2012/04/05のニュース。
■橋下市長、市音楽団員の配転認めず「分限免職」
大阪市の橋下徹市長は5日、市が同日発表した施策・事業の見直し試案で「2013年度に廃止」とされた市音楽団の音楽士36人の処遇について「単純に事務職に配置転換するのは、これからの時代、通用しない。仕事がないなら、分限(免職)だ」と述べた。 市改革プロジェクトチームの試案では、音楽団を「行政としては不要」としつつ、市が正職員として採用してきたことから、「配置転換先を検討」としていたが、橋下市長は「分限(免職)になる前に自分たちでお客さんを探し、メシを食っていけばいい」と述べ、配置転換を認めない意向を示した。 市音楽団は1923年に発足。国内唯一の自治体直営の吹奏楽団で、市公式行事での演奏や有料公演などを行っている。市は公演収入などを差し引いた運営経費や人件費として年約4億3000万円(2010年度)を負担している。 |
橋下徹市長になって、大阪市が抱える「大阪市音楽団」(愛称:市音[しおん])が存続の危機を迎えている。
市音は、「日本で最も長い歴史と伝統を誇るプロの交響吹奏楽団」であり、「大阪市が市の直営事業(大阪市教育委員会事務局生涯学習部所轄)として運営しており、日本で唯一地方自治体が所管する専門吹奏楽団」だそうだ(Wikipediaより)。
「日本で最も長い歴史」とは、「前身は明治21年(1888年)大阪に設置された陸軍第四師団軍楽隊」(市音の公式ページより)、だから、今年(2012年)で124年の歴史を持つということになる。
歴史はこれだけ凄いが、その質はどうかというと……、例えば「選抜高等学校野球大会入場行進曲の録音(出場校に記念品として配布されるCD音源の作成)」を毎年行っており、「全日本吹奏楽コンクール課題曲音源(参考演奏)の録音・録画」を2年ごとに東京佼成ウインドオーケストラと交替で行っている。「東京佼成ウインドオーケストラ、シエナ・ウインド・オーケストラと並ぶ、国内トップレベルの吹奏楽団との評価」ということだ。
私自身、これまで市音の存在をほとんど知らなかったし、正直、大阪フィルとの区別もついていなかったのだが、調べれば調べるほどいい楽団だということがわかってきた。
小さく見積もっても国内の吹奏楽団の頂点に位置する、日本の財産とも言うべき非常に重要な楽団だと。
こういう音楽はガキの頃から多くの時間とお金と努力を投入し、数多くの脱落者を出しながら一握りの人たちが残っていく、非常にシビアで贅沢なジャンルだ。そういうリソースを大量に投入され「一流」と呼ばれるまでになった人材が40数名集まった楽団が市音だ。
これは市音単体で存在するわけじゃない。
ここに至るまでの個人へのリソース投入はもちろん、その裾野には教育、文化、組織、楽器、そして聴衆……と、広大な背景が存在している。この頂点(の1つ)にあるのが楽団であって、つまり楽団はそれら膨大な「歴史と文化」という氷山のほんの一角に過ぎないという考え方だってできる。
西洋音楽ではこれは常識的な認識であって、だからこそ西洋音楽の文化圏から見れば、これを直で抱えている大阪市はさぞや文化的な都市だろうとなる。
それが「日本で唯一地方自治体が所管する専門吹奏楽団」となればなおさらのこと。
大阪が日本有数の都市(単なる人口規模でも日本第2の都市は横浜)であり続け、将来的に浮上すら狙うのであれば、街としての求心力は不可欠だ。
人は文化不毛の土地に住もうと思うだろうか。
橋下市長はこれを市で持つ必要はないというが、この「日本で唯一地方自治体が所管する専門吹奏楽団」という特殊性はむしろ大阪市が日本で一番の文化都市であった証明として捉えるべきじゃないのか。
大阪市が手放せば、この楽団は存亡の危機を迎えるらしい(「市側の楽団解散の意向について、楽団側は「経営の視点だけで見直されると、存続は難しい」と困惑している」)。
存続したとしても、同規模では不可能かもしれない。
あるいは存続したとしても、楽団は存続のために違う都市に移るかもしれない。
大阪市が歴史的にこれだけの楽団を傘下に抱えることができたのは、むしろ奇跡に近いラッキーだったのではないか。
橋下市長や、あるいは他の人たちはよく「ヒトラー」の押し付け合いをするよね。やれあいつはヒトラーだ、いやこいつこそ……という具合に。
でもね、正直、誰もヒトラーの足下にも及ばないと思う。
ヒトラーは自国の文化を保護したもの。
民族の誇りを取り戻させるために。
今、大阪人は大阪人たる誇りをどこにもってるんだろうね。
いや、別に大阪人に限らない。
「●●たる誇り」って、何だろう?
その大きな1つは、やっぱり歴史や文化ってことにならないかな。
今、大阪は、自分たち(と自分たちの先祖)がこれまでゆっくりとゆっくりと培ってきたものを、一時の政治的熱狂のために懸命にブチ壊そうとしている。一度失えば取り返しがつかないのに。
Time is money. なんて言葉があるが、それは、時間を甘く見た言い方である。金よりも時間の方が何千倍も貴重だし、時間の価値は、つまり生命に限りなく等しいのである。
森博嗣『すベてがFになる』より。
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いろんな意味で、そうなんだよな。
そしてそれが濃厚に費やされてきたのが組織として市音であり、そしてそれを数世代、重ねてきたのが市音。
もちろんこの言葉は市音にだけ当てはめることができるというわけじゃないけども。
100年以上の歴史を積み上げてきた市音の歴史を、そう簡単に閉じてもええんかいな。ほんとに。
橋下市長がそこにいるのは6年……いや、もっと短いかもしれないのに。
「何か変えないかんねん、ばぁーーーっと!!」って感じの、実態のない淡い期待だけで、ほんとにそんなことされてええんかいな。
こう言ってはなんだが、これが、「いや、吹奏楽はもう古い、これからは●●だ。そちらの楽団を持つ」なら、まだ私自身は納得がいくのよ。あくまでも積極的に文化的であろうとし続ける、その中での変化だから。あるいは「実力に比べて認知度が足りない。もっとアピールしろ」とか。
でも結局、「儲かりまんのかいな」という尺度で測っているだけで、そんなのはバブル以降、日本が急激に貧しくなった主原因じゃないか。「社員はコスト」と言い切った出井伸之のソニーが今どうなっているか……いやそれはいい。
こういう言い方は同じ土俵に載るようでイヤだけれども……文化は小さな意味としての収支として赤字になるかもしれないが、「市音を持っている大阪」を財産価値として捉えれば、違う見方ができるんじゃないのかな。
都市としての求心力(例えば「大阪市に住みたい」と考える)は都市の成長に絶対に不可欠のはずなんだ。単体でカネにならなくても。都市が都市であり続けることの大前提は「人がたくさんいること」だから。
経済が停滞し続ける中、都市が文化的であろうとすることは、ある意味他の都市との人口獲得をめぐる競争的挑戦でもあるわけで、これは「やせ我慢」のような受け身の姿勢ではないんだよ。
Wikipediaによると(出典は産経新聞)、
また、前田憲男、ボブ佐久間、宮川彬良の3人は、人件費を含めた楽団の運営費約4億円について「40数人の団員を維持していくには驚くほど安い金額」と指摘、「これほど実力ある音楽団が大阪にあることを行政や市民は分かっていないのではないか。一度つぶれたら、あの豊かな音は戻らない。残しておかなければ後で大変なことになる」と楽団の存続を訴えている。 |
とある。
そして、
2012年7月27日の大阪市会本会議において「市政改革プラン」策定を前提とした補正予算(本格予算)案が原案どおり可決したことにより、大阪市の音楽団事業及び音楽堂貸し出し事業を平成26年度から行わないこと(市事業としては平成25年度末で廃止)が事実上決定した。 |
だと。
ほんと、「一度つぶれたら、あの豊かな音は戻らない」。「ダメなら戻せばいいじゃん」ってことにはならないんだ。
大阪はいまだに「日本第2の都市」なんて勘違い(しつこいようだが、現時点でとっくに神奈川・横浜に負けてる。名古屋にも負けそう)だけで誇りを維持しようとしている。
そうじゃなくて、他都市がうらやむようなことを徹底的にやり続けていれば、「日本第2の都市」ではなく「大阪」としての誇りが勝手にできあがるものなんじゃないのか。そしてそれは結果的には「日本第2の都市」奪還にもプラスに働くのだとも思う。
突然食いたくなったものリスト:
- 萩の月
- チリドッグ
本日のBGM:
ミライボウル /ももいろクローバー
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