落語の一部分。
●五代目桂文枝「大丸屋騒動」。
俗に刀というのは二通りあるんだそうでございますが。身を守る刀と人を斬る刀。守る刀と切る刀、これはえらい違いでございまして。
守る刀の代表的なのが正宗。切る刀の代表的なのが村正やそうですな。仮に正宗と村正をば、川のとこに置いときます。川上の方から笹の葉が流れてきますと、正宗の刀は笹が除けて通るそうでございますな。ところが村正の方は笹の方から切れていくんやそうです。
まこれくらいの違いがあるんだそうですが。せやさかいに村正という刀はよう祟るんやそうです。徳川家康が危ない目に遭うたんが三遍とも、この村正やったんやそうですが。せやさかい徳川時代には村正という刀は持ってはならんといわれるようなお触れが回りまして。まそうなりますと、この、欲しがるもんですなぁ。これが人の常というやつですな。……
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◆
●三代目桂米朝/二代目桂枝雀「千両みかん」
■番頭が最初に入った店のシーン
米朝版
番頭:みかんはおまへんやろか?
店主:みかん? (店の奥を振り返って)かか!お前「みかん」ちゅうもん知ってるかいおい? え? あの、冬の皮むいて食うみかん、あれより知らん? ……なあ。 (番頭に向き直って)いやあ、「みかん」ちゅうて、あんたの仰るのはあの、何ですかいな、お正月に自分に皮むいて食べるあのみかん、紀州みかんやなんかのあのみかんですか?
枝雀版
番頭:みかんございませんやろか?
店主:み……みかんでございますか? ちょっと待っておくれやす。へえ。しばらく。(店の奥を振り返って)おい、かか、かかぁ! 何ぃ? 子供が寝かかってる? はぁ。いや昼寝はささないかんねんけどな。大きな声出してくれなはんな? いやわかってんねんけど、ちょっと尋ねたいことがあんねや。おまえ「みかん」ちゅうもん知ってるか? え? みか……え? ほぉ、ほぉほぉ……いやいや、そうやよ。ね、そや……いやそのみかんなら私かて知ってるよ。……え? 違うがな。今買いに来てはるよってにね。おかしいなと思て。あれより知らん? そやなあ。私もあれより知らんなあ。……尋ねてみる! はぁ。(番頭に向き直って)ちょっとお尋ねしますけど何ですか? あんたの仰るみかんちゅうのは、ひょっとしてあの寒~い時分に「さぶいさぶい」言いながらいただく、ちょっと黄色いような色がしてて、皮むいたら中に袋になって入ってるっちゅうやつね。あのみかんですか?
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■みかんが蔵から見つかってから千両の値がつくまで
米朝版
問屋:……もうし、1つだけ無傷なやつが出てきましたで。ええ香りがしてるわ。
番頭:売って売って!
問屋:あんた、下駄口上がったらいかん……
番頭:いずれいずれいずれ、いずれ改めて、お礼には伺います!
問屋:ま、ま! ちょっと待っておくれやす。……今あんさん、1分お出しになりました。これがなあ、時期のもんでございましたら1分もお出しになると、箱に何杯というて買うていただけますが、このみかんはちょっと、2分や1両では、ようお売りしまへんねや。
番頭:ごもっともでございます。うっかりしておりました。旬外れのみかん、高いのは承知でございます。どうぞお値段仰っておくれやす。
問屋:それより前にあんさん、何でそんなにみかんがお入り用だんねん?
番頭:実は私は、船場のさる商家へ奉公しておる者でございます。へえ。ところがうちの若旦那がみかんが食べたいという病気にかかりましてなあ。もう飯も喉を通らん。まあ命に関わるというところまでいったんでございます。へえ。でお医者はんがこれは何か思い詰めてる気病じゃと言うて問いただしましたところが実はみかんが食べたいと言う。私がもう夏も冬も忘れてうっかりはぁ食べさしてあげます!て請け負うてしもて若旦さん喜んで待ってはりまんねん。考えてみたらみかんなんかあるわけない。ようようこちらさんに1つございました。これはもう命の恩人でございます。
問屋:さよか……。いやぁ、おおきに。ようそこまでみかんに惚れてくれはりましたな。銭は要りまへん。どうぞ持って帰ってな、ちょっとでも早いことその若旦さんに、食べさせておくれやす。
番頭:いえ、そんなわけ……こんな高い物をタダでいただくというわけには、そんなわけにはいきまへん。どうぞお値段仰っておくれやす。
問屋:いやいや。命に関わるとまで言われてます。どうぞ持って帰って、一刻も早う差し上げておくれやす。
番頭:それでは気がすみまへん。うちの主も船場では……ちょっと、大家とか何とか言われているようなお家でございますのでな、金に糸目をつけんと思います。どうぞあの、遠慮なしにお値段仰っておくれやす。いやそう、そういうわけにはいきまへん。どうぞ……
問屋:いや、で、でっさかいな、他の場合と違いま……え? ああ、さよか。はいはい、はい。……わかりました。いや、そらもう、買うてもらう方がこちらも結構でございます。へえ。ほなこのみかん1つ、千両頂戴いたしまひょか。
枝雀版
問屋:……色つやといい香りといい、寸分違わんちゃんとしたみかん、ひとつございました。……よくせきみかんが御入り用と見えますが、ぜんたいこれはどうしたわけだんねん?
番頭:よう聞いていただきました。実は手前、船場の……
問屋:へえへえ……はぁ、はああ。あらー。……へえへえ。それはよろしおしたなあ。へえ……へえ。それで? へえへえ、ほぉ……はぁ。あんさんが? へえ。ほぅぉお? はぁああ。……あらぁ~~。みかんが食べたい一心で? はぁ、そんなことございますねやなあ……。いや! しかしながらそこまで思い詰められたらみかんも幸せ、またみかんを扱ことります手前どもも、そらもう商人冥利につきるというもんです。さよかそういう事情でございましたかどうぞどうぞ、これちょっとでも早よ持って帰って、若旦さんに食べてもうておくれやす。どうぞどうぞ。
番頭:あのう、お値段?
問屋:もう値段もクソも、人の生き死にに関わることでございます。そこまで思い詰めてもらわれたらみかんも嬉しい、私も嬉しい。ま、ま、どうぞ、持って帰っておくれやす。
番頭:どうぞ、時期外れのみかんでございます。高いの承知でございます。どうぞ値ぇ仰っておくれやす。
問屋:そんなこと言わんとどうぞ持って帰って食べてもろたらこっちも嬉しい、みかんもこれ、冥加が……
番頭:そんなこと仰らんと。高いのはもう承知の上でございます。手前ども、船場ではまぁ、大家と呼ばれておりますので……
問屋:いやあのね、大家とか小家とか、そんなこと……え? いや、まぁ、人の生き死に……はい、そうです。の、そ……はぁはぁ……はい。いや、そら……はい……な……。…………(咳払い/トーンが下がる)はいはい。はい。もう仰るな。はぁ? 今何と仰った? 金に糸目をつけまへん? ……ほぉおおおお、さよか。ご大家でございますか。お金にお糸目をおつけにならん? ああ結構でございます。ほな買うていただきまひょ。そらそら、そらこっちも、有り難いことで。……このみかん1つ、千両いただきます。
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◆
突然食いたくなったものリスト:
本日のBGM:
Fire And Water /FREE
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2 個のコメント
Author
●再アップにあたって
このコメント欄はえらく長くなったので、再アップでコメント欄を再現するのが面倒。(^O^) なのでコメントをそのままずらっと並べます。根性のある人は読んで下さい。
COMMENT:
AUTHOR: 黒猫亭
URL: http://kuronekotei.way-nifty.com/nichijou/
DATE: 06/03/2009 03:40:17 AM
お疲れ様です。折角の書き起こしをウチのコメント欄に埋もれさせておくのも勿体ないなと思っておりましたので、こちらのエントリに仕立てて戴いて安心しました。
こちらのほうは、本日ようやく米朝落語全集を全巻見終えまして、改めて米朝と謂うのは凄い噺家だなと痛感しました。関東のほうでは、志ん朝が生きていたらこのくらいの名人になっていたかもしれないなと思いますが、正直言ってやはり関東の落語と謂うのはよくわからないところがあります。黒門町や圓生のような噺が関東の本流なんでしょうけれど、根が田舎者のせいか少し居心地の悪いものを感じます。
最も米團治系の芸風を継ぐと謂われた吉朝の噺は数本しか聴いたことがないのですが、たとえば「宿屋町」の冒頭で、客引きに出た近在の百姓女の醜貌を論う地語りが長々とありますが、米朝だと素直に笑えるのに吉朝だとちょっと尖って聞こえて、保てていないように思えます。人柄と謂えばそれまでですが、具体的には何処がどう違うんだろうな、と不思議に思いました。とにかく「たちぎれ線香」のような大ネタから「まめだ」のような童話めいた可愛い噺まで、芸の幅の広さには驚かされました。
それと、解説メニューで権藤芳一と謂う人が上方落語の特徴は合理性だと指摘していて、やはりそうなのか、と腑に落ちました。基本的に噺の状況設定やドラマツルギーが、関東化された噺と比べると格段に合理的なのですね。
随分以前にこちらでお話をさせて戴いた「時そば」と「時うどん」でも、上方版のほうは二人連れの片割れが次の日にそっくりそのまま真似をして失敗すると謂う設定は合理的ですが、関東版だと成功した奴を近くで見ていた赤の他人が真似をすると謂う形になっていて、通りすがりの男が赤の他人がそばを喰うところを傍らで頭から終いまで見ていて遣り取りを全部覚えていると謂うのがかなり不自然です。
他の演者で聴いてみると、上方の噺家でも「時そば」ベースの「時うどん」を演じる人もいるようですが、まあ「時そば」のほうがアッサリした噺にはなるとは謂え、わざわざ「時うどん」と銘打ってやることもないように思います。
まとまりのない話で恐縮ですが、まずはこんなところで。
—–
COMMENT:
AUTHOR: 管理人
URL:
DATE: 06/04/2009 02:44:52 AM
>黒猫亭さん
>こちらのほうは、本日ようやく米朝落語全集を全巻見終えまして
うらやましい限りです。
「時そば」の不合理性については常々感じておりました。
あれだけ細部まではっきりと覚えているというのは、かなりリアリティが減殺されていますよね。
「時そば」を聞いていて感じるのは、「時うどん」に比べてリズムを重視しているんだろうなと。前半はもちろん、後半のドジを踏む場面であってもそうで。
そのあたりを重視すると、こういう流れになるのかなと思ったりもします。
ところで前に話題になったかと思いますが、「時そば」「時うどん」の「鰹節驕ったねえ」の件でダシを飲み干す場面が上方ものか江戸のものかというのが気になっているのですが、未だによくわかりません。(^^;
—–
COMMENT:
AUTHOR: 黒猫亭
URL: http://kuronekotei.way-nifty.com/nichijou/
DATE: 06/04/2009 11:57:26 AM
>hietaroさん
>>あれだけ細部まではっきりと覚えているというのは、かなりリアリティが減殺されていますよね。
そうなんですよ。関東版は小さんで聴いたんですが、二番目の男は「これを脇で突っ立って見ておりましたのが、毎度ご厄介になります、われわれ同様と申しますかもう少し…」と紹介され、独り言で一番目の男がべんちゃら言うのが気に入らないとか、食い逃げじゃないかと思ったら銭払ったとか独語ちて、そこで一通り最初から一番目の男のやったことをさらって初めてカラクリに気附くわけですね。
これだと、何で一番目の男が蕎麦を喰うところを二番目の男が最初から最後まで見ていたのか、まったく筋の通った説明はないわけですね。で、仰る通り一言一句違わずすべて口上を諳んじているんですから、何の理由もなく他人が蕎麦を喰うところを見ていて、その様子を全部刻銘に覚えている物凄く変な人と謂うことになるわけで、「われわれ同様と言いたいがもう少し人間がポーッとした奴」だから変なことをしていたんだと謂うことにでもなるでしょうか。これは、変な奴だからその行動に理由附けは要らないと謂うことですから、作劇論の観点では普通はやっちゃいけないことです(笑)。
これが上方版だと、まず二人連れの男がいて、これは手っ取り早く言うと清八・喜六的な類型のコンビですね。清八に当たる人物が「二人で銭を出し合ってうどんを一杯喰おう」と持ち掛けますが、二人合わせて十五文しかなくて一文足りない、そこで一文ちょろまかす知恵を思い附くわけです。
ここからうどん屋との駆け引きは清八が引き受けて、散々煽て上げてうどんを喰うわけですが、全部喰われてはたまらないので喜六が袖を引いて自分にも寄越せとねだる。オレが聴いた枝雀版だとここが繰り返しの笑い所になっているんですが、喜六に廻ってきたのは「汁の中に二筋ほどうどんが泳いだある」ような代物で、一口啜り込んでオシマイになり、大泣きします。残った汁を全部飲み干して、「もう終いやぁ」とまた大泣きします。
それを宥めて清八が勘定を払い、「今何時や」と謂うことになって、十五文で勘定が納まるわけですね。それを喜六が不思議がると清八が絵解きをしてみせて喜六が大いに感心する、そして「自分もやってみたい」と言うんですが、「こらぁ息と間ぁのモンやさかい、おまえには無理や」と言われ、益々ムキになります。
そこで次の晩に一人だけで出掛けて、気が急いていたものだから前の晩より早くうどん屋を捉まえてしまう、と謂う段取りになっていて、こう謂う段取りですから何処にも無理がないんですね。最初から最後まで見ていたのはそもそも二人連れだったからで、全部覚えていたのは自分が真似をする為に一生懸命それを想い出したからです。また、次の日にそれを刻銘に真似するのは、清八よりも臨機応変の知恵がない喜六の場合、まったく同じことをしないと「息と間ぁ」が合わないからです。
枝雀版では、ここで一人しかいないのにもう一人の連れに袖を引かれるところまで再現してうどん屋に気味悪がられると謂う笑い所が設けられていますが、とにかく全部同じにしないと次に進めないのだから仕方がないと謂うロジックですね。これは阿呆は阿呆なりに筋が通っています(笑)。
>>ところで前に話題になったかと思いますが、「時そば」「時うどん」の「鰹節驕ったねえ」の件でダシを飲み干す場面が上方ものか江戸のものかというのが気になっているのですが、未だによくわかりません。
この「ダシを飲み干す」と謂うくだりがあるのは、オレが聴いた三人の演者の中ではオーソドックスな上方版をベースに膨らませたと思しき枝雀版だけでした。何故飲み干すのかと謂うと、前の晩に自分が残った汁を飲み干したからで、そこも同じでないと次に進めないから、鹹くて飲めたものではない汁を我慢して飲み干すと謂う形になっています。「この鹹い汁、全部飲まなあかんのか」とボヤくんですね(笑)。或いはこれは、枝雀版独自の展開なのかもしれませんが。
これが「時そば」だと、一夜目は美味かったからそのまま飲んでいますが、二夜目はそのままだと鹹くて呑めないので湯で薄めてもらっているだけですね。で、上方版でも吉朝の弟子である吉弥の口演は何故か「時そば」を関西弁に翻訳したような構成のストーリーで、枝雀版に似た上方風のくすぐりが随所に混ぜてあると謂う形で、二夜目の汁も鹹いから薄めてもらっているだけですね。
こう謂うバリアントの在り方を視ると、上方と関東の間の複雑な噺の流通経路が想像されてちょっと面白いですね。現在上方落語で行われている「時うどん」には、もしかしたら「時そば」ベースの噺も結構あるのかもしれません。
因みに、上記の説明だとちょっと紛らわしかったと思いますが、枝雀版でもこの二人をとくに清八・喜六だと断っていなくて、名前を出さずに演じているんですが、おそらく元の原話は「東の旅」の各エピソードのように知恵者の清八の機転を鈍な喜六がそのまま真似して失敗する類型の噺だったんじゃないかと思います。
で、仰るように「時そば」はリズム重視の仕方噺と視られているようで、極シンプルにトントンと進めていく話で、枝雀版のようにねっとり絡む感じではないですね。小さんの口演なんかだと、蕎麦を啜る場面で観客から手が来たりしますが、まあ「おそばが見える」国宝級の名人芸ですからここが眼目になっているのでしょうね(笑)。これと「時うどん」の所要時間を比較すると、そばが一〇〜一五分に対してうどんが二十数分で、かなりたっぷり笑わせる噺になっています。
何分「時うどん」「時そば」については参照可能な口演が三本だけで、しかも上記のようなよくわからないバラツキ方をしていますので確実なことは謂えませんが、「ダシを飲み干す」と謂うのは「時そば」にはとくに必要のない描写で、枝雀版のような「そっくりそのままやる必要がある」と謂うロジックに則ったものではないかと思います。
—–
COMMENT:
AUTHOR: 摸捫窩
URL:
DATE: 06/06/2009 04:01:42 AM
>hietaroさん、黒猫亭さん
落語については、知識も経験も不十分な私などが書き込むのもどうかと思ったのですが、偶々子供の頃に繰り返して聞いていた演題に「時そば」がありましたので、ちょっとだけですが書き込みたいと思います。
私が聞いていたのは春風亭柳橋によるものでした。
「~でナ」といった語尾が印象に残る語り口で、今でもほとんど覚えています。
基本的な流れは小さんと同じではないかと思います。時間もかなり短いです。
二夜目の男は「日の当たらない所でぽーと育ったような」と表現されていますね。
ダシについては飲み干すシーンは無くて、二夜目で「お湯を足してくんな。こりゃ辛いんじゃねえや苦えや」と言っていますね。
私の場合は、色々な演じ手を比較したのではなく、むしろ子供の頃に柳橋版を刷り込まれた状況にあるので、以下に記す印象はその辺りを割り引いて見て貰えればと思います。
子供の頃に聞いていた時には、物語の不合理性という部分はほとんど感じませんでした。逆に、後に時うどんを聴いた時には、ちょっとくどいと感じました。成功する男と二人目の男とのやりとりなどが煩いと感じてしまうのですね。
時そばは、小さい頃の好きな噺の一つで、思うにこの噺の面白いと感じる部分というのは、黒猫亭さんの仰るように、リズム感やそば屋を褒める所から代金のごまかしへと至る時のスピード感のようなものではないかと思うのです。柳橋の語りでも銭を数えて時間を尋ねる部分はテンポが非常に良いのです。
つまり、一夜目ではテンポ良く次々とお世辞を重ね、二夜目では同じようにテンポ良く進んでいるようで段々ずれて行くという、くり返しにおけるずれのおかしさのようなものがあると思います。
すると、重要なのはあくまで銭を数える部分をも含めた褒め言葉の連なり部分(そしてこれが繰り返されること)であり、そこをリズム良く語ることが目指されたと考えることができるのではと考えています。
そんな訳で、全体としてのストーリーを成立させるために必要な部分までもがそぎ落とされすぎて、物語や人物像について不合理なものになってしまったという事があるのではないでしょうか。
(勿論、このようなことが起こったことの背景に上方落語との性質の違いというものが当然あったと思います)
—–
COMMENT:
AUTHOR: 管理人
URL:
DATE: 06/06/2009 11:53:29 PM
>摸捫窩 さん
面白いものですね。私は逆に、「時うどん」の方を小さい頃に聞いて育ったもので、柳橋の「~でナ」という口調を初めて聞いたときはかなり煩わしく感じてしまいました。(^^; 「東京の人にはかなり味なんだろうな」とも思いましたが……。
>摸捫窩 さん 黒猫亭さん
江戸版(時そば)はほんとにリズムが重視されていますね。
影で見ていた男が要領よくやった男のやったことを反芻している場面の
「♪ひい♪ふう♪みい♪よう♪いつ♪むう♪なな♪やあ♪何時♪だい♪ここのつ♪でぇ♪とお♪じゅういち♪じゅうに……」
というところが象徴的です。
この部分はどの演者もこのテンポでやってますね。
演者によっては実際に最初の男がこれをやる場面もこれに近いトントントンとした軽快な調子で流しています。(私が聞いた中では柳橋・小さん・小三治・小円遊など)
小遊三だけはこの部分を
「そば屋さん、今何時だい?」
「え? ええっと……確かここのつ時分じゃないかと……」
「ほぉう……そんなになるかな。道理で冷えるわけだい。ここのつかい? とお、じゅういち……」
と演じています。
リアリティだけを考えればそば屋の反応は小遊三の方になるように思いますが、調子を重視すれば前者の名人たちの演じ方になるのでしょう。
小遊三のようなやり方は江戸ではかなり少数派のようで、彼は明らかに意図的にこの場面のテンポを減殺しています。この後の「反芻」の部分ではテンポよく運びますので、やっぱりこの部分のリアリティについて思うところがあったのでしょう。そのあたり彼の落語観が伝わってきて面白いですね。
さて、「芸」そのものを重視するが故にリアリティが後退するという場面は他の部分にも感じていまして。
この演目の中でそばやうどんを食う仕草というのは確かに見せ所で、「名人」と呼ばれる人の口演ほど、このシーンで拍手が起こるものですよね。ほんとにそばがあるようで、見ていて無性に自分も食べたくなる。でも、このシーンはどうしてもその芸を見せることに力点が置かれるせいか、私は子供の頃からここを見るたびに
「その大きさの丼にそんなにたくさんそばは入ってないだろう」
と思っていました。(^^;
一体何回ズルズルとすすりゃ気がすむのかと。(^O^)
食う仕草のリアリティゆえに丼の大きさまで客の頭には浮かぶわけで、そこが四次元ポケットじゃぁなあ。(^^;;
あと、ダシについては飲み干すシーンについては、私が持っている音源の範囲では見つけられませんでした。単なる私の勘違いのようです。
「時うどん」の方も、麺が「2スジしか残ってない」くらい少なかったからこそダシまでも残さず全部平らげたという流れのようですし、「旨かったから飲み干した」とか「普通は飲み干す」という感じではないですね。
—–
COMMENT:
AUTHOR: 黒猫亭
URL: http://kuronekotei.way-nifty.com/nichijou/
DATE: 06/08/2009 02:59:42 AM
>摸捫窩さん、hietaroさん
>>私が聞いていたのは春風亭柳橋によるものでした。
>>「〜でナ」といった語尾が印象に残る語り口で、今でもほとんど覚えています。
六代目柳橋の口演は動画で「こんにゃく問答」と謂う珍しい噺(仕草オチなのでラジオなどでは掛かりません)を一席観ただけなんですが、「睦の四天王」の内でも六代目柳橋と三代目柳好は「調子」で聴かせる落語の代表格と目されているようですね。
今のところ柳好の口演は聴いたことがないんですが、この種の調子で聴かせる噺は、聴き慣れると何度も聴きたくなるのでしょうが、聴き慣れていないと何だか違和感があると謂うのは理解出来ます。
何処かで話したことですが、噺家は同じ噺を何千回も繰り返して語るものだし、落語通のほうでもすでに細部まで刻銘に記憶している噺をやはり何千回も繰り返して聴くものです。そう謂う形式の芸能では、噺自体の具えている物語構造だけでは客に何千回も同じ噺を聴かせられないわけですから、芸で聴かせる部分が出てきます。
リズム重視の落語と謂うのは、極論すれば詩の口誦に近い音楽的な性格があるのかな、と思います。言葉の連なりの音色やリズムが意味性を超えて噺のボディとして客を楽しませるわけで、お好きな方ならたとえばiPodに入れてお気に入りの曲を毎日聴くような感覚の楽しみ方も出来るのでしょう。
>>子供の頃に聞いていた時には、物語の不合理性という部分はほとんど感じませんでした。逆に、後に時うどんを聴いた時には、ちょっとくどいと感じました。成功する男と二人目の男とのやりとりなどが煩いと感じてしまうのですね。
>>私は逆に、「時うどん」の方を小さい頃に聞いて育ったもので、柳橋の「〜でナ」という口調を初めて聞いたときはかなり煩わしく感じてしまいました。(^^; 「東京の人にはかなり味なんだろうな」とも思いましたが……。
この噺の異同は東西の落語の在り方を象徴するようなところがありますので、どちらをベースに置くかで、足し算の印象が発生したり引き算の印象が発生したりする部分があるのだろうと思います。
一応旗幟を鮮明にしておくと、オレ個人はこの歳になって更めて上方噺を聴き込んで落語の面白さを感じた経緯があり、また北陸出身なので関西文化に近縁な感覚の原体験が多いと謂う個人的な事情がありますので、関東落語の面白味はまだ理解出来ていない部分があります。だからどちらかと謂うと個人的にはhietaro さんの感覚に近いです。
一方、摸捫窩さんは幼少時より耳から入って関東落語に親しんでこられた方だと謂うことで、その意味で摸捫窩さんのお話は関東落語の聴き方について大変参考になるご意見だと思っています。ご両人が何を「くどい」と感じるかのポイントと謂うのは、噺に何を求めるのかと謂う部分の違いが出ていると思います。
摸捫窩さんがくどく感じた部分と謂うのは、上のほうで語ったように、この噺の状況が成立する為の合理的な叙述と対話劇の面白さと謂う要素を担っているわけで、関東版ではその部分をバッサリ端折っているわけですね。関東の滑稽噺とその原話に当たる上方噺を比較すると概ねそのような傾向があって、関東版で状況設定的に若干無理や不都合を感じる部分は上方噺だとキチンと説明されていて、関東の噺を先に識っていると「ああなるほど」と納得する場合が多いです。
このように合理的な状況説明と対話劇の笑い所があると、やはりたっぷりと脂っこく粘る印象は免れませんから、ここをくどく感じると謂うことは、落語にそう謂う詳細な叙述要素やご馳走のような滑稽味を求める動機があまりないと謂うことかもしれません。
一方、柳橋の語りの「でナ」と謂うのは、語りの調子の上で必要な要素であって説明的な観点ではまったく意味のない言葉ですから、無意味な言葉が息や呼吸の区切りとして頻出することに煩雑さを感じると謂う感覚もわかります。平たく謂うと、この「でナ」のタイミングと謂うのは演者の息継ぎの間で、一息に語れる章句の繋がりを「でナ」と休止してブレスしていますから、休符みたいな役割ですね。
落語は地語りと対話で構成されているもので、対話は役に入って演じるものですが、地語りと謂うのは演者が客に直接話し掛けている体の地の文です。しかし、柳橋の地語りのように独特の調子が附くと、演者から語り掛けられていると謂う印象よりも、口上や祭文のように既定の章句を諳んじているような印象のほうが強くなり、演者と客の距離が遠くなります。芸を演じていると謂う印象のほうが強くなって、語り掛けられていると謂う距離感の近さを感じない、これも慣れないと違和感を感じる部分です。
また、調子の面から視てみると、柳橋の地語りは上方落語の感覚で謂うと落語と謂うより念仏や講釈に近いような、ゴツゴツした刻み込むようなリズムですね。念仏も講釈も体裁的には「暗誦」や「読み聞かせ」であると謂う共通点があり、対面的なトークではないですから、これらの調子に似ていることが上述の距離感に繋がるのだと思います。
そして、念仏と謂うのは音階を附けずに敢えて平板に抑えた声明に木魚のポクポクと謂う等速のリズムが加わり、節目で鉦がチーンとなるし、講釈の場合は隅々まで輪郭を際立たせた滑舌でやっぱり等速のリズムを刻み、息の継ぎ目で張り扇を「パパンパン」と拍ち鳴らすわけですが、この鉦の「チーン」や張り扇の「パパンパン」に相当するのが「でナ」と謂う語尾なんじゃないかと思います。
これがなかったらどうかと考えると、息を詰めてゴツゴツと等速のリズムで続けた一繋がりの章句を休止するしおがないですから、どうも調子が採りにくい。そこで一旦章句の流れに区切りの語尾を入れて息を継ぐわけですが、単にそれまでの流れを一旦休止するだけであれば、元々文法的には「〜で」だけで用が足りるわけで、文章にすると「〜で、〜で」と「で」で受けてダラダラ続く作文みたいな形になるわけですが、ダラダラ続くこと自体はパロールだとあまり気になるものではありません。
ただ音韻的には、平板に抑揚を抑えた語りが続いてきて、それをただ「で」で受けても区切りの印象が弱いですから、「ナ」と語尾を跳ね上げるわけですね。この「ナ」と謂うのは、それ以外の意味や機能がまったくないわけです。「で」と受けて「ナ」と跳ね上げるから休止の印象が発生すると謂う抑揚上の必要性だけで附いている言葉ですから、これは気にし始めると結構煩瑣く感じます。
また、落語と謂うのは基本的には過剰に謙る芸で、高座ながら客より一段低い存在として自身を位置附けて語るものですから、地語りの部分は一般には使わないような極々の謙譲語と丁寧語で統一されています。その意味で「でナ」と謂うのはかなり砕けた言い回しで、言ってみればタメ口ですから、少し乱暴に感じないでもないです。
これが「でしてナ」であってもかなり砕けた印象が発生しますから、語尾を「ナ」と跳ね上げる調子と謂うのは、普通の話し方の感覚で考えると物凄く馴れ馴れしい口語的な印象を与えるわけですが、これが通るのは、柳橋の風貌によるところが大きいように思います。あの如何にも大家のご隠居さん然とした風貌の故に、お爺ちゃんから昔話を聞かされているような印象があるわけで、そのような印象に則るなら、多少砕けた言い回しが出ても味に感じるわけですね。これが若い頃だとどうだったのかな、と思ったりしますが、流石に柳橋の若い頃なんて想像出来ません(笑)。
まあ、このような調子を自然に受け容れるなら、別段意味的に不必要な語尾が頻出しても、語りの謙った口調から考えて不整合でも、それが元々無意味な音素であるからこそリズムの区切りだとしか認識されないものなのでしょう。ただ、個人的には、独特の調子による口誦芸的な距離の遠さと、お爺ちゃんの昔話的な「でナ」の馴れ馴れしさの間にギャップを感じると謂うのが正直なところです。
長くなりましたから一旦切りましょう(笑)。
—–
COMMENT:
AUTHOR: 黒猫亭
URL: http://kuronekotei.way-nifty.com/nichijou/
DATE: 06/08/2009 03:02:39 AM
>>そんな訳で、全体としてのストーリーを成立させるために必要な部分までもがそぎ落とされすぎて、物語や人物像について不合理なものになってしまったという事があるのではないでしょうか。
>>さて、「芸」そのものを重視するが故にリアリティが後退するという場面は他の部分にも感じていまして。
お二方が指摘されているような違いがたしかにあると思います。これに上方の豪奢を以て「粋(すい)」と見做す好みと、江戸の簡潔を以て「粋(いき)」を感じると謂う好みの違いが加わって、かなり性格の違う芸風になっているのだろうと思います。
大分わかってきたような気がするのですが、江戸の芸能においては芸と謂うのはリアリズムでなくても絵空事で好いのですね。「時そば」のような仕方噺において蕎麦を喰う仕方が眼目となるのは、芝居の所作事のような感覚だと思うのですが、芝居の所作はリアリズムではないのだと思います。
たとえば物売りを演じるのでも、合理的なリアリズムで真似をするのではなく、物売りのイメージを喚起した上で美しい所作として完成されていなければならない。まあ、江戸の場合は、芝居の所作と現実の物売りの所作が相互的に影響し合って、物売りの所作自体が芝居懸かってきたりしてややこしいですが(笑)。
芝居の好みで謂えば、江戸の荒事好みに対して上方の生世話好みと謂うようなことも謂われますが、これはやはり上方ではリアリズムや合理的作劇への志向が強いと謂うことかもしれません。
荒事と謂うのは、これはもう荒唐無稽な話が多いわけで、現代の作劇的な基準で視たら逸脱だらけで絵空事も好いところですが、岡本綺堂によると昔の芝居通は芝居に内面描写とかテーマ性なんてものはまったく要求していなかったそうですから、これはやはり役者や芸を観に行くわけで、相対的に物語それ自体の意味構造に対する要求要素は少ないわけですね。
対するに生世話の作劇と謂うのはかなり緻密なもので、創作当時の現代を舞台に採っているだけに、荒事のような荒唐無稽さは浮いてしまいます。心中物では主人公たちを追い詰めて行くシチュエーションの設定やイベントの組み立てが相当合理的に練り込まれていて、物語それ自体の構造に対する要求要素が厳しいと感じます。
この辺の嗜好の違いが落語の違いにも表れていて、関東の噺では「全体としてのストーリーを成立させるために必要な部分までもがそぎ落とされすぎ」ると謂うことにもなるのだろうと思います。前述の通り、上方ダネの滑稽噺が江戸に移植されると、大概引き算の作劇になるのですね。その結果、物語構造の合理性としては一定の欠落を抱える形になり、芸としての虚構性が強くなる。江戸の寄席の客は噺に合理的なリアリズムを要求しない気風だったわけですね。
この引き算の翻案で流石にどうかと思ったのは、江戸落語で「家見舞」、上方噺としては「祝いの壺」とか「せんち壺」と呼ばれる噺で、ちょっと鼻白むような乱暴なスカトロネタなんですが(笑)、二人組の男が知人の転宅見舞に託けて祝い酒にありつこうと謂う料簡で、少ない手持ちの銭で何か手土産を買おうとします。
内々に「水壺が欲しい」と謎を掛けられていたので、瀬戸物屋に行って一番安い壺を買おうとするんですが、手持ちの銭で間に合うのは便槽として使われていた曰く附きの壺しかなく、やむなくそれを担ぎ込んで祝い酒にありつくわけですが、出て来る料理がみんなその壺の水を使っているので、事情を識っている二人組はげんなりしてアテが外れる、と謂う噺です。「水壺」と謂う上方特有のアイテムが出て来ますから、これが元は上方ダネであることがハッキリしていますね。
これは関東版で聴くといっそ物凄く乱暴な噺で、取り壊した古い家から掘り出した便壺と謂うことになっていますから、臭いや汚れが染み附いていて名実共に汚い壺であるわけですね(笑)。ところが、原話の上方噺のほうではこの壺にはもっと来歴があって、さる大家のご隠居が原因不明の高熱に浮かされ明日をも知れぬ容態になり、医者にも匙を投げられていたところ、さる高名な易者が「これこれの方角にこれこれの便所を作って一度用を足せばたちどころに全快するだろう」と言うので、藁にも縋る想いでその通りにすると本当に嘘のように高熱が去って命拾いをする。
この便所はその為に一回きりしか使わなかったので、用が済んだら取り壊してしまうわけですが、便壺に用いたのはそれなりに高級な壺なので、ただ棄てるのも勿体ない、好かったら引き取って便壺として売って幾らかにでもしてくれと瀬戸物屋に持ち込まれたわけですね。こう謂う仕込みの段取りがありますから、実質的にはそれほど不潔な壺ではないわけで、綺麗に洗ってありますから、来歴さえ識らなければそれほど不都合はないわけですね(笑)。
で、そう謂う曰わく附きの壺を水壺として贈ってしまうと謂うのも乱暴な話に変わりはないんですが(笑)、関東版だと識っていようがいまいが不潔なことに変わりないので、いずれ「恐ろしいこと」が起こりそうな気がして厭な気分になるんですが(笑)、上方版だとまじないで一度しか使っていないので印象は全然違うんですね。
つまり、その壺を水壺として使って問題があるのは、それが元々一度きりにもせよ便壺として使われたと謂う事情を識っている人間だけに限定されるわけで、要は「気持ちの問題」に一本化されるわけですね。だから、贈られたほうは識らぬが仏で、後々食中毒が発生するようなこともなかろうけれど、贈ったほうの人間は来歴を識っているから、どんなに豪勢な振る舞い料理が出ても気持ちが悪くて口に出来ない、自業自得でアテが外れるわけですね。
で、両方を聴き比べると、やっぱり便壺の来歴を語る部分がそれなりに重い。ここを関東版では思い切り端折って「取り壊された住居跡から掘り出した便壺」で済ませているわけですが、これだと上方版のような最低限の配慮もなく、ひたすら不潔な印象の噺になってしまうわけですね(笑)。こらもう、この家からコレラだのチブスだのが発生してもおかしくないような大事になってしまうわけで(笑)、ちょっと説明を端折るにしても考えてくれよとか思いました。
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AUTHOR: 管理人
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DATE: 06/12/2009 05:54:51 AM
「口調」というのは確かにかなり重視されているようで、しかも江戸落語の方画素の傾向は強そうな気がします。これについてふと思い出したので起こしてみました。
これは春風亭小朝の「子ほめ」のマクラ部分です。
(改行が入るほどの間ではないんですが、読みやすいように適当に改行を入れます)
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われわれ落語家というのはこの昭和の世の中で、果たしてこれから「名人」というのができるかという、よくまあ寄ると触るとそういう話題になるんですねえ。
ええ、実際に名人が生まれるかどうかということなんですが、まあ、まず生まれません。というのはですね、あの、われわれは凄いんですよ。とにかく層が厚いんです。ですから若手がどんどん伸びてこられないんですね。よく言うと「層が厚い」んですが、早い話が「年寄りが丈夫」という、それだけのことなんですけれども。
で、若手がですね、小さい頃から落語をやってないんですね。たいがい高校卒、あるいは大学卒で入ってきます。圓生師匠のように6歳から舞台に立っていたなんていう、そういう人はいないんです今。ですからもう発酵する時間がないですから、ある程度出来上がるとすぐこう、高座にかけていくという現状ですからね。なかなかそう、いい芸というのが聴けないんじゃないかなという気がいたしますけども。
でこないだ児童心理学の先生と話をしてましたらば、子供の将来は6歳で決まるというんですね。でまあ学者によって3歳という方もいますが、どっちにしましても言語関係は6歳までが勝負なんだそうです。
じゃあそういうことを全部ひっくるめて名人を作るにはどうしたらいいか? 1つだけ方法があります。
6歳までが勝負ですから、6歳までにある1人の名人に預けちゃうんですね。
例えば亡くなった圓生師匠あたりに1億くらい積んで預けちゃう。落語のウマいヘタというのは半分ぐらいまでは口調が占めるといわれてますから、口調の流暢な方に預けちゃうんですね。そのかわり1億積んでますから、なんでも圓生師匠がやります。おしめの洗濯も圓生師匠がやりますね。子守唄も圓生師匠が歌いましてね。寝る頃になりますと枕元のところにやってきまして、民話の本やなんか読むんですね。「向こうから、桃が流れて来るてぇと……」なんてことを言うわけです。と、子供の頭の中に圓生師匠の口調がゴンゴンゴンゴンと入りますから、小学校上がる頃になると「お父さん、行ってまいりやす」なんて……。
じゃ話がうまければ誰に預けてもいいかってえとそんなことはないんですよ。その口調が子供に合う合わないってのがありますからね。亡くなったからいいようなもんですけども私の大師匠に林家彦六というのがおります。元正蔵ですね。あの師匠だけはダメです。……
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まさに、「落語のウマいヘタというのは半分ぐらいまでは口調が占めるといわれてます」ってことなんですねえ。
上方でも関東ほど目立たないにしても、やはりある程度はあるのでしょうし、……というか、あまねく「話術」「話芸」で口調がウマいヘタに影響しないものはなかろうとも思いますが。
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AUTHOR: 黒猫亭
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DATE: 06/17/2009 06:13:27 PM
>hietaroさん
とうとう少しは元手を掛ける気になりまして(笑)、米朝の著作を三冊ほど取り寄せましたので、子供向けの入門書の「落語と私」くらい読んでからお返事しようと思って今まで伸び伸びになりました。いや、名著と謳われるだけあって為になりますね。
>>「口調」というのは確かにかなり重視されているようで、しかも江戸落語の方画素の傾向は強そうな気がします。
この辺について、江戸落語にも上方落語にも目配りが利いていて系統的な知識を持つ米朝がどのように言っているのかと思ったら、「落語と私」にはまさに「ちょっと気どった江戸落語」と謂うそのまんまな章題の一節があります。
「上方の落語が野天でおこり、やりにくい条件のところで、大衆に銭を出させて生活してゆくためには、芸人はあらゆる努力をして、庶民を笑わせ、喜ばせ、とにかくお客に受けるものをぶっつけてゆくほかはなかったのですから、その姿勢なり芸風なりが、お座敷で粋にはなしがやれる江戸とは違ってきて当然でして、それは今日にまで尾をひいて東西の落語の特質の差違となっています。
江戸の落語には、風流人の楽しみと言ったような要素がむかしから濃厚にあります。それは俳諧、狂歌、川柳と言ったものと通じ合いますし、芝居や音曲を好む、文人や茶人の趣味とも一致しています。
はなし家の名前一つでも、狂歌師が言葉の洒落による名前をよくつけたように——例えば四方赤良(よもあから)、暁鐘成(あかつきかねなり)、紫檀楼古木(したんろうふるき)など、江戸の落語家の名前にはこれと同趣向の風流なものが多いのです。」
この前段で「はなし家と謂うプロ乃至セミプロの芸人」の嚆矢として挙げられているのが、江戸の鹿野武左衛門、京の露の五郎兵衛、大阪の米沢彦八の三人で、この三人が相前後して現れ、最初は三人ともよしず張りの小屋がけで演じていたが、このうち鹿野武左衛門が早くも落語を座敷に持ち込んで「座敷しかた噺」と呼ばれるようになった、とあります。
で、江戸落語が野天から早々に座敷に入ったについては、元々江戸では俳諧の運座のような形で素人連中が自作の小咄を持ち寄って選者の宗匠に優劣を判定して貰う小咄コンクールのような「はなしの会」と謂う催しが盛んに行われていた、と謂う流れがありまして、その素人連中の中から話芸の達者な者がプロの芸人となったわけです。
ですから江戸の落語は最初から座敷のものだったわけですね。俳諧の運座の連続上にある「はなしの会」で芸の優れた者が専門の芸人になって、最初は大道芸でやってみたが結局座敷に戻ってきて、それで職業として成立したと謂うことのようです。この当時の「座敷」と謂うのは、料理屋や貸席、神社仏閣で、そう謂う場所で開かれる「はなしの会」で謝礼を取って愛好者に小咄や謎かけを語ったわけですね。
そう考えると、江戸落語と謂うのはそもそも最初から自分でも小咄を語るような愛好者の間で広まった芸事だったと謂うことになりますから、その種の芸事にまったく関心のない通行人の耳をも欹てさせ、一人でも多く聴かせて銭を出す気にさせるように努めた上方の噺家とはまったく条件が違うわけですね。
謂わば江戸落語の噺家は元々趣味の芸事で技倆・才能の抽んでた演者が、専門の演者とレッスンプロ的な宗匠格のような位置附けも兼ねたと謂うことで、今で謂えばガンプラのトップモデラーとか高橋名人みたいな存在だったわけです(笑)。ですから、聴き手にも聴き巧者的な芸事の素養を求める部分がある。一方の上方落語の噺家はそのような特殊な技芸環境の背景を持たない大衆向けのエンタテナーですから、聴き手に芸事としての落語の素養を求めない性格が強い。
オレのような下地のない者でもすっと上方落語に入って行けたのは、東西の落語の性格にそう謂う違いがあるからではないかと思います。つまり、上方落語と謂うのは素人が聴いても面白く楽しめるように出来ているが、江戸落語と謂うのは、或る程度上手い下手がわかってきて下地が出来ている必要があって、洒落や洒脱のわからない聴き手まで楽しませるほどサービス精神が旺盛な芸ではないわけですね。
自分でもやってみると謂う姿勢で玄人の芸に接し、その芸の味を堪能する、みたいな感じでしょうか。実際、米朝によると素人落語の歴史と謂うのは昭和初年から戦後くらいの二〇年くらいの間ちょっと途切れただけで、二〇〇年以上連綿と盛んに続いているんだそうです。江戸の大衆文化には、そのような素養を持っているのが一人前の江戸っ子の嗜みだ、と謂うような文化的矜恃が濃厚にあって、中流くらいの町人の間では芸事や稽古事が盛んに行われたわけですね。
と謂うわけで、口調の問題に辿り着く前に長くなってしまったので、一旦分けます。
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AUTHOR: 黒猫亭
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DATE: 06/17/2009 06:15:26 PM
>hietaroさん
>>まさに、「落語のウマいヘタというのは半分ぐらいまでは口調が占めるといわれてます」ってことなんですねえ。
この小朝の話なんですが、まあマクラの洒落と謂うこともあるんでしょうけれど、少し理路に混乱があるのかな、と思わないでもないです。昭和の当時の最新トピックである臨界期のネタを芯にしている関係上、ちょっと言語習得の問題と技芸の早期教育の問題が混同されているのが混乱している原因かな、と思います。
>>で、若手がですね、小さい頃から落語をやってないんですね。たいがい高校卒、あるいは大学卒で入ってきます。圓生師匠のように6歳から舞台に立っていたなんていう、そういう人はいないんです今。
この辺からすでにちょっとアヤシイわけで(笑)、昔の時代性で謂っても圓生や柳橋のように子方から噺家になった人と謂うのは寧ろ特殊例だったわけで、噺家はそもそも世襲職じゃなかったですし、元々名跡と謂うのは他人が継ぐのが当たり前だった。また、内弟子制度を考えても、商家の丁稚みたいに稚ない子供を内弟子にとったわけではないですよね。
前段で触れた素人連中の中で、好きが昂じて芸人になりたがった道楽者みたいな者が噺家になったわけで、堅気の親ならどんなに貧乏でも倅が噺家みたいな先の見えないやくざな商売に入るのは厭がったわけです。なので、昔から、今で謂う高校や大学の落研から弟子入りみたいな入門コースがお定まりだったわけですね。
たいがいの場合は親や周囲の反対を押し切って自分の意志を通せるだけの年齢になってから入門しているわけで、昭和の話だとはいえ、あの米朝にしてからが大学を卒業して就職した後の入門です。噺家の息子が継ぐ場合でも、それなりに大きくなってから改めて内弟子に入るわけで、ほんの子供の時分から落語の専門的な訓練を積んでいた噺家なんてのは、圓生のように母親が別れた夫の莫大な借金を背負って女手一つで子供を養っていると謂う、芸人にでもなるしかなかった家庭事情でもない限り、そんなに多くはなかったと思います。
小朝の話をちょっと整理すると、多分これは江戸言葉の問題になるんじゃないかと思います。つまり、関東にしろ上方にしろ、落語で用いられている言葉と謂うのは、今の言葉じゃないですよね。上方落語の場合は、どうしても他の地方の人間にはベースがわかりませんから、何を聴いても同じ「関西弁」に聞こえますけれど、本来これは「明治頃までの大阪言葉」でなければならないわけですね。奈良、兵庫、和歌山辺りの言葉じゃないですし、況や現代通用している「大阪弁」でもない。
関東のほうでも、本来は「幕末頃の江戸言葉」乃至は「明治の頃の東京言葉」でなければならないわけで、それはつまり、古典落語で語られる噺の時代設定が大概その頃で固定されているからですね。だとすると、少なくとも対話劇の部分のセリフは江戸言葉なり東京言葉なりでなければならない。これは上方の場合も同じで、古い大阪言葉でなければならないですから、いずれにせよ落語を本格的に修行するには、昔の言葉を技芸として習得する必要があるわけです。
これは言語感覚の問題になりますから、それこそ六歳くらいのときに圓生にべったり面倒をみさせれば、少なくとも圓生の習得した江戸言葉が容易に習得可能になります。ここで圓生が引き合いに出されているのは、勿論昭和の時代の大名人と謂うこともありますが、マクラや地語りはおろか日常会話も江戸言葉で通していた最後の噺家だからと謂うこともあるんじゃないかと思います。
また、対話劇の部分は当然江戸言葉乃至東京言葉で演じるとしても、マクラや地語りはどう謂う言葉で語るのか、と謂うのは一つの考え所なんではないかと思います。圓生のように平生から江戸言葉で通していれば、「圓生と謂う特定個人」が語るマクラの部分も、米朝謂うところの「無人称のナレーション」である地語りの部分も、シームレスに同じ江戸言葉で通すことが出来ます。
しかし、それは単に圓生が明治後期の生まれで、ギリギリ幕末の江戸言葉が一般に共有されていた時代に言語を習得したと謂う固有のバックボーンがあるからで、幕末の江戸言葉や明治の東京言葉は今や誰も遣っていない歴史的な言語であるわけです。そうすると、たとえば戦後生まれの世代の人間が日常生活で江戸言葉を遣っていたりすると、幾ら噺家でも不自然だと謂う感覚は否めません。江戸言葉が一般に共有されていた時代性と一切接点がないですから、それは芸の為に習得した人工的な言葉の遣い方だと謂うことが強調されてしまうからですね。
そうすると、現代の関東の噺家は或る程度江戸前の雰囲気を匂わせながら今でも通用する話し方をするしかないわけで、対話の部分は江戸言葉と決まっていますから、そこの雰囲気を損なわないようにどうやって語り口を確立するかと謂うところが考え所になってくるのではないかと思います。全部江戸言葉で通すと謂うのは、ちょっと素の人格が出るマクラとの兼ね合いで難しいと思うので、江戸言葉っぽい標準語と謂うのが相場なんではないかと思います。
この辺、上方落語でも同じ問題はあるはずで、対話劇の部分の古い大阪言葉の習得は今ではけっこう難しいようで、たとえば和歌山辺りの出身の噺家が大阪言葉の習得に苦労すると謂う、非関西圏の人にはちょっとピンと来ないような問題もあるわけですが、上方落語の場合、いずれにせよ「標準語ではない」と謂う部分がちょうど好い緩衝になっているのではないかと思います。
関東落語の場合、標準語と江戸言葉と謂う微妙に近似しているけれど全然別物の言葉を遣い分けた上で一本の噺の中で喧嘩しないように馴染ませる必要がありますし、標準語は日本全国で通用する公式な人工語ですから、江戸と謂うローカリティの雰囲気からは少し違和感があります。
江戸言葉と謂うのは、それが生きて通用していた時代性においてはやはり一種のローカル言語だったわけですね。その個別のローカリティは、標準語の人工性や近代性、公共性とは相性が悪い。その点、上方落語の場合は標準語が介在しないので、ローカリティ自体は保持されますから、マクラや地語りの部分が多少現代の「大阪弁」や噺家の出身地寄りの「関西弁」でも関東落語より違和感は少ない。
翻って小朝の話を考えると、たとえば幼少の頃から圓生に育てさせることで何が可能になるかと謂うと、標準語の習得に先駆けて生活言語として江戸言葉の純粋培養が可能になる、と謂うことになるのかな、と思います。文章として書き下すとまったく標準語と変わらない言葉も、江戸言葉のネイティブスピーカーが口にするとやはり端々にローカリティが滲み出るものだと思いますが、これはそれこそその言葉が生きて通用している環境でないと身に付かない。
古典落語において固定されている時代性と、噺家が生きる時代性との時間的な乖離がますます進行していくと、その辺の問題がどんどん難しくなっていくんではないかと思います。おそらく、関東落語が抱える口調の問題としては、これが一番大きいのではないかと思います。
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AUTHOR: 管理人
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DATE: 06/20/2009 04:58:14 AM
>黒猫亭 さん
『落語と私』は単行本と文庫本の2冊持っているはずなんですが、私も読み返してみます。
>自分でもやってみると謂う姿勢で玄人の芸に接し、その芸の味を堪能する、みたいな感じでしょうか。実際、米朝によると素人落語の歴史と謂うのは昭和初年から戦後くらいの二〇年くらいの間ちょっと途切れただけで、二〇〇年以上連綿と盛んに続いているんだそうです。
そういえば、ちょうどもうそろそろ締め切りのはずですが、上方落語協会会長の桂三枝を審査員にして、アマチュア落語のコンテストが行われます。
このあたり、落語を盛り上げるのにとてもいいことだと思います。
>この小朝の話なんですが、まあマクラの洒落と謂うこともあるんでしょうけれど、少し理路に混乱があるのかな、と思わないでもないです。
あ、これはですねえ。
「理路に混乱がある」理由は、「マクラの洒落」だからではなく、もっと明確なんだと思います……。(^^;
要はこの人、「名人は自分だ」と言ってるんですね。(^^;
春風亭小朝 – Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%A5%E9%A2%A8%E4%BA%AD%E5%B0%8F%E6%9C%9D
桂文楽 (8代目) – Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A1%82%E6%96%87%E6%A5%BD_(8%E4%BB%A3%E7%9B%AE)
あたりに書かれているように、この人は中学時代にラジオ番組で5週勝ち抜きチャンピオンになり、審査員の桂文楽に「ぼっちゃん、よござんす。噺家におなんなさい」と声をかけられ(文楽はいろんな人にこう言っていたそうだけれど)、15歳で春風亭柳朝に入門、高校に通いながら修業をする……なんて経歴なんですよね。この経歴を引っさげといて、
「で、若手がですね、小さい頃から落語をやってないんですね。たいがい高校卒、あるいは大学卒で入ってきます」
なんですよ。(^^;
で、小学校かそれ以前からやっている自分というのは今の世代はレアケースであり、これは高校、大学からやりだした噺家が努力で追いつけるものではないと。
で、最終的に「圓朝はオレだ」と言ってるわけで。<言ってない。(^^;
……という話は置いといて。
>小朝の話をちょっと整理すると、多分これは江戸言葉の問題になるんじゃないかと思います。
いや、この部分は江戸言葉云々以上に、やっぱり「口調」なんではないかなあ、と。前に話に出た「~でナ」といった。だからこそこの話の後に林家彦六がオチとして挙がるのだろうと思うんですけども。
江戸言葉が関東人にとって耳に心地のよい、リズム感があるものであるのなら(多分そうなのだと思うのですが)、それはそれで最終的には江戸言葉を習得することがリズムのいい落語(=いい落語)ということにつながるとは思います。
ふと思い出しましたが、うちのサイトの<今号の名言>に、
というのがあります。神崎さんがラジオでしゃべっていたのを取ってきたものですが、やはり江戸の落語はリズムの良さが身上なんですよね、きっと。
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AUTHOR: 黒猫亭
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DATE: 06/20/2009 06:19:40 PM
>hietaroさん
>>要はこの人、「名人は自分だ」と言ってるんですね。(^^;
ああ、そう謂うふうにズッパリ言って戴けると助かります(笑)。ちょっと小朝をどう評価しておられるのか量りかねましたので言葉を選びましたが、オレ、小朝の芸風はどうも「俺は上手いんだぞ」と謂う傲りが鼻に附いて嫌いなんですよ(笑)。
仰る通り、小朝は自分の語り口調に絶大な自信があるんでしょうね。たしかに流麗と謂うことでは見事な語り口なんですが、なんか志ん朝みたいに男くさい江戸前の芯が一本通った流麗さとは違って厭らしい芸に感じます。
>>で、最終的に「圓朝はオレだ」と言ってるわけで。<言ってない。(^^;
なんか小朝が圓朝を継いだら厭だなぁ(笑)。漱石が絶賛した小さんの名跡については全然思い入れはないですが、綺堂が感銘を受けた圓朝をあの小朝が継ぐと思うと何だか気持ちよくないですから、話が流れてよかったです(笑)。
まあ、こう謂う止め名に近い大名跡を宗家から譲り受けるに際しては、宗家の家族が今後一生生活を維持していけるだけの莫大な金額を提示する必要があるそうなので、小朝の名にも自分が作った知名度が附いている以上、それだけのメリットはないと謂うことなんでしょうね。
>>で、小学校かそれ以前からやっている自分というのは今の世代はレアケースであり、これは高校、大学からやりだした噺家が努力で追いつけるものではないと。
柳家小三治なんかも高校時代にラジオ番組で十五回合格をもらったなんて華々しい経歴ですけれど、高校卒業してからの入門じゃ遅いってことですかねぇ(笑)。たった三年の違いなんですが。もっとも、小三治は若い頃に師匠の小さんから「おまえの噺は面白くねぇな」と真顔で言われて相当悩み苦しんだみたいですが。
>>いや、この部分は江戸言葉云々以上に、やっぱり「口調」なんではないかなあ、と。前に話に出た「〜でナ」といった。だからこそこの話の後に林家彦六がオチとして挙がるのだろうと思うんですけども。
まあ小朝の自慢話を真面目に考えるのもアレなんですが(笑)、オレは彦六がオチに附いているから逆に江戸言葉の問題になるのかなと思ったんです。つまり、圓生と彦六を並べる意味と謂うことですね。
これはどちらも江戸言葉を生活言語として使っていた世代の代表的な噺家と謂う共通項があって、彦六なんて江戸っ子の頑固爺さんの代名詞みたいに謂われていますよね。ところが、あの通りヨイヨイな独特の口調ですから、彦六に附けると口調まで伝わっちゃうからどうもよろしくない、と。
口調を問題にするのであれば、逆に口調の流麗な噺家を二人並べて、でも後者は江戸言葉じゃないからダメとかそう謂うオチになるのが筋ですよね。勿論彦六は自分の大師匠ですからネタにしやすいと謂う気安さもあるでしょうが、やっぱりこの話は喩え話としては相当混乱していると思います。
結局、小朝自身が口調の問題と江戸言葉の問題と芸の上手い下手の問題をとくに分けて考えずに語っている為に、どっちつかずな話になっているように思います。で、これがわかりにくい話になっているのは、小朝の落語観としてそれらは全部同じことなんだと謂う前提をすっ飛ばして話をしているからかな、と。
多分、ニュアンスとしてはhietaro さんが仰るように、江戸落語の要は江戸言葉が本来持っているリズムや調子にあって、それは口調の流麗さを決定する要素でもあるし、芸の上手い下手を決定する要素でもある、彦六みたいに生粋の江戸言葉ながら変な癖のある口調でそれが味になっていて上手い芸になっているのは「あとの半分」の特殊例なんだよ、と謂うことを、かなり乱暴に語っていると謂うのが真意なのかなと思います。
「落語のウマいヘタというのは半分ぐらいまでは口調が占めるといわれてます」と謂う部分で、芸の良否と口調の良否と謂う二つのパラメータを直結して考えているわけですし、そこにさらに江戸言葉の良否と謂うパラメータも直結してこの三つを同じことだと考えているわけですね。ただこれ、個人的にはやっぱり分けて考えるべき事柄なんじゃないかな、と思うので違和感はあります。
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COMMENT:
AUTHOR: 管理人
URL:
DATE: 06/22/2009 02:55:00 AM
>黒猫亭 さん
いや、きっと小朝⇒圓朝の目は、まだ流れてませんよ。
今の長老がいなくなった頃この話は必ずもう一度出てきて、次は襲名まで行くんじゃないかと思っています。勝手な推測ですけど。
落語中興の祖……というか、現代落語の実質的な始祖とも言えるのかもしれませんが、こちらの人間にとってはやっぱり圓朝というのは遠い存在です。
しかし江戸にとって圓朝の大きさというのもわかって、泰葉の「生きてるうちに圓朝を見ようよ」という言葉は、なかなか重いなあと思ったり。
>柳家小三治なんかも高校時代にラジオ番組で十五回合格をもらったなんて華々しい経歴ですけれど、高校卒業してからの入門じゃ遅いってことですかねぇ(笑)。たった三年の違いなんですが。もっとも、小三治は若い頃に師匠の小さんから「おまえの噺は面白くねぇな」と真顔で言われて相当悩み苦しんだみたいですが。
どういう事情か知りませんが、小三治は孤高ですね。
しかし、うまい。
ただ、何でしょうか……。
「楽しいけれど少し切なさがあふれ出る」
みたいな点で、小三治と枝雀が、私の中では結構かぶるのですが、あふれ出る分量が、小三治の方が多いような気がします。(^^;;;
何なんでしょうねえ。
>「落語のウマいヘタというのは半分ぐらいまでは口調が占めるといわれてます」と謂う部分で、芸の良否と口調の良否と謂う二つのパラメータを直結して考えているわけですし、そこにさらに江戸言葉の良否と謂うパラメータも直結してこの三つを同じことだと考えているわけですね。ただこれ、個人的にはやっぱり分けて考えるべき事柄なんじゃないかな、と
Author
思うので違和感はあります。
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AUTHOR: 管理人
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DATE: 06/22/2009 02:55:00 AM
>黒猫亭 さん
いや、きっと小朝⇒圓朝の目は、まだ流れてませんよ。
今の長老がいなくなった頃この話は必ずもう一度出てきて、次は襲名まで行くんじゃないかと思っています。勝手な推測ですけど。
落語中興の祖……というか、現代落語の実質的な始祖とも言えるのかもしれませんが、こちらの人間にとってはやっぱり圓朝というのは遠い存在です。
しかし江戸にとって圓朝の大きさというのもわかって、泰葉の「生きてるうちに圓朝を見ようよ」という言葉は、なかなか重いなあと思ったり。
>柳家小三治なんかも高校時代にラジオ番組で十五回合格をもらったなんて華々しい経歴ですけれど、高校卒業してからの入門じゃ遅いってことですかねぇ(笑)。たった三年の違いなんですが。もっとも、小三治は若い頃に師匠の小さんから「おまえの噺は面白くねぇな」と真顔で言われて相当悩み苦しんだみたいですが。
どういう事情か知りませんが、小三治は孤高ですね。
しかし、うまい。
ただ、何でしょうか……。
「楽しいけれど少し切なさがあふれ出る」
みたいな点で、小三治と枝雀が、私の中では結構かぶるのですが、あふれ出る分量が、小三治の方が多いような気がします。(^^;;;
何なんでしょうねえ。
>「落語のウマいヘタというのは半分ぐらいまでは口調が占めるといわれてます」と謂う部分で、芸の良否と口調の良否と謂う二つのパラメータを直結して考えているわけですし、そこにさらに江戸言葉の良否と謂うパラメータも直結してこの三つを同じことだと考えているわけですね。ただこれ、個人的にはやっぱり分けて考えるべき事柄なんじゃないかな、と思うので違和感はあります。
このあたりの(これは上方の商人言葉が今の大阪人もわからないという噺も含めて)実感が、どうにもあまりないのですね。もっとたくさん聞いていったら、体験的にわかるようになるのだろうなあと思うのですが。
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AUTHOR: 黒猫亭
URL: http://kuronekotei.way-nifty.com/nichijou/
DATE: 06/22/2009 06:12:07 PM
>hietaroさん
>>今の長老がいなくなった頃この話は必ずもう一度出てきて、次は襲名まで行くんじゃないかと思っています。勝手な推測ですけど。
これは実際のところはどうなんですかねぇ。オレの個人的な感触としては、多分ないんじゃないかとは思っています。勿論、百年以上途絶えていた圓朝の大名跡復活・襲名披露興行と謂えば、正蔵だの三平だのを遙かに超えるビッグビジネスになりますから、関東落語界全体の趨勢が「でかい花火を上げよう」と謂う流れになればどうなるかはわかりませんけれど、小朝自身の意志としては乗り気じゃないと思います。
圓朝と謂う存在はすでに関東落語界では神格化されていて、幕末から明治期の人ですから、速記録が残っている一方で当然口演の音源とか映像が残っていないですよね。つまり圓朝は絶対的に上手かったと謂う神話だけが残されているわけで、これは、どれだけ現代の噺家が頑張って芸を磨いても、実在しない神話的な幻想には絶対勝てないと謂うことですから、圓朝くらい大きくて長らく途絶えていた名前を継いでも、本人には自己満足以外のメリットは何にもないんですね。
また、百数十年誰も継がなかったことで、「圓朝の名前は誰も継げない」「圓朝を継ぐほどの名人は今後出ない」と謂う固定観念が醸成されたことも大きいですね、これもまた神話の一種です。多分圓朝の没後に予定通り圓右が継いでいたら、これほど神話的な名跡にはなっていなかったと思います。実際高弟の圓右の襲名が決定していたわけですから、本来継げる名跡のはずだったのが、圓右の頓死によって何となく継げない名前になっただけなんですが。
小朝はそれまで存在しなかった「春風亭小朝」と謂う名前だから、小朝は凄い、小朝は本物だ、と謳われていますが、これが三遊亭圓朝になったら神話と比べられちゃうわけで、絶対「圓朝の器じゃない」「思い上がるな」と謂う話になるに決まっているわけですね。今生きている誰一人として実際に圓朝の噺なんか聴いたことはないはずなんですが、現存するどんな噺家よりも上手いに決まっている存在として概念化されているんですから、原理的に絶対勝てないわけですね。小朝が「神様の名前だからダメだ」と固辞したのはそう謂う意味だと思います。
これはつまり、単に春風亭小朝の芸の評価が名前との相対評価で無意味に下落すると謂うことですから、損にしかならないわけです。で、小朝の意識としても、圓朝を名乗ることで満たされる虚栄心や権力よりも、自分の芸に対する自信やプライドのほうが重要なんじゃないかなと思いますから、そんな、どれだけ上手かったか今では誰も識らない名前のせいで、今まで築き上げてきた芸の評価が下落するのはたまったもんじゃない、損にしかならない、と謂う意識じゃないですかね。
また、圓朝の名前を継ぐと止め名扱いの圓生(こちらもいろいろ襲名の動きはありますが)を超える存在として三遊派の総帥となり関東落語界の最大権力者になるわけですから、いろいろ不自由にもなってきます。小朝は若手の頃に落語協会分裂騒動も視ているわけですから、たとえば六代目圓生のような面倒くさい権力者の立場に立つことを望んでいるかと謂えばそうでもないと思うんです。そんなことをしなくても、そのうち年寄りがどんどん死んでいけば自然に落語協会会長の座に就くわけですし。
これは、小朝自身が欲しがっていたことがはっきりしている正蔵の場合とは全然違うわけで、先代の正蔵は海老名家に頼み込んで一代限りで継がせてもらった彦六ですから、彦六の芸がどんなものだったかは多くの人が識っているし、多分小朝は癖のある彦六の芸が相手なら正統派の自分が名前負けしないだけの自負はあるんでしょう。ならば、海老名家と彦六の双方に縁故を持つ小朝が正蔵を継ぐのが最も円満な解法ですが、その正蔵をこぶ平が継いでしまったからには、もう欲しい名跡はないんじゃないですかね。
先般の襲名話も、藤浦宗家の側から小朝に打診して、小朝のほうでのらりくらりと躱したと謂うのが実態のようですし、宗家の思惑としては噺家を輩出したわけでもない自分の家系が借金の形で預かった神話的な名跡を死蔵するより、名前を落語界に還すことで金銭的な保証を得ることが双方にとって最善だと謂う考えで、だったら人気・実力共に現在関東落語界の頂点にいる春風亭小朝が適任だと謂うお見立てでしょう。これは小朝にとっては有り難迷惑だったと謂うのが本当のところかな、と思います。
ただ、周囲からの声望に押される形で「芸道未熟な身ながら関東落語界振興の為に死命を賭して粉骨砕身精進します」みたいな形になったらわからないですね(笑)。小朝の厭味なところって計算高いくせに善人ぶりたいところだと思いますので、お膳立てが整ったら或いは在り得るかもしれないな、とは思います。多分そうなったら、小朝個人の資産だけではなく、思惑絡みのカネも動きそうな気もしますし(笑)。
…と謂うところで、小三治については一旦コメントを分けます。
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AUTHOR: 黒猫亭
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DATE: 06/22/2009 06:17:59 PM
>>「楽しいけれど少し切なさがあふれ出る」
これは何なんでしょうね。オレは小三治の噺をそんなに聴いたことがないですが、仰ることはわかります。小三治の芸は、何だか妙に深い。
例によってネットの動画で小三治が出演した「プロフェッショナル」を観たんですが、この人の言うことは一々何だか考えさせるんですね。基本的な落語観はどうやら師匠の小さん譲りのもので、米朝が語るような合理的な方法論とはまた違うんですが、一言で言うなら「超越」を前提に置いているように思います。
たとえばこれまでhietaro さんとお話ししてきた米朝の落語観と謂うのは、一種客観的な合理性がありますよね。これこれの手段によってこれこれの理路のいて観客にこれこれの反応を及ぼす、と謂うような合理性があるわけで、物凄く実践的な技術論でもあります。そのような計算が出来るのが芸人の話芸のプロフェッショナリティだと謂う認識ですね。
一方では小さんの芸論は何だかわかったようなわからないようなもので、「狸を演じるには狸の料簡にならなきゃいけねぇ」と謂う類のものです(笑)。また「プロフェッショナル」で語られていた「笑わせるんじゃない、登場人物をリアリティを持って演じることで客が自然に笑うんだ」と謂うのが小さんの落語観で、これが小三治にも受け継がれているわけです。
これは落語の挿話構造や話者と観客の間の伝達プロセス、笑いのメカニズムを分析的に考えるようなアプローチではなくて、話者の内面から出るものが観客にも超越的に感応すると謂う発想ですから、落語をコミュニケーションの観点からテクニカルに考えるのではなく、自身の感じ方と他者の感じ方の間で超越的に伝わるものを前提に置いているわけです。
その感じ方や伝わり方を分析的に捉えるのではなくて、それはそう謂うものとして一旦措定して、感じ方や伝わり方を芸人の内面の問題と捉えて磨いていく、そう謂う落語観のように思います。何と謂うか、こう謂う捉え所のない思想と謂うのは、小三治のような生真面目に突き詰めて物事を考える人を過剰に追い詰めてしまうように思います。幾らとことんまで突き詰めて考えても、分析的には捉えられていない超越的な伝達を措定しているわけですから、これでいいと謂う到達点がない。
しかも師匠の小さんからそれまでの芸を「おもしろくない」と一言の下に全否定された上でそれを打開するアドヴァイスを何も貰えなかったわけですから、大変苦しい芸道人生だったんではないかと思います。そうは謂っても、たしかに若い頃の小三治のイメージと謂えば、何だか強面の仏頂面をした無骨そうな芸人と謂う印象があるくらいで、当然落語の上手い下手なんてわからない子供の頃の印象ですから、あんまり面白い人と謂う印象はありませんでした。
これはつまり人柄にフラがなかったと謂うことで、それを自覚させられてから、物凄く突き詰めて「面白いとはどういうことか」を考えてきたわけですね。そのように悩み抜いて芸を突き詰める過程においてリウマチを患ったわけですが、自身も認めているようにこの経験は結構大きかったのかなと思います。
リウマチと謂うのはとても痛い病気で、それでも一生附き合っていかなければならない宿痾ですから、発症後のQOLはやはり低下します。生きていると謂うことはただそれだけで痛いことだったり辛いことだったりする上に、自己免疫疾患ですからリウマチの治療には死と隣り合わせの不安が附随するわけで、そのような恒常的な苦痛や恐怖や不安を受け容れてそれと附き合っていかなければならないわけですね。
この病気を得た経験が小三治の芸に活きていて、多分そう謂う「生きていると謂うことはただそれだけで辛いことなのだ」と謂う感じ方は、昔は結構一般的だったんだと思うんですよ。落語に出て来る人々は、噺の上では暢気にご陽気に馬鹿馬鹿しく世渡りをしているわけですが、そのリアルな背景にはそのような生の苦痛や不安がやっぱり確実にあったわけですね。古典落語はそれを引きの視点で笑い飛ばしているだけなんですが、そう謂う感覚って現代人にはちょっとわからなくなっているんだと思います。
おそらく小三治は、尊敬する師匠から芸を否定されて悩み苦しんで、挙げ句に辛い病気を背負って一生痛みや不安と附き合っていかなければならなくなって、そう謂う経験が小三治の噺に切ない奥行きを与えているのかな、と思います。この人自身、明日死んでもおかしくないと謂う不安や、自分の身体が自分でどうにもならないと謂うもどかしさや辛さを抱えて生きているわけですから。
「プロフェッショナル」で小三治は、モギケンの「人間は何故笑いを必要とするのか」と謂う問いに対して、「ただ笑っちゃうんじゃないの? 笑っちゃうことで嬉しくなって、人間て、笑ってる自分が好きなんだと思うよ」と答えていますが、痛みを受け容れることでこう謂う心境に辿り着いたんじゃないでしょうか。
人間は多分、楽しいから笑うとか幸せだから笑うんではなくて、どんなに辛い状況に置かれたり哀しいことが起こっても、おかしいことを見たり聞いたりするとただ笑ってしまうのだし、笑ってしまうことでちょっと嬉しくなって、そう謂う嬉しさが人間を活かしているんじゃないか、と謂うような。
>>このあたりの(これは上方の商人言葉が今の大阪人もわからないという噺も含めて)実感が、どうにもあまりないのですね。
小朝は多分、物凄く恵まれているんですよ。才能もあるし健康だしスタートラインも早かった。華があってフラがある。小三治とは違うんですね。あんなに突き詰めて「面白さとは何か」を血を吐くような思いで考え込む必要はなかった。だから小朝の落語観と謂うのは、恵まれた人の一種素朴な信仰なんじゃないかと思ってしまうんですが(笑)。
本当はこの三つは全部別のことなんじゃないかと思うんですが、小朝には分けて考える必要がわからないんじゃないかと思います。
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AUTHOR: 管理人
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DATE: 06/26/2009 02:44:29 PM
>黒猫亭さん
>小朝はそれまで存在しなかった「春風亭小朝」と謂う名前だから、小朝は凄い、小朝は本物だ、と謳われていますが、これが三遊亭圓朝になったら神話と比べられちゃうわけで、絶対「圓朝の器じゃない」「思い上がるな」と謂う話になるに決まっているわけですね。今生きている誰一人として実際に圓朝の噺なんか聴いたことはないはずなんですが、現存するどんな噺家よりも上手いに決まっている存在として概念化されているんですから、原理的に絶対勝てないわけですね。小朝が「神様の名前だからダメだ」と固辞したのはそう謂う意味だと思います。
固辞は「神様の名前だから」「まだ早い」という意味だと受け取っているんです。(^O^)
まだ長老が生きてる現段階では……と。
>先般の襲名話も、藤浦宗家の側から小朝に打診して、小朝のほうでのらりくらりと躱したと謂うのが実態のようですし、
との部分なんて、藤浦宗家の側からの打診が、宗家の見立てだけで(小朝側の意向を無視して)行われるのも不自然かとも思います。これだけ大きくて、実際、金銭面、長老の意向など他の「ハードル」も高い名前ですから、その中で「圓朝襲名」は「打診」をするだけでも大事件なわけで。むしろ小朝側(本人ではないかもしれませんが)からの意向がなければ「打診」は有り得ないとも思います。
だから、小朝にとってこの話は「降って湧いたありがた迷惑な災難」では決してないと思います。
>ただ、周囲からの声望に押される形で「芸道未熟な身ながら関東落語界振興の為に死命を賭して粉骨砕身精進します」みたいな形になったらわからないですね(笑)。小朝の厭味なところって計算高いくせに善人ぶりたいところだと思いますので、お膳立てが整ったら或いは在り得るかもしれないな、とは思います。多分そうなったら、小朝個人の資産だけではなく、思惑絡みのカネも動きそうな気もしますし(笑)。
むしろ小朝は長老がいなくなってからその形に持っていこうと着々と準備を進めているようにも見えますね。
その時期に東西の落語界のトップにいるような人たちを今のうちにかなり押さえている(正蔵も含めて)と。
で、その段階になって反対の声もなくなってから全会一致で「神」になる。
そんなことを考えているんじゃないかなあと思います。
>小朝は多分、物凄く恵まれているんですよ。才能もあるし健康だしスタートラインも早かった。華があってフラがある。小三治とは違うんですね。あんなに突き詰めて「面白さとは何か」を血を吐くような思いで考え込む必要はなかった。だから小朝の落語観と謂うのは、恵まれた人の一種素朴な信仰なんじゃないかと思ってしまうんですが(笑)。
だからこそ、「神」になろうとも本気で考えるのではないかと。
黒猫亭さんにとっては甚だ不快でしょうが。(^O^)
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AUTHOR: 黒猫亭
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DATE: 06/26/2009 05:56:04 PM
>hietaro さん
うーん、どうも相当確信が強そうですね。それにはhietaro さんなりに内的な根拠がおありのことと推察致しますので、それほど小朝個人の人柄を識っているわけでもないオレがこれ以上押して異論を唱えると謂うのも水掛け論ですので、オレ個人のスタンスとしては判断保留と謂うことにさせて戴きますね。
ここはhietaro さんの確信に乗っても好いような気もしますが、客観的な事実関係の整合性については少し疑問が残ると謂うところもありまして、それをちょっと説明させて戴きます。たとえば、
>>との部分なんて、藤浦宗家の側からの打診が、宗家の見立てだけで(小朝側の意向を無視して)行われるのも不自然かとも思います。これだけ大きくて、実際、金銭面、長老の意向など他の「ハードル」も高い名前ですから、その中で「圓朝襲名」は「打診」をするだけでも大事件なわけで。
と謂うロジックは、ちょっと循環論法気味かな、と思わないでもないです。そう謂う一方的な形で打診が行われたから流れた、と謂う解釈のほうが自然で客観的な説得力があると思うのですね。「だからこそ小朝の側にも圓朝を継ぐ意向があったはずだ」と謂うロジックは、正直言ってよくわかりません。
ここでちょっとウィキの当該箇所をリンクします。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E9%81%8A%E4%BA%AD%E5%9C%93%E6%9C%9D#.E6.AC.A1.E4.BB.A3
ここで記述されている事実関係に基づくなら、プレーンな解釈としては、積極的に持ち掛けたのは宗家の側で、小朝当人は乗り気ではなかったから旗幟を曖昧にしたと解釈しても不自然さはない、つまり「小朝の側にもそう謂う意向がなければこのような打診が行われるはずがない」と解釈すべき理由はないのですね。
この形のアプローチなら、小朝の側にそう謂う意向があろうがなかろうが自然に成立してしまう状況説明ではあると思うのです。ですから、小朝の側に圓朝を継ごうと謂う意欲があったか否かと謂うのは、事実関係からの推理ではなく、「小朝個人に対する心証の問題」に一本化すると思うんです。
宗家との交渉があった当時は小朝サイドの人間であった泰葉の証言でも、小朝が圓朝襲名に乗り気ではなかったことを不満視しているわけですし、あの泰葉がそう謂うことについて、少なくとも泰葉視点では事実であることを隠蔽して嘘が吐けるとはちょっと思えません。これはオレ個人の泰葉に対する心証ですね(笑)。
小朝の側にそのような意向があったと判断可能な材料は、事実関係の観点では一切ないわけで、寧ろ宗家の側で圓朝の名跡を現役の噺家に継がせたいと謂う動機(金銭的なものか別のものかはわかりませんが)があって、その候補として人気・実力・財力を兼ね備えた小朝が見込まれ、内々にアプローチを進めていたけれど、結局相手が乗り気ではなかったので流れた、と謂う解釈が妥当かなと思います。
ただこれは、事実関係だけを視れば、と謂う話で、小朝個人の人柄についてのたしかな心証をお持ちであって、その心証に基づくなら小朝は圓朝の名跡が欲しいはずだとお考えであれば、事実関係の上で小朝が乗り気でないように見えるのは全部表面的な擬装に過ぎない、こう謂う形で伏線を張っておいて周囲の反応を視て、年寄り連中がみんな死んでからじっくり計画を進めるつもりだ、と謂う解釈もhietaro さん個人の状況認識としては成立するわけですね。
前掲リンク先で宗家が「現在、小朝が圓朝の名跡を継ぐことはあり得ません」と明言しているのも、「現在」と謂う留保にどれだけ重きを置くかで解釈は異なります。そのような可能性が「現在」あり得なくとも、「将来」あり得ると謂う示唆ととることも可能ですが、それは結局事実関係からは決定不能な事柄だと謂うことです。事実関係の上では襲名を持ち掛けた側とされる宗家サイドが将来に含みを残すのは自然だからですね。
ですからこれは、「真実はどうであるのか」と謂う観点の問題と、「事実関係から妥当性を以て推測可能なのはどのような事柄か」と謂う観点の問題の間のギャップではないかと思います。前者の観点で謂えば、小朝個人の人柄についての心証は無視して好い要素ではないですから、hietaro さんのご意見にも十分傾聴すべき部分はあるけれど、おそらくそれは後者の観点からは推定不能な事柄なのではないかと思うのですね。
オレ個人のプレーンな状況解釈としては「小朝の側に圓朝を継ぐ積極的な意志はない」と視ていましたが、それに対してオレよりも小朝当人の個人性を識るhietaro さんの心証として異論が提示されたので、その意見を否定するだけの強い心証は持ち合わせていないから判断を留保する、しかし客観的な状況証拠についてはhietaro さんの心証を支持する積極的な材料はないと視ている、そう謂うことになります。
これはまあ、断るまでもないことだと思いますが、小朝が圓朝を継ぐのが不快だからその可能性はないと視ているのでないことだけは、一応明言しておきますね(笑)。
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AUTHOR: 管理人
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DATE: 06/27/2009 05:06:37 PM
>黒猫亭さん
いやまあ、確信……といいますか、こちらの方もありそうだというくらいの話なんですが……。(^^;
私の方は事前に東京ポッド許可局の方を聞いてましたので、どうしてもそちら側の見方もアリかな、なんて思ってしまっています。
陰謀論じみてるかな? (^O^)
●”小朝”論三部作
【第23回“小朝”論】
■東京ポッド許可局 第23回配信 ―小朝論、補足―
【第38回“小朝”論その後】
■東京ポッド許可局 第38回更新
【緊急特番“泰葉”論―小朝論,完結編】
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AUTHOR: 黒猫亭
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DATE: 06/27/2009 07:39:15 PM
>hietaroさん
>>陰謀論じみてるかな? (^O^)
放送を聴かせて戴いた限りでは、「よく出来た物語」に感じますね。ここで語られているロジックはすべて「そうとも解釈出来るけれど別の解釈も出来る」事柄に基づいた仮説ですし、その仮説の弱さを別の仮説で補って、さらにその仮説の弱さを別の仮説で…と相持ちの仮説を積み上げていって、「これだけ状況証拠が揃っているのだから間違いない」と謂う落とし所ですから、まあロジックの構造は陰謀論と同じだと思います。
この種の消極的仮説の相持ちは、やろうと思えば幾らでも積み上げることが出来ると謂うのは、陰謀論に関する議論を通じてhietaro さんもご承知のことと思います。要するに「MMR」とあんまりロジックが変わらないんですね。
で、人間のやることについての言及ですから、それはそれで好いんです。以前自分のところで語ったことですが、多くの陰謀論と謂うのは大概馬鹿げた「物語」に過ぎませんけれど、人間は陰謀を行う生き物ですから、陰謀自体は実在する可能性が常に残されているものですよね。ですから、表面的に見えている事実関係の裏に陰謀を視るのは、人間の性みたいなものだと思いますし、時としてそのようなほぼ無根拠な憶測が当たっていることも在り得ます。
この放送でタツオ氏が語っているのは「小朝が圓朝の名跡を狙っている」と仮定した場合に成立し得る謀略劇のストーリーであって、このストーリーが仮定を支持する根拠になっているわけではありませんよね。その仮定はまずタツオ氏の強い願望から出ている憶測であって、そのバイアスに基づけばそのように見ることが出来ると謂う、この方個人の「心証」なんですね。
この方はこの方なりに、多分オレやhietaro さんよりも落語界の裏事情に詳しいのかもしれませんから、その「心証」には表面的な事実関係を超えた直観的な確からしさがあるのかもしれませんが、そう感じるか否かと謂うの、オレやhietaro さんがこの方個人の「心証」にどれだけ信を置くかと謂う「心証」が基準になるわけです。
そして、この放送でしかこの方を識らないオレは、この方が小朝の圓朝襲名を熱烈に望んでいると明確に表明しておられることから、おそらくこれは確信犯の希望的観測だろうと謂う「心証」を得ました。
この方はとても落語界の事情に詳しいのかもしれませんけれど、もしかしたら自身の願望に背くような裏の事実や心証を聴き手に隠している可能性も五分であるわけですね。だとすれば、後はこの方がどれだけ本気でこの憶測を語っているのかと謂う「心証」の問題になってくるわけですが、この方自身が希望的観測であることを半ば公言しているわけですから、これはまあ、話半分に受け取っておくのが妥当だろうと判断しました。
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AUTHOR: 管理人
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DATE: 06/29/2009 02:28:52 PM
>これはまあ、話半分に受け取っておくのが妥当だろうと判断しました。
ああ、それでいいのだと思います。
私も、気持ちとしてこちらの説を採っていますが、正直、上方落語の話を聞くよりはよほど真剣さがないというか、江戸の落語界という「遠い世界の話」としてさほど現実感もなく(つまり究極的なところでは「どちらでもいい」と思っている(^^;)聞いているというのが本音です。こちらの方が楽しいなあ、という感じですね。
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COMMENT:
AUTHOR: 黒猫亭
URL: http://kuronekotei.way-nifty.com/nichijou/
DATE: 06/30/2009 11:28:36 AM
>hietaro さん
とりとめもなくレスを書いていたら、物凄く長くなってしまいましたので(笑)、流石に余所様のブログのコメント欄に書き込むのも憚られます。これまでの経緯を考えると、この襲名の話は脇筋ですからあまり長引くのもアレですし(笑)。そう謂う次第で、一旦ウチのほうで引き取りますので、ご一読戴けますと幸いです。
アップしたらこちらにTBを送るか、TBが通らなかったらリンクを張らせて戴きますので、よろしくお願い致します。
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COMMENT:
AUTHOR: 黒猫亭
URL: http://kuronekotei.way-nifty.com/nichijou/
DATE: 07/01/2009 08:46:42 AM
やはりTBが通らないようですので、一応念の為にリンクを。
http://kuronekotei.way-nifty.com/nichijou/2009/06/post-5525.html
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