浅草の河金と心斎橋の河金三代目

 先日、何だったかのきっかけで堂島ロールを検索した。堂島ロールは関西では超有名なロールケーキ。
 
 するとここでも本家・元祖的な争いがあったことを知った。
 堂島ロールが有名になってから、なんか便乗商法的に似たようなのがあるなと思ってたのだけども、それ以上の話があったようだ。
 ↓このサイトがよくまとまっていると思うので、興味がある方はどうぞ。
 
「堂島ロール」の物語が想像以上に燃え上がってて笑った(商標とかのお話)(NOBODY:PLACE)
 
 こういうのをまとめてくれてるとわかりやすくていいなあと思ったので、今回は、まだネットにはあまり上がっていない1つの案件についてまとめてみようと思う。
 
 それは東京・浅草の洋食店河金の話。


 昨年末、心斎橋に「大衆洋食 河金三代目」という店がオープンした。
 オープン前に配布されたチラシ(だと思う)によると、
もうすぐ誕生100年! 浅草の老舗洋食が大阪初登場!
 だそうだ。


このチラシを見ると、オープンの日付はあるものの店がどこにあるかは書かれていない。>< おそらく裏面にあったのだと思うけど、壁に貼られてたからなあ。(^^;;

 このチラシを見ておおお!これは!と思った。
 
 というのもこの浅草の河金、以前、「積ん読解消運動(6)『とんかつの誕生』岡田 哲」というエントリでも紹介した、初めてカツカレーを出した店なのだ。
 
 岡田 哲『とんかつの誕生』ではとんかつの誕生は東京上野御徒町の「ポンチ軒」の1929(昭和4)年とされているから、カツカレーの誕生はトンカツの誕生より早いってことになる(^O^)という面白い話として紹介している(岡田哲はそんな指摘はしてないが。……というより岡田は自ら本書に書いているとんかつ誕生の時期とカツカレー誕生の時期が前後していることにも気づいてなさそう)。
 
 どうしてこういうことになるかというと、河金丼に載っていたのはとんかつではなくその前身であるポークカツレツだったという話。
 
※ただ、その後このブログで何度か話題になったように(例えば「とんかつを巡る2つほどの疑問」から始まる摂津国人さんとのやりとりや摂津国人さん自身によるエントリ「新・とんかつの誕生」を参照のこと)、とんかつの誕生はこの本の説より遡ることはほぼ確実で、だとしたら「カツカレーの誕生はトンカツの誕生より早いってことになる(^O^)」という話も成り立たないかもしれない。
 
 他の食べ物がそうであるように、カツカレーにもいくつかの「元祖」と言われるものがある。ただ、こういうのを確定するのは難しいことで、とりあえずは「元祖とされるものの1つ」として認識しておきたい。
※「丼」というからには箸で食べたのだろうし、だとすれば載ってるのがポークカツレツだったとしてもあらかじめ包丁で1口大に切っていただろうし、とすればけっこう「とんかつ」スタイルには似ていたのだろうと思う。
 
 さて、その河金が2016年11月に心斎橋に店を出すという。
 これは行かないと!と思った。5月には名古屋のみそかつの有名店「矢場とん」が道頓堀の松竹角座に出店したし、これは立て続けにうれしいなあ、と。
 といいつつ両店とも行けてないのだが(^^;;、河金出店の話を聞き「行かないと!」と浮き足だった直後くらいから、河金についていろんな情報が入ってきた。

 河金は初代・河野金太郎が1918(大正7)年浅草で屋台にて創業した。昔は洋食屋台がかなりあったそうで、河金もその1つだった。
 
 屋台の店は記録に残りにくい。屋台から店舗を持ちずっと続けられたからこそ河金河金丼も歴史に名を残すことができたのだろう。逆にいえば、屋台の店は、せっかく何かの「元祖」になってもそれが店舗を持つことなく終わればなかなか記録には残らない。店舗を構えても後に廃業してしまったりした場合もそうだ。ちゃんと記録に残してくれた人がいた場合というのはかなりの僥倖と見なければならない。そしてその「元祖」の店が記録もなく廃業してしまった場合、現在生き残っている店に歴史を書き換えられてしまうケースも多いと思われる。このあたりが食の歴史の難しいところだ。……これは雑談。
 
 河金は屋台時代にカツにカレーをかけてくれという客の要望を参考に河金丼を考案する。これが初めてのカツカレーだという。その後河金丼河金の名物商品となる。
 
 店舗を持った後も河金は盛業で、金太郎の息子の時代に兄(清光)が店を継ぎ、弟(信之助)が暖簾分けで独立する(入谷店)。本家2代目の清光は今でも河金の名物となっている「匁とんかつ」を考案している。
 入谷店は次の代でも同じように暖簾分けをし、入谷店は兄の純一が継ぎ、弟の謙二が浅草に千束店を開く。
 本家はその後、跡継ぎがなく1987年頃に廃業している。つまり現在残っている河金は入谷店、千束店の2店舗のみ。(2017年1月現在、入谷店は金太郎から数えて3代目、千束店は4代目が経営している)
 
 で、今回の心斎橋の河金、いや河金三代目
 
 この店の開店は東京の2店舗にとっては寝耳に水だったそうだ。
 
 つまり今ある河金とは関係がない。
 ではまったく関係ない人が勝手にやったのかといえば、そういうわけでもない。
 
 先ほど本家は跡継ぎがなく廃業と書いたが、実は河金2代目の清光には金三郎という長男がいる。シェフの修行もしていたが、しかしこの人物が本家を継ぐことはなかった。
 そして本家廃業から約30年。大阪の「かめいあんじゅ」という会社がその金三郎氏から暖簾を買った。この会社は大阪を中心に多くのレストランを経営する会社(私も同社経営のアルションはお菓子やレストランで利用させてもらっている)で、金三郎氏が同社のレストラン「ビストロ・ダ・アンジュ」で修行していた縁によるという。
 金三郎氏は初代の金太郎から数えれば(店を継いでいれば)本家の3代目。長男なのに金郎ということは、まさに河金の3代目を継ぐことを期待されていたんだろう。これが「河金三代目」というネーミングの由来だと思われる。
 
 「河金」の名は商標登録されておらず(このあたり東京の店は脇が甘いともいえるが、普通はこんな問題が起こるなんて思わないからなあ)、この暖簾譲渡劇は法律に触れるようなことではないのだと思う。また金三郎氏は本家で仕事もしていたそうなので、味も「河金直系の味」と言えそうだ。実際にfacebookの河金三代目のページには、「先日、茅ヶ崎から三代目に来て頂き、河金秘伝の味を教えて頂きました!! 100年の歴史です☆」との書き込みがあった。
 
 ただ、dressingというサイトの河金三代目を紹介したページによると「当時のレシピは形として残っていなかったため、素材選びや調理法、ちょっとした工夫などを直接3代目に指導してもらい、当時の味わいを再現することができました」ということで、この記述を見る限り、金三郎氏の許に明確なレシピが残っていたわけではなく、30年前の記憶により指導したようだ。これがどの程度の正確性を保持しているかは正直「よくわからん」としか言いようがない。30年も経ってるし、でも金三郎氏もちゃんと修行したシェフであったわけだし……。ただ、やはり「直系」とは言えるのだろう。(このfacebookの書き込みは11/3のもので、店舗オープンのたった3週間前だったりするのだけどね)
※なお、dressingの記事では金三郎氏の名前が「信成」と紹介されているが、これは金三郎氏が出家して名前が変わったためで、同一人物。
※※あと、この記事によると、河金三代目は金三郎氏が修行したというビストロ・ダ・アンジュの姉妹店という位置づけらしい。
 
 ……と、これが大阪・心斎橋への河金三代目と東京の河金との関係。
 まだ訴訟には発展していないが、なかなかややこしい話になっているようだ。

 法的には問題ないのだろうと書いたが、ただ、東京でずっと「河金」の暖簾を守り続けてきた2店舗には気の毒な話だとも思う。
 私はこんなブログをやってるおかげでいろんな飲食店の人と話す機会を得て、店の暖簾を守ることがどれほど大変か、昔よりはわかったつもりだ。
 屋台の河金の創業から数えて99年、本家廃業からでも約30年、ずっと暖簾を守り続けてきた人たちからすれば、店を継がなかった人が突然赤の他人に「河金」の暖簾を売ったというのでは、そりゃ怒りもするだろうと思う。(繰り返すが、このこと自体は法には触れないと思う)
 
 例えば人気ブログ「Mのランチ」さんでは、河金三代目を紹介するエントリにこんなタイトルをつけている。
 
浅草の伝説の老舗洋食屋さんが悠久の時を経て大阪で復活! 心斎橋 「大衆洋食 河金三代目
 
 この河金(三代目)を「悠久の時を経て」「復活」と紹介してしまうのは、その「悠久の時」の間もずっと営業を続けてきた東京の2店舗にはあまりに気の毒で失礼に思える。

 店名の「河金」は商標登録されていないが、「河金丼」は千束店の店主により2016/09/21に登録申請されている。

 こんな問題が出てきてから慌てて商標を申請したということだろう。
 屋号の「河金」は「三代目」側が申請したらしいが、これは既に「川金」という商標が取られているからダメだったようだ。なので「河金三代目」となったわけだな。「河金三代目」は登録完了済み。
 
 河金三代目のfacebookページを見ていると、店舗オープン前の2016年9月(7~12日)に阪神百貨店バル祭りに参加しており、そこでは「河金丼」を出している。


河金丼

 またfacebookのカバー写真も「河金丼」を前面に押し出していた。


9/7にカバー写真としてアップされた

 しかし商標の問題によると思われるが、現在のカバー写真は「河金のかつカレー」と変更されている。


11/15にこちらに変更

 店舗オープン後の店頭のメニューも「河金丼」の名は使っておらず、ただしこちらは「河金のカツカレー」ではなく「河金三代目のかつカレー丼」となっている。このブレは、「河金」が登録できず、さらに「河金丼」が他で申請中であることによる混乱なのだろうな。


11/15にこちらに変更

 というわけで東京の河金と大阪の河金三代目の関係についてまとめてみた。まだここまでまとまった情報はネットにはなかったように思う。
 
 こういう情報を知ってしまうと、最初に「おおお!」と思った気持ちが落ち着いてしまったのだが、それでも一度は行ってみたいと思う。美味しかったらリピートもするだろう。
 
 しかしそれ以上に、東京の2店舗で食べてみたいと思うようになった。

突然食いたくなったものリスト:

  • かすうどん

本日のBGM:
A New Style War /浜田省吾





2 comments

    • Moda on 2017年3月4日 at 3:52 PM
    • 返信

    ひえたろう様
    始めまして、Modaと言います。
    つきじろうサンのブログを拝見していてここに辿り着きました。

    浅草の河金って名前だけで懐かしく、30数年前に数回伺いましたが
    確か30年前に伺ったところ店が閉まっていて、その後伺うと店が無くなって寂しい思いをしたことを記憶しております。
    当時、私のような店を懐かしむ人が、その閉店の訳を話しているのを立聞きして、そういう事だったのかと残念がっておりました。

    河金丼は食べていません。匁かつが有名でしたのでそれを数回頂きました。
    肉の厚さが5cm前後とそれまで見たことのないとんかつでした。

    懐かしい記憶が少し蘇りました。

  1. Modaさん こんにちは。
    ブログを引っ越して間がないので、コメント設定がわからず、ずっと表示されないままで申し訳ありません。

    匁かつ、そんなに分厚いんですか。横に大きいだけなのかと思っていました。(^^;;
    つきじろうさんのブログの読者さんなら、「お店への愛着」の重要性はほんと、感じてらっしゃると思います。
    私自身は河金には行ったことがなくとても残念ですが、愛される店だからこそ、逆に今回のような問題も起こるのだろうなあ、と複雑な気持ちで降ります。

    これからもよろしくお願いいたします。

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