トンデモやニセ科学のこと

 某所で書いたことを、ここにも載せておこう。

 ニセ科学を信じる人って、否定されると「夢がない」とか言うんだよね。「頭が固い」とか。あるいは「科学が全てじゃない」とか。

 正統な科学の迫力とか凄さを全然解ってない。
 徒花は確かに綺麗に映るけども、王道の奥深さに一度でも触れればそんなものは一瞬のものに過ぎないことに気づいて、取り込まれるようなことはないはずなんだ。
 あんたらが思ってるほど、人類の英知はバカじゃない。

「死ぬ気で勉強したこと無いうちに「勉強なんて役に立たない」とか言わないでね」(雲和広)

 ということですよ。知らないのに否定している。というか、知らないから否定したい。

「あなた、科学の何を知ってるってゆーのよ!?」

 みたいな。(^O^)
 (知ってたら「科学が全てじゃない」なんていう当たり前のことが反論になりようがないのがわかるはず)

 彼らはきっと、「日常」のつまらなさの奧に「今の科学」を見ているんだと思う。(私はこれを不勉強ゆえだと思うけども)

 

☆人は常に逆転を望む。誰もが追う立場だから。

── 野末陳平。

☆日本のサラリーマンの大半が天変地異を期待している。

── 山田太一。

 なんてことなんだと思う。
 この日常(現状)の逆転手段としてのトンデモ。同じ数字4枚。革命。

 だからこそ、

「『水からの伝言』てのは、実は俺たちの知ってる物理法則の大半を書き換えちゃうような、大変なことを言ってるんだぞ」

とか言っても、

「書き換えちゃえばいいじゃん」

なんてあっさりと答える。恐らく本気なんだと思う。それが何を意味してるかは考えない。

 正統科学にはコツコツと積み上げる努力こそが有効なんだけども、それはしんどいし、地味だし、やってない人には取り返しがつかないことで、もしある日、何の積み上げもなくその中に飛び込もうと思えば、あるいはそういう人の中で自分をひとかどの者だと思いたいと思えば、飛び道具を持つしかないんだな。
 だからトンデモに走る。
 トンデモに走ると、少なくとも正統科学に対する「出遅れ感」を持たなくてすむ。本当はそれまで費やされてきたリソースが圧倒的に違うのだけども、表面上は対等か、あるいは「頭が固い」なんて言い放てば優位に立ったような気にすらなってしまう。ある意味、トンデモに走るのは「状況」に対する人間の防御本能なのかもしれん。
 そして、こういうふうに防御してしまう人ってのは、そういう思考様式が身に染みついてしまうので、いろんなトンデモを許容してしまう。
 体質になっちゃうんだよな。
 『ムー』的なものを(たとえ互いに矛盾してても)片っ端から信じちゃう人がたまにいるのも、そういうことなんだと思う。状況への防御が体質になっちゃってるのだ。(^^;;

 昔、呉智英が「同じオカルトに走るのであれば一流を読め。一流には一流の迫力がある」てなことを書いていた(はっきり覚えてないが、フレイザーや柳田国男を挙げていたような)けれど、ほんとにそうだ。それはそれでちゃんと時間的、人的なリソースがつぎ込まれている。でもトンデモに走る人は大抵そういう努力がないからそっちに行っちゃうわけで、結局その中でも楽なものを選んでしまう。つまり三流を掴む。
 『水からの伝言』が人気が出るはずだ。

 でもさあ。
 現実って、もっとステキなんだよ。

 正統な科学がどれだけ夢があって、頭が柔らかくないとできなくて、何百年もの間、無数の科学者たちの地道な努力によって積み上げられてきて、それでも科学でわからないことがありすぎる(でもダメだって断言できることもかなり多い)ということに、想像がいきませんかね。

 あなたの目の前にある誰かの思いつきが、本当にそんな膨大な積み上げの結果である現在の科学体型を覆すほどの奥行きが本当にあるのかどうか、冷静に考えてみればわかるはずなんだけどなあ。

 友人N氏は来週、波動について講義するそうだ。(もちろん批判的に)

 資料にと買った月刊誌『Hado』(『水からの伝言』の江本勝氏の主宰する(株)I.H.M.が出してる)にあったある記事を紹介してくれた。

 こういうフォーラムがあったらしい。

「波動技術実践研究会発足記念フォーラム
 船井幸雄グループ・比嘉照夫グループ・江本勝グループ連携イベント
 地球と人類向上への実践 続出する波動技術が地球と人類を救う!」

 むぅぅ……。
 船井幸雄(日本トンデモ界のドン(^O^))、比嘉照夫(EM)、江本勝(『水からの伝言』)ですか、トンデモ勢揃いですな。(^O^)

 まるでMETALLICA、MEGADETH、SLAYERのトリプル・ヘッドライナーみたいな豪華さだ。(^^;

 で、このフォーラムでの江本氏の講演録が掲載されている。
 

(前略)
このように世界各国を訪れているうち、ふと気づいたことがありました。何故、国内よりもむしろ西洋に受け入れてもらいやすいのだろうか・・・と。
 たどり着いた答えは「初めに言葉ありき」という聖書の「創世記」に出てくる言葉が関係しているのです。これは本来、日本の「言霊信仰」とまったく同じ考え方だと思います。何故、日本が言霊の国だったのかというと、その根底には「国家神道」があり、加えて民衆の尊敬を集める天皇制があったからです。そのような日本人のDNAに刻まれた神や天皇に対しての忠誠心が「日本的純粋波動」です。しかし、残念ながら、この概念は、戦後教育の中で失われている状態です。
 (後略)

 
 こういうツッコミどころ満載の講演を信じる奴がいるのか?

 いるんだろう。たくさん。

 国家神道なんて明治になって国家主導で作り出した新興宗教みたいなもん(神社君としてはそうとしか評価できない)だし、まあ「天皇制」という言葉が明治以降の言葉であることは置くとしても、ここではこの人、「天皇制」という言葉で何を言いたいのか? 単に「天皇がいた」ということを言いたいのかな? 少なくとも「民衆」にとっての天皇ってのはかなり早い段階で存在感はなくなってたはずだし、日本で「神に対する忠誠心」なんて、あんたほんとに日本の信仰をわかってんの?と。

 だいたい、「そのような日本人のDNAに刻まれた神や天皇に対しての忠誠心が「日本的純粋波動」」なんだとしたら、明治以降、敗戦以前のたった80年弱が日本の本質だってことになるぞ。
 まあ明治以降に作り上げられた文化をあたかも「日本古来の伝統」だと思い込んで語る人はかなり多いから、この部分は江本氏だけの話ではないけどね。とはいえ、仲間が多いから愚かでないということにはならない。江本氏もたくさんいる愚かな人間の1人だということが判るだけのこと。

 ちゅうわけで、結局この人は思いつきでしゃべる人だってことが、この数行でもはっきりわかるんだけども……信じたい人にはそんなことは関係ないんだろうな。

 江本氏は『水は何でも知っている』だったかで「原子が108種類なのと人間の煩悩が108は関係がある。それぞれの原子に1つずつの煩悩が対応している」みたいなことも言ってたし、要は思いつきを垂れ流すタイプの人物のようだ。
 こういう適当な思いつきに大まじめにつきあわされてる人は(自らの意志とはいえ)気の毒だなあ。

(ところで私は「初めに言葉ありき」というのはヨハネ福音書の冒頭の言葉として知ってたんだけども、旧約にもこの言葉があったの?と、旧約は持ってないのでググってみたら、どうやら「創世記」にはそんな記述なさそうなんですけども(^^; ったくテキトーだなあ)

突然食いたくなったものリスト:

  • コーヒー牛乳

本日のBGM:
ムーンライト・ブルース /チャゲ&飛鳥
嘘 /チャゲ&飛鳥


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