堀井敏夫先生の話(再掲)

 前回(「「大阪には橋がない」」)、堀井敏夫先生について少しだけ書いた。
 そこにリンクしたエントリに、そのまた前に堀井先生について書いた記事へのリンク(^^;;が貼ってあったのだが、それは私がかつて使っていたinfoseskへのリンクで、infoseekは今はなくなっちゃったので当然それはリンク切れになってる。
 
 その時代の記事は今は別の場所に移動していて読めるようにはなっているのだけど、これを機会にリンクを修正した上で、このブログに再掲しておこうと思う。


2003/05/07
 大学時代、尊敬していた先生がいた。
 堀井敏夫先生。教養部の教授だったと思うが、私は彼の「西洋史学」の講義をとっていた。
 先生の授業は(先生の人柄を含め)とても刺激的だった。……といいつつ、如何せん2限目の授業だったので、怠惰な私は自分の怠惰さに勝てず、数回しか出席できなかった。(^^;; しかしそれでも、私はかなり大きな影響を先生から受けている。
 人生というのは(と一般化していいものかどうかわからないが)いつも「もっと学べばよかった」と思うことの連続だが、先生のことを思い出すたびにその思いが強烈によぎる。
 
 さて。
 このサイトのアクセス解析を見てみると、3月くらいにここに訪れた人が<今号の名言>集で先生の名前を発見したようで、それを自身の日記に書いてる。今でもそこから週に1~2人くらいの訪問がある。
 彼も堀井先生の講義を受けていたという(といっても私と時期がかぶっていたかどうかはわからないが)。そしてまた彼も先生から大いに刺激を受けたみたいだ。
 
 さてさて。
 先日、部屋を掃除していたら、大学時代のいくつかの資料が見つかった。
 その中には堀井先生の講義関連のものもあった。
 
 というわけで、今回は週に1~2人の訪問者を提供してくれている(^^)彼に敬意を表し、堀井敏夫先生SP第1弾として(^^;、その資料の中から御紹介。
 
 先生の講義の最後のテスト。
 〔前置き〕が、いかにも先生という感じで素晴らしい。(^^)
 しかしこのくらいでは先生の素晴らしさはほんの少しも伝わらないだろうと残念にも思う。
 
 いつか第2弾で出すつもりの先生の講義ノートなら、少しは伝わるかなぁ?
 

〔前置き〕 もっと多くのことを諸君に、心ゆくまで語りたかった。しかし、心ゆくまでとは、ぜいたくな話しであり、わたしは時計をにらみながら中断した。現代はエリオットの詩にもあるように、「お時間でございます。お時間でございます」と繰り返していなければならない時代である。(T.S.エリオット『荒野』)
 とはいえ歴史認識は、あらゆる社会と人生とに 深い関わりをもっているからには、大学の単位を取ったからそれで歴史学を修了した、というようなものでは決してない。後期に講義した主題もまた……すなわち近代、ルネサンス、地理上の発見、宗教改革、改革と革命などの主題もまた……、諸君の行く手の傍らに 時折ふっと現れて諸君の頭脳の片隅をよぎって行くこととなろう。歴史感覚は、運動感覚と同じように 鋭いに越したことはないし、異国ヨーロッパに関する知識も、祖国日本に関する知識と同じように豊かであることが望ましい時代が もう目の前にやって来る。

〔問題〕次の主題のうち、一つ(ただ一つ)を選び、その主題の記号を答案の初めに記し、論述せよ。
  〔A〕地理上の発見
  〔B〕旧制度(アンシアン・レジーム)
 もし諸君の論述の内容が 高校の教科書や受験参考書を一歩も出ていないとすれば、諸君は、大学入学以来、何事も学ばなかったということになる。諸君の答案は、この半年間諸君の歴史感覚が決して眠っていなかったことを示すものになってほしい。

〔付記〕 マス・プロ教育の中でも、教師と学生は ほんの少しでも意見を交わし、心を通わせるのがいいと思う。その意味で、上記の問題に対する解答以外で教師堀井に伝えたい事がもしあれば、解答部分とは全く切り離して、答案用紙の裏のお終いから、逆向きに数行書いてくださってもよろしい。ただし、その部分は、後でゆっくり読ませてもらうことにしているので、評価には関係がなく、単位取得の陳情の類の付記はいずれにしてもむだである。また、選んだ問題に関係ある疑問や批判は、当然ながら解答部分のなかに遠慮なく盛り込んでほしい。

〔再試験〕 採点の結果、評点「1」の者が出れば、遅くとも2月23日までに所定場所に掲示する。(1以外の、0・2~5の者は掲示しない)。再試験は、その2~3日後の、たとえば2月26日とか27日とかの昼食時間に行う予定であるが、日時・試験場とも、上記の掲示のなかに発表する。

 


2003/05/13
 先日の堀井先生の話に読者より反応あり。
 私の覚えていない先生の話を教えてくれた。
 
 後日、先生の講義ノートとともに御紹介したいな。

2003/05/16
 引き続き堀井敏夫先生のお話を。
 
 先日、ここでの堀井先生についての記述を見た友人がメールをくれた。
 
 彼もまた堀井先生から絶大な影響を受けたそうで(「人生の恩人」とまで言っている)、いやほんと、先生の素晴らしさを共有できてとても嬉しい。
 
 彼の書いてくれたエピソードはこんな感じ。
 

俺が印象に残ったのは「歴史には絶対の真実は存在しない。your history、my storyであって、故に君たちもmy historyを作らないといけない」とか湾岸戦争への自衛隊派遣を巡って活動を活発化させていた中核派の学生の要求に「10分間だけ時間をあげよう」と言って演説させたが「その意見は君だからこその意見なのか? 私にはちっとも響かなかった。私は君たち(聴講生)すべてに君たちだからこその意見を求めたい」とバッサリ。

 
 中核派については<今号の名言>集-れに引用しているとおり、
 

☆レーニン、毛沢東が非合法時代覆面をしましたか? 覆面をして人々を説得できますか? 説得できる理論があって、それでも成功しないのが革命なんですよ。覆面なんかしてては革命は成功しません。
──

★ 堀井敏夫。大阪大学教養部教授。アジ演説で講義を妨害する中核派に向かって言った言葉。

 
 という部分の記憶はあったのだが、「10分間だけ時間をあげよう」というのは、このメールをもらうまで完全に忘れていた。
 
 先生らしい、いいエピソードだよなあ。(^O^)
 
 というわけで、堀井先生特別企画第2弾。先日私の部屋から発見された先生の講義ノートより。
 
 これは先生の授業をサボりがちな私が、先生の授業を受けながら印象に残った話の断片をメモしたもので、講義の全体像を映したものではない(残念)。だからかなり脈絡がヘンになっている。そのへん御了承を。
 
 それでも1つ1つのメモに、何か感じるところがあれば嬉しいね。
 (なんか古い話なのに、このノート見ると授業の光景をまだ思い出せるよ)
 2回分ある。
 

堀井先生の講義より
◎カトリックは「神が知っている」ということで人に対して隠し通せる強さがある。
◎過失の罪悪感による自殺-日本人
 欧米人の自殺は絶望によるもの
◎日本の教科書はプロテスタント偏向
◎日本人は黙る→背負わなければいけない→軽い謝罪では済まない→重い罪なら出来る(辞任・自殺)
      ↑日本人はこれを濫用する
 欧米人には教会がある
  日本はアンシャン・レジームが続いている。アンシャン・レジーム時の人間像-過剰責任の人間
◎フセインがなぜ辞任しないかという疑問は天皇が敗戦時辞任しないのをみて欧米人が感じた感覚と同じものである
◎職人は世界観を持たずともできる
◎修道院は地上のユートピアを目指した-禁欲(祈りと労働)
  カトリックのユートピア-戒律を守らないと×。それが前提
  啓蒙思想・社会主義のユートピア-↑それはしんどい。空想的ユートピア(サン・シモン) ↑
技術・訓練という戒律は存在するが、生き方の戒律はなくした。

-正統と異端-
※キリスト教が成立するときから「異端」はあった。
※ずっとカトリックが異端を抑え続けてきた。抑えきれなくなったのが近代。
※日本の教科書-プロテスタント偏向(戦後、外国から文句。「日本の教科書は新教に片寄りすぎ」→東大の歴史教育とともにまだ幅をきかせている)
  「中世末カトリックが堕落・形式化していた」 宗教戦争は別に書いてある。
    ルネッサンス時代、人殺しをした法王もいた。免罪符
 ウィクリフ、フスが中世末から批判を始める。
・ルター-95カ条の公開質問状(1517)
 「ソーラ・フィデー(信仰のみ)」
・ツヴィングリ-法王の軍隊と戦った。
・カルヴァン
※新しいもの(宗教改革)の罠
 古いもの(旧教)は悪いものだという考えを植え付ける。
 特に日本人は「新」とか「改革」とか、言葉として弱い。
 和英辞典を見ても「new religion」、「old religion」と書いてあるものなど一つもない。
 日本はイギリス・ドイツの影響を強く受けた。
 フランス・イタリーはモード、絵画など。
 戦後日本の学者はプロテスタントと資本主義に飛びついた。
 「ボージョレー・ヌーボー」が日本で流行らなくなったのは「新しく」なくなったから。「新」への執着。
 日本人の「新しさ」に対する異常なまでの熱心さ。
※プロテスタントの誕生
・ローマ法王の権威(法王に誤り無し)を否定。
・ヒエラルキーがない。
 「万人これ司祭なり」
・聖書へ(中でも福音書)
☆プロテスタントの中に新しい道徳の芽生え
 禁欲労働の肯定
  ↓その結果
 財産がたまる。利子を取ることを認める。利潤追求。(マックス・ウェーバー)
 ↑近代資本主義の精神に合致してはいるが、それが資本主義の原動力になったかどうかは「?」
※カトリックの側に立つと、ドイツ、北欧などは田舎→田舎を手放した(致命的ではない)
 カトリックの都会はウィーン・イタリア・スペイン・フランスだった。
  イギリスは離れ小島。東京からみた四国みたいなところ
 カトリックは中心は確保していた。
 植民地にカトリックがどんどん進出。宗教改革以前よりもっと大きくなったとも言える
 ↑プロテスタントが出てきたおかげ
※宗教対立の恐さはヨーロッパ精神の重要部分
 ←→日本ではなぜ宗教戦争が起こらなかったのか?を問うことは日本精神を解明するために重要。  →日本の基礎理論の弱さ
   信長←→仏教 の対立はあったが……
   (世俗)     
 宗教戦争がなかったため、世俗権力者はヨーロッパに先駆け、政教分離を実現した。
 天皇制はあとで日本人がヨーロッパを見てうらやましくなって(国家を維持するには国家宗教が必要、となって)神道を持ってきた。
※ヨーロッパ人の頑固さ
 359年ぶりに「ガリレオの破門を解く」
 ヨーロッパ人、カトリックの頑固さ。破門を守り続けた。
 非常な原則論者。ガリレオは正式の墓は作ってはいけない、という破門のされ方をした。だから未だに彼の墓はない。
 ヨーロッパ人は原則論者であったからこそ、それを打ち破ろうと命をかけた。
 頑固な奴を説得しなければいけない→ヨーロッパ科学の発達
 相手が強いと自分も強くなる。
 中世の神学は非常にガッチリした体系をもっていた。
 もし中世にガッチリした神学体系がなかったら、近代の理論科学体系もなかった。
※仏教家は地動説、進化論を攻撃しなかった。仏教は壮大な理論体系を持ち得なかったばかりに日本では教学などの体系がかたまらなかったが、西洋から入った学問に抵抗がなかった。
※歴史とは、思い出すこと。日本とは何か、我々はどうすればよいかを問うこと。
※外国人を見て笑いがこみ上げてきたとき、異文化ショックである。
※新教の誕生+宗教対立=近代ヨーロッパ
     (宗教戦争)
  ヨーロッパを作った。(メイフラワーでさえ、1620年プロテスタントが逃げ出したもの)
※カトリックとプロテスタントが対立すること→近代
 カトリックの位置が相対化された。
 ↑相対化されたに過ぎない(なくなったわけではない)
 近代とは宗教対立である。
 対立が激しいから寛容になろう。信仰の自由を認めよう。
 対立をどうしたらよいか、というのが近代の宗教問題。
※近代国家
 国家に大いに借りさせて、利子を出させて、今の我々は近代国家を利用している MMFなど
 フランス革命-国に貸した金が戻ってこないから革命になった。
 ブルジョア、プチブルは近代国家を利用し、自己の快楽を追求している。
 国家に金を貸すのが一番安心
 社会主義は資本主義のそういう面を非難した。
 
 
※「西洋史学」堀井敏夫先生の講義より
・共和=反君主制
    反乱が起きてできた体制の時の年号が「共和」であった。(『史記』)
・日本の支配階級ほど金を持たなかった支配階級は珍しい。
・バスコ=ダ=ガマは既に開かれていた東アフリカのインド航路を「知った」。要するに割り込んだのだ。
・フランス・イギリスはイタリアの模倣をやってその1世紀後には独自の国民文化を作り上げた。
・19世紀-Nationalismの時代。
・極東の果てにあった日本は明治以降幸運にも資本主義体制に参加することができた。
・中南米のコーヒー園で働く人々の1日の賃金は私達が飲むコーヒー1杯分くらいだ。
・植民地以前、発展途上国は「幸せ」であった。日本は幸運にも戦後改革が無血で与えられた。
・教会建築
  名もない街の教会でも完成に数百年かかる。日本の日光東照宮は一年半で作った。これこそ日本文化の象徴。あれだけのものを職人の技術と勤勉とであれだけ短期間で作り上げた。そこに日本文化の長短所がある。
・ラプラースの夢
  科学的必然性への絶対の信頼。

 


突然食いたくなったものリスト:

  • クリスマスにスーパーで売ってる骨付きチキン

本日のBGM:
Jazz à gogo /FRANCE GALL





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