先日、友人がこんなツイートをしていた。
こないだの信長のシェフですき焼き風の料理喰わせてたけど、生卵に浸けて食べさせてた。当時の生卵大丈夫なのか?その頃かろ卵を生で食べる風習が有ったのかな??
— ハリー (@Bernesebell) 2014, 8月 31
これを見て、確かにいつ頃からだったのだろう?という疑問が湧いた。
タマゴの生食そのものが海外ではあまり見られないことで、しかも今に比べて衛生状態、保管状態がよくなかったはずの昔の日本で、いつ頃からタマゴは生食されていたんだろう?
おそらくこれにはちゃんとした?説があるのだと思う。ただ、ググッても「江戸時代頃から」くらいが出てくるだけで正確な説は見つけられなかった。いや実際、それが通説なのかもしれない。
とすれば玉子かけご飯もそのあたりからあったんだろうか。
そんな疑問を持ってググってみたら、面白い論文が見つかった。
・江戸時代の料理本にみるたまご料理について(松本仲子)
pdfで論文が公開されている。
ここに江戸時代のタマゴ料理について書かれている。
生食についても少しだけだが記述があった。
今回は、それも含めてこの論文から興味深かった話を拾ってみようと思う。
(11ページの読みやすいものなので、興味を持った人はぜひダウンロードして読んでみるといいと思う)
この論文は、「江戸時代におけるたまご料理の実態を知ることを目的として,料理本にみられるたまご料理を収録し,現在との比較も含めながら検討を加える」もの。
調べられた料理本は1626(寛永3)から1859(安政6)に成立した「江戸時代の料理書から,たまごに関して何らかの記載がみられる40点」という。
中には私ですら名前を聞いたことがある『豆腐百珍』(多分『美味しんぼ』で知った)や『素人庖丁』(これはいろんな本で出てくる)も入っている。
「1.はじめに」によると、日本では鶏卵を初めとする鳥卵について記述された文献がほとんど見あたらないという。そして「食物史に関する文献等においても,それが記述されていることは甚だ少なく,江戸以前の諸文献においては,食物としての鳥卵の記録は数例に止まるといって差し支えない状態」。
それが江戸時代になると「たまご料理の著しい流行をみる」。この傾向は戦国時代辺りから始まり、16世紀末のルイス・フロイスは『日本史』のキリスト教布教の成果の記述の中で、従来嫌悪していたタマゴや牛肉を、秀吉でさえ好んで食べるようになったと述べている。
本編に入りまずなるほどと思ったのは、「古来我が国では「鳥とばかり云は雉子にかぎる也」と『料理伝』(推・1745~1785年)にみられるように,専ら食用にしたのは雉子をはじめとする山鳥であった」ということ。なるほど、昔は単に「トリ」と言えばキジを指したんだね。
それが1800年の『萬寶料理秘密箱』だと「たまご」といえば鶏卵を指すようになる。1830年の『新撰庖丁梯』だと「「俗間たまごと呼は鶏卵にして余鳥にあらず」とはっきり言いきっている」という。つまりこの時代になると鶏卵を食用することがかなり一般的になったということ。
生産については、「大蔵永常の『廣益国産考』(1859年)では,豊後国日田郡の産物の項に主たる産物を列挙したあと「此外に棕櫚,鶏卵,和薬種品々,此品々大坂其外領之出し売払ひ申候.就中玉子は凡銀五十七貫目何有之候」とあり,一地方の産物となり得るだけの集荷が可能であったことを示している」とあるように、すでに鶏卵は商品として流通していたようで、それが「たまご」と言えば鶏卵という認識になっていたということは、江戸時代には鶏卵がそれなりに一般に出回っていたと考えていいのだろう。
タマゴの表記について、文献から用例を引っ張り出して表記別の頻度を比べ表にしている。
一番多いのは意外にも?「玉子」で、「鶏卵」、「卵」などがこれに続く。
私は「玉子」は最近の広告的な書き方だと思っていたので、この話はなかなか意外だった。
私たちが今日タマゴを「割る」と呼んでいる操作については、「初期はつぶす,あけるの語が使われ,18世紀中頃からは割るが一般的な用語になっている.古くはたまごを割るとは,たまごがかえることを意味したことから,これとは区別して当初はつぶす等の語が使われたのであろう」とある。タマゴの中の雛鳥が殻を割って出てくることを指したわけだ。食用でなかった時は鳥主体の、食用になってから人間主体の意味合いを持つようになったと。なるほど。
料理自体についても種々紹介されているがそれは論文を見ていただくとして、興味深かった記述はこれ。
「これらの料理のうち茶碗蒸は蒸し物であるが,何々焼とあるのは全て実質は煮物である」
この時代はこういう言葉の使われ方をしてたんだね。どて焼きもこの系譜にあるのかもしれない。あるいは関東風のすき焼きもこの流れのネーミングなのか(私の認識は関東の「牛鍋」が関西の「すき焼き」と重なったというものだけども)。
「茶碗蒸し」については、こんな記述がある。
「茶碗蒸といえば,現在ではたまご主体の蒸し料理として周知のものであるが,江戸時代の茶碗蒸と称するものは, 茶碗に種々の材料を入れて蒸す料理の総称であって, 特定の料理名ではなかった」
とある。さらに、
「茶碗蒸の材料としてたまごを使用する場合,その使い方の多くは玉子とじであって, たまご1に対してだし汁3~4で割って蒸し固める現在の茶碗蒸に相当するものは管見の限りでは見当らず,加えるだし汁の量を次第に増しつついまの姿に至ったのであろうと推察される」
という。
そして私が知りたかったのが玉子かけご飯。文献には「玉子飯」というものがあった。
「玉子飯」と呼ばれる料理は、「炊上げ直後釜内の飯にたまごをかけて蒸らすものと,茹玉子の卵黄を裏漉してこれをかけるものとに大別される」とあり、いずれもタマゴに火が通ったものだ。そして「,現在, 日常よくみられる茶碗によそった白飯に生卵をかける食べ方の例は全くみられなかった」という。どうやら江戸時代には玉子かけご飯はなかったらしい。残念。><
ではタマゴの生食がなかったかと言えば、そういうことでもないらしい。「玉子あへ」という料理の中に、こういう記述がある。
「『料理網目調味抄』では, 煮鳥の部に「黄計を巾にてこし 煮物に掛る事もあり」,『会席料理帳』では「すくひどうふ 玉子の黄身かけて」とあって,これらはいずれも生の卵黄をかけたものであろう」
タマゴを生で使っていそうな料理はこれくらいだったが、それでも生で食べることがあるにはあった、というのは興味深い。
そしてこの論文の結びとして、こういう一文がある。
「中には単に奇をてらうだけのものも少なくはないが,江戸時代においても, これらの調理性が巧みに活用されており, 今回採録し検討したたまご料理は2,3のものを除いて,ほぼ現在調理されている料理をおよそ網羅する多様さであった」
今のタマゴ料理は江戸時代にはだいたい出揃っていたということだ。もちろん洋食など以外ということだろうけども。
そしてタマゴ料理が江戸時代以前にも存在していた可能性にふれ、今後の研究の必要性を示して論文は終わっている。
玉子かけご飯はなかったが、あくまでも脇役とはいえ江戸時代にもタマゴを生食することがあったというのがこの論文でわかった。
結局、それがどのあたりから始まったのかはわからなかったけれど。
昔のタマゴの生食は、保存、衛生管理とか考えて大丈夫なのかという懸念がどうしても浮かぶけれど、これはひょっとしたら昔の人の雑菌に対する耐性を甘く見ているのかもしれない。このあたりどうなんだろう。
「はじめに」に「16世紀末,ポルトガル人宣教師ルイス・フロイスの記述による『日本史』によれば「この頃(1593年)に行なわれた幾つかの布教による成果について」の項に「私たちの食物も彼らの間ではとても望まれております,とりわけこれまで日本人が非常に嫌悪していましたたまごや牛肉料理がそうなのです.太閣様までが, それらの食物をとても好んでいます.」とあって, 日本人が卵食を避けていたことを裏づけながら.一方南蛮人がもたらした彼等の食習慣が,我が国における密やかな卵食を公のことにしていく契機となったことを示唆している」とある。
もし日本での「公」の卵食が「この頃(1593年)に行なわれた幾つかの布教による成果」だとすれば、1582年(本能寺の変=信長死去)以前(『信長のシェフ』の舞台)にはタマゴの生食どころか卵食自体がなかったと言えるかもしれない。
ただ、それ以前から行われていたはずの「我が国における密やかな卵食」については「実態はわからない」としか言いようがない。
そして秀吉の時代にしても、卵食が浸透してきたとはいえ最初に食べられだしたのが「私(フロイス)たちの食物」だとすると、彼らはタマゴ自体は食べたとしても、そもそもその時代のポルトガル人がタマゴの生食をしたのかという疑問が新たに湧いてくる。なさそうな気もするが、わからない。とすればタマゴの生食は、やっぱりもっと後になると考えるべきなのかもしれない。
友人の疑問は、今のところ「ないことはないかもしれないけど、どうなんだろうねえ」としか言いようがないようだ。
いずれにせよ面白い論文だった。
なお、この論文の著者の松本仲子氏について、ネットで見つけたプロフィールは以下のとおり。
1936年旧・京城(現ソウル)生まれ。福岡女子大学家政学部卒業。女子栄養大学大学院修士課程修了。桐生大学教授。女子栄養大学名誉教授。医学博士。「調理法の簡略化が食味に及ぼす影響」などの研究を行う |
『65のレシピで身につく 家庭料理の底力』、『近世菓子製法書集成〈1〉』、『調理と食品の官能評価』など著書多数。
・アマゾンへのリンク⇒松本仲子氏の著書
・女子栄養大学『栄養と料理』デジタルアーカイブス「松本仲子」
なお、調べられた本の中にあった『豆腐百珍』をググってみると、これに載っている百品をすべて実際に作ってみたという面白い本があった。
・豆腐百珍 (とんぼの本)
面白そうだねえ。
突然食いたくなったものリスト:
- オムライス
本日のBGM:
Starlight /HELLOWEEN
2 個のコメント
こんにちは。
自分のブログでも前に書きましたが http://d.hatena.ne.jp/settu-jp/20120617/1339863618 、長崎奉行のお献立―南蛮食べもの百科 江後迪子(2011/02)によると玉子かけご飯は一般には岸田吟香(画家岸田劉生の父で記者・実業家)が明治5年頃広めたともされますが、1838年の武家の献立に「生玉子」の記述があるそうです。
19世紀前半には一部では生玉子を何らかの形で食べていた可能性はあります。
生玉子の衛生状態については戦後以降にはじめて冷蔵等の管理がされるようになったのでそれ以前の安全性は江戸時代も戦前も変わらない筈です。
その他に「信長のシェフ」の歴史考証については少し書いています http://d.hatena.ne.jp/settu-jp/20121018/1350494768 (宣伝)。
こんにちは。
いつも貴重な情報ありがとうございます。m(_ _)m
ここまでの資料の範囲だけで考えると、江戸時代のタマゴの生食については、
「一部にはあった。しかし今日のような『玉子かけご飯』はまだ出現していない」
くらいを仮置きの結論としてよさそうですね。
「信長のシェフ」の歴史考証、勉強になりました。このエントリの最初に紹介した友人も喜ぶと思います。(^O^)
これからもよろしくお願いします。m(_ _)m