もうズブズブやん。(大阪ラーメン)

 このブログでこれまで2度ほど採り上げてきた産経新聞大阪本社社会部の「それゆけ!大阪ラーメン」企画だが……、

「大阪ラーメン」ですか。
結局そういうことか(産経新聞ラーメン部)

 過去2回、あまりいいことを書いていないということは実際に読んでいただければわかると思う。まあできれば読んでいただきたい。

 すでに読んでいただいた皆さんにとっては、2回採り上げてまだやるのかといい加減ウンザリしている人も多いとは思う。私もいい加減しつこいなと、我ながら思う。実際、また採り上げることになろうとは私自身まったく思ってもいなかった。

 さて、私は前回の「結局そういうことか(産経新聞ラーメン部)」というエントリの中で、こう書いた。
 

 【それゆけ!ラーメン部】と銘打たれたこのシリーズ記事は、2011年1月21日付を最後に途絶えている。おそらく「完結」したのだろう。

#いや、ひょっとしたらウェブに上がっていないだけで連載は続いているのかもしれない。ただ、私は産経新聞は取っていないし、産経新聞は縮刷版も出していないので確認もできない。なのでここではウェブの記述をそのまま信じて、連載が終わっているものとして話を進める。もしも実際に連載が続いているのなら、ご存じの方教えていただけるとありがたい。その際は訂正します。

 
 このエントリを書いた時点(2011年5月18日)ではやはり続いていなかったようだ。
 ただ、「完結」したわけでもなかった。

 なんと、「それゆけ!ラーメン部」シリーズに、最新の記事が掲載されたのだ。

【それゆけ!ラーメン部】究極ご当地ラーメンをカップ麺に 年900億食市場へ挑戦(2011/06/11)
【それゆけ!ラーメン部】カップ麺1030種…差別化、ご当地味どう表現(2011/07/09)

↑とか言ってる間にもう1つアップされてた。

 今回、このエントリを書き進めるにあたって、まず1つお詫びしておく。
 新しくアップされていた「【それゆけ!ラーメン部】究極ご当地ラーメンをカップ麺に 年900億食市場へ挑戦」には、
 

 ただ、大阪のご当地ラーメンとして一つの形が提案できたとはいえ、ラーメン部の究極の目標は、あくまで自分たちが提案したラーメンを世に広めること。イベント的に披露した生麺での反響に満足しただけでは、それこそ自己満足に終わってしまうのではないか。

 
 と書かれている。これはまさに私が「結局そういうことか(産経新聞ラーメン部)」で指摘したことであって、私は彼らがこのことをまったく考えていない、すなわち「自己満足に終わってしま」っており、「自分たちが提案したラーメンを世に広めること」が頭にない、ということを指摘し、「バカ」だと書いた。
 しかし今回の記事ではそれについてちゃんと認識していることを示したわけで、これは私の決めつけがすぎたということになるだろう。これについてはお詫びしておきたいと思う。言い過ぎました。ごめん。m(_ _)m

 ただ、それを認識しているからといってそこから出てくる行動がまともかどうかはわからない。正直言って私はそうは思っていないわけで、それがこの第3回の大阪ラーメン関連エントリということになる。

 約5か月ぶりに書かれた記事(「【それゆけ!ラーメン部】究極ご当地ラーメンをカップ麺に 年900億食市場へ挑戦」)にはこう書かれている。
 

 昨年4月のラーメン部結成以来、部の悲願だったご当地ラーメン作りは、カドヤ食堂(大阪市西区)の橘和良さんらの全面協力のおかげで、「甘辛」と「始末」をコンセプトにした渾身(こんしん)の一杯が完成。今年1月の大阪国際女子マラソンの会場で、完成披露を兼ねて一般販売したところ、わずか5時間で千杯を完売し、大きな反響を呼んだ。

 ただ、大阪のご当地ラーメンとして一つの形が提案できたとはいえ、ラーメン部の究極の目標は、あくまで自分たちが提案したラーメンを世に広めること。イベント的に披露した生麺での反響に満足しただけでは、それこそ自己満足に終わってしまうのではないか。

 
 いやそれは確かに自己満足で終わってしまうね。

 だいたい「ラーメン部の究極の目標」とかいう「自分たちが提案したラーメンを世に広める」ための努力って何もしてないじゃないの……というのが、私が前のエントリで書いたこと。

 「イベント的に披露した生麺での反響に満足しただけ」なんだから、ほんと、何もやっていないに等しい。

 では自己満足にならないよう、「自分たちが提案したラーメンを世に広める」ために具体的に何をやるんだろう?
 

 そこで部員たちが協議して考えたのが、カップ麺版の開発だった。

 
 ハァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!????
 

 なぜ生麺ではなく、カップ麺なのか。理由は2つ。一つは素人集団であるラーメン部では、生麺を作れず単発のイベントだけでご当地ラーメンを根付かせるのが困難であること。そしてもう一つは、安価で気軽に食べられる即席麺の商品特性を生かせば、自分たちが提案した大阪ラーメンをより多くの人に知ってもらえる可能性があるからだ。

 
 ええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!!!!????

 もうほんと、むちゃくちゃやね。
 一体どこに行こうとしてるのか彼らは。

 「大阪のご当地ラーメン」を作りたいんだよな?

 何度も引用するが、この企画は日常のこんな会話から始まったという。
 

「そういや、なんで大阪にはご当地ラーメンがないんや?」

「ほんまですね。あってもいいとは思いますが…。ないんなら自分たちで作っちゃいましょうよ」

 
 ここでいう「ご当地ラーメン」という意味が、本当になし崩しになってきていないか?

 「自分たちが提案したラーメン」がまったく大阪の中で認知されておらず広まっていない中で、それを「安価で気軽に食べられる即席麺の商品特性を生かせば、…より多くの人に知ってもらえる可能性があるから」ってアンタ……。

 一体何がしたいんだ。

・大阪の人が誰もご当地ラーメンだと認識していないラーメンを、
・とにかく何が何でも「大阪ラーメン」という名前で売り出して、
・全国にそれこそが「大阪ラーメン」だと認識させたい

 と、こういうわけか。

 だいたい、生麺ではなくカップ麺にすることの理由がいかにも無理矢理考えた感丸出しじゃないか。
 「素人集団であるラーメン部では、生麺を作れず単発のイベントだけでご当地ラーメンを根付かせるのが困難である」って。(^O^)
 できあがって初めてこれに気がついたのだとすればよっぽどのバカだよね。

 一番最初に佐野実に話を持っていったとき、一体何を考えてたんだろう。生麺のラーメンができあがるなんて夢にも思ってなかったんだろうか。

 それにイベントで出すだけが方法なのか? それを考えて実行するのが「ご当地ラーメン」を「自分たちで作っちゃいましょうよ」の意味ではないのか。

※例えば各地のご当地ラーメンがどう成立して広がり、その土地に根付いていったのかを取材すればそれだけで十分面白い記事が書けるだろうし、それらを大阪で実現するにはどういう展開が考えられるか……なんてみんなで考えて実行してみるという記事は、絶対に読み応えのあるものになるはず(実際に作って売るだけが戦略じゃない)。ただしそれはしんどそう。で、今彼らがやってるのはとてもラクそうだ。インスタントラーメン屋さんに乗っかるだけだから。……ま、そういうことなんだろうね。

 すでに成立している他のご当地ラーメンの歴史やそれに携わった人たちを完全に愚弄している。

 愚弄ですよ、愚弄。

 何らかの事情があって、それを隠すために無理矢理に「理由」をでっち上げなくてはいけなかったとしても、こんな言い草はない。

 もうほんと、ラーメンで遊ぶのやめてくれないかな。

 大して知らないラーメンというフィールドに土足で上がり込んで好き勝手に遊びまくって、荒らすだけ荒らしたらまたシレッと次のフィールドに行くわけだ。

 ほんと迷惑。

 本人たちは楽しいんだろうなあ。そんなこと思いもよらず。
 ラーメンは、たまたま目に入った遊び道具って感じなんだろう。

 それがまた腹立つ。

 で、これ↓が仮に成功したとして、だよ。

・大阪の人が誰もご当地ラーメンだと認識していないラーメンを、
・とにかく何が何でも「大阪ラーメン」という名前で売り出して、
・全国にそれが「大阪ラーメン」だと認識させたい

 つまり、このカップ麺がヒットして、全国的に「大阪ラーメンって、こういうものか」と認識されたとして、それ、大阪の「ご当地ラーメン」なの? そうなの? そういうことなの?

 「不毛の地」大阪にご当地ラーメンが誕生したことになるの?

 へえ。

 そうなんだ。

 こりゃ全国でやるべきだね。
 早い者勝ちだわ。

 本題はここで終わり。ここからあとは余談にすぎない。

 さて、ではこれはどういうカップ麺になるのか。

 まあ普通に考えて、去年の4月から始まってカドヤ食堂と協力して作り上げ、今年1月に「完成披露を兼ねて一般販売したところ、わずか5時間で千杯を完売し、大きな反響を呼んだ」という、あのラーメンのことだと思うよね。「自分たちが提案した大阪ラーメン」って書いてるわけだし。

 あのラーメンをカップ麺にどうやって落とし込むのか……みたいなことをやっていくんだろうなと普通は予想する。私はした。

 とっころが。

 これがまったく違う。

 カドヤ食堂店主のブログには、こうある。
 

産経新聞への協力関係解消の御知らせ

……
この度、同社との協力関係を解消することとなりました。

先日、産業経済新聞社が発表した、同企画内のカップラーメン開発に関しましては私および中華そばカドヤ食堂は一切関与しておりません。

また、私が開発を行ってきたラーメンのレシピは産業経済新聞社には開示しておらず、同社が今後で行う一切の行為と私および私の開発したラーメンとは一切関係ございません。
……

 
 あららららららら。

 なんだよこれ。

※一悶着あったようだねえ。結局、企画にメインで協力してくれた店に対して、師匠筋に不義理をさせるような真似までしたってことか。

 何やってんだろう。

 つまり、産経新聞の「大阪ラーメン部」さんは、これまでカドヤ食堂と作ったラーメンのことはまったく「なし」ってことにして、また1から「大阪ラーメン」を作ろうってわけだ。

 わはははは。

 去年4月からの1年以上は一体何だったんだ。

 となるとこの企画は、「大阪のご当地ラーメンをカップ麺にする」ではなくて、「カップ麺を大阪のご当地ラーメンにする」ってことなのよね。
 そりゃ世界で初めてカップ麺を売り出したのは大阪の日清食品であるわけで、まあインスタントラーメン全体を「大阪のご当地ラーメン」と、ゴリ押しすればできなくも……いやできないけどね。(^^;
 しかしそういうことでもなく、彼らはこれから作るある1つの銘柄を、「大阪のご当地ラーメン」と言い張ろうというわけだ。

 大阪だけインスタントかぁ。(^^;; 素敵。

 そこまでして作りたいのかね。大阪の誰もが食べたことのない「大阪ラーメン」(但しインスタント)。

 もひとつ余談。

 「究極ご当地ラーメンをカップ麺に 年900億食市場へ挑戦」には、こういう記述がある。
 

これまでの連載でも説明してきたが、有名なご当地ラーメンには必ず明確なコンセプトが存在する。

 例えば、札幌ラーメンはみそ味のちぢれ太麺、博多ラーメンは豚骨味の細麺、喜多方ラーメンなら豚と魚のWスープの平打ち麺-などの特徴があり、それぞれ一度食べれば味がイメージできる。

 
 あーあ、この人たちはこれを「コンセプト」と呼ぶんだねえ。

 これって、フォーム(様式)とかモード(形式)とか言うべきであって、コンセプト(概念)じゃないよなあ。「コンセプト」の話はとても面倒なのでリンクで誤魔化そう。通り一遍の説明ではあるけれど、ここにはこうある。
 

 商品コンセプトとは、この商品はどのようなものか、誰が使うのか、メリットは何か等をひとことで言い表したものです。コンセプトは商品計画の根幹であり、出発点である、といえます。
 商品開発プロセスはアイデア探索から始まりますが、商品コンセプトとはそのアイデアを発展させ、消費者の言葉で表現したものということができます。

 
 そしてコンセプトに応じてパッケージングから広報戦略までもが決まってくるわけだ。
 開発上いくつかの選択肢が対立すれば、コンセプトに適した方が選ばれる。
 そういうのがコンセプト。
 「喜多方ラーメンなら豚と魚のWスープの平打ち麺-などの特徴」なんて話じゃない。

 まあこれは言葉の問題だから許す……と言いたいところだが、この人たちはこれまでの連載でもずっと「コンセプト」という言葉を使ってきたわけで、ほんまにええ加減な話やなあと呆れざるを得ない。

 とはいえ、彼らが「大阪ラーメン」に対して出している「コンセプト」はまだマシ(「コンセプト」という言葉により合致しているという意味で)。
 

 ではラーメン部が目指す大阪のご当地カップ麺は、どんなコンセプトにすればいいのか。今年1月に完成させた生麺では、大阪人がこよなく愛する「甘辛」と食材を無駄なく使い切る「始末」の精神をコンセプトとして提案し、大阪の食文化を意識したラーメン作りにこだわった。

 食いだおれの街・大阪のご当地カップ麺を目指す以上、ラーメン部としても生麺と同じ「甘辛」と「始末」を企画の柱に据えたい-。エースコック側とのこれまでの協議でも、そこは譲らなかったが、カップ麺でそれをどう表現するのか、具体的にはまだ示せていなかった。

 
 他のご当地ラーメンの「コンセプト」としてみそ味のちぢれ太麺(札幌ラーメン)、豚骨味の細麺(博多ラーメン)、豚と魚のWスープの平打ち麺(喜多方ラーメン)を挙げておきながら、それに対する大阪ラーメンのコンセプトが「甘辛」と「始末」ってのは言葉の使い方として明らかにおかしい。(^^;;;

 とはいえまあ、こっちの方が使い方は合ってるので結果オーライだ。

 もひとつ余談。

 このコンセプト……「甘辛」と「始末」ですか。「大阪人がこよなく愛する「甘辛」と食材を無駄なく使い切る「始末」の精神」ということで。これは生麺でもずっと同じだったんだけども。

 「始末」ってなあ。(^^;

 いや、商人あきんどの心意気として、それはとても大事なことだし文化でもあるが。

 そんなもんは客には関係ないわけよ。

 店が「始末」してくれても「奢って」くれても、客はうまければ(そして安ければ)それでいい。
 「始末」そのものなんて評価の対象にはならない。

 もちろん、店の「始末」が客の利益に結びつくことはある。
 例えば非常に高価ないい素材を使用するが、それを隅々まで無駄なく使い切ることで全体のコストを下げて安い価格で提供したりといったこと。
 あるいは他の部分の「始末」によってその分価格を安くしたり。
 そして「始末」によって店が長続きすることができれば、それはやはり客のためにもなる。
 ただしそれは結局、その店が「うまい/いい店なら」という条件がつくわけで、店の「始末」が客の利益を削いでしまう場合もたくさんある。むしろこっちの方が多いだろう。現実的には。だから「始末」はその結果としていい効果が表れなければ客としては評価のしようもないし、そもそもそれを求めてはいない(客が求めるのは「いい効果」であって、始末ではない)。
 「始末」はあくまでも店側の問題。

 ところが実際、大阪ラーメン部のこの「コンセプト」を受けて、メーカー側担当者はこう言う
 

 「海山素材のうまみを存分に引き出し、大阪の食文化を体感できるような商品を作ることはできるはず。昆布だしというのも大阪らしいアイデアだと思うし、カップ麺を製造する過程で普段は捨てるような原材料を上手に使うことができれば、ラーメン部さんの思いに沿ったカップ麺になるかもしれない」

 
 「カップ麺を製造する過程で普段は捨てるような原材料を上手に使う」ですよ。はい。

 これが「大阪ラーメン」(但しインスタント)……。

 ほんとやめてほしい。

 大阪に多く移住し大きな力を発揮した近江商人が重んじた商売の精神は、

「人よし 店よし 世間よし」=「買い手よし 売り手よし 世間よし」

 の「三方よし」だった。
 客が損をして自分だけがいい目を見る商売はいけないし、両方が得をしたとしても、それが社会の利益に反するものであってはいけない。その商売によって3者が皆利益を得るような商いをすべき、というわけだ。
 これは商売を長く続ける当然の条件であっただろうし、だからこそ商人が身につけておくべき倫理観でもあった。

※「ただし、「三方よし」は戦後の研究者が標語的に用いた言葉であり、江戸時代や明治時代に使われていたものではない。」Wikipedia

 客を喜ばせるための手段を確保するための「始末」ではなく、自己目的化した「始末」がまずありきで事が運ばれる「大阪ラーメン」(但しインスタント)。

 さて、産経新聞大阪社会部ラーメン部さん、エースコックさん。
 この「大阪ラーメン」、三方よしになってる/なるでしょうかね。

 余談の方が長くなっちゃったかな。

 しかしほんと、ひどいねえ。

突然食いたくなったものリスト:

  • 麻婆豆腐

本日のBGM:
チョコレイト・ディスコ /Perfume






コメントを残す

Your email address will not be published.

CAPTCHA