かねて噂の絶えなかった「マサカリ兆治」こと元ロッテ・オリオンズの村田兆治投手(58)の現役復帰が現実のものとなった。
しかも、その契約先はロサンゼルス・ドジャース。
背番号はロッテ時代と同じ29番。開幕登録2時間前という駆け込みの選手登録となった。
村田投手の現役復帰は、同球団名誉顧問のトミー・ラソーダ氏の熱いラブコールに応えたものだという。
ドジャースといえば、ラソーダ監督の下、メジャーでの日本人投手の先駆けとなる元近鉄の野茂英雄(39/現ロイヤルズ)といち早く契約し、成功を収めた。現在でも斎藤隆投手(38)、黒田博樹投手(33)を抱える。
きっかけは4年前(2004年)の4月に行われたドジャース-ロッキーズ戦で村田が始球式の投手を務めたことだった。前年、日本マスターズリーグで54歳にして141キロをマークしていた村田を、ドジャースが招待したのだ。ドジャースは村田に最大限の敬意を示し、現役時代と同じ背番号「29」に「T・MURATA」の名前が入ったドジャースモデルのユニホームも用意した。
ここでベンチから村田の投球を熱い視線で見守っていたのが当時ドジャースの監督だったラソーダ氏(80)だった。
ラソーダ氏はその時から、「ワンポイントならまだまだやれる。この男を再びスタジアムに呼び戻さなくてはいけない。そしてそれは栄光のドジャー・ブルーのユニフォームでなくてはならない」と考えていたという。
実はラソーダ氏は2年前にWBC親善大使として来日したときも村田との面会を希望していた。しかしこの時は村田側から丁重に断られている。村田は「投手は先発完投」との信念を持つ投手だった。たとえメジャーであってもリリーフ要員の話は、考えられなかったのだ。
しかしラソーダ氏は諦めなかった。現在ドジャースの名誉顧問を務めるラソーダ氏は、今年から球団の指揮を執ることになったトーリ監督を説得し、再び村田の獲得に乗り出した。
今年1月30日に行われたマスターズリーグの表彰式の席上、同リーグで場内進行も務めるフリーアナウンサーの石川顕氏が、こんな告白をして話題になった。
「実は、ある球団から、兆治さんに現役復帰してユニフォームを着て欲しい、との誘いがありまして、その仲介役を私が頼まれました。それを兆治さんに話し、促しました。すると、村田さんの答えは、いや現役選手の活躍の場を奪うようなことは出来ない。やはり断ろう、と決断されたんです」
実はこの球団こそ、ドジャースだったのだ。では村田がこの決断を覆したのはなぜか。
それが、ラソーダ氏のこの言葉だった。
「活動の場は実力で勝ち取るものでしょう。あなたはずっとそうやって来たのではないですか? 現役に復帰すれば、あなたにも特等席はありません。彼らから実力でその場を奪わなくてはならないのですよ」
実力で奪い取る ── この言葉が村田兆治という男に再び火をつけた。普通の選手は現役を引退してしまうと「真剣勝負」をやめてしまう。村田はそれを一番嫌った。だからこそ自らに磨きをかけ、研ぎ澄ましてきた。その結果が今でも140キロを投げられる強靱な身体である。しかしこの真剣勝負はあくまでも自分自身に対してのものだった。相手のある真剣勝負をしなくなってどれだけが経ったことだろう。
「まだやれる」「やりたい」
説得を続けるラソーダ氏を前に、そんな言葉が頭に浮かんでは消えた。
「わかりました。やりましょう」
ラソーダ氏の話を遮って、答えた。
こうして3月30日(日本時間31日)、選手登録がなされ、村田兆治投手の「開幕メジャー」が実現した。登録締切の2時間前のことだった。
村田はラソーダ氏に現役復帰の意志を伝えた時、こう続けたという。
「わかりました。やりましょう……でもね、やるんなら俺、先発を奪いますよ」
サチェル・ペイジのもつメジャー最高齢登板記録は59歳。先発で3回を投げている。村田兆治は現在58歳。新たな目標を見据えた男は、ますますその「マサカリ」を鍛え上げている。
なあんてことが、あればいいのに。野球のことあまり知らないから、まともな記事じゃないけど、私の願望です。
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- チョコバナナ
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