大阪に入って来たお好み焼きが「洋食焼き」と呼ばれた理由

3年ほど前にX(旧Twitter)(←2022年の買収からもう4年になるのに未だにこう書かれる情けなさよ(^O^) )に書いた、私の仮説。

「備忘録」だからね、ここは。

近代食文化研究会さんの「お好み焼きの物語」には、「お好み焼き」の誕生と、それが全国に広まっていく状況が、圧倒的な文献の提示によって解き明かされている。

それによれば、「お好み焼き」とは子供相手に水溶き小麦粉などと具を、主に鉄板で焼いた子供相手の駄菓子だった。それはパロディ料理で、子どもたちもよく知っている(しかし家で食べていたかどうかは経済事情によるだろう)料理を模したものだった。

例えば、昔の「お好み焼き」屋台のメニューには、

シウマイ
オシロコ(お汁粉)
お寿司
カツレツ

みたいな名前が並んでいる。

子供の安っすい駄菓子なのだからもちろんそれ自体が出てくるわけではなく、今でいえば、「トンカツ」というメニューでビッグカツが出てくるような、パロディ。遊び。それが「お好み焼き」だった。

そう、もともと「お好み焼き」は特定のメニューの名前ではなく、カテゴリーの名だったわけだ。

で、その「お好み焼き」のバリエーションの1つだったのが天ぷらのパロディ。

いかてん
えびてん
あんこてん
もちてん
牛てん

などがあったそうだ。
これらは人気となり、まとめて「天もの」と呼ばれている。

とはいえこれも、「トンカツ⇒ビッグカツ」みたいなもので、もちろん子供が数銭のお金で買えるような駄菓子なわけで。

例えば「えび天」や「いか天」は、小麦粉を水で溶いた生地を鉄板に流し、ネギ(キャベツの時もあったんだろう)と干しエビや刻みスルメをパラパラっと載せて焼き、ソースをかけたものだそうだ。
これが「えび天」「いか天」だと。
他の「天もの」も似たようなバリエーションなのだと思う。

── このへんから私の仮説になってくる。 ──

著者がここに書いていないのは文献的な裏付けがないからなのかもしれないが、ここでもう1つ、「天かす」が必ず入っていたのだと思う。

※この本には記述の近くに、神戸に伝わった「天もの」のお好み焼きが「にくてん」と呼ばれることになったことについて、これまでの「説」の1つとして、「天かすを使うから」という説があったという記述がある。ただこの説は「(にくてんは)天かすを使わない場合も多いのが難点」だと。
しかしこの記述は神戸で進化した後のお好み焼き(にくてん)の話なので、神戸に伝わった当時の「天もの」に天かすが使われていなかったという話ではない。

干しエビや刻みスルメに天かすを加えて初めて、「えび天」「いか天」になるはずだ。
というか、おそらく天かすが入らないことには天ぷらのパロディにはならない
だから、もともとの「天もの」に「天かす」は不可欠だったはず。

この「天もの」が大ヒットした。

子供相手の駄菓子といえど、ヒットすればそれで食べて育った大人も出てくるし、安いならそれで酒を飲む大人も出てくる。それにお金を出してもいいという大人が出てくれば、もっと体裁を整えていい材料を使う店も出てくるだろうし、大人を相手にするお店でやるようにもなる。
(今もりんご飴とかコッペパンとか、昔子供相手の安い物だったのがいつの間にか大人相手のいっちょ前のメニューになってたりするね)

こうしてお好み焼きの「天もの」は全国に広まっていった。

その1つが先ほども出た神戸で、ここには「にくてん」という名前で伝わった。これまではどうしてそんな名前なのか謎だった。「説」もいくつかあったけど、東京からお好み焼きの「天もの」(多分、その中でも「牛てん」)が伝わったからだと解ってしまえばなるほどそういうことかとなる。

そして「牛てん」が「にくてん」となったのも、「肉といえば牛」の関西らしい話ではある。
「豚まん」を「肉まん」と呼ばないのと同じ感覚やね。(^O^)
(とはいえ当時どんな肉を使ったのかはわからない。ただ、関東と同じ感覚で「豚のはず」と思うのは早計だろう。いずれにせよ子供の駄菓子なので本物であった可能性自体低いかもしれないし、本物の肉を使っていたとしても本当に少量の切れっ端だったはずだし、おそらくは筋や脂肪のような廃棄する安い物だったはず)

昭和初期に東京のお好み焼きのスター選手「天もの」は、神戸だけではなく全国各地に広がった。アイドルグループで1人だけ売れたようなものだろうか。

ただ、伝わった先では、

「これはお好み焼きの一種、『天もの』で」

などという事情なんて関係ない。

なので東京で「お好み焼きの天もの」(あるいは「天もののお好み焼き」?)だったものが、他の地方では単に「お好み焼き」と呼ばれたり、あるいは子供がお好み焼き屋台について呼んでいた愛称「どんどん焼き」(太鼓をどんどんと鳴らして売りに来るから)という名称で伝わったところもある。「にくてん」ももちろんそう。
それぞれ伝わった地域の事情があったに違いない。

で、大阪にはまず「洋食」「洋食焼き」「一銭洋食」などという名前で伝わった。
(これは今でもけっこう残っている。「重ね焼き」(おそらくこれが原型に近い)で府内各地にある。例えば比較的有名?な岸和田の「かしみん」も、今は「かしみん焼き」と呼ぶ店もあるが、本来は「かしみんの洋食焼き」だ。「洋食焼き」のいろんな具のバリエーションの中のかしわ(鶏肉)とミンチ(牛脂)の組合せの具を載せた洋食焼きを「かしみん」を呼んだだけなので)

ではなぜ大阪では「お好み焼きの天もの」が「洋食」「洋食焼き」「一銭洋食」という名前になったのか。

一説では、「ソースを使うから洋食」ということで、「洋食焼き」になったと。

この本でもそういう説明になっているし、私自身も昔はそう思っていた。

しかし今の私はこれとは違う考えを持っている。

まず考えなくていけないのは、「天もの」というパロディの元になった本物の「天ぷら」についてだ。

私たちが今普通にイメージする天ぷらは、東京ローカルの食べ物だった。

天ぷら

若い人は知らないかもしれないけれど、昔、大阪で「天ぷら」といえば天つゆをつけて食べるサクッとしたアレではなく、今で言う「さつま揚げ」を指した。

天ぷら

「天もの」が大阪に伝わった当時(昭和初期やろか)、大阪人にとって東京の天ぷらはまだ新しい食べ物だった。

近代さんの本にもあるように、当時の証言では「洋食焼き」に使われていた野菜はキャベツよりネギが多く、塗られていたのもソースよりも醤油だった事例の方が多い。

何なら戦前のウスターソースは酢と醤油、そして香辛料を使っていたので、実質的には酢醤油だったと書かれている。

ちなみに昔、このブログにこんなエントリを上げた。

日本初のウスターソースの味を再現…
http://hietaro.kameo.jp/archives/139

ここで日本で最初に特許を取ったヤマサ醤油によるウスターソースのレシピを紹介している(特許を取ったので、残っているんだな)。

日本醤油
醤油
1斗
18リットル
西洋酢
5斗
90リットル
蕃椒
トウガラシ
1500匁
5625g
胡椒
コショウ
500匁
1875g
丁字
クローブ
400匁
1500g
ニンニク
250匁
937.5g
胡すい子
コリアンダー
150匁
562.5g

確かにこのレシピも、ミもフタもない酢醤油だった。

当時の子どもたちがこういう「ソース」で食べたなら、後にお好み焼きについて「醤油をかけていた」と証言しても不思議ではないとこの本にはある。

ただ、もしそうなら(かけていた物をウスターソースだと思わず醤油だと思っていたのなら)やっぱり「洋食焼き」とは認識されないのではないか?

そこで「天かす」ですよ。

先ほども書いたように、天ぷらは当時の大阪の人間にはまだ見慣れない新しい食べ物だった。
そして同時期……というか、おそらく明治からこっちだと思うけども、新しく大量に流入したり日本で生まれた新しい食べ物(洋食・中華・その他いろいろ)がゴッチャになっていたのだと思う。

それは例えば本来火と油のはずのパンクとニューウェーブが同時期に日本に流入して混じり合ったり(^O^)、明治期に西洋のいろんな様式の建築が急に入って来て、その様式の区別がつかない日本の大工が見よう見まねでゴッチャなものを作った擬洋風建築であったり。

同じようなことが新しい料理についてあったのだろうと思う。

例えばそれは百貨店の大食堂。
和洋中のメニューが混在し、特に洋中にあまり境界はなく、焼売や春巻、天ぷらにウスターソースをかける文化も現れている。

いや、それはそれとして。(^^;;

大阪人にとって、天ぷら(や天かす)は、新たに入って来た洋食や中華と同じ「目新しい料理」の枠だったのだと思う。

大阪人が天かすが入ったうどん(東京で「たぬきうどん」と呼ばれるもの)を「ハイカラうどん」と命名したのは、

「タダで出すようなもの(天かす)を乗せて喜ぶなんて、東京の人はえらいハイカラでんな」

という皮肉を込めたからだとかひねくれた(^O^)解釈も読んだことがあるが、それより実際に「天かす」(天ぷら)そのものを目新しい「ハイカラ」なものだと捉えていたと考える方が自然だと思う。

ハイカラうどん(なか卯のサイトから拝借)

東京からやって来た「お好み焼きの「天もの」」が大阪で「洋食焼き」「一銭洋食」と呼ばれたのは、「ソースが使われていた」からではなく、「(大阪では「洋食」と同じヒキダシに入れられた天ぷらの副産物である)天かすが使われていた」からではないかというのが私の推測。

天ぷらを知らない場合、天かすだけを見てこれを「和」と感じるか「洋」と感じるか。私は「洋」の可能性の方が高いと思う。

そしてネギに変わって安くなったキャベツが多く使われるようになり、ソースが酢醤油から今の味に移行した?ことに伴って「洋食なのだからソースやろ」となり、より(イメージとしての)洋食っぽさを付加していったのではないかなあと思っている。

と、これが私の仮説。

まだまだツメが甘いなあ。(^^;;;


そして、大問題である、

ウスターソースはいつ、酢醤油+香辛料から今の姿になったのか

がまったく解けていない。(^O^)

……おそらくは戦後の砂糖の供給再開ととんかつソースの発明あたりから変化したのかなと思わないでもないけども、それは推測に過ぎない。

まだまだ考えることは多いね。


神戸のにくてんについては、三宅正弘『神戸とお好み焼き』(2002年)にも詳しい。

この本については昔、うちのブログで紹介している。

『神戸とお好み焼き』(三宅正弘)
http://hietaro.kameo.jp/archives/242

この中では、こんなことが書かれている。

「にくてん」の名の由来は、一般的には「肉に小麦粉をつけて油で焼くことからきている」という。肉の天ぷらで肉天だと。ただし肉を一番上(天井)に乗せるからだとか、「てん」とは「転」で、ひっくり返すからだとか、肉と天かすが具になるからだという説もある。
東京ではお好み焼きのことを、豚天、イカ天と、語尾に「天」をつけて呼ぶ。これは、関西などで、豚玉やイカ玉、もしくは豚焼きやイカ焼きと呼ぶ、~玉、~焼きと同じことである

この頃はまだ、にくてんの「てん」とは何なのか、本当に謎だったんだよ。


 大阪・岸和田の「かしみん」について。

「洋食(焼)」と「お好み焼き」ははっきり分かれていて、洋食は重ね焼き、お好み焼きは混ぜ焼きで供される。
その意味ではこのあたりはお好み焼き伝搬のタイムカプセルのようなものかもしれない。

岸和田・大和のメニュー
かしみんだけでなく、ぶたみん、にくみんもある

岸和田・鳥美のメニュー
朱書きで「お好み焼」「洋食」とある

で、これらのメニューを見ても、「かしみん焼き」という呼び方はどうなのかと。(^O^)

ただまあ、地元の人はそのへんは鷹揚で、そもそも大和のお孫さんが始めたお店(元祖かしみん焼き くろまつ)さんは店名にも「かしみん焼き」を使っている。(^O^)

キャッチーな「かしみん」の名前で他の地方にまで名前が広まれば、それでぜんぜんええのよ。ほんまに。

ちなみにこの大和のメニューを見ても、「牛」が「にく」なんやね。

鳥=かしわ
牛=にく
豚=ぶた

と。大阪っぽい。(^O^)


実は大阪には「お好み焼きの「天もの」」が上陸したのは2回あって、始めに「洋食焼き」(重ね焼き)が屋台メニュー・子供の駄菓子として上陸し、その後、大人相手の店舗での料理として「お好み焼き」(混ぜ焼き)が上陸する。

つまり、「混ぜ焼き」のお好み焼きも大阪のオリジナルではない。


上記、三宅正弘『神戸とお好み焼き』によると、お好み焼きが「大阪名物」「本場大阪」などと呼ばれるようになったのは、昭和30年代にぼてぢゅうなどのチェーン店が関東に進出する際にキャッチフレーズとして使い、昭和40年代にそれが定着したもののようだ。

このあたりからガイドブックなどにそのような表現が出現する。


なお、「お好み焼き」の中で、「天もの」以外にも大人気になってソロ活動を始めたメンバーがいる。

それが「ソース焼きそば」。

これはもともと中華のカタ焼きそばのパロディだった。

だからこれも「お好み焼きの「焼きそば」」だったというわけ。

大正末期に生まれたソース焼きそばは屋台で大人気だったそうだが、お好み焼きと違って戦後まではあまり東京以外には広まらなかったそうだ。

いずれにせよ、今で言う「お好み焼き」も「ソース焼きそば」も東京で生まれたってことね。


突然食いたくなったものリスト:

焼肉(ハラミ)

本日のBGM:
天プラ /ザ・スターリン



 


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