化学調味料関係のとりあえずのメモ(その6)

 先日、twitterでつぶやいたら意外に興味を持ってくれる人がいたようなので(togetter)、こちらにもう少し情報を加えてここに置いておこう。

 きっかけは、MITUDONさんohira_yさんのこういう楽しいやり取り。

 きっと山岡さんはグルタミン酸ナトリウムだけで核酸系を入れなかったんだね。(^O^)

 で、この「ここは昔ながらの手法で旨味調味料を作ってるんです」という表現から、「昔ながらの手法」ってのはどういう時期の作り方かなあと。

 実はグルタミン酸ナトリウムは一時期、個人商店レベルの家内工業での生産も可能だった。
 その時期というのはだいたい1929年からの数年(10年弱くらい?)。
 1929年というのは池田菊苗博士(うま味の発見者でグルタミン酸ナトリウムの製造法特許を持っていた)の特許が切れた年(味の素発売から20年後のこと)だ。

 これ以降は法律的には他の企業も味の素が行なっていたのと同じ製法でグルタミン酸ナトリウムを製造することが可能になった。
 なので特許切れを契機に多くの企業(個人商店が多かったみたい)がグルタミン酸ナトリウムの製造に乗り出し、1930年には家内工業を含め28銘柄にもなった。

 ただ、それからわずか数年で、味の素はそれらの小規模企業を蹴散らす技術革新を実現する。
 この時代、味の素は純白ではなく結晶体でもなかったそうだ。作ったそのまんまの形、ということだったんだろう。それがどういう形状、色だったのかはよくわからないんだけど。

 しかし味の素KK(当時の社名は違うけど)は鈴木忠治(後の2代目社長)の指示の下、1931年に味の素の結晶化を成功、そして翌1932年には脱色炭を使って純白化を実現する。

 家内工業の個人商店レベルではこれは不可能なことで、個人商店レベルの企業は淘汰されてしまう。

 ……なのでやはり化学調味料の「昔ながらの手法」というのは、やっぱりこの時代の個人商店レベルでの工場を再現していただくと楽しいのになあ、と思った次第。

 というわけで参考資料。

 「昭和5年(1930年)現在のグルタミン酸ナトリウムの銘柄」と「昭和15年(1940年)現在の日本調味科工業組合加入社」のリスト。地区と銘柄と事業者名。10年で全く入れ替わってて興味深いねえ。

 ブランド名もたいていは「○の素」「味の△」みたいな味の素ライクなもので、その似具合と離れ具合に会社のいろんな思いが現れるよね。そのあたりも楽しんでいただければ。
 

昭和5年(1930年)現在のグルタミン酸ナトリウムの銘柄

 

都市
銘柄
製造会社
東京 味の恵 東京調味料会社
カルコール 武蔵野製薬
愛知 料理の素 愛知化学
大阪 味の要 三上 彰
道志るべ 橋本惣七
純味 広田音松
美味素 水野化学研究所
福味元素 前田製薬
グルタ調味の素 数井四郎
味の心 姉川鉄次郎
味の代 中田太一
人の革 杉浦品太郎
富士の味 石井 忠
食味の王 高川 慶
味の調 岡田為善
味の徳 新井商店
味酔 麩梅
味の功 藤尾益吉
味の園 吉村勝太郎
尼崎 白鹿 旭工業
味天下 河内屋本店
兵庫 美味の素 大和屋シャツ
味の親 戸谷松太郎
グルタ 大阪興工研究所
食の元 渡辺彦平
アジシン 桂小一郎
新潟 越の味 新潟化学
奈良 味の故郷 日の出商会


 

昭和15年(1940年)現在の日本調味科工業組合加入社

 

地区
銘柄
製造会社
東京地区 金冠 東京食品研究所
味の酔 昭和食料研究所
味のヰ峰 味之研究所
味の海 東洋化学研究所
静岡地区 東洋醸造株式会社
愛知地区 理味 児島豊三郎
 澱味 桝安商店
大阪地区 味の鑑 石川屋食糧株式会社
福味 大阪食糧工業株式会社
味のしるべ 橋本澱粉並に調味料製造所
味の司 東洋化学工業所
味の源 大久保製薬調味料部
ウテナ 山崎屋調味料製造所
味の徳 三ツ輸調味料研究所
味の芯 平墳製薬所
食の元 高橋元義商店
兵庫地区 味の世界 中国調味料製造所
味覚の精 清水倉次
味の礎 誠光化学食品株式会社
広島地区 味日本 味日本本舗鈴木商店
石川地区 調味司 東洋調味料合資会社
味紀元 報国調味料合資会社
香味 香料合資会社
富山地区 富士 加藤源竜


 
参考文献:太田静行『うま味調味料の知識

突然食いたくなったものリスト:

  • 天丼

本日のBGM:
One Way Ticket /NEIL SEDAKA






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