9条護憲派はオトモダチごっこを早く卒業しないと

 kikulogにコメントしようとふと思ったのだけれど、少し政治的な話になると思うので、自分のところに書いた方がいいかなと思って、ここ用に書きました。さすがにこれをkikulogにコメントしようとしたわけじゃありません。(^O^)

憲法9条と911陰謀論、または安斎先生はどう考えておられるのだろう

2008/4/29

別のエントリーで話題になったことですが、目立たせるために新しいエントリーにしました。
 
安斎育郎先生が代表をしておられる「憲法9条メッセージ・プロジェクト」が出しているブックレットの中に「9,11 マスターキーから何が見える?」というのがあります。これが実は2006/10に開かれた「9 ・11 真相究明国際会議 in 東京」の講演録なのです。成澤宗男・ベンジャミンフルフォード・きくちゆみといった陰謀論肯定派のみなさんが語った記録で、奥菜秀次が大略「結局、肯定派は誰も公式報告を読んでいないことが明らかになった」と書いたあの会議です。もちろん、記録が出版されること自体に問題はないし、資料的価値もあると思うのですが(後で自分の発言をごまかそうとしても証拠として残るわけですし)、問題は出版元です。これにはとても驚かされました。
 
気になるのは2点
(1)安斎先生はこの件をどう考えておられるのだろう
(2)憲法9条を守ることと911陰謀論はまったく別の話だが、世間ではどの程度リンクしているのだろう。「9条堅持・陰謀論否定」の人たちは声を上げているのだろうか
(略)

 
 この(2)の
「憲法9条を守ることと911陰謀論はまったく別の話だが、世間ではどの程度リンクしているのだろう。「9条堅持・陰謀論否定」の人たちは声を上げているのだろうか」
 という疑問について。
 恐らく望み薄だろうなと思う。
 現在、9条護憲派の内部では、「9条護憲」というスローガンさえ一致すればそれ以上はあえて問わないという、ちょいと困ったことになっている。
 一言に「9条護憲」といっても、昔と違い、今では様々なバリエーションがある。かつては社会党の「非武装中立」のような、9条と自衛隊は相容れないという判りやすい立場が多かったが、今では自衛隊容認はもちろん、9条のもとでの集団的自衛権の行使まで許容する「9条護憲」派すら存在する。
 だから今では同じ「9条護憲」を主張していても、その示す内容はお互いに相容れないものである可能性もかなり高く、社民党がいくら「アンケートでは○%の人が9条の改正に反対しています」と主張したところで、その「反対」の中のどれほどの割合が社民党のいう「護憲」の意見かというのはかなり疑わしくなっている。
 ところで、去年、憲法改正手続法(国民投票法)が(安倍晋三の妨害にもかかわらず)成立した。
 日本国憲法の改正には、衆参それぞれ2/3以上の議員の賛成によって発議、その後国民投票で過半数の賛成を得ることが必要になる。この法律はこの手続を定めている。
 国民投票法は3年間の凍結期間がおかれており、具体的な憲法改正案の審議は2010年から可能になる。その時に政治的にはどうなっているか判らないから、必ずしもすぐに発議されるかどうかは不透明だけども。
 で、憲法改正案論議になれば、最大のトピックはもちろん9条だ。
 おそらくは第2項(交戦権の否認)を改正し、第3項に自衛権を明記して自衛隊の存在を規定するということになるんだろう。
 この案に対し、9条護憲派はもちろん反対することになるだろう。
 しかし、ですよ。その「反対」の意味について、ちゃんと考えないといけない。
 もし仮に9条改憲案が発議されたとしよう。
 「承認」された場合は自衛隊は晴れて「日本軍」となり、条文どおりの自衛権の範囲での行動が保障されることになる。(それが集団的自衛権まで踏み込むのかはちゃんと憲法に書けばいい)
 では「否認」された場合はどうなるか。
 本当は、その場合についてはっきりさせておかないといけない。
 9条の条文は変わりませんが、自衛隊も存続しますし、イラク派兵みたいなのも内閣の判断だけでやっちゃってオッケーです、集団的自衛権の行使もアリじゃないですか……という状況のまま続くなら、9条改憲派にとっては「○が出たらオレの勝ち、×が出たらお前の負け」みたいな、絶対に負けないジャイアン勝負になってしまう。
 これまで9条護憲派は、憲法を語ること自体をタブーとし、その次は国民投票法を作ること自体に反対して改憲派との「真っ向勝負」を避けてきた。
 しかしこれからの勝負はそういうわけにはいかない。
 ……にもかかわらず、相変わらず実戦準備ができていないのが今の9条護憲派の姿だ。
 今、9条護憲派がやるべきことは、いずれ(必ず)発議される9条改憲案に対して、「もしも護憲派が勝ったら(改憲案が否認されたら)、現在ある9条と現実とのギャップを埋めるために、安全保障政策はこういう形にしなければいけない」という、公平な勝負のルールを改憲派に突きつけることのはずだ。でないとジャイアン勝負になってしまうから。
(本来、「改憲」の発議はそこまで重いものだという覚悟を改憲派に迫るということはそれだけで改憲発議の抑止力になり得るわけで、護憲派の戦略としてはこれは不可欠の手段だ)
 その上で発議されれば正々堂々と国民投票で勝てばいい。本当に国民の半数以上が9条改正に反対なんだったら、勝てるだろう。そしてその勝利は現在の「解釈改憲」を是正する、有意義なものになるはずだ。
 つまり、9条護憲派は、発議のずっと前から、国民投票をジャイアン勝負にしないために、ちゃんとした意思統一を図っておかないといけない(勝てない)ってこと。
 ところが9条護憲派の方々はあまりそういうところには頭をめぐらせていないため、「9条護憲」で一致さえしていれば「仲間」だから、とりあえずその中身は問わない……というバカバカしいスタンスを採っているのだ。
 条文さえ残せれば集団的自衛権もおっけー、という人ばかりならそれでもいいけども、そうでないなら9条護憲派はお互いが本当は何を「護」ろうとしているのかをちゃんと知り、互いの主張を理性的に批判しあって整理しておくべきなのだが……。
 私はこの人たちは本当は「勝つ」気がないんだと思うよ。
 インナーサークルで、「平和って大事だよねー」「改憲派は戦争したくてたまんないんだよねー」と言い合って満足しているだけ、という感じに見えてしまう。
 ほんとは9条改憲の国民投票は9条護憲派にとっても最大のチャンスのはずなのに、そういうふうに意識できてる人ってほとんどいない。


突然食いたくなったものリスト:

  • タンテ・アニーのチーズケーキ

本日のBGM:
Upside Down /ENERGY
ドイツのメロディック・パワーメタルバンド、ENERGY。3本ほどのデモテープを出していて、一部ファンジンでは高い評価を得た。私もテープを手に入れ、とても気に入っていた。ところが残念ながらすぐに解散。。+゚(ノД`)゚+。 ほんとに「幻」のバンドとなってしまった。
最近ふとこのバンドのことを思い出してググってみると、「Metal Archives」というサイトにデータが載ってた。
http://www.metal-archives.com/band.php?id=84101
なんて凄いサイトなんだろう。(^O^)
せっかく持ってたデモテープをなくしちゃってとても悲しいのだけれど、できればまた聴きたいな。
……しかしほんと、このサイト凄いなあ。試しに同時期のデモテープバンドでもう1つ気に入っていたBAROCKというバンドを検索してみたら、ちゃんと載ってましたよ。
http://www.metal-archives.com/band.php?id=76953
マジ凄すぎ。
このバンドも面白かった。HMマニアのみなさんはいつか何かの機会でこれらのバンドのデモテープを見つけたら、何も考えずに速攻ゲットですよ。


18 comments

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    • FSM on 2008年4月30日 at 8:55 PM
    • Reply

    こんばんは。
    > 現在、9条護憲派の内部では、「9条護憲」というスローガンさえ一致すればそれ以上はあえて問わないという、ちょいと困ったことになっている。
    に関連するところですが、「9条護憲」の意味を考える部分(理論)と、「9条護憲」の運動とは一旦切り離して考える必要があると思っています。
     9条の問題に限らず、一般に、多数を獲得することが重要な運動では、その目的(「9条護憲」でも「核兵器廃絶」でもなんでもいいんですが)で一致できる人・団体は、原則としては連帯なり団結なりする必要がありますよね。そうでないと、まとまった運動にならない。
     しかし、例えば「9条護憲」で一致した人たちが、他の問題(核兵器廃絶とか)で一致するとは限りません。だから、「9条護憲」で一致してなにかをやるときは、一致しない問題については取り上げるべきではないでしょう。
     しかし、それは馴れ合いでも野合でもなく、それ以外の場で互いに批判し合えばいいことです。
     「9条護憲」の中身についても、「9条護憲」を主張する人々の間で違ってていいと思うし、まあ同じには(すぐには)ならんだろうな、と思います。だから、その部分については、参加するそれぞれの集団の内部でやればよろしいのだと思います。もちろん内部というのは、議論を表に出さないと言う意味ではなくて、「9条護憲」で大同団結するなら、その時は言わない、という意味です。
     端的に言えば、自民党員だって9条を護りたい人はいるわけで、9条以外の政治的信条までみんなが一致するわけないですよね。その時に、例えば「9条護憲」の人は○○党を支持すべきだ、なんて言ったら、運動としては力が弱まる。
     たぶん問題は、「9条護憲」で連帯するならそれ以外のところも一致しないといけない、あるいはどんな場でも互いに批判すべきでない、という風潮(があるのかどうか知りませんが)なのではないでしょうか。
     例の政治系ブログの「水伝騒動」(私は断片的にしか知りませんが)の問題は、一致するところは一緒にやって、違うところはどんどん批判しあえばいいのに、そこがごっちゃになって、互いを全面的に受容し批判を拒否したところにあるんだと思います。
     それと、例えば陰謀論を主張する人や、水伝信奉者だって、多数派になるためには取り込まないと本当はいけない。だけど、それは「9条護憲」という点に関して賛同する「人」を取り込むということであって、陰謀論や水伝を、「9条護憲」をいう場で言わせてはならない、ということなのだろうと思っています。
     というわけで、「9条護憲」についても色々構造があって(レイヤーというべきなのかな)、どの部分について言及するのか、焦点を絞らねばならないのでは、と思っています。
     まあでもそれはそれとして、このエントリの本題の部分、「意味」を考えたり、日本国として9条とこの先どうやって付き合っていくのかということを考えないといけないのはその通りだと思います。気分で「9条護憲」を言う人がいていいし、そういう人が大多数というのが現実でしょうけど、「考えようよ」というのは言わないかんとは思いますね。考えてる人たちはもちろんそれなりの数いると思いますけど。
    (長文すいません)

    • 管理人 on 2008年4月30日 at 11:29 PM
    • Reply

    >FSMさん
    こんにちは。
    書いてみると、結局本文の内容の繰り返しになっていて恐縮なのですが……。
    >「9条護憲」の意味を考える部分(理論)と、「9条護憲」の運動とは一旦切り離して考える必要があると思っています。
    これは一般論としてはその通りだと思うんです。
    小異を捨て、大同につく、という。
    ただ、(近い)将来の憲法改正国民投票を焦点にした場合、この2つは分けて考えることができない段階に来ていると思います。つまり、時間がないと。
    そして「運動」論として、これ以上これまでのような「オトモダチごっこ」を続けていたんでは勝利は覚束ない、と思っています。
    本文に書いたとおり、憲法改正の発議の時点でとっくにまとまっていなければ、おそらく9条護憲派にとって「負け」は確定なんです。
    国民投票の段階になってまとまっても意味がない。
    その時は既にジャイアン勝負になってるからです。
    発議の条件(国民投票で承認されなかった場合どうなるか)を決めることは、発議のずっと前の段階での闘争です。その時点でまとまってないと、これは絶対にできません。そしてジャイアン勝負で条件が決まってしまえば、その時点で終わりなんです。国民投票の結果なんて、関係なくなるわけですよ。
    そしてそれができれば、国民投票で大同団結をすればいい。国民投票法は、実は世界に胸を張れるフェアなルールです。このルールの下、ちゃんとした運動をすれば勝てる可能性もあるでしょう。
    しかし「運動論」でいえば、やはりこの条件設定の段階が9条護憲派の一番の勝負どころなんですよ。ほんとは。
    この条件をはっきりと決めてしまえば(たとえば、承認されなければ自衛隊は解体される、とか)、改憲派もよほどのことがないと改憲の発議をすることはできなくなります。そういう抑止力を、この段階でもつことができる。逆に、これができなければこの時点で勝負が決まる。
    となれば、ですよ。
    最短であれば2年後には改憲の発議が可能になるわけです、泣いても笑っても。
    とすれば、もう呑気なことを言っている時間はないんですよ。
    ここでちゃんと、「承認されなかった場合」の条件について9条護憲派は一致しておかないといけないんです。それなくして「9条護憲で大同団結」といっても、それはどんな「運動」であるのか、私には想像がつかないです。
    まあこれは、現状の憲法状況(改革による憲法条文の「解釈」によって実質的な改憲が進められている状況)をよしとするかどうかにも関わるのかとも思います。
    それでも条文さえ残ればかまわない、というのが「9条護憲」であるなら、おそらく国民投票の時点での「大同団結」でもかまわないのだと思います。
    ただ、私は今のままだとダメだと考えています。
    憲法に合わせて自衛隊を解体するか、憲法を改正して自衛隊を軍隊と規定し、できることとできないことをはっきりと決めるかのどちらかです。
    そうでないと憲法の規範性が弱まり続け、内閣が好き勝手に日本の行く末を決めることができるようになってしまいます。
    憲法状況に限って言えば、今は既に「平時」ではないという意識が9条護憲派に全くない。これまでと同じことやってりゃいいと思っている。そこが今の9条護憲派のダメなところだと思います。
    > しかし、例えば「9条護憲」で一致した人たちが、他の問題(核兵器廃絶とか)で一致するとは限りません。だから、「9条護憲」で一致してなにかをやるときは、一致しない問題については取り上げるべきではないでしょう。
     しかし、それは馴れ合いでも野合でもなく、それ以外の場で互いに批判し合えばいいことです。
    これはその通りだと思います。
    > 例の政治系ブログの「水伝騒動」(私は断片的にしか知りませんが)の問題は、一致するところは一緒にやって、違うところはどんどん批判しあえばいいのに、そこがごっちゃになって、互いを全面的に受容し批判を拒否したところにあるんだと思います。
    これもそのとおりだと思います。
    前にも書いた記憶がありますが、この騒動について考えると、いつも「連帯を求めて孤立を恐れず」という言葉を思い出します。個の価値観や行動原理が確立していればこそ「連帯」はできるのであって、単なる馴れ合いに「共闘」だの「連帯」だのという言葉は使ってはいけないのだと思うんですよ。で、個が確立していれば「互いを全面的に受容し批判を拒否」なんていう状況はあり得ないはずなんですよね。

    • FSM on 2008年5月1日 at 12:20 AM
    • Reply

    再びこんばんは。
    > 本文に書いたとおり、憲法改正の発議の時点でとっくにまとまっていなければ、おそらく9条護憲派にとって「負け」は確定なんです。
    これは本当にそうだと思います。
     で、いまの焦点は、発議をさせない、というところだと思うのですよ。
     2年後もおそらく自民党+民主党で2/3の議席を占めているでしょう。それでも、国民の大多数が「9条護れ」という状況になっていれば、そう簡単には発議できないでしょう。というわけで、↓
    > 今、9条護憲派がやるべきことは、いずれ(必ず)発議される9条改憲案に対して、
    というところで、「必ず」とは必ずしも言えない、というのが私の言いたかったことの一つです。
     しかし、とはいえ国会内で9条改憲派が2/3を占める限りは常に発議される可能性はあるわけで、発議されたときにどうするか、ということを真剣に考えないといけないのはその通りだと思います。
     で、「承認されなかった場合」にどうするか、ですが、現状での「9条護憲」の運動の課題(つまり、「承認されなかった場合どうするかも考えないやつは9条護憲と言うな」というようにする)としてそれを持ち出すのは、運動論としてはまずいと思います。というのは、現実問題として、自衛隊はあってほしいという国民のほうが多いわけです。そして、あって欲しいんだけど、とはいえイラクに行くのもどうかなあ、というような人も相当数いるわけです。これは1年や2年ではまとまらないですよ。そこについては私はかなり悲観的です。
     むしろ、9条を変えたい人たちが、これを持ち出すと思いますね。9条を護りたい人々の間で意見が一致していない部分をついて、分断させるのは常道でしょう(だからこそ、そこを一致させよ、というのが趣旨であるのはわかっているつもりですが^^;;)。
     だから、「自衛隊を認める人も認めない人も」参加できるようにするのが大事ではないか、と思うわけです。
     もう一点。
    > 憲法状況に限って言えば、今は既に「平時」ではないという意識が9条護憲派に全くない。
    はさすがに言い過ぎではないか、と。(^^;;
    いやまあそういう意識がないように見えてしまうというのはそうなんだろうとは思いますが。
     いずれにしても、(承認されなかったかそもそも発議されなかったかは別にして)9条が維持されるとなった場合に、その後をどうするかの議論を活発にしないといけないのはその通りだと思います。そこはゼロではないにしても、弱いのは事実だと思います。

  1. 憲法9条と911陰謀論

     kikulogのエントリ「憲法9条と911陰謀論、または安斎先生はどう考えておられるのだろう」
    を見て、一言だけでも書いておこうと思ったので書きま…

    • 管理人 on 2008年5月1日 at 5:49 PM
    • Reply

    >FSMさん
    こんにちは。
    TBありがとうございます。
    意見は違うかもしれませんが、この問題は1人1人思うところがあるはずなので、理性的な話をしていただける限り、長いコメントとなっても全然かまいませんので、お気になさらず。
    > で、いまの焦点は、発議をさせない、というところだと思うのですよ。
     2年後もおそらく自民党+民主党で2/3の議席を占めているでしょう。それでも、国民の大多数が「9条護れ」という状況になっていれば、そう簡単には発議できないでしょう。というわけで、↓
    > 今、9条護憲派がやるべきことは、いずれ(必ず)発議される9条改憲案に対して、
    というところで、「必ず」とは必ずしも言えない、というのが私の言いたかったことの一つです。
     ここが恐らく、私と認識が違うところなんだとは思うのですが。
     私は、「発議をさせない」というのは、「9条護憲派」の「運動戦略」としては採ってもいいのだろうと思いますが、しかしその方法は、、「国民の大多数が「9条護れ」という状況を作る」ではないと思います。それは非現実的だと思うので。
    > しかし、とはいえ国会内で9条改憲派が2/3を占める限りは常に発議される可能性はあるわけで、発議されたときにどうするか、ということを真剣に考えないといけないのはその通りだと思います。
     発議されたときではもう遅い、というのが私の意見です。
     9条護憲派がちゃんと立ち回らない限り、発議が「ジャイアン勝負」でなされることは、ほぼ確実です。
     ……つまり、もし「否認」された場合は、自衛隊も日米安保もイラク政策もこれまでと一切変わらないということです。
     いや、むしろ酷くなる可能性すらあります。
     国民が「9条の条文を堅持しつつ、内閣の解釈改憲によって集団的自衛権すらおk」の現状を国民投票によって「支持」したということになるので。
     つまり、実は改憲が「否認」された時の方が、条文ではっきりと規定しない分、内閣の好き放題の余地が残ることになりかねない。
     私はそれはダメだと思うのですが、どうでしょうか?
     ですから、
    > で、「承認されなかった場合」にどうするか、ですが、現状での「9条護憲」の運動の課題(つまり、「承認されなかった場合どうするかも考えないやつは9条護憲と言うな」というようにする)としてそれを持ち出すのは、運動論としてはまずいと思います。
     という運動論の方がよっぽどまずいのだと思います。
     勝負どころは絶対にそこなんですから。
    >というのは、現実問題として、自衛隊はあってほしいという国民のほうが多いわけです。そして、あって欲しいんだけど、とはいえイラクに行くのもどうかなあ、というような人も相当数いるわけです。これは1年や2年ではまとまらないですよ。そこについては私はかなり悲観的です。
     私もそう思います。だから9条護憲派は負けると思います。
    > むしろ、9条を変えたい人たちが、これを持ち出すと思いますね。9条を護りたい人々の間で意見が一致していない部分をついて、分断させるのは常道でしょう(だからこそ、そこを一致させよ、というのが趣旨であるのはわかっているつもりですが^^;;)。
     恐らくこの辺りの認識が違うのだと思いますが、まず、
    ・2年後以降も自公民で2/3以上を占めることは間違いない
    という事実は恐らく動かないです。ですから2年後以降に改憲案が出てくることは、すぐではないにしろ確率は非常に高いという認識を持つべきです。運動で何とか阻止したいという願望を語ることは無意味だとは思いませんが、それを確実に実行できる手段は、9条護憲派が衆参いずれかで1/3以上の議席を占めることしかありません。しかしおそらくそれは不可能でしょう。だとすればもっと現実的に有効な方法を考えるしかないんです。
     もう一度書きます。
     近い将来、憲法改正案は(ほぼ)確実に発議されます。
     発議の時点で9条護憲派が団結し、ちゃんとした条件作りをしていなければ、国民投票で「承認」「否認」のどちらが出ても実質的には改憲派の勝ちです。
     この「否認」を勝利だと考える「9条護憲派」がいるとすれば、
     あれ? あ、そうか、いるのかなあ……? あ、そこが違うのか……。
     そうかも。
     なるほど。
     うーん。
     「解釈改憲」が国民投票によって「承認」(=改憲案が国民投票で「否認」)されれば、おそらく「無制限に戦争できちゃう国」になっちゃいますよ、そうなりゃ9条護憲派も「負け」じゃないですかね、と私は思ってるんですけど、そうか、そう考えない人もいるかもしれない、か。
    > だから、「自衛隊を認める人も認めない人も」参加できるようにするのが大事ではないか、と思うわけです。
     なんか、認識の違いの原因がわかった気がしました。
     私は、「解釈改憲」は許しちゃいかんと思ってるんですよ。
     それは9条護憲派も同じだと思ってたわけですが。
     結局、9条護憲派は運動論として、条文は残した上で「解釈改憲」の余地を残してもいい、あるいは「解釈改憲」の余地を残すべきだと考えているということでしょうか。
    >> 憲法状況に限って言えば、今は既に「平時」ではないという意識が9条護憲派に全くない。
    はさすがに言い過ぎではないか、と。(^^;;
    いやまあそういう意識がないように見えてしまうというのはそうなんだろうとは思いますが。
     そうですねえ。
    「憲法状況に限って言えば、今は既に「平時」ではないという意識が9条護憲派に全くないようにしか見えない。」
     と言い換えてもいいです。(^O^)

    • FSM on 2008年5月2日 at 12:20 AM
    • Reply

    こんばんは。
    > 私は、「発議をさせない」というのは、「9条護憲派」の「運動戦略」としては採ってもいいのだろうと思いますが、しかしその方法は、、「国民の大多数が「9条護れ」という状況を作る」ではないと思います。それは非現実的だと思うので。
    ここはたしかに認識の異なるところのようですね。
     選択肢としては、9条を維持する、変える、わからない(ないし棄権)しかないので、「維持」で大多数にもっていくのは非現実的ではないと思うのですよ。
     むしろ、「9条護れ」の中身で大多数が一致するのは、10年のスパンで考えないと無理なんじゃないかなあ、と思っています。
    で、ああなるほど、と思ったのですが、↓
    > 結局、9条護憲派は運動論として、条文は残した上で「解釈改憲」の余地を残してもいい、あるいは「解釈改憲」の余地を残すべきだと考えているということでしょうか。
    そういう人もいればそうでない人もいる、ということでしょうね。というか、現状がほとんど解釈改憲状態になっていると認識している人はいったいどれだけいるのでしょうか?
     私の印象だと、多くの人が、「なんかもう憲法も古いし、変えてもいいんじゃない?」的な「ノリ」から、少しづつ「やっぱ9条変えちゃまずいのかもなあ」と漠然と思いつつある、という感じです。運動を引っ張る人たちには深く考えて欲しいけど、国民の大多数にそれを要求するのは、短いタイムスケールではどうなんだろう、と思います(このあたり、ニセ科学の問題と似たような構造なんだろうな、と思います。なにがニセか、一人ひとりが考えられるようになってほしいと思いつつ、現実はなかなかそうもなあ、という)。
     それから、「否認」を勝利とみなすか、ですが、そう思う人は実際多いんじゃないですかね。私はそれがただちに勝利を意味するとは思いませんが、少なくとも一定の歯止めにはなっていると思うので、形だけでも条文が残っているのは完全に書き換えられるよりは数段マシだと思っています。
     で、中身の問題が中心課題になるのは、その次のステップ、というようなイメージです。
     まあ私が運動体を引っ張っているわけではないので(^^;;、そんな感じになるのかなあ、というイメージでしかありませんが。
    > TBありがとうございます。
    ちなみに、初TBなのでした。(^^;;
    いままでどうTBを使ったらいいかわからず悶々としていたのですが、いまだ、このタイミングだ!と思い、やり方調べて打ってみました。
     でも冷静に考えてみると、TBの使い方間違えているような…?(^^;;
     すいません。

    • 管理人 on 2008年5月2日 at 1:35 AM
    • Reply

    >FSMさん
    こんにちは。
    >> 私は、「発議をさせない」というのは、「9条護憲派」の「運動戦略」としては採ってもいいのだろうと思いますが、しかしその方法は、、「国民の大多数が「9条護れ」という状況を作る」ではないと思います。それは非現実的だと思うので。
    >ここはたしかに認識の異なるところのようですね。
     選択肢としては、9条を維持する、変える、わからない(ないし棄権)しかないので、「維持」で大多数にもっていくのは非現実的ではないと思うのですよ。
     むしろ、「9条護れ」の中身で大多数が一致するのは、10年のスパンで考えないと無理なんじゃないかなあ、と思っています。
     そうですね。ここが認識の違うところかと。
     私は国民投票の段階で一致しても9条護憲派にとっては「時すでに遅し」である、と思っているので。
     どこが勝負の天王山であるかの認識の違いでしょうか。
    > 私の印象だと、多くの人が、「なんかもう憲法も古いし、変えてもいいんじゃない?」的な「ノリ」から、少しづつ「やっぱ9条変えちゃまずいのかもなあ」と漠然と思いつつある、という感じです。運動を引っ張る人たちには深く考えて欲しいけど、国民の大多数にそれを要求するのは、短いタイムスケールではどうなんだろう、と思います(このあたり、ニセ科学の問題と似たような構造なんだろうな、と思います。なにがニセか、一人ひとりが考えられるようになってほしいと思いつつ、現実はなかなかそうもなあ、という)。
     あ、もちろん、私もそう思ってます。「国民の大多数」が考えるのは本当に国民投票の段階にならないと無理だと思います。
    「憲法状況に限って言えば、今は既に「平時」ではないという意識が9条護憲派に全くないようにしか見えない。」
     というのは、まさにその「運動を引っ張る人たち」大多数への言葉です。(^O^)
    > それから、「否認」を勝利とみなすか、ですが、そう思う人は実際多いんじゃないですかね。私はそれがただちに勝利を意味するとは思いませんが、少なくとも一定の歯止めにはなっていると思うので、形だけでも条文が残っているのは完全に書き換えられるよりは数段マシだと思っています。
     ここも見解が違うところでしょうね。
     そしてここからはとてもデリケートな問題になるのだと思いますが……。
     現在の解釈改憲は、安倍晋三が諮問会議で引っ張り出そうとしたように、9条のもとで集団的自衛権を認めるところまで来ています。
     9条がこれまで「一定の歯止め」だったことは認めますが、現在、それが完全に骨抜きになっている、というのは誰もが認めるところではないでしょうか。
     これは立憲主義国家としてはあってはならんことだと思います。
     9条が「歯止め」としての役割を持っていたことを評価するのなら、ちゃんとした(明文の)歯止めを改正案に盛り込むように運動するか、あるいは「否認」の場合にちゃんとした歯止めとなるように条件設定するか、この2つしかないと思うんですよ。
     ……これはあくまでも「解釈改憲」がダメだという前提の意見なので、確かに解釈改憲をOKとする立場とは相容れないものかもしれません。

    • FSM on 2008年5月3日 at 1:02 AM
    • Reply

    こんばんは、FSMです。
     だいぶ論点が見えてきた気がします。
     たぶんポイントは2点(密接に関連してそうですが)で、一つは現状(9条の現時点での役割)をどう見るか、もう一つは解釈改憲をどう考えるか、だと思います。どこが天王山であるかは、これの従属的な問題かと。
     まず前者ですが、どんどん骨抜きになっているのは事実だと思います。しかし、完全に骨抜きになり、9条の存在が事実上無意味になっているのだとしたら、逆に彼らにとっては国民の反発を喰らう(かもしれない)発議をあえて犯す必要はない。安倍のように、改憲の姿勢を明確にすることで支持基盤を強固にするという目的があるならばともかく。なので、いまの9条が残ると言うことは、なんらかの歯止めになっているであろうと考えられます。
     もちろんこれは状況証拠にすぎませんが、しかしまあもし9条がなくなれば、イラクの戦闘地域にだって堂々と行ってたでしょう。「自衛隊のいるところが非戦闘地域」なんて詭弁を弄する必要さえなくなるわけです。
     二点目の解釈改憲ですが、もちろん私としては現実との乖離は問題だと思っています。が、現実が既に大きく乖離していること、またその乖離した状態を良しとする人が大多数であることを考えると、いまの9条が求める状態に近づけるのには結構な時間がかかると思っています。相当時間をかけた国民的な議論を通じてしか、コンセンサスは得られないでしょう。
     私としては、国民的合意のもとに速やかに9条のあるべき姿に現実を変えて行きたいところですが、既にこういう現実になってしまっているだけに、本来法治国家としてあるべき姿にすることさえ時間をかけて議論して少しづつやっていかないといけないのでは、と思っています。その間、憲法と現実のズレを認めるのはやむを得ないのではないか、と思っています。
     今日(もう昨日になりましたが)『朝日』の世論調査だと、「9条改正反対」が66%、「賛成」が23%になったそうです(サンプルサイズもわからないので、誤差とかわかりませんが)。これをきっかけに、中身の議論もできるようにもってって欲しいですね。でも、考えてない人に引っ張られているところでは、「これで安心、やったぜ」で終わりそうな気も。(^^;;
     反対派が多数を占めそうなときに、単純に政局的に動くか、その後に向けて議論の種を提供していくかで、リーダーとしての資質が見えるのだろう、という気もしています。

  2. 憲法9条と911陰謀論をめぐって

    9条護憲派はオトモダチごっこを早く卒業しないと(『digital ひえたろう』 編集長の日記★雑記★備忘録 2008年4月30日)のコメント欄での、FSM…

    • 管理人 on 2008年5月4日 at 5:37 PM
    • Reply

    >FSMさん
     こんにちは。
    > だいぶ論点が見えてきた気がします。
     たぶんポイントは2点(密接に関連してそうですが)で、一つは現状(9条の現時点での役割)をどう見るか、もう一つは解釈改憲をどう考えるか、だと思います。どこが天王山であるかは、これの従属的な問題かと。
     ということになりそうですね。
     解釈改憲に対する評価によって、天王山がどこであるかの判断は変わってくるようです。
    ■論点1
    9条の現時点での役割
    > まず前者ですが、どんどん骨抜きになっているのは事実だと思います。しかし、完全に骨抜きになり、9条の存在が事実上無意味になっているのだとしたら、逆に彼らにとっては国民の反発を喰らう(かもしれない)発議をあえて犯す必要はない。安倍のように、改憲の姿勢を明確にすることで支持基盤を強固にするという目的があるならばともかく。なので、いまの9条が残ると言うことは、なんらかの歯止めになっているであろうと考えられます。
     ここの「なんらかの歯止め」というところが、もう限界だろうというのが私の認識ですね。これを「現状でもなんらかの歯止めとなっている」と考えるか、「集団的自衛権を認める(寸前の)段階まで来てしまった以上、明文の歯止めがないことは、むしろ内閣に全くのフリーハンドを与える状態になってしまった」と考えるか、だと思います。もちろんこれまでの「効用」は認めるのですが。
     ですからこれからは本当に歯止めをするためには、ちゃんと条文で歯止めを作るべきだと思っています。(だから、本当は9条護憲派の方も改正案を出すべきだとすら思いますが、まあこれは「べき」論ではあっても現実的には無理だろうとは思います(^O^))
    > もちろんこれは状況証拠にすぎませんが、しかしまあもし9条がなくなれば、イラクの戦闘地域にだって堂々と行ってたでしょう。「自衛隊のいるところが非戦闘地域」なんて詭弁を弄する必要さえなくなるわけです。
     いえ、だから、そういう詭弁を弄してても結局はなし崩し的に行っちゃうわけですよ今は。それをちゃんと条文でワクを作るべきじゃないかと。
    ■論点2
    解釈改憲をどう考えるか
    > 二点目の解釈改憲ですが、もちろん私としては現実との乖離は問題だと思っています。が、現実が既に大きく乖離していること、またその乖離した状態を良しとする人が大多数であることを考えると、いまの9条が求める状態に近づけるのには結構な時間がかかると思っています。相当時間をかけた国民的な議論を通じてしか、コンセンサスは得られないでしょう。
     そうでしょう。しかしそうしている間におそらく「憲法の方を現実に近づける」方が実現ちゃうと思いますよ。
    > 私としては、国民的合意のもとに速やかに9条のあるべき姿に現実を変えて行きたいところですが、既にこういう現実になってしまっているだけに、本来法治国家としてあるべき姿にすることさえ時間をかけて議論して少しづつやっていかないといけないのでは、と思っています。その間、憲法と現実のズレを認めるのはやむを得ないのではないか、と思っています。
     このあたりになるとやっぱり不思議になるのですが、「時間をかけて議論して少しづつ」やっていく覚悟があるのなら、どうして「9条護憲派」が望むような改憲案(変な言い方ですが(^^;/例えば「芦田修正」削除のような)を作る方向を目指さないのかなあ、と思います。
     「9条護憲派」が何を「護」りたいと思っているのかによるとは思うのですが。
    ■おまけ
     あと、これはFSMさんに対してではありませんが、いわゆる「9条護憲派」の方々を見ていてダメだなあと思うのは、「改憲派」があたかも「戦争がしたくてたまらん人々」であり、自分たちだけが平和を望んでいるのだと思っているように見える点です。あるいは改憲勢力の動機は「戦争して儲けるため」だと乱暴にまとめたりすることもあるように思えます。大半の「改憲派」はそう考えていないということは、ちょっとした想像力があればわかると思うのですが。

    • FSM on 2008年5月5日 at 12:32 AM
    • Reply

    どうもこんばんは。
    > ■論点1
    > 9条の現時点での役割
    まあ「歯止め」というよりは、「完全骨抜き」に移行する摩擦力、みたいなものなんだと思いますが、それでもあるとないとではだいぶ違うと思います。
     ただ、これ以上は、実態に即して分析してみないとなんとも言えなさそうですね。
     それと、仮に9条を変えるなりして新たなワクを作っても、今の(今に至るまでの)政治が続くようであれば、結局穴を見つけて骨抜きにするだろうとも思います。そうだとすると、条文でワクを作ることを目的にするのではなく、今ある9条程度のものでもきちんと守らせるだけの力量が国民の側につかないと、結局はいけないのだと思います。
    > ■論点2
    > 解釈改憲をどう考えるか
    現時点での焦点が、(米軍にくっついて)海外派兵やりたい放題で行くのを憲法上許すようにするのか、(自衛隊をどうするかは別にして)9条を維持するのか、ということにあると思うので、9条を(少なくとも当面)維持したい側がその先を今緊急の問題にするのは戦略上良いとは思えません(これは以前書いたことと同じですが)。
     それはまさに、
    > 「9条護憲派」が何を「護」りたいと思っているのかによるとは思うのですが。
    というところが「様々である」ということに由来します。
     いや、私も議論は大事だと思うんですよ。でも、逆に言うと、その議論を前面に押し出すと、収拾がつかなくなって、本当に
    > そうしている間におそらく「憲法の方を現実に近づける」方が実現ちゃうと思いますよ。
    となると思うのです(下で書いてるように、議論する必要がない、ということではないのですが、要は打ち出し方の問題かな)。
     さらに言うと、防衛政策というのは軍事だけで話が閉じていなくて、外交や経済とも関わってくるものだと思うので、なかなか「こうすればいい」とはならないのではないでしょうか。9条変えたい人々は、二言目には「じゃあ日本が侵略されたらどうすんだ」というわけですが、本当は、それ以前の段階から考えないといけないわけですよね。
     で、たぶんそういう議論を展開していくのが重要なんじゃないかなあ、と私は思っています。もちろん軍事的な部分の議論もしないといけませんが、そこだけやってたら必ず負けますよね。
    ついでにこっちも。(^^;;
    > ■おまけ
    いや~、そういう単純化はいろいろありそうですよね。世界征服をたくらむ極悪人、みたいな。(^^;;
     (唐突ですが)「バビル二世」のヨミが実は孫思いのいいおじいちゃんである、なんてこともあり得るわけで(いまふっと頭に浮かんだもので。唐突すぎますね^^;;)。労働者を酷使する資本家を極悪人に描くのなんて典型的なパターンですよね。
     ああ、9.11陰謀論もこんな感じで受容されているのかな。
     いずれにしても、9条を護ることが何を意味するのかをそれぞれが考える必要があるし、考えるように呼びかけて欲しいですね。何かがすぐにまとまるとは思わないですが、しかし、やらなきゃいかんことなんだと思います。

  3. 「陰謀論系ニセ科学批判」の可能性について

    日本の「平和運動」「護憲派」が911陰謀論に汚染されているそうだ。
    私は左翼系の空想的な「平和運動」を支持しないし、できれば9条を含めて現行憲法を手直しす…

    • 管理人 on 2008年5月6日 at 3:48 AM
    • Reply

    >FSMさん
     こんにちは。
    > ■論点1
    > 9条の現時点での役割
     については、確かに
    > ただ、これ以上は、実態に即して分析してみないとなんとも言えなさそうですね。
     ということでしょう。
    >まあ「歯止め」というよりは、「完全骨抜き」に移行する摩擦力、みたいなものなんだと思いますが、それでもあるとないとではだいぶ違うと思います。
     ここが一番認識が違うところですね。「9条はまだ歯止めとして有効である」なのか、「解釈改憲は現状で歯止めとしての役割は終えており、現在、憲法をどう解釈するかは内閣の好き放題になっている(=内閣を縛るべきものがない)」という違いでしょうか。
    > それと、仮に9条を変えるなりして新たなワクを作っても、今の(今に至るまでの)政治が続くようであれば、結局穴を見つけて骨抜きにするだろうとも思います。そうだとすると、条文でワクを作ることを目的にするのではなく、今ある9条程度のものでもきちんと守らせるだけの力量が国民の側につかないと、結局はいけないのだと思います。
     ここも違うのでしょうね。改憲というのは「現状と条文の一致」を目指すものです。改憲派はその改憲案の運用に際して「解釈改憲でいい」とは思わないでしょう。
     つまり、改憲派の目指すところ(の1つ)は憲法が最高規範として有効に機能することです。
     というか、むしろ(何度も書いていますが)数年以内に改憲案が出てくることはほぼ確実ですから、その改憲案について、今度こそ「穴を見つけて骨抜きに」されないちゃんとしたものを作るべく、9条護憲派はむしろ積極的に発議にコミットして行くべきだとまで思います。(それに国民投票の時に賛成するかどうかは別として)
     「どうせ出てくるんだから、だったらちゃんとしたものを」というわけです。
    > ■論点2
    > 解釈改憲をどう考えるか
    >現時点での焦点が、(米軍にくっついて)海外派兵やりたい放題で行くのを憲法上許すようにするのか、(自衛隊をどうするかは別にして)9条を維持するのか、ということにあると思うので、9条を(少なくとも当面)維持したい側がその先を今緊急の問題にするのは戦略上良いとは思えません(これは以前書いたことと同じですが)。
     なるほど、ここも現状の認識が違うわけですね。
    「現時点での焦点が、(米軍にくっついて)海外派兵やりたい放題で行くのを憲法上許すようにするのか」
     実際のところ、今、9条があった上で↑のやりたい放題ができちゃってるわけですよ。自衛隊がいるところが安全地域なんで。(^O^)
     で、「9条護憲」はむしろ、これを許容する方向に働きかねないわけです。
     そしてもう1つ、改憲派も皆これを許す憲法を作ろうと思っているわけではない、というところに注目すべきだと思うんですよ。
     集団的自衛権についてはやはりダメだと明文規定すべきという人も改憲派の中にかなりいるわけです。今のようなちゃんとした歯止めがない状態だと、アメリカに巻き込まれてどこまでもつきあわなくちゃいけないことになりかねない。だからちゃんと「集団的自衛権はダメ」と規定すべきである、とか。
     とすれば、9条護憲派の方々の一部は誰と共闘すべきであるのか、もう一度ちゃんと考え直す必要があるのではないかなあ、と思います。
     まさに「何を護りたいのか」です。
    > さらに言うと、防衛政策というのは軍事だけで話が閉じていなくて、外交や経済とも関わってくるものだと思うので、なかなか「こうすればいい」とはならないのではないでしょうか。
     確かに。(^O^)
    >9条変えたい人々は、二言目には「じゃあ日本が侵略されたらどうすんだ」というわけですが、本当は、それ以前の段階から考えないといけないわけですよね。
     あ、でもですね。
     結局、9条護憲派が昔に比べて減っているのは、これに明確な返事ができなかったからなんだとは思いますよ。
     これに説得力のある返事ができていたなら、今頃改憲の議論なんか起こっていないと思います。
     正直、9条改正国民投票は、国家ビジョンの選択にまでつながるスケールの大きなものになるべきものです。ジャイアン勝負にならなければ。
     9条護憲派はそうするべく努力すべきだし、それまでにちゃんとした国家ビジョン(それこそ、「攻められたらどうする?」みたいな答えもちゃんと出して)を国民に示さないきゃいけないと思うんですよね。
    >> ■おまけ
    >いや~、そういう単純化はいろいろありそうですよね。世界征服をたくらむ極悪人、みたいな。(^^;;
     (唐突ですが)「バビル二世」のヨミが実は孫思いのいいおじいちゃんである、なんてこともあり得るわけで(いまふっと頭に浮かんだもので。唐突すぎますね^^;;)。労働者を酷使する資本家を極悪人に描くのなんて典型的なパターンですよね。
     ああ、9.11陰謀論もこんな感じで受容されているのかな。
     ああ、そうかも。
     あと、ビル・ゲイツも。(^O^)

    • FSM on 2008年5月7日 at 12:21 AM
    • Reply

    こんばんは。
    > 改憲というのは「現状と条文の一致」を目指すものです。改憲派はその改憲案の運用に際して「解釈改憲でいい」とは思わないでしょう。
    >  つまり、改憲派の目指すところ(の1つ)は憲法が最高規範として有効に機能することです。
    あ、ここも意見がちょっと違うところですね。自民党や民主党の改憲を求める人々(議員たち)の目的は、本当に「憲法が最高規範として有効に機能すること」なんでしょうか?それは口実ではないのかな、というのが私の意見です。
     もちろん、「改憲派にもいろいろいる」ってことなんでしょうけど、↓
    > そしてもう1つ、改憲派も皆これを許す憲法を作ろうと思っているわけではない、というところに注目すべきだと思うんですよ。
    ということですよね。ただ、
    > 今のようなちゃんとした歯止めがない状態だと、アメリカに巻き込まれてどこまでもつきあわなくちゃいけないことになりかねない。
    ということだと、その意味では本来は9条はその歯止めになっていたにもかかわらず、どんどん骨抜きにされていったわけですよね。すると、ここでまた集団的自衛権についての歯止めを明文化したところで、手段的自衛権を行使したい人々が権力の中心にいる以上は、それすらも骨抜きにしようとするのではないか、と思います。「改憲派」の中心は、結局、法治国家として云々というのは二次的、三次的な問題なのではないかなあ、という印象です(印象にすぎませんが…)。なので、現状に押されるように「歯止め」を明文化しても、それは実質的な歯止めにはなるという気は私にはしません。
     もちろん、歯止めを明文化しようという意図で9条を変えたいという人々とは、もともとの目的は一致するので、対話は成り立つと思うので、ぜひ議論をしてほしいとは思いますけどね。
     他の部分については、基本的に同意です。
     パソコンにまつわるたいていの問題は、ビル・ゲイツの陰謀です。\(^o^)/

    • 管理人 on 2008年5月10日 at 5:16 PM
    • Reply

    >FSMさん
    こんにちは。
    >自民党や民主党の改憲を求める人々(議員たち)の目的は、本当に「憲法が最高規範として有効に機能すること」なんでしょうか?それは口実ではないのかな、というのが私の意見です。
     「戦争のできる国にしたい」、という目的だけのためなら今でもすでにできるようになってしまっている、というのが私の意見です。
    > もちろん、「改憲派にもいろいろいる」ってことなんでしょうけど、↓
     ということだと思います。そして「護憲派」が戦略的に取り込むべきはこの、「ちゃんとした」(?)改憲派なんだと思います。
     決してきくちゆみではない。(^O^)
     あるいは運動としてはその改憲派内の意見の違いこそ、「突きどころ」でもあるわけで、そういうのも全く考えてなさそうだなあ、というふうにも見えます。
    >ということだと、その意味では本来は9条はその歯止めになっていたにもかかわらず、どんどん骨抜きにされていったわけですよね。すると、ここでまた集団的自衛権についての歯止めを明文化したところで、手段的自衛権を行使したい人々が権力の中心にいる以上は、それすらも骨抜きにしようとするのではないか、と思います。
     とすれば、「集団的自衛権は認めない」と書けばいい、ということになるわけです。(「改憲派がそんなのを書くわけがない」というのは当然予想されますが、やってみる価値があるはずなのですが)
     もし(どうやってだかわかりませんが)それが骨抜きになるとしても、それは数十年かかることでしょう。
     少なくともかなり拘束力を持つわけです。
     ネジの巻き直し、ということろでしょうか。
     そういうのを「今までもこうだったから、これからもダメだろう」というところも、どうだろうとは思うんです。
    >「改憲派」の中心は、結局、法治国家として云々というのは二次的、三次的な問題なのではないかなあ、という印象です(印象にすぎませんが…)。
     いやもちろん、基本的に保守というのはそういうもんだと思うんですよ。
     でもそれが(声の大きさではなく)多数であるかどうかはわからないですよ。
     少なくとも憲法というのは、そういった勢力に対抗する以外の機能はないですから、どう有効に機能させるかということこそよく考えないといけない、ということは、かなりの改憲派と共有していると思いますけども。
    >なので、現状に押されるように「歯止め」を明文化しても、それは実質的な歯止めにはなるという気は私にはしません。
     でも、明文の歯止めが機能しないと考えるのなら、「9条がなんらかの歯止めになっている」という認識も変じゃないですか?
     あと、少し前の話題になってしまいますが、気になっていたことです。
    > で、いまの焦点は、発議をさせない、というところだと思うのですよ。
     というところ。
     これはFSMさん自身がどうなのかはわからなくて、直接に投げかけるものではないのですが、いい機会なので。
     これまでの9条護憲派の運動のマズい点は、真っ向勝負の手前の段階で、「そういう土俵はヘンだから乗らない」という運動に終始した点だと思います。そのやり方自体は戦略の1つとしてアリだと思いますが、問題はそれに「終始」した点だと。
     これまでの憲法論議もそうですし、あるいは先の国民投票法について顕著でしたが、「憲法改正自体を国民が望んでいないので国民投票法は要らない」と言って、国民投票法自体を否定し、その中身について語ろうとしなかった。もし語るとしても、「どうせ改憲勢力が自分たちの有利な制度設計をするだけだ」で止まってしまって、結局自分たちは中身にコミットしなかった。
    「反対だが、現実的にできてしまうのであれば、なるべくよいものを」という二段構えの現実的な対応ができないという点です。これでは all or nothing になり、結局「数」で負けている側としては最悪の結果を招くことになると。私自身は国民投票法は非常にいいものができたと考えていますが、9条護憲派の一部(?)はおそらく今でも「あれは最低投票率の規定がないから改憲派に有利な制度設計になっている悪法だ」あたりで納得しているのではないかと。
     もしも本気でそう思っているのなら、ちゃんとした中身の議論をすればよかったのになあ、と思います。
     どうも9条護憲派の議論というのはそういう傾向があるように見えて仕方がないんです。
     だから将来、いざ憲法改正の発議があるという段階になっても、発議自体への反対運動だけに集中してしまい、中身の議論は「相手の土俵に乗る」ことだとしてタブー視され、結局、 all or nothing の勝負になってしまい、さらに負けてしまうという(9条護憲派にとっては)最悪の事態を招くような気がします。

    • FSM on 2008年5月16日 at 1:15 AM
    • Reply

    こんばんは。遅くなりました。
    関連して、エントリをあげてみました。よろしければ御笑覧ください。
    > あるいは運動としてはその改憲派内の意見の違いこそ、「突きどころ」でもあるわけで、そういうのも全く考えてなさそうだなあ、というふうにも見えます。
    というわけで、これも「護憲派」にもいろいろいる、ということになるかと思います。「ちゃんとした改憲派を取り込め」という部分についてはまったく同意です。
     いや、そういう「ダメな護憲派」が目立っちゃうのがまた問題だなあ、とも思うわけですが…。
    次に、
    > とすれば、「集団的自衛権は認めない」と書けばいい、ということになるわけです。
    に関連して。今の状態が、集団的自衛権に向かって突き進んでいるわけで、書かせたとしても、骨抜きになるような言い訳を用意するでしょう。いまの9条は集団的自衛権は認めないということを包含しているわけですから、それでここまで来ているということは、集団的自衛権は認めないと明記しても状況は変わらないと思います。
     いまの9条が歯止めになっている、というのは、「こっから先はダメよ」というような歯止めではなく、政府がなにかをやろうとするときに、そう簡単にはできない(結局引きずられてやられてしまうことが多々あるんですが)抵抗力として働いている、というのが私のイメージです。なので、「集団的自衛権は認めない」と書くという方向での改憲(言葉は悪いですが現状に引きずられる方向での改憲)をすれば、さらにやりたい放題になるのでは、というのを危惧しています。ネジの巻きなおしにはならず、現状追認になるだけではないかなあ、と。
     これは自分のブログでも書いたのですが、改憲を支持している人々も、なぜ改憲を支持していのかを突き詰めていけば、一致する部分はとても多いと思うんですよね。だから、9条護持という一点での運動を進めていくのとは別に、それぞれの問題意識で、あるべき姿について議論をしていくのはとても大事だと思っています。ただ9条護れと叫ぶだけではダメなんですよね。言わないよりはいいとは思っていますが。
     で、最後の部分についてなんですが、それはよくわかります。戦術と戦略がごっちゃになってる人はたぶんとても多い。乗るべきでない場面は当然あって、それはその時の局面で判断されることでしょうけれど、しかしだからと言ってそれしか言わずに何も考えないのはダメですよね。
     記憶にあるのは、だいぶ前の話になりますが、共産党が自衛隊をどうなくしていくかについてのロードマップ(の叩き台みたいなもの)を出したときの、いわゆる「護憲派」の反応です。マスコミの多くの反応もそうだったと記憶してますが、「自衛隊容認」みたいな報道だった。で、「護憲派」は容認なんてケシカランと言う。でも、現にあるものをなくすには、いまどういう状態なのかを冷静に見ないとどうしょうもないですよね。9条護れ、自衛隊はいらん、と言っている人たち、じゃあどうやってなくすつもりなんだろう、と不思議に思ったものでした。
     おそらく、管理人さんが問題にされているのと同根なんだと思いますが、二分法的な発想で、ダメなものはダメというところで思考停止する人びとというのは残念ながら一定程度存在するのだと思います。
     発議について言えば、やはり発議をさせるかどうかというのが第一の山だと思います。が、それはそれとして、9条をどうしていくのか、どう使うべきなのか、日本は世界でどう行動していくのか、という議論は絶対に必要ですよね。
     なんというか、妙に意固地になって、最後に「玉砕」する、というのだけはやめてほしいんですが…。
     ま、護憲派にしても改憲派にしても、考えずに、とか、雰囲気で、とかで結論出すのはやめて欲しいですよね。この国のかたちをどうするのか、って話なので、思考停止だけには陥って欲しくないですね。

    • 管理人 on 2008年5月25日 at 2:33 AM
    • Reply

    >FSMさん
     こんにちは。
     随分遅くなりました。
     教条的な「護憲派」に関しては、やっぱりダメだよね、ということですよね。
    >> とすれば、「集団的自衛権は認めない」と書けばいい、ということになるわけです。
    >に関連して。今の状態が、集団的自衛権に向かって突き進んでいるわけで、書かせたとしても、骨抜きになるような言い訳を用意するでしょう。いまの9条は集団的自衛権は認めないということを包含しているわけですから、それでここまで来ているということは、集団的自衛権は認めないと明記しても状況は変わらないと思います。
     ここが出発点から一致しない?点だと思いますが、私は「今の状態が、(9条が存在するにもかかわらず)集団的自衛権に向かって突き進んでいる」のであって、だったら9条があって他の規定がない分、本来憲法事項であるようなことまでもが内閣の判断で行われることを許すことになるのではないか、と思ってます。つまり、9条の存在が、逆に憲法によるコントロールを困難にしかねないと懸念しています。
     そして9条に対する評価も、「その役目はほぼ終えている」という認識です。これは「これまでちゃんと役に立ってきた」という評価を変えるものではありません。
     このあたりの評価が、FSMさんとお話しして一番明確に違いを感じたところです。
     私はこのことに関して自分が間違っているとは思っていませんが、FSMさんが間違っているとも思っていません。数年後の、来るべき国民投票の時までに考えをまとめようと思います。
     さて、この対話の中で(それまであまり意識していなかったことに)気付いたのは、「9条護憲派」がさまざまであるように、「改憲派」もさまざまだということでしょうか。
     これは実はあまり注目されていなかったことかも、とか思っています。
     「改憲派」はまるで一枚岩のような(勝手な)印象がありましたが、どういう「改憲」をするかについては、実は「護憲派」と同様、あまり話は詰められていないなあ、という印象です。
     特に集団的自衛権については、同じ「改憲」を標榜する人たちの中でも、意見を二分する問題だと思います。
     ……ということは、現実的な問題としては「改正案」には集団的自衛権については明記しない、という方向になるのかもしれません。
     もしそうなるとすれば、「護憲派」はこれに対して、そういう曖昧な改正案ではダメだ、はっきりとした条文を加えよ、との批判を浴びせるべきなのですよ。ただ「反対だから中身にはコミットしない」なんて言っていては影響力ゼロになります。そしてその際には改憲派のどちらかと共闘することも考えられるでしょう。
     その条件設定でちゃんとした条件をつけ、その上で反対運動をするならする。
     これが一番まともな護憲派の運動論だとおもうのですが、まあこれは私見に過ぎません。(^O^)

    • FSM on 2008年5月27日 at 11:52 PM
    • Reply

    こんばんは。
    > 教条的な「護憲派」に関しては、やっぱりダメだよね、ということですよね。
    そうですね。
    昔から改憲派は「憲法を金科玉条にして云々」みたいな批判をすることが多いですが、私からすると、いかにもな藁人形論法に思えてしまうのですが、実際にそういう人々がいるのがつらいところです。
    > このあたりの評価が、FSMさんとお話しして一番明確に違いを感じたところです。
    > 私はこのことに関して自分が間違っているとは思っていませんが、FSMさんが間違っているとも思っていません。数年後の、来るべき国民投票の時までに考えをまとめようと思います。
    これも、そうですね。
    > さて、この対話の中で(それまであまり意識していなかったことに)気付いたのは、「9条護憲派」がさまざまであるように、「改憲派」もさまざまだということでしょうか。

    > これが一番まともな護憲派の運動論だとおもうのですが、まあこれは私見に過ぎません。(^O^)
    私もあまり深く考えてはいなかったのですが、ここでの議論を通じて色々と得るものがありました。で、最近読んだ本、『護憲派の語る「改憲」論』(大塚 英志)はそういう発想で書かれた本だと思っていいと思います。私のところでエントリとしてあげました。
    改憲派との共闘ということでいうと、最近「編集者が見た日本と世界」というブログで考察されていますね(この中のシリーズ「違和感の正体」で。第一回にリンクはってます)。そういう考察が、あちこちでスタートしつつあるのかなあ、という感じがします。
    やっぱり色々な人がいるので、色々なことを考えないとしょうがないのですが、(^^;;
    考えないとどうにもならないのは確かですよね。結論だけ出して終わり、ではどうにもならないので。
    いやいやいや、しかし刺激の多い議論で勉強させてもらいました。(^^)
    どうもありがとうございました。m(_ _)m

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