世界報道写真展2007

 先日、「世界報道写真展2007」を見に行ってきた。

 誘われたから行っただけで、正直なところそれほど興味はなかったんだよ。
 だってこの題名から簡単に想像できるでしょ。死体ばっかりなんだもん。(>_<)

 もちろんそれだけじゃないけどさ。
 でも多い。
 そりゃそうだよね。
 世界にはそういう現実が厳然と存在してるんだもの。
 私が選ぶ側でもそうするもん。
 でも気が重い。

 会場に入ってすぐのところに掲げられていた解説は、文章に比べて映像・画像の持つ力の大きさについて語っていた。

 確かにそうだろうと思う。

 卑近な例で言えば最近の朝青龍の問題だって、あの楽しそうにサッカーに興じている映像がなければこんなに騒ぎになることもなく、単なる週刊誌ネタで終わっていたんじゃないだろうか。
 あの映像があったからこそテレビ映えのするニュースになり、何度も何度も放送されて問題が大きくなったわけだよね。

 平群の「引っ越しおばちゃん」もそう。

 映像は凄い。
 展示を見ながら、確かにそう思った。(あ、これは話の例として挙げただけで、もちろん朝青龍や引っ越しおばちゃんの写真なんて展示されてませんので)

 そしてもうひとつ、気づいた。
 これはまぁ、考えてみれば当たり前の話ではあるけども。

 確かに1枚の写真は100の言葉に勝る。……とはいえ、どれだけ衝撃的な写真でも、そしてそれが報道写真であればなおさら、写真は文字(説明)がなければ成立しない。

 これは発掘遺物に似てると思う。

 埴輪とか土偶とか宝物とか、凄く価値のある遺物というのはたくさんある。しかしほとんどの場合、それらが単体で出回ってもほとんど価値がない。それらの価値を保証するのは、その遺物がどこで出土したかというデータだ。つまり物と情報がワンセットになって初めて価値が出る。

 報道写真も、それがどれだけ凄い写真であっても、どこでいつどういう状況を撮影したものかという説明がなければ、(少なくとも報道写真としては)全く価値がない。

 強力な力を持ちながら、単体では存立し得ない……なんか面白いなあと思うんだけども、どうかな? (^^;;

突然食いたくなったものリスト:

  • かるかん

本日のBGM:
Cafe CLASSIQUE(愛はいつも) /城之内ミサ


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