『中坊公平の闘い 決定版』という本がある。
中坊公平弁護士が、住管機構の社長として住専七社の不良債権を回収した「闘い」を描いた本だ。
これを読んでいて、興味深い記述があったのでここに上げておきたいと思う。
ただ、その部分だけを上げても意味がわからないと思うので、前提の話も書いておきたい。前置きの方が長くなってしまうけれど、それは仕方ないかなあ。
最終的に紹介したい記述も、さほど大したものでもないかもしれないので(^^;;;、今回のエントリは(も)読み飛ばしてくれてもいいよ。(^O^)
かつて、(株)住宅金融債権管理機構(住管機構)という会社があった(1996~99)。バブルが崩壊した後、多額の不良債権を抱え破綻した「住専7社」の債権の回収を目的に作られた「国策」会社だ。
土地の値上がりが当然だったバブル時代に融資した債権が、バブル崩壊⇒地価下落によって多く不良債権化した。それだけではなく、民間の金融機関は住専に不良債権を押しつけることで自らの痛手を小さくする方策に出、それが住専各社の業績悪化に拍車をかけた。
「住専7社」で総資産額13兆1900億円のうち、実に7割以上が不良債権となった。
本来、これは民間企業の「経営責任」ということで市場原理での責任を問われる事態だった、しかしその額の大きさ(=市場への影響の大きさ:連鎖倒産など)と住専の政治力により「政治決着」が計られ、銀行などからのカネと共に6800億円の税金が投入されることになる。
残りの、不良債権を含む債権をなんとか回収するために生まれたのが住管機構で、この、誰もやりたがらない社長に中坊公平弁護士が就任した。本人の希望により、報酬は無償。
与えられた債権はほとんどが「不良債権」であり、当然、多くの債権の回収は困難とみられた。だから大蔵省(当時)が作ったスキームには元から、回収しきれなかった場合、税金が再度投入される(2次投入)ことが盛り込まれていた。
しかし中坊はそれを良しとせず、何としてでも「国民に2次負担はかけない」ことを第一の目標とし、さまざまな方法を駆使して債権回収にあたった。
少しでも多くを「回収」するため、「不良債権」の回収という王道の他にもありとあらゆる手を使った。例えば旧住専経営者の経営責任による損害賠償請求や、銀行が自分たちの融資先が不良債権化する前に住専に「紹介」し、債務者を押しつけた手法に対して紹介責任を問うて訴訟を起こした。
ここで上げておきたいと思ったのは、銀行の責任を問う訴訟の第一弾となった住友銀行への訴訟での話。
住友には住友の言い分があり、また、安易に妥協してしまうと株主代表訴訟を起こされる危険もある。裁判所による和解勧告のあとも交渉はなかなか進まなかった。
しかしある時、住友側から責任を認め、一時金を払ってもいいとの連絡が入る。西川頭取の決断だという。
西川が決意したのは、組織としての住友の立場を、和解交渉、和解準備会といった交渉の過程を経て、そろそろ決着をつけねばならないと判断したためだった。西川は振り返る。「(早期健全化法による大手行への)公的資金注入の問題とは全く別だった。しばらく前から、金額は別としてこの問題は和解で決着をつけねばならないと考えていた」。 その決め手になったのが、住銀のある顧問弁護士が西川に語った言葉だったという。この弁護士は住管機構との訴訟には直接かかわってはいなかった。だが、顧問としての立場で、住管機構から名指しされた紹介案件のいくつかを独自に点検した。その評価を含めて同弁護士が西川にこう語った。 「住友たるものが、どうしてこんな案件を住専に紹介する必票あったのか。法的問題の前に、どうして住友がこんな案件にかかわったかを、まず考える必要がある」。 西川はこの指摘に「衝撃を受けた」と打ち明けた。住管機構から指摘された七十三件の紹介案件だけでなく、バブル期に付き合ってきた案件の多くが不良債権となって銀行の経営の足を引っ張っていたのは紛れのない事実だった。西川自身はバブル期に営業の第一線を担当したわけではなかった。しかし、率直に言って以前から、バブル期の融資案件については「なぜ、こんなところと取引したのだろうか」との疑問を持っていた。 これは住友に限ったことではない。バブル期には多くの金融機関が安易な不動産融資に手を染め、系列ノンバンクや住専などをその先兵に使って資産バブルをあおった。「バブルだったから仕方がなかった」の言い訳はしても、「なぜバブルをあおってしまったのか」の反省は、この国の金融人の口からほとんど聞いたことがない。 (略) 西川は、銀行業務には素人であるその顧問弁護士に、自分の問題意識と同じことをズバリと言われて決意したという。「ある意味では中坊の言う銀行の公共性と一面通じる面もあった。そこで、バブル期当時の業務姿勢に問題があったことを認めた上で、和解を急ぐべしと腹を固めた」。 経営者、西川は過去への真撃な反省の上に立ってはじめて、「次につなげていくもの」を見いだせると強調した。喧伝されるビッグバン(金融大改革)の世界では、ともすれば「おいしそうな話」が横行し、それに乗ってしまう人が出てくる可能性もある。バブル期を反省もなく通り過ぎてしまうと、今後も同様の問題に直面することが全くないとは言い切れないのである。「今後の業務運営において、『災い転じて福となす』というか、またそうならねばならないと思った」。 |
「住友たるもの」という言葉と、その言葉に衝撃を受けた頭取。
バブル時代、都銀の中でもかなり「ブイブイ」いわしていると言われた住友銀行だが、それでもこの言葉に衝撃を受け、法的責任に問われることも覚悟して和解に応じる決断をするだけの経営者がいたということに驚きと安堵を覚えた。
もちろん、大住友のトップにまで登りつめた人物であるわけで、そこまで驚くのは失礼かもしれないけれど。
もう1つ、この本で面白かったのは梶山静六官房長官(98年の総裁選に出馬した時に、小渕恵三・小泉純一郎候補と共に、田中真紀子に「凡人・軍人・変人」と評された人物。梶山は「軍人」)から中坊が「恋人宣言」されるところ。
梶山はある時、中房に向かって、「あんたは私の恋人だ」と真顔で”告白”して、中坊を唖然とさせたことがある。それも「私があんたに勝手に惚れているだけだから、あんたは義理を感じる必要はない。恋人というのはそんなもんだから、何でも命じてくれ」とまで打ち明けたという。 梶山に真意を問うと、「一方的に私が”惚れた”というと世俗的だが、彼の成功を祈ることは日本のためなんだ」とてらいなく語った。…… |
恋人って、確かにこんなもんかもしれんねえ……。
突然食いたくなったものリスト:
- カレー焼きそばパン
本日のBGM:
花ぬすびと /明日香
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