昔、倉庫でバイトしていた。
ダイエー系の小さな倉庫で、洗濯機とか冷蔵庫みたいな、そこそこ体積と重量のあるものばかり扱っていた。流通センターみたいなのの下に位置づけられるような?小さい倉庫だった。
どのくらい前なのかあまり覚えていないが、阪神淡路大震災(1995年)前だったような気がするので、まあ30年ちょっと前なのだろう。
その倉庫の管理をしているオジサンとよく話をしていた。
実はそのオジサンは大昔は中内功(ダイエー創業者)の片腕で、期待の新店「光明池店」の店長となったと。その時点から20年ほど前、大々的にまちびらきをした泉北ニュータウン内の旗艦店。確かに片腕だったんだなあと思う。ただしそのオジサンはその後、何かの理由(忘れた)で中内に遠ざけられ、今(私がバイトしてた当時ね)ではここ(倉庫)に左遷されたのだと。(^^;;
で、その方との話の中で教えてもらったダイエー光明池店のトリビアが、とても面白かった。
ただ、面白い話だと思いながらもその真偽についてはちょっと懐疑的でwww、かといって裏取りをするでもなく、たまに
「○○やねんて」
とちょっとした知識のひけらかしにww使う程度で、ある時期からはほとんど忘れてしまっていた。
その話というのは、ダイエー光明池店の外見の話。
もちろん他のダイエー店舗と同じようなデザインなのだけど、1つだけ他の店舗にはない特徴がある。
おわかりいただけただろうか……?
ダイエーマークが今のやつになってるとかは関係ないよ。
↓この写真なら解りやすい。
この、面取りしてる部分。
これが光明池店にしかない特徴。
ちなみにダイエー写真集という素晴らしいサイトに掲載されている1977(昭和52)年撮影の光明池店の写真を見てもこの面取りを確認できる。
光明池店
https://d-gallery.nakauchi.com/shop-photo/?shopid=253
(1977年11月1日撮影と書かれているが、オープンは1977年10月28日でこの写真はオープン直後の写真。他に何もない感が凄い(^^;; )
この面取りが何故あるのか?
ダイエー光明池店は泉北高速鉄道(先日南海電鉄に吸収された)光明池駅の駅前に位置しているのだけども、実はここはちょうど、堺市と和泉市の境界にあたる。
その境界を跨がないように、境界にかかる部分がこうやって切られたのだと! こうすれば税金を両方に払う必要がなくなるわけだ。
楽しい話だ。
……ただまあ、面白くはあるけどどうなん?とは思うよね。(^O^)
そんなえげつない境界線ある? (^^;;
で、この話を記憶の端っこに置いたまま幾年月が過ぎた去年、たまたま父の遺品の中から1985年作成の泉北ニュータウンの地図を見つけた。
懐かしいねえとか思いながら眺めていると……、
おおおおおおお! これは!?
これだ!
マジか?
マジなのか!? (^O^)
わー。
と、この話を一気に思い出した。
あの話は本当だったんだ。
この地図が1985年、オープンの8年後だとまだまだ新店舗だよな。
泉北ニュータウンは泉北丘陵を削って作られた町ということもあるのだと思う。その地図だと現実の地理(後でできたんだろう)を無視して境界線はぐにゃぐにゃしてる。(今はよく解らないけども)
こうなったら見に行くしかない。
というわけで行ってみた。
現地はこうなってた。
おお、やはり!(^O^)
念のため?店長さんにも話を聞いたが、この話はご存じなく、
「多分そういうことだと思います」
という感じだった。
まあしかし、あのオジサンの話と現実は符合していた。
私はあのオジサンの話は本当なのだろうなと思う。
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