これは行かなあかんでしょ

出雲大社、59年ぶり本殿公開

 出雲大社(出雲市大社町)は4月から8月にかけ、59年ぶりに国宝の本殿を一般公開する。普段は立ち入り禁止だが、本殿を改修する「平成の大遷宮」に伴い、ご神体を別の場所に移すため実現した。

 1744年に建設された本殿は、最も古い神社様式「大社造り」で、高床式になっている。一般公開では、階段で本殿を巡る廊下まで上り、建物内部を見学することができる。天井には、7つの雲を赤や緑などで色鮮やかに表現した絵画「八雲之図」が描かれている。

 「平成の大遷宮」では2008年度から5年をかけて約60年ぶりに本殿を改修する。この間、本殿のご神体を拝殿に移す。一般公開は大遷宮の期間中、今回の4月―8月だけとなる。

 公開日は4月21―23日、4月26日―5月6日、5月13―18日、8月1―17日の計37日間の午前9時半―午後4時半まで。Tシャツや短パンなど軽装は不可。


 これは行くしかなかろう。
 というか、何回行くか、みたいなレベルか? (^^;
「Tシャツや短パンなど軽装は不可。」か。
 一瞬、「Tシャツや短パンなどを販売」かと思って、「やるなあ(^O^)」と思ったのだが。(^^;
 いやしかし、どういう格好で行くべきか。


 先に神魂神社を見ておくべきかな。

 平成の大遷宮で、正殿に戻します、みたいになったら凄いのにな。
 鉄骨使っていいとしたら、今の技術なら安定したものができるのかな?

 でも、どうして「大宮」なんだろ??

突然食いたくなったものリスト:

  • ドトールのホットドッグ

本日のBGM:
Twilight Of The Gods /HELLOWEEN


10 個のコメント

Skip to comment form

    • 摸捫窩 on 2008年3月21日 at 12:47 AM
    • 返信

    こんばんは。
    >出雲大社、59年ぶり本殿公開
     これは是非行かなくては。
    >正殿…
     建てるのは大丈夫だと(ただし福山案より貫入りの案を推奨しますが)。おそらく、メンテナンスの方が問題になるのではないかと思われます。
     残る障害は建築基準法と消防法でしょうかね。あとお金。

    • 管理人 on 2008年3月22日 at 12:15 AM
    • 返信

    >摸捫窩さん
     こんにちは。
    > 建てるのは大丈夫だと(ただし福山案より貫入りの案を推奨しますが)。
     復元案は2種類見たことがあります。他にあるのか知らないんですが。その片方は福山案だったと思いますが、「貫入りの案」というのはそのもう片方の案なんでしょうか? すんません、不勉強で。m(_ _)m 確かに貫が入っていたような。
    >おそらく、メンテナンスの方が問題になるのではないかと思われます。
     残る障害は建築基準法と消防法でしょうかね。あとお金。
     わはは。なるほど、メンテナンス。(^O^)
     確かに大変そうですね。
     下手をすればバブル崩壊で鉄骨のみの状態で放置されたビル……といった風情になりかねないかも。
     あと、やっぱりお金が一番大きいのでしょうね。
     もしあの復元案でやるなら、土地は境内で間に合うんでしょうか。
     あるいはもっと原理主義的?に、「『雲太』の精神をちゃんと受け継げば、『正殿』とは特定の高さを指すのではない。『日本で一番高い』ことこそが『正殿』の真の意味だ!」みたいなことになって、日本で一番高い建築物を目指してみたり。(^O^)
     いやはや。とにかく楽しみです。出雲大社。
     できれば行きか帰りに吉備津神社も見てきたいなあ。

    • 摸捫窩 on 2008年3月26日 at 1:29 AM
    • 返信

     こんばんは。
     私の見た貫入り案は、『高きを求めた昔の日本人』(国立歴史民俗博物館編、山川出版)に載っていたもので、構造技術的な可能性を論じた部分にありました。ですから、厳密には「復原案」とまでは呼べないものかもしれません。
     適当に貫(横架材)を入れれば、三十二丈(福山案の二倍)も不可能ではないとのことです。
    >土地は境内で…
     建物本体は大丈夫かも知れませんが、階部分が収まりきらない気がします。
     個人的には、東大寺にあったという高さ99メートルの七重塔が見てみたいです(安藤サンの新東京タワーはいらないので)。

    • 管理人 on 2008年3月27日 at 3:59 AM
    • 返信

    >摸捫窩さん
     こんにちは。
    >適当に貫(横架材)を入れれば、三十二丈(福山案の二倍)も不可能ではない
    とのことです。
     それはいいですね。
     ところで、その場合はどこで参拝することになるんでしょうね。(^^;
     向拝のところまで行くのかな?
     あるいは麓(^O^)の部分に拝殿を作るんでしょうか。
     って、昔はどうしてたんだろう?
     階段を上るのがとてもしんどいようにも思えましたが、例えば標高100mの山に登ることを考えれば、それほどではないのかも。
     でも27階建てのビルをエレベーターなしでのぼると考えれば絶望的になるんですけどね。(^^;
    >個人的には、東大寺にあったという高さ99メートルの七重塔が見てみたいです
     へええ、そんなのがあったのですか。知らなかったです。
     寺のことはさっぱりで。(^^;
     99mというと、三十二丈より若干高いみたいですが、やっぱり三十二丈だったんでしょうか。それとも違う長さの単位で作られたのかな。
     でもよくそんな木材が手に入ったなあ。

    • 摸捫窩 on 2008年4月6日 at 2:04 AM
    • 返信

    こんばんは。
    大分遅くなりましたが…。
    >階段を上るのがとてもしんどいように…
     曳橋は長さ100メートルとのことなので、大変そうです。
     ビルディングタイプが異なりますが、姫路城の大修理の時に造った木造の階(斜路)の写真を見たことがあります。中々壮観でした。全長200m(出雲曳橋の倍の長さ)だそうです。伊勢湾台風でも大丈夫だったらしいので、少なくとも木造曳橋は充分作れそうですね。
    >やっぱり三十二丈だったんでしょうか
     先に挙げた本では330尺となっていましたので、33丈ですね(記録としては室町時代の相国寺七重塔で360尺というものもあるそうです。真偽は不明ですが)。
     木材は上手く継いで使ったんではないでしょうか。長い木材は伐採、運搬が大変なそうなので。でも昔なら探せば巨木が存在したかも知れないですね。

    • 管理人 on 2008年4月13日 at 4:29 PM
    • 返信

    >摸捫窩さん
     こんにちは。
    > ビルディングタイプが異なりますが、姫路城の大修理の時に造った木造の階(斜路)の写真を見たことがあります。中々壮観でした。全長200m(出雲曳橋の倍の長さ)だそうです。伊勢湾台風でも大丈夫だったらしいので、少なくとも木造曳橋は充分作れそうですね。
     もしできたら、本殿そういう周辺の付属物自体が建物本体だと認識されることになるのでしょうね。(^O^) 
    「え? この上に、何かあるの?」みたいな。
    >でも昔なら探せば巨木が存在したかも知れないですね。
     そこなんですよね。あったんじゃないかと思うんですけど、もしもあったとしたら、火災にならない限りよっぽど大切に伝えられたはずで……例えば倒壊して折れてしまって本来の建材として使えなくなったとしても、それを焼却してしまうようなことはあり得ないと思うんです。何らかの形で残したと思うんですよね。でも、それが残ってるといった話は聞かないし、だったらやっぱりそういう(残そうと思うほどの)巨木はなかったのかなあ、とも思ったり。難しい。(^^;
     ところで関係ないのですが、先日東京国立博物館に行って、その建物のヘンテコリンさに驚いたのですが、あれは「帝冠式」ってやつなんでしょうか? もしも御存知なら教えてたいだければ……。m(_ _)m

    • 摸捫窩 on 2008年4月17日 at 2:44 AM
    • 返信

    こんばんは。
    >東京国立博物館
     本館の建物は「帝冠様式」とされています。この「帝冠様式」という言葉は、学術用語ではないのですが、良く使われますね(他には九段会館とか、京都市立美術館が有名でしょうか)。
     鉄筋コンクリート造や鉄骨造などの不燃構造の西欧風の建物に、瓦葺きの勾配屋根を架けたものを指すのが一般的かと思います。研究者は「『日本趣味』の建築」なんて言ったりしているようです。
     言葉自体は、国会議事堂のコンペの際(大正9年)の下田菊太郎の案に由来するとされています。下田の案は西欧風建物上に勾配屋根の和風建物を載せたもので、これを「帝冠併合式」と称したのです。
     その後、昭和初期にこれに近い手法が流行し、東博の本館(昭和12年竣工)もその系譜に位置付けられることが多いです。
     当時から現在に至るまで色々批判されることの多い建物ですが、当時は日本だけでなく世界中でナショナリズムに基づく国威発揚的な建物が建てられていたので、余り批判するのも可哀想な気がします。
     本館の話に戻りますが、これもコンペ案に基づく意匠です。建築家は和光や日本生命館の設計も手掛けた渡辺仁です。元々コンペの条件として勾配屋根を載せることが決まっていたので、その制約の中で設計したことになります。
     そうして見てみると、当選した他の案と比べ、渡辺案は断然優れていたと思います(あくまで制約の中で、という条件付きですが)。あの切妻の屋根の架け方は、ジャワの建築にヒントを得たと言われています。
     なお、実施の際に正面の千鳥破風が付け加えられて正面性が増されています(おそらくこれは渡辺仁の本意ではないでしょう)。
     それから、技術的には当時の最先端が盛り込まれました。日本には大規模な博物館はほとんど前例がなかったので、照明計画や空調など、美術品の保管展示のための設備の設計には極めて慎重な検討を要したそうです(なにしろ当時は「帝室」博物館でしたし)。
     まあ、変わった建物ではありますが、細部の意匠とか、色々見所はあると思います。
     長文で済みません。答えになっていれば良いのですが。

    • 管理人 on 2008年4月20日 at 12:08 AM
    • 返信

    >摸捫窩さん
     丁寧に御説明いただき、感謝感謝です。m(_ _)m
     「帝冠様式」は確かにへんてこりんな外観ですよね。その分インパクトが強くてなんともいえない後味が残ります。
     建築というのは「巨大である」ということ自体が(まあその程度はあるとしても)自ずから決まっている属性であって、ミニチュアで「ちょっと変」というクラスのものでも、あの大きさで迫ってくると心を打つ(?)んでしょう。
     きっと、その裏にある、膨大な労働力とか資金とか、そういうこともその中には含むんだろうなあ、とか。
     しかし「帝冠様式」って、やっぱり批判を受けてたんですね。
     「国威発揚」ということは、やはりイデオロギッシュな意味なんでしょうね。
     でも、だったら役所に積極的に採用されてもよかったのになあ。(^O^)

    • 摸捫窩 on 2008年4月23日 at 3:38 AM
    • 返信

    こんばんは。
    >だったら役所に…
     神奈川県庁舎、愛知県庁舎、名古屋市庁舎などは、「帝冠様式」と言われます。
     神奈川県や名古屋市のは、九段会館などに比べると随分おとなしい気もしますが。
     愛知県庁は、やっぱりお城のイメージなんでしょうねえ。国威ではなくて県威発揚とでも言えば良いでしょうか。

    • 管理人 on 2008年4月29日 at 3:10 PM
    • 返信

    >摸捫窩さん
     こんにちは。
    > 神奈川県庁舎、愛知県庁舎、名古屋市庁舎などは、「帝冠様式」と言われます。
     神奈川県や名古屋市のは、九段会館などに比べると随分おとなしい気もしますが。
     あああなるほど。「帝冠様式」の作風はいくつかあるんですね。
     ググると、こういうのが見つかりました。↓
    神奈川県庁舎
    http://maskweb.jp/b_kanagawa_1_1.html
    愛知県庁本庁舎
    http://maskweb.jp/b_aichipref_1_1.html
    名古屋市役所本庁舎
    http://maskweb.jp/b_nagoyacity_1_1.html
     愛知は両方、なんか、凄いですね……。(^^;;;
     参るなあ。(^O^)
     イデオロギッシュな話よりは、「名物を表現してみました」的な感じに見えますね。
     しかし……。(^^;

摸捫窩 へ返信する コメントをキャンセル

メールアドレスは公開されません

CAPTCHA