短絡視点だとは思うのだけれど

 たまたま同時期に重なったことがあって、それは単なる偶然とは思うのだけれど、まあそれはそれ、ちょっと書いておく。

 先日東京に行ったときに上野公園の美術館、博物館の充実ぶりをうらやましく思ったという話を書いたけれど、私がそれ以上にうらやましいと思ったのはその盛況ぶりだった。上野公園は平日の昼であったにもかかわらずまさに「盛況」と呼ぶにふさわしい賑わいぶりだった。「文化」というのはそれを支える人がいて初めて成り立つわけだし、それを読み違えるからこそ各地で「箱モノ」はできたけれど見に来る人がいなくて失敗、なんて事例は後を絶たないわけで。

 そういう意味で、東京は「キャパがある」というか、受け入れる土壌があるんだなあ、と思った。


 他にも先日の東京行で「へえ」と思ったのは、地下鉄で見かけた2つのポスター。1つはモディリアーニ展のもので、もう1つはボナールと誰かだったと思う。こういうのが同時に、普通に開催されているわけですよ。

 いやほんと、いいなあ、と。
 いや私自身はモディリアーニもボナールもさほど関心はないんだけれど、その環境がうらやましい。

 他にも東京で関心?したのは、東京がとても「明治」を大事にしているということ。明治神宮をはじめ、東京の人たちは明治の遺物を非常に大切にしてると思う(明治神宮自体は明治にできたものじゃないと思うけれど)。
 やっぱり東京の人にとって明治というのは忘れがたい時代だったのだろうなあ。
 山手線を揺られているときに、そういうことを感じた。

 一方、大阪。

 大阪市役所は堂島川、土佐堀川という2本の川に挟まれた「中之島」という場所にあり、西には日銀大阪支店、東には市立図書館、その東には中之島公会堂という「中之島の三大洋館」がひしめいている。



日本銀行大阪支店


大阪市立図書館


中之島公会堂


 中之島公会堂は赤煉瓦が綺麗な集会施設で、現在はライトアップも行われている。さらに南側を東西に流れる土佐堀川沿いの通路は冬には木にクリスマスみたいな装飾豆電球がちりばめられデートスポットにもなるオシャレな雰囲気になっている。実は私の大学の入学式も卒業式もここで行なわれた。\(^O^)/

 中之島公会堂は老朽化に伴う修理を2002年に終え、同年に国の重要文化財の指定を受けている。

 大阪は、おそらく大阪以外の人たちにとっては「コテコテ」というイメージばかりだろう。そんな大阪には似合わないくらいのオシャレさが、実は大阪の「中心」地にある。

 ところが先日、古本で買った『建築探偵東奔西走』(藤森輝信著・朝日新聞社)の中之島公会堂の記事を読んで驚いた。

 大阪市はこの建物を、老朽化を理由に建て替えようとしていたらしい、少なくともこの本の出版時の1988年ではそういうことになっている。

 ったく、何を考えているのか。

 Wikipedia – 大阪市中央公会堂を見てわかるように、この建物は岩本栄之助という相場師が寄附した金で作っている。そういうものを古くなったからといってあっさり潰していいものなのか……というより、そもそもそういう発想が出てくること自体が驚異だ。

 そして現在のワッハ髪型上方のお話。

 大阪ミナミの千日前という、上方演芸の中心地にある、上方演芸の資料館(大阪府が経営)を、コスト削減のために橋下徹知事は「場所を変えて存続」との方針をどうやら打ち出すようだ。こんなもん、ここにあるから意味があるってのは、ちょっと考えればわかるだろうに。橋下知事が移転することの前に考えるべきことは、この施設の貸し主である吉本興業に「何とか安くしてくれ」と頭を下げることだろう。しかし吉本もどこで育ててもらったのか。そんなとこからカネ取ってどうするんだ。

 というような話が、この1~2週間で私の中でどっと来たのですよ。

 こういうのを元にして考えると、正直、東京と大阪の文化度の違いはますます開いていくばかりじゃないのかと、ふと思ってしまう。

 いや判ってるよ。これは単にこの1~2週間で私が偶然に見聞したデータだけで判断している、かなり偏ったものであることは。
 中之島公会堂が立て替えではなく修理になったのだって、立て替えを阻止しようと動いた人たちがいたからだし、ワッハ上方だって、残してくれるように芸人が署名集めをしているのも知っている(松竹の人たちばかりだけどね)。

 しかしそういう話が出てくること自体が情けないわけで。

 あと、大阪で東京の上野公園に相当するのは天王寺公園だと思う(大阪市立美術館、天王寺動物園がある)けども、規模ではまったく勝負にならない。まずそれを支える人の数が違う。

 先日、河鍋暁斎の曾孫の河鍋楠美さんと話してて出た話題に、こういうのがあった。
 楠美さんはチャキチャキの江戸っ子で、「江戸っ子は本音をすぐ口走っちゃう。頭悪いから」(^O^)という一方、「京都の人は包んで包んで話すでしょ。あれができない」のだと。で、「大阪の人はすぐ『なんぼ?』って言う。何か一緒にやりましょうと話が決まったら、すぐに『それ、なんぼでできます?』って。一度やると決めたら赤字でも何でもやるのが江戸っ子なのよ。お金なんか関係ない」のだと。
 江戸っ子だねえ。(^O^)
 いや現実的にそれが可能かは別として、そういう気概があるってのはさすがだなあと思った。

 なんかねえ。この1~2週間で、大阪と東京の「格差」を見せつけられたような気がして、どうにもこう、暗澹たる気分になるわけですよ。

 まったく。


 

☆ 古い古いと自国を自慢するが常なる日本人ほど旧物を破壊する民なしとは、建国わずか百三十余年の米国人の口よりすら毎々嗤笑の態度をもって言わるるを聞くなり。

── 南方熊楠『神社合祀に関する意見』より。

 と、熊楠は言ったのだけれど、この「米国人」が東京人、「日本人」が大阪人に相当するように思える。

 きっと大阪(というか、関西)は東京都は比べものにならないくらいに歴史がある。
 江戸(あるいは東京)のような新興都市とは違う、「気づけば、あった」という状況がずっと続いているわけだ。

 そんな状況では、旧物の有り難みというのは認識しづらいのかもしれない。

 「明治を大事にする東京」というのは、そういうことなんだと思う。

 そういえば昔、こういうエントリを書いた。⇒「残してほしい?

 私はここで書いたことと、このエントリで書いたこととは矛盾してないと思うけど、どうだろうか。

突然食いたくなったものリスト:

  • 中トロ、馬刺しの握り

本日のBGM:
御意見無用(いいじゃないか) /MOPS






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