「今日の家元」がなかなか更新されないと思ってたら、こんなことになってたとは。
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年内休養のお知らせ
この度、立川談志は体調不良の為、年内中の活動を休止させて頂くこととなりました。 ≪談志からのコメント≫ 立川談志
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米朝は入退院を繰り返しているものの、頑張っている。
桂米朝が退院 襲名披露公演など予定通り出演
http://www.sanspo.com/geino/news/090923/gnj0909230502009-n1.htm
桂米朝が退院 襲名披露公演など予定通り出演 2009.9.23 05:01 軽い脳幹梗塞(こうそく)で入院していた人間国宝で落語家、桂米朝(83)が22日、退院した。所属事務所によると、27日に京都・南座で開かれる三代目桂春蝶襲名披露公演などに予定通り出演する。3月に入院した米朝は4月に退院して仕事復帰したが、7月27日から再入院。今月12日に入院先から一時外出し、都内で開かれた一門会に出演していた。 |
1 個のコメント
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AUTHOR: 黒猫亭
URL: http://kuronekotei.way-nifty.com/nichijou/
DATE: 10/09/2009 06:11:45 PM
立川談志についてはそんなに思い入れはないんですが、糖尿病は油断出来ない怖い病気だとは謂え、気を附けていれば長く附き合っていける病気ですから、そんなに心配は要らないかなとも思います。
米朝については、正直言ってもうあんまり頑張らなくても好いのに、と謂う気持ちのほうが大きいですね。上方落語復興の立役者として一生を落語に捧げて奔走してきたような人ですし、ここ暫くは目を掛けた弟子の非業の最期を見届ける辛い想いばかりを味わってきたわけで、そこまで「末期哀れ」でなくても好いのに、と謂うふうに思います。
一門が倅の米團治を盛り立てて、米團治のほうでもしっかり研鑽を積んで、それで「ああ上方落語はもう『死んだ』なんて言われないな」と安心して畳の上でポックリ大往生を遂げると謂うのが理想的なんですけどね。それだけの苦労はすでにしている人だと思いますから。
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AUTHOR: hietaro
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DATE: 10/10/2009 01:00:58 AM
>黒猫亭さん
私も談志をそんなにたくさん聞いたことはないですし、その意味で恥ずかしくてファンなんて名乗れませんが、「らくだ」を聞いて、やっぱり奥行きがあるなあと思いました。
他にも談志の話を聞いて落語観が変わった、というような話は聞いているので、もっとたくさん聞こうと思っています。
で、私がいくらか追いついた時に既に故人になられてたりするととても悔しいと思うので、是非長生きしてもらいたいです。(^O^)
上方落語は現在、圧倒的に江戸落語より弱いですし、米朝さんには気の毒ですが、まだまだ頑張ってなるべく多くの昔話を若手にしてあげてもらいたいです。ほんと、米朝が安心できるように、みんな気張ってもらいたいなあ。
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AUTHOR: 黒猫亭
URL: http://kuronekotei.way-nifty.com/nichijou/
DATE: 10/11/2009 06:32:19 PM
>hietaro さん
>>私も談志をそんなにたくさん聞いたことはないですし、その意味で恥ずかしくてファンなんて名乗れませんが、「らくだ」を聞いて、やっぱり奥行きがあるなあと思いました。
オレも談志は二、三席しか聞いたことがないので大きなことは言えませんが、今現在の好き嫌いだけで言うなら、あんまり好きなタイプの落語ではないな、と思います。或る程度、落語を演者の人柄で視ている部分は大きいと思いますし、現時点では落語において演者個人の人柄と謂うのは、芸の質を左右するかなり大きな要素なのかな、と考えていますし。
談志の「らくだ」は聞いたことがないですが、談志の芸風で「らくだ」を演じたら、かなり聞いててしんどい感じになるのかな、と想像します。実はオレ自身はあんまり「らくだ」と謂う演目が好きではなくて、そもそも「一人酒盛り」みたいに酔っ払いが洒落にならない理不尽な振る舞いに及ぶ話が好きではないんですが、「らくだ」の場合はやくざの暴力性に対して酔っ払いの暴力性で対抗すると謂う図式なんで、聞いていてストレスが溜まるんですね。
そう謂うふうに、ネガティブな不合理に拮抗するようなネガティブで対抗すると謂うような噺は、けっこう談志の芸風に合っているんじゃないかと想像すると、ちょっとしんどいなぁ、と(笑)。
ただ、落語固有の文脈で妥当に芸を評価出来るだけの見識や鑑賞眼があるわけではないですから、鑑賞体験を積み重ねていったら、いつか談志の凄さがわかるようになるのかもしれない、そのときに後悔しても遅いと思いますから、わからない芸については判断を留保するようにはしています。この芸風の延長上では、たとえば「芝浜」みたいな泣かせる噺が意外にハマっていたりしますし。
談志の落語についてちょっと考えているのは、たとえば従来の落語が山手樹一郎的な明朗調の時代小説の世界なら、談志の落語は池波正太郎の大江戸ノワール的な方向性なのかな、と謂うことなんですが、まあちょっとした思い附きにすぎません。それが根拠と謂うわけでもないんですが、「業の肯定」と謂う部分に共通するリアリティの感覚があるのかもしれません。
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AUTHOR: hietaro
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DATE: 10/13/2009 01:39:18 AM
>黒猫亭さん
談志の「らくだ」がいいと思うのは、非合理のところよりも合理のところでした。
屑屋がお使いで香典やら酒やら漬け物桶を頼みに行く、その相手の反応なんですね。
これを他の演者はかなり適当に?演じています。実際、他の演者の「らくだ」を聞くだけではこれらの住人(特に1人目の、月番)の印象はほとんどないんじゃないでしょうか。これはあまりにさらりと演じているからだと思うんです。
これに逆に引っかかるんですよね。
「らくだが死んだんです」
「それはめでたい!」
というのが、談志以外の演者の演じ方なんですね。でもそれはあまりに不自然ですよねえ。これだけ厄介者だった、殺しても死なないようならくだが、「死にました」ですぐに「そりゃめでたい!」となるのは。
談志の描く隣人たちはここで疑いを差し挟んで、なかなか信じないという場面になっているのがリアルなんですよね。弟子の志の輔はそれをもっと進化?させて、少々やり過ぎの感もありですが、それでもよほどリアル。(^O^)
あるいは店の表から入ってきた屑屋に大家が「裏に回れ、身分を知れ」なんて声をかけるところも談志(志の輔)あたりだけで、さらに大家には「商売できたんじゃない? もう商売替えか? お前が落ちぶれたっていうからこの長屋に入れるようにしてやったのに」と言わせ、後に屑屋が酔っぱらって自らの来歴を1人語りするところの伏線にしています。この物語の中でこれらの隣人にちゃんとした個性を与えて「落語的リアリズム」を追究し、そして伏線にもしているという点で、談志の「らくだ」は他の演者のものとは違うと思いました。
気が向いたので(^O^)、これらの場面(兄貴分に言われて屑屋が月番のところと大家のところに使いに行かされ、そこでらくだが死んだことを信じてもらうまでの場面)を書き出してみました。次のエントリにあげてますので楽しんでいただければ。m(_ _)m
http://hietaro.kameo.jp/2009/10/post-119
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