今回もオチのないだらだらした話。
近未来を描いた物語は、当然とも言えるが、予言的な話を内包する。
未来予測的なものだからもちろん外れているところも多々ある。
例えば『新世紀エヴァンゲリオン』(『ヱヴァンゲリヲン』の方は知らんが)で出てくる緑電話やポータブルカセットプレイヤーも、放映当時は別として、セカンドインパクト後の年代ではかなり違和感があった。
それはまあ、仕方がないことでもある。
むしろそういうところこそ制作者が意識もせず「当たり前」だと感じている部分が見えたりするし、技術の進歩を実感するところでもある。
『機動警察パトレイバー』は80年代に既にコンピュータウィルスの脅威を見破っていたし、『AKIRA』は1982年に2020年の東京オリンピック開催を予言していた。(^O^)
ただ、この2作品が共通して「外した」未来予測がある。
政府への反対運動をしている者が同じく「ヘルメットにサングラス、タオル」という新左翼的ファッションだということ。
政府に対する抵抗「運動」をする者としてこれらの服装の人を出すのは、リアリティを出すための演出のはずだけども、90年代ですらこれはリアリティがなくなり、2000年代になると骨董的なノスタルジーに過ぎなくなっていた。
『パトレイバー』の監督である押井守は1951年、『AKIRA』監督の大友克洋は1954年生まれ。70年安保の時に押井19歳、大友16歳か。70年代に青春時代を送れば、「抵抗運動」に「新左翼」は未来になっても変わらないリアリティだったということだろうか。
……まあ、公開当時の観客のリアリティに訴えかけなきゃ仕方ないのだし押井はあれが好きなんだから、彼らが未来を読み間違えたとまでは言えないわけだけど。
『AKIRA』に出てくる2020年オリンピックスタジアム建設現場。
国民の力で成功させよう
エンブレムがないところが、これまた予言的。(^O^)
しかしオリンピックって、昔の東京オリンピックを体験した人にとっては「復興」「希望」「イケイケ感」の象徴なんだね。
石原慎太郎がオリンピックにあれだけこだわったのも、あの時代の空気をまた味わいたかったからだろうなあ。
2016年オリンピック開催地選考に落っこちたあと、2020年開催地に再立候補する時に「みんなで夢見ようよ」と言ったのもそういうことだろう。
戦後復興の(あるいは単に若い頃の)、みんながワクワクしてた(誇張)あの空気が、彼らにとってはオリンピックに乗っかっている(これがもっと後の、例えば浦沢直樹にとっては大阪万博だったり)。
でも結局、あの東京オリンピックは成長の結果の1つであって、あれが成長を促したわけじゃなかったと。それは長野オリンピックでわかってたはずだけど。
だから今の人とは共感できない。
「老害」という言葉は嫌いだけども、もし年代が違うことで見ているものがまったく違い、権力を持った「老」が自分のそれを「若」に押しつけるのなら、それは本来的な意味で「老害」なのだろうな。
それでも体が忘れない感覚ってあるんだろうな。
突然食いたくなったものリスト:
- ホットドッグ
本日のBGM:
残酷な天使のテーゼ /アニパンク
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