四半世紀前の関西グルメ案内本を読む2/3

前回からの続き


『ぴあ まんぷく図鑑’94 関西メニュー別うまい店案内』

 この本のお話。
 ここからはメインの記事について。

 メインの記事はまず大カテゴリーに分かれ、そのカテゴリーの下に小カテゴリーがある。これは上述のとおり。例えば【鍋】という大カテゴリーがあり、その下に「うどん鍋」「てっちり」という小カテゴリーがあるという具合。

 まずそれぞれの大カテゴリーに解説文があり、実際に店が紹介される小カテゴリーにも若干の解説がある。それらの解説がけっこう詳しくて、このあたりにも今の本に比べて丁寧な作りだったことが窺える。

 全体の記事をパラパラとめくってふと気づいたこと。

 例えば【肉】の中の「焼肉」「ステーキ」「すき焼・じゃぶしゃぶ」の3つの小カテゴリがある。これらのうち、「焼肉」、「すき焼・しゃぶしゃぶ」の店の料理写真はほとんどが調理前の「生肉」の状態での写真となっている。しかし「ステーキ」ではすべてが焼いた後の写真。
 注意して見てみると、【鍋】の写真も同じく生の食材ばかりだった。……まあ、鍋は煮上がった後だとぐちゃっとして見栄えが悪いからなあ、と納得しかけたが、それとはちょっと違うんだろうと気づいた。

 これはおそらくどの状態で客に提供されるかで決まるんだな。焼肉やすき焼・しゃぶしゃぶ、そして鍋類は客にこの(生の)状態で提供される。ステーキはそうでなく、店が焼いた後に提供される。そりゃ客だって、提供される状態で見せられる方がわかりやすいわね。
 なるほどなあ。

 【鍋】カテゴリの解説文も、リアルタイムの時代意識がわかりやすく出ていて興味深い。

……これほど多彩な鍋だけに、時代のニーズに合わせてイン・アンド・アウトも激しい。バブルの頃は、かにすきやてっちりなど高級素材を使った鍋がもてはやされたが、ここ数年は比較的価格も抑えたちゃんこが相撲ブームとともに人気を伸ばし、昨年は安くてボリュームもたっぷりのもつ鍋が全国を制覇した。今年は、定着したエスニック人気と手軽な価格をひっかけたタイスキが、一気に来そうな気配。……

 90年代前半の「相撲ブーム」についてはこの↓記事が簡単でわかりやすいと思う。

「体力の限界」千代の富士引退と若貴ブームの熱狂 90年代前半の大相撲

 タイスキが実際に来たかどうかはあまり記憶にない。

 【串】カテゴリーには「やきとり」と「串かつ」がある。ともに「立ち食い」の多いカテゴリーだが、ここでは「大阪独自の文化“立ち食い”」と書かれている。大阪に住んでいる私にはよくわからないが、そうなのだろうか。あまりに普通に存在するので、他地方にはないのかどうか、よくわからない。

 この「立ち食い」のウンチクとして紹介されているのが「串かつのソースは二度漬けしない」。

 今では「ソースの二度漬け禁止」は大阪の串かつの代名詞となった感があるが、これは大阪の串かつチェーンが関西外に店を出す時のキャッチフレーズにしたり、あるいは観光客へのアピールとしてこのフレーズを多用したために、かなり最近に広がった認識だと思う。
 確かに立ち呑みの店(あるいは椅子があってもかなり隣との距離が近いカウンターの店)ではソースは隣と共用することになるが、揚がった串を皿に盛ってテーブルに運んでくれるような店ではいくつかに仕切られた小皿にソース、塩、カラシ、マヨネーズなどの調味料が入れて出される。このスタイルだと二度漬け禁止にする理由がないので当然そんなことは言われない(そういう店はやはり少し高級)。

 この本で紹介される店の半分くらいはこのスタイルであり、そう考えると2000年以降の「立ち食い」串かつ店の攻勢が、逆に大阪の串かつを規定してしまったようにも思える。今では「串カツの聖地」となり観光客で賑わう新世界も、25年前は非常に寂れた、1人で行くにはためらわれるディープな地域だった。しかし今ではあふれる観光客を相手に「ソースの二度漬け禁止」を掲げる大型新店もたくさん誕生し、かつてのアヤシサはすっかり影を潜めている。

 ちなみにこの「二度漬け禁止」ルールは、この本では【串】カテゴリの解説文の中の「立ち呑み屋での4ヵ条」の中で紹介されただけで、店の紹介文を含めて他の箇所には1度も登場しない。串かつ店の中でも立ち飲みの店はこういうルールがあるので気をつけましょうというだけのことで、この頃はまだ、あえて強調されるようなことではなかったということだ。

 【揚】には「とんかつ」「ビフカツ」「コロッケ」「揚いろいろ」という小カテゴリーがある。ここで興味深いのは、おそらく今なら必ず1カテゴリーが立てられるだろうと思われる「天ぷら」と「鶏のからあげ」がないこと。「天ぷら」がないのは客単価の高さゆえという納得の仕方もあるが、「鶏のからあげ」はそれでは納得できない。

 1カテゴリーにはできなかったものを集めたと思われる「揚げいろいろ」カテゴリーでは、紹介されている10店中、天ぷらが6店舗。鶏のからあげは2店舗で、しかもそのうち1店舗は手羽先。もう1つは鶏の唐揚げを大根おろしとポン酢で食べるもの。私たちが今、普通に認識している「鶏のからあげ」は1店も紹介されていない。(ちなみに残りの2店舗は薩摩揚げと海老カツ)
 もちろん当時、「鶏のからあげ」は存在したけれど、さほど人気のメニューとしては認識されていなかったということだろう。

 今では日本唐揚協会も立ち上がり(2008年設立)、唐揚げのグランプリイベントが開催されたり各地の唐揚げMAPが作られている。鶏のからあげが「人気メニュー」として認識されるのは2000年代以降の話なのだなあ。

 【揚】カテゴリーでもう1つ興味深かったのは、「とんかつ」「ビフカツ」の料理写真。「とんかつ」ではほとんどの店が包丁を入れた状態で提供しており、「ビフカツ」は包丁を入れずに提供されている。


とんかつ


ビフカツ

 包丁を入れるか否かについて「大した違いはない」と思うかもしれないが、「ポークカツレツ」が「トンカツ」「とんかつ」に変化した大きな要因は、箸でご飯のおかずとして食べられるようになったことだ。最初に包丁を入れて出すかどうかは、箸で食べられるのかナイフとフォークで食べるのかを分けることになる。
 つまり「とんかつ」は和食であり、「ビフカツ」は洋食であると。

 【洋】の「オムライス」の料理写真も興味深かった。今時の半熟とろ~りなオムライスは1つもない。もちろん映画『タンポポ』でメジャーとなった、オムレツがライスの上に載せられていて、ナイフを入れると半熟玉子がライスを覆う……みたいなものもない。使っている量によって玉子の厚さに違いがあるものの、基本的にはケチャップライスやバターライスを薄い玉子でくるっと巻いたものだ(中のライスが透けているものもある(^O^))。ソースもほとんどがケチャップとデミソースのバリエーション。ここから25年でオムライスはかなり変貌を遂げることになるわけだ。
 しかしそれでも、みんなウマそうだ。(^O^)


オムライス

 この本のいいところは、見開きで最大12店舗の料理写真が一度に俯瞰できることで、その違いや共通点がわかりやすい。【洋】「ハヤシ」でそれを認識した。
 私はハヤシライスにはさほど興味がなく、ルックスもカレーライスとほぼ同じで、グリーンピースを載せることでカレーライスと区別する(^O^)程度に思っていたが、ルックスで比べるとハヤシライスには1つの特徴がある。それはタマネギがかなり目立っているということ。
 カレーライスだと煮崩すのかあまり目立たないのだが、ハヤシライスではタマネギがかなり目立っている。店によっては大量のタマネギに茶色の色が付いているのがご飯に乗っかってるだけに見える。(^O^) これはルーのとろみも関係するのだろうな。


ハヤシ

 【丼】解説文にはこんな↓ことが書かれている。

庶民の味の代表選手、丼。丼の元々のルーツは、江戸初期の鰻飯に端を発するが、その後、明治時代には天丼、牛飯、親子丼が、大正時代に入るとかつ丼というように次々と現在の丼が登場し、今では押しも押されもせぬ庶民の味、特に昼食の人気定番メニューとなっている。

 鰻飯が丼の元祖だったとは知らなかった。
 鰻飯については、上記のように「「鰻飯、京阪にて、まぶし、江戸にて、どんぶりと云ふ。鰻丼飯の略なり」江戸時代に書かれた『守貞漫稿』には、このような記述が見られる。やや細かく切った鰻の蒲焼を、かけ汁とともにまぶしたから「まぶし」。これが、いつの間にやら[まむし]となった」との解説もある。

 つまり関西でいう「まむし」とは鰻そのものではなく、「鰻の蒲焼を、かけ汁とともにまぶした」もの、鰻飯=鰻丼を指すということだ。ごはんまでついて初めて「まむし」だと。
 「まむし」でヘビを連想し、同じ長い生き物だから鰻のことをまむしと呼んだのだろうという推測ではこの結論は出てこないね。

 時系列的には先の解説の続きとなる話が【丼】「親子丼」解説文にある。

……大正になるとかつ丼が登場し、「うな・天・親子・牛・かつ」の五大丼が勢揃いする。ところが丼が東京・大阪の食堂を賑わせ始めた矢先に関東大震災が発生、その時家を失った料理人たちが各地に四散し、親子丼をはじめ各種丼が全国に広まった。

 【飯】カテゴリーで興味深かったのは「炒飯」。
 解説文、紹介文のいずれにも、「パラパラ」という文字は一切出てこない。

 かといって他の表現で今でいう「パラパラ」を表現しているわけではなく、どうやら本当に、この当時は炒飯について、まだ「パラパラ」という価値観がなかったようなのだ。紹介文では味付けや具の話題がメインとなっている。
 以前twitterで、炒飯に「パラパラ」がいいという価値観がいつ頃登場したのかという議論を黒猫亭としたことがあったが、正直、こんなに最近(といっても25年前だが)であってもまだそれが登場していないというのは驚きだった。

 いやもちろん、この本に書いていないからといってこの当時に「パラパラ」価値観が登場していないと考えるのは早計だとは思う。ただ、「さほどメジャーではなかった」程度のことは言えるだろう。少なくとも今だと、炒飯の紹介ページで「パラパラ」という言葉が入っていないということはちょっと考えられない。

 ……となると、じゃあ実際、炒飯に「パラパラ」という価値観がいつ頃登場し、それがメジャーになったのはいつ?という新たな疑問が湧くわけだが、それはこの本ではわからない。

 【煮】カテゴリの下には「関東煮(かんとだき)」しかない。
 【煮】カテゴリの解説文には、関西の「関東煮」と関東の「おでん」の比較が掲載されている。

 既述のとおり、コンビニや東京発信の情報の浸透で、今では関西でも「関東煮」という呼び方は少数派になり「おでん」という呼称がメジャーになっている。しかし、だからといってその中身まで関東煮がおでんに呑み込まれたかというとそうでもない。
 ここに書かれている「関東煮」「おでん」の中身の違いは、現在でもしっかりと生きている。


東西のネタ比較


東西のつゆ比較

 コロ、さえずりといった鯨ものは1993年のこの時点でも「今では貴重な存在」と書かれている。しかし別のところにちょろりと書かれている「関東煮マニアの間で密かに調べた人気ネタ」ではベスト2に入るなど、関西では人気のネタだった。この本には掲載されていないが、大阪・福島には花くじらという人気店がある。
 また、関東煮にはタコもつきもので、関西の関東煮屋の屋号には「たこ(蛸・多幸)」がついたものが多い。大阪で「たこ○○」「××たこ」なんて名前の店があると、それだけではたこ焼き/明石焼の店か関東煮の店か区別が付かないことがある。
#なお、以前読んだ『東京と大阪 味のなるほど比較事典』(前垣和義)という本には「大阪でおでんを扱う店で、「たこ梅」のように店名に「たこ」とひらがな書きなら「おでん屋」で、「多幸梅」と漢字表記は「料理屋」との区別があるとされる」とあったが、この本に紹介されているおでん屋にはたこ梅蛸長がある。(^^;; あんまり当てにはならないかな。まあ蛸長の京都の店だし……

 【麵】「ラーメン」には、90年代のラーメン本の常連店が並ぶ。ラーメンについては私もだいたい知っているので今でも盛業の店、閉店した店ともにさほど心が動かされるものはないのだけど、1店だけ、「おおお」と思った店があった。一石食堂。中崎町を歩くとガード下に非常にいい味を出した店があり、その店がまだ営業していた頃の紹介記事なのだ。


中崎町のガード下にある一石食堂跡。現在もこの看板は残っている。

Google 画像検索 – 一石食堂 中崎町


一石食堂の紹介記事

 「奥さんが以前務めていた、中華料理店の賄いからヒントを得たというマヨネラーメン450円は、シンプルなラーメンにマヨネーズを落とした人気メニュー。スープとマヨネーズが溶け合った、洋風の味だ」とある。マヨネーズを入れたラーメンといっても、剛力ラーメンのそれのようにかき混ぜて提供するのではなく、ラーメンの端っこにマヨネーズが載せてあって、自分の加減で混ぜていくもののようだ。なのでルックスは普通のラーメン。
 店の雰囲気も含めて、ここは一度は食べてみたかったなあ。

突然食いたくなったものリスト:

  • つちはしフーズのいか焼

本日のBGM:
迷宮のアンドローラ /小泉今日子




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