「プレBRS症候群」という言葉を聞いたことがあるだろうか。
昔読んだ、景山民夫の冒険小説『遥かなる虎跡』(1988)で、登場人物3人(ダニー、アイリーン、西)が自動車に同乗しながら、ラジオから流れてくる音楽をきっかけに会話をするシーンがある。
この会話に出てくる曲を貼りつけながら、このシーンを見てみたい。
「こういう、メロディーも何もない音楽を聞くと、俺イライラしてくるんだよ。娘たちがカセットでこういうのをかけてたら表へ追い出しちまうんだ」
「ダニー、あなた何歳なの?」
「俺? 43歳だ。1944年生まれさ」
「やっぱりね。典型的なプレBRS症候群だわ」
「そいつは何だい?」
「プレ・ビートルズ&ローリングストーンズ症候群。自分の音楽の好みを彼ら以前の段階で停止させちゃった中年のことよ」
「ビートルズは嫌いじゃないよ」
「でもメロディアスなのが好きなだけでしょう?『ミッシェル』とは『イエスタデイ』とか」
ミッシェル /ザ・ビートルズ
イエスタデイ /ザ・ビートルズ「ああ、そう言われればそうだな」
「で、ストーンズで許せるのは『テル・ミー』や『アズ・ティアーズ・ゴー・バイ』あたりなのよね」
テル・ミー /ザ・ローリング・ストーンズ
アズ・ティアーズ・ゴー・バイ /ザ・ローリング・ストーンズ「どっちもいい曲だと思うよ」
「お酒は?」
「飲むよ。サン・ミゲルのビールを20本開けたことがある」
「酔ってふと気がつくと『イエロー・バード』なんて曲を口ずさんでたりしない?」
イエロー・バード /ザ・ブラザーズ・フォー「何で知ってるんだ?」
「プレBRS症候群の顕著な症例なのよ。『イエロー・バード』派と『スウィート・リトル・シックスティーン』派があるの。例外的に『月影の渚(ムーンライト・スウイム)』派がいるけど、これは自己陶酔が異性に対する直接的働きかけで発揮されるタイプね」
スウィート・リトル・シックスティーン /チャック・ベリーAnthony Perkins – Moonlight Swim
月影の渚(ムーンライト・スウイム) /アンソニー・パーキンス「つまり、簡単に言うと女好きってことかな」と、西がアイリーンの言ったことを平易な英語に直した。ダニーが唇をひん曲げて抗議の表情を作った。
「俺はアンソニー・パーキンスの歌なんか好きじゃないよ」
「アンソニー・パーキンス自身だって自分の歌を好きだとは思わないわ」
「だけど、あの頃の歌はよかったよ。マニラには俺は物心ついたときから、ずっとアメリカ軍がいてさ、俺はAFRTSのラジオ番組を聴きながら育ったみたいなもんなのさ。幼稚園に上がる前は、アンドリュース・シスターズの『ラム・アンド・コカコーラ』を真似して唄ってたし、エルヴィスが出てきてからは髪をグリースで固めてジュニア・ハイスクールに通学したもんさ」
ラム・アンド・コカコーラ /アンドリュース・シスターズ
ラヴ・ミー・テンダー /エルヴィス・プレスリー
ここで「プレBRS症候群」というのは、
「プレ・ビートルズ&ローリングストーンズ症候群。自分の音楽の好みを彼ら以前の段階で停止させちゃった中年のこと」
と説明されている。
実はこの言葉はググッても出てこない。
これが作者である景山民夫の創作なのか、ネット普及以前に埋もれてしまった言葉なのかは判らない。まあ創作なんだろうな。
ダニー(フィリピン人という設定)は1944年生まれで43歳……ということは舞台は1987年あたり。実際この本が出版されたのは1988年、もう40年近く前になるけれど、舞台は当時の「現代」ということだ(この本は『虎口からの脱出』の続編にあたり、そちらの舞台は昭和初期)。
まあそんなダニーも今は82歳か。どんな人生にもワカモノだった時代はある。今のワカモノには想像できないだろうけども。私も想像できなかった。
……さて。
ここからが本題なのだけど(^^;;、数年前にこんな興味深い研究結果が発表されていた。
※最近は(ってずいぶん前からか(^O^))ブラウザの「翻訳」ボタンをクリックすると、外国語のサイトでもすぐに日本語訳が出てきて便利だねえ。
「人は、大人になると音楽的趣味が固定し、若い頃のように新しい音楽を追わなくなる」
という、みなが感じているミもフタもないお話。
ダニーのプレBRS症候群は、誰もが持っている心の壁だというわけだ。
それぞれの調査は
| 対象 | 調査手段 | |
| Spotify | アメリカ人 | 自社が持つユーザーの年齢データ(自己申告)と再生回数など |
| Deezer | イギリス人 | 1000人へのアンケート |
以下のグラフはSpotifyの調査から作られたもの。

クールさの衰退スパイラル:現在人気のアーティストは円の中心に位置し、人気の低下はより大きな円環で表されます。ユーザーは年齢を重ねるにつれて、主流の音楽から「外れていく」のです。 The Coolness Spiral of Death: Currently-popular artists lie in the center of a circle, with decreasing popularity represented by each larger ring. As users get older, they “age out” of mainstream music.
年齢は本当に、人々がストリーミング再生する人気音楽の量に影響を与えるのか?

男女別。緑が女性、オレンジが男性
キャプションにあるように、このグラフは中心に行くほどヒットチャートの上位を好むことを示し(つまり外周にほど最新ヒットチャートに興味がなくなっていく)、上部14歳から時計回りに加齢していくことを指す。上限は48歳。
グラフはほぼ中心から外れ、外縁に向かう渦巻きを描いている。
最新ヒットチャートの曲ばかり聴いている14歳から、音楽的嗜好がヒットチャートからは縁遠いものになる48歳まで。
これでは解りにくいかもしれないので、オリジナルの円形のグラフを縦横軸のグラフに変換してみた(ChatGPTありがとう)。
※オリジナルのグラフの画像から読ませたので、数値は近似値に過ぎない。

全体データ

男女別データ
年齢(左から右)を経るにつれ、聴く音楽がヒットチャート上位(グラフ上方向)から下がっていくのがよく判る。
※とはいえここに示されているのは現時点での14歳から48歳の人の嗜好(の平均)であって、1人の人間の14歳から48歳までの人生ととらえてしまうことには注意が必要だとは思う。
これらの分析で示されている現象について、「「昔の音楽の方が良かった」:私たちはいつになったら流行の音楽を追いかけるのをやめるべきなのか?」では
「30代半ばになる頃には、音楽の好みは成熟し、その人の個性が確立されていく」
「ロックイン効果」
「味覚が麻痺(taste freeze)」
と表現され、「研究によると、人々は30歳になると新しい音楽を発見しなくなるという。」では
「平均的な人は30歳6ヶ月で「音楽的麻痺(musical paralysis)」に陥る」
「「音楽麻痺」とは、こうした人々が新しい音楽を発見することをやめ、同じ曲やジャンルを何度も繰り返し聴き始める状態」
などと表現されている。
調査対象や調査方法が違うため、そのピークとなる年齢などの数字としてのばらつきは両調査間でとても大きいが、それでもこの形は変わることないだろう。
ただ、こういう話の中で意図的に?見逃されている視点があると思う。
それは、仮に
「「音楽的麻痺(musical paralysis)」に陥らず、新たな材料(最新ヒットチャート曲)と、既に得て自分に残った材料(ヒットチャートの音楽「だった」曲)を等しく聴く」
というモデルを考えても、当然、全体の中での最新ヒットチャート曲の割合は減っていく(「蓄積」の量が多くなっていく一方だから)」ということ。
その人が本当に「音楽的麻痺(musical paralysis)」に陥っているかどうかは、単純に「ヒットチャート曲をあまり聴かないようになった」では判らないような気がする。
むしろこのモデルを仮定して、そこからの乖離度合いを見る方がいいのではないかなあ。
いやもちろん、本当に「音楽的麻痺(musical paralysis)」に陥っている人もいるのだろうし、私たちも(それこそ自分の経験に照らしても)感覚的にそれには気づいている。
むしろだからこそこの視点を無視してしまうのではなかろうか。
上記の『遥かなる虎跡』の会話について。
ビートルズとストーンズのデビュー年はそれぞれ1962、1963年。1944年生まれのダニエルが18、19歳の頃ということになる。
彼はそれ以前で既に「プレBRS症候群」=「音楽的麻痺(musical paralysis)」に陥っていたと。
彼なんかは完全にBRS以降の音楽を拒否しているわけで、私たちがイメージする、典型的な「音楽的麻痺(musical paralysis)」ということになる。
「あの頃の歌はよかったよ。マニラには俺は物心ついたときから、ずっとアメリカ軍がいてさ、俺はAFRTSのラジオ番組を聴きながら育ったみたいなもんなのさ。幼稚園に上がる前は、アンドリュース・シスターズの『ラム・アンド・コカコーラ』を真似して唄ってたし、エルヴィスが出てきてからは髪をグリースで固めてジュニア・ハイスクールに通学したもんさ」
幼稚園、小学校で既に好みが固定してしまったと。
これもなかなか凄いね。(^O^)
蛇足。
とはいえ人はずっと、思春期の頃に好きだったものを携えて年を取っていく。音楽に限らず。
「人はずっと、自分が一番モテた頃の年代の異性が好き」
とかも聞いたことがある(本当かどうかは知らない)。
あるいは昔はマンガやアニメはいずれ成長すれば「卒業」するし、何なら大人になれば時代劇や演歌を好むようになると思っていた……が、まったくそんなことはなかった。(^O^)
上記の男女別グラフでの女性データの若干の上昇時期は、子供を育てだした時期と、その子供がティーンエイジャーになる頃だろうか。
興味深いことに、親となると、年齢別に男女を比較した際に見られたような、着実に拡大していくような差は見られません。むしろ、この「音楽税」はどの年齢層でもほぼ同じです。これは理にかなっています。子供を持つことは「二者択一」の出来事だからです。一度子供ができれば、他の多くのことはどうでもよくなってしまうのです。
つまり、常識が「知恵」と呼ばれるのには理由があるということです。ですから、もしあなたが年を重ねて、以前ほど時代の流れについていけなくなってきたと感じても、心配はいりません。お子さんがティーンエイジャーになるまで待てば、また当時の流行音楽に触れる機会が訪れるでしょう!
Interestingly, when it comes to parents, we don’t see the same steadily-increasing gap we saw when comparing men and women by age. Instead, this “musical tax” is roughly the same at every age. This makes sense; having a child is a “binary” event. Once it happens, a lot of other things go out the window.
All this is to say that yes, conventional wisdom is “wisdom” for a reason. So if you’re getting older and can’t find yourself staying as relevant as you used to, have no fear — just wait for your kids to become teenagers, and you’ll get exposed to all the popular music of the day once again!
結局、音楽的な興味は深く付き合う人間の嗜好に引っぱられるということね。
「夫が若いアイドルに詳しくなったら若い女との浮気を疑え」
とはよく言ったもんだ。
突然食いたくなったものリスト:
黒豆餅
本日のBGM:
Autumn Leaves /Cannonball Adderley
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