆけ!大阪ラーメン」(こう命名されたらしい)を食べてみた。
いくつかの店が協力している。
味は「うん、おいしいよね……」という感じ。
「うまいっ!」というほどのインパクトを感じないのは、あるいは佐野氏の言う「毎日食べたくなるラーメン」ということなのかもしれない。そのあたりは正直、あまりよくわからない。これが好きな人もいるんだろう。
ただ、圧倒的な特徴がない分、余計に「これが「大阪ラーメン」って言われてもなあ」という引っかかりは解消しない。
この日は屋台イベントのため多くのテーブルが用意されていた。そこで相席となった老夫婦(2人とも「大阪ラーメン」を食べていた。「新聞見て来ましてん」と)に感想を聞いてみたら、私とほとんど同じ感想だった。
しかし私が失望したのはこのことじゃない。
ここまでだったらまだ、私は今回のエントリを上げようとは思わなかったと思う。
私がこのエントリを書こうと思ったのは、これを見たからだ。
麺屋棣鄂
あれだけこだわっておいて、麺は製麺所ですか。
しかもよりによって京都の麺屋棣鄂。
いやもちろん棣鄂が悪いなんて言ってないよ。
でもさんざん大阪大阪と言っておいてそれはなかろうよ。
いい製麺所なら大阪にもあるよもちろん。
ひょっとしたら、大量に出さなくてはいけないイベントだから自家製麺だと数が間に合わないという変則的な事態で、これは緊急避難なのかもしれない。
で、普段からつきあいがある麺屋棣鄂は無理も聞いてくれて対応してくれたということなのかもしれない。
でもねえ。
だとしたら、ますますあのスープの気合いの入れ方とのギャップを感じてしまう。
もう、なんか、これ見てね。
失望というかなんじゃそれはというか。
ガッカリ……というべきなのかなあ。
「あーあ」という感じ。力が抜けた。
もうね、大阪ラーメンはいっそのこと「大阪スープ」として売り出せばいいよ。「細長い具も入ってます」とか言ってさ。
※どうやらこの日は協力6店のうち鶴麺とらぁ麺 Cliffだけが出ていたらしい。らぁ麺 Cliffは知らないけど、鶴麺は麺屋棣鄂から麺を買っている。今回麺屋棣鄂から買ったのもその関係からなんだろう。
この6店舗内ですら「大阪ラーメン」のコンセプトが明確に伝わってないのだとしたら、それだけでもう無理なんじゃないのかなあとか思うよ。
結論。大阪ラーメンは大阪スープでした、と。
きっと麺を入れないのが一番うまい。
この「大阪ラーメン部」の記事は「月刊オーサカ箱【U35】」という括りの記事だそうで、各記事の最後に「35歳以下の記者で取材・執筆しています」と書いてある。
アピールなのかエクスキューズなのか分からないけども。
しかし「ラーメン=スープ」という発想はその年齢に見合わぬ古い発想だ。
少なくとも2000年以降の関西のラーメンを食べていればそんな発想にはならないだろう。
つまりこの記事の中に彼らの主体性なんてないのだ。
オッサンにお願いしに行って、オッサンに考えてもらう。そしてオッサンに作ってもらってそれを記事にする。
ほんまにそれでいいんかね。
突然食いたくなったものリスト:
- 牛丼
本日のBGM:
空飛ぶ円盤に弟が乗ったよ /21st Century Stars
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