タイトルは知ってる人もなかなかいないアメリカのABATTOIRというバンドの曲タイトルなんだけども、そんなことは本題とあまり関係ない。(^O^)
雨後のタケノコのようにポコポコと出来、あっという間に消えていったラーメンコンプレックス。
例によって書類整理で出てきたので資料としてご紹介。(^O^)
2002年10月8日オープン。2006年2月28日営業終了。
何度か店を入れ替えてリニューアルした記憶がある。これ↓がその1つ。
何年のものかはよく判らない
近所だったのに、知らぬ間に終わってた。
ダメだった理由はいくつもあるんだろうけども、知り合いたちの間で評判が悪かったのは駐車場。都心と違って駐車場があることが有利……というよりはこんなイナカだと駐車場がないとダメだろうってことで、駐車場があるのはいいのだけども、これが「同一店舗で1500円以上使うと1時間の駐車無料券を進呈」というものだった。となると1人でちょっと行こうということにはならないし、多くの店舗の価格設定が1杯700円くらいだったから、2人で行っても微妙に1500円に届かないという中途半端さ。(^^; それにラーメンコンプレックスなんだから食べ比べもしたいところなのに「同一店舗」って。(^^;; というわけで近所(といっても歩いて行くと40分くらいかかる)だったにも関わらずほとんど行くことはなかった。
駐車場の問題がなかったらもっと行ったと思う。ここの話をすると、たいていの人が同意見だったから、マイナーな意見でもなかろう。
ほんと、バカだなあ。
↓で一番人気があったのは風来軒だったかな。
オープン時の店舗
- 新福彩館
- 元祖月形ラーメンむつみ屋
- 支那そば勝丸
- 山神山人
- 風来軒 本店
- 山形ラーメン 天童
2003年10月7日オープン。その後2005年10月1日に「大阪ヌードルシティ~浪花麺だらけ2~」となり、2007年2月25日に営業終了。現在は「ご当地フードパーク コバランチ」となっている(2007年4月19日より)。
ここは「麺」をコンセプトにしてるので、ラーメンに限らずうどんや焼きそばなどもあった。
しかし初めはオープン3ヶ月で100万人、6ヶ月で200万人達成という好調さだったのに、それでも3年半で営業終了に追い込まれている。他のに比べれば長く持った方だけど、それでも短いなあ。
山桜桃とくじら軒に行ったけど、さほどおいしかったという記憶もない。
オープン時の店舗
- らーめん山桜桃(ゆすら)
- らーめんくじら軒
- 博多ラーメン しばらく
- Italian みかづき
- 讃岐うどん大使 大阪麺通団
- シャトレ
- 富士宮焼そば ゆぐち
- でら打ち
- 稲庭養助
- 元祖瓦そば たかせ
※上から3店がラーメン店
2004年6月8日オープン。2006年4月25日営業終了。
比較的後発ながら、あまり広報してなかったように思う。知ったのはオープンしてから1年以上経ってからだった。2年弱だから、結構短命だったのね。まあスタートから5店舗だったし、さほど気合いが入ってたわけじゃないのだろう。
仙台のらーめん屋本舗に行ったけど、あまりいい印象はなかったなあ。
オープン時の店舗
- こだわりラーメン らーめん屋本舗
- 徳島中華そば 徳福
- 九州筑豊ラーメン ばさらか
- らーめん 山頭火
- 池袋麺将 福助
2003年9月2日オープン。2004年5月1日のリニューアルを経て2005年初旬?営業終了。どうにも終了日時の情報が見つからないのは、ほんとにひっそりと消えていったからだろうなあ。
これ↑がオープン時(2003年9月2日)のもので、これ↓が同年12月3日現在のもの。
オープン当時だから、1年後にシャッター街と化すなんて思いもよらなかった。。。・゚・(ノД`)・゚・。
オープン後3ヶ月で新チラシを作ったのはぶぅ⇒むつみ屋という変動があったからだけども、この2店は同資本だから崩壊の予兆とは違う。
他のラーメンコンプレックスに比べて崩壊が早かった(2004年末には廃坑村のようになったと報告するブログが多数出てくる)のは、おそらく家賃の高さと営業母体(どこか知らないけど)のいい加減さだったのだろうなあ。webサイトの放置具合から見て、営業母体がちゃんとサポートしていたようには思えない。
そう考えれば、一番最初の脱落店舗・武里音の判断は正しかったのかも。
六角家は結構気に入ってたんだけどねえ。
これがなくなってから今でもこちらで家系はあまり食えない。
オープン時の店舗
- 純系名古屋コーチン 麺屋祐一郎
- 九州創作ラーメン 火麟
- 北海道とんこつラーメン らーめんぶぅ
- 大坂こだわり拳骨らーめん 武里音
- 徳島中華そば 徳福
- 宮崎とんこつラーメン 風来軒
- 函館らーめん 船見坂
- 横浜家系 横浜ラーメン六角家
2005年2月25日オープン。2008年2月3日営業終了。
これは行ったことがない。
どうしてチラシを持ってるのか、自分でも謎。(^^;
きっと名古屋に行った時に手に入れたのだと思うのだが……。
このチラシはリニューアル後のものらしく、オープン当初との店舗とは随分違う。
しかし作ノ作ってこんなところに出店してたのね。
せたが屋は一度行ってみたいな。
オープン時の店舗
- らーめん家本舗ずん・どう
- 中華そば つしま
- 竈 新宿本店
- せたが屋
- 創作スープ麺 横浜 いまむら
- 大阪とんこつ 作ノ作
- 博多 秀ら~
さて。
ラーメンコンプレックスがどうして成功しないのかというのはいずれちゃんと考えないといけないと思ってるんだけども、ちょっと浮かんだことをつらつらと。
とりあえずもういい加減、「昭和レトロの街を再現」ってのはやめた方がいいんじゃないかな。元祖であり唯一?の成功例である新横浜ラーメン博物館の影響下にあることは明らかだけど、別にこれだけがやり方じゃなかろうよ。ラ博がオープンした頃(1993年)に比べて、その「昭和レトロの街」をリアルに「懐かしい」と感じる世代は、今の時代のメインターゲットになるのか?
「ラーメンコンプレックスがどうして成功しないのか」と書いたけど、実は成功しているのかもしれない。↑に書いた関西のラーメンコンプレックスは長くても4年続いたものはない。しかしそれでも儲かる人は儲かってるとか。
ただし儲かるのは企画する会社であって、ラーメン屋ではないのだろう。
そんな感じになってるように思う。店ばかりの負担になっているような気がする。(実際はどうか知らないけど)
遠隔の見知らぬ土地に来て商売する人たちへのフォローや客を呼び込む話題づくりを積極的にやっているのだろうか?
正直、最初のハコづくりだけそこそこ(劇場だとか名作座だとか、正直かなり安直だと思うが)力を入れて、あとはほとんど放置……って気がするんだよね。
上記泉ヶ丘ラーメン劇場の駐車券の話なんて、客を呼ぼうという意志が感じられないし。
だから客はすぐに飽きて来なくなるし、店は儲からないから退店する。すると結局比較的リスク耐性のあるチェーン店ばかりが店を出すようになり、ますます客は楽しくなくて行かなくなる……。
その割合は店によるとは思うけど、店にとって常連客が経営を支えるんだと思うのよ。でも、ラーメンコンプレックスの店って、なんか、常連がいるようなイメージがないんだよなあ。
突然食いたくなったものリスト:
- 竹麺亭のトマトラーメン
本日のBGM:
Screams From The Grave /ABATTOIR
AGENT STEELを彷彿とさせる荒削りさだ。スラッシュ黎明期の「若さ」をかなりリアルに感じるよね。(^O^)
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