以前、「9条護憲派はオトモダチごっこを早く卒業しないと」というエントリでFSMさんと何度かやりとりをさせてもらったのだけども、その時に書かなかったことで、追記したいことを思い出した。
一口に「護憲派」といってもその内容は実に様々であることはそのとおりとして、多くの「護憲派」の困ったところの1つを追記しておく。(とはいえこれはFSMさんがそうだと言っているわけではないので、そのへん誤解なきよう)
その「護憲派」の困ったところというのは、
「将来、自分たちこそが『改憲派』になり得る」
という視点が全くないということ。
もし仮に、(「『改憲派』の卑怯なやり方」であれ、国民自身の声からであれ)憲法9条が「護憲派」の望まない形に改正された場合、それからどうするか。
「憲法なんだから、守らねば」(ほんとは「守らせねば」だけど(^^; )となって、自衛隊を軍と認めるのか、あるいは将来の「昭和憲法的平和条文」の復活(あるいはもっと徹底した条文にする)に向けて「改憲運動」を展開するのか。
同一テーマの改憲の発議は一度国民投票が行われると一定期間は禁止されていたはずだが、それでもその期間が過ぎればまた発議は可能になる。その「逆転のチャンス」に向けて、運動をするのか。
今の言説を見る限り、今の「護憲派」はその時は「改憲派」にまわるべきものだと思う。
その場合、現行の憲法改正手続法(国民投票法)は「改憲派」にとって「有利」だろうか?
本来、「護憲派」もそんな視点で憲法改正手続法(国民投票法)論議にコミットすべきだった。
ところが(現在の)「護憲派」は、「憲法改正手続法(国民投票法)は改憲の一里塚だからダメ」「『改憲派』に有利な制度設計だ」という批判しかせず、価値中立な(自分たちが「改憲派」になっても「護憲派」であっても納得がいくような)制度設計に積極的に参加しようと全くしてこなかった。
たった一度だけ、社民党が国民投票法についての大綱を発表したことがあるが、その後すぐに「絶対反対」路線に変わってしまった。それ以外で「護憲派」が憲法改正手続法(国民投票法)の制度設計について、真剣に考え(そして実際の制度構築に関わろうと)した形跡はない。
このあたり、あまりにも短絡的視点というか、戦術的な視野しか持っていない人ばかりのようで、困ったものだと思う。
そしてそうなった場合、実際どうするかなんて、きっと誰も考えていない。
「護憲派」が負けるはずがないと考えているのだろうか。
いや、「負けないように頑張る」はいいとして、それと「負けた場合、どうする?」とは別の問題でしょ?
もし「負けちゃいけないから、それ以降のことを考えるのはいけないことだ」とするなら、それは「神州不滅」とどう違うのだろう。
ま、まさか、神風が吹くと思ってるんじゃ……? (^^;;
突然食いたくなったものリスト:
- 竹麺亭のトマトラーメン
本日のBGM:
Kamikaze /FLOWER TRAVELLIN’BAND
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